封建制的な社会では、個人の個性や自由以前に社会に要求されるロールのほうが個人を作り上げてたんだよ。社会安定のためにそういう仕組みが必要だった。
たとえば農民(小作農とか富農とか地主とかのクラスわけ)や庄屋や蔵元や名主なんていうロールシステムで農村が作られていて、家庭は世帯主と妻と嫡子と次男三男、娘どもみたいなロールこそがコミュニティ安定の要だった。社会には役割がありその役割を参加者が担うことで安定させていたわけだ。
年齢に関しても一緒で、ある年令になったら子供から若者にロール変更してコミュニティ防衛に参加してもらわないと困るし(自警団や青年団)、もう少し年が行ったら結婚して家庭を持ってもらわないと困るし、一家が自立したら寄り合いに参加してコミュニティ運営の一部を負担してもらわないと困るし、子供が成長したら隠居して発言権を譲ってもらわないと困る。それらが「年齢相応である」ってことであって、それらのロールを義務として果たしてもらわないと、コミュニティが不安定化する。それはつまり社会に対する攻撃でありテロなわけだから、役職のロール、家庭内のロール、年齢なりのロール、そういう役割の放棄は罪だったわけ。
現代になって個人主義自由主義の思想からそういう抑圧は随分減ったけれど、日本では一世代とか二世代まえまではそういう価値観がバリバリに現存してたんだよ。じっさい、今だってそれらのロールを全放棄できるかっていえば、社会観点では異論が出る。全員結婚しなかったら少子化解決しねえだろ!とか声を荒げる人は増田にもいるでしょ?
現在は過渡期なんだけど、過渡期としても後期なんだよ。過渡期の前記は「年齢相応(=年齢要求ロール)ってなにをすればいいかはわかるけれど、そんなの個人の自由でしょ。おれは嫌だね」って反発だった。今は後期なんで「なんで年齢相応なんて概念があるんだかわからねえ。個人の自由でしょ。なにすればいいのさ?」になってる。歴史的経緯の喪失だね。
実際問題、年相応と呼んで相応しい振る舞いをしている人って居るのだろうか? 自分で自分が年相応だと思っている人は居るんだろうか? それはなかなか難しいものだと思う そもそも...
封建制的な社会では、個人の個性や自由以前に社会に要求されるロールのほうが個人を作り上げてたんだよ。社会安定のためにそういう仕組みが必要だった。たとえば農民(小作農とか...
でもさあ、年相応とかそういうロールを完全に放棄したらしたでぶっちゃけ困っちゃうわけじゃん、気に食わないおっさんに対して「年齢考えろ」とか気軽に言えなくなる あくまで自分...
世界に自分と(話をしている)相手しかいないのであれば、過渡期なんてものは確かに存在しない。 けれど世界には通常その二者を取り巻くその他大勢からなる社会なるものがあって、...
自由を主張した時に賛同されるか反対されるかってのが、結局魅力やら何やらに左右されるわけじゃん 全体として自由になると言われても、それが個人に反映されなければ、世間で何が...
本来正しい意味での年相応は理解できるし、それとは別に相手からそう言われたら、個人的には社会はどうでもよいので自由にやりなさいと言う。 もっと低レベルな話で、単なるマウン...
BBAの若作りファッションはきつい