はてなキーワード: 難病とは
これまで苦痛に満ちた生を強制されてきた子どもたちも、ついに大人と同じように解放される道筋が整えられたオランダ。
子ども本人による同意が難しければ、保護者の許可を得た安楽死も柔軟に認められる形だ。
2014年に世界で初めて子どもの安楽死を認める法律が成立したベルギーでは、子ども本人の同意が必要となる。しかし、オランダの手続きでは、子ども本人が同意できない場合、医師と相談した上で、保護者の許可を得て安楽死を行うことも可能になるという。
オランダでは売春が合法となったり、軽い薬物なら合法となったりと、世界のリベラリズムがうらやむ飛びきりの先進的な取り組みが次々と合法化している。
性を売りたい女性たちが不当に自己決定を阻害されずに済むし、健康を害しない範囲であれば薬物によるQOL向上も認められるという。
また、移民・難民の受け入れにも寛容で、欧州の中でも特にイスラーム化が進展している国だとも言われている。
難病患者も、女性も、LGBTも、イスラーム教徒も、共にありのまま生きられる、そして人生の自己決定を望み通り行える社会となった。
何がオランダの進み具合の決め手になっているのだろう。
https://togetter.com/li/1424289
雪を鼻息で溶かしてすすって、小水をなるべく体が濡れないようにもらして、身動きできないまま体温を温存して救助を数日まった
20年後にようやくこうして体験談を投稿したが、それ以前は思い出すたびに、あるいはヘリコプターを見るたびに涙がでてしまっていたのだという
それでなんとなく思い出した話
うちの父はもうずっと昔に登山しなくなったのに20年ずっと遭難している
寝て、起きて、本を読んで療養すれば風邪ならなおるのにいつまでもなおらなかった
一生悪くなるばかりで治ることはない、次に発熱したら死ぬ可能性もあるかもといわれた
たしかに熱を出すたびにだんだん自分でできることが少なくなっていった
いつ熱をだすかもしれぬ体で、肺にも負担をかけるから海外への飛行機にのらなくなって、
それでも自家用車を運転して海外から日本にもどってきた子孫の顔を見に行き来した
自家用車はボンベと車いすが載るのに買い替えて身障者マークをつけて
自宅風呂、自宅トイレの順にいけなくなって、要介護認定がついて、うごきすぎて酸欠で失神と失禁してしまう失敗も経た
そうやって発病から20年以上生き延びてとうとう先週寝たきり度C2になった
それでも父は頭ははっきりしている、遺書も書いて、お母さんを助けにきてくれという
脱水のために点滴いれて、そうしたら炎症値がさがってしまった
(酸素飽和度は相変わらず低くて手足すらろくにうごかせないけど、この20年の間におしえてたラインで状況を報告してくれてる)
もちろん世話をしている母はずいぶんと苦労していて、この20年あまり自由がない、
どころか父のためにありとあらゆることをして体力のつづくかぎり奔走した
動けないのに口出しして小言爺さんみたいなとこある
母(も老人)の家事に細かくあれしたかとかこれのお礼を言ったかとか、
物を一つ買うにももったいないなど
子育てにも関与が少なくて、自分や家族の手間を減らすために金を使うこともへただ
母の決定にうんうんと従うとこもあるが、ちょっと大きい金がうごくとなると納得させるのに手間暇もかかる
つまりセルフケアすら上手ではないから介護の段になると嫌がられて当然なのだと思う
でも登山の遭難をみていると父も勇気をもって孤独な一人遭難を20年もつづけているのだなとおもった
ロマンとかじゃなくて、むしろ邪魔なんだけど、汚くていやがられるから恥ずかしいはずの失禁すら、
生き延びるために勇気にかえているんだなぁと
https://anond.hatelabo.jp/20230330181656#
酔った勢いで匿名で書けるサイトがあると知って、今、書いている。
私は夫を心から愛している。
夫といると楽しくて、顔を見るだけでも嬉しい。
お互い好きなものを違っても尊重できていると思うし、SEXの相性も良いと思う。
何年経っても夫が好きで好きで仕方がないし、仕事が終わってご飯作るのも、
(家事ができなかった夫は努力しており、たまに忘れるがそれも許せるという意味です)
お互い年齢を重ねてはいるが、夫が世界でいちばんのイケメンに見える。
出てきたお腹ですら可愛い。でも家での健康管理は私の仕事!と思い魚と肉を交互にメインに、一汁三菜、和食中心。
結婚してから、健康診断の結果が劇的に改善したのが嬉しくて、頑張っている。
でも子供が夫に似ている部分があるのを見つけると嬉しくなるし、可愛い!となる。
腹が立ってもしんどくても頑張ろう!となる。
夫に先に死なないでほしい。私は持病があるし、数歳とはいえ、年上なので先に死にたい。
夫が先に死ぬのなんか耐えられない。
それほど夫が大好きだ。
でも夫の家族は愛せない。
人にやってもらうことを当たり前だと思っている。
嘘をつき、調子の良いことを言うのが腹が立つ。
しかし、夫はそれらを捨てられない。
孫嫁、嫁、という立場で何度も進言したけれども聞き入れてもらえない。
介護においてもそうだ。
「親戚に〜!知り合いが〜!」
で結局どうともならず、私が全て手配した。
夫のおじいさんは私が嫁いだ時に「派手だ」という一点で批判してボロクソに私を貶した。
今まで何も援助も受けてない。
今やほぼ施設に入居したお爺さんのあれやこれやを私がしている。
とか言ってたよな。私が結局してるじゃないか。
と思い、ブチギレだくもなる。
おじいさんに毎週寿司を食べさせてくれ
高い牛肉を買って、炒めて持って行ってくれ
眼科に連れて行ってくれ
通院やワクチン頼むわ
私は頑張っている。自分でも思う。
おじいさんはお年寄りだし、割り切れる。
多少我儘になるのも、理解ができる。
でも姑と弟、つまりお爺さんの娘と息子、早く死ねと思ってしまう。
後遺症も残り、信用できない。
そして全部こちらに丸投げ。早く死んでくれ。
夫を早く身寄りのない人にしてくれ。
夫を愛してるからお前達が許せない。
お前達は愛せない。
メンヘラって言われてもいい。
夫が私も子供だけ愛するようにならればいい。
私は夫を愛しているけど、お前達だけは愛せない。早く死ねば良い。
たかがブクマやスターが欲しいという程度の事のため、他人を傷付けようがお構いなしに過激なコメントを付ける。デマだろうが誹謗中傷だろうが平気で言いまくる。なんなら「手斧」とか言って、それがカッコイイとすら思ってる。
これは、「危険な傘の持ち方」をする連中と変わらない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2109511
自分の視界から外れた部分で自分が何をやってるかの想像力が働かない人は、一時が万事その調子なので、とにかく物理的距離を置く以外ないと思う。
傘もそうだし自分の後ろにまったく配慮できない人は一定数いる。混んだ電車のリュックや肩にかけたバッグを後ろにしてる人とか、自分の後ろの人がどうなってるか気にしない
これ。パッと思いつくだけでも
等、とにかく他者への配慮が無い。弱者やマイノリティの事なんか全く眼中に無い(入れる気が無い)のでデッカイ足でドカドカ踏み荒らす巨人。傲慢なマジョリティそのもの。
なんなら「物理的距離を置く」ができるだけ危険傘持ち野郎の方がマシ。はてなーは向こうから寄って来るので。そういう意味では「女にタックルしてくるおじさん」とのハイブリッドでもある。
「これだけは直してくれ」と言ったけど直らなかった
この持ち方の人には当たりに行くと、ほぼ100%の御仁が一瞬持ち方を変えるが3〜4振で元の危ない持ち方に戻る。たぶん無意識に持ってるから一生治らないと思われる。
これもそう。攻撃的・差別的なコメントや、曖昧な情報に基づく思い込み、デマコメントの多さは今までも数えきれないくらい指摘されて来ている。
そういう指摘を受けても
みたいな詭弁のオンパレードでヌルヌルやり過ごして、それで特に以後の態度を改めたりなんかはしない。攻撃性を抑えたり、自分の発言が意図せず差別的になっていないかチェックしたり、断定せず留保したり、そういう事は一切しない。あるいは一瞬だけ謹慎するとか言って、半月くらい休んだら我慢できなくなって勝手に復帰する。別アカに転生したりする。
これは特定個人だけの問題じゃなく、そういう不誠実な個人が相変わらず過激なコメントを付ける所に、相変わらずの面子からスターが集まったりして、つまりコミュニティ全体が不誠実さを許容している。全体の話。
以下は精神の弱い人間が大学院あまり行けなかったけど、無理やり酷い論文で修了したという話である。どこにでもあるような最悪な内容であり、頭の悪さも相まって「お前が悪いじゃん」「でもでもだってばっかりでそうなるのはお前が悪い、死ね」なのは重々わかっているのですが、自分の踏ん切りと内容全てを何処かに残しておきたい、という気持ちのため、ここに書かせてください。ごめんなさい。
私は地方大からちょっと良い地方大の院へ進学した。移動理由は色々あったが、地元への帰省と、自身のやりたい分野がその大学院にあったからだ。ちなみに計算科学系から有機合成系へ移った。
進学当初、私は先輩につくことができなかった。理由は単純で、単に先輩の手が空いてなかったからだ。とはいえ別グループの同級生が私に研究室のノウハウを教えてくれたため、何とか実験の動作は分かるようになった。しかし私はあまりに頭が良くなかった。合成や測定結果でわからない点を同研究テーマの先輩に聞いても、直属の後輩でないから分からなかったり、手一杯だったりで、かわされてしまい上手く相談ができなかった。教授との関係も悪く無く、寧ろ気にかけてくださっている方だったが、上手く相談できずどんどん一人で抱え込んで沈んでいってしまった。合成が下手というよりは、PDCAサイクルを回すのが致命的に出来なかったのだと今は思う。勉強は少しできても、研究が出来ない最悪のタイプだった。
研究室は先述の通り有機合成系で、コアタイムは緩いものの朝早く夜遅くが基本だった。もちろん私もそれに従った。しかし一つ問題があった、同居している両親である。詳細は省くが、父が難病、母が精神疾患を抱えており、家の面倒を度々見なくてはならなかった。夕飯を作ったり、買って帰ったりは日常茶飯事で、深夜まで母が狂ったように叫ぶのを宥めたのも数えきれない。そんな状況で大学院に行くなと言われればそうなのだが、それでも進学してしまった。なので授業、就活、実験という生活の中、親の面倒も見ると言うタスクが重なり、上手く眠れず個人的にかなりシビアな状態だった。
そんなこんなで数ヶ月が過ぎると、周囲の学生とも何と無く関係ができてくる。当たり前だが、私のように「夕飯をどうしよう」なんて考える人はおらず、良いなあと心の底で思っていた。それに周囲は、学会や論文に共同研究とバンバン結果を出している。勿論努力の結果だし、純粋に凄いと思っている。対して私は何も出来ていない。B4から入ったのと、M1から入ったのでは理解も習熟度も異なるのは当然なのだけど、それでもどうしても周囲との差を感じてしまい、日に日に自身と比較しては落ち込んでいってしまった。当時の自分もそれは分かってはいたのだが、どうしても辛くなってしまった。家庭環境も含めスクールカウンセラーにも行ったが、どうにも辛さは解消しなかった。
トイレに行く時間が増え、学食から研究室へ戻るときが憂鬱になり、通学時に息が詰まる。仕方ないのでYoutubeで面白い動画を探し、見ながら笑顔になっている自分を感じながら「笑えるから大丈夫」と誤魔化していた。
しかし急に、ある日ベッドから起き上がれなくなった。どうしても起き上がれない、動けない。希死念慮が浮かぶ。自分はいなくなったほうがいいのではないか、私みたいな無能はどうやっても何も出来ないんじゃないか。実際無能だし死んだ方がいいと今も思ってる。ズルズルと風呂に入りもせず、ずっとベッドの上で死んだように寝ては泣いていた。いま文章を書いていても論理が不明だけれど、でも確実に辛かった。そして秋だった気候が冬に変わり、気づけば年も明けてしまった。研究室の友達も先生も凄く心配してくれたが、ずっと引き篭もっては一人体育座りして、夜が明けるのを日々恐ろしく思っていた。朝の鳥の飛び立つ羽音が余りにも力強くて、自身の無力さから泣いたりもした。そしてあれだけ楽しかった実験が、苦でしか無くなってしまった。
そうこうしているうちに就活が本格化し、それでも研究室にいけない日々が続いた。しかしこのまま退学をしても生きる道はなく死ぬしかない。極端な思考だと思うけど、行くか死ぬかという2択だった。どうしようもないけれど研究室に行くよりは就活は楽で、頑張って色々と行動して内定を得て、研究室へ復帰して、時折休みながら修士論文を書き上げた。ちなみに修士の中間報告や各種講義は、先生のお目溢しと慈悲と過去(M1前期)の頑張りでなんとか修了単位を頂いた。情けない限りである。
言わずもがな、周囲と比較して大変悲惨な修士論文が完成した。数ヶ月でできるテーマを2年もかけたのか?と言われたら反論の余地はない。自分でも悔しいし、誰もが優しかったし、大層恵まれた環境だったのに、自分に耐えられなかった自分が許せずにいる。今も死にたいし、実際周囲は嘲笑っていた。
休んだ理由はカウンセラーだけにしか言っていない。仮に本当のことを言ったとしても、休んだ事実は覆らない。
長々書いてきたが、勝手に精神を病んで、勝手に辛いと思い迷惑をかけた上に、カスみたいな修論を出した。もう2度と行かないし連絡しても欲しく無いから、正直連絡先も記したく無かった。
研究室の先輩、同期、後輩には色々とお世話になり、休みがちだったことが原因で叱られたこともあったが、本当にお世話になった。休んでからは直球の悪口も聞いたし(そいつは絶対に許さない)、嫌われていたのは承知だけれど、それでも何とか話してくれて有り難かった。
教授たちにも多大な迷惑を掛けてしまったものの、手厚い優しさ、応援を頂いた。それなのに何も出来ず本当に申し訳ない。
研究結果で返したかったのに、より一層自分の出来なかった・しなかったことが悔やまれる。期間を戻せるならやり直したいが、戻しても同じ病みかたをする気がするし、無能なのは代わりないから、そもそも院試で落ちた方が良かったのかもしれない。私の代わりに誰かが落ちたと聞いた。本当に申し訳ない。
面と向かって家族関係の諸般の事情を伝えていないのもあり、伝えにくいのだが、本当にありがとうございました。修士論文の末尾に謝辞を書いたが、あんな短い文章じゃ収まりきらないほどの感謝だ。
の続き
曲名: Prelude to Madness(Savatage)
https://www.youtube.com/watch?v=DyBCSJQH2zE
曲名: In The Hall Of The Mountain King(Apocalyptica)
https://www.youtube.com/watch?v=VNE7Mt63t2E
Rainbowのことを考えたときにグリーグの 「山の魔王の宮殿にて」を思い出した。
せっかくなので別のバンドを記すことにした。他にもSavatageを中心にして生まれたTrans Siberian Orchestraなども演奏している。
https://www.youtube.com/watch?v=F-WazDQZu0I
Acceptのギタリストがヘヴィに仕上げており、聞いていて気持ちいい。彼はクラシックを取り上げたアルバムを2枚出している。
https://www.youtube.com/watch?v=W8bbodUFUUU
聞いたことがある人も多いだろう「怒りの日」を引用。長尺の曲だが、いかにもな展開でニヤニヤしてしまう。
私はこれ(https://www.nicovideo.jp/watch/so17472785)を思い出してしまう。
https://www.youtube.com/watch?v=rJeBuEjQeoI
聞けばわかるとあのフレーズ以外にもいいアレンジがされていて好き。Fabio Lioneの声も好きだ。
リンク先の楽曲は違うと思うが、Rhapsody of Fireの別の楽曲では、Christopher Leeがゲスト参加していて渋い声を聞かせてくれている。
Jason Beckerの1stソロアルバム「Perpetual Burn」に収録された「Air」がアレンジされ、オーケストラで演奏された動画を紹介したい。
原曲が本当に素晴らしいので聞いてほしいが公式動画はない模様。
曲名: Jason Becker's Air Covered By Konstantin Kokourov
引用: Air(Jason Beckerの1stアルバム「Perpetural Burn」収録)
https://www.youtube.com/watch?v=Vt4YHlSbuk0
さて、Jason Beckerをご存知だろうか。10代でCacophonyというバンドでデビューを果たしたギタリストだ。
ツインリードギターが売りのバンドで、もうひとりのギタリストは、先日Megadethの武道館公演にゲスト参加したMarty Friedmanだ。
JasonはソロアルバムとCacophonyの2ndアルバムを出したあと、Van Halenから抜けたDavid Lee Rothのバンドに参加。
しかし、スーパースターのバンドでこれからというときに、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症してしまう。
バンドのアルバムと2ndソロアルバムを完成させたものの、目を動かす以外の体の自由がなくなった。
それでも作曲活動を続け、2018年にはアルバム「Triumphant Hearts」をリリース。Martyをはじめ錚々たるプレイヤーが参加している。
記事の主旨からは外れるが番外編ということで、その2018年のアルバムから「Valley Of Fire」を。
https://www.youtube.com/watch?v=1gS5ibUPUvg
これでも削ったほうですが、語りたくなってしまった。
でも手取り55万でも10万くらいしか余らないワイくん(独身)に比べたらマシやろ
なお、家賃5万未満、
酒・タバコ・キャバ・風俗・ソシャゲ課金・車・ブランド物漁り・海外/国内旅行すべてしていない模様
ただ単に金銭感覚が死んどる
震災などで家を失った人が「かわいそうに」なんて他人に見下されるのが嫌だと言っていたが
実際は世の中の障害にあった、家族に不幸があった、病気になった人達ががんばっている姿を見て、「自分達はこういう人たちに比べたらまだマシだからがんばろう。健康なからだがある当たり前の生活があることに感謝しよう」という風潮がある
障害がある、難病をかかえている、不幸な目にあった人たち自身が「私たちはこんなにがんばってるんだから、あなたたちだってがんばれる」と言ってるならともかく
他人に勝手に見下されて「あいつより自分の方がマシだ。あいつより自分は恵まれてるんだからがんばらなくちゃ」って思われたらいやじゃない??
別に五体満足でも、帰る家があっても、金持ちでも、容姿端麗でもそれぞれの人の地獄があるんだから、それぞれの地獄にひたって「自分はなんて不幸なんだ」とネガティブにひたってもいいと思う
他人に迷惑をかけなければ、ネガティブメンヘラになっていいと思う
自分より不幸な人の姿を見て「この人に比べたら私は幸せだから、あたりまえの日常に感謝しなきゃ」なんて思わなくてもいいと思う
それぞれの地獄があるんだから、私はなんて不幸なんだ!!ウワァァァ!!ってかわいそうな自分に酔いしれていいと思う
SNSやブログにわたしはこんなに不幸なんです。と痛々しい文章をのせたり
赤の他人の時間を拘束して「わたしはこんなに不幸なんです」というエピソードトークをするのはやめよう。迷惑だから
それから親が子供に愚痴をいうのはやめよう。子供は親の都合の良いサンドバッグじゃないから。子供が親にすきなだけ愚痴をいうのはいいと思う
親とかお悩み相談をきく仕事をしている人や占い師やキャバ嬢やホストには好きなだけ自分はかわいそうポルノをぶちまけたらいいと思う
増田の実践も想像もその通りで、既にアメリカやスウェーデンなどでは婚姻と生殖が切り離されており、裕福な女性達が活きのいい精子選びを楽しめる。
タイミング法といって、性行為を通じて活きのいい若い男性から精子提供を受ける取り組みもある。
ただし、増田はもうやらないかもしれないけど、経歴詐称だけはくれぐれも慎むようにね。
年収は平均よりちょい上。妻は専業主婦でメンタルにうっすら問題あり。首都圏住。
学生時代からぐーたらな性格で「打ち込む」と言えるほどの趣味はない。自由時間は無限にスマホをいじってしまう。
「一人でいるとただの泥だが他人がいると人間としての形を成す」という感じ。自己嫌悪もあるがもう38なので諦め始めている(まだ諦めてない)。
受験はまだしてないから分からない。けど片方の子が数万人に一人という難病にかかった。幸い快復に向かっており当面は命に関わるものではないが、一生向き合う病気。
病院ではそういった子をたくさん目にする。我が子より軽い子も重い子もいる。当初は人生で一番と言っていいほど辛かったが、生きているだけで幸せだという思いになった。
これが少し違う道に転んだらどうだったかは分からない。現にそういう家族をたくさん見るわけで、自分がその立場になる可能性について現実味を感じた。「こどもなんて作るんじゃなかった」と思うかというと、そうは思わないんじゃないか。
人による。ある程度の収入があれば、生活水準は主観的なものだと思う。養う人間が増えるのだから金銭的な支出はもちろん増える。そのリターン(金銭に限らない)の感じ方によって生活水準は変動する。
自分は上述したように他人といることでまともに社会生活を送れるようになるタイプの人間なので、こどもがいるから今の収入を得られていると思っている。
「どっちにしても」と言っている通り、こどもの有無で変わらないのでスルー。
4. 親との関係は良好なので摩耗していない
5. 介護はまだ考えていないがこどもに介護してほしくはない(気にかけてくれさえすれば御の字)
6. 定期的に会う他人のことを友人と呼ぶのなら、そんなものはもとからいない(仕事、子育て、コロナがひと段落して10年ぶりに学生時代の友人と会ったりはした)
「若い時の時間はかけがえのないもの」だとして、そのかけがえのない時間を何に使うかという話。
自分はこどもと過ごせて良かった。
こどもと遊ぶのは肉体的にも精神的にも体力がいる。彼らは疲れない。常に目がキラキラしている。仕事で疲れているときなどは、そのキラキラな目を、言動を、受け止めきれない。その目を曇らせる対応しかできないのが辛い。
自分は学生時代から大して体も動かしてないので体力がなく、年取ってからできたこどもだったらもっとキツかっただろうなと思う。
そのキラキラを、好ましい形で受け止め、レスポンスできたときは、とても満ち足りた気持ちになる。ああ幸せだな、と感じる。
冒頭に書いたように妻も万全じゃなく、よって夫婦仲にも問題がないとは言えず、こどもの病気も大変だけど、この家族を作ることができて良かったなと思っています。
1990年代。学生の頃はずっと適当に生きていた。バブルはもう弾ける頃だけど一部の業界を除いて世の中はまだ浮かれていたし、深夜の高級クラブ系でアルバイトをすれば学生には不釣り合いなくらい稼げた。
綺麗な年上のおねーさんと、高いご飯を食べたり旅行に行ったりセックスしたり、もー別にこれで十分かな、って思ってた。視野が狭かったね。
自分自身、したいことも無いし、もういいやって。
でもね、その時に思った。生まれる子には責任を持とう。若くして家庭を持つのは大変だ。だから中退して人の倍は働こうって。そのために自分は長生きはできないかもしれないけど、俺には自分自身がないから別にいい。その後、子供があと2人生まれて3人になった。当時23歳。若さってすごい。何も考えてないだけなんだけど。
子どもたちが成人するまでは、何があっても頑張る。タイムリミットは44歳。その後はおまけの人生なので、死んでも別に構わない。
39歳の時に離婚した。いやね、俺はクズやろうじゃん。だから離婚の原因は俺なんだけど。
でも、生活費・養育費・学費などは一度も欠かしたことはない。約束だから。まぁその他の父親としての義務は果たせてないから完全に約束は守れてないけど。
40歳になって特定疾患の難病になった。一週間以内に死ぬ確率が30%だって、ウヒー。でも運良く助かった。・・・・と思ったら10ヶ月後に再発した、ウヒー。でも運良く助かった。
後4年は持ってくれよって思った。
41歳, 43歳, 44歳 の時に、それぞれ子どもたちから成人したとことを伝える電話がかかってきた。元嫁のはからいだと思う。ありがとう。
そんなことはない。
むしろ若い頃から自分の世代に我田引水し続けた人間が年寄りになってから得をするのだ。
そもそも50年もすれば技術が発展して全く世の中の形が変わる。
昔は死ぬしか無かった難病でも簡単に治療可能になるし、死にかけのジジイでもシルバー人材として労働をさせられる。
体が動かない奴でも楽しめる娯楽に世界は溢れ、老人ホームの使用が当たり前になるから家族介護の文化は廃れてきた。
時代の変化を見越して自分の老後に向けて社会を変えていくのは難しい。
今の若者が出来るのは「俺達の世代を優遇しろ」という活動をいつまでも続けることだ。
今いる老害共はそうやって権利を獲得し、氷河期共はそれを怠って権利を手放した。
一方的に殺されることをやめろ。
奴隷になるな。