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2021-10-10

anond:20211009155048

まさかこんな言い訳のために援用されようとは、小さな王子様も思ってもみなかったろうのう.... (サンテグジュペリ

2021-03-08

必読書コピペマジレスしてみる・やっぱりオススメの21冊編 (1)

思い出してどうしても書きたくなったので書く。

前回→ anond:20210301080225

小野不由美魔性の子

ベストセラー十二国記シリーズエピソード0なのだけれど、独立して読めるのでこれにした。

この作品に魅了された理由は二つある。一つは、二つの異世界出会うことで起きる惨劇SF的に面白いということ。こちらの常識が向こうには全く通じず、逆もまたしかり。ホラーではあるが、コミュニケーション不全の悲しみもある。作中の大量死の原因は、たった一つの誤解が原因なのだ

もう一つは、主人公の未熟さが残酷なほど明らかになっていくことだ。ある意味ファンタジーに逃避しようとする読者に喧嘩を売る態度で、後述するが僕は作者に喧嘩を売られるのが好きである

ヤスミナ・カドラ「昼が夜に負うもの」。

貧困による家族との別離恋愛もつれや政治的立場の相違によってばらばらになっていく幼なじみ人妻による少年の誘惑、昔の知人との思いがけぬ場所での劇的な再会などなど、個人的に好きな要素が濃密に詰め込まれている。それは安易な娯楽に堕しそうでいて、何とか踏みとどまっている。

カミュ小説では背景に過ぎなかった人々を主役にしているのもいい。「異邦人」のアラブ人はまったくの他者というか、理解できない原理で動く人格を描かれない、あるいはそもそも持たない存在だったように記憶している。

同著者の「カブールの燕たち」も面白かった。イスラーム原理主義者により公衆面前で恥をかかされたことで、妻は夫を軽蔑し、憎むようになる。タリバン政権下の苛烈描写は読んでいて苦しく、告発の書としても読めるのだが、同時に、ストーリー自体オペラのように派手なのだ。わざとだろうか?

小松左京「果てしなき流れの果に」

壮大な時間空間の中で行われる追跡劇で、歴史改変タイムパラドックス進化の階梯など、テーマスケールが大きすぎてこの長さでそれをやろうとするのは完全な蛮勇なんだけど、でもたぶん小松左京作品では一番好き。この作品にはエピローグが二つあり、そのうちの片方は比較的序盤に現れる。失踪していたある登場人物が帰ってくる場面だ。これを、小説最後まで読んでからもう一度読むと、深いため息が出る。本当に果てしない旅を経て、帰ってきたのだなあと。

扱われた科学技術は古びるかもしれない。未来世界女性観や社会描写も今では受け入れられないかもしれない。でも、表現しようとしたテーマは古びていない。SFはいだって宇宙時間の果てに手を伸ばそうと愚直なまでの試みなのだ

フリオコルタサル「石蹴り遊び」

冒頭で、パリのどこを歩いていてもお互いに出会ってしま恋人の話で始まったので、どんなロマンチックな話になるのかな、と期待したのだが、友人が服毒自死未遂したり恋人赤ちゃんが死んだりしてもひたすらマテ茶や酒で飲んだくれている、こじらせ芸術家ワナビを含む)たちのお話だった。

しかし、この作品には仕掛けがある。通常の順番通りに読む「第一の書」という方法と、著者に指定された順番で、巻末にまとめられた付録の章を挟みながら読む「第二の書」という方法、この二通りで読めるのだ。第二の書では章の番号が飛び飛びになり、まさに石蹴り遊びのようになる。そこでは第一の書で省かれていたいくつかの事実や、登場人物の秘めた行動原理が明かされる。そればかりか新聞から脈絡ない切り抜きや、この本の著者と思しき人物の晦渋な文学論を含んだ独白が含まれ、そこでは一貫性を過剰に求め、受動的にしか読もうとしない者が批判される。要するに読者に喧嘩を売ってくるわけだ。

読者に喧嘩を売る芸術が好きだ。なぜなら偉大な作家と同じ土俵に立てた錯覚を持てるから

シドニー=ガブリエル・コレット青い麦

「ダフニスクロエー」並にこっぱずかしいイチャラブもの。誰だって一緒に育ってきた少年少女が迎える性の目覚め的なシチュエーション萌えしまう時期があるのだと思う。もっとも、村上春樹作品場合、一緒に育ってきた幼馴染の男女は不幸な結末を迎えるのが常套なのだけれど。

少年人妻に誘惑され先に性体験をするというのも、王道でいい気もする。とはいえ、昨今は少女が先に目覚めるパターンも読んでみたいと思うのである

沢木耕太郎深夜特急

北杜夫の「どくとるマンボウ航海記」とか妹尾河童インド旅行記にしようかとも思ったが、終着地のロンドンについてからオチが笑えたのでこれにした(興味があったらこの二つも読んでください)。

元々はデリーからロンドンまでバスで行けるかどうかという賭けが旅のきっかけだが、「一人旅海外は二十六歳くらいがちょうどいい、それよりも若い経験値が少なすぎて、あまりにもすべてを吸収してしまおうとする」なんて趣旨のくだりがあり、初めての一人旅を読んでそうかもしれないとうなずいた。

少し前の時代旅行記面白い。今では身近なフォーケバブがすごく珍しいものとして書かれているし、天然痘が根絶されていない時代の怖さもある。一方、アフガニスタンイランが今ほど物騒ではなく書かれており、政変を身近な危険として感じることができる。

それはさておき、ほんと、スマホができて一人旅はずいぶんと楽になった。

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ夜間飛行

強くてかっこいいことや、くじけずに挑むことに背を向けていた自分が気に入った数少ない強い人間物語。「星の王子様」が気に入った人は、ぜひぜひこちらを読んでほしい。いや、星の王子様子供向けに感じられた人や、表現が簡潔すぎたり抽象的過ぎたりしていると感じた人にこそ読んでほしい。あの物語の背後にあった、サンテグジュペリ飛行機乗りとしての経験がそこにある。

ウラジーミルソローキン「青い脂」。

はるか未来の、中国の影響下にあるロシア。そこでは文豪クローン物語執筆させることで、謎の空色物質を生成する、錬金術プロジェクトが稼働していた! この神秘物質をめぐって繰り広げられる陰謀の周囲には、ロシア文豪文体パロディあり、フルシチョフ×スターリンのイチャラブセックスあり、ナチス同盟を結んだ並行宇宙ソ連あり。

筒井康隆高橋源一郎矢作俊彦を足して三で割らずに、ロシア権威文学暴力セックスでぶっ飛ばす。ちなみにラストは爆発オチループオチだ。

筒井康隆残像に口紅を

章が進むごとに使える文字を一つずつ減らしていく趣向で、たとえば最初の章から「あ」の含まれ言葉を使えなくなっている。表現の自由と不自由について体を張って考える作品であり、使えない文字が増えるにつれ、新しい表現開拓しなければならない。その中で語られる文学論や自伝は、片言だからこそ重い。また、使える文字制限がある中での官能表現も、表現の自由について鋭く問う。

筒井康隆のすごいところは、狂っているように見える文章を書く才能だ。それがなんですごいのかっていうと、正気を失った人をそれらしく演じるのがとても難しいからだ。というのも、精神を病んだ人のなかにも、本人の中では一貫した理屈があり、全くのでたらめではないからだ。また、倫理観の壊れた人間を書くのがめちゃくちゃうまい。かなりグロ耐性のある自分も「問題外科」だけは気持ち悪くて読めなかった。これも、人間常識についてかなり深く考えないとできないことだ。

ちなみに、ジョルジュ・ペレックの「煙滅」はイ段の文字を一回も使わないで翻訳された小説で、これもただの遊びにとどまらない。語りえないホロコーストという事件モチーフにしていて、あるべきものが不在なのにそれが何かわからない居心地の悪さをテーマにしている。これが気に入ったらオススメしたい。

レフ・トルストイアンナ・カレーニナ

ドストエフスキーヤバいやつだが、トルストイもそれ以上にヤバいやつだ。家庭を顧みずに財産を国に残そうとする狂信者だ。正直、妻や子供たちがかわいそうだ。後期の「光あるうち光の中を歩め」もはっきり言って宗教の勧誘パンフレットであり、読んでいて内容が完全に予想できる。ヤバい新興宗教パンフレットのほうが何が書いてあるか予想できなくてある意味でまだ興味深い。

しかし、そんな将来そこまで頭の固くなる人間不倫の話を書いたのだから面白い。確かに、清純な愛を貫くいい子ちゃんカップル不倫カップルの対比はわざとらしい。けれども、まじめカップル愛情の細やかさと、一時の感情に負けた罪のあるカップル、どちらも美しい文章で書かれている。物事は正しくあるべきと考えている人間が、罪を犯してしまう悲しみを描いているのがいい。

これは、プロット道徳に完全に屈従させてしまう前のトルストイのすばらしさが詰まっている(そういうわけで好きな長篇の順番は年代順に「アンナ・カレーニナ」、「戦争と平和」、「復活」)。

あ、今思い出したけど、ソルジェニーツィンも好きだったんだった。

星新一「つねならぬ話」

作品根底には人間性への諦念が横たわっているのだけれども、初期の頃はそれが明確な暴力となって描かれていた。表現淡々としているが、殺人人類滅亡なんてよくある話だった。けれども、このころになるともっと表現が静かになっていった。悟りを開いた、というのとは違う。間違いなく諦念はある。けれども、苦い絶望とはまた別の感情がこもっている気もする。非SFのものが多いのも面白いので、星新一の芸風に飽きた頃に改めて手に取ってほしい。

続く→ anond:20210308082031

2020-08-05

anond:20200805083814

良い日記だ。文章も内容も美しい。

サンテグジュペリさんの本は星の王子さましか読んだ事無いけど他の本も読んでみたくなった。

コロナは明けないということが段々わかってくる

サンテグジュペリさんの『人間土地』にこんなエピソードがあった。

筆者は郵便飛行機パイロットで、仕事仲間が世界中に散らばっている。そこそこ危ない仕事なんで、ときどき事故死ぬ仲間もいる。しかし、仲間といってももともと数ヶ月に一度出くわして乾杯するくらいの頻度でしか会っていないから、死んだと言われてもすぐに実感はわかない。しかし1年くらい仕事をして、死んだ仲間に全く出くわさなくなったことに段々気づいて、そこではじめて友を失ったことを実感するのだ、と。

 

ニューノーマル、正直いまはまだナメてるというか、また元の暮らしに戻れるような気分がどこかにある。でも多分そんなことはなく、外出外食ハードルはずっと高いままだろう。

多分今後の1〜2年のうちのどこかで、サンテグジュペリさんのエピソードでいう「死」を認識することになるんだろうなと思う。

その瞬間が少し怖い。

2020-06-20

お前らはただ働くだけで友人を救っている

敷布団をまるごと洗濯しようとしたことはあるか?

俺は今夜、クソを漏らした。

いから聞いてくれ。

あんた達はただ普通に働いて、週末に仲のいい少人数の友人と気軽に飲むって生活をしているだけで「いつまでこんな生活が続くんだ」とか悩んでるかもしれない。

でも、それだけでお前らは友人を救っているんだ。確実に。

====

寝ている時にクソを漏らすと、大抵は下着台無しになる。パジャマだってそうだ。「着る派」かそうでないかはこの際問題じゃない。

普通なら、その下にあるのは布団だ。正確に言えば布団のシーツがあって、その中に布団がある。

やってみればわかることだが、布ってのは液体をけっこう通してしまう。

から、盛大にクソを漏らせば、下着と、シーツと、そして布団が大変なことになるんだ。人によってはパジャマもな。

後で理由は話すけど、俺はシーツの上に折ったバスタオルを敷いている。

こうしておくと、漏れた量によってはここで汚れが止まってくれることがある。

飲みすぎた日の深夜に、トイレや海の夢を見ていて、小便を漏らす寸前か微妙に漏らしたところで目を覚ました経験はたぶん誰でもあるだろう?

本当にちょっとした液体だけなら、布もけっこうがんばってくれるんだ。バスタオルってのは保険みたいなものなんだよ。

おいおいちょっと待ってくれ、質問は後だ。先にいま考えてる疑問に答えておいてやろう。

「クソってのは液体じゃないだろ?」って思った奴もいるよな。やっぱり色々理由があるんだけど、寝てる時に漏れるクソなんてのは大概は液体なんだ。

もしくは両方かもな。なんにしても、ひどい汚れをまき散らす癖に、水みたいな無粘度の液体がケツから出ていっちまう。だから布団までやられるんだよ。

布団を洗濯したくて、下着シーツ洗濯機にまず突っ込んだ。

風呂場で体を洗ったら、今度は布団を三つ折りにして丸めて紐で縛るんだ。そうすればコインランドリーの大きな洗濯機には入れられる。

俺の布団は安いポリエステル100パーセントのヤツだから、あまり心配せずに洗えるんだ。どうせまた洗うことになるかもしれないしな。

クソまみれの布団を丸めて縛っていたら、友達からLINEが来た。

学生時代から腐れ縁の、俺を入れて三人組の奴等だ。お互い近くはない微妙位置にいるけど、月に1回くらいは飲んでる。

今日は俺以外の二人で久々に店で飲んでいたらしい。コロナも落ち着いてきたしって…… ちょっと危機感足らないよな? 他愛もない会話が続いていたよ。

30代で、夜中にクソを漏らして、その後始末を自分でやって、コインランドリーどこだったっけとか考えたり、

「布団 コインランドリー 洗濯」とかググったり、紐で縛ったり、そうして泣きながらLINEに返事をしてたんだ。

まさか飲みに参加してない男が、手前のクソの後始末で泣いてるなんて夢にも思っちゃいないだろうが、そういうことだってある。


話は変わるけど、お前らの近しい友人に慢性的で治らない病気を持ってるとか、そういう人がもしいたら悩むかもしれない。

なんて声かけたらいいか考えちゃうし、簡単に慰めていいものかもわからないよな。

勇気を持ってもらおうと考えてみるほど、相手にとっては逆効果なんじゃないかって思えてくるもんだ。

俺は腹に関する難病ってのを抱えていて、これは国に指定されてる。

もう10年以上付き合ってるから、今更その大変さとか、どうやって対処してるとか、ここでそんなのを語るつもりはないんだ。

ただ、俺は友人たちの…… つまり "普通に毎日しっかりと働いているお前ら" のお陰で救われてるってことを伝えたいんだ。

もしそういうものを抱えてる友人がいたら、これまで通り付き合ってやって欲しい。それだけで救われるんだ。

そして…… もしかしたらお前らは「何の力にもなれてない」と思ってるかもしれないが、今日まで「これまで通り付き合ってきた」期間は、

すべてがその友人を "救い続けて" きた期間だったんだと、誇りに思って欲しいんだ。罪悪感なんてものはクソッたれなんだよ。 ああ、クソッたれは俺の方だったな。

俺は夏に大きな手術が控えてるんだけど、いつもの三人組の俺の友達今日の飲みLINEの中で「じゃあ退院したら行こうぜ」とひとこと言ってくれたんだ。

コインランドリーに向かって深夜の0時近く、クソまみれの丸めた布団を左手に、友達とのLINE右手に持って、それを見て道路上で泣いていたことだけは彼らには秘密だ。

もう休職も長く、実家にも戻ることになった。復職の予定は一応あるけど、この歳で親に心配かけて世話になって、働きもできず、うんこ製造機自分客観的になんて見たくない。

ああ…… 製造機ならまだマシか。管理できてるもんな。俺のケツは管理すらできちゃあいない。「うんこ製造機以下」の存在だ。やっぱりクソッたれだ。

腹を壊すことを恐れてまともなメシも食えなければ、ちょっといい布団を買うのだって躊躇する。俺は怖くて彼女を作ろうとすら思えない。ずっといない。そういう迷惑をかけることが簡単想像できるからな。

それでも、友達が俺を待ってくれていると思えるだけで救われるんだ。もうすこしがんばってみよう、時間は掛かっても「社会に戻る」努力をしてみようってな。

から、お前らは普通に健康で、少しずつでも前進しながら「ただ働く」ことを続けてくれさえすればいいんだ。今夜の華の金曜日はお前ら、自分にご褒美をくれてやったか

ブラックで一度つぶれちまった友達の一人は最近、ようやくまともな現場にいけることが決まった。

三人組で一番結婚できそうにねえよなとか言ってたヤツが、一昨年結婚できた。

俺は、自分の事のように嬉しいんだ。ちょっとしたことであっても。わかるか?どれだけそれが俺を勇気づけているか

全力で励ましてくれたっていい、気を使って放っておいてくれたっていい、でもお前らが自分人生を委縮させることだけはしないでくれ。

いつまでも健康で、普通生活を力強く続けていてくれ。


──伝えたいことはここまで。この先は蛇足だ。読まなくていい。どうせやっぱりクソッたれな文章だしな。

ますというのは関係性の問題なんだよ。「がんばれ」という言葉が実はリスキーだなんていう話があるよな?

これはもちろん俺の感覚であって、一般化するつもりはない。でも、俺は「がんばれ」と三人組の友人に言われても全く嫌な気はしない。

了解」が「承知」になっちまったハイパーマナー講師案件みたいな話じゃねえかと思うことだってある。

でも専門家がきちんと研究した結果の "がんばれリスキー" ということなら、従っておこうかなと思わないでもない。

友人という関係性なら、お前らが「ただ働き続ける」だけで、それ自体が誰かの励ましになるんだ。絶対にだ。

誰かががんばれと言ってきた時に「こいつは最近の "励まし情報収集" を怠った意識の低い奴だな?」なんて判定をいちいちしようと思うか?

もちろん、精神的に問題を抱えた人にとってはマジメに苦しい言葉なのかもしれない、だから軽視していいとは思わない。

知識としてそうしたことが広がるのはいいことだ。だがどちらにしても、励ますというのは関係性を外してはみられないんだ。

親友・戦友とも言うべき人間は、もう作ることはできないんだ。そういう風に、サンテグジュペリも言ってた。

そんな希少価値のあるものを贅沢に求めることなんでできないだろ?希少だからダイヤモンド価値が高いんだもんな。

から俺は、関係性があまりない人からの励ましこそ想像力を働かせて受け止めたいと思う。そっちの方が普通からだ。そして社会の大半は普通物質でできてる。コンクリートとか。

「がんばれなんて薄っぺらい」とか言うつもりは毛頭ない。そもそも難病患者気持ちなんて、同じ病気患者同士だって理解しがたいんだからな。これはマジだぜ。

それがヘタクソだったとしても、仮にマジで軽いものだったとしても、「この励ましは間違ってるかもしれない」っていう恐怖との格闘の上で、俺に向かって出してくれたものだと俺は受け止めたい。

人を励まそうっていう難易度SSSクラスの発意を、さも答えがあるかのようにひとくくりで決めつけちまおうなんて方がおこがましい。だけど学問研究は大切だ。

から、友人を心配する、友人を励ますっていうことを恐れないでくれ。時にはせっかくの親切を反故にされるような状況になっちまうかもしれないが、卑屈にならないでほしい。最強難易度なんだからな。

いつか恩返しをしたい。普通の飲みの席で一緒に笑い合うという姿で。

俺はそう思えるから、クソまみれの布団を道路上で持ちながら泣いちまっても、またがんばろうと思える。

聞いてくれてありがとう。次はバスタオルを3重にしておこうと思う。

布団の乾燥が終わるころだから、これでおしまいにするよ。じゃあな。

2020-04-23

順序が変わっても違和感ないやつ

まずはサンテジュグペリ。もちろん正しくはサンテグジュペリだが、カタカナで書かれて似たような音だともはや正解が何かさえわからなくなる。

漢字なら孫我子(あびこ)。難読漢字も入れ替えやす言葉かも。正しくは我孫子

2015-10-24

ありがとう先生

どうして「体育の授業」のおかげでスポーツが嫌いになってしまうのだろう - YU@Kの不定期村

体育どころか美術音楽もありとあらゆることは学校のおかげで嫌いになった。

ありがとう先生あなたたちにサンテグジュペリのこの言葉を贈りたいと思う。

船を造りたかったら、人に木を集めてくるように促したり、作業や任務を割り振ることをせず、はてしなく続く広大な海を慕うことを教えよ。

If you want to build a ship, don't drum up the people to collect wood and don't assign them tasks and work, but rather teach them to long for the endless immensity of the sea.

しかしたら船を造りたかったわけじゃないのかもしれないけれど。

 
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