はてなキーワード: 障碍者とは
それを見るたびに胸がきゅーっと締め付けられ、同時に怒りと嫉妬の炎が脳の海馬を焼き尽くす。
「くそが。障碍者のくせに目立ってんじゃねーよ。恵まれてんじゃねーよ障碍者のくせに。社会の隅っこで背中まげて不幸の汚水に浸りながらひっそり生きてろや。この世は健常者ランドなんだよ。健常者専用の世界なんだよ。障碍者の分際でキラキラすんなよくそが」と無意識に口をついて出てくる。
身体障碍者は社会からのサポートがあって、ちょっと頑張っただけで世間から称賛される。楽でいいよな。健常者と同じステージで戦わなくていいなんて楽でいいよな。
オリンピックには出れないごみスポーツプレイヤーでもパラリンピックなら競争相手が少ないから楽にメダル取れていいよな。簡単に承認欲求が満たせていいよな。同情されて理解されてていいよな。
身体障碍はかゆくないし痛くなくていいよな。生活に支障がなくていいよな。
アトピーゾンビウイルスという世界で最も重く辛い障害を負っているアトピーゾンビもパラリンピックに出れるようにするべきだ。
自慢じゃないが運動には自信がある。もし、パラリンピックに出れるなら金メダルを取りまくって、日本人の障碍者が優れているということを世界にアピールできるだろう。
アトピーゾンビウイルスというこの世で最も重い障害を持っているのに、社会では健常者扱いだ。最悪である。かゆみや痛みや他人からの冷たい目や嘲笑に耐えても何の称賛も与えられない。
「甘え。アトピーゾンビウイルスを言い訳にしているだけ。努力不足。かゆみなんて我慢しろよw大変なのはみんな一緒!ただかゆいだけで大げさな。なんで治るように頑張らないの?ワセリンで治るんだって!病院行ってる?本人に直す気がないからいつまでたっても治らない。病気に甘えてる。見た目は関係ないよ。そんな性格だから彼女ができないんだ。容姿のせいにするな。きもい。近づくなよ。アトピーゾンビだーwww感染するぞwみんなにげろーw。普通じゃないやつとは友達になれないわ。あんな人生やだ。おれあいつじゃなくてよかったわ。うわきもっ。ちょっと!かわいそうでしょ!でもきもいじゃん。まあねw。肌がキモイ人とは付き合えない。私の私物に触らないで。生きてて楽しい?なんで生きてんの?俺だったら死ぬわw今のひときもくない?ぎゃははwww」
アトピーゾンビの人生は、パラリンピックの選手がオリンピックに強制出場させられて晒しものにされているようなもんだ。
アトピーゾンビウイルス障害と戦っているものに対して、もっと社会からの称賛と賛美と喝采と胴上げがあってもいいんじゃないだろうか。そう、身体障碍者のように。
パラリンピックに出れるように足を切断しようか真剣に考えている。
承認欲求を満たし、今まで虐げられてきた傷を癒すには身体障碍者になってパラリンピックで金メダルを取るのが最適解じゃないかと考えている。
http://kutabirehateko.hateblo.jp/entry/2016/09/07/145618
「前後の文脈がどうであろうと『民族名+殺す』とTweetすることは紛れもないヘイトスピーチであり、被差別者である少数民族にとっては現実の脅威だ
というのと
http://kutabirehateko.hateblo.jp/entry/2016/09/08/110243
。ドイツ人が「ユダヤ殺す」と公の場に書いたらどういう問題になるかを考えてみればわかる
孫正義をハゲ呼ばわりする人の大半は彼より社会的に弱い立場にいる。
って発言者との関係という文脈読んでるから同時になりたたなくない?って思うんだけど。
後者の非対称を元に発言者の属性を元に差別かどうか判断するって話だと、これマイノリティがマジョリティが差別するのような発言する場合はOKじゃない?
特に今は蓮舫さんに対する差別的発言がネットに溢れていると思いますが・・・。
更に言うと
ナチスがユダヤ人、同性愛者や障碍者、思想家を皆殺しにように、ハゲを根絶するために動いた国家があるだろうか。また日本にそのような歴史があるだろうか
これその国がある特定の属性を弾圧した歴史がなかったら差別じゃないんですか?
じゃあ日本はムスリムを組織的に弾圧した事無いけど、はすみとしこ氏の例の絵は差別じゃないんですか?
http://geopoli.exblog.jp/25798091/
イスラム系の人々は、パレスチナ難民に同情する反イスラエルの人々が多いので、必然的に彼らの反ユダヤ主義が、逆にリベラルな西洋の国家の中で野放しにされて拡大してしまった、ということなのです。
朝鮮民族などの日本に植民地支配されてた人達がアイヌ民族を組織的に弾圧差別していた歴史はないですよね?
これ今回の発端となツイートが日本におけるマジョリティである大和民族でなければ差別ではないのでしょうか?
だとすればツイートした人が日本国籍をもち日本に在住している大和民族かってどうかってどうやって調べたんでしょうか?
在日コリアンとか外国人かもしれないし、テキサス親父みたいに日本語を勉強した外国人かもしれない、沖縄の人かもしれない(琉球民族)し、フィフィさんみたいな外国籍の人かもしれない。
発言者と言及された人間の属性という非対称ロジックで差別だと判断するという立場をとるなら相手の属性をみてから糾弾すべきではないでしょうか?
仕事の同僚
会話で質問をするときには毎回前提から話さないと通じなかった、ほんの10分前に話した話題の続きでも
言っている意味が分からないと返されることが多く、それが嫌味の表現でもなく純粋に分からないらしかった
和食は両手を使うと彼は言っていたが、ナイフ・フォークで食べるものはフォークしか使わない
どんな小さな器でも、食べづらいものでも、器を左手で持つことをしない
それどころか器を自分のそばに寄せることさえせず、ひたすら片手だけで犬食い状態で食べる
傍目に見ていて身体が不自由なのだと感じるが、障碍者指定などはない
なんとも奇妙な食事の癖で、マナーどころではなくおかしいと感じる
動きも何か妙に固くぎこちない印象を受ける、同時に2つのことができないというような、1つずつ確かめて動くロボットのような
当たり前のように話ができて、当たり前のように食事ができる
そんな当たり前がずっと大事だ
すると、エンターテイメント産業である日本の報道各社は、障碍のある方々の、その障碍を克服して素晴らしい躍動を発揮する姿を広く伝え、感動を得ようと、いや、つまりは視聴率をあげ、スポンサーからの広告収入を得ようと躍起になる。
そういう背景があるということを潔しと思わないからか、何かこう、素直に感動出来ない自分がいる。
いや、それでもいいじゃないか、感動をもらえれば。その素晴らしい姿に勇気をもらえれば、という意見も多いだろう。
その前に、と思う。
さて、かつて同級生で、事故で肩から先の腕をなくした奴が居た。
ごく自然に彼の片腕がないことを受け入れ、どうしても片手では出来ないことは周囲の誰かが手助けしていて、彼自身もそれ自然に受け入れていた。
周囲の同僚も、その不自由な部分を自然に受け入れ、時間がかかる作業も待ち、彼らの出来ないことは無理強いはしない。
障碍があろうとなかろうと、更に言えば肌の色が黒かろうが白かろうが、その人の個性として受け入れて、付き合うことが必要だろう。
その一方で、一見、健常に見える人でも、相対する人を認めず、その人格を否定する、という心の障碍をかかえた人を何人も見てきた。
そういう、目に見えないところで健常でない人は、身体に障碍がある人より、よけい人間として厄介な存在だ。
公共交通機関のシルバーシート。「お年寄りや身体の不自由な人に席を譲りましょう」という趣旨から設置されているはずなのに、松葉杖を使い足が不自由そうな人が前に来ても、ひとりも席を譲ろうとしない人々の姿を、何度も見てきた。
あまっさえ、車椅子を使う人や盲導犬に誘導された人を、満員電車の中であからさまに邪険にする場面にも、何度か遭遇している。
そんな、「他人の身になって考えられない、想像力の欠片も持ち合わせていない」ひとたちこそ、実はとんでもない「障碍者」なのではなかろうか。
身体障碍者の姿を公共の電波で世間に広め、「感動しろよ」と強制するテレビ局も、実はそんな、とんでもない障碍者の集まりなのではなかろうか。
「モテるけど困っちゃうなア…困った困った(棒」調に書いて痛い高スペ男性or痛い姫サ女を書くと300は硬いぜ!
結婚生活レポ
あるあるネタで共感を稼ぎつつ、非モテを無条件に見下す姿勢を維持すれば確実にこのスレは伸びる!
ポイントは下手に現実的な反省点を書いたりせず、「無間地獄に落ちた僕or私」で悲劇のヒロインを気取りきることだ!
主人公気分を味わえるのも高Mポインツ!
映画見に行くだけで増田のネタまで回収できる一石二鳥の策でコスパ最高だろ?(ドヤ顔
シン・ゴジラの面倒くさい増田を巻き込んで対立煽りで伸ばすこともできる、今一押しのトレンドだ!
ちと旬が過ぎちまったがまだまだいけるぜ!
日頃から重ねた障碍者の偏見でレッテル貼りをしてフックを大量に用意しろ!
明日の朝かごを開けてみれば大量の獲物が釣れてるぜ!
こいつも時期的には既に過ぎちまったが、「貧困」という要素だけを切り抜いて自分語りで広げることができるぞ!
タイムリーなワードを使って聞いてもない自分語りでブクマを稼ぐ!
おーっと、もう腐った臭いがしてらぁ…
こいつはもうだめだな。すまねぇ、他のにしてくれ。
そいじゃ注文を聞こうか!!!!!
苦しい発達障害の現状を伝えようと思う
彼は多動性の強いADHDだと思う。そして私は軽度のADHDだ。なぜ軽度と言っているのかといえば病院などで診断を受けているわけではなく自覚症状として勝手にADHDの気があると思っているからである。傾向を見ると間違いなくソッチの気があると自分でも断言できるのだが、ADHDテストなどを受けると辛うじてクリア(健常)してしまい、自閉的な強いこだわりであるとか衝動性は少ないので目に見える違和感は少ない。それゆえ今まで友人が出来、恋人が出来、定職にもありつけた。しかし、これが苦しい苦しい。
ADHDとはどういう病気かと言うと、キーワードクリックして詳しく調べてくれと言いたいところだが、簡単に言うと多動性と不注意性に分かれる。彼の場合は多動の傾向が強く、いわゆるお調子者、クラスでうるさいガキというやつだ。調子に乗ってウザいと嫌われるときもあれば、クラスのムードメーカーと愛されるときもある。しかしこの病気は、うるさく騒ぐことが面白いとウケる=認められる=嬉しいと思うあまり”やりすぎてしまう”ことが顕著で、決して迷惑かけてやろうと思っているのではなくて快楽に忠実に従って「どこでやめたらいいかわからない」だけなのだ。怒られたりして冷静に考えるとたしかに自分の行動はよくなかったなと終わってから初めて思える。彼の行動原理が分かるために切ない。アスペと違うのは空気や行間はわりと読める、でもやめどきがわからない。高難度の空気は読めないということになる。発達障害が高機能自閉症と言われる所以はここにあり、普通の生活は営めるんだけども細かいところが分からないのだ。でもこの「細かいところ」日本ではとても重要視しているために生きづらさを強く感じる。
私は不注意の傾向が強い。注意力散漫がどうとか学術誌には書いてあるが自分では注意力が散漫とは思っていない。知らない間に怪我したり忘れ物が多いとか遅刻をしやすいとかがあるけれどもみんなそんなもんでしょと思って生きてきた。しかしこの遅刻やらケアレスミスの頻度が多すぎるのだ。人間誰しも一度はミスを犯したり、忘れ物したり、寝坊してしまったりがあると思います。ADHDはほぼ毎日なにかしらやらかします。そうすると信頼を失っていきますよね。自己嫌悪に陥るからタチが悪い。いっそ脳の認知度レベルも落としてくれと思うこともある。それを許されないのがグレーゾーンのつらさ。私は遅刻魔のレッテルを貼られているし、大事なもの(ライブのチケット、パリのお土産、鍵、定期、財布)を幾度となくなくしてきた。平和な日本では財布や携帯を落としても大体の人が拾ってくれることを知っている。ディズニーランドのパスポートを駐車場まで持っていたのに入場前でなくして凹み、買いなおして貰ったが申し訳なく罪悪感で楽しめなかった事があった。
人間関係においてはからかってやろうと思うと行き過ぎてケンカを売っている状態になり嫌われる。でもからかわずにいられない衝動に駆られる。何の呪いだ
話を聞いていなく(聞いている途中で無意識に気がそれる)移動教室がどこのクラスで行われるかわからず授業時間始まっているのにもかかわらず彷徨い続けたことが人生で2度もある。
先読みが出来ない。モタモタ行動は遅い。帰りの会が終わり教室を1番に出ることは6年間皆無だった。
自分が生き辛さを強く感じ発達障害を疑いだしたのは大学生のころだった。大学生にもなるとゆとり教育などとも言っていられず自立が求められる、なにより友人知人の関係性がとても浅くなる。高校生までであれば今日は風紀検査があるよだの○○で移動教室あるよだの教えてくれる人が一人はいた。休もうものなら心配してメールの1本入る。だが大学生が授業フケこんで休むなんてザラにある。仲の良い友人だっていちいちメールしてこないのだ。私は始業日を1日間違え、無自覚のずる休みをしていた。それに気づいたのは翌日登校し「昨日なんで休んだんだよ~」と声をかけられてはじめて知った。ショックだった。大学では持ち物やレポート期限などをご丁寧にレジュメに発行せず口頭で伝えるものだ。手帳を普段携帯しないしメモってもそれを見ないので忘れ物の数が半端じゃなかった。また君か。やる気はあるのか。鬱になった。2限から始まる授業のほうが遅刻していた。余裕ぶっこいてダラダラ支度し、遅刻決定している時間に焦って家を飛び出す。そんなこんなで就活の時期になり自分が愚図なのを自覚していたので、誰よりも早く決めてやろう、そう意気込んだ。就活期間は3ヶ月、短期決戦で集中した。驚くことに志望していた会社にきまった。3年の11月ごろに決まっている奴なんか私くらいしかいなかった。
しかしうまくはいかない。見る目がないのでブラック企業にストレートインしていたのだ。めちゃくちゃ体育会系の会社にADHDの愚図が合うはずもなくいじめに逢い1年でやめた。1年がんばったのは逃げたくなかったこととすぐにやめるとその程度の能力しかないと思われ次の就職先に響くと思ったからだった。でもさっさと辞めればよかった。無理して働いたせいで心身共に病み、完全復活するまでに1年半掛かった。働いていた期間より長い。その後転職エージェントを使い再就職できたものの空白期間は当然つっこまれる。留学したとうそをついた。ADHDは怒られないようにうそを平気でつけるようになる。クズに拍車がかかる。ちなみにその1年の間に物は壊すわ顧客に失礼するわ遅刻もするわでいじめられる原因は自分が作っていることにうっすら気づきながらもミスは無意識に発生するためどうしようも出来ない。フォローもやりかたがわからないしうまくできやしない。リスクを未然に防ぐ想像力がなく、それによって起きたリスクに う ま く 対処できないのが特徴。
私が言いたいのは発達障害だからって有効な薬もなく対処療法になるし、一生ついて回るものだしどうにもできない。できるだけ健常なみなさんに広い心を持っていただきたく、我々もミスることを自覚して慎ましく生きなければならない。
発達障害って最近認知された言葉だけれど、急にふっと沸いた人種なのだろうか。
クラスに一人はやばい奴認定されていた奴がいたと思うが、あいつらは絶対にそう。でも特別支援学級に行くまででもない。
ほかにおっちょこちょいなやつ、忘れ物多いやつ、どんくさいやつ、こいつら全部軽度の障害。
ねえ、そう思ったら多すぎませんか。
なんでも規則でしばって、ちょっとでももたもたしていたら障碍児って、安直すぎやしませんか。窓際社員がいたっていいじゃないか。働きアリは全員が働いているわけではなく何割かはサボっていて、よく働いているアリグループを別のゲージにいれるとその中でまたよく働くやつほどほどのやつ、サボってるやつで役割が分担されるという。社会というのは何割か使えない奴がいて初めてうまく回るんですよ。私のようなかなりグレーなおそらく病名が付かないで”傾向”で済んでしまう人はずっとこれからの人生このまま生きていかなきゃいけないんですよ。働いて生活できるようにしないといけないし、結婚して家庭だってもちたい。発達障害は遺伝するから子を産むななんて悲しい事言わないでくれよ。人間やぞ。ショックなんやぞ。自分が障碍者かもって思ったことあるか。ガビーンだぞ。ショックすぎてむせび泣いたわ。これから先困難が予想されるけども、もう仕方ないから受け入れている。ひたすらメモにとってせめて忘れ物や遅刻はしないように気を使っている。
発達障害は往々にして鬱
高畑敦子の愛情によって、通常なら鬱を発症するはずが、裕太容疑者は明るいキャラクターを通している。
これってすごいこと、私は母親の教育は失敗に終わっていないと思う。
発達障害児は失敗行動が多いのでとにかく叱られたり嫌われたり自分でもやってもうまくいかないので塞ぎこみがち、というか凹むしかない。私は物心付いたときから割りと反抗的な性格もあってまわりからは規則を守れない奴とみられてきた。するとどうなるか。鬱になる。ずっと性格に卑屈な面が出てきてテンション低い、低度の鬱状態が延々続いていく。非行に走らなかったのは親が厳しかったためであるが鬱で息苦しい鬱蒼な毎日だ。高畑家はどうだろうか。おそらくやつの個性を認めて明るく育ててきたのだろう。途中まではうまくいっていたのになんとも悲しい結末だ。
ハメられやすい
私も若いころ経験があるのだが、予測行動を苦手とするために悪意を持った人間にハメられたり騙されたり非常にしやすい。そして騙されやすい。アホに違いないがアホっていうかなんというか知能テストはクリアするものの純粋ゆえに人を信じて騙されているんだろうなと思う。詐欺に引っかかる人、認知レベルが落ちている(高齢者など)か発達障害の傾向がある人だと思う。今回の事件、被害者は実際に被害にあっていると思うが、これまでもあいつならちょろいぜと美人局的な事件に遭っていそうだなと客観的に思った。
障害児の親も往々にしてそういう傾向がある。昔はお見合いだったから相手が不器用が過ぎる人間かどうか気づかず結婚していたのだろうと推測する。遺伝の可能性は否定できない。
また、高齢出産の影響も強い。卵子のタイムリミットをしっていますか。これはこの年齢を境に機能がガクっと落ちることを意味しているのだけれど、37歳なんです。今日本で結婚を意識する年齢って30歳前後ですね。仮に30歳の女性が結婚したとしてあと7年しかないんです。短くないですか。女性の社会進出や医療の発達などで晩婚・高齢出産をしても安心して生めるように環境はそろったけれども、肉体としてはあまり進化がない。元々人間の寿命は50年ほどでした。いたずらに長く生き過ぎているのかもしれませんね。精子も劣化します。男性は生涯現役だとばかりにジジイになっても性欲はおちないものですが、ジジイになればなるほど劣化します。精子が劣化しているとそれだけ不具合を持った子供が生まれやすい。福山雅治さんが先ほど第一子の妊娠を発表なされ非常にめでたいのですが46歳の精子はなかなかですね。顔はきれいだろうけれど、障害グレーが生まれる可能性高いです。イケメンは隠し子の1人2人いてもいいと思いますよw若いときに作ったほうがいい。
ここまで長く書いて何いいたいんだろうって話ですが、あまり糾弾せずちょっとどんくせえなくらいに受け止めてほしいということ。そして障害を持つものも幸いにして知能は高いのだから怠けたい衝動に突き動かされず、やるべき社会的行動にロジカルに対応すべき。ルーティーン作業ほどミスるので、日常生活をマネジメントしたメモをいたるところに張ってそのとおりに行動すればまだましかな?まったくの健常者だって忘れ物くらいするのだから、お互いがんばりましょうや、ということです。
最近、「発達障害だったのにこんな契約を勧められ、断り切れず契約してしまった」「老人で判断能力が落ちていたのにこんな契約を勧められ、断り切れず契約してしまった」みたいな話を良く見るが。そんな事、どこで判断したらいいんだろう?障碍者手帳でも出されれば、流石に判るだろうが。
自分も不快に感じるような営業されるのは嫌いだし、運よく自分は勧誘する側として業務にかかわる事は少ないけれど。そういう仕事の人は大変だなぁ…と思う。
勿論、めちゃくちゃな契約を結ばせた某社を擁護する気は少しも無いが。一般的な勧誘について、そんなに簡単に白黒付く話じゃないとも思う。
女優さんの息子が性犯罪で捕まったという事件を見て、ああ前の職場にいたような人と似ているなと思った。
知らない女性に突然抱き付いたり、ボディータッチが多かったりという男性がいた。
本人のいないところでは「彼はそういう人だから気を付けて」と小声で言われた。
本人に「そういうことをすると警察に捕まるからやめた方がいい」と言っても理解できないようだった。
始めにいた管理職は周囲にいる(直接対応する)人の大変さを理解し、それなりの配慮をしていたが、次の管理職は「障害があると言えば人権侵害と訴えられる」「(障害を認めていても)障碍者の人権があると主張される」と言い、周囲にひたすらに我慢を強いるので人がどんどんいなくなった。
職場をかわったら別のタイプがいた。職場で情緒不安定で仕事ができず(周囲に投げるのでやらざるを得なくなる)職場内外の人に怒鳴りまくる人とか、落ち着きがなく人の気持ちを考えるのが苦手で暴言を吐いたり無理を強いる(敵がたくさんいる)、モノを良くなくしというのを繰り返す人とか、発達障害か人格障害か何かあるんじゃないか、という人が何人かいた。ただ、管理職はほぼ不在で主張の強い人(つまりこの当事者たち)の話を適当にきくだけだったので、やはりここも人がどんどん減って行った。
コミュニケーションが苦手な人同士仲良くやっているようなところもあって、そういう人だけの職場になりつつあった。障害がある人同士気持ちが通じるところがあってうまくやれるならそれはそれでありなのかもしれない。ただ、関係する外部の機関の人達は「非常識だ」「一方的だ」と怒っている人が多く、どこからも相手にされなくなるのも時間の問題に見えた。
性犯罪はなかったけど、やはり何かしら事件を起こす人を放置しておくと周囲は消耗していなくなってしまう。長期的に見ればその職場には人がいなくなり崩壊するだろう。あるいはどこからも相手にされなくなり崩壊するか。
つまり、そういう職場で管理職だった場合、発達障害か何かあるんじゃないかという人(障害を認めていても認めていなくても)を排除はできないけれど、それ以外の人たちに負担が行きすぎないように配慮する必要があるということだ。人手不足の職場が多いからそういう職場は増えていくだろう。高齢者も暴力をふるったり暴言を吐いたりいろいろ大変な人もいるから、高齢者の施設もそんな感じなのかもしれない。
公式には映画『幸福の黄色いハンカチ』からの拝借であるらしい。
黄色は障碍者が好む色である と、まことしやかに言われる。俗にキチガイ色とも。キイロのキはキ印のキである。
かの有名な「黄色い救急車」の いわゆる都市伝説も、この手の印象から派生したと思われる。
さて「24時間テレビ」とは何かと言えば、丸一日たっぷりと時間をかけたお涙頂戴の障碍者見世物劇である。
例えば闘牛は赤い布に滾って突進する。血のような赤は、あの舞台には欠かせない色だ。(実際には赤で無くても良いと聞いたこともあるがさて置き)
色には少なからず意味がある。あの黄色は、それが本当に効果をもたらしているか否かは抜きにして
万単位の観衆から一身に注目を集め・照明が焚かれ・カメラを向けられ、という健常者であっても取り乱しかねないような非常な状況下において
https://www.nta.go.jp/tokyo/shiraberu/gakushu/kyozai/chiba02.pdf
国債が歳入の41%を占めている先進国政府の税収として極めて異常な状態。
対してアメリカ合衆国の歳入
http://www.dir.co.jp/research/report/place/intro-usa/20140605_008612.pdf
データは古いが
しかしながら、なぜ亡国とならないのかというと国民が耐え忍んでいるからである。
その際の負債を支払わずに役人政治家の2世3世たちは今ものうのうと政治をしている。
ようは国民全員から分け隔てなく国債によって税収が上乗せされているのだが、
その国民が疲弊しているにも関わらず死なないおかげで消費税を引き上げることも可能だし、
今の日本国政府は無抵抗主義のサラリーマンたちの手によって支えられているといって過言ではない。
またアメリカではサービス産業にはチップの文化があるため弱者的立場に置かれやすいサービス従事者たちは税を免れる道が残されている。
しかし、チップ文化がない日本ではどれだけ個人で努力したところで耳を揃えて税収され一生彼らは逆転することはない。
弱者も強者も等しく同じ負担をしいれば死ぬのは弱者だけである。
バイト派遣と正社員の扱いや保障が違うのも異常であるがこの概念が導入された際に、
時の労働組合と大企業は国内に奴隷が欲しかったため政府に今の体制を飲ませた。
今の日本の不幸の始まりを作ったこいつらは今ものうのうと生きている。
国民の生命を守るとうたわれた社会保障も本当に守られるべき弱者は守られていない。
生活保護も切り捨てに掛かろうとしている。
本当に受給が必要かどうかを明確に判断するマニュアルすら無いまま進められている。
身寄りのない老人の箪笥預金が消える先は国だ。
私は恐ろしい。
国の理不尽で無策で無能な政治によって年々膨らむ税に物言わずに律儀に支払続けている国民たち。
お国のために死ぬという精神性は決して滅んでいなかったのである。
大々的な戦争が無くなった現代においての戦争の代替物とは経済格差である。
今、日本は戦争状態に突入しているにも関わらず、それに目に見える形で認識できていないため他人事の態度をしている。
我々は死に向かっている。
私は死に向かっている。
あなたは死に向かっている。
彼は死に向かっている。
彼女は死に向かっている。
独立した個性ある一人の人間として全員一人ずつ一人で死に向かっている。
空いている落とし穴に気付かずに。
憎め。
反骨しろ。
憎め。
憎め。
憎め。
憎め。
今の生活を変わるために憎め。