はてなキーワード: キャッチャーとは
一定金額を投入しないと絶対に取れない仕組みになっているのが一般的だったんですね。
"プライズゲームは、「景品を獲得するゲーム」ではなく「操作をする事を楽しむゲーム」です。
飽くまでも、棒やクレーン等を動かす事に対してお金を払っているのです、
建前上は。景品は「ゲームプレイへのお礼」とか「オマケ」でしかないのです。
景品獲得に高額の金が必要だろうが、何億円つぎ込もうが取れない代物だろうが、
金を払っているのは「クレーン等を動かす」事に対してであり、それが果たされている以上、
むしろ「絶対に取れないプライズゲームこそが最も適法」という事になります。
現状は触法行為を見逃してもらってるだけです。"
ちょっと前のハナシになるけど、都内の小劇団の公演を見に行ってきた。
というか、なんかこの2ヶ月、小劇団を観に行くことが多くて。
(いや、そんなマニアみたいに毎日、毎晩ってわけじゃないけど)
キッカケは、
https://anond.hatelabo.jp/20170925212923
この劇団で。
でもって、出演していたキャストが新宿ゴールデン街でバイトしているという情報を聞きつけて、その店を仕事の接待の2次会で使ったのよ。
いろいろと話も聞きたかったし。
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そしたら、その女優さん。
舞台の上の颯爽とした男装イケメンぶりとはまったく違うホニャホニャ~っとした実に気立ての良さそうなお嬢さんで。
思わず「よ~しオジサン太っ腹なところ見せちゃうぞ~!」と彼女の新しい公演のチケットを購入したのが一ヶ月以上前。
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演目は『人形を殺す』(劇団 竹/竹林 林重郎 作)
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例によって記憶を記録に変えるため、ここに自分の感じた印象を残しておくことにする。
随所にその後の聞き取りで得たデータもはさんでいくんで、そこはご参考までに。
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■全体として
いろいろと語りたいことはあるけれど。
まずは。
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まさかこのオッサンが芝居で爆泣きさせられるとは思わなかった。
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もう、その、なんだ。このイヤな感じに古びてネジれまくった心のどこに、こんな涙が残ってたのか、ってくらい。
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全体のアウトラインとしては。
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とある一家の主人、フトシの葬儀に彼の隠し子のミツルが訪ねてくるところからストーリーは始まる。
子供世代にあたる長男、長女、後妻の連れ子、隠し子の4人を物語の中心として、彼らの記憶にある父、父の愛人、母、後妻の姿が交錯する。
回想を交えて次第に明らかになっていく機能不全家庭のかたち。
すでにそれぞれの人生を発見、構築して、最後の手仕舞いとして葬儀に集まった子供世代が “その後の物語” を交換しあい、そして何を選択するか。
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という感じ。
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安直なプロモーター/宣伝担当者だったら “失われた家族の再生の物語” とか言うところだろうけど。
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これは “再生” じゃない、“自己修復” だ。
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どこからか聖なる光が降り注いで、そして全てが安直に元通りになるんじゃなくて。
命がけで力をあわせ、新しい家族システムとして自己修復していく物語だ。
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機能不全家庭のサバイバーたち、それぞれが心で悲鳴を上げながら過去を振り返り、つながりを模索して、あたらしい動態平衡を獲得する、そんな自己修復過程の身を切るような苦しみを描写し尽くした作品になっている。
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ただ、上に書いたような文芸路線の重たい家族ドラマってだけじゃない。
そこに、キリスト教、ヒンドゥー教、アミニズム、シャーマニズムの神々が乱入し、信仰とヒトの関係性が語られ、西武ライオンズの奇跡の優勝が回想され、ときにタブラ+4つ打ちテクノに合わせて踊る白装束の群舞とビデオプロジェクションのインサートシーンが交錯し、どこかサイケデリックな、なんというか……
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うん! そうだ! “現代の寓話” だ!
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(どうしても想像が及ばない人は、ここで、
“もしも、もしも故・今敏監督が、重た~い家族の自己修復のドラマを
というのを想像してみてください。
当たらずといえども遠からずのはず)
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うん、これ以上語ってもしょうがない。全体としてはこんな感じ。
「傷ついた人は、傷ついた家族は、成熟とともに修復される……されるのか?」
というのがテーマ。
そして俺、爆泣き。
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そして、本公演の劇団である “劇団 竹” の主催者にして劇作家、竹林林重郎氏の作劇術、というかタッチというか、そういうのも、なんとなく見えてきた。
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モノローグでもポリローグでもなく。
(回想シーンのフトシ、サダコその他は隣に聞き手がいるものとしてダイアローグにカウントする)
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ーーここで父フトシの隠された2重生活と、実の子以上に愛され、
育まれてきたミツルの姿が明かされる
↓
ーーいまではヤンママのシンママとなったツグミの愛に飢えた幼少期への思いが爆発
↓
ーー今となっては過去に見切りをつけ、自身の “家族” を獲得したヒデフミに対して、
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という大枠の流れに、回想シーンとして
・父フトシと母ノリコの外食
(後に愛人となるヤスコを含めると3人以上が登場するのはここだけ、だったかな?)
・フトシとヤスコの逢瀬
・夢の中でシュウタに、出奔という自分のギリギリの選択を明かす母ノリコ
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といずれも1 on 1。
対話の一方が次の対話に持ち越されるバトンリレー形式で話がすすむ。
(例外はサダコが壁のロザリオを叩きつけるシーンと、ノリコの出奔シーンくらいか)
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というわけでダイアローグ主体の作劇なので。
最後に全兄弟が登場する対話のシーンを見たかった気もするが、そこはビデオで後日談が語られることで代替されている。
というか、前半のツグミ役のキャストのあの演技を見たら、後半まで登場したら、おそらく彼女のメンタルがもたないだろう。
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ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」
俺「おおっ! あなたはツグミを演じたラムネさん! アレくらい、余裕っすか?」
ラムネさん「んふふ~」
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と、明確な答えは得られず。
ただ、別に彼女のコンディションに配慮したわけではなく、たんに作劇上、そうなっただけらしい。
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余談。
確かなことは。
無軌道な妊娠と出産、自分を一番に思っていた継母を鬱病と自殺に追い込んでしまった(と考えている)彼女が過去を悔いて流す涙。
ツグミの慟哭はそれだけの迫真・魂の演技だった。
余談終わり。
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もう1つ。
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気にしなければ流すこともできる。
気にして、拾い上げるつもりがあればハッキリと分かる。
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(いや、これは俺の思い上がりで、拾い上げてないレベルのメタファーがドッサリあるのかもしれないけど)
たとえば。
ミツルとツグミが同時に正座をといて、「ここから深い話をしよう」という意図を見せたり、とか。
ヒデフミが現在ではロザリオの製造業に努めていて、毎日キリストを十字架にかけている、つまり、 “完全な棄教者” であることを暗示したり、とか。
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いろいろなレベルで多層的にメッセージが投げかけられてくるのが気持ちいい。
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そして、ストーリーに大きな比重を占めているビデオプロジェクションについて。
冒頭、中間、エンディングと(自分が覚えている限りでは)3回、舞台の白壁をスクリーン代わりに、撮影・編集済みのビデオ映像が使われる。
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1回目はオープニングタイトルなので、深い意味はない。多分。
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2回目は、うーむ、解釈に困る。
シヴァ、ヴィシュヌ、ガネーシャ(ブラフマーも出てきた、かな?)とヒンドゥーの神々がサイケデリックなビデオコラージュで次々と諸々の事象と一緒にカットバックされる、ある種のイメージビデオ。
どことなく、今敏っぽい。
無理して考えれば、愛人ヤスコと隠し子ヒデフミの家にあったという、キャラクター人形を並べたデタラメな祭壇から喚起されたイメージの奔流、というところだろうけど。
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1)キリスト教
家族システムの自己修復の媒介者、というか見守り人としてのキリスト教の存在と、一般人レベルの、一般人なりの神学論争がたびたび登場する。
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愛人ヤスコは沖縄のユタ(シャーマン、巫女)の血を引いている、という設定で、ここでキリスト教的な硬い理論体型ではすくい切れないアミニズム、シャーマニズム、スピリチュアリズムの象徴として彼女の存在がたびたびクローズアップされる。
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3)フトシ人形
元愛人ヤスコいわく、「死んだフトシの魂が乗り移った人形」。
そもそも隠し子ミツルが「この人形を一緒に火葬してほしい」と持ち込んだところから全てのストーリーが始まっているわけで。
その後は、子供たちの亡き父に代わって踏まれるは、叩きつけられるは、この人形、まさに踏んだり蹴ったり。
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余談。
この人形、終演までよくボロボロにならずにもったよなぁ。
と思ったら、Twitterを見たら劇団の忘年会にまで生き残って参加してるし。
まじで何か乗り移ってね?
余談終わり。
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ビデオプロジェクションの3回目は、エンディング(後日談)とスタッフロール。
ここで、子供世代が集合して親睦を深める後日談が挿入され、ストーリーに一応の決着がつく。
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と、合計3回のビデオなんだけど。
うーむ、評価に困る。
なんというか、悪くは無いんだけど。
編集も音楽も上手すぎて、なんか、こう、才に疾りすぎているような印象を受けた。
芝居のシーンが不器用な人間たちの不器用なふるまいの話であれば、なおのこと。
逆にいえば、重苦しくなりがちな主題のハシやすめとしては、効果的だった、とも言えるけど。
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ラムネさん「お客さんのアンケートでは、良かった人と、悪かった人が半々くらいだったみたいですよ~」
俺「うーむ、人によって評価はマチマチか。まあ、そんな感じだろうなぁ」
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■観劇後
で、さてさて。
終演後、もう、あふれる涙をぬぐいながら、挨拶に出ていた竹林氏に突撃インタビューを敢行してみる。
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俺「グスン、あ、あの、最後の後日談のビデオなんですけど。やはり、あれは小さな子供たちを舞台に出せないっていう制約があってのことですか?」
(と、最初の軽いジャブのつもりの質問だったんだけど、誤解したらしく)
竹林さん「あ……あれなんですけど……ハッピーエンドってわけじゃ……ないんですよね。
あの子供たちは全員ツグミの子供かもしれないし……。ヒデフミとシュウタが家庭を持つ踏ん切りがついた……とも言えないわけで……。そこはお客さんの判断にゆだねるっていうか……」
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え? あれ、ハッピーエンドじゃないの?
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∧∧
ヽ(・ω・)/ ズコー
\(.\ ノ
、ハ,,、  ̄
 ̄
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そりゃないよ竹林さん! こっちは希望の光に魂が洗われるような涙を流した直後だっていうのに。
と、ともかく、気を取り直して次の質問をする。
俺「と、ともかく、アレです。そうだ! あれ、あれ! あのキャストの4人が白装束で踊るダンスシーン! あの挿入シーンには、やっぱりなにか意味が?」
竹林さん「あ……あのダンスシーンには……特に意味は……ないんですよね……」
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∧∧
ヽ(・ω・)/ またまたズコー
\(.\ ノ
、ハ,,、  ̄
 ̄
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なんてこったい! 全部インスピレーションというか成り行きまかせかい! なんだよコラ! というか、あんな太っといストーリーを産み出しておいて、なんでそんな慢性自信喪失症みたいな振る舞いしとんねん!?
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ラムネさん「そんなこと、ないですよ~」
俺「おお! ラムネさん! するとあのダンスには深い意味が?」
ラムネさん「1つ1つの振り付けに意味を込めて、竹林さんが決めていったんです~。彼、ダンスができるわけじゃないんで、稽古の一番最初にダンスから始めていって、大変だったんですよ~」
俺「それじゃまた、なんであんなウソを……」
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うーむ。
いろいろと事情はあるようだ。
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■あらためて全体として
というわけで、あらためて全体としては。
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もう、激烈に良かった!
チケット代の倍くらいのモトは取った!
劇団竹、というか竹林林重郎氏は今後も追いかける! 決めた!
という感じ。
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本来なら、ここでキャストの印象から書くんだけど、先に言っておきたい。
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映画で言うところのプロダクションデザイン、美術のレベルが俺的には空前絶後のハイレベル!
舞台というかセットは “そこそこ成功した事業主が建てた一軒家の客間、中央には卓袱台” という固定化された空間なんだけど、まあ、ここの造作が細部まで実にリアル!
フトシと妻の外食シーン、ネパール料理屋ではビールが銅製のタンブラーに入っていたりとか、細かいところまで実にリアリティのカタマリ!
サウンドも隅々までハイファイで、SEのキューイング(演劇用語では “ポン出し”だったっけ?)もタイミング完璧!
後ろを見れば、おお! これまでの観劇で初めて卓(コンソール)の収まったコントロールブースがある!!
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今回の劇場、スペース雑遊の設備なのか?
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ラムネさん「いえ~、あのブースは、わざわざ場所を確保して作ったんですよ~」
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ですよね~。
照明も特段の過剰な演出に走ることなく、的確。
何もしていないかっていうと、そんなことなく、舞台のシーン、ネパール料理屋のシーン、
シュウタが心から祈るシーンと、細かく細かく抑揚をつけている。
ともかく、作品の作家性、キャストもさることながら、舞台全体をバックアップするスタッフの力量が、もう、これまでとまるで違う!!
彼らにはノーベル賞、ピューリッツァー賞、紫綬褒章を金銀パールをそえて贈りたい。
それくらい気持ちよかった。
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劇場の “SPACE雑遊” もじつにいい。ほどよい温度で静かな空調。
ともかく見過ごされがちな観劇のための空間づくりだけど、ここまでストーリー没入を妨げない総合的な配慮は、うん! 控えめに言ってサイコー!
この劇団って、いつもこんなハイレベルな制作陣なのか?
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ラムネさん「いえいえ~、前回までの公演は~」
俺「ふむふむ」
ラムネさん「セクマイ三部作っていって~、小さな民家を舞台にしたり~」
俺「なるほど」
ラムネさん「こんな舞台は初めてなんじゃないかな~」
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うーむ、俺はひょっとしたこの劇団の大新機軸、大飛躍の場所に居合わせたのかもしれない。そうだったら嬉しいな。
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そして、キャストなんだけど、はじめに言っておく。
キャスティング上の軽重はあれど、全員が全員、演技巧者の高能力者ばっかり!
どうなってるんだ!
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ラムネさん「今回のキャストは~、じつはこれまで仕事をしたことがあるヒトばっかりで~」
俺「なるほど、すでに信頼関係のあるキャストばっかりなのね。アナタも含めて。ということは~、二度と呼ばれないヒトもいたりとか?」
ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」
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うむ。ノーコメントなり。
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というわけで。
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■石川雄也(フトシ)
一家のお父さん。酒乱。浮気。全てにおいて、だいたいこの人が悪い。
コピー機の販社を起業して営業のためにキリスト教に入信ってのが痛いくらいにリアル。
回想にしか登場しないのに、ほぼ主役。
劇団竹に所属。
地味に驚いたのが、ワンカップ半分ならワンカップ半分、ビール1缶ならビール1缶と、アルコールが入った分だけ、確実に立ち振舞いを変えてくる。
上手くいかない事業と美女の誘惑、アルコールへの弱さと、たよりない大黒柱の悲哀を全身で表現。
もっといろんな所で見てみたいと思った。
(↑そういう仕事をしていらっしゃるのデス)
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■森川武(シュウタ)
長兄ってツラいよな。
いきなり子供が3人もできた父の辛い立場を理解したのは、このヒトだけ。
そして、彼の祈りのシーンで大事なことが示唆される。
それは、
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神はどこにいるのか。
神は祈る心の裡(うち)にこそ顕現する
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ってこと。
ツグミの嘆きを受け止める。
そして、ヒデフミの “シンカー投げ” という決別の儀式を見守るだけだったところに、ロザリオのカツーン! という落下(これを偶然か神の啓示か、はたまたシンクロニシティか、どうとらえるかは、それこそ観客にゆだねられている)からの、もう、怒涛の、言いがかかりに近い、というか完全に言いがかりの引き止め工作。
ここに俺は、家族システムが血ダルマになりながら自己修復していく音を確かに聴いた、ような気がする。
そして俺、爆泣き。
劇団竹に所属。
こうしてみると、キャスティングも要所々々はプロパーさんで固めているのね。わかる。
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ラムネさん「このヒト、普段は “コボちゃん” って呼ばれているんですよ~」
俺「おお! 言われてみれば確かに似ているwwww」
(このあと、コボコラの話に盛り上がること5分)
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■江花実里(ツグミ)
あれ、おっかしーなー。
つい1ヶ月前に月蝕歌劇団を観たときには颯爽とした美青年・明智小五郎(に化けた怪人二十面相)だったんだけどなー。
いま見ているのはチークの乗りも痛々しい元ヤンのシンママだよ。
しかも、そこに至るまで、彼女の感情は3段階に分けて少しずつ前面に出てくる。
最後に兄シュウタの腕の中で継母のサダコを想って感情を爆発させるとき。
役者ってすっげーな!
でも正直、この時の俺は爆泣きとまでは行かなかった。
でも、それでいいと思う。
この公演が竹林氏が観客の情動に仕掛けるカチ込みだとしたら、彼女は鉄砲玉というか切り込み隊であって。
あるいは、森川ー佐々木ラインという本隊の大規模侵攻の前に敵陣深く潜入する特殊部隊の役割であって。
「さて、この劇団、どんなものか見てやろう」という観客の批評眼をかいくぐってハートの深いところに潜入し、情動の扉をこじ開けて本隊の到着を待つ。
これが彼女のミッション。
いや、実に良かった。
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■辻村尚子(ノリコ)
フトシの最初の妻。
夫の浮気のストレスから子供を虐待することを恐れ、みずから出奔。
舞台が2018年の設定なので、旦那の事業の立ち上げ期が80年代末。
キャラ作りが、なんというか、トレンディドラマの女優そのもの。
彼女が居間のふちに腰かけて靴を履いて家を飛び出すところが2回、描写される。
つまり天丼なんだけど、
なんでだろ、ビデオその他の映像作品だと天丼って、うっとうしいだけなんだけど。
なんか、生身のキャストがやると重く感じるんだよな。
劇団 竹に所属。
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■大森華恵(サダコ)
フトシの後妻。
うつ病で自殺。
なんというか、いろいろと痛ましい。
(継子とはいえ)娘への配慮と、大人の知恵と、世間知と、いろんなものに押しつぶされて最後の選択として自殺、か。
この舞台で、壁に掛けられたロザリオは合計3回、床に落下する。
2回はサダコが床にたたきつける。この時はSEのみの描写。
そして1回はシュウタの祈りに呼応して、本当に落下する。
ここでも天丼(繰り返し)が重たい。
なんというか、堅物で悩み事に弱そうな人物像を的確に体現。
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石川、辻村、森川と3人までは劇団正メンバーなんだけど、彼女だけがゲストにも関わらずダンスに参加。
ダンスシーンについては、べつに拘束期間とか難易度とか、そんなことは関係なく、竹林氏のメッセージにそった人選なのだろう。
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子供が十分な子供時代を生きられず、そのままムリヤリ大人になることを要求されたようなアンバランスな感じ。
わかる。
そして、いまでは自分も義父のようにシンカーが投げられることを義兄シュウタに示すため、最後のキャッチボールを決別の儀式として実行する。
と、ここで舞台で実際にボールを投げるんだけど。
キャッチャーのシュウタは後ろに下がって観客から見えなくなる。
おそらく板に座布団とか、そういうギミックでボールを受けているはず。
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ラムネさん「いえいえ~、あのシーンは本当にキャッチボールをしていますよ~」
俺「おいマジですかい?」
ラムネさん「本当に最初はキャッチボールの練習から始めました~」
俺「でも暴投とかしたら、危険じゃないですか?」
ラムネさん「ですから~、危険な場所には、あらかじめスタッフを座らせたりとか~」
うむ、配慮も危険対策もバッチリのもよう。
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空飛ぶ猫☆魂に所属。
みなさん、それぞれの所属先劇団の看板または主戦級の役者さんなのよね。
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■森川結美子(ヤスコ)
沖縄のユタの血を引く、占いもできるウェイトレス。
なんというか、どの女優さんも年の頃もビジュアルも大差はない感じなのに、演技と役作りで、その、あれだ、いかにも浮気相手になりそうなフェロモ~ンなプリップリのツヤッツヤな感じに寄せてくるのがすごい。
ちなみに、ご本人に取材したところ、使われていた占いはネパール伝統の占星術(ピグラム暦、という独自の暦を使うそうだ)にタロットカードを組み合わせた架空のもの、とのこと。
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鉄道会社というカタい職業につき、シュウタ以下の兄弟とは別の、なんというか、まっすぐな人生を歩んできたことをうかがわせる人物造形。
朴訥。
観劇直後は「なんか印象が薄いなぁ」だったんだけど。
それも当然で。
俺も含めた観客は、彼の人物ではなく、彼を通して見せられるミツルとヤスコの家庭の様子を見せられていたわけで。
キャラクター人形をでたらめに並べた狂った祭壇。
父フトシのハグ。
彼を通してフトシの別の人格と別の家庭を見せられていた。
この役者さんも、おそらく高能力者。ただ本人が嘆いたり動いたりしないだけで。
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んー、こんな感じか。
ともかく、全体としては。
この劇団、劇団 竹、そして主催の竹林林重郎氏は、買いです。
次の公演にも注目して良いです。
自分もそうするし。
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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170812-00000006-nkgendai-base
甲子園初出場を果たすも文武両道を否定して前時代的な指導で物議を醸した下関国際だが、自分はこの高校を見て真っ先に「駆けろ!大空」を思い出した。
20年位前のコロコロコミックで連載されていた野球漫画なのだが、漫画はこちらで読めるので、興味があったら読んでみるといい。
https://www.mangaz.com/book/detail/44691
下関国際が駆けろ!大空に似てると思うところとオススメポイントを書く。
「不良たちが一丸となって甲子園を目指す」と聞くと、まっさきにRookiesが出てくると思うが、Rookiesの連載開始は1998年、駆けろ!大空の連載開始は1996年である。自分はこういう「マイナーだけどジャンルの中では一番最初にやってる」みたいな作品にすごく弱い。もしそういう作品を好むなら、それだけでも読む価値はあるだろう。
調べてみたが、この学校の偏差値は36で非常に低い数字だ。所謂進学校と呼ばれる高校はだいたい偏差値60以上で、偏差値36といえば下から数えたほうが早い。自分の地元の高校と比較してみれば、偏差値36がどれだけ低いかより実感できるだろう。
実際にニュース記事などを漁ると、授業妨害はちょいちょいあるし部室は落書きだらけだしでいろいろ問題のある高校だなというのはなんとなく分かる。
https://www.minkou.jp/hischool/school/review/2311/rd_276472/
http://www.asahi.com/koshien/88/chihou/yamaguchi/news/TKY200607110194.html
翻って「駆けろ!大空」の舞台となる博愛高校だが、授業中に校舎内でバイクを乗り回し尾崎豊よろしく窓ガラスを割って回る不良とか、落書きだらけの部室とかが出てきて、今で言うところの教育困難校っぽい感じが冒頭の随所で描写されていた。
偏差値が低いからって実情はそんなに悪くないっていうのはもちろんあるが、少なくとも自分はこういう学校には行きたくない。
メンバーが一通り揃ったところで他校と練習試合をしようとするも不良だらけの学校だからどこも取り合ってくれない。そんななか、練習試合を買って出た高校と練習試合をすることになったが、こいつらがやばい。
こいつらも不良なのだけれど、デッドボールは当たり前、バントすると見せかけてキャッチャーの顔面にバットを当てるわ、ピッチャーの肩にバットを放り投げるわで、終盤はメンバーのほぼ全員が立ってるのもやっとという惨状になる。
「9回までもったのはこいつらが初めてだぜ…」とか相手高校のモブがぼやいてたけど、そういうスポーツじゃねえからこれ!
この、「相手を先に倒したほうが勝ち」みたいな風潮、今のテニプリなら当たり前だけど、それを20年前に先駆けたこの作品はマジすごいと思う。
終盤、地区予選でライバル校と戦うのだけれど、7回まで0-0だったのにメンバーの一人のエラーで失点してしまう(待ちガイルvs待ちガイルでソニックブームをガードしてしまった感じ)
重要なタイミングで致命的なエラーをやっちゃってすごく落ち込んでるところに、「お前にしては上出来だ、これで俺の逆転ホーマーが際立つ」「何言ってんだ、こいつは俺のために見せ場を用意してくれたんだ!」ってうまくフォローしあってるところがすごく好き。
不良に限らず、基本的に世間の落ちこぼれが何者かになろうと何かをめざすストーリーってなんだかすごく良いって思う。個人的には高校野球自体そんなに好きじゃなくてなんで野球部ってみんな坊主なの?とかなんでかき氷禁止なの?とかなんでスマホ禁止なの?とかいろいろ突っ込みたいところはあるし、こんな練習じゃ絶対死人が出るだろうって思うし、生存バイアスに満ち満ちているけど、やっぱり人間って何かそういうサクセスストーリーのようなものが1つでもあればいいんじゃないかなって思うんだ。
その子、k-popメイクを実践し始めたのだけど、これが驚くほどかわいくなった。
田舎の中学のソフトボール部のキャッチャーみたいな朴訥としたブスだったのに。
若い子にあのメイクを施せば、誰でもある程度見れるビジュアルになれると思う。
論外なレベルのデブ、骨格が壊滅的、ハゲ散らかしてる、とかでなければ。
k-pop?どうせ皆整形だろ!在日め!って脊髄反射で叩かれるだろうけど、
パパラッチがすっぱ抜いたk-popアイドルのガチすっぴん見ると大概ブスだよ。
みんなスタイルは悪くないんだけど、おしなべてブス。
整形も勿論多いだろうけど、やっぱメイクの力は侮れない。
日本の女性芸能人はそもそも顔の造りの良い人がナチュラルメイクしてるだけ。参考にならない。
人種から何からまるで違うハリウッドスターのメイクを真似しろ、
まず、朝鮮系選手の増加。総数では増えたり減ったりだが、近年急増しているポジションがある。ゴールキーパーだ。
J1では18チーム中5チームの正GKが韓国人。プロ野球に例えたら、12球団中4球団の正キャッチャーが韓国人のようなもの。
昔はプロ野球は朝鮮系のメッカだった。最多安打の人も始めとし、記録を持つ選手は朝鮮系が多かった。一昔前の阪神は、スタメンの半分が朝鮮系だった。しかし今は朝鮮系選手はほとんどいなくなり、代わりに朝鮮系Jリーガーが増えた。
昔のプロ野球は毎年のようにスタジアムで暴力事件が起きていたが、2000年代に入って各球団が暴力系ファンや応援団、暴力団の追放を強く図った。応援団を認可制にし、一度でも問題を起こしたらその応援団は解散、構成員は原則永久入場禁止、問題行動につながらないよう、持ち物制限も厳しくした。その結果、スタジアムのボールパーク化にほぼ全球団成功し、土日のスタジアムはどこもほぼ満員。スタジアムにはオッサンだけではない、子供や女性の姿が目立つ。
ではその「暴力系ファンや応援団、暴力団」は何処に行ったのか?
2000年代前半、そのクラブは全盛期と言って良いほどの成績を挙げ、観客動員も増加中だった。しかしまだホームスタジアムには余裕があった。そこで野球のスタジアムから追い出され、行き所を探していた彼らは、その首都圏クラブに目を付けた。彼らは牽引力だけはあるので、ゴール裏の統制をとれるようになるまでは時間がかからなかった。ここまでなら良かったが、そのうち彼らは意にそぐわない既存サポーターや一般客の「追い出し」にかかった。アウェイの試合を「テレビでしか見てないやつはホームスタジアムにも来るな」と言い出すようになったり、試合後に度々暴力事件を起こしたり、スタジアムに物を投げるようになったり、その暴挙は枚挙に暇がなくなってしまった。なおその時の中心人物は度重なる暴力事件で何度も無期限入場禁止(たいてい、1年経たずに解除)処分を食らった後、スタジアムの一線から退き、政治活動をするようになる。
2000年代以前は、Jリーグのサポーターの問題行動は数が限られていた。鹿島の「インファイト」くらいのものであった。しかし、2000年代以降は、日本中にインファイトと同等の問題サポーターグループができてしまった。J3はまだその様子はないが、J1とJ2はどこも似たようなものである。J2でも最近徳島サポーターがやらかしたが、一昨年は北九州が「ぶちくらせ問題」を出してしまったし、去年はジェフ千葉のサポーターが暴動事件を起こしている。つまり毎年事件が起きている。
それと同時に、プロ野球におけるファンや応援団の暴力事件が激減したのとは対照的である。「お弁当とビールを飲みながらゆっくり観戦できる環境」は、今のプロ野球には12か所もあるが、Jリーグにはほとんどない。
これは、昔の違法風俗街だった「ちょんの間」が、2000年代に入ってから相次ぎ摘発され、別の場所に住処を求めている様相とそっくりである。
もはや、今のJリーグは「ちょんの間」とそっくりだと言って良い。「ちょんの間」がある繁華街エリアと同様に、今のJリーグは少人数でふらっと行ける環境ではなくなっている。Jリーグも何らかの本格的な対処が必要だが、何を恐れているのか本格対処に動く気配は見られない。現在のJリーグは、毎年女性比率の減少と、サポーターの平均年齢上昇が続いているが、その傾向は今後も続くだろう。
自分は、村上春樹のファンである。長編は全部読んだ。中編、短編もほとんど読んだ。インタビュー集なんかも読んだ。
騎士団長殺しも発売日に買って読んだ。しかし、読み終わってみると嫌悪感しか残らなかった。そして、それは予感された嫌悪感だった。
一時期に比べ村上春樹の著作を読むことも減り、騎士団長殺しを買ってみたはいいが、正直今の自分の価値観に合わないんじゃないかという予感があった。
そんな不安に反して、読み始めると小説の世界観に没入する事ができた。なにしろ今までの集大成かのように、これでもかと、今までの著作に登場したモチーフが見られ物語の奥行きが感じられ、また文章の流麗さ、比喩表現の豊かさに改めて感心した。
しかし、物語の後半に入り、ファンタジーの世界で様々な問題が解決されてしまう所に、強烈な嫌悪感を感じた。それは今までの著作でもよくあった展開であったが、これまでは物語に没入したまま読み終える事が出来た。しかし、今回に関しては、ファンタジーの世界、あるいは高度なメタファーの世界で問題が解決する事に拒否感があり、もはや物語に没入することができなかった。
村上春樹的な世界観が描く未来はどんなものであるのか。村上春樹的な世界観の結論とはなんなんだろうか。そんな問いに対する具体的なメッセージを得ることができなかった事に落胆した。
一方で、そんな問いを村上春樹に求めること自体間違っているのかも知れないし、自分がメタファーを感じる能力が無くなり、具体的な答えを求め過ぎなのかも知れない。
抽象的に語られ、メタファーの世界で物語が終わることでこそ、読者個人の心の中で様々な物語となることができ、全世界的な共感を生んでいるのかも知れない。
他方で、今回だけでなく、今まで読んできた多数の村上春樹の著作を振り返った時に、これといった結論を得られていないと思った。村上春樹も度々言及する、キャッチャーインザライや、グレートギャツビー、カラマーゾフの兄弟などといった過去の名著は、どれを取っても全体を振り返った時にテーマとそれに対する結論が思い当たる。
しかし、村上春樹の著作では、一体なにが残るというのか。共感を呼びこそすれ、どこかに導くことは出来ないのではないか。そしてその意思も感じられないことは無責任なのではないか。そんな強い憤りを感じざるを得なかった。
これが大変良いのだ。
セフレに恋をしているのだが、恋人認定されず、穴を消費されている女の感情が溢れていて、それをおもいっきり歌い切っているので清々しい。
もうこんな関係辞めよう辞めようと思っているのに、相手のテクニックに翻弄されてがんじがらめになっている生々しい感情が吹き出ているのだ。
それでいて相手や相手の本命の女への攻撃の感情を持っていないのも好感が持てる。
かっこいいよなあ。
聞いていると
「くうちゃんも、こんな辛い思いしてるんだ!」
と思い、仲間意識が芽生え、一人でメンヘラの沼へ墜ちるのを防いでくれる。
「ウチも強く前向きになろぉ」
と明るくなれる。
そんで露出度高めの服をきてメイクバッチリで、運命の恋しよお!とアゲアゲな気分になれるのだ。
くうちゃんはビッチがメンヘラビッチの闇に転げ墜ちそうになったら、捕まえてくれるんだ。
「ラブホテルで捕まえて」
マジリスペクトですよ。
「非公式ネタとかって、公式が改めてやると白けやすいんだよな」
「まあ、そういう公式ネタって謂わば『弄び』だから、当事者に介入されると気まずいんだろう」
「公式ありきの弄びなのだから、場合によっては失礼ととられても仕方ないのに、寛大な心で当事者が介入してきたら拒否反応示すって、考えてみると重ね重ね失礼だよな」
「そーいう弄びは自分本位なものだから、ある意味で一貫した態度だがな」
「でも、なんでアメなんだろうね」
「一説には『チキ・チキ・バン・バン』とか、昔の作品の悪役がイメージとして大きいらしい」
「そのまんま過ぎる」
「俗称とかだろう……たぶん」
「このチャイルドキャッチャーのデザインもモチーフがあるらしいがな」
「あ、なんとなく分かる。『チョコレート工場の秘密』のウォンカだ」
「まあ、確証はないが。説としては有力だな」
「俺は大人が好き!」
「何が好きでもホイホイ付いていくなよ」
久々に気に入ったマンガがあったので語らせて。
マウンテンプクイチ「球詠(たまよみ)」
女の子たちが百合百合しく熱く野球をやってるんだけど、画が良い。
動きのある画が良いし、立ち姿とかもかっこいい。人体が気持ち悪いコマがほとんどない。
グラブやプロテクターなんかのディティールもちゃんとしてるのも良い。
(関係ないけど、乳袋気持ち悪いからすぐに廃れるだろうと思ってたのに、全然廃れる気配がなくて困る。)
制服は電撃系デザインであんまり好きじゃないけど、まあそれはたいした問題じゃない。
おれは野球詳しくないけど、野球に関してもそれなりにちゃんとしてると思う。
少年漫画の野球モノの設定やシナリオを踏襲してるんだけど、ストーリーはご都合主義的にテンポよく進んでくれてダルさがない。
これ以上早いと雑になるちょうどよい展開スピード。
キャラの味付けも、ちゃんと野球モノのそれを踏襲しつつ女性キャラであることを十分に生かしてるとおもう。
情報通の司令塔とか、黒髪ロングストレートのパワーヒッター美少女とか。コテコテなんだけど、いい感じにハマってる。
まだ 2チームしか登場してないけど、どっちもキャッチャーがキャッチャーらしくてカッコ良い。野球漫画はキャッチャーがかっこよくないとダメよね。
スポーツモノにありがちな胸糞展開も、(ここまでは)無いのも個人的にはナイス。
おれが心配しなくても、それなりに話題になって続いてくれると思うけど、多少不安もあるので、百合好きも野球好きもみんな読んで読んで。
中途半端なところで終了してしまったら困る。出版社にはガンガンプッシュしてほしいし、書店は平積にしてポップもつけて!。
マウンテンプクイチは、過去に 2作品ぐらい読んで、そこそこ引っかかるものがあったものの、そんなに強い印象があったわけじゃなかった。
百合の文脈では濃いほうなのかもしれないけど、そんなに百合を読まないおれの感覚では、淡泊なところが上手い百合作家だなってぐらいの印象。
今回は野球というフックがあるおかげで濃さが加わっていて、そんなに百合好きじゃないおれもとても楽しめる。画が良いしね。
百合百合書いたけど、基板が百合的なのであって、(これまでのところ)展開が百合ってわけではないので、そこは誤解の無いよう。
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すでに2巻まで発売されてるし、結構バズっているので、おれが語る必要も無いといえば無いんだけど。
2巻が思ったより早くコミナタのランキングから消えたので、もうひと押しってことで。
相変わらず画が上手いんだけど、もっと良くなってると思う。
今まで、目を描き込みすぎてて潰れちゃってたのが、今回バランスよく描き込まれていて見やすい。
メインのヒロインは、地味だけど一番かわいいって設定なんだけど、画においても説得力があって凄い。
そんな設定、画でちゃんと表現できる作家ほとんどいないと思う。
内容的にもドルオタカルチャーを面白おかしく知ることができて楽しい。
百合構図だけど、片方ほとんど男なので百合感が薄くて読みやすい。ほとんど普通のラブコメ。
しかも、すれ違いまくりの王道展開。わりとエッジなところがある作家なので王道展開にのせたのは大いに正解だと思う。
平尾アウリは、「新感覚」なんてキャッチが付いたりする人で、ピッチャーに例えると「エグい変化球をエグいコースにスパスパ投げ込んでくるセンスフルな技巧派」って感じだったんだけど、直球が今一つな感じだったんだよね。。でも今シーズンは「エグい変化球をエグいコースにスパスパ投げ込んでくる上に、まっすぐも速い」という、もはやだれにも打ち崩せない素晴らしい投球を見せていると言って良いと思う。ぜひ今シーズンは最多勝を狙って頑張っていただきたく。
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この週末まで、俺が二人の子ども(上が男で下が女)を連れて実家に帰ってたのさ。
妻も子育て大変だろうし、俺の親に気を使って過ごすのも疲れるだろうって思って、妻は久しぶりの一人暮らし。
妻は基本的にまじめな人で、男性経験も、本人曰く俺+大学時代の前彼のみ。
運動会に行けば近所のパパ連中からよく話しかけられるし、職場の上司からはしばしば食事をごちそうになっている。
「あなたなんて子どものこともちっともわかってないんだから。」
「ご近所のお父さんはみんな家事とかやってるし子どもの世話だってすごくしてるよ」
確かに、実家に帰っている間、歯磨きとかもいい加減だったし、服やパジャマの管理もよくわからなかったので雑になってたのは確か。
でも、そんな言われることはないよなー、って思ってたんだけど、ふと、食器を洗おうと思って食洗器を開けたら…
その日の朝飯は、一人で食べたはずなのに、なんでペアなの?
問いただす勇気もないままに、戸棚に食器を片付けて考えてみると。
なぜかシーツも全部洗濯してあったし、ゴミ箱は全部きれいになって中身は空っぽ。ついでに風呂場の髪キャッチャーもさっぱり掃除済み。
見られたくないものがあったのかな。
そういえば、下の娘が生まれてこの3年ほど、年に1度しか夫婦の営みはなかったんだけど、特にこの半年くらい、少し体を触って求めてもヒステリックに断られることが続いてるよな…
なんか、うちの妻、浮気してませんか?
何か面白いとおもったものは、最初下手だからがんばろうってめっちゃ熱く打ち込む
だけど、ある一定のところまでくると、急にどうでもよくなる
あともう少しがんばっていれば成果がでるというか、何かを残せるところまでくるんだけど、なぜかそこでトーンが落ちる
バンドだったり、資格だったり、スポーツだったり、恋愛だったり
ソフトウェア開発技術者試験とか、受ければ受かるっていうぐらい勉強して、当日やる気なくなってバックレたり
投球練習、部内で一番めちゃめちゃ頑張ったけど、急にキャッチャーやるわって言い出したり、辞めたり
めちゃめちゃ好きだった娘と仲良くなって、付きあおうと思えば付き合えたのに、急に連絡とらなくなったり
めちゃめちゃ頑張って開発してた自分のプロダクトを、あともう少しで世に出せるってところで急にやる気がなくなってリポジトリ消したり
よくわからない、あとすこしなんだよ
もう少しだけ頑張っていれば、何か残せたはずだったし、その成功体験は大事なことだってわかってるんだけど、
気持ちがついていかない
ついていかないというより、全力で逆方向に向かう気持ちがある
敵陣を突破してゴールを目指すか、敵からきたボールをきちんと相手方に返すか、
どっちかじゃん?
バスケだって、サッカーだって、テニスだって、ハンドボールだって、卓球だって、
敵を突破してゴールを入れるかトライすりゃ得点なんだってのは、見てりゃ分かると思う。
ゴルフはまたちょっと違うけど、「早く穴に入れりゃ勝ち」だから分かりやすい。
あと、ピッチャーとそれ以外の野手の負担が、あれだけ差があるのも何なの?って思う。
守備ったって、ピッチャーがもの凄かったら、あとキャッチャーが球を受けるだけで、
7人は立ってるだけでも、いいんでしょ?
なんか、チームプレイってより、「それぞれが、文句言わずに黙って自分の持ち場をこなしとけよ」感が強い気がする。
ルールもなんだか、理不尽っていうか、「なぜそうなの?」が、腑に落ちない。
なんか不思議。
そりゃ、世界的に普及なんかしねえよなって思う。
昔、務めてた会社だと、オヤジの相手をしなきゃいけないことが多くて。
「ひいきの野球チーム」の一つも持ってないと、話が弾まなかったのが、正直苦痛だったなあ。
仕方ないので「アンチ巨人なんでぇ、巨人が負けていれば気分がいいですぅ」とか言って切り抜けてたけど。
不思議なもんで、巨人ファンのオヤジは、案外、アンチ巨人相手にしてご機嫌だったりするんだよね。