年収は平均よりちょい上。妻は専業主婦でメンタルにうっすら問題あり。首都圏住。
学生時代からぐーたらな性格で「打ち込む」と言えるほどの趣味はない。自由時間は無限にスマホをいじってしまう。
「一人でいるとただの泥だが他人がいると人間としての形を成す」という感じ。自己嫌悪もあるがもう38なので諦め始めている(まだ諦めてない)。
受験はまだしてないから分からない。けど片方の子が数万人に一人という難病にかかった。幸い快復に向かっており当面は命に関わるものではないが、一生向き合う病気。
病院ではそういった子をたくさん目にする。我が子より軽い子も重い子もいる。当初は人生で一番と言っていいほど辛かったが、生きているだけで幸せだという思いになった。
これが少し違う道に転んだらどうだったかは分からない。現にそういう家族をたくさん見るわけで、自分がその立場になる可能性について現実味を感じた。「こどもなんて作るんじゃなかった」と思うかというと、そうは思わないんじゃないか。
人による。ある程度の収入があれば、生活水準は主観的なものだと思う。養う人間が増えるのだから金銭的な支出はもちろん増える。そのリターン(金銭に限らない)の感じ方によって生活水準は変動する。
自分は上述したように他人といることでまともに社会生活を送れるようになるタイプの人間なので、こどもがいるから今の収入を得られていると思っている。
「どっちにしても」と言っている通り、こどもの有無で変わらないのでスルー。
4. 親との関係は良好なので摩耗していない
5. 介護はまだ考えていないがこどもに介護してほしくはない(気にかけてくれさえすれば御の字)
6. 定期的に会う他人のことを友人と呼ぶのなら、そんなものはもとからいない(仕事、子育て、コロナがひと段落して10年ぶりに学生時代の友人と会ったりはした)
「若い時の時間はかけがえのないもの」だとして、そのかけがえのない時間を何に使うかという話。
自分はこどもと過ごせて良かった。
こどもと遊ぶのは肉体的にも精神的にも体力がいる。彼らは疲れない。常に目がキラキラしている。仕事で疲れているときなどは、そのキラキラな目を、言動を、受け止めきれない。その目を曇らせる対応しかできないのが辛い。
自分は学生時代から大して体も動かしてないので体力がなく、年取ってからできたこどもだったらもっとキツかっただろうなと思う。
そのキラキラを、好ましい形で受け止め、レスポンスできたときは、とても満ち足りた気持ちになる。ああ幸せだな、と感じる。
冒頭に書いたように妻も万全じゃなく、よって夫婦仲にも問題がないとは言えず、こどもの病気も大変だけど、この家族を作ることができて良かったなと思っています。