はてなキーワード: 薄っぺらとは
インターネットには説明しろおじさんが多い。ブコメやTwitterでよく観られる。対象は政治家とか企業、有名な人。いろんな人に説明しろと罵倒気味に命じる。発祥は国会の質疑だと思われる。いつの間にか説明責任とかいう謎概念ができている。ただ、困ったことに説明をしても、説明しろと言った人は聞いちゃいない。説明を理解する能力がないか、あえて無視している。個人的にダサいと思うのは、質問する側が問いを練り上げてない点だ。ただ漠然と説明しろと言うのは知性に欠ける。何が問題であるのか練り上げて質問したほうが効率的だし楽しい。ただ、曖昧な問いしか投げられないのは、言語化能力の問題かもしれない。研ぎ澄ました本質的な問い、質問された人が簡単には答えられないような問いを投げるのが、かっこいい在りかただと思うのだが、言語化できない人は質問をするだけで満足しているのだろう。権力を持っているのはわれわれ有権者なので質問はしていい。だが、薄っぺらい問いを投げて満足しているのは残念な姿だと思う。
近代社会は言語化できない人に厳しい。国家的な教育を通して国語能力を磨かせているはずなのに、読み書きできる人は少ない。しかし、言語能力が高くないと困る社会にも問題がある。認知特性には人によって偏りがあり、言語より図やイラストによる表現が得意な人もいる。音楽だってそうだ。これだけ国語をやっても変わらないのだから、人によって得意分野が違うとして諦めるしかない。一部のエリートは何も苦労せず読み書きができている。彼らは制度を作る側なので、当たり前のように読み書きを重視する。残念ながら、この構造は変えられない。思考を固定化するには文字が効率的なのだ。新しいシリアライズ形式が出ない限りはこのままだろう。
トクナナ視聴終了。
最初から最後までごくごく普通の話だった。というか見慣れた見易い話だった。
こういうのを差し挟むからこそアニメ視聴を長く続けられるというものだ。
深刻だったり斬新だったり面白すぎたりするのめり込みアニメばかりじゃあ息もつけない。
主人公は特徴も何も無いし、キャラ的にも「なぜ龍なのにワンパンマン的な戦闘スタイル…」という疑問が。
その分、主役を食っていたのが切嗣みたいな頭をして射撃が下手な相棒だ。
濃すぎた。
あと、異種族が居るという世界観も全く生かされていない感じはある。
同僚がドワーフだったりバンパイアだったりホムンクルスだったりするのはまあ…いや…別に不要な気がする。
謎だ。
それから、普通だと主人公を助けたあの元刑事は最後に死ぬよな。
@nabeteru1Q78
昭和天皇は、自分の命と地位が惜しくて、沖縄戦、原爆投下、ソ連参戦を招いた戦争犯罪人だし、本当に国民に申し訳ないと思ってたら、最高の戦争指導者として責任を取る手もあった。マッカーサーに対して命をかけて国民を守ったなどというのは虚偽であり、とんでもない。
まず生まれついて自分の地位を選べなかった立場の人に「命と地位を投げ出して国民を守れ」と臆面なく言えるのは差別主義者以外の何物でもないし、
あそこで聖断が出来たのだからもっと早く出来たはずだとか、近衛上奏文一つで沖縄戦/ 原爆投下/ソ連参戦の責任を問うとか、そんな薄っぺらい歴史観に囚われてしまうのは、nabeteru氏もまた大貫俊夫氏の言う「一つの出来事によって歴史の大きな流れを一括りにとらえたいという欲求」の奴隷だからだ。(中世のペストに関する3つの誤解 https://bit.ly/3d77mff)
昭和天皇実録、および山田朗氏による実録批判、宮中祭祀から昭和天皇の実態に迫った原武史氏の著作など、多面的に昭和天皇の生涯を追えば、そんな言葉は出て来ようがない。
昭和天皇が単なるお飾りに過ぎないとか過度な平和主義者であるとのイメージが誤りであることと、昭和天皇が戦争犯罪人に値することがイコールであるかに述べることは欺瞞的だ。
実際は、nabeteru氏は山田朗氏の著作すら読んでいないのではないか。読めば分かるが、山田氏は天皇が戦争犯罪人だなどという主張は1ミリもしていない。
山田氏はむしろ、当時の日本においては複雑な戦争を遂行するだけのシステムが存在しなかった、権限も責任も縦割り分散型で、全てを統括しているかに見える天皇の存在も建前で、むしろシステムの阻害要因ですらあったと述べている。山田氏の実録批判とは、そのようなものだ(山本七平の「日本にはミリタリズムが存在しなかった」にも通ずるものがある)。
原武史氏の著作は、戦争への不安と皇太后への恐れから、それまで宮中改革に熱心ですらあった昭和天皇が宮中祭祀すなわちカルト的な神がかりに没頭してゆき、虚実の区別すら怪しくなりリアルポリティクスからの逃避をはかり、またそこから立ち直る様を描いている。天皇の存在や言行に大きく宮中祭祀が影響することを描いている点で、現在の天皇制をも批判の射程に含むユニークな観点だが、天皇が守ろうとしたのが「自分の命や地位」などではなかったことは明らかだ。
いずれにせよ、何がnabeteru氏のような人を誤らせていくかというと、歴史に対する問いが「昭和天皇は戦争犯罪人であるか否か」に終始するからで、歴史はそのような問いに答えを出すための道具ではない。
1月末から始まったこのコロナ騒動によって、自分の心と体が緩み切っていた。
とうとう今日、その緩みが自分自身に災厄として降りかかってきたのだ。
もちろん最終的にその全責任はこの自分にあり、誰も責めることはできない。
しかし、自分自身の戒めととしてここに簡単に顛末を記しておきたい。
私自身のことを少し話しておこう。
普段であれば、月の1週間、長くなると2週間ほどは海外に出張しているのだが、
このコロナ騒動以後出張ができなくなり、ずっと日本にとどまっている。
そして3月の初めからはテレワークとなり、ずっと自宅で仕事している。
それでも、毎日始業時間になるとPCに向かい、急減速を始めた取引にうっすらと不安を感じながら、
なお仕事をひねり出し、特にさぼるわけでもなく、やるべき業務をこなしていく。
仕事を終えると、きちんと自分で夕食を作り、1時間ほど近くの公園をランニングする。
ランニングから帰ってくると、家で語学の勉強をこなし、寝る前に缶ビール1本飲んで眠りにつくという毎日だ。
そうこうしているうちに、GWが始まった。
今年のGWは14連休といつもよりだいぶ長いのだが、実家に帰ることもできず、かといって旅行に行くこともできず、
狭い1Kの自宅にこもり、予定のない日々を過ごしていいる。
予定もなく、かといって連絡を取り合うような友人もおらず、家でこもっているのはなかなかにこたえるものだ。
自分自身のこれまでの行いの結果とは言え、自分がいかに今まで人と心を重ねることができず、
孤独で、偏屈で耐えがたい存在であるということをかみしめている。
日々積もるこの寂寥は自分自身を確実に摩耗し、そしてこのまままではさらに薄っぺらい人間へと堕ちてしまうのではないか、そんな恐怖感に身をやつされている。
そして今日買い出しのためランニング以外で久しぶりに外に出た。
いつも夜走っているので、明るくとてもいい天気で、久しぶりに太陽の下に出た感覚がとても新鮮で気持ちのいいものだった。
なんだか心がすっと軽くなり、久しぶりにラーメンを食べようと思った。
私は健康を気にし久しく行っていなかったのだが、家系ラーメンにすりおろしニンニクをたっぷりと入れて、のりとライスを追加して食べるのが、
とても好きなのだ。なにせこのコロナ禍の中、人に会う予定もなくちょうどいい。
ラーメンを食べ終え、買い出し中のスーパーのレジでクレジットで会計を済まそうとしているときに異変が起こった。
急激な便意だ。
どんだけ頑張って肛門をきつく締めようと、押しとどめられないほど込みあがってくるものがあるのだ。
こんな時に限ってレジはおじいちゃんで自分がクレジットを出したもんだから、トロトロ時間がかかり、
何とか会計を済ませ、強烈な便意の波を抱えながら家路を急いだ。
正直言おう。増田でうんこ漏らす報告をする奴らは心が弱いのだと思っていた。
自分はこれまで、たとえ便意があったとしても精神力で乗り切ってきたというプライドもあった。
本当にすんでんのところだったのだ。
だが、間に合わなかった。
これまで経験したことのない便意は自分のアナルとともに、これまでの実績と自負を押し流していった。
仕方がない、このコロナ騒動によって半ば長い夏休みに突入し、自分自身知らないうちにだらけ切ってしまっていたのだと思う。
これで自分はこれまで軽蔑していたうんこたれ増田の一員となってしまったのだ。
「心の緩みは、アナルの緩み」ということわざがあるが、今日身をもってそれを学ばされた。
もちろん、すべてはこのコロナ騒動によって引き起こされたことではあるが、
それでもなおここに自戒を込めてそして、増田諸氏への忠告も込めてここに記したい。
最近、実家に籠る日が増えたのは紛れもなく、流行り病が諸悪の根源である。時たま太陽の光吸いつくしたくなって部屋から出てみるものの、自粛のムードは天蓋を狭めている。
仕方がないのは重々承知している。影響の範囲と深さを考慮すれば、外出しないのが現状取れる最善策なのだから。
することもない、というわけではなく、ただ、何をするにも従来以上にエネルギーを必要としてしまっている傾向が見える。電子タバコを吸った、メンソールの、だ。
薄っぺらい白煙はモラトリアムの終わりをじわじわと通知してくる。最後通牒、もう貴様は子供ではない。
肺の底辺に薄く汚れた灰が積もっているようで、呼吸をしても呼吸をした気になれない。胸の許容量はいったいいくらだ。
分からない。