はてなキーワード: 物言いとは
https://note.mu/nofs1234/n/ne6c6ccefb032
桃井あずきの担当なんだが、喜多見柚と工藤忍の担当への怒りが止まらない。もう総選挙なんてどうでもいい。原因はタイトルに書いた通り、喜多見柚と工藤忍の担当による工藤忍への票の集約、ひいてはフリルドスクエアの私物化だ。主に言いたいことは以下の3点である。
客観的な事実から判断して残念ながらもう行き詰まったと思っている。声なしが残り3人も居る。忍は何とかなるかも知れないが、正直に言ってあずきと穂乃香はあまりにも厳しい。今回も総選挙の各属性中間15位に入れなかった時点で『総選挙で最終50位以内の実績を付ける』ということはこの先何年かを見てもかなり厳しい状況となった。この状況でサプボでユニットデビューの可能性は極めて低いだろうし、仮にそうなったとしても炎上だけしてデレステでロクに出番も貰えないであろうことは間違いない。このように、先が見えない上に行き詰まっている。認めたくはないけれど、終わったと判断するしかない。あずきが現状足手まといになってるのは心苦しいのだが事実は事実として受け止めている。仕方がない。
しかし、だからといって忍に票を集約しようとはどういうことなのか。あずきはあずき、穂乃香は穂乃香に投票して支えるべきだ。
それを忍が勝てそうだから集約しようと言う。それは忍と柚の担当の自己中心的な考え方であり、自分達に都合が良い論調の形成だ。これはユニットの私物化に他ならない。
確かにフリスクの担当はほとんど忍と柚の担当だ。前に何かの総選挙のデータを見てうろ覚えな記憶だが、アカウント数にしてフリスク担当の8-9割がそうだというのは知っている。だが、だからといってそこが傍若無人に言いたい放題して良いという訳ではない。結局の所、忍と柚の担当にとってフリスクは「自分達の意見が通りやすい都合の良いユニット」という扱いなのだと感じている。この、忍と柚の担当の傲慢さが最近鼻に付いて仕方がなく、今回の怒りの大元である。あずき・穂乃香の担当の数が少ないことにかこつけて好き放題やられている現状がある。
②柚の担当について
フリスク担当中の最大派閥と認識していて、期待を寄せてくれているのは分かっているが、反面それは運営が「何年間にも渡って柚の人間関係をフリスクにのみ絞った」結果だと知っている。これはシンデレラガールズ劇場の過去ログを見れば明らかであり、柚は一時期どころではなく数年に渡ってフリスクとしか絡みがない時期がある。つまり、必ずしもフリスクが良いと思っている訳ではなく、フリスクしかないから面倒を見ているだけという状況である。トリプル☆YOUでイベントを貰えば人によってはフリスクなどどうでも良いと掌を返す人も出るだろうと推測している。そのくせ、自分達はもう声が付いてるから上から好き放題言える。フレンズホリデーに関する物言いはその最たるものと言える。
立場が上の奴の担当が言いたい放題言うなよ。お前らの都合の良い願望を満たすためにフリスクを使うなよ。武田さんが何だ?それはあんたらの声優であってあずき・穂乃香・忍の声優じゃない。都合の良い話を押し付けて焚きつけるために使うなよ。
武田さんがフリスクを気にかけてくれているのは知っているがあのパスケースが実現することはない。全員が総選挙で最終50位以内の実績を付けてから、というのはあまりに遅すぎる。あと何年掛けるつもりだ?可能性として有り得ない。可能性として有り得るのはサプボでユニットデビューした場合だ。しかし、柚の担当はもとより忍の担当は総選挙の実績を言い訳にして批判を食らわない立場であるのに対して、あずきと穂乃香の担当はそういった言い訳が出来ないため、批判を食らうという忍と柚の担当に都合の良い状況だ。柚の担当は「あずきと穂乃香の担当は実績なんか出なくてもいい」「忍だけ実力で声を付けて残り2人サプボで4人揃えばいい」「炎上しても批判はあずきと穂乃香の担当が引き受けてくれる」と暗に思ってるのは見え透いている。
フリスクを私物化したいという意識が自覚的にしろそうでないにしろほとんどの柚担当の中にあるのを確信した時は絶望したし、それ以降フリスクに何の希望も抱かなくなった。フリスクはこいつらのオモチャなのだ。
③忍の担当について
フリスクに対して自分達に都合の良い話を通そうとしている部分は柚の担当と大差ないが、そのやり方が正攻法ではなく小細工なのが問題である。
コナンとかナゲットとかふざけてるのか?忍の良さが何も伝わらない、動物園の珍獣のような見せ方じゃないか。
忍の良さを正攻法で伝えよう、というものではなく、一過性のネタとして消費しようとした、という印象を受ける。シンデレラガールズと全く関係ないコンテンツを過度にネタにするのはただの悪ノリに過ぎない。企画者は頭を冷やした方が良いと思う。
そんなことだから属性3位も狙えず、知能に疾患があるような言動の遊佐こずえや特徴のないモブの今井加奈といまだにたらたら争ってるんだよ。
忍の票稼ぎの理由に使うのは即刻止めろ。
自分から男っぽい性格という女性は、物言いがキツく好き嫌いが激しい。
男ウケのいい女子は、女同士でつるむのが苦手。
飲みニケーションは、お互いの心情を監視する目的もある。必要悪だが、出なければ手に入らないものも多々ある。
「女性」という特定の「弱者」(実際は違う)の救済を訴え男性にも負担を求めながら、
ここに人権意識はあるのか?これはつまり「女性の人権を守るため、お前らは人権を捨てて滅べ」と言い放ってるのだが。
ここに暴力性がないといえるのか?
もうおなじみの件ですね。
現実から排斥された弱者男性のよりどころたる「オタクコンテンツ」をも、フェミは攻撃する。徹底的に。
全年齢ライトノベルの撤去を要求したり、専門店にまで踏み込んできたり。(そもそも連中のいう「ゾーニング」が噴飯ものだが。)
本邦フェミの巨魁たる上野はこうした同胞の追撃に対して何を言ったか。何も言ってはいない。
「ギャルゲに逃げ込んで平和に滅べ」といいつつ、その逃げ場所すらなくそうとしている。悪辣というほかない。
「ヌキながら、性犯罪を犯さず」などといってるが、これはつまり「恋愛弱者の要求は性的なものだけ」という決め付けに他ならないだろう。
実際には恋愛には承認欲求等のほかの要素が大きく、コレは全く浅はかで、しかも恋愛弱者を馬鹿にしてる発言だ。
暴力的でないといえるのか?
しかし、それをするまで追い詰めることに全くの責任はないのだろうか。
上野のこの言説は、恋愛弱者を飢餓状態まで追い詰めておきながら、「自らに火の粉はかからない事が絶対」だという身勝手さがある。
恋愛弱者が自己責任かどうか、増田でも連日連夜議論があるが、私は明確に「違う」という立場だ。ほぼ、環境要因100%だと思っている。
「特定のパーソナリティを許容できない」というわれわれの未熟さが恋愛弱者(KKOとして増田では通っている)を生み出してるのだ。
その彼らの復讐を、「逆恨み」だとは私は思わない。われわれが受け入れられない未熟さのツケを一身に負わされているのだから。
その彼らに対し、「平和に滅びろ」と言い放つその「平和」とは何か。自分だけの「平和」ではないか。
飢餓に苦しむ恋愛弱者に「平和」などあるものか。全く、暴力的で一方的な物言いであると言わざるを得ない。
納得したか?
※だらだら書いたので恐ろしく長い。
※あくまで「自分の周りでの評価」の話でこれは決して一般論でない。面白さの感じ方は人それぞれということも重々承知している。ごくごく個人的な見解だと思ってもらえれば。
※推敲もせず勢いにまかせて書いたので、多少ふざけている部分もあるし、すぐ脱線するし、色々な意味で所々間違っているかもしれないし文章も順序も何もかもめちゃくちゃだけどおおよその意味は通じると思うので堪忍してほしい。
※小学生~大学生あたりまでは欠かさずジャンプを買い続けてきたオッサンなのでいわゆるWJお約束のアンケート事情等は踏まえている。
WJをずっと読み続けている友人が数人いるのだが、誰も火ノ丸相撲を読んでいない。読んでいない理由、ほぼ全員が口を揃えてこう言う。
「大相撲編からついていけなくなった」「高校相撲の時は面白くて毎週読んでいた」「ごちゃごちゃしてわかりづらくなり読むのをやめた」系統の理由。
自分は原作連載時の初期の方だけは本誌で読んでいて元々相撲好きというのもあり、珍しい題材なのに巧みに関心を引く、驚くほど絵が上手くて話も面白い漫画が始まったなという印象だった。
そしてアニメをみているうちに改めてもう一度通しで原作をちゃんと読み直したくなったクチなので、彼らの評価を確かめるべく単行本を最新刊まで読み進めた結果、なるほどそうか・・・と腑に落ちた。
火ノ丸相撲といえば・・・知名度のわりに本当に単行本が売れていない、アニメ化されても伸びない、掲載順はいつもだいたい後ろの方。(これらはしばしば公式でも自虐ネタに使われているようだ) このような状況でありながら打ち切りの危機を免れてきたのは、根強いタニマチ(後援者、ファン)の後押し、国技を題材とした作品である社会的な評価、少年誌作品とは思えない画力と構成力、質の高さ、純粋に作品としての魅力が高かったからに他ならない。
大相撲編がイマイチな理由の一つとして「異様なほどの性急さ」が挙げられる。これはWJ連載である限りある程度しかたないことかもしれんが・・・
本来であれば、
A★→B→C→D★→E→F→G★ (★は物語の進行上外せない重要な話とする)
と進むべきところが、
★以外のエピソードをすっとばして読者を置いてけぼりにしている感がすごい。 つまり、WJ特有の事情で話を早くすすめたいがために最低限描かなければ成立しない部分しか描かせてもらっていない印象をうけるのだ。この流れは非常にまずい。なぜならばかつて打ち切られた作品で幾度も幾度も目にしてきた流れだからだ。
高校相撲編ではここらへんが比較的丁寧に描かれていたので余計に異様さが際立つ。
なお、この「すっとばし」はキャラクターにも多大な悪影響を与えている。
一人目は主人公火ノ丸。高校時代までの彼はどこか浮世離れしたつかみどころのないキャラクターでまさに相撲の申し子、ある種神聖視された存在だった。ところが大相撲編では詳細は省くが色々な意味で「人間」にまで「落ちて」しまった。神の化身(横綱)になろうとする者がそこから遠ざかってどうするんだ!?と首を傾げざるを得なかった。(もちろん無垢であること=神性というのが単なる概念にすぎないのは百も承知として)
極論ではあるが、親方に薦められるままにお見合いの女性と所帯を持つ方がよほど彼らしかった気がする。それほど色恋には淡白なのが火ノ丸だと思っていた。
彼は一見他人にも自分にも関心があるように見えて実はかなり希薄に思える。かといって他者から本物の好意を向けられれば真摯に応える度量は持ち合わせている。相手によほどの理由がない限り彼は好意に応えようと努力するだろう。とかく恋愛経験値が低い者は猛烈な「押し」には弱いものだ。誰が主人公の心を射止めるかというのは少年漫画の面白さの一要素でもある。そういう意味ではあの咲や景子ですらヒロインになりうる一種のワイルドカード的な魅力が無自覚の神性を有していた頃の火ノ丸にはあったように感じる。
さらに言えば、主人公を射止めたヒロイン(レイナ)のキャラが強く立っているにも関わらず、動機付けの弱さ、たまたま近くにいた異性、半ば成り行きのような、描写不十分でさほどの必然性がないように見えたことがとても残念で引っかかるのだ。
いささか潮火ノ丸というキャラクターに幻想を抱きすぎた感はあるが、少年期の彼の印象はどうしても強いのだ。
二人目はヒロイン枠のレイナ。ライバルらしいライバルは千鶴子くらいのものだったので、これはまぁ順当ともいえるが(ちなみに自分は1話での火ノ丸との運命的な出会いからずっと彼をひたむきに愛していた千鶴子推しであった…)、あまりにも性急に距離が急接近したのにはさすがに困惑しかなかった。彼らが後々恋愛関係になることは容易に予想できたし特に異存はない。ただあのような相思相愛関係?に至るまでのプロセスがあまりにお粗末すぎるのでは?何なら高校相撲編のレイナが火ノ丸の相撲に魅せられていく名前のつけられないあの純化された感情を抱いた付かず離れずの関係性をもっと見ていたかった・・・。
三人目はチヒロ。主人公や国宝を脅かすほどの屈指の人気キャラでありながら夢を追うために渡米し実質的な退場となった時は「なんて潔いんだ!!」と感動したものだ。しかし彼は帰ってきた。それは別に良い。問題は特段なんの経緯も語られることなくいきなり彼がシングルファーザーとなっていたことだ。読者は大困惑でしかない。あきらかに悪い意味でのサプライズといえる。
実際この漫画がきっかけで相撲に興味を持った子供もいると思うが、高校相撲編はともかく自分の子が小学生以下なら大相撲編は読ませたいとは思わない。高校相撲編に関しては各種教育関連機関や業界団体等(?)からの推薦も十分受けられそうな内容だと思っていただけに遺憾だ。
安易なお色気(下ネタ)、ギャグ、過度な恋愛要素に逃げる作品は総じてレベルが低い。(余談だがお笑いに関しても同様だ)そんなものに頼らなくても十分面白いものこそ本物の面白さなのだ。
※火ノ丸相撲は今時珍しく「硬派」な漫画だと思っていたから(大相撲編での品格の落ち方、別方向への舵の切り方に)結構ショックを受けたとは友人の弁。
硬派イメージが強かったのは、高校相撲編までは極力セクシャルな描写が避けられてきたからだと思う。
第1話で満員電車で堀千鶴子が痴漢被害に遭うシーンがあるが、彼女はあまりのおぞましさに心底怯えた表情をしている。一見流してしまいそうだが賞賛すべき点がある。痴漢という最低の犯罪行為を決して性的な興奮材料にしていないことだ。他作品には被害女性の顔を紅潮させたり目を潤ませたりといった不適切な表現が見受けられるが、火ノ丸相撲はそのようなけしからん作品とは一線を画していた。
彼女は優秀な観察眼を持つ記者であることは言うまでもないが、若い男性(とりわけ少年)の裸体や尻に向ける欲望が度を超えておりセクハラまがいの行為が目につく。女性→男性であるから流されがちだが本来はあってはならないことだ。ギャグとして笑い飛ばすにはどぎつすぎるし、もはやそういう時流でもない。
これは本当に驚いた。①であのような配慮を見せた作者とこれを書いたのは同一人物なのかと目を疑ったほどだ。事のあらましは、意気消沈して部屋に引きこもる火ノ丸をレイナがドアを蹴破り強引に拉致し車でラブホテルへ連れていき、彼の合意を得ないまま性行為を迫るという驚くべきものだ(結果未遂に終わったが)。
たとえ交際していても合意を得ない場合の性交渉はレイプである。これも女性→男性だから見過ごしがちだが、この立場を火ノ丸が女性でレイナが男性だったとしたらどうだろうか・・・笑えねえよとなるはずだ。さらに悪いことに「成人が飲酒した状態で未成年に性交を強制する」構図なのだ。これはオチウこわぁいどころの騒ぎではない!マジでどうしたんだ川田先生!いよいよウェンカムイに取り憑かれたか?(??)
主人公の魅力度が落ちた作品はその人気も下降の一途をたどるのはいうまでもない。高校相撲編での火ノ丸は他を寄せ付けない魅力があった。あの輝ける国宝たちの中にあってもだ。大相撲編になってからはあきらかに精細を欠いている。主人公陣営(メインサイド)の話よりも童子切や草薙、大包平や三日月等の敵陣営の話の方に興味を引きつけられるほどに。むしろそちら側メインの話を読みたくなるというのは相当問題に思える。
火ノ丸はまごうことなき平成終盤生まれの平成の子だ。しかし彼の中に古き良き?昭和のスポ根漫画の主人公を見ていたのは自分だけではないはずだ。
不幸(両親を若くして亡くしており裕福ではない環境)、逆境(あまりにも小柄な体躯)、自己実現能力(自らを厳しく律し、徹底的に稽古で肉体を痛めつける)、黒電話、携帯を持たない、機械音痴、時代がかった物言い、兄貴肌、相撲のことしか頭にない、私生活が見えないなどいかにも昭和のヒーロー感(?)満載である。
潮火ノ丸の中に矢吹丈のような壮絶な最期を遂げる姿を夢見ていたのかもしれない・・・。モブも言っていた「鬼丸のハッピーエンドが見えない」。決してハピエンが悪いわけじゃないしそちらの方が良いに決まってる・・・が、いかにもな予定調和エンドだけは勘弁してほしい。
ハピエンではなくとも「あしたのジョー」は不朽の名作だ。主人公は最期に勝利し真っ白に燃え尽きて生死すらどうなったかわからないなんてこれ以上ハートが震えて痺れるラストがあるだろうか?ヒーローが完全に浄化され何者にも貶められない最上級の存在になった瞬間だと思う。
取組を殺し合い、命のやり取りとまで作中で表現しているならそれくらいの危うさがあってもいい。昨今の少年誌では厳しいかもしれんが。
第1部を第2部以降がクオリティで上回る作品はほぼない。あってもごくまれである。(ちなみに続編が悉く期待外れだった作品としては東〇喰〇等が挙げられる。続編の一報を聞いた時は飛び上がるほどうれしかったものだが、完成度の高い前作とどうしても比べてしまい、しだいに期待は失望へとかわっていった。)少なくとも火ノ丸相撲に限ってはそうはなるまいと思っていたのだが・・・
WJの数多くの縛りや規制、大人の事情に阻まれて駄作になるくらいならいっそしかるべき媒体(アプリ、あるいはヤンジャンなど)に移籍してのびのび描いてほしい。青年誌の方が表現の幅が広がるだろうし。もし角界の諸問題(暴力、八百長、パワハラやモラハラやセクハラ等)の闇の部分に切り込んだりする気があるのならばなおさらだ。
高校相撲編のような神々しいまでの輝きを取り戻すことはもうないのかもしれない。それでも自分は火ノ丸相撲という稀有な作品に魅せられた一読者して、最終話まで見届けたいと思う。
長々とかいてきてアレだが、要約すると
・・・だろうか。
東大入学式の祝辞で著名なフェミニストである上野千鶴子がスピーチを行い、その内容についてインターネット上では賛否の声が上がっている。
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html
個人的な感想を端的に言うと、内容の正否以前にわかりづらい部分があって、ときおり彼女が何を主張しているのか理解できない部分があった(私だけだったらすいませんでした)。インターネットの皆さまは内容を理解した上で議論しているのだろうか?まあ実際のところはこのようなスピーチを真面目に読む人暇人なんぞは少数派だろうから、雰囲気で流し読みしてあーだこーだと感想を言っているのだろう。それはいいとしても、このスピーチでは、いかに東大生の頭がいいと言っても口頭ではロジックを理解できずに混乱してしまったのではないだろかと心配になる。
「女性学のパイオニアとして」の章は著者の自分語りであるし、「変化と多様性に拓かれた大学」と「東京大学で学ぶ価値」の章は良い雰囲気の一般論なのでこれらの章に特に理解が難しい点はない。問題なのは、女性学生差別にまつわる内容が記述されている「女子学生の置かれている現実」の章であり、その中でも特に理解が難しく、思わず男性差別的なのではないかと脊髄反射してしまいそうなパートは、第3パラグラフである。以下では、同パラグラフの読解を行うので、私と同様に一読してわからなかった人、特に男性差別的に感じた人は読んでほしい。
事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。第3に、4年制大学進学率そのものに性別によるギャップがあります。2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。
このパラグラフはいきなり衝撃的なトピックセンテンス「事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。」で始まる。おまけにサポートセンテンスの中には「男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験している」という主張が入ってくるので、恐らくこれを口頭で聴いたら「上野千鶴子はとりあえず男が馬鹿だと言いたいのか?」と感じてしまう可能性がある(実際にTwitter上ではそのようなリアクションが少なからずみられる)。さらに、冒頭で「女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高い」と言っておきながら、サポートセンテンスでは「統計的には偏差値の正規分布に男女差はありません」と真逆のことを言われて、読者(聴衆)は混乱の極致に達する。しかし、このパラグラフの本意はそうではない。鍵は、この前にある第2パラグラフにある。
女子学生が男子学生より合格しにくいのは、男子受験生の成績の方がよいからでしょうか?全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなコメントを述べています。「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い」。ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。
つまり、著者はひとつ前の第2パラグラフで、「医学部以外の女子の入りにくさは1以下で、医学部が1以上であることの理由をこれから説明するよー」と宣言しているわけだが、実際に次の第3パラグラフで説明されるのは、前者の「なぜ女子の合格率は(医学部以外において)高いのか」ということに対する理由だけだ。この宣言と実際のズレが、まずもって2パラと3パラの繋がりを分かりづらくしている。
それを踏まえて第3パラグラフのトピックセンテンスである「事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高い」を解釈すると、これは実はかなり曖昧で、「受験生全体としてみたときに女子の方が偏差値が高い」という解釈(A)と「ある大学の受験者プールをみたときに女子の方が偏差値が高い」という解釈(B)の両方が必要となる。このトピックセンテンスの意味の曖昧さが、続くサポートセンテンスとの繋がりを不明瞭にすることで、このパラグラフの読解を困難にしている。しかしながら、これらはいずれも、「なぜ女子の合格率は男子に比べて高いのか?」という第2パラグラフの問いに対する明確な解答となっている。
では、このトピックセンテンスの解釈(A)、(B)を前提として、そのあとに続く3つのサポートセンテンスの内容を読み解いていこう。
①「第1に、女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。」⇒要は、女子は余裕を持って受かる大学を選ぶため、ある大学の受験者プールで見たときに女子の方が偏差値が高い、という話なので解釈(B)を支持する内容。
②「第2に、東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。(中略)統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。」⇒これも①と似たような話。男子の方が相対的に下方の学力の学生まで東大を受験するため、平均的にみれば女子東大受験生の方が偏差値が高いということ。解釈(B)を支持する。なお、ここでいう偏差値の正規分布とは、「東大受験する/しない」「大学受験する/しない」という条件を一切つけない高校生全体の分布の話をしていることに注意しよう。一方でトピックセンテンスの「女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高い」は、これらの条件を付けたときの条件付き確率分布の話をしている。ここもわかりづらいポイント。
③「第3に、4年制大学進学率そのものに性別によるギャップがあります。」⇒要は、学力順に大学受験をするとしたら大学進学率の高い男子の方が下方の学力の学生まで大学受験をするため、平均的にみれば女子受験生の方が偏差値が高いということ。これは受験生全体の話なので解釈(A)を支持する内容。
以上の様な形で、一見意味不明にみえる第3パラグラフも、落ち着いてよく読んでみればしっかりと論理的な構成になっている。では、結局のところ上野千鶴子はこのパラグラフで何が言いたいのか?私の理解は次の通り。「女子学生は、性差別の抑圧の結果として、浪人のリスクをとって上位校を目指したり、東大生になろうとすることが忌避され、その上そもそも大学進学率が低いことから結果的に大学合格率が高くなっている(除く医学部)。」つまり、女子受験生の偏差値が高い(⇔合格率が高い)というのは性差別による抑圧の結果なので、上野千鶴子はそれをポジティブに捉えてはいないということになり、男性差別的な意図とは真逆であるということがわかる。
以上、誤読しそうな一章第3パラグラフの読解を、ややスピーチを擁護しながら行ったが、以下ではこのスピーチに対する批判的な私見も+αで少し書く。
まず1パラグラフ目について。
その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが判明しました。文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査を実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は平均1.2倍と出ました。問題の東医大は1.29、最高が順天堂大の1.67、上位には昭和大、日本大、慶応大などの私学が並んでいます。1.0よりも低い、すなわち女子学生の方が入りやすい大学には鳥取大、島根大、徳島大、弘前大などの地方国立大医学部が並んでいます。ちなみに東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。
たしかに東京医科大では女性差別的な入試不正が行われていたのは事実だし、ここに列挙されている私大についても不正をしている可能性はある。それ自体は何らかの形で是正されていくべき問題であることは同意。ただ、私はこのパラグラフで拭えない違和感を覚えてしまう。それは、東大理3にもこの議論を敷衍している点と、「地方国立大医学部が並んでいます」という記述である。
当たり前だが、どれだけ男女平等に選抜してもこの男女合格率比率は1を超えたり1を下回ったりしてフレる。奇しくも彼女自身が記述している通り、「鳥取大、島根大、徳島大、弘前大」では1を下回って、女性有利の結果となっているのだが、これは単なるフレであると考えられるので、彼女は「これらの大学では男性が差別されている」とは主張しないだろう。にもかかわらず上野千鶴子は、断言はしないものの、この比率が1.03しかない理3に入試不正の話をつなげる訳だが、これは誰しもが感じる通り、さすがに無理筋である。1.03という差はどれほどなのか考えてみよう。理3女子の合格率が概ね25%だとすると、男子の合格率は25.75%であり、わずか0.75%ポイントの差でしかない。つまり、100人受けたときに1人未満の合否の差が発生するということであるが、これは統計的に有意な差たりえるだろうか?もちろん私は実際の分布についての情報を持たないので統計検定は出来ないが、理3受験者数の少なさ(標本の少なさ=この比率のフレも大きい)まで含めて考えれば検定するまでもないと思う。こんな微妙な差を以って、東大理3の入試においても男女差別が存在しうることを仄めかす様な物言いをするのはいかがなものか。
また、些末過ぎて私しか感じないかもしれないが、「地方国立大医学部が並んでいます」という記述にもなんとなく違和感というか、いやらしさを覚えた。彼女がわざわざ先ほどの4校を持ち出して、「地方国立大医学部が並んでいます」と記述した理由は何なのか。うがった見方をすれば、「女子は地方のless prestigiousな大学に追いやられ、東大理3を含む首都圏のprestigiousな大学は差別により入れない」という印象を明確にしたいがために、これらの地方国立大医学部を拾ってきて並べたように思える。しかしながら、もしも彼女がこの様な印象操作を図ったとすれば、それはやや牽強付会にみえてしまう。なぜなら、理由は2つあって、そもそも地方国立大の方が医学部が多いということと、加えて、(平成30年度入試のデータではあるが)帝京大学や北里大学、東京医科歯科大学医学部医学科、東京女子医科大学(当然)、自治医科大(首都圏か微妙だが)、など首都圏の大学でも女性有利の結果となっている大学は存在しているので、地方国立だけ取り出してみせるのはいささか正当性に欠けるように思えるてしまうからである。(ソース:http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2018/09/10/1409128_002_1.pdf)
もう一つ、東大生によるレイプ事件に言及した第6パラグラフをみてほしい。
東大工学部と大学院の男子学生5人が、私大の女子学生を集団で性的に凌辱した事件がありました。加害者の男子学生は3人が退学、2人が停学処分を受けました。この事件をモデルにして姫野カオルコさんという作家が『彼女は頭が悪いから』という小説を書き、昨年それをテーマに学内でシンポジウムが開かれました。「彼女は頭が悪いから」というのは、取り調べの過程で、実際に加害者の男子学生が口にしたコトバだそうです。この作品を読めば、東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかがわかります。
具体的に「どんな目」でみられているか上野千鶴子は言及しないが、文脈からいえば、「他大学の女子を頭が悪いからと見下していて、彼女らをレイプしてもいいと考えている異常な選民思想を持った人々」と解釈できるだろう(この解釈は行き過ぎだろうか?否、これが男女差別の文脈のスピーチのおいて、レイプ事件と関連した東大"男子"学生のイメージとして語られた以上、性的加虐の意味は必然的に含まれている)。「彼女は頭が悪いから」という作品はたった一冊のフィクション作品であり、しかもモデルとなった事件もおよそ東大生一般に当てはまるようなものとは思い難い。そこに描かれた東大男子像を持ってして、お前らはこう見られてるから自覚しろ、と彼らを脅迫する行為はいくらなんでも行き過ぎであろう。少なくとも私は普通の東大生男子たちが、もしかしたらうちに秘めたエリート意識ぐらいは持っているのかもしれないが、それを以ってレイプに及ぶ様な集団だとは思っていない。世間が東大男子のことを選民思想レイパーだと思っている、と本当に言いたいなら、アンケート調査で統計をとってみてはいかがだろう。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。