はてなキーワード: 電光掲示板とは
今春、東海道新幹線のニューステロップが廃止されるという報を聞いたときには、少なからぬショックを受けた。というのも、もう10年以上前の話だが、あの文字ニュースを書く仕事を担当していたことがあるからだ。
新幹線のニューステロップというのは、車両前方、ドアのすぐ上に据え付けられた電光掲示板に流れていく、50文字程度のあれである。当時はまだ、社会人となって日が浅かったことと、もともと鉄道が好きだったこととがあり、地味な仕事ではあるのだが、担当できていることがとても嬉しかったのをよく覚えている。業務の内実についてはあまり書けないが、それなりに長くなった社会人生活の中で、今でも思い出深い仕事の1つであることは事実だ。そうか、あの仕事はもう無くなるのかと思うと、ほんのりと寂しさがあった。
無くなる前に、最後にもう一度だけ、この目に焼き付けておきたいと思った。発表があったのが2月21日で、廃止は3月13日。1か月もない。そしてこの頃は、ちょうど新型コロナウイルスが徐々に国内でも広がり始めていた時期で、旅行に行こうという気分になれるものでもなかった。やめておこうかどうしようかと随分迷ったが、会社に午後だけ有給を取り、平日日中帯の比較的人が少ない時間帯で、東京から名古屋まで日帰りで往復することにした。他県にお邪魔することすら憚られたので、滞在は1時間程度の弾丸日程だ。もう少し遅い時期であれば緊急事態宣言のさなかであり、さすがの私も旅を躊躇したかもしれない。そう思うと、ギリギリの時期であった。
決行したのは廃止の直前にあたる平日だった。午前だけ出勤して、午後に新幹線に飛び乗るつもりでいたが、なかなか仕事の切りがつかず、本当に「飛び乗る」勢いで乗り込んだ。ニューステロップはまだそこに、きちんと流れていた。名古屋までは1時間半程度。往復するので3時間はある。食事がまだだったので、息を整えてから崎陽軒の弁当を開けた。弁当を食べるのにせいぜい15分。その後まだ悠々と時間はある。ニューステロップをただ眺めるだけの目的にしては、ずいぶんと贅沢な時間で、贅沢なお金の使い方をしたものだなと、このときになって初めて思いながら、筍を頬張った。
車内はそれほど人が多くはなかった。平日日中ならば、という見込みは当たったようだった。もうあと数日で廃止になる、というタイミングだったので、1人ぐらい同好の士が乗り合わせていないものかと、あたりを少し伺ったが、ニューステロップを凝視するような人はさすがに見当たらなかったし、この時間に乗るビジネスマンは、そんなものに興味もあまりなさそうではあった。そもそも、あのニュースが無くなることを寂しがる人というのは、どれだけいたのだろうか。インターネットを眺めていれば、そういう声は自ずと可視化されるものではあるが、多くの人にとっては大きな関心を呼ぶものでもないのだろう。緩やかに、少しずつ、静かに人々の記憶から消えていくだけなのだろう。そのことが特段むなしいというわけでもなかった。すでに私の手を離れた仕事に対して、むなしさを覚えてしまうこと自体がおこがましいとも思うし、メディアの仕事というのはインフラと同義であり、まるで空気のような存在であるということも自覚していた。いや、その「空気」が不要だ、ゴミだと強く批判されていた時期もあったか。最近はそういった批判も一時期よりは落ち着いたように感じているが、実際のところメディアが多くの「街の風景」を作ってもいるということに、自覚的な人はあまりいないのかもしれない。
名古屋に近づくと、中日新聞のニュースが流れるようになる。大相撲の本場所があれば、取り組み結果が流れることもあるし、プロ野球もまた同様だ。代わり映えのないように見えて、実は時や土地の影響をある程度受けるものであるのだが、そういったことにもあまり気付かれてはいないのかもしれない。このときはそういった定期的な変化のほかに、赤く毒々しい文字が定期的に踊っていた。新型コロナウイルス感染症に対する注意喚起である。新聞社が配信するニュースではなく、JRが独自に流しているメッセージだ。これはこれで特別感があってよかったのだが、ニューステロップが流れる数が減ってしまうではないかと、ウイルスに対して少しだけ、妙な怒りを向けた。
時間は当然のように余った。幾度かカメラを向けて,静止画と動画で撮らせてはもらったが、さすがにずっと撮り続けているのも不審者じみている。3時間の旅のうち、ほとんどの時間はただテロップを眺めたり、車窓を眺めたりして過ごしていた。ニューステロップの流れる新幹線旅はこれが最後であると思うと、それをただ普段通りに満喫したいという思いが、乗っているうちに徐々に強くなっていた。名古屋で降り、予定通り1時間ほど滞在し、折り返す。名古屋駅周辺を少しだけ歩いたが、まだ感染症に対するアンテナはそれほど高くないようで、思っていた以上に多くの人が街を行き交っていて、少々面食らった。あまり人混みの中にいるのもよろしくなかろうと引き返し、駅直結の百貨店地下で、妻へホワイトデーのプレゼントとして地元の洋菓子を買い、あとは駅の待合室で過ごし、予定通りの上り新幹線で引き返した。
帰りの車内にも、当然ながらテロップは流れていた。テロップのない新幹線というのはどういうものだろうか。もちろん、普段からずっと見ていたわけでもないのだが、ふとしたときに目を上げると、そこにニュースが流れていることが、新幹線における「自然」であった。それがなくなったとき、上げた目には何が映ることになるのだろうか。ニューステロップ廃止後のことについては、そういえば把握をしておらず、想像ができなかった。そしてこのとき以来、感染症予防のこともあって、新幹線には乗っていない。テロップが流れていない新幹線というものを、私はまだ知らない。私の頭の中では、まだあのテロップが流れ続けている。また大手を振って新幹線に乗ろうと思える日が来ることが待ち遠しくもあるし、どことなく、まだ来てほしくないような気もしている。
女性用風俗に行ってきた、というレポなんてインターネットを探せば溢れかえっているとは思うが、なぜか大体写真通りの死ぬほどイケメンが来て、いつもよりめちゃくちゃ感じて、楽しかった、ってストーリーが多い。
でも多分そんなことばっかりじゃないと思う。
というわけで、今日私が女性用風俗に行ってきたありのままのレポートを書いていきます。
まず私のスペック?
・20代
・彼氏は1人いた
・処女
・クリトリスでイける
・イッても声どころか息も漏れない
正直、男が好きなのかも怪しい。
だからといって女が好きというわけでもない気がする。
アセクシャルか?と思ったこともあるけど、性欲は女性用風俗に行こうと思い立つくらいにはそれなり。
①予約
何回か予約しようとしてやめるというのを繰り返していたが、今日ふとサイトを見ると好みの顔の人がちょうど時間的に空いていたので予約を入れた。
1番短い70分コースを選んだら、待ち合わせ不可だったので先にラブホテルで待つことに。
事前にホテルでシャワーを浴びていいか聞いた。問題ないらしい。(結局到着がギリギリで浴びれなかった)
ホテルに何分前に着いた方が良いかも聞いた。10分前くらいには部屋番号を連絡して欲しいと言われた。(ギリギリに着いたのでry)
とりあえず道に迷って到着が遅れる。
タッチパネルが思いの外デカくて、大阪駅の電光掲示板並みのサイズがある。なんかオシャレ。1番安い部屋を選ぶ。
エレベーターで上がり、部屋に入って1分後くらいに指名した人が来た。部屋の開け方が分からなくて混乱する。
ロビーに電話して「もう1人来たので開けてもらって良いですか?」と言ったら、すぐ開けてもらえた。
そこは誰か教えて欲しかった。
③対面
私はジャニ系の顔が好きで、とにかく目が大きくて可愛い感じの人を選んだ。Twitterをやっていて顔写真が普通に見れたので、それを参考に選んだ。
実際会ってみると、思いの外痩せている、それは別に問題ない。むしろ痩せている方が好きだから。
というわけで、総合印象は窪田正孝と関ジュの藤原丈一郎って人を足して2で割って10引いた感じ。
いや、多分悪くないんだと思う。ただ私はもっとツルツルしてて可愛い感じの子を予想してたんだ。ごめん。
④施術前
お茶をくれた。死ぬほど会話が弾まない。もうちょっと喋ってくれるもんじゃないのか?
雰囲気は疲れた窪田くんといった感じなので、ここから彼のことを窪田くんと呼ぶ。
窪田くんは100枚ほど束ねてバインダーに挟まれたカウンセリングシートを几帳面に整え、私の方に向けながら器用に丸をつけていく。
ちなみに前の人のカウンセリングシートが1番上に残っていた。
ここでキスが苦手なことを伝える。
ということを正直に伝えればよかったのだが、微妙に濁したせいで手をつなぎながら言葉攻めのようなことをされる。今じゃない。ごめん。
どうやら私とのカウンセリングが微妙な空気になったことに気づいたらしく、残りの設問は早めに切り上げてくれた。ごめんね。疲れた窪田くんは若干空回りが見えるものの、基本的には優しい。
そして支払いを終えて、シャワーへ。
「一緒に入る?入ってくる?」と聞かれてビックリして「入ってくる」と答えてしまった。だって色々洗わないといけないし。
ラブホの風呂場って脱衣所ないんですね。こんなことなら一緒に入った方が脱ぐタイミング困らなかったのにと少し後悔した。
私が出ると、窪田くんは何やらオイルとかが入っているポーチを開けて精力剤的な何かを持って洗面所に向かった。セックスしないのに大変だね。
3分ほどでバスローブを着た窪田くんが戻ってきて、仰向けに寝るように言われた。
⑤施術
めちゃくちゃ細く見えたけど、思ったよりもガタイは良い。174cmとプロフィールには書いていて、私がヒールを履いて175cmで少し小さいくらいだったので、恐らく172cmとかかな?
それでも私の実際の身長よりは4cm高いので、そんなもんなのかもしれない。
なんというか、上から見ると窪田くんが消えて藤原丈一郎になることが気になってしょうがない。
キスはやっぱり楽しくない。ていうか口周りに他人の唾液つけられるの気持ち悪い。これは多分どんなにイケメンであってもだと思う。
その後耳を舐められたが、くすぐったいものの快感はない。でも嫌いじゃない。わりとすぐに切り上げられた。
すごい、本当にやるんだ、と妙に冷静。
左側をはだけられて、乳首の周りを触られたり舐められたり、これはわりと気持ちいい。早く触って欲しいってなる。
で、しばらくして乳首を吸われた。
ごめん、気づかなかった。
なんなら乳首の周りの方がまだ敏感。
「可愛い」と何度か言ってくれたが、どう反応していいか全く分からない。セックス中に「可愛い」と言われた時の反応の正解って何?
ラブホの天井は壁と同じ柄で、なんか火災報知器とか、ちっちゃいライトとか、色々付いてる。
もちろん声は出ない。どう反応すればいいのか分からない。
途中で「声我慢してるの?出ないの?」と聞かれた。「出ない」と素直に答えた。声が出ないタイプだと気づいてくれたのは嬉しかった。
しばらくして指が下に進む。
しばらくして指は内側に進み、やけに同じ場所を触ってるなぁと思ったらクリトリスだった。
ていうか乳首にもクリトリスにも気づかない私、どうなってるんだろう?
途中動きを速くしてくれたあたりで、軽〜くイった気もした。マジで軽い。気持ちよさが0というわけではないけど、3/100くらい。
その後はなんか痛かった。
その後クンニが始まった。
「めっちゃ舐めてるなぁ」って思った。
足開いてるの辛くなってきた。ごめん。
気持ちよくないわけではない。ただ気持ちいいわけでもない。虚無。
この時間が結構長かった気がするけど、これ以上書くことがないので飛ばす。
いよいよ指を入れられる。音的に思ったより濡れてるようだ。極めて冷静。
元彼と未遂になったことがあったけど、あの時も「濡れてる」と言われた。でも全然気持ちよくなかった。
窪田くんは「濡れてる」と得意な顔で言ってこなかったのが、ありがたかった。多分プロなので私があまり気持ちよくなっていないことに気づいている。
「2本は痛い?」と聞かれて実際そうだったので頷いた。
1本入ってくる。「痛くない?」と何回も確認されたが、全然痛くない。だってタンポンと変わんねえし。
なんなら入ってることが分からない。
そのまましばらく動かされながらクリトリスを舐められた。舌疲れそう。
なんかイけそうな気がする、みたいなタイミングもあったけど、無理だった。
ていうか皮剥かれると痛くてそれどころではない。
しばらくして何か変化が必要だと思ったのか、指2本の挑戦が始まった。
最初は痛くない。でも途中でなんかビリって痛みが来た。
「痛い?」と聞かれて頷く。「1本にしとこっか」と言われて、タイマーが鳴るまでこの時間が続いた。
⑥解散まで
70分はあっという間だった。
ハグされながら「イけなかった?ほんとはイッてた?」って聞かれたので、素直にダメだったと答えた。
最初の「声我慢してるの?出ないの?」の時もそうだったけど、2択の答えを先に与えてくれてることで、雰囲気のままYESと言ってしまわないようにしてくれてる。
というわけで、一緒にシャワーを浴びることになった。
初めて生のちんこを見た。勃起してるのかしてないのか、判別はつかなかった。
面白かった?興味深かった。
「そうなの?」
「そう、手って思ってるより力が強いから、刺激に慣れちゃうんだよ」
「そうなんだ」
「指入れられるの、痛かった?」
「うんう」
「2本入れたときは痛かったんだよね」
「うん」
「痛そうだなって分かるんだよ」
「そうなの?」
「輪ゴムで指を締め付けられるみたいな」
「え、すごいね」
「1本の時も感じたんだけど、2本入れたときはかなり強くて、途中まではいけるかなと思ったんだけど、この第二関節が一番太いからさ、ここさえ入れば問題ないんだよ、でも第二関節の時にやっぱり引っかかる感じがしたから」
いや、マジでその話興味深すぎるからあと30分くらい聞かせて欲しい、と思ったけど、時間も時間だったのですぐに湯船を出た。
粘液がねとねとして気持ち悪いのと、キスされた口を洗いたいと思っていたら、ちゃんと先に出てくれた。ありがたい。思う存分洗う。
お互い背を向けながらそそくさと服を着る。ちょっとマンネリ気味のカップルみたいで面白い。
と思ってたら、ブラをつける時にストラップをつける手伝いに来てくれた。
ブラのストラップ、外されるより付けてくれる方がときめく気がする。
「いつもホック何個め?」と聞かれて、プロってすげえなと思った。そう、あれ1個変わると気持ち悪いんだよね。
そんな感じで着替え終わって、相変わらず会話の弾まないまま駅まで送ってもらって解散した。
・やっぱり「痛い」は伝えないといけない
・抱かれても興奮しないが、嫌悪感があるわけではない
・私は思ったより羞恥心が欠けている
・プロはマジすげえ
・ブラは外してあげるより、付けてあげる
・キスは嫌い
性に興味はあるものの、男から責められるセックスに興奮しないことが分かって良かったです。個人的に自分はSではないか疑惑があるので、今後何かの機会があれば検証してみたい。
あとは、女の子ともヤッてみたいな。以上。
あ~父親が亡くなって遺産が入ったから、預金が一桁アップした件か。
====
何故なら、母がぜ~んぶ使っちゃったから(笑
それでも尚、父に財産と言えるものがあったのは、母が先に亡くなり、母はその母親(私にとっては祖母)からの遺産を受け継いでいたから。
その一部を相続した某親族がすぐに売り払い、そこにマンションが建った、と言えばかなりの広さを想像してもらえるだろう。
夏休みに近所の子が単なる林だと思って迷い込むような土地の一部を、母も相続した。
そしてそれをいつの間にか換金していた。
その中には未だ換金出来ていないものもある。でも私は呑気なので、まあその内、と思っている。
通帳に数字になって記されていた金額は、正直想像を超えた金額だった。
これが、私の口座の預金額を一桁アップさせた原因だ。
ついこの間、趣味の小銭貯金の壺がいっぱいになったので、預金しにいった。
すると、窓口の女の子が言うのだ。
「定期預金にされませんか? 万が一キャッシュカードを紛失して悪用されたら、全部引き出されてしまいますよ」
それもそーだ、と承諾したら、別の窓口に案内された。
そこで対応してくれたのは、窓口の女の子ではない全くの別人。我が息子程ではないがそこそこ若いお兄ちゃん。
「〇円単位だと利率が上がります。そこの電光掲示板の利率より……交渉で10倍になります」
はいぃぃぃぃぃ!?
ちなみに普通の定期預金だと、その時0.01%だった。普通口座なら0.001と、もう一個0が増える。
当分使う予定もないし、預けておくか。
「0.1%になりました!」
……はいぃぃぃぃぃ?
その時私は思ったんだ。お金持ちはこういう優遇がある所為で、もっとお金持ちになるんだ。
と、こう書くと私自身がめっちゃお金持ちになったように読まれてしまうが、本人に自覚はない。
あ~父親が亡くなって遺産が入ったから、預金が一桁アップした件か。
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何故なら、母がぜ~んぶ使っちゃったから(笑
それでも尚、父に財産と言えるものがあったのは、母が先に亡くなり、母はその母親(私にとっては祖母)からの遺産を受け継いでいたから。
その一部を相続した某親族がすぐに売り払い、そこにマンションが建った、と言えばかなりの広さを想像してもらえるだろう。
夏休みに近所の子が単なる林だと思って迷い込むような土地の一部を、母も相続した。
そしてそれをいつの間にか換金していた。
その中には未だ換金出来ていないものもある。でも私は呑気なので、まあその内、と思っている。
通帳に数字になって記されていた金額は、正直想像を超えた金額だった。
これが、私の口座の預金額を一桁アップさせた原因だ。
ついこの間、趣味の小銭貯金の壺がいっぱいになったので、預金しにいった。
すると、窓口の女の子が言うのだ。
「定期預金にされませんか? 万が一キャッシュカードを紛失して悪用されたら、全部引き出されてしまいますよ」
それもそーだ、と承諾したら、別の窓口に案内された。
そこで対応してくれたのは、窓口の女の子ではない全くの別人。我が息子程ではないがそこそこ若いお兄ちゃん。
「〇円単位だと利率が上がります。そこの電光掲示板の利率より……交渉で10倍になります」
はいぃぃぃぃぃ!?
ちなみに普通の定期預金だと、その時0.01%だった。普通口座なら0.001と、もう一個0が増える。
当分使う予定もないし、預けておくか。
「0.1%になりました!」
……はいぃぃぃぃぃ?
その時私は思ったんだ。お金持ちはこういう優遇がある所為で、もっとお金持ちになるんだ。
と、こう書くと私自身がめっちゃお金持ちになったように読まれてしまうが、本人に自覚はない。
私はロマンスカーが好きだ。
小田急沿線で育った子供の頃の私にとって、ロマンスカーは新幹線のような存在で、それが全国を走っていると思っていた。
たまに実家に帰省する際、私の地元へは町田でロマンスカーを降りねばならない。そのため、新宿からではそれほど到着時間に差が出ないため、普段は急行や快速急行で帰ってしまう。
私がロマンスカーに乗るのは、心や体に余裕がないときだ。仕事で疲れが溜まっていたり、重い荷物を抱えていたり、実家の犬の体調が悪くなって急遽帰る時だったり、そんな時だ。
そんな時、新宿駅のロマンスカー専用のホームに行き、電光掲示板を見る。ホーム中程で400円ほどのキップを買う。それほど乗りなれていないので目的の車両の位置が分からずにうろうろしてから列車の到着を待ち、やや高貴な空気をまとう空間に足を踏み入れる。自分の席を見つけ、カバンを落ち着かせてから腰を下ろす。
私は神奈川県で育ち、東京で出張等のない仕事に就いており、たまの旅行でくらいしか特急というものには乗らないため、やはりこの体験は私にとって新幹線と同等かも知れない。
そして、余裕のない時にのるロマンスカーは決まって、余裕たっぷりで私を迎え入れてくれる。各駅や急行にはない包容力で私を包み込み、通勤電車特有のストレスを感じずに400円の贅沢に浸る。
時間にして僅か30~40分の移動が私の心を落ち着かせてくれる。
同じことを東京へ戻る際にもする。上りは夜になることが多いため、酒を一缶携える。もう少し乗っていたいと思ってる間に風景は流れ、新宿についてしまう。それでも、ロマンスカーから降りた夜、翌日から仕事が待つ私の背中を押してくれる。
私にとって、ロマンスカーは箱根への旅行客車でも、通勤の飛び道具でもない。電車を愛でる趣味もないし、年に数回、帰省でお世話になる程度だ。それでも気疲れた私を優しく運んでくれる、ロマンスカーが私は好きだ。
そりゃわたしだってあの人と付き合いたいとかセックスしたいとかそういうことを思う日はあるけれど、ただ漠然と彼氏がほしいなんて思うことはぜんぜんなくて、だからこんなふうに「やっぱりユウちゃんも彼氏とかほしくなるよねえ?」とか言われると正直どう答えたらいいのか返事に困る。「いや、あのね、彼氏がほしいってわけではないんですけど……」なんて説明をしてもこの人はたぶん理解しようとしないだろうし、「もったいない」とか「男に求められるうちが華だよ」とかいいだすんだ。すこし肌寒くなってきたこの頃は特にこういうタイプの交通事故が起きがちで、苦手な誘い文句は寒さによって誘発されているんだと気づいてからはわたしは冬がきらいになった。うそ。マーガレットハウエルのコートが着られるからすき。
「やっぱり人肌恋しくなるよねえ」なんて言ってグラスを傾ける彼は、わたしの輪郭を「肌寒くなってきたから人肌恋しくて年上の彼氏がほしいおんにゃのこ」に落とし込めたくて、その強引さにむしろ感心してしまう。この人は駅に設置してあるような電光掲示板の営業をしているとさっき言っていたが、やっぱり営業職ってこういう強引さが必要な仕事なのだろうか。きっとこの人は恋人のことも雑に抱きしめたり、下着やTシャツなんかも適当にまるめてたんすの引き出しに突っ込むタイプなのだろう。勝手に彼の暮らしを想像してしまったのだけど、話を進めていくうちにどうやら既婚者のようだということをなんとなく匂わせてきた。サブリミナル効果みたいに何気なく「妻」というワードを放り込んできたときはびっくりしたけど、びっくりしたリアクションをこちらに取らせまいとする勢いにまたびっくりする。びっくりするリアクションがなければびっくりしたことにならないとでも思っているんだろうか。わたしは意地が悪いのでちゃんと説明させてやろうと、あ、えっと、結婚されてるんですか?と聞く。んーまぁおれのことは別にいいじゃん☆ってさっき散々自分の自慢話をつづけていたくせに既婚者であることは別にいいじゃん☆なのか。
じゃあさ、ユウちゃんはどれくらい彼氏いないの?という質問の意図ってわたしにはいまいち理解できなくて、とりあえず正直に答えてみるものの「えーなっがいねぇ、さみしくならない?」って返ってきていろいろ後悔するが、っていうかその「彼氏いなくてさみしい」という突破口しかねえのかお前には。えーじゃあユウちゃんはどんな男性がタイプ?って聞かれることもそもそも屈辱で、お前とこういう話をしてもわたしには得もなければちっとも楽しくもないのだけど。あーでも、もしかしたら徳は積めているのだろうか。これを耐え忍ぶことで来世のわたしの鼻が橋本奈々未ちゃんみたくなれるならこのまま続けるけど、たぶん世界はもっと残酷であるし、いずれにせよだいじなのは今世である。
おれはねぇ…背の小さい子がすき。カギ括弧つきの(ユウちゃんみたいな)が透けて見えているけど、たぶん見せているんだろうけど、そんなもんに反応するわけにはいかないので「へえ」とだけ返す。1へえ。背の小さい女の子ってねえ、守ってあげたくなるんだよ男の本能かな。2へえ。背ぇ小さくて得したことない?3へえ。ねぇ話きいてる?え、はい。
ユウちゃんって時々ぼーっとする癖あるよね。そういうところが可愛いとおれは思うけど、気をつけたほうがいいよ、おれは怒んないけどさ。これにまた「へえ」と返すのがお笑いのセオリーだとわたしは松本人志に学んだつもりだけど、男性を怒らせることの恐怖心には抗えず「すみません、、、笑」なんて女の子らしく微笑んで愛想を振りまいてしまう。ここはNSCでもなければM-1グランプリの3回戦ではないのだ。そういえば金属バットは準々決勝に進出できたのだろうか。iPhoneでナタリーをひらけば確認できるけど、そんなことも許されないまま時間が過ぎていって、わたしはここでなにをしているんだろうと、悲しくなってくる。
すみません、、、笑。って愛想をよく微笑むことが女の子らしい振る舞いなのだと、結局自分もそう思ってるんじゃないか。頭ではわかっていても、Twitterに歯切れのいいことを書き込んでも、コミュニケーションのなかにその価値観を取り込めない。特に年上の男性と話すと、古い意味での女の子を演じてしまう。
そんなことを考えながら山手線にゆられ、なぜかいまわたしは片耳イヤホンでBOOWYを聴かされている。たぶんあと5回くらい死なないと、わたしはカネコアヤノちゃんみたいにはなれない。大事なのは今世だっていうのにさ。
肌寒くなってきて欲情しているのも、悪い意味で雑に抱きしめたいのも、いつだってあんたたちのほうじゃないか。
翔び出た精液みたいな白いイヤホンコードが、わたしとお前をつなぐ。山手線の夜窓に乗客たちが映っている。わたしはまた笑っている。諦め顔のよくできた歯車のように、灼けつく陽差しが、わたしたちを狂わせている。
タイトルに関して知見が欲しいの半分、愚痴りたいの半分で書く。
斜視はかなり改善してるけど片目は未だに弱視。もう片方も裸眼で遠くは見えるけど本の活字がほぼ読めないから眼鏡必須。
ここ1年くらいで視力が落ちてきて目に力を入れないと手元が見づらくなったので久々に眼科に行った。
初診で散瞳剤を点眼し検査をしたがうまくいかなかったと言われ、後日サイプレジンという目薬を使って再検査をした。
長丁場の検査後「左右2段階ずつ度数をあげますね」と言われ、処方箋を手渡された。そのまま眼鏡屋に直行し眼鏡を購入した。
数日後完成した眼鏡を受け取りに行き、掛け替えて店を出て少し経ったあたりで頭痛と吐き気をじわじわ感じ始めた。
遠近感も妙で夢の中を歩いているような違和感がある。手元のスマートフォンの文字もぼやけるし、駅の電光掲示板は滲んで見えづらい。
初めて眼鏡を買い換えてこういった感覚におそわれたが、じきに慣れるだろうと思い様子を見ることにした。
翌朝になっても何も改善せず、昼過ぎにおかしいと思い処方箋を見直した。
見える方の度数が3段階、弱視の方の度数が1段階上がっていた。
すぐ以前の眼鏡に掛け替えたところ1〜2時間で体調も良くなった。
眼科に逆ではないかと電話すると「おそらくそうだと思うが診ないとわからないので来てくれ」と言われた。
そして昨日眼科に行ってきた。
「前回対応をした者に対応させる」と言われたので「不安なので別の方に対応していただけるとありがたい」と伝えた。
「検査結果通りに処方したがどうやら合わなかったようだ」と言われたので「2段階あげると言われたのにそうなっていないうえ、かけても視力が出ないのはおかしいし逆ではないのか」と言ったら、医師がパソコンのデータか何かを見ながら「確かに逆だ」とかそんなことを小さく呟いた。
改めて正しい処方箋が欲しい旨を伝えたが「遠視の目は測定が難しいので来月専門家(なんたら士?と言っていた)が来た時に再検査したい」と言われた。すぐに眼鏡を買い換えたいと伝えたがしばらく前の眼鏡で生活してくれと言われた。
病院から指定された日は仕事を休まないと来院できないと伝えたがじゃあそうして欲しいと言われ少しイラッとした
腑に落ちない部分はあったが来月の予約をさせられ診察を切り上げられた。
受付で800円程取られて「処方箋が間違っててもお金を払わないといけないんですね」といらない嫌味を行ってしまった。
言い訳すると月のもので体調が非常に悪い上に朝1で受診するため寝不足気味の状態で来院したため精神的な余裕を欠いていた。
もう1度診察室に行ってくれと言われたが、いらないことを言ってしまい申し訳ないしごねたり金を返せと言うつもりはないので会計してくれと返した。
暗所で看護婦数人と医師に囲まれるのは正直嫌だったが強引に診察室に連れていかれた。
医師から「あの処方箋は誤りではない」「こちらは正しい処方をしたが合わなかっただけ」と言われた。
もうさっさと家に帰って寝たかったので「誤りでないというのは納得できないが揉めるのは本意ではないし誤っていたからといってタダにしろとかごねる意図はない。先程の発言はやつあたりということにしてほしい。申し訳ない」と言った。
何言ってるんだこいつみたいな顔をされてなんとなく話が終わったので受付に失礼な態度をとったことを謝って病院を出た。
3度も通って眼鏡代より高い金を払ってこの状況はなんなんだと思ったので、そのまま眼鏡屋に行って処方箋なしでレンズの度数を変更できないか相談した。
本来は処方箋がないと変更できないので駄目元だったがその場で検眼してレンズを変更してもらえることになった。
病院のいうとおり遠視に合う眼鏡を調べるのは難しいと前置きされた上で、左右均等に1段階か2段階度をあげるのが丁度いいだろうとのことだった。
昼前に帰宅してそのまま倒れるように床で寝て夜に起き今に至る。
他の遠視の人もこういう面倒な工程や出費を経ているんだろうかと思って似たような境遇の人がいないか軽く検索したが大半が子供のうちに治るらしいと知って心が折れそうになってる。
☆はじめに
・滅茶長いです。数えたら4000字ありました。3000字のレポートの課題は一向に進まなかったのに、皮肉なものですね。
・フツーに、私達のことを知ってる人が見たらああアイツ等のことか、と分かるんじゃないかと思います。気づいても、出来れば、自分の心に留めておいてくれれば幸いです。とはいえ、あの人はきっとこれを見ても怒ったりしないだろうけれど。
__________
あの人は違ったけれど、私にとっては初めての恋人だった。1年2ヶ月の記念日に喧嘩して、1年2ヶ月と2日目に直接顔を合わせて、話し合って、2人で決めたことだった。心残りはなかった。
…はずなのに、気付いたら、私はゆうちょ銀行でありったけのお金をおろしていた。そしてその足で駅へと走り切符を買って新幹線へと飛び乗った。行き先は実家の最寄駅。正直何も考えてなかった。ただただ本能の赴くままに、私は帰省してしまっていたのだ。
新幹線の中で父に「急にごめん、今から帰ってもいい?」とラインしたら、すぐ既読が付いて、それから10分後くらいに「分かりました。駅まで迎えに行きます」と返事が来た。母親にも同じようなラインをすると、「おにぎりと味噌汁ならあるよ」と返ってきた。
新幹線に乗っている間、私はずっと車内の電光掲示板を眺めていた。色んなニュースが流れていたけれど、ひとつも内容が思い出せない。ただひたすらに、駅名がひとつずつ西にずれていって、目当ての駅がくるのを待った。
2時間半くらい過ぎた頃、新幹線はやっと駅についた。父から駅前の牛丼屋の横に居るとの連絡が来て走ってそこまで行ったのに父がいない。ついたよと送るともうすぐ着くと返事が来た。"居る"の意味知らないのかな、父。
3分くらい待っていたら父の車が見えた。父は何も聞いてこなかった。ただ嬉しそうに、明日は上司と競馬に行く予定だったけど無くなりそうだということを教えてくれた。私からは最近車校で路上教習に突入したこととか、最近急に寒くなったこととかを話した。
駅からは45分くらいで実家についた。チャイムを鳴らすと母がドアを開けてくれた。お風呂沸いてるよと言われ半ば強制的に風呂場に連行された。ひとり暮らしの家は狭いユニットバスで、いつもシャワーで済ませていたから足を伸ばして浴槽に浸かるのは久々だった。足先から体が温まっていくのを感じた。
30分くらいで風呂から上がり、居間に行くとおにぎりと味噌汁とからあげと餃子とゆで卵が用意されていた。昆布のおにぎりを半分と味噌汁を少し飲んだらお腹がいっぱいになってしまったから、残りは朝食べることにした。父は知多をロックで呑んでいて、「知多?珍しいね」と言うと「中身は違うけどね」と言われた。本当の中身は過去にツイッターで不味すぎると炎上した伝説を持つトップ●リュのウイスキーだった。
そんなこんなしていると夜中の1時を回ったから、父におやすみを告げて2階の寝室に上がった。キングサイズのベッドに横になった。5分くらいすると、母が部屋に入ってきた。ベッドに座って私に一言、「頑張ったね」と言った。
その瞬間、私の両目から噴水のように涙が溢れた。元旦のデパート開店直後みたいに、ものすごい勢いで色んな感情がとめどなく流れて来た。辛い。寂しい。苦しい。悔しい。なんでこうなっちゃったの。もう前みたいに遊べないの。もう好きだよって抱き締めてもらえないの。もうどの街に住もうか?なんて戯言を言い合えないの。もう、2人で添い遂げ合う人生は遅れないの。
母は、ひたすら「頑張ったね、もう充分やれることはやったもんね、辛かったね」と私の背中を撫でてくれた。そのあとに、「でも、色んな楽しいこととか初めての経験とか素敵なモノも沢山貰えたんだから、嫌な思い出にしちゃ駄目だよ。」と言った。
19歳の秋だった。
私とあの人は、同じサークルでひと夏を過ごした。かなり厳しいメニューをこなす日々で、春には名前も顔も知らなかった私達が夏が終わる頃には家族よりよく会う存在になっていた。
夏が終わるとサークルの活動も一段落し、私達は顔を合わせることが減っていった。そんな時、あの人からディナーに誘われた。
他の同期も来る筈だったのに、何かと来れなくなり、2人になってしまった(これがあの人の策略だったのか、本当に偶々だったのかは結局分からずじまいだった)。2人でやっすい店に入って、色んなことを話した。好きな音楽、好きな作家、高校生の頃の話、過去の恋愛話。私が中高ヒエラルキー最下位大学デビュー女のため恋愛経験0の喪女であり、その当時自分にアプローチしてくる人がいたのだがどう交わせばいいか分からないと相談したら、フフッと笑って「ぶっ飛ばしたいなあ、そいつ」と言われた。一瞬ん?と思ったけれど、「ホントそうだよね~」などと軽く流した。
正直、全く意識していなかったのだ、恋愛対象として。ひと夏を共に過ごしたかけがえのない大切な同期、という認識だった。だったのに、やっすい店から出たあと、そんな私達の思い出の練習場で、告白された。午前2時くらいのことだった。
その時も、急に涙が溢れて止まらなかった。信じられなくて、嬉しくて、少し申し訳なくて、何より私が本当は心の奥でずっと惹かれていたことに気付かされてしまって。
あの人はそんな私の手をずっと握っていてくれた。「でも私、多分中学生みたいな恋愛しかできないよ?」と震えながら言うと、「ロミジュリのジュリエットだって中学生なんだよ。」と笑って更に強く握りしめてくれた。その温もりがとても気持ち良くて、私達は手を繋いだまま眠った。
朝の6時頃に目が覚めると、夢じゃないんだと隣から聞こえる寝息に心臓がバクバクした。そうしているうちにあの人が起きて、不意に抱き寄せられて、キスをした。それが私にとっての、ファーストキスだった。
その日から私達は、所謂"恋人同士"になった。数え切れないほどデートをして、旅行も行って、一緒に大学の授業を受けて、お互いの家にも行き来した。
デートは、本当に色んなところに行って色んなことをした。映画を見たり公園でピクニックしたり気になる飲食店を片っ端から当たったりショッピングモールで服やコスメを吟味したり美術館で考える人の真似をしたりディズニーに行ったり(私にとっての初ディズニーだった)、割と付き合いたての頃古本屋に行ったらエロ本だらけで少し気まずくなったこともあった。
ラブホにだって、行った。勿論私にとっては初めてだったけれど、何気ない会話の中であの人は初めてじゃなかったことが判明してしまってそれはもう死ぬ程泣いたな。
デート以上に、私達は沢山沢山体を重ねた。週に1、2回くらい私の家に来てくれて、近くのコンビニまで手を繋いでお酒を買いに行った。気取ったジャズなんかをかけながらお酒飲んで、ほろ酔いでセックスするのが本当に大好きで幸せだった。
いつも一緒だったな、と思う。毎日のように好きとか愛してるとか言い合って、自撮りを送って褒め合ったり、記念日には詩を送り合ったりして、サイコーに幸せな日々だった。
…だったけど、会うごとに、知るごとに、着実に違和感が大きくなっていったのも事実だ。
最初は、私が話しているのにスマホを見ているとか、そんな程度だった。
けれど、それは次第に、私の話になった途端全くつまらなさそうになる(電話だったら寝られる)、私の誕生日を忘れる、逆に誕生日を祝ったら明日忙しいからと電話を切られる、ご飯を食べる約束をしていたのにやっぱり家で食べるとドタキャンされる、自分が忙しくなるとライン一つくれず放置される、そして私が貴方のこういう言動が嫌だからどうにかならない?と話しても自分はこうしたいからと全く歩み寄ろうとしない、というふうにどんどん根本的なところに及ぶようになっていった。決定的に考え方や価値観が違うことに気付くのにはそれ程時間はかからなかった。
けれど、気付いたときにはもう遅かった。私は、完全にあの人に依存してしまっていた。傷ついても、傷つけても、別れることが出来なかった。本当に毎日が辛くて、耐えられなくて、覚悟を決めて別れようと言っても、本当に別れたいの?と子犬のような目をして聞くあの人から離れることはどうしても出来なかった。
だから、最後の数カ月間はお互い深い話を避けるようになってしまっていた。悩みごとや将来の話はお互い他の友人に話すようになり、2人で話すのはこのツイートがどうとかおっぱいがどうとか、本当に俗っぽい上辺だけの話題だけだった。
1年2ヶ月の記念日にした喧嘩は、それ自体はそんなに重要なトピックではなかった。ただ、限界だったのだ、もう。お互いに、これまで少しずつ感じて来ていた"違和感"ゲージが、この喧嘩で満杯になってしまったのだ。
1年2ヶ月と1日の日、多分これは別れるな、と思った。頭では理解していたのだ。けれど、心が、それを受容しなかった。初めて付き合った人と結婚したい、要は一生一緒にいたいという典型的な少女漫画脳と、あの人とならそれが出来る!という付き合いたての頃の自分の幻想、そして何よりもまだ体験したことのない、失恋がもたらす精神的苦痛というものへの恐怖が決断の邪魔をした。
だから、1年2ヶ月と2日目に、決めきれずゴニョゴニョしていた私にあの人が「もう頑張らなくていいよ」と言った瞬間、スッと楽になる感覚がしたのだ。それからは驚くほどスムーズに、そしてお互い納得できる形で、私達は別れ話を終えた。最後の挨拶は「じゃあ、またね」だった。
何も後悔は無かった。あれほど恐れていた失恋の苦痛も感じなかった。むしろ、あの人と今までより素敵な関係性になれるのではないかという希望すら見えていた。
のに、私は、気付いたら、実家を目指して駅へと走っていたのだ。
多分、母は全部分かっていたのだと思う。父だって察していたのかもしれない。私が、初恋の人と結婚したかったことも、本気で恋人に一生を添い遂げようとしていたこと、そのために沢山沢山頑張ったこと、でもそれは結局報われなかったこと、依存や執着もあったけれど、私があの人を本気で好きだったこと。私が、本当は沢山沢山泣きたがっていること。
そう。好きだった。本気で好きなつもりだったんだよ、ずっと。ずっと一緒にいれると思ってた。だから、頑張った。初めてで、何も分からなかったけど、頑張れば一緒にいれると思ってたのに。あの人も、あの人と作り上げてきた時間も思い出も失わずに済むと思ったのに。
私はただひたすらに、思いっきり泣きまくった。そしてそのまま眠りに落ちた。母はずっと、私の横にいてくれた。
次の日、目が覚めたら昼の12時を回っていた。居間に下りると父が録画した吉本新喜劇を見ていた。母はお茶を沸かしていた。私は昨日残したおにぎりと新しいおにぎりと味噌汁とからあげとゆで卵を食べた。餃子は冷蔵庫から出し忘れていた。
その後、母と近所を散歩した。いつもより空気が冷たくて空が澄んでいた。公園について、木製の古いベンチに腰掛けた。「辛い経験や悲しい経験は全て未来の自分が幸せになるための布石だ」という言葉を思い出した。空を眺めがら、あのユニットバスの、小さなアパートに帰ろう、と思った。