「胸の谷間」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 胸の谷間とは

2019-12-05

anond:20191205113037

アメリカワンピースは縮んでないよ、ググって画像見たらすぐわかる。

胸の谷間を極力服で隠したり、不自然に消したり、男の尻の谷間も隠したり、老婆の胸がたれた線も消したりしてる。

2019-11-18

どうすれば「宇崎ちゃん」が公共機関広告でも許され得るか考えた

前提

批判されている点のうち主要なものは以下の二点に絞られると思うので、この指摘への対処だけを論考の対象します。(例えば、絵柄の好み等々は対象しません)

  1. 論点1: 「性的対象化」への批判イラスト自体問題
  2. 論点2: 「自発性毀損」への批判献血広告文脈特有問題
論点1: 性的対象化について

なお、私の考えは、「論点1-1」でNOとスッキリサッパリ言い切るのには躊躇がありますが、かと言ってYESと断言するのにも躊躇がある、というところです(どっちつかずですね)。

論点2: 「自発性毀損」について

献血広告で当該の広告批判される理由は、自発性重要からです。対偶をとると、自発性重要ではない文脈、例えば強制性がある規定ならば、絶対ダメとまでは言えないことになります

でも一方で「煽るような台詞」は当該キャラ個性ですから有効利用したいですよね。

とすると、例えばルール遵守を訴えかける広告ならばアリではないか、と考えることもできませんか。

当てはまりそうな領域

例えば、警察制限速度の遵守を訴えるポスターどうでしょう

普通女性警察官の制服を着た「宇崎ちゃん」がローアングルではなく正面から描かれており、「先輩、交通ルールも守れないんスか?」という台詞がついたものです。

これであれば「性的対象化」も「自発性」もクリアできそうです。さらに「いつもは着ないコスチューム」かつ「キャラクターの個性を活かしている」というところで萌え的にもポイント高くありませんか。

まとめ

萌えキャラ二次元キャラ全般ダメとは思わないし、むしろ問題ない範囲で使われていくと良いと思います

一方で、このような批判自体は、メジャーになっていく過程では当然あることで、避けられる話とは思いません。

批判に対して、抑圧だ規制だと言って全否定するのではなく、より衝突の少ない形を目指していくと良いのではありませんか。

2019-10-31

巨乳ポスターにかかわるすべてが嫌だ

嫌すぎるのにブランドさんが絡まれてたり流れてくるのが気になって検索したら

多分エロアカウント巨乳

乳袋はあるって証拠に使っていいよって胸の谷間露出した乳のアップ写真上げてるのとか見てしまいウヘェとなってる

ちゅーかただの巨乳乳袋やないがな

なんかもう全てが嫌

2019-10-29

https://anond.hatelabo.jp/20191029132732 の続き

下着広告って性的じゃないの

少し脇道にそれて、下着広告について考える。街に下着広告があったとして、下着メーカーは、単に下着の魅力を伝えたいだけで、性的な消費のためにポスター掲示するわけではない。しかし一方で、下着広告性的であると受け取る人間存在するし、客観的に見れば非常に露出度の高い表現である

赤十字ヴィクトリアシークレットコラボレーションを行い、下着姿の女性献血を呼びかけるポスターを作ることはあるだろうか。あまり無さそうに思われる。下着姿の女性下着広告から切り離した場合、それは過度に性的存在になると感じる人が多いのではないだろうか。逆説的に、下着姿というものは本人の意志に関わらず本来性的であり、下着宣伝という文脈でのみ、その性的さが阻却される、とも言える。どうやら、現在日本においては、下着宣伝においては、性的な要素の含有は問題ない、という社会通念上の合意が得られているようである。なぜそのような合意今日日本で得られているかというと、下着というのは、日常生活でほぼすべての人に必要からであろう。ここで注意すべきなのは、このような合意は、現在日本において、という前提である宗教や国、あるいは時代によっては、このような合意が必ずしも得られていないことは容易に想像できる。このような合意は、社会における価値観のすり合わせによって形作られたと言っても良い。

このような合意が、他の性的表現と比べた場合一貫性にかけるという指摘は、ある意味では妥当である。先に述べたとおり、文脈や背景を考慮せずに、客観的露出度などを基準性的表現判断することを是とする場合、「下着広告である」という文脈もまた切り離すべきであるといえる。例えば、文脈理解する力が弱い子供にとって、下着広告は単に性的でありえる。実際に、「小さい頃は通販雑誌下着のページを良く見ていた」という男性の話も聞いたことがある。このような場合、たとえ広告性的意図がなかったとしても、子供に悪影響があるかもしれない。大人の都合によるこのようなダブルスタンダードともいえる基準子供に悪影響を与えているという指摘がなされた場合、どのように答えるべきであろうか。ダブルスタンダードを廃して、下着広告露出度基準として規制すべきだろうか。あるいは些細な影響だとして現状を維持するべきだろうか。「下着広告性的に見るためのものではないので、勝手性的に見るのはやめなさい」という教育を行うことに意味はあるのだろうか。

この点については、正直なところ私自信もあまり明確な結論を持っていない。直感的には下着広告ポスター規制をかけることはバカバカしいと思っている。下着広告においては、それが性的消費に向けたものではないという認識があるからだろう。しかし同時に、それはダブルスタンダードであると言われた場合、うまく返答ができない。「あなた下着広告ポスター規制をかけるのをバカバカしく思う気持ちは、私が宇崎ちゃんポスターに対する批判バカバカしく感じるものと同じです。なんなら、露出度が高い分、子供への悪影響は下着広告ポスターの方が大きいですよね」と言われた場合あなたはなんと答えるだろうか。「エロくないもの勝手エロく見るほうが悪い」といえば問題解決するだろうか。

ちなみにであるが、恐らく多くの成人男性にとって、下着広告ポスターは多かれ少なかれ性的なのではないだろうか。男性は、単にTPOをわきまえて性的表現に対するリアクションを行っているだけであって、教育によって下着広告ポスターを「性的に見なくなった」わけではない、気がする。「勝手性的に見る」のをやめられた男性がどれぐらいいるのかは気になるところである性的に感じつつも、見ていないふりをしている男性の方が多いのではないだろうか。

かわいい、綺麗、エロ

ところで、宇崎ちゃんの作者は、宇崎ちゃん性的表現しているのだろうか。宇崎ちゃんの作者の内心はわからないので、2つのケースを考えてみる。

1つ目は、宇崎ちゃんが、男性に対してのアピールを増すために、意図的に性的な要素である乳袋を与えられた場合である。この場合、宇崎ちゃんには、性的な要素が意図して組み込まれた背景が存在することになる。そして、宇崎ちゃん性的である、というポスター批判派の指摘には、一定妥当性がある。

2つ目は、単に可愛い要素を詰め込んでいたら乳袋になっていただけ、という場合である。既に乳袋一般的表現になっている世界において、宇崎ちゃんちょっとした可愛さの一要素としてそれが組み込まれ場合、宇崎ちゃん性的意図は含まれていないと考えられる。この場合、宇崎ちゃん性的であるとみなす言説は、本来は胸が大きくて可愛いだけの宇崎ちゃんを「勝手性的に見ている」行為になる。つまり、興味深いことに、ポスター批判派こそが、人の格好を勝手性的であると見なして騒いでいる存在となるのだ。ポスター擁護派の中には、この立場に立って、ポスター批判派こそが「エロくないもの勝手エロく見ている」と指摘する人もいる。一方で、乳袋性的表現ではないという前提は、現在日本においては広く同意が得られた認識ではなく、この立場に立つことはポスター擁護派の欺瞞である、という指摘もある。

実際のところ、作者がどういった意図で宇崎ちゃんを作ったのかはわからない。恐らくは前者であろうが、オタクコンテンツ一般的化が進んだ現在において、後者のような状況が起こる可能性もある。乳袋ネイティブ世代にとって、乳袋猫耳ぐらいのカジュアル属性かもしれない。また、乳袋韋駄天靴下は極端にしても、絶対領域ミニスカート胸の谷間おでこ猫耳や表情といった要素になると判断が難しくなるのではないだろうか。下着広告においては、「性的消費目的ではない」ということが明白であるため、「エロく見るほうが悪い」という切り捨てに一定妥当性が与えられる。しかし、こういった未定義エリアにおいては、表現者と受け手のどちらかに一方的責任押し付けることが難しくなる。

これらの思考実験を前提とした場合、「かわいい」「綺麗」あるいは「性的」「エロい」というのは、外形上非常に線引が難しいと認めることになるだろう。ある人にとって単に「かわいい」だけの格好が、別の人には「性的に」映ることは避けられない。また、性的消費の意図表現者に存在たかどうかを基に判断をするというのも、同様の理由で困難が予想される。さらに、仮に性的な消費を前提として表現された性的な要素だとしても、どこまでが許される「性的さ」で、どこから先が自粛すべき「過剰な性的さ」なのかについても考えなければならない。

今回の乳袋については、個人的には、性的な消費を前提とした性的な要素であるが、過度に性的とまでは言えないかな、という認識であるオタク表現に馴染んでいるためのバイアスが掛かっていることには自覚的であるが、なんとなく肌が露出していなければセーフという気もする。また、表情について言うと、これは恐らく性的な消費を前提としていないであろうと考えている。作者は単に宇崎ちゃんのうざさを表情で表しているだけのように見受けられる(これをアヘ顔とは呼ばないであろう)。

繰り返しになるが、このような受け取り方は、私個人のものであり、人によって異なるであろう。それ自体が悪いことであるとは、私は考えていない。

多様性尊重するべきなのではないか

多様性は大切にするべきであり、多様性を大切にするのであれば、お互い似好き放題やって、相当な衝突が発生しない限りはお高いに許容しよう、という考え方がある。仮に、件のポスター性的であったとしても、「そういう表現好きな人もいるよね」で終わらせることができるのであれば、それで全ては解決する。一部のポスター擁護からはこのような世界理想とした言動が見受けられる。

しかし、この考え方は現実世界においては、非常に運用が難しい。「相当な衝突」の定義が人によって異なるからだ。ある人にとって些細なことが、別の人にとっては大問題というのは、それこそ多様性を前提とするれば数多く発生するだろう。そうなった場合、結局は社会なすり合わせが行われて、自主規制として運用されることになる。私個人としては、なるべく多様性尊重する観点から、多少気に食わないことがあってもスルーするのが美徳であると考えている。しかし、だからといって他人に対して「それは些細な問題であるからスルーせよ」と強要するのは良しとしない。件のポスター女性差別問題として扱う場合、その人にとって、それは些細な問題ではない可能性がある。多様性尊重とは、相手に黙認を強要するための武器ではなく、互いの価値観をすり合わせて妥協点を見つける営みであるとも言える。もちろん、そのようなすり合わせは非常に高コストであるし、お互いに面倒である。繰り返しになるが、自由を維持するための不断努力とはこういうものなのだろう。

宇崎ちゃん性的であるとして、そこをほじくる意味はあるのか

ポスター擁護派の中には、仮に宇崎ちゃんが過度に性的であるとして、そこを指摘する必要性はあるのか、と問う人もいる。件のポスター女性差別性犯罪と関連付けて批判する場合、他にもっと重大な問題存在するのではないかという指摘である私自身は、この指摘は意味をなしていないと考えている。仮に、宇崎ちゃんポスター性差別問題があるのであれば、それが他の案件に比べて社会的に些細な影響をもたらさないとしても、指摘することは問題がない。もちろん、リソースが有限である以上、より重大な案件からあたるべきだという意見には一理あるが、それを強制することは誰にもできない。あるいは、ポスター批判派は単にキモオタもしくはオタクコンテンツが嫌いなだけなのではないか、という指摘もある。この点については、個人の内心がわからない以上、そこを議論しても無意味であるしかし、どのようなチベーションの人が存在するとしても、言論それ自体にはロジカル対応する必要がある。論者自身姿勢への批判と、議論内容そのものへの批判は分けて考えるべきであろう。

ずっと譲歩していたらブルカみたいにならないか

極端な話では、なる可能性はある。すでに述べたとおり、規制は強化される方に圧力がかかりやすい。ポスター擁護派はこのような自体を避けるために、無理に譲歩する必要は無い。最も、私自身はこの点については、あまり心配してはいない。仮にあらゆる肌の露出性的とみなす言説が現れたとしても、現在日本において多数派同意は得られないであろう。

差別の苦しみを知るのであれば

ある意味ではミラーリングが起こっているのだが、「男」という言葉を「雑に」用いた意見に対する反発が、少なからずあるように思われる。これはすでに多方面から指摘されていることであるが、「多くの」男性にとって、性犯罪あるいはセクハラというのは実際のところ未知の事象であり、「多くの」男性は、少なくとも自らが犯すのは避けるべき行為であるという倫理的良心的な規範を持ち合わせている。このことが逆に女性が日々感じている女性ゆえの困難さへの無理解につながるのだが、一方でその困難さへの責任を「男」というまとめにより自身へも向けられたときその男性にとっては困惑しかない。これはある女性が「女性」として差別されるのと同じく、ある男性が「男性」として差別されている相似形と言える。「多くの」男性は、このような女性の困難さに対して同情的であるし、不正義だと考えるであろう。しかし、一方であなたもその片棒を担いでいる、と責められるのは理不尽であると考えるのではないだろうか。女性であるという理由ハイヒール強要されることを良しとしないのであれば、ある男性男性という理由だけで責任押し付けられるべきではないし、罵倒を浴びせられるべきではない。このような行為は、男性でも女性でも、アメリカ人でも日本人でも傷つくことである差別は良くない。単純だが、これは切実な問題である。本当に傷つくのだ。

ある属性の人々が憎まれるのは、過去にその人達が行ってきたことのせいである、という考え方もあろう。しかし、どうか、属性で人を憎むのはやめることはできないだろうか。「罪を憎んで人を憎まず」とまで言うつもりはない。なにか嫌なことがあったときに、原因となった個人を憎むのは、あるいは避けられないだろう。しかし、その原因となったその個人属性までを憎むようになってしまうと、文字通り憎しみの連鎖が始まってしまう。気持ちは分かるけど、なんとか堪えられるといいと思う。難しいけど。また、議論においては、そのような発言は大いに弱点になるので戦術的にも避けたほうが無難ではある。

違いすぎる前提と背景と強い言葉(内容がメタ化してきたぞ)

ところで、先程から使っている「多くの」という表現であるが、ここに闇が潜んでいるのではないか、という指摘もある。社会階層年代、あるいは地域ごとに特性があり、私が感じるところの「多くの」というのは、あくまでも「私の身の回りでは」の話となる。ある女性にとって、身の回りの「多くの」男性が、その女性にとって好ましくない特性を備えているという状況は、恐らく確率的にありえるし、どちらかというと、そういったことは特定グループにおいて偏って発生するのではないかとすら推測できる。私が前述した、「多くの」男性倫理的良心的な規範を持ち合わせているという言説についても、同意できない人はいるであろう。

インターネット上の議論においては、そういった各人の異なる背景が共有されないまま発言が行われるため、話が非常にややこしくなってしまう。ある人は、身の回り男性を原因とする数多くの困難を経験した上で、その経験に基づいて何かを述べるのであるが、そのような経験は必ずしも前提として共有されていない。そのような発言を、同様の困難を経験したことのない人が見た場合、大げさだったり、被害妄想が激しいか、あるいは単に攻撃的な人物発言のように写りがちである。このような両者の異なる認識は、それぞれ異なる経験に基づいたものであるから、それぞれ「正しい」のである。そして、正しいからこそ厄介であり、それぞれが無意識に持っている別々の前提をすり合わせないままに議論を続けると、平行線のまま話が進むことになる。Twitterのような短文のプラットフォームでは、なおさら背景が共有されないまま議論が行われることになりやすい。

以上のことを考えるに、もしも発言の中に「常識」や「普通」あるいは「当たり前」「当然」「明らか」といった言葉を使っていた場合は、特に考え直したほうがいいかもしれない。あなたにとっての「常識」は非常に限られた範囲のものであるしかも、これらの言葉は「正しさ」をニュアンスとして含有していることから、それに当てはまらない人(恐らく沢山いる)に対する悪意と捉えられやすい。当然ながら、「異常」とか「おかしい」とか「論外」といった強い表現はなおさら安易に使うべきではない。これらの言葉は人を傷つけるし、ロビイング戦術としても周囲の理解を得にくくなる。すでに「主語が大きい」ということはよく言われるようになったが、これらの表現にもできるだけ留意するようにしたい。

まだ続くのすごない?

https://anond.hatelabo.jp/20191029133051

https://anond.hatelabo.jp/20191029132449 の続き

アファーマティブ・アクションとその後の世界

ところで、議論を混乱させるもう一つの問題として、アファーマティブ・アクションの話と、男女同権が達成されたその後の世界の話を混ぜて話している人がいるように見受けられる。たとえば、「必然性なく女性のみをアイキャッチ的に使うべからず」というのは、過渡期における一種アファーマティブ・アクションとしては、一定妥当性を持つと考える。一方で、真に差別解決した世界では、そのような配慮は逆に不要になるかもしれない。たとえば、「必然性なくA型の人のみをアイキャッチ的に使うべからず」というガイドラインは、馬鹿げている。そもそも血液型など誰も気にしていないからだ。性別問題も、真に男女差別がなくなった世界では、最終的にはそこに行き着くのかもしれない。類似の例として、アメリカなどでは、商品パッケージ人物複数掲載する場合人種の割り振りに対して神経質になるところがある。これは、特定人種のみをアイキャッチに使う場合人種差別助長しているとみなされる可能性があるからだ。現在ガイドラインとして策定されているこのようなルールが、既存の不平等是正するための措置であるという事実無視して議論を展開することは、好ましい姿勢とは言えない。また、このようなガイドラインを「女性アイキャッチに使うべからず」と極端な方向に誤読したり、「男性アイキャッチ的に使用するのはいいのか」と、誤読を元にしたミラーリングを行うことは避けなければならない。

このようなアファーマティブ・アクションそれ自体不公平あるいは不正義であり、そもそも認めない、という姿勢はあり得るかもしれない。また、単純に過度な配慮不要であるという意見もあり得る。例えば、過去に発生したNHKにおけるキズナアイ騒動人工知能学会誌の議論では、性的役割の固定に対する議論が行われたが、性的役割是正を求める批判派(アファーマティブ・アクション派といえるだろう)、とそこまでの配慮必要ない、あるいは(その後の世界では)むしろそのような配慮こそが差別である、とする擁護派の間で、意見対立が見られた。個人的には、この2つの個別の事例に対しては、過度の配慮であると考えている。一方で、批判派の言いたいことも理解できるので、批判自体には問題がないと考えているし、耳を傾けるべき指摘であろう。なお、特にキズナアイ騒動については異なる論点もあったようだが、その点についてはここでは議論しない。

件のポスター性的、あるいは過度に性的なのかどうか

議論の多くは、おそらく件のポスター性的、あるいは過度に性的かどうかに帰着するように思われる。そして、この点について、両陣営合意は、ほぼ得られていない。

擁護派の多くは、件のポスター性的ではない、あるいは性的な要素はあるとしても、問題になるほどには過度に性的ではないと考えている。一方で、批判派の多くは、乳袋や表情を理由として、ポスターは過度に性的であると見なしている。ポスターが過度に性的であると認められた場合女性差別につながる表現であり、セクハラにもなるかもしれない。一方で、そもそも性的でないのであれば、セクハラにも女性差別にもならないだろう。

巨乳はいけないのか。ポスター批判派は巨乳自体攻撃しているのではないか

巨乳それ自体がいけないわけがない。また、ごく一部の過激派を除いて、大多数のポスター批判派も巨乳自体への攻撃はしていないように見受けられる。この点を議論するのはあまり意味がないし、ごく一部の過激派意見のみを根拠に、相手陣営全体に対して「差別主義者」といったラベル付けを行うのは、誠実な姿勢とは言えないだろう。

擁護派はオタク表現に親しみすぎて、性的表現無自覚になっているのではないか

これは全員にとって非常にクリティカルな指摘である。正直なところ、私自身も自分認識社会の平均と合致しているかどうかの自信がない。ポスター擁護派のうち、オタクを自認する人たちの意見が気になるところである

例えば、「ビキニアーマー」は恐らく今となっては性的表現のように思われる。肌に密着した黒タイツはどうだろうか。乳袋も本当にセーフなのだろうか。境界線自分の中でもあやふやである。セーフな気もするし、性的な気もする。あるいら性的な要素はあると認めたとしても、過度に性的かどうかと言われると、過度ではなさそうか。みなさんはどうだろうか。

今後社会は(緩くなっていく|厳しくなっていく)

何を性的と見なすか、あるいは、何を過度に性的と見なすか、は個人どころか社会においてもあやふやであり、時代の変化にしたがって変化してく。

ポスター批判派は、(仮に今現在は認められていたとしても)今後このような表現社会的に許されなくなり、状況は是正されていくべきだと考えている。これは、過去には普通に存在していた、水着女性が(無意味に)アイキャッチとして使われていたビールポスターが、近年ではほぼ絶滅した経緯と相似形である

一方で、私は別の未来想像している。それは、このような表現が、むしろ緩く認められる社会になるのではないかということだ。近年すでに指摘されている通り、「オタク自体一般化しているらしい。それに伴って、乳袋のような表現に過度の性的な要素を見出す層が減っていく可能性がある。言うなれば乳袋ネイティブ世代誕生である。こうなった場合乳袋は広く認められた表現になる可能性がある。

ナミとセーラームーンが許されるのはおかしいのではないか

宇崎ちゃん性的であるが、ワンピースのナミやセーラームーン性的でない、という意見が見受けられる。これはポスター批判からも出ている意見で、ナミは性的ではないという意見が見受けられた。

ポスター擁護派は、ナミも宇崎ちゃんもどちらもが乳袋表現として用いていることから、仮に宇崎ちゃん性的なのであれば、ナミも同じく性的であり、ナミを公共の場で用いることは認めら得るべきではないと考えている。同じくして、ナミを認めるのであれば、宇崎ちゃんも認められないと一貫性が失われると指摘する。

ここで興味深いのが、ポスター批判派の中でも、この点については意見が別れているということだ。これは、ポスター批判派が用いている「性的表現無自覚になっている」人々というのが、ポスター批判派の中にも存在するという事を意味しているように思われる。ワンピースは非常に歴史がある作品であり、オタクだけでなく、社会的にある程度の知名度を持って受け入れられている。好きな漫画といえばワンピースという人も多い。そのため、本来は過度に性的表現を持ち合わせているはずのナミも、ワンピースという作品と共に社会に受け入れられてしまっている。ポスターに対して批判であるが、ナミについては認められるという人は、乳袋ネイティブ世代に染まりつつあるといえる。私自身は、もし宇崎ちゃんポスターが「乳袋女性性的に消費する表現である」として認められないのであれば、たとえナミであろうと、乳袋は許されないという姿勢を維持するべきであると考えている。ここで一貫性が崩れてしまうと、「(過度に)性的表現」の定義が非常に困難になってしまうため、合意が得られにくい。「ナミは(見慣れているから|みんな好きだから|明るいから|強い女性から)セーフ」という話になってしまった場合個人の「お気持ち」と揶揄されるのは避けられないだろう。

セーラームーンについてはどうだろうか。すでに指摘されている通り、セーラームーンも公開当初はブルセラを想起させるであるとか、露出が多いであるとか、性的表現についての批判女性からもあったようだ。現在では市民権を獲得しているため、このような批判が行われることはまず見かけないが、たしかに絵面だけ見た場合、肌の露出は大きい。セーラームーン使用した表現が公の場で許されるとしたら、なにが理由だろうか。

ポスター批判からは、男性からの人気を得るために胸が強調された(宇崎ちゃん|ナミ)に対して、女性が良いと思う服装女性に着せただけのセーラームーンは、性的消費には当たらないという説が挙げられている。これは、一理あるように思われる。セーラームーンは単に綺麗だったりかわいい格好をしているだけで、それを性的と見なすのは、見る方に問題がある、という考え方になる。韋駄天の例では、靴下を脱いだだけなのに、勝手にそれを性的と見なす男性陣によって問題が発生していたが、セーラームーンも同型だと言えるだろう。人には好きな格好をする権利があるのだから女性がどのような格好をしても、他人にどうこう言われるのは好ましくない、というのは理解できる。

本人の気持ちと背景情報

ここで、本人が望む格好は、どこまでなら許容されるべきであろうか、という議論がある。仮に、ある女性自分にとっては裸がもっと自然であると考えた場合、その女性を公の場に掲示されるポスター使用することは妥当であろうか。そして、その裸のポスターを過度に性的であると誰かが見なす場合、それは見る側の問題であろうか。これは、冗談ではなくて、例えばヌーディストビーチ議論においては、既に似たような議論が起こっている。現在日本において、恐らく多くの人は、裸の女性写真を公の場に掲示することは、本人の意志はどうであれ、過度に性的であると見なすであろう。裸は極端としても、例えば胸の谷間が強調された服装はどうだろうか。このような服装自発的に好む女性存在するが、公共の場ポスター使用することは適当であろうか。もし、そのような服装適当でないと考える場合、あるポスター評価する上で、本人の意思は、具体的な表現に劣後すると言えるのではないだろうか。つまり、本人が望んでいようとも、性的もの性的であると見なされるということである

ところで、海外の識者に宇崎ちゃんポスターを見せたところ、ネガティブな反応があった、という情報がある。ここで、気になるのが、同じ人物にナミやセーラームーンポスターを見せた場合、どのような反応があるか、である。宇崎ちゃんに対して否定的な反応がある場合、ナミやセーラームーンに対しても、これらの作品を知らない人からは同様の反応が帰ってくる可能性が、それなりに高いのではないだろうか。セーラームーンも、背景情報がなければ、過度に肌の露出が多い若い女性をアイキャッチに使っているだけのポスターに見える可能性がある。漫画アニメに馴染みのない人たちにとっては、ナミも宇崎ちゃんセーラームーンどんぐりの背比べに映るのではないだろうか。そのような人にとって、セーラームーンを許容するあなたは「性的表現無自覚であると見なされるかもしれない。

こういった観点を踏まえた場合、本人の気持ちや、背景情報といったものは、表現性的であるかどうかを判断する上では、必ずしも重要な要素ではない、と考えることは可能である。「勝手性的に見ている」という見方もできるが、多かれ少なかれ、だれもが自分の中の基準をもとに、ある表現性的かどうかを判断している。そのため、「勝手性的に見ている」こと自体を悪とする言説は、筋が悪いであろう。これは何も男女間にだけ発生するわけではなくて、世代間や宗教間にも発生する。そうであるならば、性的表現基準を考える上では、本人の意志や背景の文脈考慮するよりも、物理的な要素(肌の露出度など)を用いるのが妥当である、という見方もできる。

長すぎて自分もびっくりしたわ。まだ続くよ。

https://anond.hatelabo.jp/20191029132908

2019-10-27

胸元から谷間が見えるとつい目がいってしまうんだけど、初めて先っちょまで見えてしまった。

最寄りのショッピングセンターイベントがあって、

そのイベントに参加するかどうか小さい子供とやり取りしているママさんがいて、

その人の胸元が緩くて、しかもかなり屈んでいたので、胸の谷間バッチリだった。

だいぶ先まで見えてて大丈夫かなぁと思ってよく見たら、先端まで見えていたという。

サイズはB~Cで大きくはないものの、それもあって胸元の緩い軽装なのと相まって見えた感じ。

けっこう美人だったので本当に眼福でした。

これでまた明日から仕事を頑張れますありがとう

2019-10-25

ツイッターフェミニストちゃんと日々アップデートしとるぞ。オタクはどうだ?

2019-10-24

追記ありおっぱいの大きな彼女にも聞いてみたよ

追記

いくら何でも盛り上がりすぎだろ…。想定外だ…。

彼女からはいろいろな言葉をもらっているが、「君は発言小町釣り師かね」という一言だけ引用しておく。(なお当然だが、彼女実在しているし、釣りではない。発言小町釣り師でもない。トピシュさんでもない)

 

引用が分かりづらかった点、本当に申し訳ない。

「・」は、元増田さんの気持ち引用(長かったので、「…」で省略している。元増田さんのエントリを読んでほしい)、「→」が、同様のシチュエーションにおける、彼女気持ち、という構成になっている(最後の1行は除く)。

 

元増田さんの「巨乳女性意見が聞きたいみたいなブコメをいくつか見た」「一巨乳女性として気持ちを書く」という考えに自分が(結果として彼女も)賛同し、

もう一人の「巨乳サンプル」として、彼女に答えてもらった。

まり元増田さんの「N=1」を、「N=2」にしたかった(そして、さらに増えていけば面白いかも)というのが動機だ。

これも当然だが、彼女意見は全巨乳女性代表では決してない。

元増田さんにも言及してもらえて、うれしく思う。

上記のような動機であり、のろけるつもりは全くなかった(が、確かにのろけに読めておかしくない)。

 

「君」は普段から彼女にそう言われているので、何も気にしてなかった。そういえば、いつからだろう?気づけば「君」と言われていた。

 

登録名idは、今夜(25日)会うときに教えることにした。しらばっくれるつもりだったが、さすがに、これだけ彼女のことを広めた以上、要求は聞かざるを得ない。

 

元増田さんへ。

「→あと、君のはてなでの登録名を教えろ。」は、彼女から自分への要求です。分かりづらくて申し訳ありません。

 

他に書くべきことが思いついたら、また追記する。

追記ここまで】

 

anond:20191023232323

巨乳女性意見が聞きたいみたいなブコメをいくつか見たような気がするから、一巨乳女性として気持ちを書くよ。

という元増田に便乗して、昼休み彼女サイズはG65)に連絡し、この増田を読んでもらった上で、同じフォーマット経験やら気持ちやらを尋ねてみた。増田にアップすることは了承済み。

 

自分自身がいわゆる巨乳であることについて

 

基本的にはあまり喜ばしくないと思っている。

→昔はテニスをやっていたので、邪魔だと感じていたけれど、辞めた今ではどうでもよくなった。

 

仕事の場であっても、視線を感じるの、しんどい

普段白衣を着てラボにこもっているので、職場ではあまり気にならない。会社飲み会とかで現場の人と飲んでいると、たまに視線を感じるけれど、そんなもんだ。

 

・初めて男性から露骨視線を感じたのは…

小学生のころから、なんとなく視線は感じていた。露骨というと、中1になってからだな。

 

新卒で入った会社女性が多くて…

友達温泉に行って触られたことはあるが、親しくない女性からはない。

 

可愛いと思ったブラジャーDカップまでしかなかったりする。…

→知ってんだろ。

(注:彼女下着選びにたまに付き合うが、ランジェリーショップの正面に飾ってあって「これかわいいじゃん」と指すようなものは、確かに彼女に合うサイズはない)

 

恋人が喜んでくれるのはうれしいが、喜ばれすぎるとこいつは私の人格より胸が好きなのかと思う。…

→君が私の胸だけを好きになっているのではないことは知っているが、家にいると当たり前のように揉んでいるのはどうかと思うぞ。

 

 

②例のポスターについて

 

若いころは胸を強調させられた女性イラストを心底嫌だと思っていた。

→思ったことない。たぶん。

 

・私から男性向けの巨乳イラストはひどく下品に見えて、私も同じように下品ものとして見られているのだろうかと思っていた。

・若く未熟であった私の中では、イラスト巨乳への視線と生身の自分の胸への視線混同されていたように思う。

物理法則的におかしいだろ、という巨乳イラストはあるけれど、それと自分リンクさせたことはない。

 

・年齢を重ねて、変に胸を強調せずに、それでいて変に隠しすぎることもない服装をうまく身につけられるようになってからは、他者視線も気にならなくなった。

・見られていないのか、見られていても気にならなくなったのかは分からない。

→ていうか、君はよく「もっと胸の谷間を隠せ」というけれど、胸見られたぐらいで何の問題あんねん。好きな服着させろ。

 

・そして今の私から例のポスターについては、若い頃の嫌だった記憶に引きずられて多少の嫌悪感はあるものの、他人事であり、あまり感想はない。

・でもやっぱり公共の場所で女性身体の一部が強調された絵を見るのは、あまり気持ちの良いものではない。

→何の関心もない。不快にも思わない。どんどんやれ。

 

巨乳なんて言って多くの人は特別視するけど、私にとっては24時間365日身体にくっついていて、まったくもってただの身体の一部でしかない。手の甲のホクロや、左右が少し非対称な頭蓋骨と何も変わらない。

・ただ、取り外し不可能で、隠し倒すことも困難なものではあるので、みんなあんまり特別視しないでよ、とは思う。

→これはそうだな。ただ、特別視したい気持ちも分かる。

 

→あと、君のはてなでの登録名を教えろ。

2019-10-23

男がみんな巨乳が好きなわけではない

俺は適度の大きさの乳が好きなのでイエローキャブとかで巨乳ブームになってもときめかなかった

早くブーム終われとすら思った

宇崎ちゃん献血ポスターを見てもカフェ制服を着た胸の大きな女子しか認識できない

これが胸の谷間が見える服装をしているとかいうなら性的だと思うかもしれないけど

ちなみに最初に指摘したのがアメリカ人男性だとかい情報があるけど

アメリカでは子供向けアニメでも胸の谷間表現したものって普通にあるんじゃなかったっけ?

むこうではそういうのは性的にはならないんだろうか?今はないのか?

anond:20191023164623

胸の谷間ラインまで見える服」

「下乳のラインが見える服」

「陰影がついて胸の形が分かる服」

ニットなどの材質で身体ラインが分かる服」

あたりで幅があるんやで。

「胸が左右で分かれてるくらいでないと乳袋とは言わん」というのは過激派で、

現実的には「下乳のライン」のみでも乳袋と呼ぶあたりが多数派やで。

2019-10-19

性的」という言葉を分解しない限り献血イラスト議論平行線のま

いろいろな議論を見ていて気になるのが「性的」という言葉認識の部分。

性的」って何?男性的・女性的ってこと?それとも、ムラムラして興奮しちゃう(あるいはそうさせる)ってこと?

たぶん批判してる人たちは後者で使っていて、問題ないって言ってる人たちは前者の意味認識しているんじゃないだろうか?

まり、あのイラストが単に女性性を強調したものなのか、男性を興奮させるために描かれたものなのかという認識の違いが、議論を成り立たせなくしているように思う。

女性性を強調するだけでも問題だろうって思う人もいるかもしれないけど、そういう人は男性性の強調がどういうものになるかを考えてみてほしい。

胸が大きいという女性性の強調に対応する男性性の強調は、別にいきり立った股間とかではなく、筋肉であるとか背が高いとか、そのくらいのものじゃないだろうか?

個人的に、胸の谷間筋肉のスジや浮き出た血管と同等のものだと思っている)

筋肉質な男性やスラッとしたスーツ姿の男性キャラクターイラストに描かれて、それが性的不適切だという話にはならないと思う。

そうは言っても、男性は大きな胸に興奮するんでしょ、と女性は思うかもしれない。

「興奮」が何を指すのかにもよるが、あのイラスト下半身が反応してしまったり、あのマンガ自慰行為をしている男性ほとんどいないと思う。

もちろん例外も中にはいて、たとえば、箸が転んでもムラムラちゃう中高生男子なら、胸が強調されたイラストで興奮するだろう。

ただ、それは箸が転んでもムラムラする年頃だからであって、胸が強調されているからではない。

その時期を過ぎると、そのくらいのものでは下半身が反応したりはしなくなる(わかりやすく言うと、女性が血管の浮き出た筋肉質の男性を見るのと同じような目で見られるようになる)。

この辺の認識を合わせた上で、改めて献血イラストについて議論をしたい。

ラムラしなかったとしても、女性性を過度に強調したもの公共の場に出すことはどうなのかという議論を、変な反発や勘違いがない状態でできる気がしている。知らんけど。

2019-10-15

anond:20191019021148

そもそも女性が生きやす世界というのは「胸は出しても出さなくても別に誰もそんなに気にしないよ〜」という、胸に対して無関心な社会である

胸が性的アイコンとして特別さを増せば増すほど、男性女性の胸に注目する。そうなると女性男性目線から胸を隠さなくてはならなくなる。

ブルカなんかはその極端な例で、「女体のほぼ全てが性的」と社会認識されてしまたからほぼ全てを隠さなくてはならなくなった例。

から巨乳絵を抑圧するといずれブルカになるぞ」というのは実際は全く逆の現象。言ってる意味わかる?

男による女体のエロ消費が常態化しすぎたせいで、女性保護をせざるを得なくなった状況。だからそうなる前に「女は消費物ではなく、感情を持った人間である」ということを繰り返し訴えていく必要があるわけ。

実際ジェンダー論が進んでいる北米の女は、胸の谷間出して平然と歩いてるだろ。

女性には好きな服を着る権利があるし、ボディラインを綺麗に見せたいときはそう見える服を着る自由がある。理想的には。

ただし、それが日本で実現されない大きな理由を作っているのは、蔓延する「おっぱい イコール エロもの」という刷り込み、およびおっぱいへの過剰な執着、注目。

二次元巨乳否定することは現実巨乳の人を傷つけてる!!!」って主張する人達が一部にいるけど、別に巨乳自体否定してるのではなく、それを「性的もの」としてえがくイコール性的ものであるというメッセージを何度も何度も繰り返し見せつけることで、胸とエロが過剰に結びついてしまうことが良くないことなんだよ。

想像してみるといいけど、町ですれ違う知らねー奴らから「おっ、巨乳エロい」って思われない世の中の方が、現実巨乳の人にとっては遥かに息がしやすい世の中だと思わん?

周囲が無関心になればなるほど、女は本当に自分の好きなずっと服が着られる訳で、ボディラインを出してもいいし、すっぴん芋ジャー闊歩してもいい。

「今でもすればいいじゃん」と思う人はいるだろうが、電車に乗れば谷間をジロジロ見られたり、飲みに行けば初対面の他人から胸がどうこう言われたり、性犯罪に逢えば「そんな服着てるから誘ってると思った」「服で自衛してないか自己責任」などと言われる世の中では難しいってことがわかると思う。つまり自衛なんだ。自衛のために女は好きな服が着られていないわけ。ブコメによく現れる「女ももっと奔放になっていいんだよ〜性欲を否定するなおじさん」はこの根本の部分を勘違いしている。おじさんの求めているのはただのエロエロ世界であって、その世界は女が命の危険を感じずに暮らせる社会ではない。

からすると「胸は性的ものではない」とか言われても、性的に見ちゃうし、困るという気持ちもわかるんだが、せめてなんでもネタにしてしま小学生の目に触れる公の場所に置いたり、ネットで息を吸うように他人の胸のサイズ揶揄るのはやめないかって話。

下着広告はいいのか!ブーブー!という話に関して、本当に無自覚だったら怖いと思うんだけど、当然イラストは「過剰に巨乳にすることが可能」な媒体なわけじゃん?そういった描き手の意思ってのは見る側も当然感じ取るし、仮にあれが実写であっても、公の場に貼る下着メーカーポスターに、Pカップモデルは使わないと思うんだよな。

閉じられた場所でやる分には好きにすれば(それが「表現の自由」の範囲)って感じだけど、

「女体は性的消費するもの」という意識を、公共の場の子供や十代に刷り込むのは駄目だ。

胸なんてただの皮膚の延長だから、そんな特別もんじゃないんだよなあ。

2019-10-03

anond:20191003144947

争点ってか殺意なかったら成立せんからなんとか「秘密の恋…しちゃってるでしょ?」 って胸の谷間を見せて自白させるんやぞ。

2019-09-24

胸の谷間とか露出度の高い服をファッションの一環とするのなら、胸の谷間露出部への視線に一概に「エロい目で見るな」とか言うの矛盾してね?

あくまファッションとしてその谷間いいね!その生足いいね!っていう目で見てても、当事者は「エロい目で見られてる」と思うんでしょ?

谷間や露出エロいものとして扱ってるの自分たちじゃん。

2019-09-18

外国人は肌露出多くてもエロく無い不思議

電車大学生くらいの白人女性3人がいて、みんなキャミソールとかタンクトップに短パンなのな。胸の谷間も思いっきり出てる。でも全然エロくなくて、むしろ健康優良児金太郎みたいな。あれ?ここカリフォルニア州?みたいな。あれって一体何なんだろう。見慣れてないから?

2019-08-24

[]

一年の中で秋ってやっぱり哀しいですよね。街行くオネーチャン達みーんな肌の露出控えちゃって。あの夏の間に出会ったノースリーブ脇の下のブラチラさんや、前かがみになったとき胸の谷間さんとも一年間お別れかと思うと、とてもとても哀しい気持ちですよ。

でも秋は秋でちゃんと楽しみがあったりするんですけどね。

この時期、ちょっと半袖じゃ肌寒いかなってときに着る薄手のセーターってあるじゃないですか、Vネックとかの。

それを素肌に直接着てる女の人って好きなんですよ。

何がいいかって言うとVネックの大きくあいた胸元部分の露出してるあの肌。タンクトップとかの夏服に比べたら露出面積は全然少ないですけど、かえってその少なさがこの時期貴重に思えて妙に色っぽく見えたりするんですよ。

イメージとしては若奥さんとかとなりのお姉さんタイプの人が着てくれるとベストですね。で髪型ポニーテールなの。それでやけにブルージーンズが似合っちゃったりして。で、そんな人が朝のゴミ出しとか、近くのコンビニ行くのに、ちょっとだけだからって言ってノーブラでセーター着るんですよ。でもあーゆーセーターって素肌に直接着ると多少チクチクするから、そのチクチクが乳首にあたっていつのまにか乳首立ったりしてんじゃないだろうか?

なんて状況想像するとあのセーターがすごくイヤラシイ服に見えてきてしまいには「あぁ!あのチクチクになりたい!」とか思ったりするんですよ。

あとなんと言ってもVネックセーターのいいところは、前かがみになれば確実に胸の谷間が見えることですよね。だからこういうセーター着た子を見つけたらいかさりげなく前かがみにさせるかがポイントですね。たとえばその子の眼の前でワザと小銭バラまいて拾ってもらうとか、メチャクチャ体重のある老人をオンブさせるとか・・・さ、さりげなくないよーな・・・でも小銭まくのは、結構マジで実行に移そうか悩んだことがあったりする・・・

2019-08-03

コスプレイヤーって

一体なに?

何が良くてああいう格好をしたがるの?

尊敬してる人がTwitterをしていて、コスプレイヤーさんをとてもきれいだ素敵だって誉めていたけど、私から彼女ら(男性もいるだろうけど)は有名になれなかった地下アイドルしか見えない。

そんで胸の谷間とかパンチラとか、要するに男性性的な媚を売ってるようなことも平気でするくせに「DMで誘われる~」「変な人から声を掛けられる~」とか言うの。

誘ってるのは男性ではなく自分ではないのか。

から見ると生ゴミを体中に擦り付けながら「ハエが寄ってくる!」と言っている様にしか見えない。

…という内容を控えめに発言したところ、尊敬する方に「好きなことを否定する権利は誰にもない」と要約するとこう言われたんですけども、もちろんそのときは謝りましたけども、内心は全く反省してません。

だって別に否定する訳じゃなくて意味がわからないだけなんだもの

ご本人が「ズリネタとしてご活用ください。ですが個人的なお誘いはお断りしております」と発言するならまだ理解できるんだけど。

2019-06-19

anond:20190619112125

厚労省「寧ろ胸元を空けたりして胸の谷間を強調するのがマナーですよ」

2019-06-18

anond:20190618111153

ツイッターの裏垢でも使って 女神降臨してれば? パンツと谷間みせてれば それだけで有名人だぞ

え?谷間がない? 大丈夫、腹の谷間をちょっと加工すれば胸の谷間に見せれるし

あとは下着でもUPしてりゃおk

2019-05-23

女の子匂いの件

真面目な話、40代突入して、胸の谷間からは甘い汗の匂い背中からおっさんのような匂いの汗が出る。

やだ

2019-05-10

微笑みの谷間

コンビニ青年漫画誌の表紙が目に飛び込んできた。素朴な雰囲気の可愛らしい女の子水着で前屈みになり谷間を強調しながら上目遣いでこちらに微笑んでいる。大層な巨乳である

胸の谷間を強調しながら優しげに微笑むってどんな状況でどんな感情やねん。

2019-03-27

大丈夫おっぱい揉む?」の元ネタ

そういえば、Twitterで「大丈夫おっぱい揉む?」の吹き出しが大流行したけど、きらら4コマ「こはる日和。」の1巻元ネタかもしれない。

2016年5月頃に「大丈夫おっぱい揉む?」の吹き出しである#おっぱい揉むテンプレ」が流行した。その前に発売されたまんがタイムきらら2014年12月号に、このセリフが出ている。

もっとも、すべての元凶と思われるツイ主刀剣乱舞ファンなので、元ネタ可能性は低いかもしれないが…

登場人物

まずは、簡単キャラクター紹介から

話の流れ

3人で読書の話をしている途中で、こはるは眠気を感じてしまう。その様子を見て、ひまりネットで調べた「元気のない人を元気にする方法」をこはるに教える。それを聞いたこはるは、登校中に見かけたニナにおねだりする。

こはるおっぱい差し出すニナの表情が刺激的かわいい

1. こはるとみさきとひまりの3人が登校中に秋について話す。

2. 読書の話をしているとこはるが急に眠気を感じる。

3. ひまり大丈夫おっぱい揉む?」←今ここ

4. こはるがニナを見かけた途端に倒れる。それを見たニナは動揺。

5. こはるおっぱいおっぱいを揉めば元気になるの…」

6. ニナがこはるおっぱい差し出す。ニナ「はい…」→みさき「やらんでいい」

7. みさきが「こはるはいつもいいかげんだから」とニナを落ち着かせる。

8. ニナ「こはるちゃん!どんどん私にいいかげんにしてきて!」

9. 再びこはるがニナのおっぱいをおねだり。そして、差し出すニナ。→みさき「いい加減にしろ

さいごに

私はごちうさきんモザといった日常系が大好きだ。「こはる日和。」はきららで最も布教したい漫画だ。一言で言えば、女子高生日常をひたすら可愛く描いた「究極の日常系」「究極のCGDCT」。

きらら4コマは、変わった部活趣味といったスパイスを入れる傾向があるが、「こはる日和。」にはそんなものはない。「特徴がないのが特徴」という言葉が非常に似合う。

もはや、「漫画を読む」というよりも、頭を空っぽにして「かわいい女の子がじゃれ合っているところを覗く背徳感を楽しむ」ものだと思っていたほうが良い。登場人物のホクロの位置紹介や、体のパーツを強調した描写女子高生を覗く「背徳感」を引き立てる。だから、この作品には独特の中毒性がある。

ひょっとしたら、アニメ化したら難民救済アニメとして化けるかもしれない。

こはる日和。」に一番親近感があるのは「ゆるゆり」かな。仲良し4人組とごらく部のみだけど。みさき×ひまり関係と結京を比較したら面白いと思う。

参考(になるかもしれない)リンク

まんがタイムきらら 2014年 12月号 感想

大丈夫おっぱい揉む?」と発言しているひまりの1コマがある。

女子高生の日常を視覚的にもお楽しみください

こはるにおねだりされたニナが、おっぱい差し出す場面がある。そのときのニナの表情がたまらん。

google:こはる日和 アキバBlog

こはる日和。」がどういう作品を少しだけ調べたいなら検索してみよう。

言及

「女同士なら浮気にならないと思います」がパワーワードすぎる

anond:20190324181102

2019-03-04

ストパンセクハラ騒動の危うさ

セーラームーンギリギリ感でもセクハラにはならず

ガルパン水着ポスターセクハラにはならず

ゲンジツのスケート競技とかもセクハラにはならないのだから

少女スカート着用なし+水着が覗いているという「組み合わせの背徳感」でしかないんだよな

実際問題ストパンのあれは下着ではなくて水着なのだ

でも、ダメだっていうオタクは多くて、こんなのだめに決まってる、自衛隊は頭おかしいって言うんだよ

あれがポルノの訳はないが、自衛隊という公が使うのはだめに決まってると

常識的に考えてアウトだと


この論で行くと、のうりんとかアウトな気がするんだけれど、あっちはものすごい擁護が湧いたじゃん?

地元関係するアニメイベントなんだからアニメキャラ使うの当然とか

局部は見えていないとか

乳袋の何が淫猥なのかとか

胸の谷間がはだける程度普通とか

羞恥に見える表情は暑いだけとか

おじさんにはオタクの言ってることが理解できないよ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん