はてなキーワード: 葬儀とは
俺「やり残したこととかないの?」
父「ない。みんなよく育ってくれた。」
俺「そう。やり残したことなく死ねるなら最高じゃん。俺もそうなりたい。」
死ぬ3年ほど前から、ストゼロとキングピースで昼夜自傷行為のたしなんでいた。
同居する母は父を慰め、病院への通院をすすめていた。
強く支えようとするほど希死念慮は強くなり、ゾンビのようになっていった。
アイコスやウォーキングマシンをプレゼントしてみたが、実家に帰るときれいなままホコリをかぶっていた。
一緒に飲んで慰めてみたが、俺の気持ちは落ち着くが、父には何の効果もなかった。
本当は生きたい事は分かっていた。
けど相手の無意識を健在化させ、死にたい病を治療する術は俺にない。
ある時から父を生かそうとすることを諦めた。
会うたびに、父に感謝の手紙を書いて読み上げたり、一緒に飲みに行って父との思い出話をしたり。
準備が始まったが全く悲しくなかった。
式はそつなくこなせればいい。
ただ、葬儀に来る人の事を考えた。
(みんな時間と金を使って悲しい気持ちを体験しに来る。来てよかったと感じてもらいたい)
俺が泣けないのは仕方ないとして、父の死を気にしてない感じだと顧客満足度は上がらない。
せめてもの思いで、喪主挨拶でみんなが感動するような文章を書いた。
俺が幼少期のエピソード → 仕事が大変だったのに家族にこんな風に尽くしてくれた → 急な死で悲しいの構成。
式当日、覚えるのはめんどくさいので紙に書いて胸ポケットに入れていた。
眼が潤ってきた。
(あれ?字読めないじゃん)
※最後に、唐突にジャニーズ性加害についての自分の考えを述べているため、ジャニーズが好きな方や苦手な方は見ないで。全体的に暴力を受けた?ような話だから苦手な人は読まないでください。
文章力がないから上手くまとめきれないけど、ジャニーズ性加害の報道を見てから、ずっと苦しい。苦しいという感情と怒りが頭の中をぐるぐるして、どうにもコントロールできそうにない。
普段は、ツイッターの鍵アカで毎日の不満を叫んだり推し活ではしゃいだりしているけど、それもいまは無理。鍵アカのフォロワーは完全なる赤の他人ではなくて、たまに会って遊んで話をする友達だ。
友達にも言えない。会社の人に言ってもしょうがない。家族にはもっと言えない。無理。
心配されたくないし、同情されたくないし、でも、吐き出さないとやってられない。顔も声も、自分のことを、誰も知らない人に、聞いてもらいたい。
数ヶ月前にも今と同じような混乱と絶望と虚しさと生きにくさを感じたときは、匿名性のカウンセラーに助けてもらえて、3ヶ月くらいしたら落ち着いた。でもまた、いま、苦しくて、手は震え食べ物を吐き夜は眠れず何をすることもなく時間だけが過ぎていってる。
なんでこんなことになってしまったのか。
当時は気づかなかったけど、幼い頃に祖父母から虐待されていたようだった。
虐待というと、殴られたり蹴られたりタバコの火を押し付けられたり性的な加害や、酷い言葉を浴びせるなど、悲惨な状況を想像すると思うが、自分はそんなことはなかった。
夜に騒ぐと、裸足とパジャマで外に追い出された。騒がなくても、遅い時間まで起きていると怒鳴られた。だから夜9時には寝ていた。
彼らにとって不都合なことが生じたときに、兄弟が殴られた。兄弟を殴ったことに抗議した母は、暴力をくわえられていた。母は殺されそうになっていた。自分はそれを黙って見ていた。自分が泣くと、怒鳴られるから、泣くことはできなかった。
1番新しい記憶の中では、彼は私に刃物を向けて、殺してやる!と叫んでた。ふとした時にあの瞬間を思い出す。あの時、自分は、兄弟と一緒に家の1番遠い部屋に逃げて、鍵をかけて座っていた。ついに殺されるんだと思った。無力だった。
今考えると、本気で殺されると思っていたなら、家から逃げて、近所の人に助けを求めるべきだった。でもそれができなかった。今なら、周囲の人に助けを求めたり、警察に電話したりするべきだと思えるが、当時の自分には選択肢がなかった。
家族に殺されかけたなんて、家族以外の人には知られたくなかった。
そんな祖父母も、もう亡くなった。
葬儀に参列したあと、夢を見たり、突然頭の中に刃物を向けてくる人の映像が浮かぶようになった。映像に襲われると、足元がぐらつき立っていられなくなりあの時の無力感でいっぱいになる。涙が出てきて、どうしていいかわからなくなる。死にたくなる。自分は死んだ方がいいと思う。死んだ方が楽なんだと思う。
でも死に方がわからない。辛い。どうにもならない。
個人的にこの体験は、児童虐待というやつで、フラッシュバックというやつなんだと思う。
でもこの決めつけも、自分が勝手にそうだと思って、自分を慰めているだけかもしれない。
自分で自分を悲劇的に脚色するのは許されると思う。別に誰に迷惑をかけるわけでもないし。
ただ、誰かにこの体験や自分の考え、苦しみを吐露しようとしたときこの話を聞いた相手に、
この体験や感情を否定されたら辛いし、嘲笑われても引かれても辛い。同情されても困るし、そもそもこの話をしたところで自分は何も得られない、と思った。だから友達にはとても話せない。
自分の顔と名前を知っている程度の仕事上の付き合いの人に話ても意味はない。
そして家族。家族に話すのは1番辛い。父母は、自分たち兄弟を守るために抵抗してくれた。でも自分は、今現在も過去を思い出して泣いたり吐いたり絶望したり希死念慮を募らせたりしている。こんなことを父母が知ったら、きっと自責的になると思う。父母を、苦しめなくない。そして自分も、楽にはなれない。
兄弟は話し相手としてどうか。同じ経験をした身だから、話し合えるか?話したことはないが、そうは思わない。同じ経験をした身だからこそ、自分が兄弟に体験を話すことで、過去に苦しんでいない兄弟が苦しむようになったら、そう思うと、兄弟にも話はできない。
以前、会話をすることで楽になったカウンセラーにまた頼るのはどうか。
カウンセラーとて暇ではない。予約が取れない、そもそも仕事を抜け出してカウンセリングを受けることも勇気がいる。会社の人にも知られたくはない。
「自分は児童虐待にあっていた。だから今も精神的に不安定だ。」と、詳細を語らずも良いのでないか?と思った。ダメだ。
本当に、自分でも意味がわからないけど、今でも苦しめられている相手を、虐待した人だ と声に出さない。報復が恐ろしいわけではない。報復なんてされるわけない。
本当に、信じられないことに、祖父母を虐待加害者として扱うことに抵抗がある。意味がわからない。思い出が邪魔をする。優しい祖父母のことも知っている。当時は、ただ厳しいだけの人たちだと思っていた。でも、テストでいい点を取ると褒めてくれて、こっそりお菓子をくれたり、一緒に遊んでくれたときは楽しかった。幸せだった。
混乱する。事実と感情がごちゃ混ぜになって涙が止まらない。ここ数日は仕事にも集中できず、何もできない日々が続いている。
そんな自分が情けない。
悪い奴は悪い奴だから、と裁ければいいのに。感情なんて無くなればいい。事実と感情の整理ができない。烈しい記憶と優しい思い出と交互に出てきてもうどうすればいいかわからない。死にたい。それだけで頭がいっぱいになる。
でも知らなかった人や知ってて無視した人はしょうがないと思う。逆らえるわけない。
被害を受けたのにも関わらず、愛情を持っているように見える行動についても、理解できる。思考と感情は結びつかない。精神科医ではないからよくわからないけど、そうやって、自分の心を守ってしまうらしい。本当に守れているのかは疑問がある。
誰が悪いのか?加害者が100%悪い。加害行為を知っていて隠蔽した人も100%悪い。噂程度にしか知らなかった人は、しょうがないと思う。
被害者が悪いという声がある。被害者が、被害を訴えなければ良かったと。本当に被害にあったのか疑う声もある。二次加害。二次加害が1番見ていてきつい。被害者が本当のことを言っているのかわからないけど、今後補償を検討する際に在籍時期とか証言の妥当性を判断するだろうから自分にはどうでもいいし、自分にはどうすることもできない。
被害者に対して「金目当てでしょ」「デビューできなかったひがみ」「ブスが調子に乗るな」と。
広告取り下げ企業に対しては、「タレントの人権侵害だ!」と突っかかる。見てられない。
嗜めた。不満そう。納得できないらしい。
「警察に訴えないということは金目当ての揺すりに決まっている」
と。
本当にきつい。自分にも当てはまる。
いわゆる普通に生きてきた人には通じないらしい。
もう、対話する元気も勇気もなく、ツイッターのアカウントはログオフした。
死にたいとか希死念慮うんぬん言ってるのに、お前生きてるじゃんって思うひともいるんだろうなぁ。そうなんだよ、なんで自分は生きているんだろう。早く死んだ方がいいんだよ、生きる価値がない。
ここまで読んでくれた人がいたら、ありがとうございました。
ジャニーズ事務所はタレントを移籍させて補償団体としてのみ存続、
せめて株式を半分以上譲渡してジュリー氏は経営から引くべきだと思ってはいるが
それはそれとして陰謀論的に引っかかるところがないわけではないので書いておく
なによりこの問題がジャニー氏、メリー氏どちらも他界した今、盛り上がってるところ
日本が全体で見て見ぬふりをしてきた問題だというのはそのとおりだと思う
しかし、ジャニー氏葬儀の時点でも海外報道は性犯罪疑惑について触れていた
つまり疑惑を知っていながら、容疑者が生きているうちにこの問題を暴かなかったのは、日本のみならず海外報道も同様ということだ
被害者を誹謗中傷しているジャニオタたちの主張は唾棄すべきだと思うが
その中にも1つだけ確かにと思うことがあった
「長らくジャニー氏の側近だった飯島氏や滝沢氏への取材が少なすぎるのではないか?」
全くジャニオタではない増田でさえ、SMAP解散騒動の際に知っている名前だと言うのに
ジャニー氏、メリー氏がいなくなり、ジャニーズ事務所の影響力はほとんど先代からの慣習的なものになっていたのではないか
(ちなみにだがジャニー氏の葬儀には故安倍氏も総理として弔電を送っている)
もともと長らくあった脛の傷を顕にした人間がいるのではないか?
・増田の親も死んでるんだろうか
・子供がいる場で、20年も会っていない大して仲良くもないいとこ相手にそんな話しだすいとことその母親も謎
・つーか他の親戚も誰も来てないのか、一般参列者もなしか、密葬にしても人いなさすぎだろ
・ごく少人数の身内だけの葬儀としたら20年も会ってない増田とその子供だけを呼ぶ理由が謎
・可愛い妹みたいないとこから自分だけが特別扱いされている、って妄想かな?
ってツッコミが浮かんだ
後半は読む気もない
ジャニーズの報道を見ると動悸が早くなって胃の中が全部逆流しそうになる。
その理由は単純で、自分の性的被害と人にしてしまった加害を同時に思い出して心臓が締め付けられるように痛くなるからだ。
被害者面だけしたいわけではないので、先に言ってしまうが、自分は性的加害者でもある。
相手は妹みたいにかわいがっていた2つ年下のいとこで、親戚同士のお泊まり会のときに寝ているところを触りに行った。
生々しい描画がしたいわけではないので詳細は省くが、直接触ろうとして下着を少し下げたところで目が覚めそうになったので、慌てて部屋から出ていった。
その時は自分の兄弟含め何人もの親戚が泊まる会だったのでおそらくは特定されることはなかったと思う。
その後もたまにあったりしたときはやはり兄妹みたいな関係でいられたので、そんなことを少しずつ忘れつつあった。
それから20年ほど会わない時間があったのだが、その子の父親が亡くなったという話を聞いて、葬儀に参加することになった。
その時自分はすでに結婚していて子供も二人生まれていた。結婚式はやらなかったので親戚にはハガキで報告を送った程度だった。
葬儀が終わってからも母と妹の話は終わらず、しんみりとした雰囲気の中でうちの子供達だけが騒いでいた。
すると、妹みたいだったいとこが子どもたちと遊びながらふとした瞬間に手を止めて泣き出してしまった。
どうしたのか聞いてみると、父親に自分の子供を見せられなかったことが悲しくなってしまったのだという。
その子の母親も、亡くなった夫に孫を見せてやれなかったことが本当に悔しいと一緒に泣き出した。
少し落ち着いてそういえば結婚はどうしたのか聞いてみたところ、「じつは、〇〇ちゃん(増田の名前)は大丈夫なんだけど、、、」という枕詞とともに自分が男性恐怖症であることをこちらに告げてきた。
はっきりとした理由は言わなかったけど、親戚を含めて自分以外の男性が怖いのだという。
今回の葬儀についても遠回りに自分以外の男のいとこは参列を断っていたという。
その瞬間、それまで忘れていた自分がしてしまったことがフラッシュバックのように思い出された。
それはつまり、自分が性的加害をその子にしてしまったことが原因で男性恐怖症になり、今日の今日まで苦しみ続けていたということではないか。
いとこが泣いているのも、母親が泣いているのも、全部自分のせいではないか。
それなのに加害者である自分だけが許されているとはなんておかしな状況なのか。
今頃あの世ですべてを知ったこの子の父親が、どんな形相でこちらを見ているのかを想像しただけで背筋が凍る思いだった。
すべてを白状して懺悔したい気持ちが、自分だけは信じつづけてきたこの子に真実を突きつけてしまう残酷さに負けてしまった。
保身と言われればそれまでだが、真実を知ってしまうことが今更傷を深くえぐり返してしまうことのように思えてできなかった。
自分が性的被害にあったのは小学校5年生のときに、民間のキャンプ体験合宿に参加したときのことだった。
インドアな自分に対して、仕事で忙しかった親が夏休みに無理やり参加させたもので、同年代の子供10人くらいが、30歳くらいの優しい男性インストラクターに色々と教わりながら自然を体感する教室だった。
悪いことをしなければ怒らることもなく、みんなで料理を作ったり自然に囲まれたテントで眠るということ自体が新鮮で楽しい経験だった。
2日目の夜、尿意を感じて夜中にふと目が覚めると隣にインストラクターが横たわっていた。
自分が何をされていたのかの自覚はなく、なんとなく嫌だなと思いながらも「トイレに行きます」といってその場を離れた。
戻ってきたときにはすでにインストラクターはその場にはいなかった。
今にしてみれば思い出すだけで背筋がぞわっとするほどの嫌悪感がある。
ただ、そのことは自分にとって歪な形での性の目覚めとなった。
一つは尿意によるものか快感によるものかわからないながら、勃起してしまった自分への戸惑いが強く残ることになった。
同性愛者を差別するつもりはないが、自らが同性に対して性的な何かを感じることに猛烈な嫌悪感と恐怖を覚えるようになってしまった。
今に至るまで、男性恐怖症(男性過敏症)は解決されないままでいる。
もう一つは、性的欲求の解決手段として、「寝ている相手を触る」という行為が強烈に印象付けられてしまった。
あの瞬間に印象づいたわけではなく、思い返し疑問を反芻している間に塗り重ねられるように刻まれていったのだと思う。
それは自他ともに認めることで、それが恋愛感情であるのか、兄妹間による愛情であるのか、長女であるいとこにも、末っ子である自分にも分からなかった。
相手がどうかはわからないが、小学生くらいまでの間のことでありながらも自分には命と同じくらいに大切な存在だった。
それが一切の言い訳にならないどころか、それなのにどうしてそんなことをしてしまったのか自分でもわかっていないというのが正直なところだ。
全ては想像力の欠如であったのだと思う。
好奇心に負けてしまったというよりは、たまたまできる環境が揃ってしまったところに、されたことがある人間がいただけのことなのだと思うしかなかった。
ただ、本当に、本当に今では後悔しかない。
ジャニーズの報道を見るたびに、そのことが思い出されて心臓が締め付けられる思いがする。
自分への性被害がなければいとこへの性被害がなかったかどうかはわからない。
そればかりは本当にたらればで、だからそのことについて性的加害者を責めるつもりはない。
それどころか、もし自分への加害がなかったらという思いが持ち上がろうとすると同時に、そんなものが相手への加害の言い訳になるわけがないという鉄槌が下るのだ。
加害者なのだから苦しんで当然という言葉が、いつでも自分を苦しませてくる。
それを当然のことと受け入れなくてはならない苦しみから逃げることはできない。
学生時代、同級生との関係をうまく築くことができずに孤立してしまったし、未だにゲイやホモセクシャルに対する直感的な嫌悪感を払拭できないままでいる。
思春期を迎えて、されたことに対する意味が理解できるようになればなるほどその考えは強くなった。
そんなことさえ、いとこのことを男性恐怖症に陥らせておいて言えることではない。
わたしの被害は、自らの加害によって全てが甘じて受け入れざるを得ないものへと変わってしまった。
断じていうが、それ以降自らが痴漢行為に手を染めるようなことはない。
される側の辛さを知っているつもりだし、それによって人生がどのように狂ってしまうのかも知っているつもりだ。
そんなことを考えているときでさえ、狂わせた側としての責任という鉄槌が脳天に振り下ろされ続けている。
ジャニーズの報道を目にする度に、自らの責任によって脳天への鉄槌が繰り返され続けている。
報道を止めてほしいわけではない。
ただ、被害者数百人という数字を巨悪を叩くだけのエンタメで消費しないでほしい。
その上で理解してほしいことは、ジャニーズの最も醜悪な点として被害者を共犯関係にさせている点にある。
ただ単純に、一人の大人から数百人の児童が被害を受けていたと言うだけの話ではないのだ。
彼らは「アイドルとして成功したい」という正義のもとに、黙認や通過儀礼という解釈による加害の助長を担わされていた。
それが分別のつかない年端も行かぬ年齢の頃から組み込まれるように作られていたと考えれば、その仕組みのあり方がどれほどおぞましいものかわかってくると思う。
大人であれば立ち止まれたものであり、大人になれば後悔するようなことを、信じてる大人にやらされていたのだ。
そのことが今まで被害を表沙汰にしなかったし、ジャニー喜多川氏はそれを理解した上で、分別のつかない年齢の子供だけを集め続けてきたのだろう。
金に目がくらんだ親さえも巻き込んで。
それはもう端的に言って地獄だ。
どれだけ表向きに眩しいエンターテイメントを演じていても、その土台に埋もれているものが地獄すぎる。
今回の一件が巨悪を叩くエンタメで終わってしまえば、さらなる地獄が地層として積み重なるだけになってしまう。
そんな地獄が地獄を生む呪いの連鎖を断ち切るためには、一つ一つのケースと向かい合い、絡まりあった被害と加害を解いていく必要がある。
少なくとも、今のままただ単に巨悪を叩けば叩くほど、少しでも加害に手を貸してしまった被害者の心の傷さえもえぐっていくことを理解してほしい。
もちろんそれがあなたにとっての正義だというならば好きにすればいい。
3億あればお前も勝ち組になれるよっていったら
着々と意識を高めていった
とかふざけたことを言い出したので
見てよし
触ってよし
擦ってよし
揉んでよし
炒めてよし
刻んでよし
しゃぶってよし
煮てよし
揚げてよし
投げてよし
握ってよし
何をしても答えてくれる万能の素材であると言ったら
はてサ泣いちゃった
天誅を下すと言って駆け出していった
米を食わせろ米を食わせろと
Tはダメージを受けたので
懐から出したチャカで反撃した
はてサは米を食わせろ米を食わせろと
言いながら生き絶えた
Tはそれでも米を食わさなかったという
アイドルになれるはずもなく
って語ったら
はてサ泣いちゃった
葬儀に参列したら
ギラついた目の人間が集まっていた
一通りの葬儀が終わると
司会らしき人間が
と宣言すると
屈強な男たちがどこからか取り出した武器を手に野太い雄叫びをあげた
血みどろの小地獄ができあがっていく
予選なのに全員が死んでしまった
では私がこれをもらっていきます
颯爽と歩き去った
葬式なのに人が死にすぎる
金玉に金を出して貰えばいい
食べに行ってみたら
味噌は何使ってるんだい
と聞くと
うんこです💩
と答えた
うんこの味を調整しているそうだ
葬儀に参列したら
ギラついた目の人間が集まっていた
一通りの葬儀が終わると
司会らしき人間が
と宣言すると
屈強な男たちがどこからか取り出した武器を手に野太い雄叫びをあげた
血みどろの小地獄ができあがっていく
予選なのに全員が死んでしまった
では私がこれをもらっていきます
颯爽と歩き去った
葬式なのに人が死にすぎる
最近、もう若くないな、と思う。老いるのはやはりつらいものだ。
未だにふらふらした生き方をしているが、最近になって、もう死ぬしかないな、と思っている。
理由は単純に働きたくないから。もう頑張りたくないから。何もしたくないから。
働きたくないなら生活保護を受ければいいという意見も見かけるが、正直それを活用したところで、私は変われないだろう。
結婚などといった人並みの幸せはもう手に入らないところまで来てしまったから、そんなままで生きても、私はきっと、周りと比べることをやめられないから。
働きたくないし、かといって生活保護も嫌、そして歳を取るのも嫌となると、「じゃあもう死ねば?」にしかならないんだと思う。
死ぬのはそれはそれで怖い。だけど生きるわけにもいかないから、どこかで決めなければならないのだろう。
家族には分かってもらわないといけない。私が死んでも気を病んだりしないように。
てなわけで、いつ死のうかな、できるだけ楽に死にたいな…って最近は考えてる。30歳前には死ぬんだ、って数年前から思ってたけど、最近はもうちょっと早くてもいいな、っていうか早くないとマズイかもな。って思っている。
A22
宗教的・社会的慣習等により埋葬及び供養が行われるものについては、社会通念上廃棄物処理法に規定する「汚物又は不要物」に該当しませんので、愛玩動物(ペット)の死体は廃棄物には当たりません。ただし、埋葬・供養するとして飼い主から預かったペットの死体を火葬及び返骨等の処理を適正に行わずに処分する場合は、廃棄物(一般廃棄物)に該当します。また、埋葬及び供養を行うことが、宗教的・社会的慣習となっていないものについて、供養を行うという理由だけで社会通念上廃棄物処理法に規定する「汚物又は不要物」に該当しないとすることはできません。
簡単に言うと
1.ペットの死体は廃棄物として扱われないので埋葬、火葬(焼却処理)を行ってもよい。
2.ただし葬儀業者が火葬、返骨などの適正処理を行わずに焼却処理を行う場合は、
廃棄物として扱われるため、焼却炉としての条件を満たす施設でなければ焼却処理してはならない。
3.これは埋葬するから!葬儀だから!と言い張って通常廃棄物として扱われるものを
埋めたり、火葬と称して条件を満たさない施設で焼却処理してはならない。
火事が起きて途中中止になったけど花火は最期まで上がっていたといういたばし花火大会だが、実は戸田市との共同開催になっていて、荒川を挟んで板橋側だけが中止になったのだ。荒川を挟んで両岸で打ち上げまくるのね。
でも板橋区の方では「いたばし花火大会」としてしかアナウンスされないし、戸田市側の方は「戸田橋花火大会」としてしか案内されないから、東京都民or板橋区民の中には戸田市の方でも打ち上げてるのを知らない人が結構いるし、反対側の埼玉県民、戸田市民の方も然りで、「中止になったのに最後まで打ちあがってたのは何故???」というなぞなぞみたいな事になってしまった。
そして両岸で共同開催という珍しい形になったのは、荒川の改修工事が元になっている。
赤羽の岩淵に岩淵水門という隅田川入口を締め切る水門があるんだが、そこから下流の荒川は大正から昭和初めに掛けて開削した放水路だ。それまでは荒川の全水量が今の墨田川に流入していて水量が増えると東京の下町の方が洪水になってその都度大損害を出していた。
そこで荒川放水路を掘るという大工事に至ったのだ。普段は岩淵水門を開けておいて水は隅田川の方に流れているが、水量が増えたら水門を閉めて全部放水路の方に流れるようにする。
同時に岩淵水門の上流も大改修する必要があった。荒川がうねる様に大蛇行していて、当時の堤防というのは河道から500m~1kmも離れた所にあり水が溢れたら堤防までの土地(堤外地)は水没、という扱いになっていた。
これを止めて直線的に流れるようにして堤防に対する攻撃力を下げる。そしてちゃんとした高い堤防で完全に水を封じ込むようにする。
ついでに合流する河川も改修する。新河岸川は彩湖の付近で合流していたが、荒川の堤防だけ高くしても洪水時は新河岸川の方に逆流するからそこから洪水になって無意味だ。
そこで新河岸川の堤防を荒川準拠に高くする代わりに、新河岸川の合流地点を延長して荒川と平行して流し、赤羽まで持って行く。そして岩淵水門の下流で隅田川に合流させるのだ。確かに荒川の水量の影響を受けなくなるがすごい工事である。
で、その河道はどうするかというと、蛇行している荒川の頂点に接線を引いて、北側接線を荒川、南側接線を新河岸川にした。
すると接線の間にはサインカーブで分断された土地というのが出来る。
そしてそれまでは荒川が埼玉県と東京府の境だった。荒川の位置を変更して北側接線にしたから、東京府側に下に凸型の埼玉県飛び地がいくつか出来たって事になる。
このサインカーブ飛び地問題、今の埼玉県川口市&東京都北区、埼玉県戸田市&東京都板橋区が影響を受けるが、川口市&北区側は早々に解決した。
今の埼京線浮間舟渡駅~北赤羽駅の浮間地区は元は埼玉県横曾根村の浮間だった。だが荒川改修直後に横曽村と川口町の合併(川口市へ)が控えており、その時に東京府に割譲すると取決めがされてその通りになった。
一方、戸田村の船渡地区は東京府との協議が難航していた。浮間の方は横曽村がほぼ丸ごと東京側に行くのに大して、戸田村の集落は埼玉側にあり、その船渡地区だけが東京側に行く。
時折線が入り組んだ複雑な県境があるが、それが出来る理由というのは同じ地主の土地が県境で分かれないようにする為というのが多い。この場合は地主の土地を引き裂く県境引き直しだから難しい訳だ。更にその土地が工場に売られたりして更にややこしくなった。
そうするうちに戦争が始まってしまう。東京府と東京市は無くなって東京都と板橋区が出来て話し合いの主体もリセット。もう解決不能である。
戦後になって流石に復興する前にあれ何とかすべきだという事になり、1950年、難航の末に戸田町と板橋区の間で県境を荒川にする事で合意。今の地図を見ても蛇行の名残は見える。
https://goo.gl/maps/uEMgZazGCHPmMV2Q6
新河岸川の角みたいなのと浮間公園の池が蛇行の跡で、戸田葬儀場があるU字型の土地が戸田町から板橋区に割譲された船渡地区だ。
そこでこりゃ目出度いって事で、戸田橋花火大会を開催することになり、板橋区もそれに協賛という形で加わる形となった。後に協賛じゃなくて戸田市側の戸田橋花火大会、板橋区側のいたばし花火大会同時開催という形に変化。
そしてこのいたばし花火大会の開催&打ち上げ地点というのはこの戸田市からぶん捕った土地の河川敷なのである。これは飛び地問題解決を祝って始めた花火なのでここじゃなきゃいけないわけだ。
荒川の河川敷は今の経緯から見ても判る通り、元は農地だった。戦後すぐまでもそのままで農民は河川敷の農地を所有し堤防を越えて農業をしに来ていた。
だが堤外地で増水時には水没する土地でもあり自治体は土地を購入して運動公園への転用、ゴルフ場や教習所など水没前提の事業者への売却を促してきた。つまりは「平地」として活用されてきた。
だがそのうち荒川旧河道は誰の土地でもないから放置されて荒れ地のままになっていた。それも昭和後期あたりから公園や払下げなどが進んできた。
だが現河道と旧河道の合流部は敢えてそのまま残される事になった。水面が切れ込んでいるので水生生物が流されにくい。そしてその周辺は敢えてそのまま荒れ地のままにしてバードサンクチュアリにする。
という事で、他の部分は運動場などで使うので綺麗に芝刈りされているのに「一か所だけ荒れ地のままにしているところでナイアガラをする」という条件が揃ってしまったのだ。
旧河道付近は荒れ地のままにして、戸田市からぶんどったこの土地でやるのが元々の花火のテーゼだから仕方がないのだが条件が悪いな。
増田の推測だと他の悪条件も重なったと思われる。
まずは2019年の台風19号。これによって荒川は増水し、昭和初期の堤防の高さを超える位置まで水位が上がった。
水が引いた後は河川敷の教習所もゴルフ場も泥まみれである。これらは2~5cm以上にも達し、人力で除去されたのだが、荒れ地の泥はそのままだったはずだ。
そして洪水の泥はナイル川デルタに文明を発生させるほどに肥沃であって、泥がそのままの荒れ地は猛烈に雑草が繁茂したはずだ。
更に2020~2022は東京五輪とコロナの為に開催中止。肥沃な泥で荒れ地の雑草たちは伸び伸びと繁茂しまくり、その中には葛も含まれていた。こいつが来たらもう手に負えない。
そんな悪条件で更に当日は風が強かった。堤防下に管理用道路があり、その脇の数mは普段から草刈りされていて、そこでナイアガラするのだが、そこを遥かに超えた所まで火が飛んでしまった。そしてそこには台風19号で肥料を大増量されて3年以上も繁茂しまくっては枯れと繰り返した雑草、特に葛が居たのである。悪条件が重なりすぎなのだ。
戸田市側の堤防の向こうには戸田のボート場があるが、これは東京五輪用に作られたものだ。
だがこの五輪は2020大会でもなけりゃ戦後の1964年大会でもない、幻となった戦前の1940年大会用に作ったものである。日中戦争激化でキャンセルされた幻の五輪に向けてこれだけ大きなボート場を作ったのだ。でも当時は埼京線は無いし交通はどうするつもりだったのか?都電が戸田橋の南詰まで走ってたがこれは戦後開通だし。
今は西側1/3をギャンブル競艇、東側の残りの水面を大学や実業団の漕艇部が使うという形になっていて、それらの艇庫がズラリと並ぶ。
飛び地問題を早々に解決した川口市の方は荒川での花火大会は無かった(最近出来た)。
だが戸田&板橋の花火大会が羨ましくなった川口市はたたら祭りという祭りを開催。その〆に花火を打ち上げている。
これは川口オートレース場で行われるが、狭いところで打ち上げるので尺玉などは無くて、数も3500発位と、スペックだけ見たらしょぼく見える。
だがオートレース場は観客席と防音壁で囲まれており(数年前までマフラー無しの直管だった)、そこで打ち上げるので音が反響してもの凄い迫力である。また打ち上げ場所が近いので灰や花火の殻がバラバラと沢山降ってきてかなりワイルドなんである。
これは高級スポーツカーよりレーシングカートの方が楽しいとかジャンボジェットよりもセスナやブリテン・ノーマン アイランダーの方が体感的というのに似ている。
先のgooglemapsの航空写真では船渡地区のU字の丸い底の方に工場群が写っているのが見える。
これは新日鉄の工場で、新河岸川は舟運が出来るので戦後すぐに出来たものだが(貨車、トラックに乗らない長物が運搬できる)、実は今は解体されて無くなっている。
都内最大の超巨大物流センターになる予定で、ドローン配達の基地にもなるそうだ。
ただ、ここは実はスーパー堤防予定地である。また、対岸側の川口市の方にはやはりスーパー堤防予定地にタワマンが数棟建っている。
いいの?と思うがスーパー堤防の整備年数は400年、タワマンや工場の耐用年数は60年で、修繕しても120年くらいだから建てちゃっていいそうなのだが、スーパー堤防の壮大さというよりも大言壮語さに驚いてしまう。
花火会場の直ぐ近くを東北新幹線と埼京線が鉄橋で渡っており、埼京線は打ち上げ中は徐行して渡る。新幹線は普通に走っているので乗客へのサービスと思われる。
韓国の雑踏事故とコロナのせいで有料席だけとして無料の人は出ていけとしている大会が増えていて今いたばし&戸田橋もそうだが、これだと市街地の道に人が溢れ、トイレやゴミ箱の設置が無いからその始末を住民がする事になって運営が無責任だ、見えなくしただけだという感じで結構ヘイトを買っている。このやり方はまずいんじゃないのか?
母が熱中症で亡くなった。
癌恐怖症で、少し体調不良が起これば膵臓癌だ、大腸がんだ、悪性リンパ腫だ助けてくれ、と騒ぐ母だった。そしてそのたびに近くに住む私か夫か息子がクリニックに連れて行き、近くの総合病院の勤務医だった時から診てもらっていた気に入りの医師から「心配ないですよ」という診断を貰いに行くのが日課だった。
以前から同居を勧めていたが、父と共に暮らした思い出のボロ家を出るのが嫌で頑なに一人暮らし。そのため毎年「ガンより熱中症に気をつけろ」と口を酸っぱく言っていた。エアコン代をケチる癖に毎晩ハーゲンダッツを食べていたのが母らしい。
昼寝しながら亡くなったようなので、正直ホッとしている。2人に1人が癌になる時代で、あれほど大騒ぎする心配性の母がいざ癌になったら落ち着けるのに一苦労だっただろう。特に母は、病院嫌いで大腸がんが手遅れになり、チューブに繋がれながら「家に帰してくれ!」「痛い!」とのたうち回っていた父の死に様を見ている。
父を看取り、憧れていたパリにも行けて、孫も曽孫も可愛がれて、独り身になってからは好きなだけ旅行行ったり友達と遊んで、もう十分満足したでしょ。
末期の癌、発覚から4ヶ月だった。
不幸中の幸いにも母が亡くなる直前に、弟嫁も含めて、父・兄・私・弟・弟嫁と実家で過ごす時間が1週間ほどとれた。
弟夫妻は関西在住。東北のとある県の実家での時間は、弟嫁にとっては、恐らくしんどかっただろうな。
母が亡くなったあと通夜・葬儀など実家で過ごす間で、寝る場所で揉めた。
母の死後、遺骨のある部屋で寝るのはイヤなので、
私が寝ていた両親の寝室を譲ってくれと兄を通して伝えてきた。
仏壇のある部屋は、
元々私が帰省した際に利用していた部屋で、
弟夫婦の結婚後、仏壇のある部屋をあけ、両親と共に両親の寝室で寝ることになった経緯がある。
兄を通して伝えてきたことに腹が立ったし、遺骨がある部屋で寝るのは..というのも何調子いいこと言ってんのと思い、両親の寝室を開けなかったことで、兄と弟と父と揉めた。
それがきっかけで、実家居場所がないように感じ、追い出されてるような気がした。
初盆の帰省を悩む中で、実家帰るのもなぁと思っていたのところ、父から兄の結婚報告を聞いた(デキ婚)
続き
なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単だからのぞんでいたんでしょう。
それをあなたがケチだ愛情がないとさんざんなじったから、ここに父の直筆遺言状がのこっているんでしょう。
目の前の日付の違う数枚の「全額妻に」の部分が私をにらんでいるじゃないか。
で、本当に検認などしていないだろうね? 私は一回「検認が~」という話をきいたぞ。
あとから裁判所からみつかったら相続人協議書つくらなきゃいかんのだぞ。
やっぱり司法書士よばなきゃ。そんなに高いわけじゃないんだから専門家をいれたほうがいい。
「うわーん!(=30分ほどの恨み言)」
これだ。 🫲😫🫱
んで分けたい額は?「孫の学費がかかっている子に600万円。私は家屋敷あればいい」でもねぇ、だまってそれやると来年贈与税で15%以上は持っていかれるよ。
「じゃあいくらにすればいいの」贈与税の無課税枠は一年に110万円だね。一人に一度に600万円は無理だ。
「私は遺産とってもうれしかった、おとうさんにパッとつかいはたした浪費家といわれたけど学費にあてられて本当にうれしかった」
ありがたいけど。今の私たちは子供(母の孫たち)の学費にそう困ってもいないんだよ。「うわーん!(=30分ほどの恨み言)」
翌日きた親戚が言い合いの横でぐぐって、実家の家屋敷の路線価評価額が(見積もりの10分の1の)数百万円ていどであることがわかって全額無課税枠で相続可能だし、
ダマテンフリコミ(麻雀用語。まあ普通に贈与税無課税枠)でいいんじゃないのとあいなったんですけどね。
父もこの癇癪にほんとうによく耐えたとおもうよ。マジで。
つまり相続権は愛情のカタにとられていただけだったのである。バカみたいな痴話げんかで役所を巻き込もうとすんな…。
父は読書好きでものしずかで有能で公平だが、ひょうきんであり、派手好きであり、ズルは嫌いだが、クーポンや法律の抜け穴は見逃さない程度にケチであり、ガメつく、ド田舎とはいえ家を二軒も妻にたててやる程度にはお金持ちで、片道一時間以上の通勤に耐えるほと忍耐強く、有能で、母にあたまがあがらず目をほそめてうんうんとうなずき、でも母が理に合わないことや浅はかな法律違反(すぐみつかるやつ)をしようとすると声をあらげることもあり、子や孫を外に連れ出す父である。
なんだこれ。チャットGPTがこれをなんと要約するのか昭和の子供は知らないが、さしずめ「昭和の父」とでもするしかないのか。たれ眉の我慢強い大型犬みたいな感じといえばいいか。
(おそらく外ではクライアントに陽気で気さくな愛想笑いをしながら物件を紹介・提案していたと思われるのだが、母の前では本当に怒りっぽい先生の前の子供のように静かだった)
母は料理と庭いじりと手芸とすべてのリアル育成が好きであり、必要に応じておぼえた自己流断捨離で必要な指輪と書類(葬儀領収書)まで捨てようとする。公的な書類と機械とインターネットでは、今の小学生以下の常識しかない女である。ポメラニアンかチワワかな。ああよく鳴くのはスピッツというのがいたな。
二人とも善良で先走りであわてもので甘えるくせに優しさの表現が下手で、あまりにも能力が凸凹なので今となっては発達障害などといわれるのかもしれない。
ソクラテスはよくいったものだし、片方になっても幸せにしろ、再婚だってしていいんだ。母ももうそろそろ自分勝手に幸せになれよ。
増田は父に似ているし子供のころからハッタツくさい母をささえた(教育虐待を友人にしか訴えないことによって)し
いってみるなら伴侶も子も仲のいい友人もハッタツくさいし増田本人だってハッタツくさいけど
それでも言わせてもらえるのなら、カサンドラはもう終わり!というようなハレバレした気分だよ。
こっそり続報
「私郵便局のおじさんにきいたのよ!夫の口座からでも現金をおろしてかまわないといわれた!贈与税がかからないかをたずねたらそれは税理士に聞いてくださいっていわれた」ああああああ
「で、この車の遺産分割協議書を『ダウンロード』したいんだけどダウンロードってどうやるの?わからない、怖くて出来ないからあなたやって」ああああああああ
こないだファックスしたやつが『ダウンロード』でつくった包括的な分割協議書だよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
メアドあてにワードでも送ったけど「ダウンロード」できなかったんだろうねええええ
ついでに分割案が全部ずれたよおおおおおおおお
ぜんぜん晴れ晴れしない
ほんとうにだれにこの危険物のおもりをおしつけたらいいんだよ