はてなキーワード: Iモードとは
あれって日常使いじゃ写真が大きく載ってたりするから使いにくいのをむしろ越えて使うこそファン魂じゃない。
そう生きたいけど、
かといって、
じゃ何のファングッズが喜ぶんだろうという案は?と言われても何が井の頭なのか?って思っちゃうわ。
結構そこ悩みどころの落としどころがないところよね。
ってそもそもあんな大きなポスターの入る額縁ってあるのかしら?
分からないけどあったら入れて飾ってみたいわ。
丸まったままの飾ってない涙だけの中森明菜さんだってそういうに違いないわよ。
かと言ってそのアーティストさんの文字だけのロゴって言うのも取り分け私はそうグッとこなかったりハッとしてグーなのよね。
よく車で某HとAを組み合わせたステッカーや
もうあからさまに矢沢っちまった車を八街市で見かけたときにはもうやっちまったな!って近寄りがたく思っちゃうの。
そこまでもアピールしたいって訳じゃないんだけどね。
少年誌の雑誌の全員応募で当たる!と言いながら小為替送らないパターンじゃなくて、
これってもはや当選と言うより購入って感じだわ。
ぜんぜんプレミアムじゃなくて、二束三文四銭にもならないから五めんよ!なんちゃって言いたくなるわ。
テレフォンカードの価値なんてもはやiモード以下でもあるしポケベル以下でもあるかも知れないし、
私のベル打ち入力は一体これから何処で発揮アンド披露したらいいの?って路頭に迷ってしまう。
オタ芸の技のロマンスばかりするから脇腹の筋肉がロマンス筋ばりに発達してきて、
みんな技均等になさい均等に!って言ってしまいたいところでもあるわ。
そうなったときに初めてロマンスの神様は広瀬香美さんだってことが分かるはずよ。
まるでそれ新幹線のこだましか止まらなさそうな駅の名前じゃない!ってツッコミを入れちゃうわ。
まったくよん!
これからジャックオーランタンばりのパンプキンケーキでも焼くわ!
うふふ。
一緒にいただくと美味しいわね!
やっぱり朝は好きなもの食べてションテンあげたいじゃない!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
多くの方は「激務に心が折れたか?」と考えるかも知れない。まさにその通りだ。
天才たちが1件数千万円、数億円みたいな超弩級の案件を挙げつづける横で、細々と1件500万円みたいな案件をコツコツと積み上げノルマをでクリアするという平々凡々な営業だった。
天才たちに囲まれて彼らの足もとへギリギリ届くくらいの成績を挙げるには彼らよりも長い時間をかけて働かなければならず、約15年間走った営業人生の中で2度仕事中に倒れた。
2度目のときは医者から「このままだと死にますよ」と叱られ、妻にも泣かれ、小さな息子が居たため、営業を続けることを諦めた。
営業人生の中で唯一誇れることは、まだまだ小さかったIT業界へお金を回していたことだった。
500万円という小さな金額であっても私は平々凡々な営業だったので最初から挙げられるはずもなく、訪問先へ苦労しているうちに辿り着いたのが当時ASPと呼ばれ・・・いや自称していた小さな小さなIT業界だった。
彼らの組織はだいたい4〜5人ほどしか居らず、多くても20人には届かない程度。奥さんが経理をやっていたり、労働基準法なんてものは無いかのような業態、主力商材はiモードサイトの作成、私に語るのは夢物語のようなインターネットの未来、何なら人手が足りず私すらコーダーとして参戦するような有様だった。
「社長、社会保険は払わないと不味いですよ労基署に見つかったら・・・」「でもお金無いんですよ電気代もタダじゃないしソフト高いし」「私が案件持ってきますんで社会保険だけでも何とか捻出しましょうよ」のような会話をよく繰り広げた。
会社へ戻り天才型の大先輩へ対して本気の土下座を敢行し、30分程度頭を地に付けていると先輩が折れ、お金のある病院やら銀行やら公官庁やらを紹介してくれてホームページ作成案件を得て、直ぐにIT企業へ融通した。
おそらく多くの人が馬鹿だと言うだろうけれど、ここまで一切の売上はない。
私は夢物語を語る彼らが正しいと信じ、同時に彼らしか私のノルマを減らせないので必死になって運命共同体となり働いていた。
それでもある会社は労基署にバレて業務停止命令をくらい、ある会社は堪えきれなく倒産し、ある会社は社長が従業員に給料を支払うため首を吊った。
首尾よく情報サイトやレンタルホームページやレンタル掲示板サービス、軽量化Proxy、検索サービス、広告プロバイダあたりがヒットした企業は生き残った。
流れが変わるのは小泉政権IT革命時代で、そこから私は先見の明がある優秀な営業マンであると社内で評価されるようになったが、これまでの無理が祟ったのか成績がやっと見れるものになってきたなと思ったら前述したとおり倒れてしまい退職した。
転職し、営業時代と比較したら悠々自適と表現しても過言ではないような生活をしている中で1人の若者と出会う機会があった。
その斜陽産業は何かと言えば誰しもが絶望するだろう「製本」だ。
当初は「DTP」と聞いていたので困難ではあるけど未来は絶望とまではいかないと考えた。しかし詳しく聞くと「製本」だった。
跡取りよ、格好付けて「DTP」と答えるなよと言いたい。DTPと製本ではIT業界に例えるならば「CPUの製造」と「H8の製造」くらい印象が違う。
更に詳しく話を聞いていると「この会社はお爺さんの代から始まった会社であり、可能ならば跡を継いで会社を続けたい。しかしもし製本が立ち行かなくなれば人生としてそれは大変厳しいものになるのは間違いない」というものだった。
跡取りの言い分はもっともだと感じた。ここから10年20年何とか会社を継続して、その後に倒産の憂き目に遭えば年齢から来る就職難になってしまう。
現在の跡取りは20代であり、確かに自分の人生のため方向転換するなら絶好のタイミングだと言える。
そして3代とは言え家業を継ぎたいという気持ちもわかる。ある種の親孝行とも言えるし、もし家業が再び上向きの軌道に載せることが出来れば、コレほど満足行く人生は無いだろう。
跡取りの語り口は本物だ。家業を立て直したいという熱意が伝わってくると共に、泣く泣く諦めなければならない可能性が高いという現実も見えている。
私はその姿に若かりし頃に見た小さな小さなIT企業の経営者と従業員たちを重ねてしまった。私はおそらくこの跡取りに協力すると思う。
しかし、私には証券関連以外の知識はIT関連の知識しかないので、製本とWebサービスを絡めたことしか協力できない。
幸いながら私はこれまで世間に知られる前に消えていった数多くのIT企業を見てきたし、今やインターネットユーザならば誰しもが知るIT企業の黎明期に人員不足から開発へ参加し、地べたで一緒に川の字になって寝たこともある。
それらの経験から明確な計算式を私は持っている。つまりこれが最低限達成できなければそのプロダクトは上手く行かないというものである。
それは「1つのWebサービスが日本で達成できる理論上の全ユーザ数は約1000万人」であることを前提に「無料サービスであれば、そのサービスに登録する全ユーザ数の内2%から全コストを賄うという目標を3年以内に達成する」というものだ。
これは「Webサービス開発運営の年間コストが1億円ならば1000万人のユーザから10円ずつ徴収すると良い」というのは馬鹿の考えであるということだ。日本国民全体から1円ずつ貰えば1億2000万円になるじゃん!という考えと同じ。無謀だ。
理由はわからないのだが、Webサービスというものは何故か積極的に参加しつつWebサービスを維持するために課金しても構わないという強力なファンが全ユーザの2%前後に収束する傾向がある。再度言うが理由はわからないのだが長期的に見ると何故かそうなる。
つまり年間コスト1億円であるならば1000万人の2%、20万人で1億円を得なければならない。1人あたり年間500円だ。
ただ、実際はユーザ数1000万人などというのは途方もない数字なので、年間あたりに投資できる資金から最低限必要なユーザ数を逆に割り出すのが良い。
現実的に考え、そこそこ本気でやってるWebサービスを想定して年間コストが2000万円としよう(ちなみにスマートフォンゲームなどはこんなものでは済まない)。
そして次に課金額を決定する。この課金額は課金コンテンツの平均値ではなく中央値を考えたほうが良い。つまりユーザがよく課金するであろうコンテンツの価格を決めるわけだ。
現代のWebサービスの課金コンテンツでは一般的に年間6600円程度掛かることが多いので取り敢えずそうする。
これで課金するであろう2%のユーザ数が想定できる。約3030.30人だ。2%のユーザ数が出たので100%のユーザ数もわかる。約15万1515.15人だ。
ここから更にアプリストアの手数料なども換算しなければならないので、課金額を減らせば獲得しなければならないユーザ数は増えるし、課金額へ手数料を上乗せすると課金して貰える障害が増える。
これを3年以内に最低限達成しなければならない。本音を言うと1年以内に達成するのがベストというかそのつもりでやらないと3年間も走れない。
忘れてはならないのがこれはWebサービスを不安なく維持するための費用なのだ。従業員の給料などは想定されていない。
だからこそスマートフォンゲームはあの手この手でユーザの課金額を高めようとするし、ユーザの課金率を上げようとしている。
SNSなどは全ユーザ数あたりの企業アカウント率を高めようとし、企業アカウントに広告出稿などで課金させることで課金アカウント2%を超えようとしている。
これを先ずは跡取り(とその両親である役員)に飲んで貰わないと話が進まない。おそらくは大抵の人が引いてしまう数字だとは経験上理解している。
もちろんこれから製本や印刷を求めるユーザが魅力的だと感じるWebサービスを考えなくてはならない。
私の頭の中にはひな型程度はあるが、そのひな型が跡取り(と両親)が気に入るとは限らないし上手く行く保障もない。
役員たる両親には現在の製本工場とその従業員を守るという意識があるだろうし、斜陽産業と自覚していても軽々しく冒険は出来ないだろう。
この辺りは私の営業としてのトークスキルが重要ではあるが私は平々凡々だと自覚しているので力不足で終わるかも知れない。
跡取りのやる気を維持しつつ更なる現実を見せ、両親を説得し、要件をクリアできそうな私の知るIT企業へ開発を委託し、ミーティングを繰り返し仕様書を作り、開発を進め、デプロイした後は跡取りと私が運営することになるだろう。
このようなことを考えていると若かりし頃を思い出し懐かしくなってくるが、家庭がありながら馬鹿なことに首を突っ込もうとしている私は妻から愛想を尽かされてしまうかも知れない。
極力、休日を使おうと考えては居るが、休日が足りなくなったら現在の職も辞めなければならないはず。何とも馬鹿馬鹿しい身勝手な男だ。
本体代金だけで数万を2年おきに払ってる。
パソコンだとまだ将来的なスキルにつながる可能性があるけれど、スマフォは何かを作るのに向いてない。
Lightroomなどパソコンで出来ていた事を再発明するのにコストを多くかけてる。
SNSにいたっては、多くの人が騒いでも解決しないのに時間を取られている。
最近だと充電中にスマフォの中のデータを使って機械学習してサーバーに送られてる。
企業からすると、電気代も端末代も通信費も企業側が負担しなくてもいいようになってる。
サブスクリプション使えるからというが、フューチャーフォンでもiモードあった。
ドコモなどが主導してたときって、端末ごとに特徴があったのに、今だと特徴もない。
選択肢が少なくなったと思う。
インドでスーパーフューチャーフォンとしてKai OSやIndus OS出てきてて、流石にもうちょっとスペック欲しいけれど、
インターネットを日常的に利用する諸氏はMastodonというマイクロブログサービスを知っているだろう。
ある程度のITの知識を持った者ならば自身でマイクロブログサービスを始められるオープンソースなソフトウェアだ。
2017年当時学生だったハンドルネームnullkalがmstdn.jpというドメインを取得しMastodonサーバーを開設したことによって日本で注目を浴びた。
しかし、本質ではない。一部の真実を表現しているので誤りでは決してないが、本質かと言われれば決してそうではないと返せる。
Mastodon(と分散SNS)という言葉と存在を知る多くの人々が本質を理解できていなかったため「劣化Twitter」などと評価せざる得なかった。
そして、不幸なことにMastodonが話題となった当初、それを報じるインターネットメディアもまたMastodonの本質を理解できていなかったので、Mastodonに関する記事を読んだ多くの人々の評価がMastodonへアカウントを作らずとも「劣化Twitter」として固定されてしまった。
私の友人はMastodonを指してこう言った。
「Mastodonって不人気だけど何故かプログラマーな人が多いよね」
おかしな話だ。コンピュータやインターネットの技術に詳しく専門分野に関しての審美眼には信頼のあるプログラマーが何故か不人気なものへクールさを見出していると言うのだから。
そこでこのエントリでは、日本語情報も多いMastodonを例にして分散SNSの本質を解説しつつ、何故プログラマーが分散SNSへクールさを見出しているのかを語っていこうと思う。
2007年、インターネット上に「OpenMicroBlogging」と呼ばれる通信プロトコルが登場した。
OpenMicroBloggingは分散SNSで使われることを想定した通信プロトコルで、OpenMicroBlogging実装SNSとして「Identi.ca」が開設される。
Facebookは2004年設立、Twitterは2006年設立であり、Facebook設立からわずか3年後、Twitter設立からわずか1年後に分散SNSが登場したことになる。
オープンなSNSでよく語られるのは「中央集権SNSへのアンチテーゼ」だ。
これらの表現は悪いわけでない、悪いわけでないが分散SNSの理解へ誤解を生む。
誤解を生む理由は「わかりやすい」のだ。「自身のサービス内で強権を奮うFacebook運営やTwitter運営へNOを突きつけよう!」「我々の手にオープンなSNSを!」といういかにもな正義は非常にわかりやすい。
だからこそ一部でこの表現が支持されてしまい声たからかに叫ばれ、多くの人々の分散SNSの本質的な理解を妨げた。
インターネットを長らく観測してきたお歴々はご存知だろうが、そもそも「ユーザー自身が管理者となり自分自身のルールを運用できるオープンなSNSは分散SNS登場以前から存在している」のだ。
日本国内であればmixiクローンSNSとして「OpenPNE」などがFLOSSコミュニティでは非常に有名だ。
では、これまでのオープンなSNSと分散SNSは何が違うのか?
分散SNSは大前提として通信プロトコルありきで開発されている点が違うのだ。
思い出して欲しい。Identi.caの前にOpenMicroBloggingが作られていることを。
後に整理されてIdenti.caは「GNU Social」と、OpenMicroBloggingは「OStatus」と呼ばれるようになるが、Mastodonもまた通信プロトコルありきで開発されており、MastodonがありきとしたのがそのOStatusなのだ。
OStatusのベースであるOpenMicroBloggingは設計が古いため、現在ではOStatusの事実上の後継であるモダンな設計のActivityPubへ差し替えられるという大きな変化はあったが基本は変わらず、MastodonはActivityPubありきで開発されている。
多くの人々はSNSと言えばTwitterやFacebookやInstagramなどを想像してしまい、分散SNSと言われるとMastodonやGNU Socialを連想してしまう。
はっきりと言おう、この認識自体が根本的に最初の誤解であるのだ。
分散SNSは通信プロトコルありきで開発されており、ActivityPubなどの通信プロトコルによってSNSサーバー同士が相互接続し形成されている。
このネットワークそのものが分散SNSだ。Mastodonは分散SNSを形成するSNSサーバーでしかない。
すなわちMastodonは分散SNS方式SNS、分散SNS型SNSなどと表現したほうがより正確な意味を持たせられるのだ。
ただこれは情報技術に詳しいはずの技術者でさえ誤解しやすい部分であり、よりわかりやすく説明するためにActivityPubなどで形成されるネットワークのことを「Fediverse Network」と表現することが多くなっている。
つまり「Mastodon ≒ 分散SNS」「Fediverse Network = 分散SNS」という図式が成り立つ。
Mastodonはやろうと思えばFediverse Networkに接続しないこともできるということを理解しておかなければならない。
ActivityPubなどの通信プロトコルによってSNSサーバー同士が相互接続することにより形成されるネットワーク(= Fediverse Network)そのものが分散SNSであると言った。
それを知るためにはFediverse Networkの特性を知らなければならない。
Fediverse Networkを形成するActivityPubを現在は様々なSNSがサポートしている。
代表例を挙げればマイクロブログサービス型の「Mastodon」「GNU Social」「Pleroma」「Misskey」「microblog.pub」、Facebookのような名鑑名簿型の「Friendica」「Hubzilla」、写真投稿型の「PixelFed」、動画投稿型の「PeerTube」、電子掲示板型の「Prismo」などがActivityPubをサポートしている。
ここで疑問を投げかけてみよう。
もし、何らかの理由でMastodonの開発が停止し、この世から完全にMastodonサーバーが消滅した場合、Fediverse Networkはどうなるか?
答えは簡単だ「Fediverse Networkは維持されたまま」である。
単にこの世からMastodonが消え失せるだけであってActivityPubが形成するFediverse Networkへ対応しているのはGNU SocialやFriendicaなど他にも多数あるのだ。
Mastodonが使えないのであればGNU Socialを使えば良いというような形式のネットワークをインターネット老人会のお歴々はよくご存知で、おそらくこう表現するのではないか。
GMailが使えないのであればYahoo!Mailを使えば良い。それと全く同じだ。
そうつまり、分散SNSの本質それは「SNSの形態を取った次世代のE-Mail」なのである。
分散SNSの本質はSNSの形態を取った次世代のE-Mailであるからこそ「Twitterの代替」や「中央集権SNSへのアンチテーゼ」などという言説は分散SNSの本質を表現できているとは言えないのだ
TwitterはE-Mail Networkのような特性を持っておらず、E-Mail NetWorkはそもそも分散されている(E-Mail NetWorkはそのように設計されたから)。
ましてや、そもそもシステムの根本から違うので「劣化Twitter」という言説もまた分散SNSの本質などではない。分散SNSはTwitterクローンですらないのだから。
分散SNSの本質はSNSの形態を取った次世代のE-Mailであるからこそ、そのアカウント数はE-Mailと同様にゆっくりと増え続ける。
過去の日本ではユーザーが望む望まない、ユーザーが使う使わないへ関係なくDoCoMo携帯電話のiモードへ加入するだけでE-Mailアカウントが付いてきた。
分散SNSのアカウントはそのようにして増える。今後登場するであろう人気WebサービスがActivityPubをサポートしているとユーザーは意識せずともFediverse Networkへアクセスできてしまうのだ。
分散SNSの本質はSNSの形態を取った次世代のE-Mailであるからこそ、プログラマーたちにとってクールなのだ。
現在、GMailアカウントがどのように使われているか?を少し考えるだけで、SNSの形態を取った次世代のE-Mailである分散SNSがどれだけ刺激的で新しいインスピレーションを生み出してくれるかが理解できるだろう。
昨今のインターネットへ明るい者であれば「分散SNS」を知っているだろう。
各々のユーザによって個別のサーバが相互接続し合うことによってSNS網を構築し、中央集権であるTwitterやFacebookの代替として確立されたサービスのことだ。
日本では一時期、分散SNSの実装の1つである「Mastodon」が話題となり、その意義を明確に理解したユーザや、ビジネスチャンスを見出した企業が参入した。
「Mastodonは自分に合わない」「Mastodonは流行っていないのでTwitterに戻る」などの理由で一時期よりはアクティブユーザが減ってしまったが、少々の誤解のある人も居るようなので、最後の方でこの点についても言及したい。
そのMastodonを創始した「Eugen Rochko」氏の提起が分散SNS内で紛糾してしまっている。
So Gab has decided that their own code that they spent $5M of investor money developing is so unsalvageably bad that they're going to use Mastodon's code instead, with the added bonus of leeching off of our apps (with Gab apps being banned from app stores)
This is an early warning to fellow admins to be vigilant and domain-block them on sight, when/if they appear (unconfirmed whether they intend to federate), and to app devs to consider if blocking Gab's domains from their app is necessary.
すべてを翻訳するのは面倒なので要約すると「Mastodonクライアントアプリ製作者はGabのドメインブロックに協力して欲しい」という提起だ。
Gabは早い話がTwitterと同様の2016年に創始されたマイクロブログ系SNSだ。
Gabは言論の自由や表現の自由が尊ばれ、あらゆる発言や表現が許容されるSNSとして成立した。
ここまで聞くと大変素晴らしいSNSのように思えるが、実は「あまりにも自由すぎた」ためにAppleのAppStoreやGoogleのPlayStoreからアプリが排除されてしまうという事態を引き起こした。
何故ならばGabは自由のためヘイトスピーチすらも許容し、北米でユダヤ教礼拝所の襲撃予告に使われてしまった。
そう、Gabは自由すぎたために北米のAlternative Rightの巣窟となってしまったのだ。
ここまで聞けばEugen Rochko氏は正しい。2大スマートフォンプラットフォームにさえ排除されたGabを擁護するのは非常に難しい。
そんなことは分散SNS界隈は全員がと言って良いほど理解している。GabはEugen Rochko氏から非難を受けても仕方がないと皆が思っているのだ。
しかし、何が問題なのかと言えば「MastodonはAGPLを冠している」からEugen Rochko氏の発言は問題とされ紛糾してしまった。
「Richard Stallman」氏が「GNU宣言」を提唱して以降、数多くのFLOSSな成果物が公開され、数多くの情報技術者がそのFLOSSで育ち、日々FLOSSで業務を行っているからこそだ。
GNU宣言は個人の自由は最大限に守られるべきだとし、個人の選択は最大限に尊重するべきだとしている。
AGPLはGNU宣言に影響されたソフトウェアの利用・配布・改変などに関するライセンスだ。非常に自由なライセンスとして知られる。
GNU宣言はIT界隈で一種の聖典として扱われ、IT界隈でリベラリストが育つ土壌となっている。
MastodonはそんなAGPLを冠して開発されており、GabはMastodonをフォークして新たなSNSを立ち上げると宣言した。
Eugen Rochko氏はGabがMastodonをフォークすることへ不快感をあらわにし、フォークすることすらも自由であるはずのMastodonからGabを閉め出そうとしたのである。
それへ対して自由を尊重する分散SNS界隈は当然ながら「待った」をかけたというのが事の顛末である。
イスラム国(ISIS、ISIL)はMastodonと同じくAGPLライセンスで開発されている分散SNSの実装の1つである「Diaspora*」へ参入を表明したことがある。
この件も、分散SNS界隈では紛糾したが、AGPLにはイスラム国のようなテロ組織が利用することを禁じるような条項はないので、IT界隈のリベラリズムはイスラム国のDiaspora*参入を許容した。
分散SNS界隈が取れる選択は「各々の分散SNSサーバの管理者が個人の選択としてイスラム国Diaspora*サーバをドメインブロックすること」くらいなのだ。
これほどAGPLとは自由であり、IT界隈の多くは確固たるリベラルなのである。
だからこそMastodonでは絶大な影響力を持つ創始者たるEugen Rochko氏が「GabをMastodonクライアントアプリがドメインブロックしないとアプリストアからアナタのアプリが削除される可能性がある」というような脅迫と取れるような発言してはいけないのだ。
Eugen Rochko氏自身がMastodonをAGPLライセンスと決めたのであれば、Mastodon開発はAGPLに基づいて運用されなければならない。
Eugen Rochko氏ができる発言は、Mastodonの本家サーバ(デモサーバ)としても知られるEugen Rochko氏自身が運営する「管理者としてmstodon.socialはGabをドメインブロックする。そして他のMastodonサーバおよびMastodonクライアントアプリがGabをドメインブロックするかどうかは管理者・開発者の自由に委ねられる」くらいなもの。
Eugen Rochko氏のGabへ不快感を持つという意志は尊重されなければならない。だがしかしMastodonへ関わる開発者を扇動してはならない。
分散SNS界隈はGabを擁護しているのではなくAGPLを擁護しているからこそ、Mastodonの偉大な創始者であるEugen Rochko氏の発言は紛糾してしまった。
Eugen Rochko氏の発言は結果としてAGPLの自由を脅かす発言となってしまったのだ。
Twitterで自由の権利に関しての話題が紛糾することがままあるが、分散SNS界隈が抱える自由の権利の問題はこの段階まで来ている。
MastodonはActivityPubプロトコルというものに基づいて、Mastodon以外の分散SNSと相互コミュニケーションを取ることができる。
このActivityPubプロトコルで形成されるネットワークをFediverse Network(日本語では連合ネットワークと翻訳されることが多い)という。
つまり、アナタが利用する分散SNSがFediverse Networkへ参加していればSNSの種類が違ってもコミュニケーションについては問題ないわけだ。
例えばもしMastodonが完全に廃れてしまい開発が止まっても、Fediverse Network自体はFediverse Networkへ参加する分散SNSが存在する限りFediverse Networkが消滅することはない。Mastodonが消えるだけなのだ。
もっとわかりやすい例を出そう。Fediverse Networkは早い話が「SNSの形態を取ったE-Mail Networkと似たようなもの」なのである。
アナタがMastodonアカウントや他の分散SNSアカウントを取得するということは、GMailアカウントやYahoo!メールアカウントを取得することへほぼ等しい。
ここまで言うと察しの良い人は段々と気付いてくる。
「もしかしてメールのネットワークが完全に消えてなくなるとは考えにくいように、分散SNSのネットワークも消えてなくなるとは考えにくい?」と。
メールは流行る流行らないという段階ではすでになく誰でもいつでもメールアドレスは取得できるので一種のインフラのようになっているが、分散SNSもほぼ間違いなくそのようになる。
分散SNSアカウントは誰でもいつでも取得できるので、その参入者数はメールのように時間をかけてゆっくりと増え続け、気付けばインフラのようになっているというのが分散SNSのネットワーク特性なのだ。そうなるように設計されているから。
Mastodonが流行る流行らないという部分は問題にするべき部分でなく、というかFediverse Networkの設計上で見当違いな心配なのだ。
要は「分散SNSってメールみたいなものなのね」と早期に気付いた人は早い段階で分散SNSのアカウントを取得したし、それにまだ気付いてない人は分散SNSアカウントの取得が遅れているだけということだ。
おそらくは現在分散SNSアカウント未取得でも、将来的に流行するWebサービスがFediverse Networkへ何気なく対応していて、気付かないうちに分散SNSを使えるようになっているということが発生すると思われる。
DoCoMoの携帯電話を持っただけでiモードのdocomo.co.jpメールアカウントが付いて来たように、流行りのWebサービスに登録したら分散SNSアカウントが付いて来るだろう。
以下。
何もしてねーのに、偉そうな日本の似非IT、似非、自称起業家ばかり。iモードって何?知らんわ。
@tnatsu クソじじいは隠居しとけ。
とりあえず、セクハラすんな。ぼけ。普通触らんやろ。#小川彩佳 #セクハラ
なつの、小川アナの服引っ張っるか身体触るかしとんなや。セクハラバカしかおらんのか。ぼけ。
昨日の香山さんの出た回。
まあ、今回はケースが異なり、
私のツイートは、単に女性の人権侵害(犯罪)に対する抗議なんだが。
ま、アベプラ自体、毎日小川アナにセクハラする変態番組なんだが。
全く訳の解らない物言いをする。
消されなかったツイート。↓
.
.
@shuuuun2
·
17h
返信先:
@tnatsu
さん
相手の立場を理解するとか言ってレディーを抑えつけるような話し方。もう出んなや。てめーら世代は。
と言ったら、大声で言下に否定してまくしたてた姿勢に対してツイートしたものである。
こやつは、「アメリカでは、意見の違うものが入れ替わり議論したりして、理解を深めようとする。」などほざきながら、女性の立場を言下に全否定。
なのに、セクハラに対する指摘は場を潰し、逃げる。言論の封殺というか、ただの
こんな奴らが日本のネットを語ってるところが終わりではないか。世界で勝てない理由。
集合写真を撮る際に、
気を使って、なつのを真ん中に促すと
押しやった。
普通、女性の、というか男性でも子供にでもあんな扱いはしない。
こいつの話し方、振舞い方は完全に人権侵害や言論封鎖…ではなく犯罪の隠蔽であって、全くインターネットの思想や理念からかけ離れている。
とりあえずセクハラすんな、ぼけ。
犯罪、セクハラされた側やそれを見ていたものは、怒って抗議したらあかんのか?
何やそれ。あほか。
タイプシンプルバリュー | 1,483円 |
ひとりでも割50 | -740円 |
iモード利用料 | 300円 |
パケ・ホーダイ シンプル | 0円 |
ユニバーサルサービス料 | 2円 |
eビリング割引料 | -20円 |
消費税 | 82円 |
合計 | 1,107円 |
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auのガンガンメール(プランEシンプル)は明後日2018年11月7日で新規受付終了らしい
http://news.kddi.com/kddi/corporate/newsrelease/2018/07/20/3274.html
徴用工の問題がネット上を駆け巡り、韓国非難が飛び交っている。
そんな情報をボーっと考えながら「そういや韓国人ってどんなイメージだっけ?」とふと思い、書きなぐってみた。
完全に私の主観であり、客観的データもなく、一度もググってもいない。
だから揚げ足取られまくりの文章だけど、「30歳前後の人はこんなイメージを韓国に持っているんだな」という
私が小学生の頃、冬のソナタが流行り、ペヨンジュンブームが起きた。
その時のブームは凄まじいもので、韓国=アジアの情愛の国というイメージが植えられたような気がするし、
冬のソナタ後も、韓国の恋愛ドラマはいくつも放映された(名前はほぼ憶えていないが。)
ぶっちゃけ、それまで現時点の日本人の韓国という国のイメージは「キムチ」でしかなかった。
隣国と言えば、中国だったし、ドラマでもアニメでも「~アル」というキャラクターはそこら中にいた。
インターネットもあったが、一般日本人の情報収集といえば、新聞とテレビのニュースだけで、
多分、アラサーが小学生、中学生位のころは、一番、対韓国の好印象が高かったのではないだろうか?
その時も水面下ではインターネットでネトウヨのような活動もあっただろうけれど、わざわざパソコンを開いて検索することもなく、
iモードという世界に閉じられた世界で僕らはモバゲー小説で王様ゲームを読み、チャリ走を爆走させた。
つまり、韓国のニュースは冬のソナタ以降、そこまで情報は入っていておらず、印象も「キムチ・情愛・観光」くらいのものだった。
iPhoneが爆発的に売れ、だれもが手のひらにインターネットを握っていた。古今東西、人はニュースが大好きであり、
ヤフーニュースを読む人も多かったが、今のインターネット同様、ちょっと横道にそれると、玉石混交の記事や、
特に2chまとめが大流行していた時で、PVを稼ぐために、煽情的で攻撃的なタイトルが氾濫しており、
・領土問題
などはその時、ネット上で広く知れ渡った。(真実かどうかは別問題。)
それと同時に「韓国人はレイプ魔だ」「韓国人は遺伝問題で感情が抑えられない」など本当かどうか全くわからない問題も広く流布した。
公には言わないけれど、その時から「反日・嫉妬・攻撃的」が韓国のイメージになってきたと思う。
表面を見ると、KポップとAKBが日本の音楽で圧倒的存在感だった。
ドラマでも昼間のおばさんしか見ない時間帯はチャングムの誓い?かよくわからない韓国ドラマが流れっぱなしだった。
放映料が安いとかもあるけれど、ある程度、数字がとれる人気ドラマだったのだろう。
当時の中学生女子は間違いなくAKBではなく、KARAが大好きであったし、Kポップをリスペクトしていた。
彼女らは現在は大学生だが、化粧も「なるべく素できれいに見えるメイク」ではなく、
韓国系の「肌を白く、唇を真っ赤にするメイク」が流行っている。
色々と文章がとっ散らかったが、
要はネットで情報を得る男性と、テレビで情報を得る女子中学生は韓国人に対するイメージが断絶されていたのだ。
しかし、今回の徴用工の問題では、どの紙面でもテレビでも「韓国の判断はありえない」という論調だ。
慰安婦問題や土地問題ですら、各局バラバラで玉虫色の報道しかしなかったのに、
これは私の記憶の中だと初めてだったと思う。
そのため、これから私の韓国人観がどう変わるのか、楽しみにしている。
ちなみに私の個人的考えだと、ここまで急激に対韓国のイメージが悪くなったののは、
だから、冬のソナタが大流行した時は、「日本人観+情熱」みたいなのが韓国のイメージであり、
しかし、インターネットを通じて、韓国の反日の実態を知ることになる。
文章やニュースだけなら「そういう国なんだ・・・」と思うだけだが、
日本の首相の首を切るパフォーマンスや韓国の子供への過度な反日教育を画像で見れるようになると、
「日本人観+情熱」なイメージを壮大に裏切ったため、イメージ悪化になったのだと思う。
考えてみれば、韓国は民主主義として近代化したのもごく最近だし、
私達が冬のソナタやKポップ、似た面影のイメージだけで、過度の期待を持ってしまったんだろう。
これからは韓国という国に過度に期待せず、絶望もせず、淡々と事実を積み重ねて、
その事実の塔を見上げて、「韓国というのはこのような国」と判断していきたい。