はてなキーワード: 死体とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2281204
ごみ収集のおっさんの待遇に対する批判は給料がどうとかじゃなかったろ
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1608/04/news096.html
大阪市環境局の職員が、覚せい剤取締法違反で逮捕された。2009年に覚醒剤で逮捕された職員は4人
同市環境局所属で複数の火葬場に勤務する複数名の職員について、一部の葬儀会社に優先的に火葬を行わせるなどの便宜を図っていた疑いが浮上。業者から心付けを受け取っていた可能性もある。2002年にも、火葬場勤務の全職員への心付けが発覚している
ペットの死体の焼却を担当する同市環境局木津川事務所で、一部職員が飼い主から心付けを受け取っていたことが判明。また、供養碑に供えられた賽銭を盗んだ職員の存在も発覚
環境局の職員が、羽曳野市の居酒屋でライフル銃を乱射し、3名を殺害。検察は書類送検した
環境局河川事務所の職員らが、川の清掃で拾得した金品を着服していたことが内部告発によって判明し、市は関わった職員計42人について、懲戒免職などの処分とした
長い話を一気に2日で読み終えるほどには面白い話だった。戦争ものは大体気分が悪くなるので読まないことが多いが、アガサクリスティ賞をとったと聞いたり感想に伏線の回収という文字を見たので購入してみた。結果、ミステリー要素は皆無だったが淡々とした文章が戦争の悲惨さを的確に伝えつつ必要以上にグロテスク描写をしないという塩梅で、犬が死ぬシーン以外は特に感情を乱されることなく一気に読めた。
本書はとても面白く戦争小説を悲惨だからと思って避けてる人たちにもぜひ読んでほしいと思った。作者の意図はわからないがエンタメ小説としてもしっかりと成立しているところがとてもよくできていると感じた。
本書がとても良くできた小説で、読者として十分楽しませていただいたことを前提として、以下は疑問点について書いていきたい。批判ととれるかもしれないが、批判の意図はあまりない。他の人の感想を読むにおそらく作者の意図したように作品を受け取っている方は沢山いるし、ただ、私に理解できなかったというだけだと思う。
違和感の一つに主人公が掲げている女性のために戦うという本作品の主題に関してだ。これは最初出てきた時から一貫してその後もこの話のテーマのような顔をしてでてくるが、最初の村で村民を殺され、狙撃手に母親を殺されて学校に入りスナイパーのエリートとなる過程で主人公が何故そのような考えを行動原理として掲げているのが終ぞ理解できなかった。村民は全員死んでいるのだ。男も女も平等に死んでいる。何故彼女の頭に女性のために、という言葉が出てきたのか本当にわからなかった。そのまま物語は進むので私はてっきり途中で行動原理も変わる者なのだと思ったけれどそんなことはなく、そのままだった。
女性を守ることを行動原理にするには見ている光景に説得力がないように思った。
私は途中で友人のシャルロッタあたりが暴行されるのだろうと思っていたのだけれど、そんなことはなく、暴行は悲惨だ悪魔的所業だと言う割には主人公は最後までその光景を目の当たりにはしていない。ラストのミハエルですら未遂で終わりドイツ人の女性は逃げ出せている。徹底的にその描写を避けているように見える。ただ避けてあるからこその読みやすさがあるのもまた事実だと思う。ただ、私の感覚で言わせていただけるならどうしても、冒頭の流れからどうしても主人公が『女性』を守るために戦うとなるには理由が足りないように思えてしまうのだ。
また、肝心なところでの爪の甘さを感じるところも散見した。特に冒頭の80キロを超える主人公の母親の死体を村を一望できる場所から雪道を引きずって降りるドイツ人の描写などが特にそう感じた。あまりにも違和感があったので、何かしら後々に効く伏線なのだろうと覚えていたがそんなことはなかった。もし、ドイツ兵があの死体をそのまま置いて主人公だけを連れて村に降りたのなら、イリーナは主人公の母親の死体を目の前で焼くことはできなかったし、主人公はイリーナを恨むこともできなくて、話が進まないのかもしれないと読了後の今では思う。
また主人公は宿敵であるドイツの狙撃兵に対して「自分は自分の哲学において行動する。お前とは違う」と言うシーンがある。そしてドイツ狙撃兵は、殺される。主人公の同期にヤーナという登場人物がおり、彼女は世界中の子供の命を守るために戦争に参加する。彼女はソ連赤軍兵士だが、ドイツ人であれ子供は助けると言う哲学を持っている。主人公は終盤、ヤーナの目の前でドイツ人少年兵を撃つ。死にはしなかったが彼を助けようとしたヤーナは銃弾を受け重傷を負う。無論、少年兵を撃とうとした主人公の行動は正しく、誰も彼女を責めない。ヤーナも責めない。でもはっきりと主人公はヤーナの哲学を目の前で踏み躙っている。かなりのダブスタに感じた。そう言う描写が多々あった。誰か知らないドイツ人の兵士の、背景にいる家族のことを考えることもあるが、それは仕方ないのだと言い聞かせて、スコアを稼ぐのに、自分の母親を撃ったドイツ人狙撃兵には憎悪と侮蔑の目を向ける。憎悪までなら理解できる。侮蔑に関しては同じ穴の狢のではないかと思うのだ。何故なら主人公の母親はドイツ軍に銃を向けていたのだから。
最後に、イリーナと主人公のほぼ恋人同士のような終わり方について、私はその雰囲気を汲み取れずにいたので、最後は呆気に取られた。シャルロッタがヤーナと二人で家族になると言った時に、主人公が仲間外れでびっくりしたあたりで、あれ?とやっと作者の意図を汲み取れた。
納得できなかった部分を羅列したが全体的に本当に面白い話だった。大好きな一冊です。
この辺では?
日本共産党 大西航(サドル体液 レイプ脅迫 盗撮 女性トイレ侵入)
Colabo支える会 森康彦(覚醒剤)
女性を愚弄する様な凶悪犯罪やセクハラ行為を犯しているにも関わらず、ミソジニー・オブ・ザ・イヤーには一切ノミネートすらされない芸を見せてくれる…
日本共産党 大西航(サドル体液 レイプ脅迫 盗撮 女性トイレ侵入)
元ミュージシャン 二階堂直樹(通称マギー、強制わいせつで服役経験あり。出所後に性犯罪の再犯で再逮捕)
Colabo支える会 森康彦(覚醒剤)
映画監督 園子温(セクハラ・性行為強要、告発女性が自殺し無事無罪認定へ)
【殿堂入り】
元日本赤軍 重信房子(逮捕監禁罪・殺人未遂罪、出所後は左翼のアイドルとして娘共々歓迎される)
昨日と今日で何が辛いかというと、堀船の自転車の保管所ではすぐお金出せる人ばかりが引き取りに来るんだよね
自分は悩んで悩んで命乞いまでした
余裕がある人たちばかりでうらやましかった
取り残されてる
昔はそっち側だった
人におごってあげられるぐらいの収入もあったんだ
保管所の前に川があった
工事中で飛び込めそうだった
現実的に考えると人通りの多い町中で女性が倒れてAED受けることになったら、そりゃみんな撮影するでしょ
Twitterとかに流れてまとめサイトにも流れて海外サーバーのサイトなら削除依頼も通らないしずっと流れ続ける
同志社女子大のダンスサークルの子が踊りの中で服がずれて乳首出しちゃって、それでもキャー踊るのやめますなんて判断を取れず踊りながら服を治す→また乳首出ちゃう、ってやってたのも祭になって動画も写真もずっと出回り続けてる
その子はきっと自殺とかせず普通に生きてるだろうけど、とても嫌な気持ちだろう
嫌な気持ちを抱えて生きていくぐらいなら、別に何年も苦しんだ末に死ぬわけではないのだからAED使われずちょっとだけ苦しんでそのまま死にたくもなるだろう
晒し者になってでも生きたい、大切な家族も仕事も趣味もあるんだ!っていう女もいるはずではあるが
最近ちょっと話題になってたのは、死後に体を辱められるぐらいならドロドロの腐敗死体になった方が女にとって救いではないかという話
若い女の乳や性器をいじくりたおして動画も撮っていた葬儀会社の男がバレて捕まったけど、死体相手だから大した罪にはならなかった
医療従事者たちは、医者や看護師などが若い女の死体をそうやっていじくるのはよくあることだし若くなくてもそれはそれでネタにされると証言
昔に、独身女性が風呂場で死んで自動沸き増しで温められ続けて発見時には死体がスープ状態になっていた、という漫画がバズった
その漫画が再度引っ張り出されて、スープになるのは悪い死に方どころか、女にとっていい死に方なんじゃ、と盛り上がっていた
アニメや映画も、最近はすぐに政治の分断に使われて、普通の論評ができないのが馬鹿馬鹿しい。
俺自身はリベラルで、かつ、この映画を評価しない。けど、それは別に政治的な主張が良い悪いという理由じゃない。
単に、あまりにも記号的な書き方が芸術として評価できないだけだ。
流石にもう「ネタバレ」とは言われないだろうけど、終盤主人公が空爆で腕を失くす。
それがあまりにも痛くなさそうで、しかもあんな状況なのに処置が綺麗で、虫も沸かない血も滲まない。
エンディングに腐乱死体が出てくるけど、いしいひさいちあたりが描くギャグ漫画のゾンビ描写みたい。
すべての表現が徹底的に記号化されて、戦争の空気感が「無痛化」「無臭化」されている。
これで「日常のリアルを描いた」って、もうそれだけで表現としては噴飯ものでしかない。
右も左も関係ない。芸術的な濃度を求める感性があれば、こんな病人食のようなものが評価できるわけがない。
そういうリアリティのなさが単純にすべて馬鹿馬鹿しくて、政治的に良い悪いの問題じゃない。
強いて言えば、そういう政治的な問題意識が、「はだしのゲン」レベルでも耐えられない精神的なお子様向けのものであることが問題っていうあたり。
こんな幼稚園児向けの絵本レベルに誤摩化さないと、日本の大人って、戦争の痛みが受け止められないの? って。
ファンタジー世界で死体が動いてたら魔法とか呪いとかだけど、現代設定で不思議系の設定が一切でない世界観のゾンビってどうやって動いてるん?
ゾンビウイルスに感染して、凶暴化して人を襲い始めて、生きてる人間は食ったり逃げたりしていなくなる。
光合成でもしてるん?
歴史に残るような名作では全然ないんだけど、面白かったのでメモ
・冒頭 大晦日、空港(後でわかるがシンガポール)ジェット旅客機のベテランパイロット(ジェラルドバトラー)
遠く離れた(あとでわかるがハワイ)大学生の娘と電話している「新年にちゃんと来てね」
→ ①仕事優先お父さんモノ(いつも約束を破って嫌われているけど家族と最後に仲直りする)モノっぽい雰囲気を提示
→ ②明確なゴールの提示 『ラブ・アクチュアリー』とかみたいに、オチ・クライマックスはそこなんだと思いながら観客は見ることができる
・設定の提示
一人、刑事にマンツーマンで護送されている殺人犯がいるよ! 何か起こりそうだね!
・本作のいいところ
(A)困難から脱出するのを邪魔する足を引っ張るための愚かなキャラクターが(ほとんど)いない
☆14人の中には、CAに傲慢な態度の偉そうなビジネスマン(CEO?金持ってそう)
殺人犯ときいてセルフィーにこっそり映り込ませようとする女子二人組(刑事に怒られてやめる)
「席を立たないで!」と言われてるのにCAに食って掛かるとか、「残り少ない食料を分け合わなくては」と言われて「おまえがリーダー面してんじゃねーよ」と和を乱したりする描写がほとんどないのね 気づかれないように逃げ出さなきゃならないシークエンスで不注意で物音立ててバレちゃうとかもない。
☆飛行機が遭難・行方不明になって対策チームが組まれるんだけど
航空会社の社長が「状況はもうちょっとなんかわかるまで発表は待とう(叩かれたくないし)」って思うじゃん?
危機対策チームのリーダーが「いや、記者会見は早い方が良い。質問も何でも受け付けろ」って。
で社長も「わかった」っていって実行するのよ。(そこで娘が父の危機を知る)
危機対策チームが招集されてからこのさきの主な場面は遭難者たちと会社の2場面交代になっていきます。
☆ほぼ唯一の例外が、杓子定規なコース設定を機長に強要するシンガポールの上司。
「嵐が来てるんで状況によってはコースを変えてもいい?」という機長に「ダメ。燃料が余分にかかるっしょ」という。
機長と副機長の会話。機長のバックグラウンドが開示。
乱気流に巻き込まれて飛行機の中はどったんばったん。不時着水しても泳げないんで手錠外してくれと頼む殺人犯。当然拒否される。
刑事は頭部打撲、首を骨折して死んでしまう(これも愚行での死ではない)
手錠の鍵の行方をめぐるサスペンス。動かなくなった刑事が身に着けていた手錠の鍵を殺人犯は狙うが、無事CAが確保。
爆発しそうなので燃料を捨てる! 右翼の燃料は捨てられたが左翼の燃料は捨てられなかった!危ない!
着陸後大爆発するのかな?しなかった(伏線だった)
不時着陸(not着水)
なんとか連絡をとらなくては…上からみたらなんか建物あったからそこへ行こう!
「手錠を外すからお前と私で行こう」と機長。刑事からやむなく譲り受けた拳銃もあるし
戦闘力なさそうなCA、女子客、新婚カップル、CEOと一緒に殺人犯をおいておくよりはマシだよね…
密林を徒歩移動、会話で殺人犯のバックグランウンド開示。根っからの悪人ではないことが観客にもわかる。
途中でいなくなる(ばっくれる)殺人犯。まあ、そうなるな、とひとりで拳銃片手に建物探索する機長。
なんとか会社への電話をつなげる機長。しかし会社の電話交換は「は?いたずら電話やめてもらえます?」とけんもほろろ。
やむを得ず娘に電話。会社へ伝言頼む…とそのとき、現地の悪者が!
殴り合い、件の拳銃の奪い合いなど。絶体絶命のピンチ…とおもったら殺人犯が悪者をやっつけてくれた! ありがとう!
建物探索を続ける二人。血痕のある壁・床。なぜか放置してあるビデオカメラ。再生できる(できる)。すると、誘拐された白人が身代金を払ってくれないと私は殺されちゃいます、と泣きながら訴える映像が。
残してきた乗客が危ない!
悪者集団分遣隊(全員死亡)が乗ってきたピックアップトラックにのって不時着現場に戻る二人。移動手段が手に入れて展開が早くなるの、RPGみたいだね!
悪者集団本隊が乗客に接触。新婚カップル(男)が反抗して射殺。泣き叫んだ女も射殺。(閃光のハサウェイで見た!)
一方そのころ危機対策チーム。通信の結果どの島かようやく特定できた。フィリピン政府に助けてくれと頼めばいい、と航空会社社長。あそこは反政府勢力が牛耳ってるからデカいチームじゃないと…それには24時間かかるヨとフィリピン政府の返事。やっぱりな、と対策チームリーダー。こんなこともあろうかと民間傭兵みたいなチームを用意していたのだ。
身代金目当ての悪者集団は殺さず乗客を全員ベースに運搬。パスポートのほか、乗客から取り上げるべきもろもろの品を挙げるときに貴金属に加えてiPADも名指ししてたのがちょっと面白かった。
射殺の銃撃音を聞いた機長ら。物資を奪えと命じられて居残っていた二人を襲撃。一人は死亡。生き残った方をシバキあげ、行先を聞き出す。機長が飛行機にメッセージを残している間に生き残りに命じて死体を森の奥に運ばせてるなと思ったら、銃声がして、森の奥から出てきたのは殺人犯ニキ一人。「こいつやっぱヤベーやつじゃん…」(他作品でもときどきある、この手の見せない描写好き。
人質をぶん殴ってビデオ回して身代金要求準備する悪者たち。乗客は韓国人、スウェーデン人などだった。
スターウォーズの帝国軍(ファーストオーダー)ほどではないものの、ちょっとだけ緩い警備体制の反政府勢力を機長と殺人犯の二人でメタルギアして、牢屋に。
どうする? そこで傭兵隊味方出現。飛行機に残した機長のメッセージが役に立ったのだ。
人質を運んできたバスに乗り込ませることに成功するが、逃げ道に反政府勢力がたくさん。
どうする?
(中略)
・本作の不満なところ
生き残りが少なすぎるとハッピーエンド感が薄れるからだと思うけど、同じ凶悪犯護送モノである『オオカミ狩り』と比べると物足りない(こっちは凶悪犯も複数、護送する警察官も多数だし、全然違う話だから)
・本作の感心鑑賞ポイント
・反政府勢力の凶悪さ。同情の余地なし。これは『クーデター(2015)』の東南アジア某国国民の暴徒がゾンビパニックのゾンビと見まごうばかりの扱いされているのにも通じるので、手放しで褒めるわけでもない。まあ、エヴァの使徒とかネウロイみたいな設定にもできないから。
・主人公をジェラルドバトラー(機長)とマイク・コルター(殺人犯)に分けたところ
必然的に主人公側が殺しに手を染めることになる。機長も直接相手を殺しているところがあるんですが、あとで頭を抱えたり、苦悩している。
安心して主人公に観客を感情移入させることに成功している。(間接的にやっつけるところもいいんだよな!)
今twitterでは、フェミニストたちによる殺人・暴力行為の肯定・支持が堂々と広まっており、それに対して多くのfavが集まっているという現状がある。
7月に起きたススキノの首切り事件のことは皆さんよく覚えていると思う。初報の段階で首無しの死体が発見され、加害者一家が逮捕されたあとは犯人が首を自宅に持ち帰り、それを弄ぶ映像を撮っており、それに両親が協力していたという狂った事件だ。
逮捕されてすぐ正気が疑われ、現在は一家全員鑑定留置という日本の刑事事件史上例のない事態になっているのだが、この事件について加害者を擁護・支持するフェミニストが多くみられている。
週刊誌報道で加害者の親族が、被害者は女装した男性であり加害者と性的関係を持っていたという旨の記述をしたことから始まったのだが、これにより加害者はトランスジェンダーの被害者にレイプされ、その防衛や復讐として殺人をおこなったのだというストーリーが作られ、広まっていった。
加害者を擁護・支持、果ては殺人行為まで肯定するツイートは本当に数多くあり、探せば山のように出てくるが、例えばこれ。
https://twitter.com/WCZ4C0i8Y4UcWvu/status/1684493684577046528
殺人に快哉を叫ぶツイートに1.5万favがついている。favしているアカウントの属性も見てみるといい。フェミニズム、ミサンドリー、反トランス、反出生etc...というアカウントがたくさん並んでいる。
また現在は消えているが、犯人の減刑署名(裁判すらまだ始まっていないのだが)も行われ、3日で1000以上の署名があったようだ。
https://woman.excite.co.jp/article/lifestyle/rid_Jisin_2230024/
実名で活動するフェミニストでも、千田有紀が殺人行為を正面から肯定こそしていないものの「やりきれない事件」「これは私たち社会の問題、私たちが受け止めるべき問題」と言い同情的な姿勢を示している。
https://news.yahoo.co.jp/profile/commentator/sendayuki/comments/16903207949305.e714.00041
逮捕から日が経ち、殺人の瞬間やその後持ち帰った頭部の皮膚をもぎ取る光景を撮影していたなどの犯人の異常で猟奇的な行動が明らかになってからも、殺害を支持する声は後を絶たない。
数日前でさえもこのようなツイートがあり3000fav以上を集めている。
https://twitter.com/LDK2B_T/status/1728382563389944090
やっぱりすすきの首切り事件は正しい。男に侮辱凌溽されて中途半端にやり返したらライト級チンコチャンピオンみたいな輩に更なる暴行を受ける。
警察は被害届無視するし検察は不起訴にするし裁判官は量刑減らすし、自分の尊厳守るためには最初からヤると決めて復讐遂げることは常に考えておくべきだな
状況からして正当・過剰防衛はあり得ず、また復讐だというのも加害者の親族の証言しか情報が無く不確かである上に、首を切断し家に持ち帰り撮影するなどの異常な行動が復讐心からくるものなのかは普通疑問に思うだろう。
だがそんなことはどうでもよく、全力で猟奇殺人を擁護・支持している人々がこれだけいるのが事実なのだ。
また殺人ではないが、8月には尼崎市にて酔った男が間違えてインターフォンを押したところ、住人の女性が自らドアを開け、男の顔面を切りつける事件が起きた。さらに女性は近隣住人の通報で駆け付けた警察官を殴打しており、異常な攻撃性が見て取れる。
https://www.kobe-np.co.jp/news/backnumber2/202308/0016752339.shtml
この事件に対し、フェミニストからは「女性を逮捕するのはおかしい」「正当防衛である」という意見が噴出した。
https://twitter.com/gaitifuji/status/1696134627818361037
これも調べれば多数出てくるのだが、この代表的なツイートは1万fav以上を集めている。
こうしたアカウントの中には、自分は鉈を常備しており、必要だと思えば先制攻撃も辞さないと宣言するアカウントも見られた。これは立派な治安マターではないだろうか。
https://twitter.com/females_db_park/status/1696564296866582581
また男児に対する加害が称賛されるのも界隈の特徴で、男児を殴打してやったというような話を武勇伝的に書くアカウントなども見受けられる。
自分はtwitterで様々な界隈をウォッチしているが、例えば暴言や(騙りと疑われるものを含む)殺害予告などは様々な界隈で共通してみられるものの、
実際に起きた殺人・暴力事件を正面から肯定する発言があふれ、それに多数のfavがついている界隈はなかなか見たことがない。
それこそ日本保守党を支持しているような界隈でさえも、「○○人を殺す」「○○人はもっと殺すべきだった」みたいなツイートにfavが集まっているのは見たことがない。
「男女平等パンチw」とかネタにしている連中とは比べ物にならない、ドス黒いものを感じる。
異常な人々が集まるツイッターでも、この界隈の攻撃・暴力賛美は群を抜いているように思う。
追記:
これらのアカウントはフェミニストなのか、みたいなことを言っているブクマコメがあったが、
少なくともgaitifujiやfemales_db_parkはトランス排除系のフェミニストととしては有名なアカウント。
ツイートを少しでも調べればフェミニズムに関して肯定的なツイートをしているのはすぐに分かる。
bioや自称してなければフェミニストではない、みたいなバカな切断処理をする前に少しは調べたらどうだ?
自称が確認できないなら「フェミニスト」ではない、みたいなことをもし本気で言ってるのだとしたら、まあネットには「右翼」も「表現の自由戦士」も「ネオリベ」もほとんどいなくなるだろうね。
あの世界って、高度なコミュニケーション能力と、共感能力や恋愛感情への機微を持ち合わせてないと人間として認められない世界だと思う。
アウラの発言が魔族の証明みたいになるのがわからなかった。村長を殺して娘の代わりがいるよって渡す魔族がやばい奴なのは当たり前だが理解るよ。
でもアウラの発言は、ちょっと前に闘ったときはフリーレンは死体戦士たちをボロボロにして倒してたわけで、ヒンメルに怒られたからって理由ならヒンメルがいない今も守る必要なくない?って思うのそんなにおかしいのかな。
死体に関しての宗教観は色々なので、エルフのフリーレンからすると死んだらその体は無意味だと思ってたからボロボロに倒してたんだろうし、死体を損壊してほしくないっていうヒンメルの気持ちにフリーレンが寄り添ったとして、その事情をアウラは知らなくて当たり前じゃない?
しかも、フリーレンが勝つとはアウラは思ってないわけで、そんな宗教観に寄り添って負けてたら意味がないわけじゃん。
自分がASDの診断下りてる発達障害者だからわからないのだろうか。
フリーレン世界の人間とは、発達障害者も境界性知能の人間もいなくて、発達障害や境界性知能の人間はエルフか魔族に振り分けられるのかな。
英語圏での吹き替えではアウラの発言に侮辱の意味が強まっていたと賛否両論になってたの読んだけど、そりゃあ差別に敏感な欧米なら、自閉症や境界性知能の人間は人間じゃない魔族だみたいになりかねない文脈避けるだろうな。
4日間の休戦が約束され、イスラエルは収監していたパレスチナ人を解放し、ハマスは人質を解放した。
彼らは、外野から見ていると、秩序なき殺し合いをしているように見える。
でも実際には彼らは彼らのルールがあって、その中で駆け引きがあって、その結果として取引がされる。
話し合いの前にまずは殺し合いがある。
人の命が軽い。
死体になった兵士と生きているパレスチナ人を交換することさえもするイスラエルは自国民を大事にしているようだが、何かが違う。
命の扱い方が違うのだ。
極端に言うと、人の命というものをツールの一つのような捉え方をしている部分がある。
そこに命があるならば、有効に使わなければならない。
この感覚はギリギリのところで国家を存立させているがゆえなのだろうか。
スタンド・バイ・ミーやイージーライダーが青春映画だと言われて今は納得出来る。中学高校の頃にそう言われてもピンとはこなかったと思う。へえ。青春とは死体を探して線路の上を歩くことなんですか。しょーもな。って。
例えば土曜の部活をサボって多摩川をチャリで下った思い出がある。
車のディーラーやファミレスがセーブポイントのように点在するばかりの幹線道路。歩いていてここは自分の居場所じゃないと思ってしまうような他所の住宅街。近くをウロウロしていても楽しくはない。Googleマップで面白そうな場所を探しても、近しい範囲に目ぼしいスポットはない。晩飯の時間もあるしそう遠くは行けない。
フラフラとチャリを漕いでいたらデカい川に辿り着く。見飽きた退屈な通りに比べたらなんだか妙に魅力的に見える。今日は半ドンで時間もあるし海でも目指してやろうって思う。
最初は楽しいけれど、すぐに川の流れも見飽きてくる。陸側の景色も「無」のような国道を挟みつつ、マンションか物流の倉庫か謎の事務所かの繰り返し。全部やたらと横にデカい。大きめの駅があるらしい、高い建物の密集する地帯が時々近付いては遠ざかっていく。
途中休んで水切りでもしてやろうかと思うけど、良さげなスポットは釣り人や浮浪者や遊び回るガキがいて近寄り難い。陰気な高校生が一人で水遊びするのもなんだか気恥ずかしい。
段々海を見ようと息巻いた気持ちも静まってくる。楽しさもなくなってただチャリを漕いでいると、段々漠然とした焦燥感のようなものが湧き上がってくる。「こんな事してる場合か?」って気持ちになる。先駆的覚悟だとか自己実現だとか、そんなような根源的な焦りや不安。大人になったら人から借りたそういう陳腐な言葉で片付けてしまうようなもの。常日頃感じつつ蓋をして押さえつけていたものが暴れだす。
焦燥感に駆られてペダルを漕ぐまま、結局晩飯の時間を考えて世田谷辺りで折り返した。海というゴールを迎えてればまた少し違う思い出になってたかもしれない。
後日友達にチャリで多摩川を20km下ったんだよと言って、バカでえと笑われた。その時はその程度の出来事だった。
後になってスタンド・バイ・ミーという映画を観て、それが青春作品に分類される事を知った。死体も拳銃も劇的な出来事も無かったけれど、華やかなものではなかったけれど、あれは紛れもない青春だったのではないかと思った。
川沿いを走るでもなく死体を探すんでなくても、別な形で同じ様な青春を過ごした人は沢山いるのかもしれない。抽象的な焦りではなく、進路考えないとだとかもっと具体的だったり切迫した悩みだったかもしれない。あの時の思い出はおれだけの宝物だと思っているけれど、誰でも似たようなことを経験するからこそ青春という言葉があって、スタンド・バイ・ミーも青春作品として支持されているのかもしれない。
先週大学をサボって多摩川をほっつき歩いてみた。あの頃感じた焦燥感が薄かった。
今は門限もなければ外食代くらい訳ないし、電車に乗れば海へ行くのも造作ない。自己実現が僅かにでも進んでいるから焦りが減ったのかもしれない。諦めたか、妥協を受け入れてしまったか、忘れ去ってどうでもよくなってしまったのかもしれない。
ナイーブな悩みにあまりしがみつきすぎない方が良いと思える程度のバランス感覚は手にしたような気がするし、それをすっかり捨てたら人間として終わってしまうような気もしている。
茜色の夕日を見て、短い夏が終わったのに子供の頃の寂しさがないことを少し思い出した志村正彦も似たような気持ちだったんだろうか。
青春と銘打って鮮やかに彩色してしまいがちだけれど、当時抱いた決して明くはないあの気持ちは忘れずにとっておきたい。それを忘れてしまったら、あの頃忌み嫌っていた、お前は子供エアプなのかよと思うような大人になってしまいそうな気がする。
明るい結末に終わらないアメリカンニューシネマも後味が悪い所はあるけど、その居心地の悪さは当時体験した青春への誠実さだと思うのでおれは好き。