はてなキーワード: Iモードとは
最近増田でホットなAndroidとiPhoneの罵り合い。楽しいですね。
なんとなくこの業界に関わってきたので、どうして日本でこんなにiPhoneが支持されるようになったのか、ちょっと書いてみたいと思う。ちなみに俺は今は亡きS社(今は完全に消滅して、かつての本社は市役所になっている)でPHS(みんな覚えてる?)の開発に携わったのが最初。その後は出向で三浦半島の先の方で怒りのデスロードみたいな経験をしたり転職して某関西のメーカーでAndroidやったり。当時一緒にやってた人たちの一部は京セラに行ったけど、大体はどこに行ったか知らない。とにかく日本の一大産業であった携帯電話や基地局の生産や開発に一通り関わってきて、その衰退とともに生きてきました。
で、よく知られているように日本の携帯電話は1999年のiモードの導入から劇的に進歩し、ネットが見れるだけでなく、カメラも付きラジオも聞け非接触決済もできて音楽を聞いてテレビまで見れて、もちろん防水でアプリまで動かすことができた。カッチリ作られた二つ折りやスライド機構は触ってるだけで楽しかったし、こんな携帯は日本メーカー以外どこも作れなかった。
まあそれがガラパゴスと言われて後々の衰退につながるんだけど、実際はドコモはガラパゴスを良しとしてなくて、iモードを普及させようとして海外の携帯キャリアにガンガン出資していたし(その大半が失敗して莫大な損失が生じた)、ドコモの進出と同時に日本メーカーは高機能な携帯を世界に売り込もうとした。でも結局どれもうまく行かなかった。なんとか海外に地盤を築いていたのはソニー・エリクソンと三洋くらいで、三洋はアメリカのスプリントにCDMA携帯を輸出してそこそこのシェアを取っていた。ライヴァルであるモトローラとかサムスンの携帯を買って研究していたのが懐かしい。
後にAndroidやiPhoneがすごい勢いでエコシステムを世界に広げていくのを見ると、どうしてiモードにはそれができなかったのかなと思ったりする。まあでも日本メーカーの小さな筐体にぎっちりと機能の詰まった携帯は、個人的にはサイバーでありジョリーグッドで今でも好きなのだが、海外ではいまいち受けなかったし、ドコモにおんぶにだっこで儲けていたNECやらパナやら富士通は、お付き合い程度にしか海外進出をする気もなかったようだ。
当時すでにスマートフォンは海外ではそこそこ普及しており、SymbianとかPocketPCとかBlackBerryなんかの端末は結構海外のビジネスマンは使っていた。しかし日本ではいわゆる「ガラケー」のデキが良すぎてほとんど普及せず。シャープがWindowsCEを積んだW-ZERO3を出してたくらい(持ってた)。
で、2010年(追記:2008年の間違いだった、申し訳ない)ついにiPhoneが日本で発売。もちろん俺は買った。当時ソフトバンクの独占発売だった。よく知られているように、当時の論調は「iPhoneより日本のガラケーの方がずっと高機能」で、こんなものは驚異にはならないという話だった。確かにiPhoneはすぐに電池が切れるし、FeliCaも防水もワンセグもなし。文章のコピペもできないダメケータイだった。実のところ俺自身も使ってみて、こんなダサいものが日本の携帯に勝てるもんかと思った。しかしソフトバンクがiPhoneの未来イメージとシンプルで安い料金プランでガンガン攻めてきて、auやdocomoは対応せざるを得なかった。
まもなくシャープや富士通東芝、ソニー、NECなどが次々とAndroidスマホ発売。このあたりの大混乱の思い出はブコメでもよく見るけど、未だにどうしてこうなったんだと思わざるを得ない体たらくだった。iPhoneに対抗するためにキャリアがワンセグやFeliCaの搭載を求めたために、開発は難航。第一Androidの開発をしたことがある人なんていなかったし、そもそもスマホなんて作ったことなかったのだった。納期に間に合わせるためにやっつけて作ったソフトは不具合連発。一体何であんなもんを作ったのか未だにわからない、メガネケヱスと言われて1円でばらまかれたシャープの端末、まともに動いた時間のほうが少ないと言われたレグザフォン、ホッカイロスマホと言われ東京湾に在庫が沈められたと噂されたアローズ。この頃俺は端末の開発からは遠ざかっていたけど、何人が死んでるんだろうと思うくらい現場は悲惨だったようだ。
それでも各社はなんとしてでもiPhoneに抗おうと必死だったようだ。AndroidとiOSはほぼ同時期に出てきているんだけど、端末開発では若干iOSが先んじたが、実際のところ世界ではスマホのシェアはあっという間にAndroidがiPhoneを抜き去っている。しかし日本のAndroid勢はソニーエリクソンを除けば総崩れで、iPhoneを扱うソフトバンクへの流出が止まらない。まずauがiPhone4を扱うことに。docomoは当初ツートップ戦略というサムスンとソニーのスマホで推す作戦に出たが、それによってパナやNECといった古くから携帯を作ってきたメーカーが脱落。その後2013年にAppleに屈した。その契約は屈辱的な内容だったらしく、日経は「不平等条約」と書いた。専用の売り場を設けたりといったよく知られている事に加えて、一説によると販売する端末の3~4割がiPhoneでなければならないとか、iPhoneのために莫大な広告宣伝費を負担するなどである。未だに日本ではiPhoneが発売されるとauやdocomoがiPhoneのCMを流すが、あれにはAppleは1銭も出していない。全部キャリアの持ち出しである。彼らの強欲なやり方を告発した、「アップル帝国の正体」という本が出たのもこの頃だ。
結局の所キャリア各社はこの契約を履行するために、iPhone用のお得な料金プランや分割購入プランを作り、窓口でも積極的に売り込んだ。初期のAndroidスマホのできの悪さを見聞きしてきた人たちは一斉に乗り換えていった。キャリアはいままで苦楽をともにしてきた日本メーカーをあっさりと見捨ててAppleを推しまくった。この頃はAndroidの開発もこなれてきて割とマシなスマホを日本メーカーも作れるようになってきたが、もうキャリアも消費者も見向きもしなかったのだ。実際iPhoneは使いやすかったし、膨大なCMと提灯記事とキャリアショップのど真ん中で扱われたことで、もうスマホを買うことはiPhoneを買うことと同じくなっていく。
もうこうなるとiPhoneなしでは全くキャリア戦略は成り立たない。今に至るまでAppleと契約した屈辱的な関係を捨てることはできず、結局の所3キャリアはAppleの言いなりになって莫大な国富を貢ぎ続けた。まあ彼らのやり方がうまかったといえばそうなんだが、こんな事になってしまった国は日本くらいで、いまやアメリカをもしのぎ世界で最もiOSのシェアの高い国である。他の国ではiPhoneは一部の富裕層の持ち物であり、安くて高性能なAndroidスマホがとっくに主流になっている。iPhoneはそのCPUを除けばもうすでにイノベーションからは周回遅れであり、中国メーカーの作るAndroidがいまや先端を突っ走っているが、日本ではなぜか多くの人がiPhoneを最先端で最高性能と信じ続けた。
結果として、この給料のまるで上がらない国で、値段が上がり続けるiPhoneは売れ続け、日経が「最新のiPhoneは日本人平均給与の6割」という記事を書くまでになった。まあ別に何を買おうと勝手なのだけど、貧困女子といったタイトルがつく報道でカップラーメンをすすっている人が持っているスマホが、10万円近いiPhoneだったりするどこか歪んだ社会になってしまった。最近も同僚から「家族みんなでiPhoneを買い換えるので40万かかる」との嘆きを聴いた。OPPOあたりにしとけば全員分買っても10万で済みそうなのだが、その選択肢は彼らにはない。
とにかく日本のキャリアは総務省の顔色を伺いながらiPhoneを売るだけのAppleのポチになってしまった。auもdocomoも傲慢な連中だったが(もっと言えばNECもパナもry)、Appleはそれに輪をかけて傲慢でクズな会社である。彼らが電気電子産業が壊滅した焼け野原の日本から、ケツの毛一本までも利益をむしり取っていく現状は悲劇としか言いようがない。一社が支配的な力を持つ市場はろくなことにならないという証左であろうが、もっともそのクソに完膚なきまでに負けたのも我々である。ほんとすみません。
俺は岐阜のS社の研究所と虎ノ門のDDIポケットの本社を往復してた時代から、百花繚乱のごとく日本の携帯が咲き乱れた黄金期を生きて、それらが全部Appleになぎ倒されていく歴史の中に身を置き、どうしてこうなってしまったのか、どこでどうしたら良かったのかと今も思う。しばらくはiPhoneに使われる部品も日本製が多かったが、今や台湾や韓国にも負けてしまった。スマホのCPUを作れたのはルネサスだけでそれも一世代で消滅。メモリも液晶もだめになって、今やNANDとMLCCくらいか。最終製品を失った日本にもう一度半導体をと言っても虚しく響く。
まあ、もう50すぎのおっさんの独り言です。ちなみに私が使っているのはかつてアメリカ市場で我々とCDMA携帯のシェアを争ったサムスンのGalaxy。妻とむすめはiPhoneです。二人は絶対にiPhoneじゃなきゃいやだ、Androidは使いにくいといいます。おっさんはそんなことないと思います。でも、何言ってももう彼女らは「iPhone」なのです。
納得できないのではない、納得してやらんのだ。
北海道の人口100人にも満たない集落にある漁師の家に生まれ、将来は家を継いで世間知らずであり現金収入は少ないが食うのに困らない一生を過ごす。
そんな選択が俺にはあった。
だけれど、そんな人生に納得できなかった俺は中学卒業と共に実家を飛び出した。
小学校は同級生3人、自転車で2時間先にある中学校は何とか1学年2クラスを作れるという少子高齢が進む地域。
中学では腕っぷしの強くヤンチャな生徒、つまりは不良が幅を効かせているような文化圏、はてブで都会住みの連中がイメージするステレオタイプなド田舎と言って良い。
その当時の大人の世界では義務教育でパソコンを習わせたほうが良いという機運が高まり、各校へパソコンが配備されるようになってきた時代。
しかしながらド田舎の公立高校でそのような先進的な機械が活用されることはなく、暇を持て余したガキだった俺のオモチャへとなるのがせいぜいだった。
田舎には田舎のルールがある。
それは例えば「中学では後輩は先輩に喧嘩で勝ってはいけない」というのもルールの1つだが、クソ真面目にも早朝から起きて実家の漁を手伝い、授業が終われば部活動の野球へ日々精を出していた俺の身体能力は、年上であっても体育の授業をサボるような不良連中より劣っているわけもなかった。
ド田舎の古い価値観を持った父親のありがたい教育方針であった「男がナメられるんじゃねぇ」のもと、先輩たちが売ってきた喧嘩を買いまくり、不良の先輩たちを不登校へ追いやってしまった結果、晴れて俺は学校中からハブられ中学野球の試合にも出られなくなってしまった(野球部には所属してて毎日練習はしていた。先輩たちは卒業まで学校に来なかったが)。
ハブられてしまったため日々暇な時間を過ごすようになった俺が出会ったのが図書室の本と、前述したパソコンだった。
最初はプリインストールされていたソフトで遊んでいるだけだったが、教員も書類はワープロ専用機で作る時代だったのでパソコンの知識がなく管理がザルで、俺はそのパソコンがパソコン通信とインターネットへ接続できることに気が付いてしまった。
Yahooからリンクサイトを経由し、電子掲示板という存在を知った俺は日々電子掲示板サイトへアクセスし、誰とは知らない人たちと会話をして時間を潰した。
話題には事欠かなかったし、専門性の高い話題が出ると「ちょっと待ってね。ここ図書室なんだ」と言ってソレ関連の本を引っ張り出して、パソコンの先に居るお兄さんなのかお姉さんなのか知らないが、興味深い話を日々聴くことが出来た。
「増田クン、これからはPerlの時代だよ」
「いやボク最近やっと思い通りBASIC書けるようになってCの勉強中なんですけど」
「もちろんCは大事だよマイコンに使えるし。でもさサービスを提供するならPerlが向く。DoCoMoのiモードだって裏ではPerlだよ」
「ボクの住んでるとこピッチ圏外ばっかり、田舎だもん」
「iモードはピッチじゃないよ周波帯が違う」
特にコンピュータ関連の話は面白かった。
ゲームは自作できると教えて貰い、プログラミングを始めるようになり、BASICやC、Perl、PHP、Javaをよく触るようになった。
図書室が我が王国のようになり、問題児が図書室に籠もっていてくれているし、図書室通いの結果からか試験の成績も悪くないどころかトップクラスであり教員たちもずっと放置してくれた。
そんな生活の中で知れたのは学区に依存しない高校の存在だった。
寮もしくはアパートなどで一人暮らしをしつつ通える高校が世の中には存在することを知ったのだ。
これだと直感的に思った俺は親父へ直談判することにした。
俺の故郷に未来はないと薄々勘付いていて、正直なところ青二才だったため「じゃあ俺がいい大学入って故郷へ錦を飾れば良いじゃん」と出稼ぎ感覚でいた。
親父は俺の話を無言で最後まで聞いていた。
今思えば何をアホなこと話してるんだと思ったが、一応は国立高校だったため学費はそこまで高くなく、何だかんだで小さな頃から家業を手伝っていた俺がバイトしながら高校へ通うことに関しては古い価値観の「苦労は買ってでもしろ」的な面から了承されたのかなと思う。
おそらく一番困らせたのは高校入学祝いに当時の最新パソコンと引越し先でインターネット回線を引く費用を求めたことくらいだったのではないかと思う。
右も左もわからない状況から一人暮らしを始め、訛りのひどさにクラスでイジられ、バイト先に勤めている大学生の兄ちゃんたちに世話してもらいながらも毎日新しい体験をして過ごした。
世の中は広く世間の移り変わりは早い。着メロは和音が鳴るしディスプレイはカラー。携帯電話の電波は田舎にまで届く。
甲子園を目指したが強豪校はやっぱり強く負けてしまい、人生で初めて望んだ結果が得られないことを経験した。
しかしそれでも俺は何となくコレは真理なんじゃないかと思い始めていた。
そして国立大学へ合格したことを期にコレは真理だと確信したんだ。
今の俺は別に故郷へ錦を飾れたわけでない。
しかし俺は不良が風を肩で切るようなド田舎出身で脳筋な漁師の子だ。根本は変わってないと思っている。
それが今やG社に勤めているって言うんだから人一倍の努力は裏切らねぇなと。
自分が持ってないものが欲しいならば努力するしか方法がない。
学歴が欲しいならば年収が欲しいならば地位が欲しいならば努力するしかないんだよ。
誰もお前のために人生なんかかけてくれない。
お前の人生にかけてくれるのはお前自身しか居ないんだよ。
あれって日常使いじゃ写真が大きく載ってたりするから使いにくいのをむしろ越えて使うこそファン魂じゃない。
そう生きたいけど、
かといって、
じゃ何のファングッズが喜ぶんだろうという案は?と言われても何が井の頭なのか?って思っちゃうわ。
結構そこ悩みどころの落としどころがないところよね。
ってそもそもあんな大きなポスターの入る額縁ってあるのかしら?
分からないけどあったら入れて飾ってみたいわ。
丸まったままの飾ってない涙だけの中森明菜さんだってそういうに違いないわよ。
かと言ってそのアーティストさんの文字だけのロゴって言うのも取り分け私はそうグッとこなかったりハッとしてグーなのよね。
よく車で某HとAを組み合わせたステッカーや
もうあからさまに矢沢っちまった車を八街市で見かけたときにはもうやっちまったな!って近寄りがたく思っちゃうの。
そこまでもアピールしたいって訳じゃないんだけどね。
少年誌の雑誌の全員応募で当たる!と言いながら小為替送らないパターンじゃなくて、
これってもはや当選と言うより購入って感じだわ。
ぜんぜんプレミアムじゃなくて、二束三文四銭にもならないから五めんよ!なんちゃって言いたくなるわ。
テレフォンカードの価値なんてもはやiモード以下でもあるしポケベル以下でもあるかも知れないし、
私のベル打ち入力は一体これから何処で発揮アンド披露したらいいの?って路頭に迷ってしまう。
オタ芸の技のロマンスばかりするから脇腹の筋肉がロマンス筋ばりに発達してきて、
みんな技均等になさい均等に!って言ってしまいたいところでもあるわ。
そうなったときに初めてロマンスの神様は広瀬香美さんだってことが分かるはずよ。
まるでそれ新幹線のこだましか止まらなさそうな駅の名前じゃない!ってツッコミを入れちゃうわ。
まったくよん!
これからジャックオーランタンばりのパンプキンケーキでも焼くわ!
うふふ。
一緒にいただくと美味しいわね!
やっぱり朝は好きなもの食べてションテンあげたいじゃない!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
多くの方は「激務に心が折れたか?」と考えるかも知れない。まさにその通りだ。
天才たちが1件数千万円、数億円みたいな超弩級の案件を挙げつづける横で、細々と1件500万円みたいな案件をコツコツと積み上げノルマをでクリアするという平々凡々な営業だった。
天才たちに囲まれて彼らの足もとへギリギリ届くくらいの成績を挙げるには彼らよりも長い時間をかけて働かなければならず、約15年間走った営業人生の中で2度仕事中に倒れた。
2度目のときは医者から「このままだと死にますよ」と叱られ、妻にも泣かれ、小さな息子が居たため、営業を続けることを諦めた。
営業人生の中で唯一誇れることは、まだまだ小さかったIT業界へお金を回していたことだった。
500万円という小さな金額であっても私は平々凡々な営業だったので最初から挙げられるはずもなく、訪問先へ苦労しているうちに辿り着いたのが当時ASPと呼ばれ・・・いや自称していた小さな小さなIT業界だった。
彼らの組織はだいたい4〜5人ほどしか居らず、多くても20人には届かない程度。奥さんが経理をやっていたり、労働基準法なんてものは無いかのような業態、主力商材はiモードサイトの作成、私に語るのは夢物語のようなインターネットの未来、何なら人手が足りず私すらコーダーとして参戦するような有様だった。
「社長、社会保険は払わないと不味いですよ労基署に見つかったら・・・」「でもお金無いんですよ電気代もタダじゃないしソフト高いし」「私が案件持ってきますんで社会保険だけでも何とか捻出しましょうよ」のような会話をよく繰り広げた。
会社へ戻り天才型の大先輩へ対して本気の土下座を敢行し、30分程度頭を地に付けていると先輩が折れ、お金のある病院やら銀行やら公官庁やらを紹介してくれてホームページ作成案件を得て、直ぐにIT企業へ融通した。
おそらく多くの人が馬鹿だと言うだろうけれど、ここまで一切の売上はない。
私は夢物語を語る彼らが正しいと信じ、同時に彼らしか私のノルマを減らせないので必死になって運命共同体となり働いていた。
それでもある会社は労基署にバレて業務停止命令をくらい、ある会社は堪えきれなく倒産し、ある会社は社長が従業員に給料を支払うため首を吊った。
首尾よく情報サイトやレンタルホームページやレンタル掲示板サービス、軽量化Proxy、検索サービス、広告プロバイダあたりがヒットした企業は生き残った。
流れが変わるのは小泉政権IT革命時代で、そこから私は先見の明がある優秀な営業マンであると社内で評価されるようになったが、これまでの無理が祟ったのか成績がやっと見れるものになってきたなと思ったら前述したとおり倒れてしまい退職した。
転職し、営業時代と比較したら悠々自適と表現しても過言ではないような生活をしている中で1人の若者と出会う機会があった。
その斜陽産業は何かと言えば誰しもが絶望するだろう「製本」だ。
当初は「DTP」と聞いていたので困難ではあるけど未来は絶望とまではいかないと考えた。しかし詳しく聞くと「製本」だった。
跡取りよ、格好付けて「DTP」と答えるなよと言いたい。DTPと製本ではIT業界に例えるならば「CPUの製造」と「H8の製造」くらい印象が違う。
更に詳しく話を聞いていると「この会社はお爺さんの代から始まった会社であり、可能ならば跡を継いで会社を続けたい。しかしもし製本が立ち行かなくなれば人生としてそれは大変厳しいものになるのは間違いない」というものだった。
跡取りの言い分はもっともだと感じた。ここから10年20年何とか会社を継続して、その後に倒産の憂き目に遭えば年齢から来る就職難になってしまう。
現在の跡取りは20代であり、確かに自分の人生のため方向転換するなら絶好のタイミングだと言える。
そして3代とは言え家業を継ぎたいという気持ちもわかる。ある種の親孝行とも言えるし、もし家業が再び上向きの軌道に載せることが出来れば、コレほど満足行く人生は無いだろう。
跡取りの語り口は本物だ。家業を立て直したいという熱意が伝わってくると共に、泣く泣く諦めなければならない可能性が高いという現実も見えている。
私はその姿に若かりし頃に見た小さな小さなIT企業の経営者と従業員たちを重ねてしまった。私はおそらくこの跡取りに協力すると思う。
しかし、私には証券関連以外の知識はIT関連の知識しかないので、製本とWebサービスを絡めたことしか協力できない。
幸いながら私はこれまで世間に知られる前に消えていった数多くのIT企業を見てきたし、今やインターネットユーザならば誰しもが知るIT企業の黎明期に人員不足から開発へ参加し、地べたで一緒に川の字になって寝たこともある。
それらの経験から明確な計算式を私は持っている。つまりこれが最低限達成できなければそのプロダクトは上手く行かないというものである。
それは「1つのWebサービスが日本で達成できる理論上の全ユーザ数は約1000万人」であることを前提に「無料サービスであれば、そのサービスに登録する全ユーザ数の内2%から全コストを賄うという目標を3年以内に達成する」というものだ。
これは「Webサービス開発運営の年間コストが1億円ならば1000万人のユーザから10円ずつ徴収すると良い」というのは馬鹿の考えであるということだ。日本国民全体から1円ずつ貰えば1億2000万円になるじゃん!という考えと同じ。無謀だ。
理由はわからないのだが、Webサービスというものは何故か積極的に参加しつつWebサービスを維持するために課金しても構わないという強力なファンが全ユーザの2%前後に収束する傾向がある。再度言うが理由はわからないのだが長期的に見ると何故かそうなる。
つまり年間コスト1億円であるならば1000万人の2%、20万人で1億円を得なければならない。1人あたり年間500円だ。
ただ、実際はユーザ数1000万人などというのは途方もない数字なので、年間あたりに投資できる資金から最低限必要なユーザ数を逆に割り出すのが良い。
現実的に考え、そこそこ本気でやってるWebサービスを想定して年間コストが2000万円としよう(ちなみにスマートフォンゲームなどはこんなものでは済まない)。
そして次に課金額を決定する。この課金額は課金コンテンツの平均値ではなく中央値を考えたほうが良い。つまりユーザがよく課金するであろうコンテンツの価格を決めるわけだ。
現代のWebサービスの課金コンテンツでは一般的に年間6600円程度掛かることが多いので取り敢えずそうする。
これで課金するであろう2%のユーザ数が想定できる。約3030.30人だ。2%のユーザ数が出たので100%のユーザ数もわかる。約15万1515.15人だ。
ここから更にアプリストアの手数料なども換算しなければならないので、課金額を減らせば獲得しなければならないユーザ数は増えるし、課金額へ手数料を上乗せすると課金して貰える障害が増える。
これを3年以内に最低限達成しなければならない。本音を言うと1年以内に達成するのがベストというかそのつもりでやらないと3年間も走れない。
忘れてはならないのがこれはWebサービスを不安なく維持するための費用なのだ。従業員の給料などは想定されていない。
だからこそスマートフォンゲームはあの手この手でユーザの課金額を高めようとするし、ユーザの課金率を上げようとしている。
SNSなどは全ユーザ数あたりの企業アカウント率を高めようとし、企業アカウントに広告出稿などで課金させることで課金アカウント2%を超えようとしている。
これを先ずは跡取り(とその両親である役員)に飲んで貰わないと話が進まない。おそらくは大抵の人が引いてしまう数字だとは経験上理解している。
もちろんこれから製本や印刷を求めるユーザが魅力的だと感じるWebサービスを考えなくてはならない。
私の頭の中にはひな型程度はあるが、そのひな型が跡取り(と両親)が気に入るとは限らないし上手く行く保障もない。
役員たる両親には現在の製本工場とその従業員を守るという意識があるだろうし、斜陽産業と自覚していても軽々しく冒険は出来ないだろう。
この辺りは私の営業としてのトークスキルが重要ではあるが私は平々凡々だと自覚しているので力不足で終わるかも知れない。
跡取りのやる気を維持しつつ更なる現実を見せ、両親を説得し、要件をクリアできそうな私の知るIT企業へ開発を委託し、ミーティングを繰り返し仕様書を作り、開発を進め、デプロイした後は跡取りと私が運営することになるだろう。
このようなことを考えていると若かりし頃を思い出し懐かしくなってくるが、家庭がありながら馬鹿なことに首を突っ込もうとしている私は妻から愛想を尽かされてしまうかも知れない。
極力、休日を使おうと考えては居るが、休日が足りなくなったら現在の職も辞めなければならないはず。何とも馬鹿馬鹿しい身勝手な男だ。