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はてなキーワード: 食文化とは

2022-04-20

予想通り次は生ガキか

ユッケ生レバー規制された時からこうなるのはわかってた

魚の生食だって何がきっかけて規制されるかわかんないぞー

安全安心を盾にどんどん食文化破壊されていく

2022-03-29

ビーガンビタミンB12が摂れないと言ってる人

アメリカサプリ大国であるという事実無視してるし、

日本人なのに焼きのりを食べないのか、としか思わないんですよね。

結局、肉食の食文化を廃れさせたくないお気持ちで無茶なこじつけをしてるに過ぎないんです。

今は馬鹿にされがちなビーガンですが、食の主流派になっていくことは避けられない。

ウクライナ情勢で飼料用作物が高騰をみせてるのでこの傾向は加速しつつあるわけです。

肉食をやめたくない気持ちだけで抵抗はできないんですね。

2022-03-27

なぜ、味噌汁赤味噌を使わず白味噌を使うのか

味噌といえば赤味噌だ。

大豆・塩・水のみを原材料にした赤味噌こそがほんもの味噌だ。

日本において味噌起源中国からの伝来であり、わざわざ「赤」味噌などと「赤」の文字をいれずとも味噌とは赤味噌のことだった。

しかしながら、時代が過ぎるとともに豆の使用量をケチって米や麦でかさ増しした味噌が登場することになった。

それが白味噌だ。

酷い物だと大豆を全く使っていない白味噌もある。

白味噌の登場により、従来の味噌赤味噌もしくは豆味噌不名誉な再命名レトロニム)を受けることになった。

味噌白味噌よりも赤味噌の方が旨い。

勘違いしないでほしいが、「美味い(うまい)」ではなく「旨い(うまい)」だ。

すなわち旨味の成分であるアミノ酸の多さによる比較で、赤味噌の方が秀でているということだ。

米や麦はたんぱく質含有量大豆に劣るから味噌醸造する際のアミノ酸生成量も必然的に少なくなってしまう。

から大豆使用量をケチった(あるいは全く使用していない)白味噌赤味噌に比べて旨くないのだ。

赤味噌がすでに存在していたにもかかわらず旨味に劣る白味噌をわざわざ発明したのは、日本の歴史を鑑みるに致し方のないことだと考える。

明治時代以前の日本は常に飢饉と隣り合わせの生活を送ってきた。

凶作・不作は死活問題であり、政争や反乱の主要な原因は食糧難だったことは想像に難くない。

江戸時代徳川幕府)は三百年近く続く長期政権となったが、それとて飢饉による一揆武力で押さえ続けてきただけのことだ。

そうした時代においては、食糧生産生産効率カロリー効率観点から米や麦の生産に注力していただろう。

それに比べて大豆は米や麦に比べて高価になるので、味噌づくりにおいて高価な大豆使用を削減しようと白味噌発明したことは、日本の歴史の必然であったといえよう。

高価な大豆使用を削減して米や麦で味噌醸造しようとしてきたことと醸造した白味噌料理適用させて新たな食文化を作り上げてきたことには、不断努力があったことは想像に堪えない。

そうした先人の努力現在食文化を育んできたことを想像すれば、白味噌に携わってきた人に対して感謝の念は耐えない。

から白味噌の事を悪く言うつもりはない。

白味噌存在のものはもちろんとして、白味噌発明した人も醸造してきた人にも罪はない。

しかし、今では大豆安価で大量に海外から輸入できるのだ。

製造コストにおいても赤味噌白味噌とで大きく差が出る訳でもない。

事実赤味噌価格白味噌に比べて特段高価なわけでもない。

江戸時代から続く老舗であり、かつては宮内省御用達(※)だったカクキュー八丁味噌でも、スーパーで他の味噌と同程度の価格で売られているのだ。[※ 宮内庁ではなく宮内省であるGHQ占領前は宮内省だった。]

ちなみに八丁味噌とは伝統ある豆味噌商標だ。

八丁という名が示す通り、岡崎城から西に8丁(約870m)の距離にある愛知県岡崎市八帖町製造された味噌のことであり、製造業者は「まるや八丁味噌」と「カクキュー」の2社である

しかし、残念なことに八帖町以外の場所で作られた豆味噌でも八丁の商標を名乗る商品がいくつかあるのだ。

しかも、農林水産省地理的表示(GI)保護制度によって、八帖町以外で作られた味噌でも八丁味噌を名乗れるように行政が推進しているという政治問題をも内包している。

こうした八丁味噌の不遇についても熱く語りたいが、本題ではないので赤味噌(豆味噌一般に話を戻す。

今でこそ味噌は数ある調味料の一つだが、明治時代以前の食卓においては味噌汁として飲むだけでなく、小鉢盛り付けておかずとしてそのまま食べることも多かったという。

おかずとして食べる味噌は、なめ味噌という形で今もその文化を残しており、有名なもの金山寺味噌がある。

しかし、食事全体のバランスや水分補給という面を考えると「一汁三菜」という言葉にある通りに(たとえ「一汁一菜」だとしても)「汁」は欠かせないものであり、それはやはり味噌汁だというのが日本食文化において汎用的なありかたといえよう。

やっと味噌汁の話にたどり着けたが、タイトルで書いた通り味噌汁に使う味噌赤味噌であるべきだ。

単に赤味噌の方が旨いというだけが理由ではなく、米飯との相性においても赤味噌の方が秀でている。

主食である米飯甘味には、赤味噌もつ大豆の旨味が合う。

米と大豆のそれぞれが互いを生かし合って、口内で一つになるのが日本食の基本にして究極といえよう。

米は最上主食であり貨幣でもあり神でもあり、さまざまに変化をする文化でもある。

しかし、米だけを食べて人間は生きてはいけない。

かつて白米ばかりを食べていた江戸町人江戸わずらいに罹ったという。

江戸わずらいとはビタミンB1欠乏症のことであり、いわゆる脚気である

カロリー摂取だけに主眼を置いた食糧需給向上において生まれ社会の歪みが健康を蝕むことになったのだ。

似たような例は海外にもあり、19世紀アイルランドではジャガイモの不作が飢饉となるほどに食糧ジャガイモ依存していたので、国民病と呼べるほどに脚気蔓延していたという。

ちなみにジャガイモ原産地南米ペルーだという。

では、ジャガイモ主食とする南アメリカ大陸でも脚気蔓延していたのかというとそうでもなく、ジャガイモと一緒に豆料理も食べるのが伝統的な食文化なので、脚気になることはなかったという。

摂取カロリーのみを目的として食糧ジャガイモ依存した近世北欧は、さながら白米の生産流通を高度化して脚気患者蔓延させた江戸時代日本に近しいものがあったのだろう。

ちなみに、野菜穀物栽培することのできない地域に住むイヌイットは、発酵食品によりビタミン摂取している。

イヌイット伝統的な発酵食品キビヤックがあることは有名だ。

アザラシの腹に海鳥を詰めて発酵させたキビヤック悪臭の強い珍味として紹介されることも多いが、地元民にとっては貴重なビタミン摂取源だ。

南米イヌイットの例から伝統ある食文化には食糧生産カロリー摂取効率性だけではなく栄養にも一目を置いているといえよう。

日本においては、まさしくそれは赤味噌であると断言できる。

もちろん、食糧生産効率性向上によって生まれ白味噌なんかではなく、豆味噌たる赤味噌だ。

それにしても、白味噌白味噌文化否定するつもりはないが、白味噌味噌汁は白米の飯に合わないだろう。

米を発酵させて作った白味噌で白米を食べるなんて、まるでライスライスを組み合わせたライス定食ではないか

そのような脚気精神産物である白味噌ではなく、やはり味噌汁には赤味噌を用いるべきだと断言できる。

米は甘く、大豆は旨い。

米はカロリー摂取に優れ、大豆たんぱく質ビタミンなどの栄養に優れる。

米と大豆はどちらも日本食生活に欠かせない食品である

双方の象徴米飯と赤だしの味噌汁だ。

そこに、白だし味噌汁が入り込む余地はない。

味噌汁よ、赤味噌であれ。

2022-03-26

土井先生の例の文章

ヌードッグレシピ本の書評だけど、結構ひどいもんじゃん。

散々指摘されているようにスヌープはダイエットなんかしてなくてデビュー当時からスマートだし、

序盤で自分の知らない人物の手掛けたレシピ本を扱うって言ってるけど、全く知ろうともしてない。

別にヌードッグのことを知らなくても構わないけど

アフリカアメリカン食文化には敬意を払ってくれよ。

塩にスパイシーな味付けをした程度で

地球を半ば殺した」とまで言ってしまうの、

disにしたってリスペクトが欠片もないし、口が過ぎるだろ。

そんで勝手アメリカは味付けの文化だとか断定しておいて

期待が外れた、もっとジャンクに振り切ってほしいとかダメ出しをしてくる。

そういう思想地球を殺したってさっき言ってなかった?

海外食文化を扱うにはガサツ過ぎる。

「素材を生かすという和食文化圏」ってのはそんなに偉いもんなの?

なんでこんなに上から目線でよその国の食文化をぶった切ってるの?

料理する前に手を洗うように、よその国の文化に触れる時は敬意を払えよ。

でまあそれはそれで別にいい。

土井先生の言いそうなことが書いてあるって感じだし。

でもこれをブクマカーの大多数が絶賛してるのはどう言うことなの?

京都人間らしい嫌味たっぷり書評ですね」

なんて言おうもんなら両手に携えたポリコレ棒でボコボコにするくせに

黒人レシピのくせに健康的で期待外れ」って書評には拍手喝采か?

おいおいおい、しっかりしてくれよ。

手斧片手に死んでいった先祖に恥かかせるなよ。

ビーガンが主流になる理由

1.必須アミノ酸を肉から摂る必要はない

2.肉食は環境負荷が高い

3.肉の食文化とは、動物を楽しんで殺す動物虐待と同じ


ビーガン自然派サヨクの遊びと侮っている人は多いように思うが、

肉食がなくなるのは規定路線である

2022-03-20

anond:20220320172735

中国から伝来してきた魚醤食文化を廃れさせて、イワシニシンを食べずに肥料にしていた日本人が?

冗談を。

2022-03-13

なんで味噌汁赤味噌を使わずにまがい物の白味噌を使うの?

味噌といえば赤味噌だ。

大豆・塩・水のみを原材料にした赤味噌こそがほんもの味噌だ。

日本において味噌起源中国からの伝来であり、わざわざ「赤」味噌などと「赤」の文字をいれずとも味噌とは赤味噌のことだった。

しかしながら、時代が過ぎるとともに豆の使用量をケチって米や麦でかさ増しした味噌が登場することになった。

それが白味噌だ。

酷い物だと大豆を全く使っていない白味噌もある。

味噌白味噌よりも赤味噌の方が旨い。

勘違いしないでほしいが、「美味い(うまい)」ではなく「旨い(うまい)」だ。

すなわち旨味の成分であるアミノ酸の多さによる比較で、赤味噌の方が秀でているということだ。

米や麦はたんぱく質含有量大豆に劣るから味噌醸造する際のアミノ酸生成量も必然的に少なくなってしまう。

から大豆使用量をケチった(あるいは全く使用していない)白味噌赤味噌に比べて旨くないのだ。

赤味噌がすでに存在していたにもかかわらず旨味に劣る白味噌をわざわざ発明したのは、日本歴史鑑みるに致し方の無いことだと考える。

明治時代以前の日本は常に飢饉と隣り合わせの生活を送ってきた。

凶作・不作は死活問題となり、政争武力闘争の主要な原因は食糧難だったことは想像に難くない。

江戸時代は三百年近くの長期政権となったが、それとて飢饉による一揆武力で押さえつけて作り上げた仮初めの平和だ。

そうした時代においては、食料生産生産効率カロリー効率観点から米や麦の生産に注力していただろう。

それに比べて大豆は米や麦に比べて高価になるので、味噌づくりにおいて高価な大豆使用を削減しようと白味噌発明したこと歴史必然であったことだろう。

高価な大豆使用を削減して米や麦で味噌醸造しようとしてきたことと醸造した白味噌料理適用させて新たな食文化を作り上げてきたことには不断努力があったことは想像に堪えない。

そうした先人の努力現在食文化をはぐくんできたことを想像すれば、白味噌に携わってきた人に対して感謝が耐えることはない。

から白味噌の事を悪く言うつもりはない。

白味噌存在のものはもちろんとして、白味噌発明した人も醸造してきた人にも罪はない。

しかし、今では大豆安価で大量に海外から輸入できるのだ。製造コストにおいても赤味噌白味噌とで



白味噌味噌汁飲んでる奴はたわけもんやろ。

絶望的に米飯との合わへんやろ。

なんで米を発酵して作った味噌を汁にして、米の飯を食わにゃあかんのや。

米と米で相性最悪やろ。

ライス定食だがや。

2022-03-08

anond:20220308133124

私たちはいから肉食になったのか?日本人の肉食の歴史を徹底解説

https://intojapanwaraku.com/culture/48024/

疲れている時、あるいは気合を入れて勝負に臨みたい時、もちろんなんでもない時にでも「お肉食べたい!!」と思うことはありませんか? 焼き肉から揚げ、ハンバーガー、さまざまなお肉をわたしたちはすぐに食べることができますしかし、こうしてお肉をなんのためらいもなく食べられるようになるまでに、わたしたちご先祖さまたちは葛藤を繰り返してきたのです。

日本人の肉食について『肉食の社会史』(山川出版社)の内容と、著者である上智大学教授中澤克昭先生お話をもとに追ってみました。

うつりかわる肉食への考え方

日本史教科書などで「文明開化」の言葉とともに「牛鍋」を食べる人の絵を教科書などで見て、なんとなく近代明治時代)以降に肉食が始まったと思っている人は圧倒的に多いのではないでしょうか。けれども中澤先生によれば、肉や魚を食べることは、伝統的な食文化だったそうです。ただ、平安時代からは「食べないことが高貴な身分のふるまい」「食べるのはいやしい」と思われるようになったとか。また、家畜労働力提供してくれる大切な存在であり、食べる対象としては見ていなかったようです。

3世紀ごろの日本ヤマト)には、誰かが亡くなった際、喪主は肉食をがまんする習慣があると『魏志倭人伝』に書かれているそうです。これは「物忌み」のひとつとして肉食を慎む「禁欲」だったと考えられています。つまりこの時点では日常における肉食は「禁忌」ではなかったのです。その後、6世紀仏教とともに「殺生」を「罪業」とする考え方が伝来します。喪に服したり何かを祈願したりする時に肉食をガマンする習慣と仏教の殺生罪業観、このふたつが融合して、のちの肉食忌避タブー)につながっていくのです。

中澤克昭著『肉食の社会史』(山川出版社

しかし、肉食忌避が強まるのは中世からで、古代には天皇も肉を食べていました。天皇は各地でとれたものを食すことで統治していることを示していたからで、イノシシシカも食べられていたことが、さまざまな記録や古代遺跡から出土した木簡からわかっています中澤先生によれば、「大地を象徴する生き物を狩ることで土地所有権確認する儀礼でもあった」と考えられているそうです。

貴族メインディッシュはあの鳥

古代には禁欲対象だったお肉も、平安時代になると禁忌まり忌避されるものへとかわっていきました。たとえばイノシシは何世代飼育されるとことで「豚」という家畜になりますが、奈良時代にはヤマトでも豚が飼育されていたそうです。ところが平安時代になると、食用に育てられている動物確認できなくなります。野生のイノシシを食べることは続くので、家畜は食べないほうがよいというメンタリティを持っていたことはまちがいなさそうです。

天神さま(菅原道真)の牛のように、神話伝承世界にも動物は出てきますが、家畜を食べるという物語はまずありません。タブーだったのです。死んだ家畜、いわゆる斃牛馬(へいぎゅうば)はいわば産業廃棄物で、専門の人々によって処理されましたが、その仕事にあたっていた人は捨てずに食べていたと思われます」(中澤先生)。ただ、そのことは公の記録には残っていません。馬刺しも牛の内臓ホルモン)も食べられていたはずですが、身分の高い人には忌避されていたのです。おおっぴらに食べられるようになったのは、近代以降ではないでしょうか。

新鮮な馬肉

では、鶏肉に関してはどうだったのでしょうか。「鶏も『時を知らせる、占いをする』という性質が強いので、おおっぴらには食べられていなかったと思います。卵は食べたはずですが、それもあまり記録にのこっていません」(中澤先生)。闘鶏に使われた軍鶏などは「筋肉質で硬くて、現在の鶏ほど美味しくなかったでしょうね」と先生はいます。「牛も体脂肪が少なく、現在の『霜降り』のような食感とはほど遠かったのでは」とのこと。

なお、近代以前に肉を地方から京都江戸へ運ぶとき塩漬けにするか干し肉にする場合が多かったそうですが、キジの新巻や干し肉存在していたとか。案外さまざまな加工肉があったそうです。……鮭では見たことがありますが、鳥が新巻にされるなんて想像もつきませんでした。また、少し前にグルメ界を席巻していた熟成肉もあったそうです。遠くから生で運ばれた場合、その可能性が高いとか。よく食べられていたのはシカイノシシでしたが、貴族社会宴会ではメインディッシュとして鳥のキジが好まれたそうです。焼くだけでなく、刺身でも食べられたそうですが、味付けは摂関家であれば、ひしお現在味噌醤油の原点と考えられている調味料)や酢などが使われたと考えられています

殺生禁止と生贄とのあいだで揺れた「鷹狩り」

肉食を考えるうえで必ず登場するのが「鷹狩り」です。鷹狩りは、神々へのお供え物の調達手段としても大切で、仏教の殺生禁断の思想が広まってからも続けられました。古代には貴族の間で行われて、鷹狩りのための狩場もつくられ、鷹狩りに用いる鷹の繁殖のために狩猟や入山を禁じた巣山や巣鷹山と呼ばれる山もありました。その後、貴族から武家権力が移ると、キジだけでなく白鳥や雁もよく狩られるようになり、小型の鶴が狩られたこともあったようです。武家食事マナーでは、鷹狩りの獲物は箸ではなく指で食べることになっていました。食材としての価値が高く、食べ方にも特別作法があったようです。

江戸時代になると、徳川家康が好んだ鷹狩りを、代々の将軍が受け継ぎ行っていました。江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が発した「生類憐みの令」のころまでは史料確認できますが、その後しばらく姿を消してしまます。復活するのは8代将軍・徳川吉宗のころ。吉宗徳川家康尊敬していたので、家康が好んでいた鷹狩りを復活させたようです。その後、大政奉還が行われ明治新政府が発足した後は、鷹狩りは大名特権ではなくなりました。明治天皇御料場で鷹狩りを行ったようです。在位中の天皇狩猟に出かけたのは、白河天皇が1073年に嵯峨野鷹狩りをして以来のことでした。天皇800年ものあい狩猟をしていなかったわけですが、この800年はそのまま武士時代と重なっているのが興味深いところです。

明治天皇1872年牛肉を食べましたが、近代以降もしばらくは肉食に対する忌避感がありました。しかし、食の欧米化や大規模な多頭養豚経営、乳用種雄の肥育牛の食用への転用などにより、1955(昭和30)年ごろからは急速に肉食が一般化していきます。結果、戦後まれ世代からは肉食があたりまえの世の中になって現代に至ります。食肉生産が進み、ブロイラーが出てきたからこそ「帰りに焼き鳥ちょっと一杯」ができるようになりました。そんな生活高度成長期にようやく成立したもので、まだ現在のような「お肉を食べたい」「お肉を食べよう」の歴史は50年ほどしかないのです。

ジンギスカン用のラム肉

一方で2030年ごろには、世界人口の増加が食肉生産を追い越してタンパク質が足りなくなる「プロテイン危機」が起こるという研究があり、昆虫食研究などが進んでいます。今のようにお肉を食べられる時代は、日本史のなかの、ほんのわずかな期間で終わるのかもしれません。

動物を殺す」肉食に対してはさまざまな意見もありますが、人間の食欲がそれを抑え込んでいるのが今の時代です。お肉はいつでも好きなだけ手に入りますし、食べることもできます。「中世には動物を殺すことやそれを食べることがタブーとされていましたが、実際に食べる人は少なくありませんでした。うしろめたさと食欲との葛藤があって、そこからさまざまな言説が生まれました。現在も肉をめぐってさまざまな問題があります。もう少し葛藤があっても良いのかもしれません」と中澤先生は言います。「お肉が食べたい」という気持ち自由に満たせる今だからこそ、食文化についてちょっとだけ考えてみませんか。

2022-02-22

唐突にX市の若者マウンティングをし始めるブックマーカー意図が分からない

田舎からはるか遠き「食文化のセンス」 | Books&Apps

この記事を受けてのブックマークコメント

[B! 文化] 田舎からはるか遠き「食文化のセンス」

のうち、以下のブックマーク意味が分からない。

 

Cunliffe サイゼリヤを「居心地のいい店」というのはちょっと分かんないですね。個人的には騒がしすぎるし椅子もあまりよくない。

これは何なのだ

ブックマークはしょせん個人のしおり兼メモ帳から、何が書いてあってもいいのだけれど、誰でも見ることのできるコメントでもあるので、ここに疑問を書き残しておきたい。

 

 

記事を読めば分かることだが、シロクマ先生はこの記事サイゼリヤを「居心地のいい店」などとは一言も言っていない。

途中で、同じ一文の中に

サイゼリヤはアリかナシかで骨肉の争いをする人々をよそに、話題の周縁には「高すぎず気取ってなくて居心地のいいそこそこセンスのある美味しいお店」がベストであると指摘し、

と、「サイゼリヤ」「居心地のいい店」の両方とも入っている文はあるが、これはサイゼリヤ論争の周縁部で「(サイゼリヤではない)高すぎず気取ってなくて居心地のいい(ry店があるよね」と誰かが言っていたというだけの話だ。

 

また、

X市では、喫茶店というジャンルで最もセンスが良いのは、問答無用スターバックスなのだ

中華ならバーミヤンイタリアンならサイゼリヤといったところだろうか。

X市に生まれ育った若者が「高すぎず気取ってなくて居心地のいいそこそこセンスのある美味しいお店」をサーチ&メモリーしようとすると、おそらくそうした大手チェーン店記憶されてしまう。

という一文もあるが、これは、シロクマ先生言論に乗っかると

文化資本が少ないX市という人口7万人の地方都市に生まれ若者たちは、ベトベトしたスパゲティを出す自称イタリア料理店との比較で、サイゼリヤを『高すぎず気取ってなくて居心地のいい(ry』として記憶してしまう」

という話であり、シロクマ先生自体が「高すぎず(ry」と考えているという話ではない(むしろ逆)。

 

まり

Cunliffe サイゼリヤを「居心地のいい店」というのはちょっと分かんないですね。個人的には騒がしすぎるし椅子もあまりよくない。

コメントは、X市という人口7万人の地方都市に生まれ若者たちに対して、

「君たちが『居心地のいい店』という(思う)のはちょっと分かんないですね。個人的には騒がしすぎるし椅子もあまりよくない」

と、思い切りマウントを取っていることになるのだけれど、なぜ唐突にX市の若者に対してそんなマウンティングをしたくなったのか全く理解できない。

しかも何か星が複数ついているし。

誰かこのコメント真意を教えてくれ。マジで。戸惑っている。

2022-02-13

サイゼリヤが過剰に持ち上げられすぎてて辛い

サイゼリヤイタリアで食べる本場イタリアンより美味しいというバズツイートが流れてきた。

リプには横浜中華街よりバーミヤンのほうが美味しいツイートもくっついていた。

共感性羞恥が発動して辛い。

これでドヤ顔してバズる他国食文化に失礼すぎるし日本人の舌は死んでるのか。

2022-02-10

anond:20220210170320

世界中のだれもが毎日口にしているもの、それは「空気」です。「空気」のように味がないものはだれもが飽きることはありません。同じように、料理も味をつけなければつけないだけ世界中の人が食べられます。そして、味付けが少ない料理食文化として持っているのがイタリア料理です。イタリア料理には、味付けを極力控えて、素材の味をそのまま食べるという考え方が根底にあります。いい素材を選び、素材本来の味わいを活かした料理サイゼリヤではイタリア料理精神に沿って素材を活かし、シンプル調理毎日でも飽きずに食べられる料理を「おいしい料理」と考えています

世の中には様々な「おいしさ」が存在します。トリュフフォアグラ霜降り和牛ステーキなどの“ご馳走”から、季節ごとに愉しめる魚料理、濃厚なスープラーメンに至るまで和食中華フレンチ韓国多国籍料理世界中料理日本にいながら愉しめます外食業はこれらの「おいしさ」をそれぞれの得意分野で提供していますサイゼリヤは皆さまの身近に多数店舗を構えるレストランとして、一度きりの「おいしさ」ではなく、毎日たべられるおいしさ」を提供したいと考えています。味付けの少なさに加え、油の使用を極力控える(店舗フライヤーは置いていません)など、食べた後で胃に持たれない、体にいい健康的な毎日の食の提供を目指しています

イタリア料理では料理ベースに「オリーブオイル」が一貫して使われており、どの料理を食べても味付けのベースが同じです。これにより、どんな料理をどのように組み合わせて食べても違和感がなく、統一感があり、おいしさが倍増していきます。そしてすべての料理ワインあいます。苦味と酸味を持つ新鮮なワイン料理を引き立てて、愉しい会話を弾ませますイタリアで長い年月をかけて築かれた食文化において、前菜デザート食前酒~食後酒に至るまで料理飲み物はすべて用途別に洗練されています。それらを食事のシーンやお腹のすき具合、体調などにあわせて選んで組合せていく、つまり“コーディネーション”をすることで「おいしさ」は2倍、3倍と膨らむのです。サイゼリヤでは、一品一品料理サイズを「多すぎず少なすぎず」の量に設定し、お客様が一人の時も大人数の時も料理を“コーディネーション”して倍増する「おいしさ」を愉しんで欲しいと考えています

2022-02-06

他国食文化尊重しようってやつ

人肉食文化があっても否定しちゃいけないんだよね

尊重しなきゃね…。

2022-01-21

anond:20200917191944

『多様な食品』はパン食を週2回にまで増やす根拠となるのか?

これも既存の項目と近くなるのだが。

結論から言えば『多様な食品』という項目をもってパン食を週2回にまで増やすことが正しいとは言えないだろう。

通達尊重すべきとかそういうことは別として学校給食に対するメリットとして・・である

ひとつは、この個所があろうがなかろうが米飯給食中心である部分は変わらないからだ。

https://www.mext.go.jp/a_menu/sports/syokuiku/1407704.htm

学校給食実施基準の一部改正について 令和3年2月12日版

 食品構成については、「学校給食摂取基準」を踏まえ、多様な食品を適切に組み合わせて、児童生徒が各栄養素をバランス良く摂取しつつ、様々な食に触れることができるようにすること。また、これらを活用した食に関する指導食事内容の充実を図ること。なお、多様な食品とは、食品群であれば、例えば、穀類、野菜類、豆類、果実類、きのこ類、藻類魚介類、肉類、卵類及び乳類などであり、また、食品名であれば、例えば穀類については、精白米、食パンコッペパンうどん中華めんなどである。また、各地域の実情や家庭における食生活実態把握の上、日本型食生活実践我が国伝統的な食文化継承について十分配慮すること。

単純に和食中心の給食のうち、スキマを使って「食パンコッペパンうどん中華めんなど」と他の主食で取り合う事になりそうであるしかしそれは今起きていることに近い。それか多少増やしたとしてもパン食を週2回では多すぎる。

もう一つ。これは仮定に過ぎずはっきりしたことは言えないのだが。給食ひろばという団体分析でいえば、どうもこの通知はパン業界要望を反映したものであるらしい。

https://twitter.com/KyushokuJP/status/1159633373377073152

その成果も見えてきました。

大きなものとしては文科省から発出された学校給食実施基準の一部改正の通知文。この通知を読んだ瞬間に「あ、やったんだ」とわかりました。

食品構成表がなくなった今、パンだけでなく各食品業界の思惑や忖度がこの段落にひしめき合っています

http://mext.go.jp/a_menu/sports/syokuiku/1407704.htm

この投稿分析が当たっているか文部科学省担当者で無ければ分からない。

この通りパン業界の”成果”であるならば、『多様な食品』が盛り込まれている理由学校給食必要からというよりは、各社に配慮した記述にしたか・・・という可能性を考えてしまう。

とすればパン食を増やすメリットは稀薄であることになる。

内容を重視するにしてもパンにとってはうどん中華めんがライバルになり、パンは2回で麺は1回という目標は難しくなってくるのではないだろうか。

長くなり過ぎたので下記でも投稿した。

https://eex05182.livedoor.blog/

2022-01-11

アメリカ食文化ドラマにした「ザ・フード アメリカ巨大食品メーカー」が面白い

多くの人が知っているアメリカ加工食品って100年前にポコポコ出始めたんだね

都市部に人が移動してきて、食糧難となって安全で美味しい加工食品重要になった背景があるらしい

一つ一つを丁寧にまとめていると言うよりダイジェスト版だけど、テンポいから見やす

例えば

このあたりが第1話で取り上げられている。

2022-01-10

anond:20220110100851

つけ麵の文化って割と勘違いしている人が多くて、

冷やした麺をつけ汁でほんのり温めたくらいの、まだ冷えてる部分が残ってるくらいのときに食べる、

麺の温感を楽しむ食文化なんですよ。

から最初からつけ汁に麺を入れてしまっては、完全に温まってしまうので意味が無いんです。

当然、麺を熱盛にしてもらうのも本来NG。麺が熱かったら、本来つけ麺にはならないんです。

2022-01-08

イマドキって創作のためのインプットってどうしてるんだろ

図書館海外の装飾だったり、住居、紙幣の模様、美術品、食文化などを探して見ていた。

布屋に行っていくつか布買ってきたり、装飾品買ったりもした。

文房具屋に行ってホコリが被ってそうなニッチな紙を買って手触りを試したり、特定仕事のためだけに作られたフォーマット仕事の仕方を想像したりした。


ネット想像力が湧いてくるようなサイトってなかなか見つからなくないだろうか?

検索ワードがわかる物は出てくるけど難しい。

日本人和食洋食を分けすぎている感じがする

カリフォルニアロールに対する扱いとか見るとね。

それどころか「茄子日本食材なのでカレーに使うなんて思いませんでしたよ」みたいなこと平気で考えるっしょ。

ちなみに茄子インド原産から

漢字名前がついてる食材醤油味噌調理をするものであって、洋風の味付けをするのは邪道なんだ」ぐらいに思ってる人もいるぐらいなんだからビビるね。

そもそも日本の伝統的主食とされる「白米」だって元は大陸から渡ってきたものなのに神聖視してる。

「白米にマヨネーズかけて食うなんてありえない」といいながらサイゼドリアをつついてるような連中が多すぎるんだよね。

ハッキリ言っていい?

日本人ってぶっちゃけ舌と頭が馬鹿だろ?

日本人は食に拘る。食べ物の恨みは凄いんだ」みたいな事言うけど、それって単に馬鹿から視野が狭くて思い込みが激しいってだけだろ。

さも食文化が発達しているのでこの国は食事に対する執念が凄いとばかりに言うが、実際は単に食事に対しての偏見が強いので思い通りにいかないと暴れだす食べ物アルツハイマーだろ。

2022-01-02

ヴィーガンチラ裏

・めだま焼きと唐揚げ

親子丼

チーズハンバーグ牛肉

ラードで揚げたとんかつ

あたりは、ユダヤ教の「親と子を一緒に食べてはいけない」という教えに反するらしい。

最後のはちょっと違うかもだが。

ハラルとか仏教とかそれぞれ違ってめんどくさいから全部食わないのがいちばんだよ。

ID非公開さん

2016/9/1 15:50

6回答

ユダヤ教において「子ヤギの肉を、その母の乳で煮てはならない」という戒律がありますが、“親子”の組み合わせ料理は、ユダヤ教徒は厳禁で 同じ親子の組み合わせ、親子丼チーズバーガーすら厳

禁らしいです。

でも戒律は「子ヤギの肉を、その母の乳で煮てはならない」であって、あくまでも「子ヤギの肉」を「ヤギ乳で煮てはならない」であるから親子丼チーズバーガーなら問題ないんじゃないでしょうかねぇ?どうも悪い方へ解釈してしまってるのですね。

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ベストアンサー

cav********さん

2016/9/1 19:05

良い悪いはともかく、拡大解釈であることは確かです。

ユダヤ教では「肉と乳製品をいっしょにとること」を禁じていますチーズバーガーやクリームシチューに肉を入れることはもちろん、一回の食事で肉と乳製品をとることはできません。肉料理の食後のコーヒーミルクを入れるなどもだめです。私がイスラエル旅行した時、肉料理の後にデザートとしてアイスクリームが出ましたが、牛乳ではなく豆乳を使っているとのことでした。肉と乳製品を食べる間に、6時間だか8時間だか置かないとだめなのです。(胃の中で双方がいっしょにならないように。)もちろん、どこまで厳格に守るかは個人差があるようです。

親子丼は、卵であって乳製品ではないので大丈夫なのではないでしょうか。

質問者からのお礼コメント

まったくだな、鶏・卵白親子丼、ヤギでないのに食いたくないのは とんでもない解釈

お礼日時:2016/9/7 14:18

Yahoo!検索で調べてみよう

クリームシチューチーズバーガー親子丼クリームシチュー肉料理

その他の回答(5件)

dol********さん

2016/9/2 8:10

違うよ。カシュルート(食物規定)では「肉」と「乳製品」を混ぜることが禁じられているんだよ。

で、卵も乳と同じように親鶏から出てきて、子を育てる成分を含むものだ。だから中世ユダヤ人は卵の性質上、乳と同じだと考えた。ただし、まだ殻を形成していない段階ならば乳とは見なされない。ここは議論があって、絶対そうだというわけでもないよ。

いずれにせよ、卵の殻座の部分には血が混じっているので、その部分を取り除かねばコシェル(適正)にならない。

また、厳格な人は食後にコーヒーを飲むこともしない。うっかりコーヒーミルクを入れて、胃の中で肉と乳が混ざることを防ぐためだ。

さらに、イスラエルマクドナルドなんかは、ハンバーガーを売るカウンターと、アイスクリームを売るカウンターとが別々になっている。

あなたは「悪い方へ解釈」と言ってるが、それは「食物規定は悪いもの!」というキリスト教価値観押し付けにすぎない。

こうした食文化全体として見れば、あなたが挙げた問題なんて取るに足りないことというか、むしろ「より安全な方へ」という解釈になっているんだよ。

なぜなら、神が与えた食物規定真意は、人には分からない。だから、人がうっかり規定違反することがあるかもしれない。それゆえ、神が具体的に命じたことを範例として、食生活の一つ一つについて詳細に検討した結果なんだ。人の謙遜さの現れなんだよ。

2021-12-12

ベジタリアンってアジア坊主共がとっくに捨てた菜食文化の真似事なんよな

ガンモドキってあるやん?

あれは鳥の雁のもどき、つまり鳥肉食えないから代わりに食うもんなんやな。

じゃあそれって何処からまれたかと言えばジパングゆーそれはそれは極東ちょっと前まで鎖国しとったよーなカビ臭い国やねん。

そこの坊主インドまれ仏教ゆー宗教独自に改造したよー分からんものを崇めとる奴ら、そいつらが当時菜食にハマっててな。

理由簡単や、宗教家たるもの宗教語るなら殺生はあきまへんって、ことで野菜しか食わんかったねん。

ちな仏教やっとる国はほかも大体そういうの流行っとったが、ぶっちゃけあんなんキリスト教流行っとらんかったアジア圏の宗教やねん。

イエローピーポー共の宗教っつーことやな。

ベジタリアンって結局はこの黄色アジア坊主どもがやってたことのパクリなんやな。

あゆーて最近坊主も「こんなん単なるお為ごかしやんけ!」となって割と肉食っとるけどな。

まりアジアモンキージェネレーションからも失われつつある何重にもカビくっさい文化なわけよ。

それをヨーロッパのアホどもは今更になって「俺たち、凄いことに気づいちゃったんですけど」ゆうとんのよな。

ほんまアホ丸出しやわ。

これ、誰かアイツラに真実として教えてやってほしいねん。

わしゃあ異人の友達なんておらんけんね。

2021-12-07

異世界食堂系の作品における白米DIS若い子の本音でしょうね

中世ナーロッパ人に現代のメシを食わせる作品で白米が出てくるとだいたい

異世界人「え?まっず。味しないじゃん」→「オカズと一緒に食べるとまいう~~~」って感じになる。

コレ系で一番のヒットと言われる異世界食堂だと「味がしない」「かさ増し」「意外とケチくせー店だ」みたいな扱い。

オカズと一緒に食べない白米は完全にゴミ扱い。

でもこれが現代から見た白米の現実なんだよね。

前にシン・ゴジラ批判で「白米美味い美味いって粟や稗しか食べたことないの?」って感想炎上したことがある。

あのときシン・ゴジラが白米とか見る目ねーな」派と「白米は本当に美味いのは超うまい」派と「コイツが好きだと言ってる作品ゴミばっかだぞ馬鹿舌かよ」派に別れた。

ここからわかるのは、白米は超うまいと考える日本人一定数いるということ。

けいおんでは「ごはんはおかず」と宣いごはんオカズにもなると言い張り続けるイカれた歌詞の曲がヒットした。

時は変わって昭和大正では白米が銀シャリなんて持ち上げられてた時代もあった。

現代作品では白米はコテンパン馬鹿にされ、少し前だと割と評価され、時代が遡っていくほどに白米の価値高まる

この違いが何かって言うと、結局の所は食文化が年々豊かになっていることによる相対評価なんだと思う。

たとえば最近食パンでも凄い美味いから1斤2000円で売れるようなのもあるけど、白米だと中身に具を入れることで初めてそういったステージに立つ。

塩むすびならともかく純粋な白米の塊に対する評価は、現代では地に落ちていると言っていい。

コレに対して現代人の味覚は大雑把になって繊細な味がわからなくなったと批判する事は出来るのかも知れない。

でもそれって結局は白米が時代に取り残されることを選んでいるようなもんじゃない?

なんなら品種改良で味の方向性を変えていけばいいものを、白米は白米らしい味であり続けることに執着しているようにさえ見える。

異世界人が語る「白米単体で食うとマジで味がしないね不味いよね」というセリフは、現代人の本音だよ。

日本という国にはある種の白米信仰がある。

これは主食信仰ではなく白米に対する純粋信仰だ。

他国主食、たとえばタピオカなんてミルクティーに入れた粒粒でしかなくて、一時のはやりだから廃れたよねと平気で小馬鹿にさえする。

一方で白米は一粒残したら88の神様に呪われるなんて平気で言うんだ。

同じ主食系の穀物であっても、白米でないなら敬意を向ける対象ではなく、白米であれば畏怖さえ感じている。

から日本人創作物キャラクターであっても日本人に白米を批判させるのは無自覚に避けがちなんだ。

結果として、抑圧された白米に対する不満感情異世界人という免罪符付きのキャラクターの口からこれでもかと吐き出される。

「味がしない」「ベチャベチャ」「特有匂い」「かさ増し」「パンの方がいい」「食べにくい」

散々言われ放題ではあるが、それはさも異世界人の教養の無さから来るもののようにカモフラージュされる。

でも待って欲しい。

異世界人は美味しものを食べたら途端にそれを現代人と同じ味覚で持ち上げるよね?

じゃあなんで白米だけがこんな扱いなんだろう?

2021-12-04

ライスヌードルってなんで日本流行らないんだ?

おもにベトナムフォーとか台湾の米線というものだが。

米の質が違うのか、食文化が違うのか。

蕎麦うどんというものがあるから淘汰されたのだろうか。

2021-11-07

沖縄意識するとき

上京して10年経つ。あんなに嫌いだった地元だけど、何もしたくない休日、朝スパムサンドウィッチを食べ、昼スパム丼を食べ、夜カリカリスパムつまみに酒を飲むので、やはり体内に沖縄食文化根付いてるのかもしれないと思う。塩分過多で次の日顔がパンパンになる。本土人間は、怠惰選択肢スパムなんてないんだろうなぁ。でもそれぞれみんな「とりあえず家にこれがあれば死なない」という私にとってのスパムがあるんじゃないですか。

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