ただそれだけだと思う。
いじめられた側である作者の主張は誰が見ても分かりやすい形で何百ページも書いてある。
それは作者の作品なのだから当然のことだ。否定のしようがない。
読者としていじめた側の心情を考えた時に気になるのは「いじめが始まったきっかけ」だ。
「恐ろしいいじめの被害を受けた」からこの作品を書いた作者にとってこの部分に関しての記述が甘くなるのは仕方がない。
ざっくりとした形だが
・忘れ物
・注意散漫な失敗
を何度か経験した結果、最初はみんながフォローしてくれたが度重なる連帯責任の結果いじめに発展したと描かれている。
そもそも、どんな仕事をしていても上記のような失敗を繰り返す人は「使えないやつ」と認定されるのは当たり前だということだ。
作者自身も、担当編集者が何度も原稿を紛失したり遅刻を繰り返したら激怒するだろう(それでも「君は僕とおなじだね」と許すなら大したものだ)。
特に警察官などの現場系の仕事は「マニュアル」が最重要視される規範と規律で成り立っている仕事だ。
「自分の思う正義」をしたいのだったら、ボランティアで駅前に立ち道案内をしたりゴミ拾いをしたりすればいいと思うのだがそのような思いには至らなかったようで残念に思う(実際に趣味でそういう事をやってる徳の高い方はたくさんいる)。
営業だったら私生活がだらしなくても数字で取り返せるし、芸術家だったらどんなクズ野郎でも凄い作品を世に出せば人格抜きに世界で評価される。
ただそれだけだ。
いじめの内容は犯罪に近いか犯罪だったから あのブログは告発として意味がある。 本人の弱さや不適格さを理由に仕事を辞めさせるのは合法だけど やめさせるために法を超えた加害を...