はてなキーワード: モラルとは
勢いで書いてます。
某文庫の新人賞の件で、X上で作家の方の意見が訴えた新人側が悪いというものが大半で嫌気が差しました。
その上パワハラ被害に遭われて結果的に亡くなられた作家の方の件には全く触れないので卑怯だと思いました。(この件は知られてない方も多いのでなんとも言えないのですが)
ここでタイトルになるが、
書籍の評価の基準が売上であり、その売上=購買に至る経緯が読者個人の評価であり、たとえ他の作品のパクリだったり編集にパワハラされながら作られた本だったとしても、「作家と作品は別」と言って作品を購入するともれなく作品をパクった作者やパワハラ編集が評価されることに繋がるのではないだろうか。
そうしてループし続けて自浄作用は期待できないのではないかと思った。
売上が評価の基準なのは商売だから分かりる。が、だからといってモラルに反したりパワハラしてもお咎めありませんということは違うと思う。
ここで言いたいのは、完全に「作家と作品は別」にできないだろうかということ。つまり、作品そのものの評価は作品だけ、作者や編集などの個人の振る舞いについては別途評価される機構や仕組みが作られれば自ずと変わっていくのではないかと思った。
ここまで偉そうなこと書いといて出版業界は詳しくないし考えも甘いのでどなたか意見を下さい。
お目汚し失礼しました。
雑談、授業、論戦、どのような形であれ言語によるコミュニケーションは「共同作業」の性格を持つ。言葉によって影響を与え合うこと=変化に対して開かれていなくてはならない。
しかしそうであるからこそ「ルール違反」が戦略的有効性を持つ。つまり話し合う気があると見せかけて実は耳栓をしているというような。
どうせまっとうにやり合ったら分が悪いから最初からルール違反しかするつもりがないという不良プレイヤーというのは居るものであり、そうしたものに対しては有効なアプローチとか戦術というのはない。レッドカードで退場させるしかない。
そして不良プレイヤーが除去されずにモラル崩壊してしまった「場」において「お前たちはまっとうなプレーができないんだな」「そんなことではゲームの面白みも何も一生わかるまいよ」としみじみ嘆いたところで後の祭である。
ある自衛隊員が訓練施設に向かう途中、車内からマスコミに向け中指を立てて挑発行為をしていた事がスクープされた
この自衛隊員が向かっていた訓練施設は以前に銃乱射事件が発生し、3人もの死傷者を出して訓練が中断されていた場所であり
そんな場所での訓練がようやく再開されるという事で、自衛隊のモラルや動向に注目が集まっていた中での愚行だった
だがしかし陸上自衛隊守山駐屯地は当初この件について「指さし確認をしていたのがそのように見えてしまったのではないか」などとクソアホな言い訳をほざき
それを受けてネットでは馬鹿なネトウヨが「自衛隊様は中指なんて立ててない!マスゴミのデマ!」と大暴れ
マスコミへのアクロバティック批判と自衛隊へのアクロバティック擁護が吹き荒れた
しかし後に木原防衛相が自衛隊に確認した所、やはり中指を立てて挑発行為をしていたのは事実である事が分かり
「指摘は事実だと確認した。大変遺憾だ」「ようやく射撃再開に至った日に不適切な行為を行った隊員がいたことは大変遺憾に感じている」「今後、確認を進める中で判明した事実に基づき厳正に対処していく」
というコメントを発表した
とにかく粗製乱造で一発当たれば儲けもんみたいな雑な作りのやつ。
ゲームに対しての愛なんて全くないし、ソフトウェアも全く好きそうじゃない連中が作ってる匂いプンプンの奴。
これもうヤクザが資金洗浄のために半分返ってくれば儲けもんみたいにやってんじゃねーかってなるようなゲームがあったわけじゃん。
んでまあ怪しい連中がウジャウジャいて法的にもアウトなこと結構やってるわけ。
ユーザーが解析してみたらどっから盗んできたんだよこのデータっていう事件が結構あってさ。
いやそもそもユーザーが解析してるのがおかしんだけど、相手が反社ならこっちも好き放題やっていいじゃんみたいなヤバイ空気だったんだよ。
特にDMMで新作出たときとかが凄くってモラルのないユーザーが開発者のモラルも終わってるんだからガンガンいくぞって初日に解析かけまくるわけ。
その中でも有名なのが「ジャブジャブ課金させたくなるような」ってアレな。
ソースコード解析したのか親フォルダ漁ったのかとにかくそういう違法アクセスすれすれのことやって悪を暴いてやったぜとキャッキャッしてるユーザーと、それにお似合いのどうしようもない開発者の世界だった。
でも今はそういうのだいぶ落ち着いたじゃん?
ガンホーとサイゲがず~~~っとトップに居座ってるうちになんか大企業としての落ち着きみたいなの身につけちゃって、そっから他の会社も追従して「ウチはデカイ所だからコンプラちゃんとしてますけど?まあゆーてバグったらメンテ班呼び出して徹夜させてるけどユーザーには関係ないよね」みたいな感じになってさ。
今でもちょこちょこ「これデータ抜かれたりしてるんじゃね?」って不安になるようなゲームがストアにあるけど、そういうのってどれも海外製で日本製はおおむね落ち着いてるというか勢いがないというか。
立ちんぼして相場より低い価格でやって、それで食ってた昔の立ちんぼならわかるけど
明らかにあいつらコンカフェとかホストとか「娯楽」に金使ってるよね?
娯楽するために立ちんぼしてる奴って「社会的弱者」じゃなくてただの「違法労働者」じゃないの。
要はさ、その日食うのもやっとで詐欺や泥棒に手を染めていたら「社会的弱者」だと思うのよ。同情の余地はある。
でも、食える場所もある、ただ娯楽のために金が欲しいって「社会的弱者」じゃなくて「ただの犯罪者、モラル無い人間」だと思うのよ。
いや、彼女たちは愛情を与えられてない。ホストやコンカフェは薬物やアルコールみたいなものだ。
という主張もわかる。
でも、愛されずその苦しみをアルコールで発散する会社員、OLとかも含めて「社会的弱者」になってないよね。
鹿が増えてて春になると楽しみにしていた山菜も全滅。田畑も2mくらいの柵をしないとなんぼでもやられる。
猟友会に入ってると有害鳥獣駆除として春から秋も狩猟ができる。目標捕獲頭数があって1頭捕まえると1〜2万円報奨金がでる。
鉄砲担いで山に入るのではなくて箱罠、くくり罠をしかけて餌撒いて見回りしてかかってたら12Vバッテリーに100Vインバーター繋いで
電気ショックで殺処分。写真撮って尻尾切って事務局に提出すると毎月口座にお金が振り込まれる。
定年退職した老人が年間100頭とったら100万円、いい小遣いだ。
その鹿をどうするかというと①食べる②ジビエの食肉加工場に持ち込む③焼却場で処分④穴掘って埋める⑤山にポイ
処分の手間も含めての報奨金だけど⑤が多い。背ロースだけ取る人、角だけカットする人はいるけど中途半端な穴掘って埋めても翌日には
獣に掘り返されてる。山にポイしても翌日にはきれいになくなってる。
他人の山に勝手にポイすると不法投棄だけど自分の山にポイしても違反でない。他人の山に罠しかけさせてもらって許可をもらってその場にポイ
しても違反ではない。モラル的にはアウトだけど自然循環で考えると燃やすよりはましかとも思う。
自治体もこの問題には悩まされていて冷凍庫で一時保管してまとめて焼却場に持ち込むとか食肉加工場に補助をだしたり菌で分解させる減量化施設を作ったりと試行錯誤してる。
けれども猟師にとっては山にポイが一番楽。お金くれるなら持ち込むけど。
ポイした鹿はたぬきやカラスやキツネが食べてるんだろうけど熊も食べてるはず。
そんな山奥の話ではない。車で通れる道のついた集落からそんなに離れていない山でそんなことになってる。
どんぐりが不作とか豊作で数が増えたとかもちろんその通りなんだろうけど猟師の後始末が原因でこれからもクマ被害が増えるのではないかと心配してる。
ちなみに猪は豚熱が流行ってて山には粉末ワクチン撒いたり対策してるけど養豚場はかなり神経質になってるはず。
やってること一緒だよ。
相手のことを考えたらやらない方がいいと分かってるのに、自分の欲望を抑えられないから実行に移したんだよ。
モラル、倫理、相手の感情、そういうのを全部秤に載せた上で「俺が一言申し上げたい」を優先しただけでしょ。
一個人としてのプライドとか、相手の痛みに対しての想像力とか、そういうのが欠如してる人だらけでしょ。
疲れてきたら皆そうなる。
それだけだよ。
皆が皆、同じ延長線上の上で「人を傷つけること」と「自分が得をしたいこと」のバランス感覚を見失いがちなんだ。
まあ単に「他人をいくら傷つけてもどうでもいいと思ってる」って人もいるけどね。
そういう人たちがやっちまってから気にするのは「自分の評判が下がったことで今後の交渉が不利になった」という自分の不利益だけ。
大抵の食い尽くし系は元々そういう人間だよ。
もう人間性は諦めて「お前の交渉力が下がるから安易に他人の領土を侵略するな。見えない国境線が見えるようになれ」で説得した方が早いんだよ。
獣と一緒なの。
いやいやお前らも十分異常な世代だろ。
まず、自分らがされて嫌だったことを下の世代に平気でやるのがスタンダートっていうのがヤバイ。
セクハラ・パワハラをされて嫌な思いしたことに対して、「じゃあ次は俺の番だからやるね。やられっぱなしとか損じゃん」ってなるようなモラルの無さのどこが中立・中庸・中道なんだよ。悪・混沌・利己主義も良い所だろ。
あと団塊の世代ってすぐにゆとり世代・Z世代を個人主義的と言うけど、昭和初期世代と比べるとお前らも十分個人主義だよ。
核家族という概念はあっても大きな親戚づきあいの概念や、国家や地元に貢献するという気持ちがかなり薄まってる。
でもそこからの反動でかなり覚めてるというか「結局さ、個人は個人なんだよ。いざとなったら皆敵同士なんだ」みたいな方向性にかなり振り切れちゃってるところがあるよね。
口では「俺も若い頃色んな人にお世話になったから後輩には……」みたいなカッコイイこと言っておいて、いざ自分がピンチになったらバンバン下の世代を蹴落とし始めたじゃん。
ああいう時に口にする「皆で助け合おうじゃないか」の「皆」の範囲がいざとなったときかな~~り狭くなるのが団塊の特徴。
「自分の友達」「自分の家族」という極めて小さな「最小単位のムラ」までで助け合おうとする。
せいぜい多くて20人ぐらいまでしか「皆」に含めようとしない感じ。
昭和はもうちょい広かったと言うか、たとえばトトロでメイを創作するために村総出で動いたけど、ああいう「いざとなったら視界に入る地域の全員で協力する」みたいなノリが団塊の一つ前だとあるんだよ。
その癖して「ゆとり世代」「Z世代」に対してステレオタイプ論をふりかざすときは「コイツらは個人主義で」と言う。
いやいや自分らを棚上げにしすぎやろって。
こういう「自分が±0だと思っているから、自分より少しズレたら異常だと騒ぎ出すけど、自分たちがそれより以前と比べたらまた異常であるってことに対して無関心」な所が本当に気持ち悪いんだよね団塊の世代の世代論は。
天皇の写真を飾りもしないし、「Q.日本が攻められたらどうしますか?」「A.アメリカに亡命します」って考えが多そうだし、100年前の日本人がみたらビビるぐらい日本という国に対しての関心度が薄い所とかさ、今はもう当たり前になってきてるけど一つ前の世代からしたらマジで異常なんだって。
お前らは別に中立でも中庸でもスタンダードでもなんでもないって事だけはいい加減自覚してくれよ。
お前らの世代の常識が全人類の常識になることなんてないんだって。
自分たちもまた過去から比べて変化した世代であるってことを忘れてるから「俺が子供の頃はスカートめくりぐらい普通だった。職場の偉い人はお茶くみ係の尻触ってた。なんで俺が怒られるのかわからない」とか言っちゃうんだって。
まあ、結局のところ、これが団塊の特徴なのかもな。
「なまじっか人数が多いせいで自分たちの世代こそがスタンダードであると思い込みがち」っていうのが。
この辺掘り下げるブームとか今後出てくるのかな。
オタクって同人で儲けることに厳しいけど、印刷会社が同人誌の印刷で儲けてることは気にならないの?
男性のオタク界隈はかなり緩いけど、女性のオタク界隈は二次創作で利益を得ること・儲けてる人に対する拒否感とか否定が強くて、
色んな暗黙のルールがある。まあとにかく二次創作で金儲けするな!金儲けする奴は悪!ってこと。
・同人誌の販売価格を高くして過剰に儲けを出すべきではない(なるべく価格は安く設定して、印刷代等の原価とトントンにして+がでないようにすべき)とか
・作家支援サイト(ファンボとか)も二次創作絵で集客するような運用すべきでないとか
・Skeb等のコミッション・有償依頼を二次創作で受けるのはモラルがないとか、
これらを破ると、
公式の利益をかすめ取ってる!とか、原作愛がない!とか、イナゴ!と呼ばれて忌避されるし、批判の対象になる
それで冒頭の疑問にもどるんだけど、
即売会の運営とか印刷会社が同人誌でガッツリ儲けてることについてはどう思ってるん?それは別にいいの?
コミケの準備会やら赤ブーやらバリバリに利益出してるし、印刷会社なんて同人印刷のプランなんか作っちゃったりしてノリノリだよ
そこは「あいつら、原作をダシに商売しやがって~‼」みたいな叩きポイントにはならないの?
でも自分らもサービスの恩恵を受けてるし、なくなると一次創作の同人誌も作れなくなって困るし……みたいな感じなの?
「印刷会社は企業だから利益を追求するのは当然」的な反論があると思う。それは分かる
子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である、共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対に負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人の意思や願望でもうけるもの」から、個人、および共同体の持続性に必要不可欠なものと位置付け、税のように広く必ず「共同体で負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由と人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育ての負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率が改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。
【出生率低下の原因】
・現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人の意思でコントロールできるようになった)。
→出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業の労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊、堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフの関係だった。
→しかし現在の日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった
→子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。
・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由は経済や環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供の位置付けが生産材→消費財へ)
・原因は子作りや結婚の経済や環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。
→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから、個人の裁量の対象になり、個人の志向
に依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまったから)
・理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的に存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。
・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分の時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。
・先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性の育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児の負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担の問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要。
・個人が自分にとって最適な行動(コストや負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する
・過去と比べた場合の出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済や環境で諦める対象になった。子作りにおける世代間扶助より自己実現を優先)経済や環境は原因ではなく結果。
・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる
・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己の利益を犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。
・社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている
・教育費が高い問題→子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。
・負担を回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いかに負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理、摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする
・子作りは楽ではなく、元々大変なもの→問題なく少子化が解決できる「魔法の聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。
・移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人の少子化問題は解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成が移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。
・少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。
・出生の機序と誤解
→子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。
・そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供は本能や希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれた子供に愛情が芽生えるのであって、愛情が最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。
・労働ややりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命の大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしまう
・子作りは生物学的原理なのに、個人の価値観の対象としてとらえらてしまっている。→生物は自己の価値観に合致しているから子供を作るわけではなく、あくまで本能。人間は生物額的本能が退化してしまった可能性がある。
・共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人の利益と相反)共同体というプールがあるから、人間が存在できる。一代(今の自分自身)の人間の利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間は少子化によりどんどん存在できなくなる。
・選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス」江戸時代の農村は結婚相手が限られていた
・「出生率向上の目標」は子育て環境の満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力は出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率の数字向上を重要視する(少子化は感情やモラルや倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)
・子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。
・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化のデメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化は時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。
→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境を改善しよう」と雀の涙の給付と無責任な念仏を唱えるだけ
・子作りは自由だから逆に責任が生まれ、責任回避の動機から減ってしまう。
子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単。動物の繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会で性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率が改善しにくい原因は子育て世代の人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現や生活水準を我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要。
・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代間扶助」)の重要性を教え、その価値観を社会と共有する
→親や先祖による世代間扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由や人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。
→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から、社会的に共同体にとって「絶対に必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。
→子作りを義務的に考えれば、必然的に教育競争は弱まる。現在は自由意志だから結婚も子育ても競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。
↓↓
・社会的に解決困難な課題、個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担を社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代も事実上、ルールとして意識されていた。
①ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代の希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚し子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。
(個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からのセオリー、例えば税金は貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)
子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康に問題がある人は除く)
・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーションや環境に左右されてて必要な出生率を確保できない)
(政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物に共通する、共同体が持続するための『世代間扶助の原則(負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)
・個人の「幸福の手段」の一つとして子作りを位置付けるから、幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福の手段という位置付けだから、基本「勝手に自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人の存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ、政府も会社も社会も負担を受け入れて協力的になるはず。
②有利不利で動機付ける
・実質的な「子なし税」の導入
人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得の10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担の原則からいっても、共同体の構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある
・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定)
一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。
財源節約には、最初の動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。
良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先の労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。
・誰でも使える認可保育園や学童保育の24時間営業(バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)
繰り返すが、人権や個人の自由などを一部、我慢して、仮に自身の環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人も少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。
【死者の尊厳】生活困窮者の火葬に税金ってアリ?初の100億円に?親族が引き取りを拒否?孤立・多死社会の行方|アベプラ
https://www.youtube.com/watch?v=zHE8hbDw5D4
そんな人生送ってきた奴が悪いとかさ
なんかこいつら遠慮なく意見言えちゃうおれかっけーとか思ってんのか知らんがモラル無さすぎんだろ
俺もだいぶモラル無い方だけどこんなやばい意見顔出しで言えねーわ
普通に人としてクソ以下過ぎるしよ、出演料貰っても言えねーって流石に
5chで言うような事リアルで言うのは痛々しいから中学で卒業しとけって誰か教えてやれよこいつらに