はてなキーワード: 研鑽とは
数年前、無職でやることがなかったときに、とある変なゲームに熱中していた。
変なゲームに集まるのは変なオジサンやお姉さんたちばかりだったけど、みんなそれぞれがゲームを愛し、様々な交流をして楽しんでいた。
同じグループのメンツでゲームのミニ大会みたいなことをしてはおしゃべりしたりもした。自分の小さな能力がとても役に立ち、今でも役に立っているのが誇らしい。
だけど自分はそこで研鑽を辞めてしまったらしい。ゲームの研鑽じゃない。なぜならそのゲームは、課金やゲームセンス等が問われるわけじゃない。運や駆け引きも必要ない。チャットの中身は殆どゲームとは無関係だったりするし、なんならゲームにログインすることも稀な人だっている。
不思議なことに「ゲーム外」の能力や経験のほうがずっと大事だ。
だからこそ、生身の人間が出やすい。人としての自分が試されている。自分がこの数年で失ったものが、いま露呈し始めている。
それが仲間に伝わっているのが辛い。
なんで頑張ろうとしなかったのか。
お笑いというのが人の失敗や苦境、容姿の差異についてそれを有益と認める方向の価値観ではないということを話題として伝播させる様式であることが多いのが問題
問題性としてはその方向性が多いため育成されるものがおおよそそういった表現方法しか知らない状態のまま収益活動に活用されること
収益活動に利用されて問題なのは、主たる目的の収益があがらなくなるということ
もとより他人の失敗を笑うと言うのは価値観を付与した情報の作成方法としてある
笑い話というのは伝聞を伝聞から作成するにあたって要所を個人が抑えやすく再編するにあたって再現性が低くとも主体が残されやすい
文脈と結果をセットにしているためでそのどちらかだけ再現しても笑いにはならない
オチを解説しなくてはならない状況になった時その笑い話は笑うという行動起因を欠いていることにならないためお笑いという形式に固めた情報伝達を行動によって得られる快感で伝播させやすくする
情報伝達媒体として人間関係を築くというのは相対的な人間の成り立ちという根本であるため伝達することやされることは栄養を摂取するに近い快楽を得られる
これを他人の苦しみや災難を笑うことで伝播するという形は発生事象を広め多角的に回避策を考察するためにまず拡散をするということにある
喫緊に解決が必要な状況や関係性でないため遅延して伝聞を拡散するという状況において笑うという感情を利用する
これがお笑いも役立つ教訓になりえ、さすがといわれる落語や関心される漫談になりえる
この伝達を目的とした情報の形成とその受動について作用する「笑い」のみ笑うことのみについてを目的とすると
これは差別的に特に特徴のない事象や小さな差異を大規模的に解決の方法を公募する形で伝達させることですら内容に含む場合がでてくる
差別や侮蔑というのは極小単位での差異を価値観にしたもので規模を広げれば希釈ができる
大阪ナオミが自宅に漂白剤をもっていないわけがない またなくとも自宅に洗剤があるのはとくに特異なことではないしなかったとしても解決方法を要する問題ではない
しかし文脈においてと分節単体においてその指摘する内容は「大阪ナオミに漂白剤を浴びせる」ということ目的としてる
これは笑えるわけがない 面白い要素がない いじめのドラマで中学生がこんなシーンを演じる台本があったとしても笑えるシーンにはならない
もちろんそういった行為が発現するという可能性がゼロではないためその情報を好んだり伝播単位にすることを行う人間も少数は存在するしそれをなくしては防護対策はできない
その特殊な思考の偏りについて発言するのは趣旨にそれるため面白くないという意見が情報を接種した人間すべてではないということに留めるが
「日焼けしすぎやろ」「外で運動しすぎやからな」「服の汚れとか汗がきになるやろ」「漂白剤がいるな」程度には範囲で希釈すれば漂白剤発言は問題にならかったかもしれない
そこまで観測対象を広げるとなにが異常でなにが問題点でそれを解決する知恵をかりたい 知恵が必要な問題点を見抜く視点をもっている有能さ として笑いを起動できるか
となるとその視野と思考の範囲では材料に対して「自分たちが会話をしている流れだけで楽しいこと」であることに気づかず自分たちが笑えた事実のみを基盤に
これは元増田が見た通り「出来るお笑い」を作れるコンビだったかもしれない その才能はあったかもしれない
しかし組み上げる方法や手段を持っていなかったりかのコンビが取得できるところにそういう伝播の情報形成における基礎的な情報がなかったのではないか
師事することやその見解について最低限ここに書いた事を受け継いだ人間に触れることで取るべき手段と選択すべき素材とをもっとよい結果につなげられたかもしれない
これは才能があるとするとその個性や特徴における評価について低いものではないとすると おかれている環境があまりに程度の低いものではないか
他にも連続して発生している「お笑い芸人」の不適切な発言問題をみると彼らを育成する土壌というのが根本的に肥料が少なすぎで粗悪な環境ではないのだろうか
またそのような環境を経てもテレビに出さえすれば収入を平均より大きくもらえるのではないかという自己の社会適応性と可能性を天秤にかけた結果
「お笑い芸人」を選ぶという好機を目指した選択について「人を笑わせる」がどういった引き金を用いてその才能だと思っていたのか研鑽したり
訓練する機会が急激に減っているのではないだろうか
自分が馬鹿なことをして笑いものになることで笑いを取ることができ、笑ってもらうのが好きなのでお笑い芸人になるというのであれば
解決すべき問題というのは自分自身で自分自身を社会的に抹殺してもらったり迫害してもらうために自分で情報を発信しているということなる
自虐ネタということでそれを作り上げる人間もいるわけでそれらを素人がいくつか見るだけでもお笑いとはどこで笑うべきかなにを笑うべきではないのかを充分に知りえるはずで
ネタを考えているときにコンビ二人がその常識から逸脱してしまったことに気が付けない知識の少なさ経験の少なさ
価値観の平均を知ることができなかった社会適合性とやはり経験 これを管理する側としては業界は解消すべき直近の問題ではないだろうか
このまま複数件同様の問題が続くようであれば これはもう芸人の個別問題ではないむしろお笑い芸人は笑われて捨てられる被害者なのではないかと考える
現在問題を機に排斥されたお笑い芸人たちがそれらに気づき反省し再度かえってくることがあれば充分にお笑いをたのしめるのではないだろうか
tl;dr
さっさと転職しよアホらしw
最近SI業界に存在する何もできないおっさんSEの記事を読んだ。
恐ろしい事に、私は今までSESとしてその業界を渡り歩き、まさに記事のようなおっさんが存在する事を知っている。
私とそのおっさん達との違いは給与くらいなもので、私はSESのため商流が2つほど挟まって利益が会社や自分の手元に来る。
つまりこのまま時間が経てばそのおっさんの下位互換として業界に居座る形になるわけだ。
はっきり言って虚無の未来としか言いようがない。現場での私の単価が100万としても、手元に来るのはおよそ30万ない程度だ。
ここから100万円の仕事をしている自負が生まれるのか?私にその自負は持てなかった。
ならば所属元がコンテンツサービスを作成して自社開発にリソースを割くようになった時に戻れるように研鑽しつつ耐えるしかないのか?
無理だ。何年耐えればいい?
私はすでに自社開発を見越して現場に出てもらっていると聞いてから4年経過しているが、現在自社でコンテンツを作成しているのは2名ほどしかいない。
自分は仮想化インフラ基盤の業務を選任にしているが、それが自社で求められるとは到底思えないし、開発にコンバートして間もないレベルの技術力で少ない開発陣に貢献できるとも思えない。
私が経営層の視点なら、現場で開発経験を積んだ人間から優先的に戻すに決まっている。
つまり間もなく自分の惰性で生きてきた人生のツケを払う事になる。
幸い今の現場では自身初のバックエンド開発案件に参画することができ、今までとは比べものにならないモダンな開発環境でサービスを作ることを学べている。
日を経るごとに自分の至らなさを痛感するが、その分成長している手応えもある。
大丈夫、やれば何でもできるようになるから。現場の方から背中を押され、自分に言い聞かせ、少しずつ未知の分野が拓かれていった。
転職しようと。
私はSIが嫌いだ。一部本当に尊敬できる人間を除いて技術の研鑽やサービスのあるべき姿に向き合ってる人間が少なすぎる。
顧客のIT理解度が低く、エンジニアを見下した仕事の進め方が嫌いだ。
歩み寄る気の無い仕事の指示、消耗品として補充しては潰れるまで決して効率的ではない悪習残る仕事を延々とさせる思考が。
そして5年弱自分の糧になる環境を与えてくれたSESにしても、ついぞ好きになることはできなかった。
皆の力添えあって、自分の努力あっての今とはわかっていても、私にはこの業界構造は肯定できない。
思い上がりだろうが、それは今後の結果で明らかになる。是非もない。
どうか同じ境遇で疲弊している方がいたら、迷わず道を変えて欲しい。
出来ないことなんてない、時間が人よりかかるかもしれないが、いずれ出来るようになるから。
私は年明けからは自営業となり、一切の後ろ盾を無くすが、晴れやかな気持ちでしかない。
失敗しても死ぬわけではないし、何より自分と向き合って選んだ道だ。悔いはない。
増田さんがおたずねになりたいことは、
>でもなんで声優なの…?
でしょうか。それとも、
ので、どういう進路を勧めたらいいのかということでしょうか。
文章を読んだだけでは判断出来なかったので、とりあえず後者に重きがあると考えて回答させていただきます。
結論から言えば、頭ごなしに声優を目指すのを辞めろという必要は無いでしょう。
増田さんが考えられたように、養成所を勧めるのが無難ではないでしょうか。以下、詳説していきます。
まず、増田さんの片割れさんが声優に向いてないのは間違いありません。
>正直片割れの声に魅力があるとは思えないんだよね。容姿も私と同じく見れたもんじゃない。
これはプラス要素ではありませんが、そこまで致命的なマイナス要素とも言えません。
声はトレーニングしたあとでどうなっているかがすべてであり、現時点の声質は例えば「ヘリウム吸っても声が変わらない」金田朋子さんとかそのレベルの特異な立ち位置を取れるぐらいでない限り、さほどの決定的な要素にはなりません。
容姿も増田さんの主観以外に情報がありませんし、メイク技術を磨いたり、コーディネイトを学ぶ等で自ずと変わる物です。
>ましてや学習障害で漢字もスラスラ読めないしさ。何に使ってるのかわからないけど金遣いも荒くて、心配した父親に100万もらってるし。
これはどちらも大きなマイナスです。声優は基本的には台本に沿って演技する仕事であり、これをスムーズに読めないというのは大きなハンデとなります。確かに世の中には漢字が苦手なのが知られている声優さんもいますが、それは例えば「子役出身でキャリアをみっちり積んできて『漢字が苦手でも使ってやろう』と考える人がいる」浪川大輔さんみたいな人だから許される話であって、今から勉強する新人にとっては、かなりの不利となります。
金銭感覚の粗さもマイナスです。近年のアプリ・配信市場の活況に伴って若手声優の収入事情は大幅に改善されましたが、それでも、余程の幸運に恵まれない限り、新人声優の生活が苦しいのは変わりません。今も昔も新人声優の引退理由の大半は「役がないので収入が苦しく将来の展望が持てない」ですので、なる前から引退の可能性を上げているようなものです。
>話し合ってるうちに、譲歩して養成所を勧めたらそもそも養成所の存在を知らなかった。いや調べろよ。知っとけよ。悲しいよ。
これも極めて大きなマイナスです。声優というのは自営業であり、個人事業主であって、事務所の社員ではありません。ですので、必要な情報は自分で調べて自分で解決できるのが基本です。片割れさんのような情報感度の低い方が目指すのは、相当に厳しいと言わざるを得ません。
そして、それらすべてをひっくるめたよりも大きいマイナスが、
>昨日22歳の
です。
身も蓋もない話で恐縮ですが、声優を目指す上で一番重要なのは年齢です。私が業界研究を始めた20年以上前の時点でも年齢の重要性は指摘されていましたが、現今の情勢では間違いなく最重要としか言えません。
分かりにくい形容かも知れませんが、高校在学中、もしくは高校卒業後直ちに声優を目指す場合、RかSR程度の才能でも十分ですが、22歳から目指すとなると最低でもSSR、できればそれ以上の才能が必要です。
これは、声優の訓練の難しさと、声優になるための競争という二つの面で年齢が大きなハンデになるためです。順に説明します。
まず、声優というのは役者の一種であり、役者とは技術職であると同時に肉体労働でもあります。従って修行というのは体力勝負の面もあり、どうしても若くて回復力のある人間の方が有利です。
また、プロの見解を総合すると、一応の才能の持ち主であっても、声優に必要な技術を身につけるには、3年から5年の訓練が必要というのが相場です。
実際には専門学校は2年制ですし、養成所も1年から2年のカリキュラムを主力としているところがほとんどで、年数が足りません。
現在の情勢で新人声優になる、つまり養成所を卒業して声優事務所とジュニア契約を結ぶというのは、
「現時点での技術はまだ心許ないが、今までの本人の態度と成長速度を考えれば、今後とも研鑽を怠らなければ、将来的にはプロの声優として独り立ちできる。かもしれない。」
ここで問題になるのが「競争」です。どの事務所も、同程度の才能・能力であれば、若い方を優先して契約します。
当然ですね。仮にブレイクした場合、若い方がより長い期間活躍できますし、そうなるまでに技術を身につけるために勉強する時間的余裕も持てます。
事務所側にしても、「あまり年齢のいった人とお情けで契約するよりはすっぱりと諦めて貰う方が本人の今後の人生のためになる」というようなことを言っていたりもします。
さて、普通の声優志望者が高校卒業後に専門学校に行き、卒業後にさらに養成所に入って2年間勉強すると、なんと22歳になっています。
片割れさんが声優を目指すというのはつまり、4歳、無為に歳を取った状態から、今まで4年間みっちり勉強した人たちを押しのけるだけのパフォーマンスを出さなくてはならない、ということになります。普通に考えれば無理でしょう。
「だから声優なんか目指さない方がいい」というのが普通の結論になります。
ですが、現在の情勢で、声優を目指す人だけが養成所や専門学校に在籍しているわけではありません。
声優系専門学校の中退率はだいたいどこでも5割を超えるというのが定説です。
また、少し調べれば分かるとおり、声優系専門学校というのは、2年という時間と数百万円の学費と生活費をドブに捨てるのと大差ありません。違いは、ドブに捨てたお金はドブさらいをすれば多少は回収できる可能性があるのに対して専門学校に投じたお金は絶対に帰ってこないことぐらいです。
現状、専門学校を卒業して事務所といきなり契約できる人は率で言えば1%未満の極めて才能に恵まれた人だけであり、それ以外のほとんどの人は養成所に行って勉強し直して、初めて声優になれています。
そしてそれらの人が(母校に気兼ねしなくていい場面で)言うことは、
「養成所に入って分かったが専門学校とはぬるま湯につかってるみたいなもので本気の修行なんて行われていない」だけだと言ってよいほどです。
さて、代アニのような駄目な学校が運営する週1コースでは、詳細な説明を見ると、学内オーディションすらなく、単なる趣味の延長線上であることがそれとなく(あるいは、大っぴらに)書かれていたりします。
そういう目で見ると、例えば業界最大手である日ナレの場合でも、主力である週1コースの学費は入学金10万円年間受講料20万円で、まあ「安い」と手放しで言えるほどの額ではありませんが、大人の趣味として考えると、そこまで高い物でもありません。
増田さんが片割れさんの要望を頭ごなしに否定しないというのは相手を気遣われてのことだと思いますし、それはとても大事な事だと思います。
それでも、専門学校に行くことで生じる金銭的・時間的ロスは極めて大きな物ですから、最低限、それだけでも止めるべきでしょう。仕事に行きながら、でも通えるどこかの週1コースに行き、本人が納得したら辞める、というので十分ではないでしょうか。
なお、何かの間違いで、片割れさんが本気で声優を目指していて、僅かな可能性でも本気で挑戦したい、そして増田さんがそれを応援したい場合についても書いておきます。
この場合の選択肢は養成所、それも東京青二塾もしくはプロ・フィット声優養成所(本科)のような難関養成所しかありません。
これらはいずれも実績のある養成所で、現在の日本で声優を目指すなら一番分のいい場所と言えます。また、1年制であり、良くも悪くも1年で結果が出ます。
もっと言うと、入学倍率が厳しく、0年で結果が出る方が多いですが。
厳しい、と言っても青二塾が7から15倍程度、プロフィット本科が15から20倍程度とされるので、まあ、簡単ではないですが、大規模公募型オーディションとかと比べれば一桁少ない数字です。これを通れないようであれば、そもそも声優を目指すなど無理ということであり、すっぱり諦める方が後人生のためになるでしょう。
20代半ばを過ぎ仕事に自信がつき始めた頃、現役で東京大学に通う男性の筆下ろしをした。3本。手前味噌だが私は容姿に優れている。胸こそ味気ないCカップだが、顔面や頭身の良さには自信がある。有名私大卒業後、外資系企業に勤め現在の年収は900万。正直何も苦労したことはないし、自分にも自信がある。モテる。
困ったことに、童貞が好きで仕方ない。どれだけ社会的にステータスが高かろうが、心が優しかろうが、性行未経験の男性には全く敵わない。なぜ童貞たちは童貞であることを恥じるのか。ああ、その恥じらいさえも愛おしい。
童貞であれば誰でも愛おしく思える訳ではない。大きく3つのポイントがある。まず一つ目は「今現在、童貞である」という状態を説明するに十分なエピソードを有していることだ。具体的には、湧き上がって仕方がない性欲を我慢してまで何に時間とエネルギーを費やしていたのか、いかにこの対象に価値があるかを語れるかが重要になる。私が嗜好する東大生の場合はそれが勉強だ。デートの際、行為に移る前は必ず、どれだけ勉強を頑張ったのか、それはどれだけ大変なことだったのかを話してもらう。自分が頑張ったことを話し褒められると、自然と彼らは自信を持ち始める。お姉さん褒めて、と言わんばかりに模試の順位自慢まで始められた日にはたまらなかった。
2つ目は圧倒的な最高体験を積んでいることだ。申し訳ないが自堕落な生活や平凡な人生を歩んできた童貞には、一切の愛情が湧かない。自他共に「凄い」と思える成功を納め、一見誰もが羨む人生を歩み始めているものの、「童貞」である自分を恥じながら生きる。このコントラストがたまらない。お姉さんはついつい「そんなことで悩んでいたの?可愛いね」と、内腿を濡らしながらハグしてしまう。
3つ目は上手くSEXが出来ないことだ。技術革新に繋がる高度な研究をしている彼や宇宙の流れを解析している彼も、難しい数式や言語を扱えても自分のおちんちんはハンドルできない。いざ行かん!と張り切って出陣するものの、結局最後はお姉さんに手綱を委ね甘えん坊やになってしまうんだからたまったものではない。これもある意味コントラストだろう。一生懸命な様子で初めてを経験しているこの子の頭の中には、たくさんの学が詰め込まれている。それなのに上手く自分を扱えないなんて!お姉さんがお手伝いしてあげる!と、我慢できなくなる。
男は竿ではない、才能と努力だ。これは竿的な意味ではなく、これまでの人生でいかに自分と向き合い研鑽を重ねたかということだ。貴重な青春時代に全力で何かに挑戦しその成果を納めた竿君たちは童貞であることを恥じる必要は全くない。恥を知らなければいけないのは努力を怠り自分に甘く生きてきただらしのない男たちだけだ。努力出来る人間と自分に甘い人間、どちらの方が多くの女性にとって魅力的であろうか。これは決して童貞に限った話ではないのだ。
エリート童貞好きは大変だ。私は歳をとるためいつまでも若い男の子に相手にしてもらえない。また、無事筆下ろしをしてしまったら彼はnot anymoreだ。自分で自分の宝物を手放す寂しさを感じ続けなければいけない。いつまでも続けることができない有限性も熱くなってしまう理由の一つかもしれない。
童貞のみんなには女の子を気持ちよくさせる方法を調べる前に、目の前にある自分がやらなければいけないことを確実に行い、旗を高く掲げ、そこへ全力疾走してほしい。ゴールについた時にはきっとステキな女の子があなたの隣にいるから。
ある漫画で「おっぱいの触り方で女の子に勝てるはずないじゃないですか」ってセリフを読んだんだけどその通りだと思う
でも同じようにちんちんの触り方で男の子(ポリコレ表記)に勝てるわけないじゃん
俺たちは長年のフィードバックと研鑽を通じて気持ち良いオナニーの手法を編み出してきたわけだよ。ちんちんの扱い方にかけて右に出る者は居ないと俺たちは自負している
だから、昨日今日ちんこに触れたばっかりの女の子に手コキされても、そんなに気持ち良くないんだ
釈迦に説法なんだよ
「気持ち良い?」って誇らしげに聞かれても、(ああ女の子が感じてるフリをするのはこういう心持ちなんだな)って悟りを得るだけなの
手コキって要る?誰が得するんだよ
映像に声を当てる仕事というのは、常日頃から本職にしている人だから自然にできるものであって、
体を動かして表現している俳優は、よっぽど研鑽を積まないとできない。
俳優は体を動かすという一点があるために、動かさないでその場で声だけで演技するというのが下手に見える。というか、下手だ。
声を当てるのは、本職がやるべきことであって畑の違う人にやらせると、粗末な出来になってしまう。
俳優としての演技力があって、映像に映える人でも声だけになってしまうと
なぜ、俳優に声優を任せようとするのか、ディズニーのときも思ったが未だに理解できない。
声一つで見るに堪えない作品になってしまうことも珍しくないのに。
さんざん時間が経っても、未だにそれが学習されないのは…なぜなのか。
俳優ではプロでも声優では素人が声を当てても、キャラに命は吹き込まれない。
それほどドラクエの予告は見るに堪えなかった。
全くもってその通り。
元増田は不遜だ。
各分野の重鎮には敬意を払うべきなのに元増田の姿勢は一体なんだ。
査読の経験すらない若造には理解できない学問の世界が広がっている。
この祝辞には。
統計に少々怪しい所があっても、全体として差別の現実を厳しく訴える内容になっていれば論文の価値は認められるものなんだよ。
それに、物理学や歴史学の専門性がそうであるのと同様に、フェミニズム研究の研鑽を積んだ者がこの祝辞の内容を読むと、非の打ち所がないないことが分かる。
祝辞の主が男性だったら疑いすら抱かない癖に女性だったら疑うのは差別だ。
物理学や歴史学だったらどうせ疑わないんだろうから、フェミニズムも疑うなよ。
もしフェミニズムを疑うなら、他の年の男性物理学者や歴史学者が出してきた数字も疑いなさいよ。
でもしないんだろ?
どうせ。
ならフェミニズムも疑うなよ。
そもそもこの祝辞は何かの数字を伝えるんじゃなくて、各自に自分の頭で考えさせることを目的にしているんだよ。
元増田、わかるか?
見事に右肩下がり。
ゲーム業界で伸びたのはスマホゲー界隈じゃなくてコンシューマー界隈だった(カプコンとかコナミとか)
昔、「こんなやり方では業界は長く立ち行かない」と言っていた人々がいたが、現状彼らの予言どおりになってきている。
「こんなこと長くやっていてはいけない」といわば「懲りて」去っていた人はもう戻ってこない、それがいよいよリアルな数字として現れてきたということなんだろう。
飽きただけの人は懐かしく思って戻ってきてくれる可能性がある。
現にカプコンやコナミのIP(モンハン、SF、ロックマン、各種スポーツゲーetc)を支えているのは
「飽き」との戦いと言ってもいいかもしれない。
おそらく今回収益を出したと言われるどのゲームも「マンネリ」「劣化」と絶対に叩かれたことがあるはずだ(調べてないけど)
でも、マンネリだと思われるぐらい安定しているゲームは進化したときに大きく注目を浴びる。
(その繰り返しは容易ではないだろうし、だからこそその研鑽には価値も意味もあるし企業にとっての財産になる)
一方、スマホゲー(というかガチャゲー)はゲームが劣化していても提供側はなかなか気づけない。
ガチャで金を集めているわけだから、ガチャによる集金システムが最初に構築できていればゲーム性の劣化は直接集金に影響せず、
ある意味どんどん失敗できるし、失敗しても人は「ちょっとしか」減らない。
「ちょっとしか人が減らない」のに慣れると、どんどん手抜きは加速する。
まるで不定期営業を始めたラーメン屋のように、「これぐらいなら許容範囲だろう」と思い込んで問題に目を向けなくなる。
その「ちょっと」が、長期的に観ると取り返しのつかない客離れを招く。
自分が生きてきた過去の二十余年を振り返ってきたけど、何もない。
本当に何もない人生で、得たものなど皆無、まっさらな人生だった。
ここで焦りの一つも生まれようものならまだ救いがあると思うのだが、ただうすらぼんやりとしている実感しかないので救いようがない。
ピアノ、水泳、公文式、バスケットボール……その中で大成したものはない。
学業だって中学までは貯金があって優秀ではあったが今や専門分野においては微塵の知識も身についていない。
教科書を齧った熱心な実習生に下手をすれば負ける程度の知識量しかない自負はある。
読書と創作が趣味なのに、せいぜい電撃文庫の一次通過が関の山、書籍化なんて夢のまた夢。
ゲームでもよくて中の上、とあるゲームの世界大会予選(代表6名/参加者8名)には出こそすれ落選。
高校、大学において浮いた話の一つもなければ、表彰されることもなし、自慢のできることもなし。
就職先だって研鑽を積んだ同期がわさっといる中で、一番劣っている自身はある。
何か成し遂げられる素養も、熱意も、野心もなし。
人間三十までにリカバリをきかせないとダメ、なんていう意見がある。
だけどそれよりも早い段階で足切りを食らう人間だっているはずで。
こうやって現状を吐露しながらも一向に何もできない自分は、決着のついたコールドゲームを続けようとする阿呆な木偶に違いない。
あな悲しきかな、穀潰し。
保育と育児は、作業内容は似ているが、仕事とプライベートで「場」が違う。
自分のされてきた育児や環境は、基本的な「保育学」で「正しい」とされるものと差がある場合がある。
具体的な例として、体罰は現代ではNGだが、数十年前の家庭では一般的に行われてきたので、
そのような環境で育った保育士が、悪評価には罰を与えることを「良い保育」と感じてしまうバイアスがかかりやすい。
また、「先生」と呼ばれるような、人を指導する立場への根強い社会的信頼感(偏見とも)があるため、
集団を律することに重点を置きすぎ、本来の目的であるはずの個々を尊重する支援の優先順位が下がってしまいやすい。
具体的には、「ほら早く着替えて」「みんなが出来ているのにどうしてできないの」などの、
一般に追いついていない未熟さや個性を、ともすれば悪いものと誤解されるような表現で、子どもを支援しようとしてしまう。
人格に正しいものがないように、育児にも正しいものはない。しかし、子どもに携わる福祉職として、正しい保育はある。
保育と育児は、作業内容は似ているが、仕事とプライベートで「場」が違う。
自分のされてきた育児や環境は、基本的な「保育学」で「正しい」とされるものと差がある場合がある。
具体的な例として、体罰は現代ではNGだが、数十年前の家庭では一般的に行われてきたので、
そのような環境で育った保育士が、悪評価には罰を与えることを「良い保育」と感じてしまうバイアスがかかりやすい。
また、「先生」と呼ばれるような、人を指導する立場への根強い社会的信頼感(偏見とも)があるため、
集団を律することに重点を置きすぎ、本来の目的であるはずの個々を尊重する支援の優先順位が下がってしまいやすい。
具体的には、「ほら早く着替えて」「みんなが出来ているのにどうしてできないの」などの、
一般に追いついていない未熟さや個性を、ともすれば悪いものと誤解されるような表現で、子どもを支援しようとしてしまう。
人格に正しいものがないように、育児にも正しいものはない。しかし、子どもに携わる福祉職として、正しい保育はある。