はてなキーワード: 障碍者とは
障碍者が宝だとか感動だとか大切さだとか言ってるのは
どんな状態になっても守られるという基礎がある」という
社会に自分たちがいるという幸福感を満喫するためにある価値観なので
自分たちはすごく安全で豊かな社会にいるという幸せに感動してむせびなくわけだ
仮に重度の障害で動物と差がないどころか生命として単体で生きていけない状態であったとしても
「あいつはへんなやつだから生きる権利を奪おう」というラインまでの差がなくなる
あの子はすごくかわいくて気立てが良くて人がいいけど
自分に振り向いてはくれないから死刑という判断もできるということになる
偉い人がお前に生きる権利はないと言われたら
自分の安心感の量なわけでそれについてのみんな感動しているわけ
公共交通機関に無料で乗る時にだけ杖をついたりしてるところをみても
でも新たに定義とルールを作って、これを満たせば脳死だ、家族の同意があれば、臓器利用できるってことになった。
将来は障碍者も、新たに作った定義とルール満たせば、家族の同意をとって臓器利用できるようになるんだろうか。
変なこと、考えてしまった。私いま、凄く失礼なこと書いてる。
でも例えば寝たきりでウンチも食事も自分ではできなくて、感情もあるのかないのかわからなくて....
脳死と、何が違うんだろう。
https://twitter.com/tm2501/status/759920045006856192
あまりにも「誤字が多い誤字が多い」と俺の周りでうるさいので、自分の人気記事である「名探偵コナンランキング」を校正ツールにかけてみているんだが…「難読漢字だから表記を改めましょう」とか言って中学生でも習う漢字に直しを要求される。
ゆとりかよ!!
俺の文章って「16歳の国語が苦手だったけど、漢検準2ぐらいは取れちゃった青 才くん」が読める程度の語彙で書いているから…逆にコレを難読と言われちゃった日には「高校まで勉強してこなかったバカに合わせろ」ってことになるからなぁ〜
障碍者、障害者、障がい者問題みたいなもので「表現を調整したらいいのでは?」みたいに言われるのはまだしょうがないけど、校正ツールは漢検4級ぐらいの感じに突っかかってくるから非常に「バカのために文字数が長くなるテンポの悪い文章作るぐらいなら、書きたくねーよ」感
国語が苦手で本もたいして読んでない青 才くん(16歳)で漢検3級は学校から与えられた勉強だけ、準2級はそこそこ勉強して取れたから逆にそこが読めないって言われて文章を直せと言われたら
とか言っちゃいそう…。3までが基礎だもん
自分が偏差値60行かないぐらいの人だったし、小中学校で成績トップに行ったことがない人から、俺が「勉強すればできる」って言った基準は、大体の人はできるからなぁ〜。
頭のいい人の「できる人基準」じゃなくて、「え?それができなくて生きていけるの?」で「アホでしょ」と言ってる
変わってるとか、独創的とかそういうふうに自分のことを思ったことはありますが、頭がいいと思ったことは正直言って一回もないです!!
校正ツール試してみたけど、「そういうことじゃないんだよ」みたいなところしか治らねー!!
あまりにもうつが酷くて悪夢を見てうなされて1日寝て過ごす程の事態。…ほんと、明確に人が半分以上の原因を作って俺が敗戦処理みたいなことをしてるから…ホント、あの手の人は信じられないという気持ちでいっぱい。
自分が偏差値60行かないぐらいの人だったし、小中学校で成績トップに行ったことがない人から、俺が「勉強すればできる」って言った基準は、大体の人はできるからなぁ〜。
頭のいい人の「できる人基準」じゃなくて、「え?それができなくて生きていけるの?」で「アホでしょ」と言ってる— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) 2016年8月1日
この文章が読めないやつは青二才的には「高校まで勉強してこなかったバカ」ということになるのでしにものぐるいで読むんだ!
俺の文章って「16歳の国語が苦手だったけど、漢検準2ぐらいは取れちゃった青二才くん」が読める程度の語彙で書いているから…逆にコレを難読と言われちゃった日には「高校まで勉強してこなかったバカに合わせろ」ってことになるからなぁ〜。障碍者、障害者、障がい者問題みたいなもので「表現を調整したらいいのでは?」みたいに言われるのはまだしょうがないけど、校正ツールは漢検4級ぐらいの感じに突っかかってくるから非常に「バカのために文字数が長くなるテンポの悪い文章作るぐらいなら、書きたくねーよ」感。国語が苦手で本もたいして読んでない青二才くん(16歳)で漢検3級は学校から与えられた勉強だけ、準2級はそこそこ勉強して取れたから逆にそこが読めないって言われて文章を直せと言われたら「漢検4級以下の語彙力の人は俺の文章読まなくていいよ」とか言っちゃいそう…。3までが基礎だもん
自分が偏差値60行かないぐらいの人だったし、小中学校で成績トップに行ったことがない人から、俺が「勉強すればできる」って言った基準は、大体の人はできるからなぁ〜。頭のいい人の「できる人基準」じゃなくて、「え?それができなくて生きていけるの?」で「アホでしょ」と言ってる。変わってるとか、独創的とかそういうふうに自分のことを思ったことはありますが、頭がいいと思ったことは正直言って一回もないです!!
高校までまともに勉強してこなかったバカなのは、こんな文章を書く自分では、とは思わないらしいですね。
トラバで解答もらえました。
俺は偏差値60に届かないぐらいで、小中学校で成績トップに行ったこともない人間だから、俺が「勉強すればできる」って言うときの基準は、大抵の人ならできるレベルのものだ。つまり、頭がいい人のやりがちな「できる人基準」の「勉強すればできる」じゃなくて、「え? それができなくても生きていけるの?」というレベルの基本的なこと。だから、俺が「勉強すればできる」って言ったときに「できない」と反論する人に対しては、俺は「アホでしょ」と言ってる。
あの残忍な事件の後、犯人への憤りと知的障碍者への差別意識で自身の感情がシーソーのように揺らぎ続けている。
人間として強い怒りを犯人に感じながらも、池田小殺傷事件や秋葉原通り魔事件ほどに被害者の無念や遺族の悲しみを思い犯人を憎むことはなかった。犯人へ怒りを感じても憎しみは感じていない自分がいた。
昔、書店で働いていた頃によく来ていた知的障碍者の男性にいきなりあなたはブスですねと叫ばれたことがある。長い時間ブスブスブスブス言われ続けた。ブスはいないでください、ブスはいないでくださいと連呼された。わたしと他の店員たちは何も聞こえないように作業を進めた。
幼い頃から容姿でからかわれいじめられ続けてきた。わたしの顔は確かに醜い。それを何とか他の面を伸ばして生きることで克服しようともがきながら生きてきた日々だった。
店内の他の客の視線を集めるなかで、駄々をこねるように言葉を発し続ける男性に湧いた増悪と焼けつくような痛みは今も心の奥で燻り続けている。
殺害された方々はその言葉をわたしに投げつけた男性ではない。わたしが彼らを殺した健常者ではないように、まったく別の人間だ。彼らに何の咎もない。
それでも、知的障碍者は人を死ぬほど傷つけようが理解も出来ず責任能力も問われない人たちなんだ。あの人たちには確かに人を傷つける力があるのに簡単に人を傷つけてくるのに、といった意識がわたしの正しく事件を捉えたいという意識に邪魔をしてくる。
犯人の主張を知らなかったならこんな思いはしなくてすんだのかもしれない。心の奥の傷が共感を誘ってくることに今、必死で抵抗している。
あっけなかったな。
やっぱり"ただの狂った"ネトウヨか。
目的を遂げても遂げなくても
奴はそうした気高い志とは無縁で
本当に罪深い連中だと言わざるを得ない。
障がい者大量殺害、相模原事件の容疑者はネトウヨ? 安倍首相、百田尚樹、橋下徹、Kギルバートらをフォロー
http://lite-ra.com/2016/07/post-2447.html
そもそも、今回の事件に関しては、「容疑者はネトウヨ」というほうがまだ事実に近いのではないか。
たとえば、容疑者がツイッターでフォローしていた有名人を見てみると、安倍晋三、百田尚樹、橋下徹、中山成彬、テキサス親父日本事務局、ケント・ギルバート、上念司、西村幸祐、つるの剛士、高須克弥、村西とおると、ネトウヨが好みそうな極右政治家、文化人がずらりと並んでいる。
また、その中身も、最近、右派発言が目立つ村西とおるの「米軍の沖縄駐留は平和に大きく貢献している、米軍がいればこその安心なのです」という発言をリツイートしたり、「在日恐い」「翁長知事にハゲ野郎って伝えて!!」といった、ネトウヨ的志向がかいま見えるツイートも散見される。
奴は、自民党のJ-NSC(自民党ネットサポーターズクラブ)にいた
という説もある。真偽はわからない。
だが、自民党のJ-NSCが奴のようなネトウヨサポーターを利用し
歓迎していたのは事実だろう。
事件を起こす前までは。
奴は「障害者なんていなくなればいい」と言っていた。
かつてドイツ第三帝国は、
少なくとも知的障碍者や身体障碍者など20万人を殺害して殺した。
T4作戦
https://ja.wikipedia.org/wiki/T4%E4%BD%9C%E6%88%A6
生きるに値しない命
そういう意味で言うなら、奴は
ナチス的な心情にも感化されていたとも言える。
ちなみに「ナチスに学べ」と言っていた麻生太郎の所属党である自民党は
「ネット対策特別チーム Truth Team」を作り、現在も運用しているが
「謝罪したい」と謝意を表明した相模原市障害者施設刺殺事件容疑者よりも
彼らはおそらく本気でそう思っているし
そして近い将来それを実行するだけの政治力が今の彼らにはある。
障がい者抹殺思想は相模原事件の容疑者だけじゃない! 石原慎太郎も「安楽死」発言、ネットでは「障がい者不要論」が跋扈
http://lite-ra.com/2016/07/post-2449.html
戦後最悪レベルのとんでもない凶悪な事件だけに、容疑者の異常性に注目が集まるが、残念ながら容疑者の“弱者を排除すべし”という主張は現在の日本社会において決して特殊なものではない。
石原慎太郎は、都知事に就任したばかりの1999年9月に障がい者施設を訪れ、こんな発言をした。
「絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状況になって……」
「ああいう問題って安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」
ほとんど植松容疑者の言っていることと大差ない。舛添のセコい問題などより、こういった石原の差別発言のほうがよほど都知事としての資質を疑いたくなる。しかし、当時この発言を問題視する報道は多少あったものの、そこまで重大視されることはなく、その後、4期13年にわたって都民は石原を都知事に選び続けた。
俺は軽々しくどちらともいえない。もちろん殺人とか話にならないけどさ。
保育所や介護施設にはじまる、美談や道徳で包まれた職場が疲弊していることには間違いないと思う。
「聖職者」「白衣の天使」だとか持ち上げられたりね。美談で終わらせる、ごまかし社会・ごまかし野郎がこうした状況をつくってきたのだと思うよ。
「障碍者は特別に人を幸せにする」とか「ガイジは皆殺しにしろ」とかどっちも思考停止だと思いました。
年何百万とする介護施設に入れねばならない身内を持った家族は本当に幸せなんでしょうか。
このような施設の介護従事者の方は施設に入っている人についてどういう感情を抱くのでしょうか。
そういうところが知りたいなと思いました。
本来はそうあるべきだろうけどね。
植松さんは、「困っている人の手助けをしたい」という純粋な思いから介護職を選び、あの園に就職したのだと思います。
崇高な理念というと大げさだけど、それなりの矜持を持って職務を遂行していたはずです。
介護の仕事でも、身体障碍者や高齢で動けない人の世話というのは、体力が必要で重労働になりますが、
何より、本人から感謝されることが多いので精神的に救われます。
ところが、認知症患者や知的障碍者の場合は、全く異なるのです。
園内の生活ルールについて、最初は優しく、何度も何度も繰り返し、教え諭すように指導しても言うことを聞いてくれません。
生活ルールというのは、例えば、今からお昼を食べましょう、スリッパで他人を叩くのをやめましょう といった、
常識のある一般人にはルールですら無いような当たり前の慣習のことです。
介護士の立場では、少なくとも1日に3食は食べさせ、適当にあそばせ、排せつ・入浴を済ませて、寝かせるという作業ノルマがあります。
でも、全然思い通りに言うことを聞いてくれません。
まるで動物を相手にしているかのように錯覚してしまうほどです。
だから、大声を出して怒鳴ったり、無理やりひっぱって行わせようとします。
皮肉なことに介護士がそういう振る舞いをすればするほど、知的障碍者は意固地になって頑なに反抗します。
最終的には介護士が手をあげてしまう。殴る・蹴るの痛みで指示に従わせてしまう。
びんた程度の暴力は黙認している園も少なくないです。
他の利用者に迷惑を掛けるような行為に対して体罰は今でも有効な手段です。
この時点で、「いやぁぁ。介護職は無理だわ。他の職にするわ」と思える程度に理性と楽観が残っていれば、今回の事件は起こらなかったでしょう。
壊れた彼の頭脳は、最後の理性を振り絞って「障害者が安楽死できる世界を」と言う手紙を公邸に送りました。
知的障碍者自身の苦しみ、知的障碍者を家族にもった親族の苦悩と真摯に向き合った彼ならではの考えだと私は思ってます。
知的障碍者介護の当事者になったことのない人には、「障害者が安楽死できる世界を」なんてただの世迷言としか思えないでしょう。
当然誰にも相手にされません。
だから、彼は今回の凶行におよんだのです。
「全ての知的障碍者を生まれる前に消し去りたい。すべての宇宙、過去と未来の全ての知的障碍者をこの手で」
それが叶わぬなら、せめて自分の手で殺せる限りの全員を…
追記:彼のことを優生思想の持ち主だと批判する人が多いようですが、