はてなキーワード: 薄っぺらとは
もう30手前だが、人に言える趣味や特技といったものが何一つない。
部活には入らず帰ってネット三昧。Twitterと2chとmixiの往復。
アニメやゲームは中学生までそこそこハマってたけどそれすらやる気がなくなった。
アニメなら「これ一話見るのに25分か…」という抵抗を感じてしまって1ツイート10秒で楽に読めるTwitterに流れてしまう。それを何十分も繰り返す。
楽しいかと言われると、まあそこそこ楽しい時はあるけどそうでない時の方が多い。
同じ25分を過ごすならTwitterよりもアニメ見たり本読んだりしたほうが実りがあると思うのだが、始める前の抵抗が大きく感じてしまう。
こういう質問は本当に困る。好きなものを語れるほど気力を持ってコンテンツを摂取していない。
オタクって本当に凄いと思う。
アニメ一作品が何十話もあることに圧倒されるのにそれを毎クール何作品も見ているし、何十巻もある漫画を読んでる。
だから偉いってわけではないけど、自分には何もないと思ってしまう。
30手前にもなると自分のような薄い人生でもいいじゃないか、とも思えてきたが、感受性豊かな時期にもっと色々やっておけばよかった。
私は専門の知識に長けているわけでもないし、有能な人間でもない。ITの知識が皆無であるお客様からするとそうではないが、業界内の立ち位置としては底辺な方だろう。
しかしながら、インターネットには10年以上触れて来た。同じぐらいの年齢の人で昔からインターネットに触れて来た人なら感じたことはあると思う。
「明らかにゴミコンテンツが溢れ返りすぎている」と。アフィ系まとめサイト、被リンク目的のステマサイト、いかがでしたかブログ、情報商材の温床となっている有料記事が多いサイト等々……私は何か調べ物をしていてこれらのページがヒットすると「またか」となる。それらのサイトの情報を鵜呑みにすることができないので疑ってかかる。そのような人は私だけではないはずだ。そしてこれらのサイトは検索した時に上位に引っかかってしまう。欲しい情報には辿り着きにくいし、滅びて欲しいと思う。しかし、減ることはなく増える一方である。
問題はこれらを忌み嫌う人間が「それらを作り出している」ことである。そして私もそれらを作り出している人間の一人なのだ。
「SEO(検索エンジン最適化)」という言葉を聞いたことはないだろうか?全てが全てではないが、量産型ゴミサイトは、このSEO対策やアフィリエイトと強く関係している。
同業他社を蹴落とす為に大量の被リンクを設置するブラックハットSEO、検索エンジンで上位に載せる為のコピーコンテンツの量産、クソ記事の量産。Googleのアルゴリズムを理解すれば、このような状態になるのは仕方のないことだと理解できる。検索ワードをいかに拾って来てそのサイトを表示させるかという競争が行われている。その為には、多くの関連キーワードを拾う為のコピー記事の作成が必要となる。
実際、「何か調べ物をすると文体は違うが内容は同じだった」という経験はないだろうか。これらはGoogleの検索に引っかかりやすくする為にしていった結果である。同業他社より上位に表示させる為にはより引っかかりやすくする為にSEO対策を行う。これは「いかがでしたか系」のあからさまなゴミサイトだけではなく、上場企業でも行われているもので、全体的な問題だと思う。大手企業でもこのよう対策をして同業他社より優位に立とうとしている。結果、マイナーな事柄を調べた際にどの企業・会社でも同じような内容の薄っぺらいコピー記事しか出てこないということが起きてしまう。実際に記事を作ると分かるが、複数のサイトから少しずつ引っ張って来て書こうとすると「これ元は全部同じなんだろうな」となることは多い。
勿論、SEO対策はそれだけではなくページ内の構造も適切に整えなければならない。SEO対策=ゴミコンテンツの量産ではないのだが、結果的に「Googleが良質だと定義する綺麗に整えられたゴミ」が乱立してしまっていることはこれらが原因であると思っている。
加えて、スマートフォンの普及によって爆発的に人口が増えた。これにより情報を判断できない人間も大量に流入しており、良いカモとなっている。アクセス解析を行えば、管理者側はアクセスして来た人間のおおよその場所・機種・ブラウザを知ることができる。そして、そのユーザがどのような検索ワードでそのページに辿り着き、サイト内でどのように遷移していったかを把握することができる。これらによって、そのサイトにアクセスして来る人間のパターンを知ることができ、そのレベルに合わせてSEO対策やサイトの作りを変えていく(ユーザレベルに合わせて下げる)。
これらは、アフィリエイトの獲得には重要である。アフィリエイトと言えば、個人のアフィブログを思い浮かべる人も多いかもしれないがそうではない。「契約」が絡むものでは、高単価に設定されているものが多く、比較サイトに見せかけた誘導系のもの、口コミサイト等もそうである。これらの誘導系サイトも紛れもないゴミサイトの1つだ。
更にYouTube、Instagram、Twitterのお陰で養分を囲むことは容易になっている。猫も杓子もやり始めたYouTube、広告収入を貰う為に馬鹿な女を食い物にするインスタグラマー、最終的には情報商材やアフィに誘導する為の意識高い系ツイッタラー等々……。
Instagramも酷い有様だ。一般ユーザーに偽装したステマが多すぎる。業界で有名な人間が「これが良いですよ」と発信して馬鹿な女を食い物にするという構図だ。これには十分な広告効果があり、大抵が企業からお金を貰っているのだろう。食い物にされている側は、自分が養分であることを理解していない。
Twitterからの誘導で「脱サラ」「高収入」等の甘い言葉に釣られてサロンに入っても、結局養分は養分でしかない。なぜサロンをするのか、有料記事があるのか、そういったことを考えて欲しい。上層部が儲かるからだ。儲からないのに見ず知らずの人にボランティアをする必要はないはずだ。契約上名義あたりの上限があるだとか、情報搾取する為の人柱であるだとか(Win-Winの場合もある)、もう使い終わって現在生かすことのできない情報であるとか様々である。
また、企業が一般人に寄り添ったように偽装したステマも多い。ブロガーは説教臭い成功方法をドヤ顔で豪語し、情報商材屋は必死にサロンや有料記事に誘導する……。
私たちが望んだものはゴミコンテンツが溢れ返り、搾取↔養分の関係が簡単に成立するような地獄のインターネットだっただろうか。Googleのコアアップデートが行われ改善されていってもこの構図が大きく変化することはないだろう。
これらの地獄のインターネットに嫌気がさしていても、私はそのゴミコンテンツをこれからも量産していくだろう。理解のない養分から搾取することが一番儲かる構造なのだから。
というか嫌気がさした。
もうオタクで政治にコミットするのは心底いやになった。クソみたいな論客しかここには残ってない。自分はリベラル派の人間だったのだが、もう無理だ。付き合いきれない。
昔は善悪が分かりやすかった。石原慎太郎とか自民党とかそういうわかりやすい敵がいた。しかし、いまはリベラル派が敵になってしまった。一緒に石原慎太郎と戦った仲間たちが次々と、「オタクは女性差別」とか「オタクはネトウヨ」とか発狂しだした。
もう嫌だ。
かつては一緒に戦った仲間たちが、次々に、「オタクは差別漫画が好きだけれど、君はリベラル派だから一緒にラブライブ叩いてくれるよね? 宇崎ちゃん叩いてくれるよね?」と界隈全てに圧力掛けてくる。そういうクソのような同調圧力にはもううんざりなんだよ。へらへら笑って「そうだねー。オタクも気を付けないとねー」とかいつまでも一緒に笑って同意してると思うなよ。
お前らみたいな、安倍晋三に何回も手玉にとられてる猿山の猿と、いつまで一緒に愛想笑いを浮かべてりゃいいんだ。
俺は猿じゃねえ。もう飽き飽きだ。
ちょっとでも異論を唱えたら「ネトウヨ化」だの「冷笑化」だのうぜえんだよ。お前らのほうがよっぽど同調圧力じゃねえか。俺だっていつまでも大学出たての若造じゃねえ。いっつまでも大学で勉強した薄っぺらな学問知識だけで世の中を切って喜んでる生き方をしてられないんだよ。
お前らはいつまで学生運動やってるんだよ。そんなものは70年代で卒業してろ。
俺はただのオタクなんだよ。
2年くらい前に城崎温泉に行って、なんて風情のある町なんだと感動した。日本海側の深い雪を初めて体験したっていうのも大きかったかもしれないけど、やっぱり魅力的な町だったと思う。行けなかったけど海も近い。
いま何となく「城崎温泉 賃貸」で検索をかけてみたら、普通に月4.2万円で風呂トイレ別みたいな物件がガンガン出てくる。駅からもかなり近くて、なんなら旅行の時に歩いたあたりにある。玄関を出たらあの風情ある温泉街、ってことだ。
いま住んでるところは水道ネット含むとはいえ月5.8万、城崎の物件のほうが安いくらいだ。
仕事さえなけりゃ城崎に移り住むことは全然可能なのだ。あの非日常の場、思い出深い旅行先、いつかまた行きたいと憧れている素敵な街、をホームタウンにできるのだ。…仕事さえなんとかなれば。
ウオーーーーフリーターになって城崎に住もうかな!!クソみたいな賃金だしなんならフリーターの方がコスパ良い可能性すらある!!コロナで職なんてどうなるか分かんねえしな!!!!!
アアアーーーーっ城崎!!!城崎住みてえよお……気が向いたときに外湯巡り!!!浴衣のカップルを見て「俺はここに住んでんだぜ…」って優越感に浸りてえなあ!!!!!!チャリ乗って海に行きてえな!!!!何かに住所入力するときに「城崎町」って書くあたりで感慨に浸りてえーー……城崎温泉駅の看板見てここが最寄駅かあ…って思いてえよ!!!!!
城崎ーーーーッ おれはもうだめだ 賃貸なんてみるんじゃなかった 城崎で生きてえよ
(追記)
知ってるよお!!!
雪深くて感動した、なんて書いたけどさあ、おれは彼女とほぼ思いつきで行ったんだよ城崎!だから雪対策なんて全然してねえの。フツーのスニーカーで行ったの。バスが城崎に近づくにつれてヤベエ雪景色に変わっていくのを見て顔を見合わせたりしてたんですよ!
でね、朝早いバスで行ったもんだから着くのは11時とかなんだ。チェックインの3時まで4時間とかあるわけ!風呂だってまだ開いてないし、足元は微妙に融けかけてアカン状態になった雪で覆われてる、ちょっと歩こうものなら薄っぺらいスニーカーなんて全貫通よ。
でも俺たちはせっかくだからっつって足湯を巡ったんだ!!足は感覚がなくなってツライんだけど、自転車が完全に埋まるような雪とかは初めてみる面白い景色なわけですよ、二人とも無積雪地帯の出身だからさあ!
寒い、足がもげる、こんな雪だなんて聞いてないって言いながら観光マップ見て、7つ(?)ある足湯をひとつずつ巡ったんだよ。雪で冷えた足を足湯に浸ける瞬間の感覚、あれはたまらねえぞお〜 まあまた歩き出すとすぐ冷えるんだけどな
日本海の雪ってこんな地獄みたいな感じなんだねえ、なんていいつつようやくチェックインしてさ、宿の人が貸してくれた長靴履いて外出たら全然雪が怖くなかったんだ。ふたりして復讐だとか言いながら雪の塊を踏み砕いたりしてさあ 楽しかったんだよ 楽しかったなあ……
元々なんか薄い感じとか高くとまった所とか好かなかったので、正直ザマアねえわ、と思いつつ。
ひとつ思い出した。
ただただ寺門氏の好きだろうお店に行き、おいしい肉料理をしこたま食らう番組。
ある回で、たまたま通りがかった俳優の田山涼成氏が出たことがあった。
普通に寺門氏へフランクに話しかけ、紹介してもらったお店がおいしかったと言ったあと。
ついでなのか?『渡部君の(紹介してくれた)お店なんてとてもとても』と、下げる発言があったのよ。
見てるこっちは『寺門氏と田山氏は、おじさん同士だし舌や店の感じが合うのかしら』とか『お笑いと俳優なのに、不思議とつながりあったんだなあ』などと思ったあと、
『ああ、渡部氏は、きっと相手の事なんて把握も考えもせずに、お高い薄っぺらい洒落こけたよーなお店でもお勧めしちゃったんだろうなあ』と、なんか苦々しい気分になったんだ。
沖縄県では、2008年にレジ袋を有料化した。一つの都道府県で一斉にやろう、という場合、県境で有料と無料が分かれて客が取られる、と言う問題があるが、陸で県境がない県だからスムーズだったんだろう。
対象は主要なスーパー・ドラッグストアで、小規模なスーパーや個人商店やコンビニや服屋やディスカウントストアは対象外だった。
自分は、このときに有料化を体験した。そのとき何が起こったかを、覚えている限りで書く。
「実際、始まっても3円ぽっちだったら、毎回買うんじゃないの?」とか思っていたが、レジに並んだみんなが律儀にマイバックを持ってきた。
https://www.pref.okinawa.jp/site/kankyo/seibi/ippan/documents/r2_rejibukuro_jitai.pdf ここの資料によると、マイバッグ持参率が2割から8割になってる。そして、微減ながら現在でも相当高率を保っている。
自分も、カバンに小さめのを一枚、クルマには4~5枚常時乗っけるようになった。
有料化直後は、銀行も保険会社も旅行会社も、何かあるとマイバッグを記念品に付けてきた。あのころ、買ったマイバッグ持ってた奴なんていないんじゃないか。
ところが、大体1年くらいすると、そういう風潮は段々となくなってくる。みんな持ってるからもらっても邪魔になるし、数年単位で使えるし。ということで、いつでももらえるからいいや、と思っているとそのうち買う羽目になる。
コンビニではどうなるかわからないが、スーパーの話。肉とか魚とか、豆腐とかをくるむ薄っぺらいビニール袋。2~3個の買い物だと、「透明ビニールに入れますか?」とレジの人が聞いてきて、はい、とか言うと手際よく入れてくれるようになった。今回の有料化でも、持ち手がない袋は有料化の対象外になっている。 https://www.meti.go.jp/policy/recycle/plasticbag/plasticbag_top.html
おそらく、柄の悪いあんちゃんとかに「3円になりますが」「あぁ!?」みたいなやりとりが、初期に相当あったと思われる。
「レジ袋なんか大してゴミ減量にならない」とうそぶく人もいるが、主な目的はマイクロプラスチックの削減だと思う。砂浜に打ち上げられるゴミの中に、レジ袋は確実に減った。それでもペットボトルや弁当のケースや外国の洗剤なんかはいまだにあるんだけど。でも、レジ袋は減った。
以上。
「せっかく金払うんだから」と、大きいサイズをみんなが求めるんだろう。500mLペットボトルとお菓子1個が入るような小さな袋は使われなくなり、レジ袋は週末の買い出しに使うような「大」と、それよりもっと大きい「特大」くらいしか選択肢がなくなる。「俺は毎回金払うぜ!」とか言ってても、ペットボトル1個に大きな袋を出してくるのが馬鹿馬鹿しくなって、結局マイバッグを持つか、前述の透明ビニール袋で妥協することになる。
俺は今夜、クソを漏らした。
いいから聞いてくれ。
あんた達はただ普通に働いて、週末に仲のいい少人数の友人と気軽に飲むって生活をしているだけで「いつまでこんな生活が続くんだ」とか悩んでるかもしれない。
でも、それだけでお前らは友人を救っているんだ。確実に。
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寝ている時にクソを漏らすと、大抵は下着が台無しになる。パジャマだってそうだ。「着る派」かそうでないかはこの際問題じゃない。
普通なら、その下にあるのは布団だ。正確に言えば布団のシーツがあって、その中に布団がある。
やってみればわかることだが、布ってのは液体をけっこう通してしまう。
だから、盛大にクソを漏らせば、下着と、シーツと、そして布団が大変なことになるんだ。人によってはパジャマもな。
後で理由は話すけど、俺はシーツの上に折ったバスタオルを敷いている。
こうしておくと、漏れた量によってはここで汚れが止まってくれることがある。
飲みすぎた日の深夜に、トイレや海の夢を見ていて、小便を漏らす寸前か微妙に漏らしたところで目を覚ました経験はたぶん誰でもあるだろう?
本当にちょっとした液体だけなら、布もけっこうがんばってくれるんだ。バスタオルってのは保険みたいなものなんだよ。
おいおいちょっと待ってくれ、質問は後だ。先にいま考えてる疑問に答えておいてやろう。
「クソってのは液体じゃないだろ?」って思った奴もいるよな。やっぱり色々理由があるんだけど、寝てる時に漏れるクソなんてのは大概は液体なんだ。
もしくは両方かもな。なんにしても、ひどい汚れをまき散らす癖に、水みたいな無粘度の液体がケツから出ていっちまう。だから布団までやられるんだよ。
風呂場で体を洗ったら、今度は布団を三つ折りにして丸めて紐で縛るんだ。そうすればコインランドリーの大きな洗濯機には入れられる。
俺の布団は安いポリエステル100パーセントのヤツだから、あまり心配せずに洗えるんだ。どうせまた洗うことになるかもしれないしな。
クソまみれの布団を丸めて縛っていたら、友達からLINEが来た。
学生時代から腐れ縁の、俺を入れて三人組の奴等だ。お互い近くはない微妙な位置にいるけど、月に1回くらいは飲んでる。
今日は俺以外の二人で久々に店で飲んでいたらしい。コロナも落ち着いてきたしって…… ちょっと危機感足らないよな? 他愛もない会話が続いていたよ。
30代で、夜中にクソを漏らして、その後始末を自分でやって、コインランドリーどこだったっけとか考えたり、
「布団 コインランドリー 洗濯」とかググったり、紐で縛ったり、そうして泣きながらLINEに返事をしてたんだ。
まさか飲みに参加してない男が、手前のクソの後始末で泣いてるなんて夢にも思っちゃいないだろうが、そういうことだってある。
話は変わるけど、お前らの近しい友人に慢性的で治らない病気を持ってるとか、そういう人がもしいたら悩むかもしれない。
なんて声かけたらいいか考えちゃうし、簡単に慰めていいものかもわからないよな。
勇気を持ってもらおうと考えてみるほど、相手にとっては逆効果なんじゃないかって思えてくるもんだ。
俺は腹に関する難病ってのを抱えていて、これは国に指定されてる。
もう10年以上付き合ってるから、今更その大変さとか、どうやって対処してるとか、ここでそんなのを語るつもりはないんだ。
ただ、俺は友人たちの…… つまり "普通に毎日しっかりと働いているお前ら" のお陰で救われてるってことを伝えたいんだ。
もしそういうものを抱えてる友人がいたら、これまで通り付き合ってやって欲しい。それだけで救われるんだ。
そして…… もしかしたらお前らは「何の力にもなれてない」と思ってるかもしれないが、今日まで「これまで通り付き合ってきた」期間は、
すべてがその友人を "救い続けて" きた期間だったんだと、誇りに思って欲しいんだ。罪悪感なんてものはクソッたれなんだよ。 ああ、クソッたれは俺の方だったな。
俺は夏に大きな手術が控えてるんだけど、いつもの三人組の俺の友達は今日の飲みLINEの中で「じゃあ退院したら行こうぜ」とひとこと言ってくれたんだ。
コインランドリーに向かって深夜の0時近く、クソまみれの丸めた布団を左手に、友達とのLINEを右手に持って、それを見て道路上で泣いていたことだけは彼らには秘密だ。
もう休職も長く、実家にも戻ることになった。復職の予定は一応あるけど、この歳で親に心配かけて世話になって、働きもできず、うんこ製造機の自分、客観的になんて見たくない。
ああ…… 製造機ならまだマシか。管理できてるもんな。俺のケツは管理すらできちゃあいない。「うんこ製造機以下」の存在だ。やっぱりクソッたれだ。
腹を壊すことを恐れてまともなメシも食えなければ、ちょっといい布団を買うのだって躊躇する。俺は怖くて彼女を作ろうとすら思えない。ずっといない。そういう迷惑をかけることが簡単に想像できるからな。
それでも、友達が俺を待ってくれていると思えるだけで救われるんだ。もうすこしがんばってみよう、時間は掛かっても「社会に戻る」努力をしてみようってな。
だから、お前らは普通に、健康で、少しずつでも前進しながら「ただ働く」ことを続けてくれさえすればいいんだ。今夜の華の金曜日はお前ら、自分にご褒美をくれてやったか?
ブラックで一度つぶれちまった友達の一人は最近、ようやくまともな現場にいけることが決まった。
三人組で一番結婚できそうにねえよなとか言ってたヤツが、一昨年結婚できた。
俺は、自分の事のように嬉しいんだ。ちょっとしたことであっても。わかるか?どれだけそれが俺を勇気づけているか。
全力で励ましてくれたっていい、気を使って放っておいてくれたっていい、でもお前らが自分の人生を委縮させることだけはしないでくれ。
──伝えたいことはここまで。この先は蛇足だ。読まなくていい。どうせやっぱりクソッたれな文章だしな。
励ますというのは関係性の問題なんだよ。「がんばれ」という言葉が実はリスキーだなんていう話があるよな?
これはもちろん俺の感覚であって、一般化するつもりはない。でも、俺は「がんばれ」と三人組の友人に言われても全く嫌な気はしない。
「了解」が「承知」になっちまったハイパーマナー講師案件みたいな話じゃねえかと思うことだってある。
でも専門家がきちんと研究した結果の "がんばれリスキー" ということなら、従っておこうかなと思わないでもない。
友人という関係性なら、お前らが「ただ働き続ける」だけで、それ自体が誰かの励ましになるんだ。絶対にだ。
誰かががんばれと言ってきた時に「こいつは最近の "励まし情報収集" を怠った意識の低い奴だな?」なんて判定をいちいちしようと思うか?
もちろん、精神的に問題を抱えた人にとってはマジメに苦しい言葉なのかもしれない、だから軽視していいとは思わない。
知識としてそうしたことが広がるのはいいことだ。だがどちらにしても、励ますというのは関係性を外してはみられないんだ。
親友・戦友とも言うべき人間は、もう作ることはできないんだ。そういう風に、サンテグジュペリも言ってた。
そんな希少価値のあるものを贅沢に求めることなんでできないだろ?希少だからダイヤモンドは価値が高いんだもんな。
だから俺は、関係性があまりない人からの励ましこそ想像力を働かせて受け止めたいと思う。そっちの方が普通だからだ。そして社会の大半は普通の物質でできてる。コンクリートとか。
「がんばれなんて薄っぺらい」とか言うつもりは毛頭ない。そもそも難病患者の気持ちなんて、同じ病気の患者同士だって理解しがたいんだからな。これはマジだぜ。
それがヘタクソだったとしても、仮にマジで軽いものだったとしても、「この励ましは間違ってるかもしれない」っていう恐怖との格闘の上で、俺に向かって出してくれたものだと俺は受け止めたい。
人を励まそうっていう難易度SSSクラスの発意を、さも答えがあるかのようにひとくくりで決めつけちまおうなんて方がおこがましい。だけど学問と研究は大切だ。
だから、友人を心配する、友人を励ますっていうことを恐れないでくれ。時にはせっかくの親切を反故にされるような状況になっちまうかもしれないが、卑屈にならないでほしい。最強難易度なんだからな。
いつか恩返しをしたい。普通の飲みの席で一緒に笑い合うという姿で。
俺はそう思えるから、クソまみれの布団を道路上で持ちながら泣いちまっても、またがんばろうと思える。
人は皆、多少なりとも何かを妥協しながら生きてると思うが、私の場合それは恋人だ。
自分から好きになった人とは付き合えない、セフレ止まり、こっぴどく振られる、付き合えても心が疲弊する出来事ばかり起きてすぐ別れる、そんなのばかりだ。
好きになった人とは付き合えないけど、私のことを好きになってくれる人達とは何度か付き合った。今も私のことを好きになってくれた人と付き合っている。でも、ハッキリ言ってタイプじゃない。話してて楽しいし、一緒にいて落ち着くけど、外見はまったくもってタイプじゃない。私のことを好きになってくれる人は私の好みじゃない。
好みじゃない人と付き合う、これが私の生きていく上での妥協である。
恥ずかしながら、私の大部分は恋愛感情で構成されている。薄っぺらい人間だと思われて結構。
そんな自分の大部分を占めているのに、妥協して誰かと付き合うなんてしんどいなって思ってしまった。
自分を好きになってくれる人と付き合うのは不幸なことではない。付き合っていくうちにその人のことを知って自分も好きになっていくし、誰かから想われることはとても幸せなことだと感じる。
商品が足りないとか、間違った商品が届いたとかじゃないんです。
単品で注文した商品が、入ってなかったんです。
10年近くAmazonを使ってきて初めての出来事だったので日記にしてみます。
友人からNintendo Switchを定価で譲ってもらった私は、あつまれどうぶつの森をベッドで寝転がったまま遊ぶため、Amazonでタブレットアームスタンドなるものを注文しました。
その商品は出品者が販売しAmazonが発送する、マーケットプレイス商品でした。
注文を確定した次の日には発送され、その翌日に到着予定とのこと。
到着当日、仕事が休みだった私はワクワクしながら自宅で待っていました。
ピンポーン、とインターホンが鳴り、小走りで玄関を開けてみると、
Amazonの配達員さんが持っている荷物が、明らかに薄っぺらくて小さい…
イヤな予感がする…
しかもダンボールではなく、簡易包装の白い袋タイプのものでした。
アレ?私が頼んだアームスタンドは組み立て式だけど、バラだとそんなに薄くなるかな?
受け取って手に持つと、マジで薄くて軽い。紙製のスタンドか?詐欺商品かな?
厚紙だけでした。
袋の形が崩れないように入れる補強用の厚紙っていうのかな?それだけ。
え、ウソ、こんなことある?Amazonさん?初めてですよこんなの。
お金だけ取られて商品が届かない詐欺にしたって、袋だけはちゃんと届くなんてある?
まだ車を停めている配達員さんに確認してみても、「ドライバーなんでちょっとわからないです…アレだったら持って帰りましょうか?」と。
そりゃそうだよね、こちらでAmazonに確認してみますと告げ、室内へ戻ります。
すぐにAmazonのサポートへチャットでコンタクトを取りました。
サポート自体は丁寧で迅速でした。出品者販売の商品なので、一度返金して再度注文してほしいとのこと。
注文履歴に同じ商品が2件載るのはなんだか気乗りしないなー、と思いつつ了承しました。
そこでつい意地悪で「この商品を梱包したのは出品者かAmazonか?」と聞くと「Amazonの倉庫です」と。
つまり、ちゃんと商品は存在するけど、Amazonの人がカラで送っちゃっただけということですね。
このご時世、ネットショッピングの需要が高まっていて現場はさぞ大変なんだろうな、と思います。
Amazonの倉庫がどんなチェック体制なのかはわかりませんが、実物無しで発送処理ってあります?
急ぎの注文じゃなかったのでまだいいんですが…
あるいは、なろう作家に限定したことではないかもしれませんが。
なろう小説を3桁ほど読ませてもらいましたが、話の巧拙に関わらず共通点が一つ。
それは女性描写の少なさ。あまりに少ないもので、ひとしきり笑ってしまいました。
確かに作中に女性キャラは登場しますが、決して彼女たちは「女性」として扱われていません。
最初のキャラクター紹介で雑な外見設定を付けられ、あとは大抵が主人公の妾になるだけ。
いくら女性とのお付き合いが日々の中でないからって、自分の理想を書いているからって、
そして書くことが苦手なので、どんどん女性の描写が減っていく。思考が単一化していく。
その様な本を若者たちに読ませたら、ああどうなることやら。考えたくもありません。
お色気・破廉恥さに拠らなくても彼女たちは描写できるはずです。思考内面を文に落とし込めるはずです。
巨乳で主人公にベタボレで優しくて才女で……ほとほと繰り返される安易な女性描写には辟易しました。
「女性」は自分で熟慮し、行動でき、なおかつ確固たる意見を発現できる、そういうものだと認識しています。
(もっとも、今あげたのは女性の一部要素であり、他にも長所はたくさんあるのですが!)
……頼みますから、もっと質感的な、深みのある「女性」を書いてください。
「女性」を書くことを忌避しているうちは、到底真の作家にはなれませんよ?
貴方達が変わり、成長できることを、そしていつかちゃんとした「女性」を書けることを、心から願っています。
おそらく「転生後女性になった主人公」を反論に挙げる方がいらっしゃると思うので、先手を打って。
彼女らは、いいえ、彼らの転生元のほとんどは男性であり、女性の皮を被ったまま男性観を振り回しているに過ぎません。
本当の女性は決して男性とイコールではないことを理解してください。もっと繊細で理知的な存在なのですから。
YouTubeなどで、素人の方が日々の生活をアップするものだ。
いわゆるYouTubeのやかましい音楽や目障りな編集にうんざりしていたので
特に、以前住んでいた広島のアラフォー女性(在宅勤務独身)の動画は
ぼっち系と言われるだけあって、すごい親近感があった。
他にもいろいろあるみたいで、節約とか無職とかアラサーアラフォー
など、どっちかと言うと、リア充とは逆の側の人たちのつつましやかな日々が
(単にYouTubeが私にお勧めしてる内容が偏ってるだけかもしれないが)
それはそれでとても親近感があって良いのだけど、どうにも納得いかないのが、
節約、だよね?
ど田舎在住とは言え、無印良品もカルディーもある街に住んでるけど、
この2つって無駄に高い気がするんだけど気のせい?
例えば、チェーン系のカフェで言えば、マックやドトールとスタバ位のイメージ。
そもそもスタバ高いし、行く時はちょっとおめかししなきゃいけない気がする。
Cafe代にはそれでも私はお金をそこまでケチらないので、スタバや
もうちょっとおしゃれなカフェにも行って心の洗濯をするのだけど、
生活用品に関しては、きっちり締め上げる派。
家具はリサイクルショップ、化粧ポーチなどは百均、洋服はユニクロか古着。
旅行好きなので、旅のパッキング動画を見るのもすごく楽しいんだけど、
節約系YouTuberの旅支度の中身が、いちいち無印だったりしたのが不思議だった。
同じもの、ダイソーにもあったよー、と突っ込まずにはいられない貧乏人。
もちろん品質は俄然違うんだろうけど、年に数回の旅行のために、
わざわざ無印で専用のパッキングケースを買う理由がわからない。
服はそのままスーツケースに。
以前大阪のスパで洗面道具をユニクロのヒートテックが入っていた
ジップロック風の袋に入れている人を見かけて、同胞にあったような気分になった。
必要充分です。
決して無印が嫌いなのではないんだけど、
無印良品のデザインが特別良いと思うわけでもなく(どシンプルなのは好感度が高いけども)
以上。
そこまでこだわりがないので、カルディーでお買い物する人見ると
「リア充」感がすごくて近寄りがたい。
カルディーや無印良品の生活をしながらそれで抑えられるのかわからない。
私の生活も彼らとトントンだけど、猫3匹飼いながら毎月50,000円を貯金、
積み立て投資もしている。
持ち家だから家賃はかからないとは言え、持病持ちの猫の通院費が
やっぱり動画に最終的にはリアリティーを感じないのはその辺のせいだと思うのです。
百均よりも長持ちするってよく言うけど、百均グッズでも何年も愛用しているものが
たくさんあるので、私には眉唾。
批判したいわけじゃないんだけど、なんかもやっとしたのでここに残す。
お疲れ様、まずはほんの少し休んでみてもいいんじゃないかな。それからはやっぱり動き出したほうがいい。特に今年は長期化が見込まれるのだから全然今からでも遅くない。
私もfランコミュ障だけどいくつか最終面接にも進んでる(残念ながら内定はまだないけど)
まずは大学のキャリアセンターのカウンセラーにメールでもいいから相談。
それから、コミュ障でも、受ける会社の好きなポイントや自分がなぜその職種、会社を受けたいのか、なぜ魅力的に感じたのかを辿々しくてもいいから伝えるだけで、全然印象が違う。
私も言葉に詰まったり、うまく回答ができないことも多かったけど、それでもとにかく頑張って話すだけで人事には伝わる。
逆にスラスラと面接で話せても、内容が薄っぺらければ落とされる。
頑張って。