はてなキーワード: 無意識とは
わかる。
自分は、政治系にイライラする事が多い。あまり見ないようにはしてるが。
何でもかんでも「壺信者が~」とか言ってるのをみると、レッテル貼りする事で自分を正当化してるのかと思うし、子供の頃に「○○菌がー」とかいじめられた(で、無意識にその手法を使っている)のかな、とも思う。暗い情熱だよね。
時々ボケーとして遠くを見ているとだんだん近くにいる相手の顔に焦点が合ってしまうときがある。
ボケっと歩いていると道行く人の顔を焦点が人の顔に合って相手と目が合った時必死にそらす。
そういう無意識の、やられる側が気持ち悪いと思う行動を本当に辞めたくて
……というと、「結局はそういうジャンルにいるから多く見えるだけで絶対値としてはそうでもない」という答えが返って来そうだが、そのあたりは一旦置いておいて。長文のため先に要約を置いておく。
【要約】
交流企画に腐女子が大集合すると、男同士の恋愛ネタが蔓延りすぎてそれ以外の話題を扱うと除け者気味になる傾向があるので、楽しみ方が限定されてしまい、本来の自由度が損なわれているような気がして居心地が悪い。嗜好による選択の結果であると認識しているため、仕方がないと思いつつモヤモヤしているという話。
はじめに自己紹介だが、一次創作を趣味にしている筆者は、自身も小説を書いたり、絵を描いたりする。主な活動拠点はTwitterである。BL・GLともに嫌いというほどではないが、進んで手に取ることはない。
Twitter上には様々な「交流企画」なるものが存在しているが、どこを覗いても思うことがある。
腐女子が多すぎるのだ。
ここでいう交流企画というのは、ある設定が共有されたシェアードワールドの枠組み内でキャラクターを創作し、時には企画制作者が提供するイベントに沿って世界観に没入しながら、キャラクター同士の交流や作品群を楽しむ、というものを指す。学園モノであれば我々は教師や生徒を作り、異世界モノであれば魔法使いや剣士を作り……といった具合にそのシステムは様々であり、言うなれば一種のTRPGのようなものである。Tabletalkではないので、TはTwitterのTだ。
「交流」と名を冠するからには参加者が互いの趣味嗜好を尊重する必要があり、相性のよい相手と関係を深める(キャラクターも作者も)という在り方が推奨されるが、そのために自己紹介シートのようなものが設けられていることがある。その中にしばしば「GL・NL・BL」と書かれた項目があり、地雷にバツ印を付ける、あるいは平気なものにマルを付けることで、自身の嗜好を示せるようになっている。(こうしたシートが無い企画も当然ある)
企画の世界観に興味を持った筆者は、前述の通りBL・GL・NLともに平気であること、全部にマル(なんなら花丸)つけてる人が大多数を占めていることなどを理由として、そういった「腐女子」達と交流を持つことになるわけである。
ここで問題になるのが、「マル」というのが何を指しているか、という点。企画主が明示していない限り、「平気ですよ」のマルもあれば、恐らく「それはもうメチャメチャ大好きです寝る間も惜しんでPi〇ivを渉猟し三度の飯よりバクバクムシャムシャペロリズム」みたいなマルもあるだろう。筆者は前者の消極的なマルなので、当然後者の積極的な参加者たちとは熱量に差が出てくる。
そして後者の場合、往々にして彼ら彼女らが求めるものを提供できない人間に人権はない。
極端な言い方をしたが、見ても忌避感を覚えず恋愛モノの一様態として楽しめるというだけでそうしたコンテンツを提供しない筆者は、どうも「つまらないヤツ」と判断されてしまうようなのだ。セロリ嫌いじゃないけど好きでもないから進んで食卓に並べはしない人間が、セロリ大好き主食集団の中に紛れ込んだとき異端になるのは自明であるが、つまり、セロリ食え!セロリ出せ!セロリを愛さぬ者に用はない!というわけだ。それならばセロリを愛する者同士、色がどうの食感がどうの味がどうのと推しポイントを共有できる相手と関わった方が精神的にコスパが良い。その道理はよくわかる。
ところがこちらとしては男同士(GLのパターンもあるだろうがBL遭遇率が体感異様に高いのでBLということにする)がイチャコラしているのが見たいわけでも、そこに割って入りたいわけでもなく、あくまで企画の世界観に惹かれているのである。交流を成り立たせるための関係は必ずしも恋人に限らず、先輩後輩、同級生、親友、そこまで親しくはないけども同じ部署にいる顔見知り、敵対……etc.、様々な在り方があってしかるべきだ。が、その実態といえば、先輩後輩(ホモカプ)、同級生(ホモカプ)、親友(だがホモカプ)、ただの顔見知り(だが寝たことがある)、敵対(しているがやはりちょっと気になる///)といった具合で、ファミレスでメニューを見たら全部にセロリ入ってたような状況なのだ。ライスにも刻みセロリが入っている。
与えられたシステムの中で仲良くワイワイしたいだけなのだが、「平気ですよ」のマルを付けたばかりに、友達だと思っていた相手から突然「酔っぱらってそういう雰囲気になるかもねw」「受け攻めどっちぽい?」というコメントが飛んでくる。拍子抜けする。勢力図がどうとか、この世界ではどんな生き物がいるのかとか、能力の応用とか、そういうものは基本的に話題に上がらず、TLを流れていくのは専らうちよそのデート描写、お互いをどう思っているか、お互いの好きなところは、という風に恋愛色が強い。その企画でなくてもできたのではないかという、企画の世界観や設定が全くといっていいほど絡まない恋愛ネタ。そして見渡す限りの同性カップル。戦闘や駆け引き、探索をしながら絆を深めるとか、そういうものを想定していたら合コン会場に迷い込んでしまった。
ここまで書いて、同性カップルに理解の無い差別主義者と疑われていそうなので、弁明しておく。筆者にとって、恋愛は性別がどうだろうと恋愛なので、閲覧に際してはNLもGLもBLも特別区別はしていない。この文で「同性」を強調しているのは、それ以外の恋愛形態が尊重されないほど腐女子たちによるBL推しが激しいためである。そしてBLネタを求める彼女らは自動的に男性キャラクターを作成するため、片割れを探す作者同士が意気投合すればカップル、もしくはちょっとつつけば即座にカップル成立しそうな距離感の過沸騰ペアが増えていく。女性キャラクターとして受け入れられていた独身キャラクターが、実は男でしたとネタ晴らしされた瞬間伴侶を得るこの世界で、女性キャラクターの婚活は氷河期にある。
腐女子であることが豊かな交流の前提になっている空間は、本来許されていたはずの自由な創作・自由な交流に制限をかける。男女、女女、男男、3種類あるはずの恋人関係が1種類しか快く受け入れられないとあってはそこで楽しむのも難しくなってくる。それが分かれば最初から参加していないのだが、企画ができたてであればあるほど、なまじゾーニングを重視する彼女らの生態を初対面で汲み取るのは難しい。数段前に自己紹介シートの話をしたが、シートがあれどもすれ違うのに、無ければなおさら困難極まってくる。筆者が極まりたいのは困難ではなく感なのに、だ。
平気ならお前もBLカップル作ればいいじゃん。その通り。だが環境に強制されて作る関係を心地よいものとは思えず、結局幾度も身を引くことにした。したくてするのと、そうしないと弊害があるからと妥協してするのでは大違いだろう。
「腐女子が多すぎる」というのはこういうことだ。ある空間に占める腐女子が多ければ多いほど、彼女らの常識がその場の常識にすり替わっていく。これは筆者の体験から腐女子を取り上げているだけで、同じことはそれ以外にも言える。自然愛好グループの中に野生動物に餌を与えることを生きがいとする集団が増えて、動物たちが事故に遭うリスクを懸念する人々が押し負けてしまうであるとか、例を挙げればキリがない。感情・思想を共有する集団は強固ゆえに存在自体がある程度の強制力を持ち得るというわけである。
腐女子は日陰者であるべきとは言わない。しかし意識的にせよ無意識にせよ、ホモカプが描写できないならお役御免とばかりの傲慢さを感じざるをえず、それゆえ不信の念を抱かずにはいられない。なぜこうも交流企画には内輪を形成する腐女子が集うのだろう。
まぁ、正直「突然身内が亡くなって余裕がなかった」というのはとてもよく理解できるが、何度も書きすぎだったかな。多すぎると自分が悪いといいつつ本心では「自分は悪くない。事情があったんだ。仕方なかったんだ」と主張しているように見えてしまう。
そして、意識してか無意識かはわからないけど、もしかしたら心の奥では本当にそう思ってるんじゃないかとも思われる(どうすればうよかったんだ的な文章があったので)
正直、夫さんの方も「僕の思ってる常識が、世間一般でも常識」っていう思考が強かったと思うし、嫁さんの方もちと押しすぎな気もする。また、そういうつもりではなかろうが、と前置きしておくけど、妹さんの旦那さんは無条件でOKで、妹さんの旦那さんが来るなら嫁は参列できて、来ないならNOっていうのは、やはりいい気はしないかもしれないね。とは思う。
「父と妹の意向として、血縁ある三人で水入らずで送りたいってことなんだ。ごめん」って言うべきだったろうなぁ。もちろん、妹さんの旦那さんにも同様に。
花については、迷惑もあったかもだけど、よかれと思ってのことだから……ってなるかな。おれやおれの家族で想像したら。
もちろん「断ったのに……はぁ……」って気持ちも浮かぶだろうけど、でも好意ではあるんだから、そこはありがたいと思わなきゃな。って、そっちにフォーカスするかなー。
なので、花はありがとうと言っておいて、参列は、妹の意向を尊重したいならば、妹の旦那さんにも嫁にもそう説明して断るべきだったってところかな。
本来は、家族葬でも配偶者は参列する方が圧倒的に多いとは思うけどね。
あと、そこについて「結婚は家同士とか思ったことがない」って、家族ABCにわけて書いてたけどさ、その考え自体は否定はしないけども、それを嫁にも押し付け(無意識だろうけど。夫のなかでは常識だったんだろうから)てたとすると、それもよくないね。だって、名字変わっているのでしょ?おそらくは嫁さんの方が。名字変えるのはいまの結婚の制度上仕方のないことで……とかはあるかもだけどさ、もし嫁さんの方が夫さんの姓になっていた場合、夫さんがどう思っていようが、嫁さん側が「え、私は家族じゃないってことなの?」と感じたとしてもおかしくはない。
そこも、しっかり話すべきだったかなー。
まぁ、嫁側一家が「何かしたい」って言って、こちらの気持ちを無視してきた。というように主張しているけど、夫さん側も、嫁さん側の気持ちをちとないがしろにしすぎたかなーという印象。
それを「余裕がなかった」と言われてしまえばそれまでなんだけど、あまりに「余裕がなかった」を連発されると「あ、本心ではおれは悪くないと思ってるなこの人」って見えちゃう。そんな感じだなぁ。
例えばセクシュアリティなんかの話で、「先天的か?後天的か?」ということが議論されることもあるけど、こういうのはまあ現代的には「シスヘテロも別に先天的ではないよね」と結論が出ているということになってるんだけど。
自分の感覚としては、生まれつきの小さな火種のようなものはあるかもしれないんだけど、そこから出発したとしても、長い人生の中で無数の分かれ道があって、それを意識的にか無意識的にか能動的にか受動的にか選んで来た結果が今という感じなんだよな。
「先天的に〇〇です」という人は、言わば「幼稚園の頃からお受験を初めて、東大まで行きました」という感じ。「後天的に〇〇です」という人は、社会人になってから一念発起して東大受験・合格した人という感じ。
そんなもんは「ギャルも人間なんだから、オタクだろうがなんだろうが人間に優しい人もいればそうでない人もいる」で終わりなんだよ。
まずねぇ、現状を理解するためには、現代の若い人たちの間では「陽キャ」が悪口として機能しているという現象を理解する必要がある。
「美味しいヤミー」があまり良くない形でバズったのも記憶に新しいが、現代において「陽キャ」という言葉には「バカっぽい」「無神経そう」といったネガティブな印象を持つ人が多い。
「そういう意味で使う人が多い」というよりも、「無意識のうちに、そういう印象が付きまとっている」という感じ。
今の若い人を見ていると「陽キャ」って言われたくない人が本当に多いんだよね。たとえ褒め言葉だとしても。
まずこのような現実を知っておかなければ、「オタクに優しいギャル」というミームの立ち位置を理解することは出来ない。
ここで、「ギャル」というのは、「陽キャ女子」とニアリーイコールなわけ。
「オタクに優しいギャル」というのが「捨て犬に優しい不良」と同じ構造のギャップ萌えであることは明らかだが、では「ギャルは普通、オタクに優しくない」というを偏見はどこから来るのか?
多少誇張して言えば、「ギャルというのは性格が悪いから、スクールカースト下位に優しいわけがない」から。
そういうあまりよろしくない偏見を下地にしたギャップ萌えなわけ。
まあ、若い連中が「オタクに優しいギャルもいるもん!」とか言ってキャッキャしてる分には「若気の至り」として大目に見ることはできても、そもそも初めに述べたような「陽キャ」の立ち位置からして理解してないジジババどもが「オタクに優しいギャルなんているわけない!オタクの妄想!」とか言い出すのはもう擁護不可能だろ。老害はとっととフェードアウトしてくれ。
まして「オタクを嫌うギャル」を書けとか言うバカ、「ギャル」に対する偏見をエスカレートさせてるだけの差別主義者なんだよね。おまえらはもう喋るな。
性欲モンスター、ノンケ女装沼中毒者、薬物中毒、幼い、男だという自覚の元に無意識で切り捨てるもの、
変質者、パラフィリア障害、人間性壊れてる、ママを求めてる、不倫の方がまだまし…。
散々だよねぇAGだから知ってるけど。でも皆少しは想像して欲しいなって思う。
幼稚園でボンボンのおちんちんとれちゃう回で興奮を覚えたり、小学生でギャグマンガの女装回にドキドキして。
それってもうどうしようもないものな訳ですよ。LGBTの身体違和はかわいそうね。でもお前はキモチ悪い。な訳です。
思春期にもなればそれはもうゲイ並みに悩むし、向こうは肯定されてるなぁと眺めるわけですよ。
性欲に基づいてるという点凄く非難されるわけだけど、女性も性欲の為に気合れて着飾るとかするからね?
別に性欲関係なく、家事とかのジェンダーロールも関係なく、女として扱われてる感覚ってあるでしょ?
結婚前、何なら付き合う直前くらいのときに、デートしてたりして漠然と女子として扱われてるな~って感覚なかった?
もちろん旦那さんは性欲からくる女扱い願望もあって、そうでない女扱い願望もあって、両方が入り混じってるだけ
普通の人が成長の過程で自分が男だという自覚とともに、無意識で切り捨てていく欲求みたいなものが残ってる
空中にはコロナウイルスだけではなく無数の病原体が漂っているらしい。
ドアノブに、水道の蛇口に、食品に、ウイルス、細菌、微生物が付着している。
それを無意識のうち体内への進入を許してきた。
人間の免疫が対処してくれるが免疫がミスった時に、あるいは曝露量が多いと処理が間に合わずに発症する。最悪死ぬ。
一部の病原体は消滅すること無く細胞の中、神経節やリンパ節、体内のどこかで潜むことができる。
若い頃はまだ国民病で結核が蔓延しており菌が体内に入ると発症しなくても生きたまま何十年も冬眠を続けている。
これも一度感染してしまうと発症しなくても体内から消えることはない。
人間は一年間に4,5回風邪にかかる。感染すれば発症しなくても10日前後ウイルスをばらまく。
つまり普通の生活していたら年間40日ウイルスをばら撒いてたことになる。
というか知らなかった。無自覚だった。恥ずかしい。
間違いだった。
ただの風邪でも人は死ぬ、後遺症も話題にならないだけでたくさんある。
実は年間10万人以上が風邪で死んでいた。
一番多いのはガンで40万人だけど、ガンを発症するメカニズムは多様だが半数は病原性、つまりウイルスや細菌が原因と分かっている。
20万人は病原体のガンで殺されていることになる。
昨今話題になったヒトパピローマウイルス(HPV)子宮頸がんもこれ。
実はその半数の7万人がウイルスや細菌が原因であることは医学的にわかっている。
死者全員を病理解剖するわけではないので見つかってないだけ。
肺炎球菌だけで5万人、これも空気感染する。マスクしてりゃ防げる。
目をつぶってきたのが異常だと思わない?
自分には関係ない、その程度のリスクは受け入れなきゃしょうがない?
コロナ初期、西浦教授が「なにもしなければ42万人が死亡」と予想し、我々は恐れて対処した。
マスクや消毒、手洗い。徹底することにより2020年の死者は1万人を切った。
西浦教授の42万人が何年、何ヶ月の時間レンジを想定したものかはわからないが
2022年現在まで累計すれば4万人の死者となったものの、それでも予想の1/10
人流制御に失敗した諸外国は日本の10倍の被害が出ているのだから予想の精度は高かったとわかる。
壮大な社会実験だったと言える。
我々人類は大きな知見を得た、人類は病原体と戦える、抑制する価値がある
行動制限し清潔を心がけるだけで年間数十万人の命が救える。
統計として見えてくるのは1,2年後ではないだろうか。楽しみだ。
ともかくやらないよりやったほうが良い、やるだけの価値がある。
mRANは成功した、ならばコロナだけではなく我々が脅かされている多くの病原体に対応した混合mRANワクチンを開発し全国民に強制接種すればよい。
それで多くの命が救えることを我々は知ってしまった。
知っているのにやらないのは罪ではないか?
三ヶ月で切れるなら三ヶ月ごとに打ち直せばよかろうに、なんでそんな簡単な算数もできないのか。
おおむね1年と予想していたが予想よりも短かった、三ヶ月だった、それだけの話。責められる話ではない。
ならば三ヶ月ごとに打てば良い。バカでもわかる。
従来の常識からすれば異常な社会かもしれないが、微生物、ウイルス、細菌をこの世から撲滅することは不可能なのだから物理的に防衛するしかない。
一人二人の命を救う話ではない。
ほんのすこしの我慢で年間数十万人の命が救える。
それでも行動制限をなくし、マスクを外し、消毒を辞めて年間数十万人を殺す生活がいい?
そりゃ止めない。
そろそろこういう議論を始める時期だと思う。
プログラマーなんだけど
経歴がキラキラしてきている
ナショナルクライアントの仕事もしたし、社長1人みたいなベンチャーでも仕事したことがある、リーダー経験も豊富、大体のジャンル、大体のプロジェクト形態は経験している
ただそういう高い案件って高い理由があるというか、大体は非常に困ったことになってたり期待値が非常に高い
火消し要因とまでは言わないが、長期的に行き詰まってるケースが有る
それを解決できるかどうかで言えば、五分を切る
できなければ数ヶ月で大体喧嘩になりクビになるので非常に辛い
特にコードが複雑になりすぎているものなんかはきつい、私は経験値があるだけで別に地頭が良いわけではない
その絡まった糸を、絡まったと認識しないまま誰か助けてくれと私に白羽の矢が立つわけだ
するとどうなるかと言うと、技術的に非常に難しいことをやり始める
もしくは高単価だからその分技術的にスーパーなことをしなければならないと思っているのかもしれないが
とにかくそれで余計に糸が絡まる
最近ではもう面談の段階で爆弾処理であることに気づくようになってきた
次は上手くやる、と思って一応やってみる
それでまた期待されてクビになる
期待するな、単価を上げるなと言っても、なぜかこぞって最高単価を出してくる
120万くらいのときに、「この単価はたまたま高いんだ」と思っていたがもう3案件連続で140万を超えている
儲かれば儲かるほどストレスが溜まっていく
一応「良くない事」とされてるのに無くならないのはこれが理由
自分は絶対そんな悪い事なんてしないって思ってる人も居るだろうね
本当にそうかな?
自分がしているのはあくまで正しい指摘や警戒であっていじめや差別ではないとか思ってない?
集団で一人を吊るし上げてバッシングする様子なんか差別やいじめでしかないよ
残念だけどトラバはともかくブコメに俺の意図が全く伝わってない人がポツポツ居る
でも伝わってる人や何となく俺と同じような考えを持ってる人もポツポツ居る
「殴られて当然の糞野郎を殴る事」だって、過剰だったり複数人で囲んでやるならそれはもう強い側が弱い側にやる差別やいじめじゃないか
だから…俺は、「正しい」は「必要」な事であっても本当の意味での「正しい」とはまた違うんだろうな、と思う
いじめや差別だってしてる側からすれば正当な理由があって「殴られて当然の糞野郎を殴ってるだけ」なんだから、多分加害者って言われてる側も罪悪感全然無いと思う
俺も一切の罪悪感無く「こんな奴は批判されて当然だろ」って嫌ってる相手が居るけど
この「罪悪感無く」何かや誰かを嫌えるって感情の仕組みが無意識的な差別やいじめを生むんだろうな
でも「ああそうだ自分は加害者だ」と開き直ってるが好きかというと全くそんな事も無くて
悪ぶってるようで結局自分が責められる側になると「何で悪い事をしてない自分がこんな責められるんだよ!?」と怒る人も居て
こういう人を嫌いだと感じるあたり、同族嫌悪してるんだろうな俺
よく考えたら俺、纏まりなく書いてるから結局自分が何を言いたいのか自分でも分かってないじゃないか
「自分だけは絶対にいじめや差別に関与してないし、今後も関与する予定はない」みたいな態度の人が俺は怖い
もし本当にその手の事に関与してない人が居るなら他人との関わりがほぼ無い人でしかないし、そんな人は殆ど居ない…んじゃないだろうか?
この感情を新鮮なうちに書き残しておきたい!その一心で今パソコンに向かってる。
さっきの話だ。俺は最近、暇つぶしでショートショートのような話をいくつか書いている。
自分で読み返してうまくできたなとか、イマイチだなとかっていう遊びをしてる。
やめときゃいいのにその人が今なにしてるか気になって検索してしまった。
元気にやってるかな?っていうのも勿論そうなんだが、まだ結婚してなかったりして?っていうゲスい思いも確かにあった。
すると、数が多すぎて全部は見てないが、彼女がちらっと写っているものが何枚かあった。
おー、元気そうじゃん。素直にそう思った。
ストーリーも見てみた。そこには動く彼女が短い動画に写っていた。
よせばいいのに、左手を見てしまった。指輪をしてた。まあ、そういうことだ。
でもあれだな、30半ばにもなるとそこまでショックは受けないもんだ。
でもやっぱりちょっと動揺したもんで、この感覚懐かしい!と思ったんでこうやって今の気持ちを打ち込んでいる。
ただ、芸人の又吉もyoutubeで「気になる女性の薬指を確認する」と言っていた。
そして「あ、結婚してんねや」みたいになると。ちょっと残念だと。
いやー、めちゃくちゃわかる!今それ!まさにそれ!
むしろしてない方が驚くかもしれない。
本当におめでとう。
こうやって独身おじさんは出来上がっていくんだな。
また一歩進んだ気がする。いや、むしろ後退か?
で、若い頃にもこういうことがあったが、昔と明らかに違うのは「夢見てる場合じゃない」と気付けたこと。
これだけでもありがたいと思う。強がってるわけじゃない。
心底思う、こんなことしてる場合じゃないと。
最近、ずっと停滞してたんだがようやく重い腰を上げようと思っていたところだった。
タイミングよく、遠出をすることも決まっている。
そこに来てのこれだ。間違いない、ここが変わるタイミングだ。
とにかく行動するぞ。
インスタを閉じてすぐに、床屋の予約を済ませた。
無意識にできた。
昔とは違う。俺は俺なりに成長している。
彼女はそう遠くない所に住んでいるはずだ。
もしかしたらその内ばったり会うかもしれない。
その時に昔と同じように話せるよう、俺も前に進むぞ。
クリエイティビティが大事だとかなんとかすぐ言うこんな世の中だけど、クリエイティビティは人生のバックグラウンドから醸成される性質であってスキルのようにサクッと身につけられるものじゃない。
と言う自分もクリエイティブな人間に憧れを持っている。クリエイターとして何かを表現する人間になりたいと思う。別にそれで一発当てて富を築いたり、名を残したりしたいわけじゃない。
アートが好きだ。生み出された表現のバックグラウンド、クリエイターの心情を知ることで、何かインスピレーションを得たような気分になる。
だがその実これはクリエイティブへの憧れをアートをただ消費することで満たそうとしているに過ぎない。自分はいつも作品の対面側にいて、作品の背後にはいない。
絵を描くのは元々得意で真面目に練習して描こうとしたり、他にも文章を書こうとしたこともあったが、表現する方法を知っていてもそもそも自分の内側には表現したいものがないことに気付いてしまう。中身のない絵が上手く描けることにも大した喜びを感じられないのでやめてしまった。
プログラミングが生業だが、こんなアプリケーションがあったら便利だとか、こんなものが作れたら面白いとか素敵だとかクールだとか、そんなアイデアも想像力も全くない。それをどんどん思いついて生み出すクリエイティブな人間を身近に見たり、求めずとも情報が入ってくる環境にいるだけに、自分は全くもってクリエイティブな性質ではないということを認めざるを得ない。自分は人のアイデアに乗っかりそれを作る手伝いをして対価を貰っているだけ。
クリエイティブじゃない背景的な理由の一つとして、自分には強い情動のようなものが全然ないということがある気がしている。
一つの物事に真剣に最後まで取り組んで、歓喜したり絶望したり激怒した経験がない。子供の頃から大きく感情を波立てながら何かにぶつかった覚えがない。大した苦難も努力もないままここまで来てしまった。今だって自分はクリエイティブじゃないなんて言っても別にそれが人生の壁になっているわけじゃない。
新しいことを始めるのが好きで趣味は多いが、一生かけて情熱を注ぎ続けられるライフワークと呼べるようなものは持っていない。一生付き合っていたいと思う人間関係も持っていない。そういうものを持つ人に憧れて色々なことに手を出しているというのも無意識下にあるのかもしれない。
自分にとって趣味と呼べるものほとんど全てが一過性で、表面的に消費することで短期的な快楽を得ているに過ぎない。ある程度まで知識や経験を得たら満足して次に目移りし、浅い知識だけが広がっていく。
短いスパンで大きな意味もなく職場や住居や友人関係など環境を変えたがるのも同じなのかもしれない。
金への執着もない。これはすでに現状何不自由ないというのもあるし、今以上に経済的に豊かな暮らしに憧れているわけでもない。
性愛への情熱もない。異性への好奇心も性欲に駆り立てられて行動することもここ数年でほとんどなくなってしまった。最近は結婚や子供を持つというライフイベントが何か自分を変えてくれるんじゃないかと思って行動しているが、多分そんなことはないと冷笑するもう一人の自分がいる。
失われた20年に生まれ育った自分の同世代には同じように感じている人間が少なくないのではと勝手に憶測している。いわゆるミドルエイジクライシスに似た状態に早くもなってしまっている。
アートに限らず新しいものを生み出す発想の源泉が、生活や仕事のちょっとしたフラストレーションに始まり、自分の置かれた境遇や社会への不満、抑圧への抵抗、強い欲望などの情動であるならば、それらのような感情が枯渇した何も表現できない何にも情熱的になれない自分のような人間が、あと70年近くある人生を何のために過ごせばいいのか分からなくなる。
神話っていわゆるあこがれや予言みたいな部分があって、バナナ型神話に出てくる「石」=「不変」「不老長寿」って実はAIやロボットのことなのよ。
AIやロボットのコアな部分である「CPU」の事を一部自作界隈で「石」って言うじゃろ、そういった石(シリコン)から成る珪素生物的な存在のことを我々有機生命体は無意識に憧れていて
神話のやり直しをしたいのよね。今の生活になくてはならないPCやスマホやなんかは神話のやり直し「石」への憧れの集大成なのよな。
君が代の「さざれ石の巌となりて」というのももちろん「石」への憧れ、シンギュラリティは有機生命体から珪素生命体への代替りなんよ。ただし、遺伝子は引き継がれないけど模倣子(ミーム)は引き継がれるよ