はてなキーワード: 言わずもがなとは
ゲーム大会を計画、主催される方へ。「ゲーム大会における任天堂の著作物の利用に関するガイドライン」を公開。
https://topics.nintendo.co.jp/article/13d6eda4-7e9a-4c01-abb7-2783eea71f36
実は家庭用ゲームの歴史を塗り替えるようなものすごい出来事だということがあまり理解されていないのでまとめてみる。
ゲームの大会を開催するのは一見して主催者の自由とも思われるのだが、実は様々な法律でがんじがらめに縛られている。
そしてこの法律は、ゲームメーカーの権利を守るものでもありながら、ファン主導でコミュニティ活動を行おうとする時に常に大きな障害となり得る問題でもあった。
その打開策を、まさか最も権利関係に厳しいとも考えられる任天堂自らが風穴を開けるような宣言を行うとは思ってもいなかったことが、今回の一番の驚きとも言える。
しかも発表された解決策が、ものすごい高い汎用性で、すぐにでも他のメーカーもほぼ改変無しで便乗できる完成度だというのだから二重で驚きだ。
それぞれ、刑法賭博罪、著作権法、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(いわゆる風営法、風適法)。
(ゲームを制作する側が大会を主催する場合には景品表示法が関わってくるけど、今回は無関係。)
風営法がどうして?と思うかもしれないが、それは後に説明したい。
ファンボーイの一人ではありますが、彼とはイデオロギーの原点が異なるので帰結する結論においても同じとはならないでしょうし、それぞれの法律や取り巻く問題に対する解像度についても彼には遠く及びません。
彼の解説を待ちたいと思いつつ、先に筆を起こしてみました。
・ゲームの勝敗について、たった1円であってベッティング行為を行えば賭博罪にあたる。
仮に任天堂のゲームを使って、客同士が賭博を行ったとしても任天堂が罰を受けるということはまずない。
禁止することもできなければ、責任を負う必要もないことでもある。
しかし、それによって逮捕者が出たとすれば、任天堂のイメージは大きく毀損されることとなり、ひいてはゲームそのものの健全性を揺るがす事態になりかねない。
ゲームが競技として注目される中、能力を競い合う機会が増えるのは当然のことで、それに対して、勝負を盛り上げるためとして競う側、見る側において賭け事が発生する可能性は容易に想像できる範囲にある。
任天堂は、自らの著作物を扱う限り、そうした行為は絶対に許さないということを未然に釘を差した形といえる。
賭博罪は、グレーゾーンについて一切語らないとした場合、例え1円であっても勝敗について金銭・それにあたる有価証券でベッティングを行い、結果に応じてそれらのやり取りを行った時点で成立する。
例外として、”一時の娯楽に供するもの”を賭けた場合には、直ちに賭博には当たらないとされている。(ゴチバトルはこれに該当)
厳格運用することで勝利者に賞金が分配される仕組みが作れない訳では無いが、賭博罪はスキームに対して判断されるのではなく、参加者の目的によって判断される場合があるので、大丈夫だからと実質的な賭博が行われてしまえば、先日のポーカーのように逮捕者が出てしまうこともある。
任天堂においては、そうしたベッティング行為はゲームの競技シーンを盛り上げるためには不要という判断のもとに、一切の例外を認めない形をとったものと思われる。これについては増田も大いに同意する内容だ。
著作権法について
・ゲームはどこまでいこうとも企業の著作物である制限を超えない
面倒くさいのでesportsという言葉を使ってしまうが、いわゆる一般的なスポーツとesportsの一番の違いは、ゲームは企業の著作物であるという点にある。
つまり、ゲームを使った営利活動は全て著作権者の許諾が必要であり、現状、コミュニティ活動を行うためには厳格に運用しようとすればするほど、主催者側がほとんどの費用を負担するでしか実施できなかったというのが現実だった。
過去にはゲーム機を無料でプレイできるゲームバーやカフェなどの業態が話題になったりしたが、例えゲームが無料であっても著作物を集客目的に利用しているという観点から全て著作権法に引っかかり、結果壊滅状態となった。
そしてその壊滅の引き金を引いたのは、他でもない任天堂だとされている。
その任天堂から今回のような発表があったのだから、これがどれほど驚きのニュースかは理解していただけるものと思う。
賭博罪に抵触しないように配慮しつつ、なおかつ2,000円以下(観客は1,500円)という金額の制限を設けることで、大半の場合でガイドラインに違反せずにコミュニティ運営が実現できるようになる。
さらに言えば、スポンサーの禁止をすることなどによって、コミュニティ運営以外の第三者の営利活動に利用にされないようにも配慮されている点は、全く持って抜かりがない。
今までコミュニティ運用しようにも、著作物の商用利用の壁にぶつかり泣く泣く諦めていた主催者や、自らの負担において実施していた主催者(自分もその一人)は、ほっと胸をなでおろすだけでなく、今後の展開について胸を躍らせていることだろう。
かといってそれ以上の規模や個人以外による開催を禁止するかと言えばそうではなく、任天堂は今回、同時にそうした大会の申請窓口も用意した。
これについても驚きで、他のゲーム企業において、esportsを盛り上げたいとは口々にしながらも、そうした窓口を設けている企業はほぼない。
そうした裏には、esportsが盛り上がることで自社のゲームが盛り上がり、それらの収益はその企業、もしくは仲の良い身内だけで独占したいという思いが透けているようにも思える。
Jesuという迷走を繰り返す中立的な団体があるにはあるのだが、本来、そうした窓口を作るのは彼らの役目だったのではないかと増田は考えている。
ファンと企業との間に立ち、どちらの権利や利害をも侵害しないようにガイドラインを正しく定めることができるのは、彼ら以外にいないと今でも期待している。
そうした動きに業を煮やしたかどうかはわからないが、ほぼ模範解答と言える形のものを任天堂が出してきたことの意味は大きい。
なぜなら、他のメーカーが中身を少しローカライズするだけでそのまま使えるほどに汎用性の高い内容だからだ。
ある意味では任天堂がやったのだから追随せざるを得ない内容とも取れるので、他企業の今後の動向には大注目である。
ただし、あくまでハードウェアのメーカーも兼ねている任天堂だからこその内容だとも取れるため、他社が同様の発表を行うためには、別途ハードウェアの利用許諾についても解決する必要があるものと思われる。
これについては多くを語れるほどの知見を増田は持ち合わせていないため今後の他メーカーの発表を待つ形になるが、大いに期待している内容でもある。
風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(いわゆる風営法、風適法)について
・電子ゲーム機を用いて営利目的の集客を行うには風営法の許可が必要だよ
これについては、あくまでコミュニティ運営を行うために弊害になっている部分であって、今回の任天堂の発表とは直接的には関係のない話でもあるが、避けて通れない問題であるということも知ってほしいために敢えて書いている。
勘違いしている人が多いので先に言っておくのだが、アーケードゲーム機を用いた営業に風営法の許可が必要なのではなく、家庭用だろうとなんだろうとゲーム機を用いた営業を行うには風営法の許可が必要というのが、この法律の趣旨だ。
過去に問題になったものを例に上げるのであればダーツマシンなんかがそう。(詳しくは知らないが、現在は改正があって条件を満たせば風営法の許可は必要ないはず。)
どうしてそうなるかというと、風営法というのは、いわゆる性風俗を規制する法律と、賭博にならないように規制する法律に分けられるため。
前者は言わずもがなであはあるが、意外なものとしてはダンスがここに含まれる。
その理由は、みだりに不特定多数の男女の身体が触れ合うから。まじかよ。
後者については、ゲームセンター以外にもパチンコ、スマートボール、麻雀が含まれる。
これらについては、容易に勝敗が決定するものであり、その結果をもとに賭博行為が容易に行えてしまうために、そうならないようにするために規制がされていると考えてもらえば理解できると思う。
なので、アーケードゲーム機に限らず、ゲーム機そのものを用いた営業自体が風営法の規制対象となる。
(ここでパチンコの話は論旨とずれるためにやめていただきたい。一つ言えることは、風営法のもとに規制が守られている限りは合法。)
アーケードゲーム機にはそれ以外にも著作権に対する解決もされていて、許諾に商用利用が含まれているという点も挙げられる。
家庭用ゲーム機はあくまで個人での利用に限り許諾されているので、ゲームバー・カフェでの利用が許されなかったのはこの部分。
お気づきかもしれないが、今回の任天堂の発表については、施設運営に対する解決がされていない。
おそらくの理由は、これらについては施設運営側の責任下にある問題であり、コミュニティ主催者側が気にする必要のない問題であるからだと思われる。
基本的には、例えカフェ業態のつもりであっても、ゲーム機を常設するような業態を取ろうとすれば風営法の許可を取らなければ違反で検挙される可能性が高い。
どのラインまで許されるかなどの話は、増田の法令に対する理解度で行うには危うく、また、今回の趣旨とも異なるためこれ以上は行わない。
施設運営とコミュニティ運営を同時に行うような場合には影響がある問題であるが、それはそもそも任天堂がうかがい知る問題ではないという理由から一切触れずにいるものと予想される。
しかしながら。
しかしながら、金額の制限があるとは言え、大会運営費に充てる目的のみに利用する条件を守れば、参加費の徴収が行えることの意味は大きい。
なぜなら、風営法に抵触しない業態を維持することができれば、例えばゲーム大会に特化した設備を有した施設の運営が、一部について許された形になったとも言えるからだ。
esportsの発展には、ファン主催によるコミュニティの発展が欠かせないのと同時に、主催者に一方的な負担がかからないような活動拠点の存在も不可欠である。
コロナ禍においてその役割がオンラインに取って代わった部分も大いにあるが、やはりファン同士が直接交流できる場所の存在価値は高い。
それがわかっていていても、いつ、メーカーからストップがかかるかわからない状態であれば、出資しようにもできなかったのがesportsを取り巻く現状でもあった。
いや、実際にesportsカフェとかあるよね?と思う人もいるかも知れないが、増田の目から見るとあれら全てがグレーゾーンの上に成り立っていて、正しく運営できているところはほぼ皆無だと思っている。
言い換えれば、今現在運営できているところの大半(全てとは言わない)はコンプライアンスを無視した状態であり、そんな状態では大手の資本流入が期待できないどころか、健全な業界発展が行われるわけないよねというのが増田の視点であり、esports業界が抱える最大のジレンマだと考えていた。
風営法に付随する問題は実はこれだけではなく、接待や深夜営業、特定遊興飲食店営業など関わってくるものが多い。
それについても、「主催者は、コミュニティ大会での賭博や酒類・薬物の使用を看過してはなりません。」という一言でやんわりと釘を差しているところ増田は見逃さなかった。
この一文で、酒類の提供を行う業態、もしくは大会開催中の酒類の提供そのものを禁止している。
つまりゲームカフェならいいけどゲームバーはだめという意味であり、そうなれば、風営法に関わる問題のほとんどは回避できる。
厳しく定めるべきところは定めて、直接的問題に発展しない部分はやんわりと網をかけてあるガイドラインの教科書のようなガイドラインで、何度読んでも、おそらく今後もさらに隠された気づきがあるであろう内容になっている。
一気に書き上げてしまったので抜けや間違いがあったらもうしわけない。
ファンボーイ目線からはカジノ研究家からの解説を待ちつつも、あくまで視点の一つとして、esports振興にそれなりの熱意とコストを投じてきた増田からの視点として受け止めてもらえるとありがたい。
なお、今回のガイドラインはあくまでコミュニティ主催の大会についてのガイドラインで、通常のコミュニティ活動に対して言及されているものではない。
せっかく打ち出されたガイドラインをエクストリーム解釈して権利者に迷惑を掛けてしまえば本末転倒であり、ファン側においても徹底遵守が求められるという点は忘れてはならない。
ファンを大事にするといいながら、結局は誰よりも自社の権利を第一に考えている企業だと思っていた。
この発表を受けて、任天堂はファンを一番に大事にする企業だということが証明された。
今まで誤解していたことを全て謝りたい気持ちと、今回の発表に対する感謝の気持ちでいっぱいだ。
繰り返しになるが、このガイドラインが任天堂から発表された意味は家庭用ゲーム機の商用利用という点においてものすごく大きい。
他企業の追随に対する期待と、さらなるファンコミュニティ活動の自由度につながる議論の加速に期待したい。
【追記】
増田の立ち位置をもう少し明確にするとesportsなんてどうでも良くて、ファンコミュニティが楽しくわいわいゲームができる未来を望んでいる。
プロシーンなんてどうでもよいのだけど、彼らが引っ張る形でコミュニティ活動が活発化してくれるならいいなという立場。
なので、任天堂がesportsを切り離してくれたことはとてもうれしい。
「それに乗じてプロ活動とかしようとするなよ。」という点に釘を差している点についてはめちゃくちゃ好意的に捉えていて、「esports活動だから」って好き勝手やってる連中に対してのほうがめちゃくちゃに腹が立っている。
任天堂崇拝者と取られてしまったなら誤解だけど、今回の件は崇拝者になってもいいと思えるくらいの内容だったので、崇拝者構文になってしまったのは否定しない。
ゲームカフェ運営についてはある種エクストリーム解釈なので、冷静になってみて書かないほうがよかったかなと思っている。
ただ、本当に理解してほしいのだけど、版権元に迷惑をかけないように法令を遵守しようとすればする著作物の商用利用という壁にぶつかり、結果としてその負担は主催者個人にのしかかっていたのが現実だった。
それはコミュニティ活動にとって先細りの未来しかないということ。
それが、ガイドラインが定められたことによって、道が開けたことが一番うれしかった。
<一部自分の起業についてはやっぱり誤解を招きそうなので削除。>
他のゲームでこんなガイドライン見たことないというのは、自分の知見の狭さを露呈しただけの話でした。
ちなみに自分がファンコミュニティで扱っているゲームは任天堂のものではないので、現時点で自分にできることは他のメーカーが追随するか、第三者的な団体が取りまとめてくれるのを待つだけ。
俺もesportsにいっちょ噛みさせろというつもりは一切ない。
この増田でむちまろ先生がやり玉に挙げられていたけど当然のごとく非難轟々。
雑誌に載っている漫画自体ではなくゾーニングされた場所でやっていることなのだから当然なのだが。
この増田ではじゃあ実際に雑誌に載っている漫画はどうなのかという視点が全く無かったので、独断と偏見でチェックしてみた。読んでいただければ幸い。(別に規制しろとかいう趣旨じゃない)
ジャンプラブコメは冬の時代である。連載中だと書くのがほとんどないので直近2つまで書きます。
センシティブ度 1
多分ラブコメとして読んでる人いないだろうけど、これ含めないとニセコイかToLOVEるまで遡らないとないので入れざるを得ない。
センシティブ描写はほとんどっていうかマジでないのでド級の健全ド健全。
陽キャのリアルな恋愛を見せられているかのような(あくまで漫画であって別にリアルじゃないのはわかるが)しゃらくささを陰キャの増田としては感じざるを得ないがセンシティブに感じる読者はいないだろう。
次世代型の少年漫画の恋愛ものですね。しゃらくせ~~。そこに靴があったからじゃねえんだよ~~。
ラブコメじゃなくエロコメだという声もあるけどまあラブコメの一種でいいと思う。
1話に最低一回は局部かおっぱいに顔ツッコむか全裸か半裸になるので言わずもがな。
ジャンプラに移籍したので少年誌にはいられなかったという実績を考慮して+を加えた。
個人的には女×女より男女のが好きなので残念だった。ただこれに限れば男だとすぐ食われちゃったろうから仕方ない。
センシティブ度 8
大体5話に一回くらいはおっぱい触ったりヒロインの半裸や全裸が描かれるのでなかなかセンシティブ。
こだわりのケツ描写やトイレに2人閉じ込められたまま用を足すヒロインの姿を描くなどフェチい描写も隙なく揃える。
同期にやってたゆらぎ荘には敵わないまでも、これぞ古き良き少年漫画ラブコメって感じの塩梅でしっかりセンシティブしてた。
ただ今どき合宿先の温泉の男女の境の塀に穴開けて覗いてやるぜー。うおー穴空いたー。気づいてた女子に目潰しされたーいてー。ってノリを無邪気に描写してるのはぶっちぎりでセンシティブ。
ここに限ればあやトラなんか目じゃないくらいセンシティブしてた。倫理観昭和か平成初期にでもタイムスリップしたのか?
そこでチキンレースしなくてもいいのよ。違うところで頑張って。
ラブコメのサンデーも今は昔ってことはないけど最近はマガジンに押され気味。でも5作品くらいあるのよ。
センシティブ度 4
エモにより気味なんだけど、ところどころでちっちゃい主人公におっきいヒロインが無意識におっぱい押し付けちゃってるのいいよね。
ツンツンしてる男の子がオロオロしてる女の子意識し始めるのいい……。
あんまりセンシティブって感じはしないけど、それなりに着替え描写くらいはあるので少年誌って感じ。
センシティブ度 5
いやまあセンシティブなんだよ。結構裸とかそれに近いの書くし主人公とヒロイン夫婦だし。でも畑先生なんだよ。絵が。
どうしたってセンシティブにはならないんだよな。ニヤニヤはする。良い。
書くことは書いてるのでそれなりにセンシティブ度を上げないといけないと思うから5。
でもセンシティブには使えないよな……。
センシティブ度 3
可愛さと非センシティブを同居させていてひらかわ先生~~って感じ。大好き。
初期は3姉妹がほとんど男みたいな目つきだったけど、すぐにナーフされたので割と最初から可愛い。
得意分野で飛び抜けてて自信持ってるタイプの女性のふとしたときに見せる女の子らしさ可愛いよねって感じを繰り返す感じ。
センシティブ度は少ないので親御さんがビックリしないタイプの安心して見せられるラブコメ。
センシティブ度 3
初期に比べるとフェチ描写も減ってしまって本当にセンシティブではなくなってしまった。
良き一対一ラブコメかと思ったら急に只野くんが謎ムーブし始めて迷走した時期もあったけど、まあ総じて安定して面白い。
面白いんだけどセンシティブな視点からは残念なところは否めない。
でもまあこういう安定したものがあると雑誌自体読み続けたくなるからいいよねだからあの謎ムーブは何なんだよ只野くんの好感度落ちまくったわ!!
ラブコメが……! ラブコメが多い……!! 大変なので短文にしました。
センシティブ度 8
ようやく発端の生穴る。
まあエロいんだけどフェチな感じの描写とか強くてあんまりセンシティブじゃないんだよな。
いやそれでもフェチ描写もあるし全裸描写もあるしでセンシティブ度は8くらいつけなきゃなって感じで若干麻痺してる感はあるが。
雰囲気の割に足りないセンシティブをSNSで補ってるのはWEBと雑誌の融合だなーって感じで面白くみてる。
もちろんセンシティブなところが魅力の一つでもあるんだけど、それ以外にキャラの人間らしさも魅力なので読んでみて。
センシティブ度 6
描写は間違いなくセンシティブなんだけど本能にはセンシティブに訴えかけるものがないんだよな……。
センシティブは間違いなく大事なんだけど色気もあってこそなんだよ。でもまあやることはやってるので6。
センシティブ度 7
迫ってくる女の子に半裸だったり全裸だったり古き良きハーレムラブコメ。
しっかりとセンシティブしてて好印象。思ったより跳ねないなと思ってたけどようやくアニメ化したので一安心。
アニメ化でナーフされないか若干心配だけどまあてんぷるもやったし平気かな。
センシティブ度 9
センシティブ!!
見事なエロコメ。これぞ少年漫画というにはエグいけどまあ主人公は一途だしな……。
短いページながら毎回爪痕を残していくところは好印象。
でもこういうヒロインの名前入ったやつで後から来たサブヒロインを本気で惚れさすのは胸が痛いよ……?
センシティブ度 5
主人公の気持ち悪い語りが本当に気持ち悪いんだけど、舐めるような視線と解説はともかくセンシティブ描写はそれなり。
センシティブにあまり頼らない女性の美しさみたいなところを徹底して書いてるところは褒められるべきだと思う。
ヒロインのキャラデザが良すぎるのが強い。アニメも力入ってて強すぎる。
センシティブ度 5
寺の跡取りの主人公を誘惑するという初期設定なんだけどまあ実際はそこまでセンシティブではなかった。
ただまあ面白いんだよな。主人公を振り向かせようとするヒロインたちは可愛い。
センシティブじゃないけど可愛くていい。
センシティブ度 2
デコにセンシティブを感じる人なら10点だと思うけど、そこにセンシティブは感じない人なのでこのくらい。
サブヒロインも爽やかに恋を終えて、落ち着いて見れるのはいい。
センシティブ度 6
まあ始まったばっかりでそこまで判断材料もないんだけど、へそ出し制服はなかなかセンシティブ。
五等分以来の大物感を漂わせているので……というか相当五等分のメソッドを取り入れてる感じなのでうまく行けば流行りそう。
先生も同級生も剥くわ揉むわでやりたい放題。現状の週刊少年漫画ラブコメだとおそらくトップのセンシティブ。
どうでもいいけど教師と生徒の恋愛は少年誌じゃ許されないとかいう人いまだにいるけど、ドメカノでもこれでもやってるんだからどう考えてもダメなことないよね。
男教師と女子生徒はダメだとしても女教師と男子生徒ならなんの問題もないわ。歴史が証明している。
あと瀬尾先生の女神のカフェテラスもあるけど瀬尾先生はトラウマなんで読んでないんだ。すまない。
傾向的には
ジャンプ…唯一連載中のアオノハコはド健全だけどセンシティブ打率は高い。いちごToLOVEる辺りの印象もあるかもしれない。
サンデー…基本健全。センシティブ度は低い。昔ので言えば初恋ゾンビはそこそこセンシティブだった気がするけどそれくらい。
マガジン…まずラブコメが多すぎる。その分バラエティに富んでるのでまあ数は正義。
マガジンラブコメ多すぎんよ~。でもどれも個性あるので読んでみて。
何がいいたいかというとむちまろ先生くらいなんてことないのです。というか物足りないのです。
みんなセンシティブなものを読もう。そしてアンケート入れて応援しよう。
読んでないんだ。すまない。(最近面白くなってるらしいことは聞いてる)
休載してるだけじゃなくてうぇぶりに移籍しちゃったので泣く泣く除外した。
ラブコメかな……? まあつけるなら4。フェチいいけどセンシティブではないかな。
https://anond.hatelabo.jp/20231016145136
商業施設を騒がしく走り回る子どもたちの中に、ときどき自分の子を幻視する。並びあって登下校する中学生の集団に、電車の中で勉強している高校生たちのひとりに、自分が育てていたかもしれない子の姿を思い描く。私には子どもがいないので、もしも子がいたならば、あの小学生のようにあどけなく笑っているだろうかとか、進路に悩む姿を見守っていただろうかとか、ひとりで過ごす時間に、ふと想像をする。
40代のおじさんになってみて、子どもがいない自分の状況・環境のメリット、デメリットを改めて実感している。メリットは言わずもがな、自分たち夫婦に使う時間とお金が保てることと社会的な身軽さ。デメリットに関しては、夫婦二人が関与する世界が狭くなっていくことの不安や、人生における暇と無駄な時間の浪費や、老後の心配といったもの。それぞれ書き出すとキリがない。おそらく今はメリットが最大化されている時期で、このあとデメリットがどんどん大きくなっていくのだろう。
親が思春期の自分を育てていた年齢を迎え、よくそんなことができていたなと親を尊敬することしきりだが、周りの友人や同僚たちも当たり前のように子どもを産み育て、日々やってくる課題に立ち向かっているのをみると、自分の親に対するように尊敬の念を抱かずにはいられない。私から見れば偉業と言っていい。
その一方で「どうしてそんな苦労を背負い込むのか」と思ってしまうのも正直なところだ。想像もつかない苦労をすると分かっていて子どもをもうけるだなんてすごい勇気だと思うし、自分は若い時から今まで、そんなコストとリスクをとる気力は抱けなかった。子どもはかわいい、生きがい、子を成し育てるのは当然、という感覚や考えを抱けなかった自分は、子どもがいることに対する具体的な実感を持ち得ず、想像するのも難しいゆえに、臆病風に吹かれた弱者として、子を育てない大人であることにちょっとした引け目を感じながら中年の日々を暮らしている。
臆病風のほかに、収入・子育て費用の不安、出産の身体リスクを妻に負わせることの理不尽さ、自分は遺伝子(ジーン)よりも情報因子(ミーム)を残すんだぜといった謎イキリ、積極的に子どもを持とうとしなかった妻の意志、生まれた子の健康状態への不安、育つ中で犯罪や害意に晒され傷けられることの恐怖、膣内射精障害、劣化した遺伝子がもたらす実子への悪影響、など、子どもを作らなかった理由はいくらでも後付けで挙げられる。だが、結局ただの言い訳、逃げの一句に過ぎない。
たいした理由も展望もなく、ただ、子どもを持つことを想像できず、覚悟もできなかっただけなのだ。
この年齢になって、子どもは未来だとつくづく思う。もし子どもがいれば、成長した10年後、彼らが家庭を持っているであろう30年後、そして100年後、と続いていく未来を自分ごととして認識できるだろう。自分の子どもたちがその未来を生きるのだから、少なからず興味と関心を抱けるだろう。
ところが、子どもがいないと、未来の時間は自分が死ぬまでの時間でしかない。2050年にどんな世界になっているかなんてたいした興味も持てない。社会に生きる大人として、何らかの主義主張を持ってより良い未来のためにアクションするのが市民としての態度だとは思うが、いかんせんその未来の主体は、自分の肉親ではない他の誰かである。もちろんずっと平和であってほしいし、心が躍る進化や文化がある未来であってほしい。そんな未来を楽しむ期待はある。だが、そこにいるのは死にゆく老いた自分であって、その頃にはもう希望も期待も薄れてしまっているだろう。
もし子どもがいれば、彼らが生きる未来こそが自分の生きる意味だと実感できたかもしれない。子どもが健やかに生きられますように、と祈る未来よりも、自分たち夫婦が心安らかに過ごせるようにと望む未来は、だいぶシンプルで色褪せていて、だいぶ寂しいんじゃないだろうか。子どもがいないことは、自分の未来が短くなることなのだ。
「子どもを持ちたい」という欲を素直に少しでも抱くのであれば、どうか子どもを持ってほしいと思うし、産みやすく育てやすい社会を目指して私も努めたいし、そういう社会になるべきだと考えている。あつかましいことこの上ないが、自分たちのような人間の未来も託せる存在として、子どもは社会の宝、というのは真理な気がする。
子どもを作らなかったことは後悔していない。私はそれを選んだし、妻も納得したうえでの選択だ。ただ、もしも子どもがいたら、という妄想を時々してしまうのをやめられないだけだ。
子どもを失った人や子どもを持てなかった人たちとは全然違う境遇だけれども、子どもを作らなかった人たちも私同様にさまざまなことを感じて過ごしているだろうから、ひとつのケースとして私の今の感覚を書いてみた。
子どものために生きないかわりに、自分勝手に暇な時間を過ごせている。思っていた以上に暇で、人生のステージはずっと踊り場だ。今はそんな感じである。
ただ、街ゆく子どもの中に自分の子を幻視したとき、言ってもらえるはずだった言葉を想像したとき、あたたかく触れ合える存在がいてほしいと願ったとき。
そんな幻が消えたとき、少しだけ寂しくなる。
みんなは寂しくないのかな。
万人に共通する幸福の価値観は結婚、出産、お金、美の4つしかないと言ったのはマツコ・デラックスだが、この中でも出産はとびきり特別だ。
タイトルの通り、最近子どもが生まれたのだが、本当にみんな喜ぶし祝福するのだ。
自分の不甲斐なさからギクシャクしていた義父義母もニッコニコだし、実父実母は言わずもがな。
役所に行っても病院に行ってもまずはおめでとうございます。散々と文句を言われてるし不足している部分は多いが、自治体の子持ちに対するサポートは独身、子どものいない夫婦とは比べ物にならないぐらい手厚い。
散歩してれば知らないジジババがめちゃくちゃ話しかけてくるし、電車に乗れば席を譲られるし、職場で子どもが!と言えば大抵なんでも許される。
やはり人間が一人増えるということが社会にとってどれだけ重要か分かるし、どんなに個人主義的な考えが広まっても(子どもをつくらない夫婦やLGBTQの権利を広げて言っても)この壁は超えられないんだろうな〜と感じてしまった。
シャー芯とシャーペン、鉄砲弾と拳銃、フィルムとカメラ。「本体」は前者で、「消耗品/付属品」は後者に見える。
シャー芯は言わずもがな、単体でもつまめば文字は書ける。弾だって筒に入れてトンカチで叩けば撃てる(らしい?)。フィルムだって最悪専用のカメラがなくても映像を焼き付ける事は出来る。
逆に「本体」だけあっても目的は全く果たされず、ただの文鎮と化す。「本体」だと思われがちなものは、むしろ最終的な目的に向けた補助器具でしかなかったりもする。
シャーペンがなくてもシャー芯で文字は書ける。(専用の)銃がなくたって銃弾は飛ぶ。
だったら肝心要なというか、最終的な機能に作用する部分を「本体」と呼んだって良いんじゃないかすら思う。
でもそれらは使い捨てであったり操作する手元から離れた所にあったりで、どこか軽んじられてる節があるかもしれない。身体の拡張が云々とか、そういう話をしてる哲学で既に言及されてたりするんだろうか。
得てして補助器具に過ぎない「本体」の方に心血が注がれる事も少なくない。
高いカメラを買い漁る人は珍しくもないけれど、本体もそこそこにフィルムの性能に対して徹底的なこだわりを見せるという人はお目にかかったことがない。
このボールペンは良いですよ。書き心地が実に素晴らしい。
なんて高価な文具のセールストークがあったとして、おれは少し違和感を抱く。
確かに操作性、握り心地というのは無視出来ない。無視できないが、ペン先の引っかかりやインクのノリいった筆記具としての重大要素は消耗品である軸が担っている。
軸は消耗品、ある意味独立した存在であって、本体の魅力の説明に含むのには少々違和感がある。汎用の軸でどのボールペンにも適合するというのなら尚更だ。
こういうのってなんか不思議というか、面白いなって思う。別にあってもなくてもいいようなブルシットジョブの方が実入りは良くて、いわゆるエッセンシャルワークの方が無きものにされがちみたいな話とちょっと似てるかもしれないなって思う。なくても困らないにしたって、あった方が心は豊かになるかもしれんしね。ならないかもしれんけど。
・天気や地震の内容を呟く
「揺れた」とか「めっちゃ雷鳴ってる」とかで大体の場所を掴める、リアルタイムでの呟きは要注意だ
あとは空の画像を投稿しただけだ場所が分かったり、部屋の影の方向でどこにいるか分かったりすることもある
リアルタイム系はまじでやめろ
「部活で優勝した」とかの内容は意外と調べれば当時のデータが出てくるからそこで学校が割れる
あと俺はストーカー相手のいる学校の生徒になりすまして、それ用の垢を作って実際の学校の生徒にDMでストーカー相手の情報を貰ったりした(自分はそこの高校の先輩だと偽った)
相手もストーカーだと思わずにホイホイ情報を言ったもんだから自分でも驚いた
・自撮り
何に利用されるか分からんし、瞳に写った景色で特定されかねんからやめろ
せめて背景と顔にはモザイクかけろ
こんなもんかな
なんかあったら追記するかも
そろそろ
私の街のみかんの花咲く丘公園前駅の前の商店街のお店の定食屋さんが秋刀魚祭秋の祭典スペシャル!を開催すると思うんだけど、
いやハッキリとしたことはよく調べてないけど、
なんとなく薄らとした秋刀魚最新情報だと秋刀魚不漁!ってことが頭をよぎりまくりまくりすてぃーで
でもやっぱり今年も不漁なのかしらね?
あるところには秋刀魚があるのよ。
そんで
秋刀魚祭の秋の祭典スペシャル!が開催されると同時に私もスタートダッシュでアレを決めなくちゃいけないのよ!
秋刀魚って言うと
野球の優勝を意識しすぎてその名称を言うと選手が緊張するからアレって言う戦法や論法や文法とまったく一緒の仕組みね。
私もアレを決めるべく
取り分け秋刀魚を食べるぐらいで体操なんていらないわ!って思ったわ。
でもさ、
不漁や高くなってもあるってのはやっぱり豊かな証拠なのかしら?よくそこのところの仕組みが分からないけど、
本当にないなら
私の小さな街には秋刀魚は行き渡らないはずだしガソリンだって買えないそんな世の中はポイズンよ。
だからあんまり秋刀魚秋刀魚!とかガソリンガソリン!とか言うと世の中の人に気付かれちゃうから、
ここはやっぱり「あれ」って言ってるべきだと思うし、
私も秋刀魚祭楽しみのいや秋刀魚とは言ってはいけないので「あれ」と呼ぶわ山脈に向かってヤッホーって叫んじゃうほど「あれ」を連呼するかもしれないわ。
あれ山脈に!
「あれ」の「あれ」の「あれ」ってなると
大名があれのあれをあれするぞ!っていって
その若い女の人の着物に付けてある帯をグルグルに巻いて独楽みたいに回しながら剥がすとき
その若い娘は「あれ~お戯れを!」って言うじゃない。
きっとあれの元祖よ。
だから尼崎商店街も「あれ」が飛び交って「あれ」が売れまくって「あれ」が「あれ」になっているのよ!
入店したお客さんが、
あの体力を鍛えるときに使うあの重たいやつ名前はよく分からないんですけど「あれ」です!って
鉄アレイのことを「あれ」って言っちゃって
トランペット少年がお店の外から憧れて眺めていていつか自分も手に入れたいと思っている鉄アレイを食い入るように見て欲しがっているけど
そのショーウィンドーを店主に指さして「あれですよ!あれ!」って
なんかもう半分鉄アレイの正解が出ている感じない言い方が誤魔化しきれない鉄アレイのことを「アレ」って言っているお客さんに思わず半笑いかもしれないわ。
アレですね!って店主は察しが良いから
鉄アレイのことをアレと言われても決してリーグ優勝のことだとは悟られないように
筋肉鍛える番組で出てくる筋肉体操で有名な大学の教授的な人が筋肉を鍛えるときの鉄アレイを持ち上がる回数を10回あって
残り回数あと5回!って言うときに
いやいやあと5回もできますよ!ってニッコリしてアレを持ち上げるのよ。
でも今日私が欲しい今日のお祭りの「あれ」はその「あれ」じゃなくてあれの「あれ」よ!
秋刀魚祭の「あれ」よ。
一青窈さんのええいあもらい泣きの歌の曲の題名ド忘れちゃったけどあれの歌詞の一節の
甘いのは「タレ」です!って
私なら凄い強火で調理して味付けして弱火にしてからお客さんに味見させるわ!
うふふ。
あれね!
お店の朝のラストワンの鮭おにぎりで最後の1つだったことがラッキーだわ!
あれよ!
久しぶりに柑橘搾り器を出してみて
そんな本なかったっけ?
無ければ書けばいいのよ書けば。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
格ゲーに限らず、キャラクターを操るアクションゲームはプレイヤーがキャラクターになりきるという楽しさがあって、
ボタンひとつ押せば好きなキャラクターがダイレクトにアクションするという点で、コマンド式ゲームよりもなりきり感が圧倒的に高い。
また1対1というスタイルは無駄な情報量が少なく、より没入感が高くなるし、なにより自分の好きなキャラが常に画面で見えるというのもポイント高い。
コストの低さは、言わずもがな広大なフィールドを用意しなくてもいい、という部分でかなり有利。
極端な話、背景は真っ黒でも成立するのが格ゲーであって、それじゃあさすがに寂しいから各キャラ事にステージを用意はするけど、
性加害モンスターの名前を冠した芸能事務所なんてもうどう考えても未来がないので終わったものとしてさ。それでも今、長年の付き合いからジャニーズに連帯を表明したいんだとしたら、唯一ありうるのは「一緒に性加害の十字架を背負います」という意思表明しかないんだよね。長年ジャニーズを楽しんでいた私たちにも責任はあります。全ての被害者に謝罪するとともに、ファン一同によるクラウドファンディングをスタートさせて賠償の一端を背負います……みたいなことやってみ? かなり事務所は助かるよ。
なのに、擁護なんて言わずもがな、ましてや被害者を攻撃するセカンドレイプなんてさ、被害拡大して事務所の賠償責任を増やすだけで、まあ事務所に更なるダメージ与えて潰したいならともかく、少しでも事務所のためになりたいなら一番やっちゃいけないことだよ。たとえばいじめ加害者の側の親が、いじめた明白な証拠を突き付けられてもなお「うちの子は悪くないザマス!いじめられた側の人間性に問題があるザンス!キー!」とかやって被害者側の心証をむちゃくちゃ悪くする、ってのと大して変わらない。愚かさの極み。まあその程度の理性すら期待できない人の群れなんだなあとは思うけどさ。ホント馬鹿だよね。
一局外者として見ていると、暴れまわるジャニヲタのせいで「社会全体として見れば、ジャニーズは潰した方がいいわ」……ってコンセンサスが日々広がっているのが目に見える。「無能な味方は最大の敵」とよく言うが、今ジャニーズの社会的評価を破壊する一番先頭に立っているのって、被害者の会とかではなくたぶんジャニヲタ自体だと思う。次点は、いまだに態度を決めかねてグズグズしているメディア。事務所が多少謝ったところで、その辺がどうにかならない限り、部外者から見ると全く改善する感じがないんだよね。まあ、謝罪と賠償だけきっちり終えたなら、芸能事務所が一個潰れるくらい個人的にはどうでもいい。ただ、少しは後に続く芸能界のためにマシな教訓を残してほしいなとは思う。
つまりこういうこと。
そして、この2個の別々の処理を整理して理解しないから混乱する。
おそらく専門家にとっては、トリチウムがALPS処理で無害化できないことは常識で言わずもがなという認識があるために、そこの説明をはぶいて一般人には理解しにくい説明文になってる。
あと、希釈というのが素人にも簡単にイメージできてしまう一方、ALPS処理というのがなんだかわからない凄そうな処理(ジンクピリチオン効果)という対比もよくない。
ALPS処理で処理しきれなかった最強の核種トリチウムが、希釈みたいな原始的な付け焼刃処理で無害化できるわけがない、というバイアスを生んでしまっている。
塾で中学生に教える仕事してるんだけど、ある男子が別の男子に「殺すぞ!」と同じノリと意味で「しゃぶるぞ!」って言ってたのである
しゃぶるというのは言わずもがな、フェラチオのことである。とても屈辱的な行為だ。なのになぜ、殺すぞ!と同じ意味で使われてるのか?
その子達会話していてわかったが、どうやらジャニー喜多川の性加害ニュースに乗じた言い方らしかった。ジャニー喜多川という悪魔が、ちょうど小中学生くらいの少年たちを「しゃぶって」レイプしたことを知り、しゃぶるという行為が「やらされる」行為から「やる」行為として、非常にトラウマを与える加害を与える恐ろしい行為として認識されていることがわかった。
ネットなどでは相手に屈辱を与える煽り文句として「しゃぶれよ」なんて言ったりするが(増田でもたまに見かける)、ジャニー喜多川が「しゃぶる」のパラダイムシフトを起こした今、「しゃぶれよ」はむしろ、完全降伏を意味するのではないか……。
id:esbeeにラディカルフェミニストのイメージがないので腑に落ちない。qから始まるアカウントは言わずもがなラディフェミで、当該記事のブコメ欄だとwoからアカウントとか。
今ジャンプラの連載一覧見ただけでもこれだけある
『春の翌日』灰田よしひろ
身体を壊して隔週化
作者急病のため休載中
『きるる KILL ME』叶恭弘
なんかもっと色々あった気がする
WBC決勝48.7
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サッカーワールドカップ最高視聴率14.8
ネットなき時代、電通の思う壷で実を結んだあのとてつもないJリーグ人気
ネットコンテンツしょぼき時代、電通の思う壷で60%の視聴率を記録した日韓W杯
これら2つの大大大成功があったのにも関わらず、野球は相変わらずこの国で超長期的な人気コンテンツとして君臨していて、サッカーのほうはもはや見る影がない
Bリーグも現状、フジの女子バレー以下のコンテンツに留まりそう
まず108年前に今の甲子園が初開催されて(厳密に言うと当時はまだ甲子園球場でも高等学校でもないのだが)たった2~3年後にはもう全国民が熱狂するオバケコンテンツになっていたという
ていうか野球以外のスポーツコンテンツ、大人気のまま続いてるのなさすぎじゃね?
戦後に限ればメディアや企業の思惑や努力通りに絶対的コンテンツとして定着し続けたのってプロ野球と箱根駅伝の2つしかないやん
それまで
「なんか毎年正月三が日にテレビ東京でなんか録画のやつやってるね」
程度の認識でしかなく、陸上やらない人にとっては超空気イベントでしかなかった箱根駅伝があそこまで化けたのも謎
日テレが放送権手に入れて往路復路の生中継開始したのなんて昭和→平成に元号変わるかどうかくらいになってやっとだし(ちなみに、日テレの初回放送の貴重映像がYouTubeにあるけど今みたいなシリアスさがマジで皆無。
「大学生が国道をずーっと走って最後は箱根の山なんか登って走ってくんですよ~、おもしろいでしょ!?」くらいの見せ方してた)、
しかもあれは最初から現在まで関東地方の大学以外は記念大会で呼ばれでもしない限りどれだけ凄いチームでも出場できないというローカルコンテンツでしかない
法律系の仕事に関わってるんだが、最近はネット炎上のトラブルとかの和解させる仕事が増えてきてる。
Instagramと5ちゃんが誹謗中傷の主戦場で、意外とTwitterは少なかったりもする。本名と地位が丸見えになるせいか、男はFBでの問題が圧倒的に多い。
ネット上でのトラブルは被害者も加害者双方に問題があるパターンが多いんだが、その上でどちらにも共通点がある。
差別を助長する気はないが、現実問題としてとにかく障害者手帳持ちが多い。持ってなくても、喋り方や文章の感じで“足りてない”のが分かってしまう人がほとんどだ。性別も男の方が圧倒的に多数派で、これは女の方が現実のコミュニティに参加できていて、ネット以外に居場所があるせいかなと思ってる。
パターン的には以下の3つに分かれる
3.統合が失調してる人
ネット上のトラブルは、一般人ないし1が2と3に攻撃されているといったケースが圧倒的に多い。
発達障害についてはADHDとかASDとかの違いがあるのはもちろんわかっているが、どっちにしても視野が狭くてトラブルに正しい対処ができない人が多い。
コミニティで嫌われたり、3みたいな危ない人間を見分ける力が弱いので、1は特に被害者になりやすい。あと、自分で解決できるレベルのことを大金を払ってでも(金は借金か親が払う)専門家に頼もうとするのも1が多くて可視化されやすいというのもある。
そして1は「ネットの誹謗中傷を許さない!開示請求!」みたいなのをやたらに主張する被害者ビジネスの弁護士に取り込まれてカモにされたりもする。あと陰謀論にもハマりやすいと、破滅的に空気が読めないので、加害者になることもままある。ここ数年、そういう“足りない人”が陰謀論を根拠にして他人を攻撃したことで訴えられる事案も倍増している。
2は女も結構いて、躁の時に加害者になったり、余計な投稿をして炎上して被害者になったりする。相談中も突然電話してきて「死んでやる!!!!」的なことを言い出したり、1日中スマホが鳴り止まないこともあるので大手だとそれっぽさを感じた段階で依頼を断るとかなんとか。
やたらに沸点の低いYouTuberやインフルエンサーはこれを患ってると思うと良い。何でもかんでも訴えようとする躁鬱のインフルエンサーと被害者ビジネスの弁護士も相性が良い。
3は言わずもがな加害者。芸能人のSNSのコメント欄に意味不明な書き込みを連投してる自撮りアイコンのアカウントがあったら、それはそういう人だ。
この病気は脳みそのバグだからどうしようもないが、1人暮らしの無職とかだと本当に誰にも病気に気づいてもらえないので、唯一の社会との繋がりであるネット上で暴れ回ってしまう。
あと、親とかが気づいていてもネットを取り上げられなくて訴えられて初めてことの重大さを親子で知るパターンも多い。高齢の親が、腹が出てハゲてる中年の子供のために頭を下げる姿は何度見てもウエッとなる。
2なんかは根本に発達障害があることも多いけど一応後天性の病でインフルエンサーなんかにも多いので一概には言えないが、基本はみんな金がない。金がないと訴訟を起こしたところで訴える側にもガソリンが足りない状態なので、途中で息切れを起こす。頑張って勝ったとしても、相手も金がないので回収もできない。刑事事件にしたところで懲役もつかない。だから高い相談料と長い時間をかけて、結局は法律の外で和解してお茶を濁す。そんな悲しいことがここ数年起こり続けている。
自分の家族や身近な人が123のどれかに当て嵌まるなら、今すぐネットを取り上げて欲しいところだが、やはりそれは難しいのだろう。
どう見ても双極性障害の人間と発達障害丸出しの人間がレスバしてるのとかを見かけると、インターネットがあってもなくてもいつかトラブルは起こす人たちだろうけど、SNSが明らかにトラブルを誘発する装置になっててやるせねえなと思う。
一人暮らしの時は言わずもがな、子供が二人生まれてもなんとかやってこられた。だがここに来てさらに子供が増えることになりました。
子供が二人ならば両親が一人づつケアすればなんとかなるが、三人となるとそうもいかない。
特に公共交通機関は二人であっても抑止の難易度が高い。少し目を離すとすぐどこかに逃亡するような行動力がある。
さて、そこに新生児が加わるとどうなるか?想像に難くないが「ああ、無理だな」って思った。
そして両親が揃っている状況ならともかく一人で三人は流石にリスクが高い。
そこで車を買うという結論に至ったわけです。
その結論に至る前に、
・いざとなればカーシェアを使えばいいよ
・車の維持費で別のことをした方が幸せだよ
だが一方で自分がいま必要だと思われるものにコストを支払わないことは果たして幸せなのかと考えた。
コストを支払わないことで将来のバリューを損ねていないか?と。
ビジネスにおいてはROIを意識するのに、プライベートなアクションになると急に守りに入っていたことに気付いたのである。
車を買わないことで抑制されたお金が幾ばくか残るが、自分含め子供達との時間は有限だ。
そう考えたとき、多少金銭的なリスクテイクをしてでも現在の幸せを得ることにした。
車はコストがかかることは承知の上で、皆さんがどんなふうに車と向き合っているのかを教えて欲しいです。