はてなキーワード: 駄々とは
え、全然違うだろ。
ヒント:近代的自我
漱石はなあ、組織に馴染めんやつ、時代遅れ、アスペ……その他もろもろの「はみだし者」の心のよりどころになる文章を山のように生み出したんや。
ここは完全に間違い。漱石の小説はドロップアウト者に向けて書かれていないし、そのような読み方もされていない。
こいつのおかげで、人の抱える人生への悩み、生きづらさみたいなもんに少しだけ形を与えることができて、それは心理学的に言えばめちゃめちゃ大きい社会的な「癒やし」効果になるんや。
「人生への悩み、生きづらさ」が何を指すかによるが、前段からの流れで読むのであれば、ここも完全に的外れ。
結局、明治期の小説を現代の価値観で読んでるから、こういう根本的な勘違いが起こるんだろう。
「どのように読もうが自由だろうが」という声が聞こえてきそうだが、その「自由」こそ、漱石をはじめとする近代の文学者が追求してきたテーマなわけであって。
二次創作が好きでNLBLGLどれも美味しく頂ける雑食女だ。
好きなジャンルで幅を利かせてる愚痴垢がいてそいつらが憎たらしくてたまらない。
自分が気に入らないと何やかや理由つけてこけ下ろしているのが意味わからない。
気に入らないなら見なきゃいいのに。何でそうせず駄々こねるんだろう。
原作じゃこうじゃないからとか、マナーが悪いだの態度が悪いだの民度が低いだの、愛が感じられないだの。
お前らは何様なんだ?
Twitterなかった頃はあいつらみたいなのも2chのアンチ板とかヲチ板とかに引きこもってたはずなのに、Twitterができてから何か出てきおった。
あいつらに揚げ足とられるから下手なこと呟けないのがストレスMAX。
気に入らないだけのことにそれらしい理由をコネコネコネコネつけまわして一丁前に批判ですたぁ恐れ入るわ。
肯定的な意見ばかりじゃコンテンツはダメになるとか宣いなさるけどTwitterで発言することじゃねーんだわ。
嫌いなら嫌いでいいから盛り上がってるところに水差さないで欲しい。
鍵とかかけずに垂れ流しだからどうしても目につく。
っているけど、というかいるよなぁ、と子供の頃から思って来たけどそう思う自分の方こそおかしいのかな? とも思ってしまうので、人に言ったことはない。
性欲駄々漏れで他人を見る人は子供から老人までどの年代にもいるようだ(なんなら同性にもいる)。そういう目で見られたらうわキモッ! とこちらは思って回避するので、瞬間的に気持ち悪い思いをするだけで特に何もないことが多いが、回避しきれずに会話などをしなければならなかったことがある。必ずと言っていいほど、立ち入り過ぎな質問をされまくる。恋人はいるのかとか、どういう人が好みのタイプかとか、上から下までじろじろと舐め回すように見られながら問われるので気持ち悪い。あぁ気持ち悪い! と思う自分の方が失礼なのかなと思って俯いてやり過ごしている。
こんなことを思うのは私だけなんだろうか? なんて考えると地味に孤独だ。
エロくはない。
吾輩が小学6年生の夏の修学旅行の話である。広島の原爆ドームかなんか見に行ってどっかの島に行っていた気がする。
確かその頃、吾輩の妹にガンが発覚しママンは妹に付きっきりだったので、お昼のお弁当は用意できなかったそうだ。なのでお小遣いをもらい吾輩はコンビニ弁当を食べていた。しかし、どうにも味付けがママ弁当より濃いのかひたすら塩辛くて食べることができなかった。それを当時スココだった先生に伝えて弁当をどこに捨てていいのか尋ねていた気がする。
年齢は確か30手前だったと思う。
先生は恐らく吾輩の家庭の事情を知っていたので、それを聞いてちょっと涙目になっていた気がする。後日先生からママンにそのことを伝えてたらしく、少し複雑な表情をしていたママンの顔も覚えている。弁当は結局ワルガキで先生を困らせていた田村君が食べてくれた。田村君は悪ガキだったがなぜか吾輩のことは気に入っていた。別に嬉しくはないけど弁当を食べてくれたことには感謝した。田村君の家は金持ちなのにコンビニ弁当を食べていてなんだか笑えた。
島で野生のウサギを適当に見て、そのままホテルに泊まった。あとは翌朝家に帰るだけ。
何ともつまらないなぁと思いながら就寝しようとしたが、全く寝付けなかった。
それは同室の友達連中も同じらしく、せっかくだからホテルで探偵ゴッコ(鬼ごっこと隠れんぼをブレンドした遊び)をやろうとなった。吾輩は犯人役だったので適当に隠れるのだが、探偵に見つかるよりも見張りの教師共に見つかる方が怖かったので割とハラハラしていたと思う・・・というか若干後悔していた気がする。
しばらくボーッとして居ても全く来る気配がなかったので、部屋に帰ろうとしたら吾輩の好きな巨乳の先生に見つかってしまった。先生の話によるとどうやらみんなは部屋を出るところであっさり見つかってしまったらしい・・・。
無論こっぴどく怒られたのだが「眠れないから探検したかった」と話すと
先生は「じゃあ一緒に私と寝る?」と聞いてきた
吾輩、先生が一瞬何を言っているのか分からなかったし、当時エロに対してあまり知識もなかった。しかし、男女一緒の部屋で寝るのはエロいことだという認識くらいはあったので、脳が停止して間抜けな顔をすることしかできなかった。
そう言って先生は吾輩の手を握り一緒に先生の部屋に向かうことになった。
先生の部屋は吾輩達の部屋より狭かった。教師はみんな個室なのか?と思ったが、もしかすると教師の中で唯一、先生だけが女性だったのでその配慮だったのかもしれない。その辺りの事情は今もよく分からない。
一緒に寝るということで先生と同じ布団で寝たのだが、その時の吾輩は大変にウブでペニスを立てることしかできなかったので、今は大変に後悔している。
「うん、やっぱりしょっぱくて食べれなかった。唐揚げも冷めてたし」
「ん?うーん・・・まあそうかな。お米美味しいし」
「ふふふ、そっかー」先生は微笑んだ。
この時の吾輩は何を考えていたのか実は覚えていない。
ぶっちゃけ先生のことしか考えてなかったのかもしれない。でもあまり複雑に考えずにぽろっと答えていた覚えはある。
「うーん、お母さんが大丈夫だって言ってたから大丈夫だと思う」
「そうだね。大丈夫だよ。〇〇君(吾輩)はお兄ちゃんだから守ってあげてね」
「ん?、んー、守るって何?」
「◯◯ちゃんが元気になるようにだよ」
当時の吾輩はあんまり意味が分からなかったけど、少ない頭なりに何となく先生が言いたいことだけは理解できていた・・・気がする。たぶん。
そこからはあんまり話をしなかったし、吾輩もなんだかんだ疲れていたので眠りに入った。
翌朝はみんなより少し早めに先生が吾輩を起こした。
吾輩は後ろ髪を引かれる思いだったが、クラスメイトにバレるのも面倒なのは確かだったので素直に従った。
吾輩的にはエロかったのだが、こうして文章にしてみるとあまりエロい雰囲気にできなかった。
吾輩の妹は今は普通に元気で関西の老舗のデザイン会社の下っ端で働いている。
音楽の授業で音楽教室に向かう途中、行くのが面倒になってこっそりと近くの廊下の階段で座り込んでいた。
しばらくしていると先生が吾輩の元に来た。
勿論、普通に怒られていたのだが、吾輩が適当に駄々をこねていると先生が吾輩のリコーダー袋を手に取り、パチっと蓋を開けてリコーダーの先だけ出した。
そうやって先生は吾輩のリコーダーにチューをしてしまったのだ!!
吾輩は呆気に取られていたのだが
「早く行ってらっしゃい。〇〇先生(音楽教師)も怒んないから」
と言ってくれたので素直(脳停止中)に従った。
いや突然学歴コンプ丸出しにしたり何で何でって駄々捏ねてる方が赤ちゃんでしょw
煽られたのにカチキレて指摘も読めてないし
ほらこうやって「説明しろ解説しろ言わないと分からないでしょ」
そんな態度取るのはハナから理解しようとしてないゴミの低能なんだからぐだぐだと駄々捏ねてんじゃねーよ
逐一引用ブロック付けて読んでますって風を装ってるけど、何の中身もないコメントばかりで無能の学生やサラリーマンが教科書や本に脊髄反射でライン引いてるのと同じって分からんのかね?
マイノリティに説明の義務を強要する態度自体が差別的だと理解できないんだろうな、自分で勉強しろゴミ
そして理解なく相手の領域(文化)に踏み込んで来ることこそが文化盗用そのものであって、元増田のように自分の理解力のなさを認識できない厚顔無恥で低能のカスが「何が文化盗用なの?」とバカ丸出しのエントリを書くのは至極当然の話だよな
今日バイト先で、あるお客様に「鍵につけるキーホルダーが欲しい」と相談を受けて、お店にある品の中から彼女の好みに合わせて符合するものを勧め、彼女もそれを気に入って購入した。
ただ、チェーンがちょっと長いので、もう少し短い方が良い、ということだったので、店内に置いてあるペンチを使って、私が個人的に短く改造して、取り除いた部分も彼女に渡す、ということで解決した。我ながらそれなりに良い対応だったのではないかと思う。
仲の良い店員から「普通はここまでしないよ」と言われて、「確かに」と思った。確かに普通だったら「短い方が良い」と言われても「じゃあ私が切ってあげます」とは私も普段はならない。でもこの時の私は「この人のためだったら、ペンチで切っても良い」と思ったので、そうしたまでだった。ありがた迷惑だったら悪いが、悪くはない対応だったと思う。
その後休憩に入ったが、色々考えた結果、お客様と店員は、お互いのペースに乗せ合う関係なのではないかという結論に至った。
つまり今日、あの女性にその意図があったかどうかは知らないが、結果的に私はあの女性のペースに乗せられて、まんまと「キーホルダーのチェーンを切ってあげる」というサービスを提供した、ということになる。
以前本でこのような話を読んだことがある。ある若い女性が「気持ちよく買い物する時のテクニック」を教えてくれる、という話で、彼女は店員に優しく声をかけ、「これを買いたいのだけど、案内してくださる?」と聞くのだ。そうすると店員も親身になって彼女に案内してくれる。大きな冷蔵庫を買う時も、小さなボタン一つ買う時も。話の最後は「笑顔を浮かべた女性のお願いを、断る人なんてそうそういないでしょ?」で締め括られる。
別に「若くて可愛い女は優遇される」なんて話をしたいわけではないことをわかって欲しい。たまたま話に出てきたのが若い女だったのだ。しかし一旦考えても見てほしい、あなたが店員だったとして、優しそうで可愛らしい女性が、「すみませんこれ探してるんですけど」と笑顔で話しかけてきたら、ちょっとは好意を持ちますよね。店員として。
そりゃあ可愛くて若い女の方が有利なのは認めます。かわいいので。顔がいい人間が概ね好意を持たれる傾向にあるのはどうしようもない。現段階で私にはどうしようもない。でもかわいくなくたって、丁寧に話しかけてきた人間にたいして、特に店員がお客様に対して、失礼な態度で返すことはないんですよ。
逆に考えても見てください。例えばあるとても醜い人がいて、周りから嫌われていると。でも店に入った時だけは違います。店員も内心「うわ…」とは思ってるかもしれませんけど表向きは普通を装わなくちゃいけないんですよ。ある意味、かわいくても性格クソな子より良い対応受けられる可能性があるんですよ。
個人的にですけど、私は接客では性格重視です。すごいぶっきらぼうだったり、すごい異臭を放ってたりしてても「早く接客終わらせよう」とは思うけど、私に対して失礼な振る舞いをしているわけではないので、普通に対応します。逆にかわいくてもクソ失礼だったら内心ブチギレて「一刻も早く帰れクソ」と思って接客します。人間なんでしょうがないんですよ。
話がそれましたね。要は話に出てくる女性は、上手いこと店員を彼女のペースに乗せて、接客させていたわけだと私は思っているのです。乗せられた店員も悪い気はしていないはずです。それが理想的な接客の流れではなかろうか。
別に客に下に出ろとかいうことではなく、無理を言ったり駄々捏ねたりせず普通にしてくれれば、店員も普通に接客できるんですよ。ムカつくこと言われたら店員もムカつくので……人間なんですよ……仕方ないんですよ……ムカついちゃう……。
コロナでみんな気が立ってるのはわかるんだけども店員だって人間なんだよな〜マスクがない時はマジでないのよ……私がいたところでは割とお客様たち理解がある方でありがたかったのですが全部そうとはいかないのが現状で、心ない暴言に傷ついた店員さんもたくさんいます。そもそも平常時もクソ客はいるし……。
理想としては、お客さんが優しくしてくれて、店員も優しくしてあげて、優しい世界が生まれるのが理想なんですが……「なぜ店員なんぞに」と思ってるような方がいる限りそんな世界は訪れないんですよね。
むしろね、どうせ同じ家で暮らすわけでもなし、来客している時だけの仲なんですから、自分のペースに乗せて優しくしてもらう、で良いじゃないですか。店員も乗せられて優しくしたら良いんです。どうしてこんなに難しいんでしょうね。
「接客業やると店員に優しくなるのは、その気持ちを知ってるからじゃなくて、店員にキツく当たったら受けられたサービスも受けられなくなると知ってるから」という意見があるけどもそういうことですよ。
そこで仕方なく、優しい世界が訪れる店員の方が客を乗せていくしかないんです。心の安寧のために。クレームには一緒に怒ってあげる、というのもそういうことです。ちょっと気を使って一言多めに話すだけで、だいぶ快適になるのはお得じゃなかろうかと私は考えています。
割れやすい物を持ってる方のレジの後に「お気をつけてお持ちくださいませ」と言ってみたり、お探しのものがまだ入荷してなかった時は「また見にきてくださると幸いです」と付け足したりしてます。言わなくてもいいけど、言われた方が悪い気しないならそれで良いし、私にとっては負担でもないので。
店員全員そうしろ、ってわけではないですよ。上手いことお客様を乗せられたらもしかしたら楽だよ、ってことです。私も本当は全然器用じゃないし。何はどうあれ今は接客業してるみんなが元気に働けるようになれるといいですね。もっと店員さんに優しい世界になれるといいですよね。
最後に一つ、お客様はお客様だけです、店の敷地内にいるだけのクソ野郎はお客様ではありません。はよ帰れ。店員さんのみんなもそのくらいの気持ちで働きましょうね!
オタクは激怒した。必ず、かのハピエレの意識を変えねばならぬと決意した。
オタクには3Dモデルがわからぬ。オタクはただのオタクである。イベントを走り、推しを愛でて暮らしてきた。けれどもアイドルのダンスに関しては、人一倍敏感であった…
仰々しく書いたが、要するに私はただのオタクである。二次元と三次元を行ったり来たりするタイプのオタクで、二次元で他のソシャゲではFGOとかツイステとかをやりつつ、三次元では地上も地下もk-popもいろいろと見ながらオタクをしている。あんスタのユニットにこの曲歌ってほしい!とかこの曲このキャラに踊ってほしい!とか言いながら妄想するのがめちゃくちゃ楽しい。そんな感じのオタクである。
なのであんスタのMVが公開されたときは正直とても嬉しかった。ストーリーだけでは描写しきれないライブパフォーマンスが見れる!これでもっとステージ妄想が膨らむ!そう思ってワクワクした。
補足だが、私は二次元のライブには一度も行ったことがない。スタライなどあんスタのアイドルたちのライブパフォーマンスが見れるものもあるが、なんとなく映像を見た時に違うな…と思ってしまった。横一列だし移動とかもしないしそこまで踊らないし…もっと踊ると思うじゃん普通…まあ技術的な問題なのかなと思うことにしてたけど。
でも新しく始まるゲームでのMVだから、もう少し良いものになってるかもしれない。私もスタライの映像見たのだいぶ前だし、もしかしたらよくなってるのかもしれない。
とにかく期待していた。で、出たのがこれである。
あんさんぶるスターズ!! Music MV vol.1 「ONLY YOUR STARS!」 https://youtu.be/PdH0BHKK0g8
え、いけるやん?!
正直もう少し踊ってほしいとは思うけど、予想よりは踊ってる。初っ端からこのクオリティはだいぶいい。これはいけるかもしれない。
私はあんスタでは流星隊Pである。流星隊は確かに初心者の一年生が3人いるが、みんなやればできる子だし、千秋も奏汰くんもダンス歌共にレベルは高い方だと思っている(声優さんの歌唱力とかはともかく、特に奏汰くんは五奇人に数えられるほどなので、相当上手いイメージ)。ヒーローショウなどに呼ばれるくらいには運動能力が高い子たちだから、アクロバットなども絡めながら、トンチキ曲を上手くこなしていくようなグループだとイメージしていた。
しかもアルカロイド、クレビ、Edenなど、クオリティの高いMVが次々に配信され、私の期待は最高潮に達していた。そんなに踊らせる気ないのかもしれないという考えを打ち壊すくらい良い。Edenめっちゃ踊るな…さすが……紅月は思ったより踊ってくれなかったけど殺陣頑張ってたし及第点。
あんさんぶるスターズ!! Music ゲームサイズMV「天下無敵☆メテオレンジャー!」 https://youtu.be/jI-ooGSKNQQ
…………え??
びっくりした、全然踊ってない………
い、いや、顔はいい、顔は良いよ。そんなのズ!の頃から知ってたよ…え……??こんな踊れないの???
流星隊のターゲット年齢層が子供寄りだというのがあるのかもしれないが、でも音楽番組とかでもやるんでしょ?これ。ライブでもやるんでしょ?え…???
ていうかfive☆sters のところで5人で星つくるんじゃないんか…(幻覚)
い、いや、まだ一曲目だし、これが特別なだけかもしれない。別の曲を待ってみよう。
あんさんぶるスターズ!! Music ゲームサイズMV「アンリミテッド☆パワー!!!!!」 https://youtu.be/EebaqB7tse0
あんさんぶるスターズ!! Music ゲームサイズMV「SUPER NOVA REVOLU5TAR」 https://youtu.be/4SOK8YoAmv0
マジかーー!!!!!
いや、マジか、これマジか……
思ってたよりとかじゃなくて、これ、踊ってなくない??ほんとに。ダンスではない。小節に合わせてポーズ決めてるだけみたいになってる。踊れないなら踊れないなりにフォーメーションとかを工夫するとか、なんかこう、いろいろあるじゃん?
もしかしたら振付師さんがめちゃくちゃ初心者なのかもしれないとかも思ったが、めちゃくちゃ良かったEdenやクレビと同じ人だという。なんだそれ七不思議か???それはつまり流星隊に踊らせる気がないってことなんじゃないか???ハピエレ????てめーは俺を怒らせた。
ここまでただの解釈違いで駄々こねてるオタクみたいな感じ(実際そう)だが、私のイメージしてたパフォーマンスを貼っておく。ダンスMVではないものもあるが、ダンス自体は映っているので許してほしい。
超特急「ikki!!!!!i!!」MUSIC VIDEO https://youtu.be/m9aq-dJggMQ
BOYS AND MEN - 「YAMATO☆Dancing (Dance ver.)」ミュージックビデオ https://youtu.be/Ihq66ZZ8UPk
これを求めてた私が悪いのか…?そうなのかもしれない。そもそも3Dモデルだと無理があるのかもしれないし…その方面は詳しくないから…
というか、その方面の人に聞いてみたいんだが、このレベルのダンスを3Dモデルでやるのは無理なのだろうか?技術的に無理なら仕方ないけど、月数千万〜一億ほど(ズ!!に関しては月数億)稼いでるソシャゲなんだからもう少しクオリティ高いものを求めてもいいと思っている。まあでも、ソシャゲで配信するにあたって搭載できる容量とかも考えなくちゃいけないんだろうし…な…。
いや、だとしてもEdenやクレビくんがあんなにいいパフォーマンスをしてるのに、推しのグループがあれなの、やっぱり納得いかない。あれをできるんだったら流星隊にこれ以上を求めてもいいはず。
そもそもあんスタ世界、ストーリーを読む限り相当厳しい世界のはずなのに、あんなパフォーマンスで生き残れるのか…?みんな相当な覚悟とそれに相応するレベルのパフォーマンスで頑張っているのだと解釈していたのに、それにMVのパフォーマンスが追い付いていない。これに関しては流星隊だけの話ではないし、それが一番不満かもしれない。
あと単純に長年の疑問なのだが、ヘッドセットマイクしながらハンドマイク持ってるのは何故なのだろう?ヘッドセットがあるなら片手をわざわざ封じなくてもいいのでは…?あとわざわざ持たせたハンドマイクのマイクホールドが甘すぎるし、マイクの位置がやけに遠い。あれでは声は届かないし、そんな事するならヘッドセットだけでいい気がする。
ズ!!になると話は違ってくるが、ズ!の世界観に一番近いのは日プだと思うので、ハピエレ公式は日プを見て勉強してきてくれ。今の日本でデビューしようと思うと、初心者だろうと経験者だろうとみんなあれくらいやらなくちゃいけない。というかほとんど初心者だったけど特定の上手い人以外ほとんどボロクソに叩かれてたからな…
ただそれだけだと思う。
いじめられた側である作者の主張は誰が見ても分かりやすい形で何百ページも書いてある。
それは作者の作品なのだから当然のことだ。否定のしようがない。
読者としていじめた側の心情を考えた時に気になるのは「いじめが始まったきっかけ」だ。
「恐ろしいいじめの被害を受けた」からこの作品を書いた作者にとってこの部分に関しての記述が甘くなるのは仕方がない。
ざっくりとした形だが
・忘れ物
・注意散漫な失敗
を何度か経験した結果、最初はみんながフォローしてくれたが度重なる連帯責任の結果いじめに発展したと描かれている。
そもそも、どんな仕事をしていても上記のような失敗を繰り返す人は「使えないやつ」と認定されるのは当たり前だということだ。
作者自身も、担当編集者が何度も原稿を紛失したり遅刻を繰り返したら激怒するだろう(それでも「君は僕とおなじだね」と許すなら大したものだ)。
特に警察官などの現場系の仕事は「マニュアル」が最重要視される規範と規律で成り立っている仕事だ。
「自分の思う正義」をしたいのだったら、ボランティアで駅前に立ち道案内をしたりゴミ拾いをしたりすればいいと思うのだがそのような思いには至らなかったようで残念に思う(実際に趣味でそういう事をやってる徳の高い方はたくさんいる)。
営業だったら私生活がだらしなくても数字で取り返せるし、芸術家だったらどんなクズ野郎でも凄い作品を世に出せば人格抜きに世界で評価される。
ただそれだけだ。
私がそれを考えているというと、いったい、ひとはなにを考えるだろうか。
「コロナ禍のいま、なんて不謹慎な!他人に迷惑をかけるトンデモ増田じゃないか!」と直感した人がいるかもしれない。読者いなかったらいないだろうが。
「迷ったり、考えたりする必要なんてない!ニュース見てないのか?
連日増加し続ける感染者数、怖くてたまらないのに、近くに来るなんて言いませんように!」と恐れるだろうか?悲しむだろうか?
あるいは、「この非常事態に自分さえよければ、他人に迷惑をかけてもいいと思っている非常識な増田」という印象を受けるだろうか。
「考え直してください!実はすでに無症状の感染者でひとにうつすかもしれないんですよ!
そうでなくても、それに旅行先でウイルスにかかったら、まわりにまき散らすことになるんですよ!あなた自身、発症したらとても苦しむかもしれないのに!」
「落ち着いたら、行けばいいのに、なにも今じゃなくっても……。」
「こういう人のせいで、身内になにかあったらと思うだけで悲しくなる。」
「感染防止は家にいることが最善なのに、自己中心的考え方の増田がいて、そんなやつのためにおびえるのは悲しい、涙がでる」
「バカだから、いっそコロナ肺炎にかかって死ねばいい」だろうか?
だれかの頭の中にいる私は、「菌をばら撒く不届き者」だろうか。
私はいわゆるサラリーマンだ。幸運にも、ずっと仕事を続けられている。
リモートワークはできないとの判断があったため、コロナ肺炎が問題となり、自粛要請、緊急事態宣言が発令され、
Stay Homeと声高に斉唱されたときも、そして今も、Covid-19の話が出る前と変わらず出勤し、通勤で公共交通機関を使用する。
休業要請の対象ではないので、会社が止まることもなかったためだ。ありがたいやら……。
マイカー通勤はしていない。駐車スペースがなく、許可されていない。
1月から4月は、ご存知の通り、マスクが出回っておらず、高額なものを購入したり、
会社がどこかからかき集めて配ってくれたこともあったが、今はいくらか容易に入手できる。
おかげさまで、通勤時はマスクをしている。会社でも、マスク着用は義務付けられている。
つり革、手すりを触ったら顔やマスクに触れない。外でマスクを外さない。
それでも気になるので、自前の消毒液を買って、トイレや、不特定多数の人々がどうしても触れてしまう箇所などに触れたら、自分の手指を消毒している。
出社したら、まず入口で検温を受ける。微熱でも発熱しているのものは帰される。
オフィスは20名弱がいる。デスクはクリアボードで仕切りがされている。会議はweb会議、出張は要相談だが、基本ない。
昼休みは時間をずらしてとる。11時から13時はそれでも混みあうので、最近は15時ごろに行く。
帰りは買い物をして帰るが、必要なものがあるときだけ、それだけ買って帰る。店内を物色して回ることはしない。
それが平日。
平日にやらなかった家事だとか、電子書籍を読んだり、動画配信サービスを使用し映画鑑賞したり、友人とWeb通話もした。
外出といえば、近所のスーパーまで行って帰るだけだ。車にも乗らない。
実際の行動をつらつらと書いてみたが、誰とて似たようなものじゃないだろうか?
手に入るなら、フェイスシールドもつけられるならつけたいくらいだ。
家から出なくて済む人からすればすでに「コロナ肺炎感染被疑者」だろうか?
駅にいるのが、
大きな旅行カバンを携えた私なら、マスクをしていても、「感染しているかも、なんでいるんだろう?」と考えるのだろうか。
小さなカバンだけを持っている私なら、「マスク(感染対策)をしているし、そこまで危険じゃない、いてもいい」と考えるだろうか。
平日、通勤している私は思う、
「この人はどこから来た人かなんてわからない。昨日何をした人かなんてわかりはしない。」
外にいる人々に対して、貴賤上下をつけられるだろうか。
もしそれが可能だとしたら「感染対策をしているか、いていないか」がわかるときだけだと思う。
マスク警察を、支持するわけではない。マスクはとても息苦しいので、時には外したり、水分を取るべきだ。
私は手に入れているが、まだ手に入れづらい人も多くいるだろう。人々の理由は様々だ。
それを悪と指摘する向こう見ずさは見上げたものだが、怖ろしい、わたしが持っていたら移すかもしれないし、と感じるときは離れることで十分だろう。
私は実際、マスクをしていない人を発見したら、可能な限り、距離をとるようにしている。
それと、すべての人に家の中にいてくれと、願いたくなる気持ちはわかる。
私も叶うなら、リモートワークをしたい。家にいたい。
でも叶わない。生活費を得るために、仕事は辞められない。今しばらく在宅勤務になることはないだろう。
出勤、知らない人々とすれ違う、雨ならいつもより混みあう車内、密度が上がり、暑くなってマスクを外す人々。
毎日、毎日、これを見て、なぜ、県またぎの移動をする人や、旅行者や、外出する人々がやり玉にあがっているのだろうか、と思う。
私が、疑問に思うのは「県またぎ」「旅行」「外出」ではない。しないほうがいいのは、明白なのだ。
わかりきっている。でももう私は外にいるのだ。連日、休日以外はずっと。だから、疑問はそこじゃない。
私がどんなに感染防止に気を遣っても、あなたの住む町の駅で、マスクをしないで大声で喚き散らす人よりも、リスクの高い人間だろうか。
逆に、私の住む町にいる人で、私と同じ時間帯にいる人は、私を低感染リスクとするのだろうか?
受け入れる土地のものは、客人を選べないのだからたまったものではないだろう。
だからだれも来ないでほしい、Go To キャンペーンなんてふざけている、と。
休日に、家でできることはたくさんある。コロナ禍を機に、友人とweb通話をしながらゲームをすることも覚えた。あれは楽しかった。
ここではないどこかに、たまには行きたい。正直、もう息苦しくてたまらない。
この半年にも及ぶ自粛生活で、ずっと疑問を抱え、自宅にいられる人をうらやんで、
時にはどこぞのだれとも知らぬ人のそばに立って出勤し、趣味の旅は断念してきた。
「今じゃなくてもいい」全くその通りだ。今は行かないほうがいいな、やっぱり感染は怖いし、感染防止には家にいなくちゃな、と。
そして通勤して、だ。
「家にいたくても、仕事でそうもできない」と感じている。
「この人が旅行者じゃない、なんて誰も証明してくれない。もし旅行者なら?ずるい、うらやましい」と感じている。
旅行はできないけど外に出たくて、出張を申し出た、というニュアンスのなにかを見た。テレビニュースのインタビューかもしれない。ひたすらにうらやましい。
うらやましさも通り越して、恨めしい。
「今じゃなくて、コロナ肺炎が収束してから行けばいい」というのはいつだ?
「増田は子供じゃないんだから、駄々こねるなよ、みんな同じ状況で、みんな苦しいんだから我慢しろ」という人はきっといるだろう。
私もそれまで元気で、お金を貯めて、と考えることもある。
でも私が死んでも誰も「旅行に行かなかった」ことに責任は取ってくれない。
私は絶対に恨んで出るだろう。呪えるなら呪いたい。死ぬ前からそう思っているのだから、死んだら確実に化けて出てやろう、と思う。
疲弊していくことをだれも救ってはくれない。
別の様々な方法を試したが、それでも癒されない苛立ちや、苦しさがある。すり減っていく。
自分のために、誰かのために、と我慢し続けている。美談だろうか。私はそうは思わない。
もちろん「私が誰かから感染」したり「私が誰かを感染させる」ことも、
100%完璧な防止策をうつことはできない。そうして誰かを巻き込めば、私はきっと後悔するだろう。
私は今も悩んでいる。
私を悩ませるのは、後悔したくない気持ちと、苦しみから解放されたい気持ちから来るんだろうな。
人に「行っておいで」と言われたいけれど、言ってもらえない、その理由がわかるけど、
だけどもう我慢も限界で、精神が摩耗しているから増田に書き付けた。
同じようにどうしても行きたいけど、迷っている人がいたら、一人じゃないと、安心できるように思うが、
この時世では、どうだろうか。やはり、少数派だろうか。
インドアだから外に出られなくても大丈夫、な感覚や、嗜好だったらいいのに。
私が答えを出せるよう、私に祈りをささげて終わる。
去年からVtuberなるものにハマりずっと好きな配信者を追っている。
今までハマったものは、歌手、歌い手の二つだけでそこまでネットにも詳しくない。
しかしVにハマってからは、その好きな配信者の名前をツイッターで検索しては評判だったり活動に関する情報を得ていた。
ネットスラングだったりネット文化にも慣れてきた。ネットスラングは聞いたらわかる程度で使えたりはしない。
他のファンと絡むという考えはなかった。必要ないと思ってたし、いざこざに巻き込まれるのは御免だ。
A×Bのカプだとして、ツイート主はAとBどちらも好き(と言っている)だがAが最推し。
すると、BはいつもAに暴力を振るうが、AはBが好きだから弱弱しい姿になりながらもBのことが好きなんだみたいなツイートをした。
こんなのBはただ酷いやつじゃねーか。
本人にそのつもりがないとしても、透けている。見えている。
俺の最推しAはこんなにかわいくてかっこよくて素晴らしくて、ひどいことをするBにも理解を示してあげてちゃんと向き合ってる。俺の最推し凄いよな。
いや、B(俺の最推し)はそんなことしないわ。どこから来たんだよ、その考え。怖いわ。
まるでお人形遊び。
Aを上げることしか頭にないのが駄々洩れなんだが?加えて、最推しのハーレムを作り上げ、俺の推しモテモテじゃん見たいな妄想を繰り広げる。
これがアニメなら問題ない。アニメ自体が想像でしかないから。でも生身だぜ?シンプルにキモイ。
俺の最推しはお前らの最推しを上げるための道具でしかないように見える。
お前、最推しの配信しか見たことないだろ。お前らが日頃から最推しを上げる道具に使っているそいつの配信見たことないだろ。
それのどこが好きなんだよ。本当に胸張って好きって言えるのかよ。
これは自分の感性がおかしいのか?生身でのカプ妄想をし、それを見える範囲でやることは当たり前なんか?
急に起業やベンチャーを増やすためにリスクマネーを増やせばいいんだみたいな言説が増えまくってる。
それにしても痴呆患者の資産をリスクマネーに使えっていうのは頭くるってるとしか言いようがない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ebdd2f6378d0df9b9e8f3de7a5d9b5e4fea8c968
リスクマネーなんか余裕資金と、本当に案件の吟味と、たずなをもっての制御なしにやったところで詐欺師の温床にしかならない。
そもそも詐欺師をどう取り扱うか?の制御ができないからこそ、たまたまちょっと運が良くて事業がうまくいった小金持ちが真っ当なエンジェルになろうとしても、闇に失望し辞めるのがリスクマネーの世界だろう。
そんな状態で痴呆患者の資産を、いったい誰が、どこに投資するのか決めんの?痴呆になるのは自己責任だからそんな奴の財産は守る必要ないし、世界を救うために使いつぶせってか?
そもそも新自由主義はリスクを完全に評価できるという幻想を基に成り立っている。だけども実際は新自由主義は一度大規模経済危機を迎えたら企業が保身に入り、金をため込み設備研究投資をしなくなる。
金をため込むから経済が落ち、設備研究投資をしないから競争力が落ちていく。例として1930年世界恐慌、1990年日本バブル崩壊、2008年リーマンショック、そして2020年コロナショックも起きるだろう。
バブル崩壊は日本単独の大規模経済危機だったため、日本一国だけが競争力が駄々下がりで、IT半導体の大敗北につながった。
それから本当に萌芽に過ぎるもののリスク評価なんてものもできない。難しい数学を使えばできるみたいな幻想を基に難しい数学でオブラートに包むことはする。だけど数字の一番底は思い付きと鉛筆舐めなめだから難しい数学を使ったって無意味な結果しか得られない。
大規模経済危機後の新自由主義はただずるずると敗北を連なるだけだ。だが起業やベンチャーはまあアホ一人が歩みだせば一応創業率として数字にはできるから煽る。ましてや奴隷や、ただ同然での事業の種が生まれれば万歳だからなおさら煽る。
種を作ったやつは報われない。絶望的に弱い存在だから奪いにかかったり嵌め込みにかかわるから。
そのように実際は芽が出る前に土足で荒らしまわり、せいぜい他の起業やベンチャーを増やすための餌としてメディアだけには出させ、そして捨てるだけだろう。
もともと新自由主義はケインズ主義が政府の肥大化に伴い硬直化とイノベーションが起きない。財サービスの供給が細りインフレになるということの批判として生まれた。
だが実際を見れば新自由主義社会の1990年以降の現代の方がはるかにイノベーションは起きていない。1990年以前の日本はソニーや京セラなどメガベンチャーが生まれている社会だった。
なぜなら弱い奴をそのまま萌芽の段階でほかのすでに金を持ってるやつのいけにえに供するだけだから。解決案がないから、情や使命感を煽り、麻痺させて突撃させることしかできないから。
ケインズ主義が日本に導入されたのは第二次大戦後のことである。それ以前の日本は自由主義の時代。
例として挙げられるのが資源も時間も与えずに、精神論ばかり煽るだけの牟田口廉也のインパール作戦。新自由主義の連中が起業煽りをするのはインパール作戦の再来にしか見えない。
リスクマネーなどビジネス投資のリターン評価は売上以外ありません。しかし往々にして萌芽であればあるほど投資とリターン評価に係る、期間、費用、想定収益が読めません。むしろ読めないからこそ失敗したときに石が投げやすくて便利♡
リスクマネーに金を出すというのは期間、費用、想定収益が読めないか、あからさまに鉛筆舐めなめだとわかってる案件にどうやって金出すかって話。
ただ一つ言えば、萌芽研究は「科学成果」とは売り上げとは別軸での評価ができる世界。そして受け皿として大学や公的研究所を使えば金の使途ぐらいは制御できる。まああまり細かくやりすぎるのも問題だが。
リスクマネーというのは基礎・萌芽研究投資の金と、運営費交付金としてのアカデミックポスト拡充以外ありません。
むろん政府の関与以外の何物でもないから新自由主義の政府が何もしないのが望ましいという連中は嫌うのだろう。だからアホをはめ込むようなことばかり叫び言い続ける。