はてなキーワード: 検索とは
狼と香辛料のアニメってデカくなったホロがめっちゃ柴犬じみててなんか迫力無いというか
現実に"brown wolf"で検索して出てくる姿よりのっぺりしすぎてて覇気というか畏怖に足る強さが感じられないんだよね
そこだけが不満
170cm以下は「私は」キライ、なら燃えなかった
個人の好みの宣言に留めておけばいいものの、
選好の自由の範囲を越えた、男大半の人権に言及したのがポリコレ違反だった。
…
オレの昔の日記より。
思い出して慌てて検索したが、やっぱり適当なことを言っちゃってた。
オレは間違っていました。
当時この日記を読んで、なるほど、と納得してしまった方がいたら、撤回して謝罪します。
すでに速報が流れてるから、ご存知の人も多いと思うけど
“男性の体臭が苦手すぎる”物議フリーアナ「異性の名誉毀損」事務所との契約解消「大変反省しております」(スポニチ) | 毎日新聞
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20240811/spp/sp0/006/281000c
プライベートな場での個人的な好みの宣言でさえ——愚かにも当時オレが「選好の自由」などと表現していた範囲でさえ——まったくセーフでは無かった。
「選好の自由」は自宅の庭じゃなかった。
申し訳ない。
こないだお台場のイマーシブフォートトーキョーに行ったのだけど、
そこの真ん中で行われるショーで、花で装飾されたバズーカから紙吹雪を吹きかけるシーンがあった。
あれやりたい。
本書は、3年毎日に連載されている「これはあれだな」の中から選ばれた文章を集め、過失したエッセイです。
「これはあれだな」とはどのようなコンセプトのコラムでしょうか。
何か気になった事件や本、作品などがあったら、それについて書くのが普通ですよね。それだけじゃ面白くないので、過去に同じようなことがなかったかと探し当て、その二つを比べて何が変わって何が変わっていないかを考えるというのがコンセプトです。
つまり、例えば文学作品であれば、文学作品と何かの映画とか、100年前に同じようなことがあったとか、こういう事件があったけど、50年前に全く同じようなことがあったよね、といったことです。だから、ジャンルが違う場合もあって、例えば映画と最新作のアニメでは、これどこかで見たことあるなと思ったら、80年前のあの映画と同じことをやってない?ということです。
パッと5、6個思いついて「これならできそう」と思って始めたんですが、途中で「大変だ」ということに気づきました。少なくとも二つは見つけなければならない作業であることに10回目くらいで気づいたんです。普通は一つの話題で済むところを、必ず二つ見つける必要がある。多ければ多いほどいいんですよ。例えば今と大正と明治で同じようなことがあった、とか。
時代は変わらないね、というのは面白いんだけど、めちゃくちゃ手間がかかる。読み直しを結構確認しなければならないですからね。一応記憶に頼って「こんなことあったな」と思い出しても、記憶も曖昧になってきます。でも、本当にこれ面白いんだと。途中からは大体ストックがあって、これは似てる、逆に今のこれがあれだけど、あれから発想する場合もあるんです。昔こんなのあって、こんな面白いものって今にはないかな、と。
そうやって見ていくと、最近の若い人の旅に出た記録が1000年前の元神尚の記録に似てるとか、1500年前のものとそっくりだ、とか。そういうふうにしていくと、結構いろんな時代に似たものがある。特徴性が被るものがある。だから、時代にそういうものを生み出す必然性があるっていうことを考えると、話としては面白いんで、ただ手間がかかる。
今回本にまとめられたのも、別に今回が初めてではないです。これで3冊目です。毎週締め切りがあると憂鬱になっちゃう。まずこれを見つけるでしょ?で、あれがなきゃダメなので、どんなに面白くても「これ面白いんだけど、ペアになるものがいないよね」ってなると、できない。
そもそも、ご自身の文学作品を作るっていうのも、アイデアを出さなきゃいけない。アイデアはひねり出すんですけど、あれを見つけるっていうのはなかなか難しい。でもやっぱりコンセプトが光ってますね。やっててうまくいったときは「これ、よく見つけたな、自分でも」って思います。
あの、本書の前半では、2022年9月13日のフランスの映画監督ゴダールの死について書かれています。高橋さんにとってゴダールはなぜこれほど特別な存在なんでしょうか?
これは世代的なもので、僕の世代で芸術、音楽、映画、文学が好きな人でゴダールに影響を受けていない人はいないと思います。
当時はSNSもないし、情報だって今ほどは入ってこなかったから、例えば映画のニュースもなかった。テレビのニュースもやらないから、どこで知ったかというと、映画雑誌とか、映画芸術とか、そういうところにちょこっと載っていて、新作が出たって今だったら全部SNSでお知らせが来るんでしょうが、そういうのがなかった。だから新作が出たって言っても、日本公開がいつかはわからなかった。
僕は映画だと、アートシアターというのに入っていました。60年代、相当幼い時から、そういう会の会員になって、中学入ってすぐそういう会に入った。だから映画もクレイジーキャッツからゴダールまで一緒に見ていました。そもそもそれを分けて考えるのはダサいって感じだった。
しかも極端なことを言うと、芸術ばかり見ていると馬鹿にされるから、逆にクレイジーキャッツとかGSの映画を見ないと恥ずかしいって感じだった。そういう背景の中で、ゴダールの作品はかっこいいと思ってましたね。彼の即興スタイルが特に印象的で、シナリオを書いていかないんですよね。当日、その場でセリフを持っていく。そして基本的に編集で映画を作るというスタイル。
引用が多い。ゴダールの作品は、引用が多くて、ただ引用しているだけのものもある。それはオリジナリティに対する嫌悪なんだと思うんです。オリジナリティではなく引用で作品を作る。だから、過去の世代を否定する度合が一番強いのが彼で、その影響を受けていると思います。
最後の作品についても書かれていますが、イメージばかりが連続してくる、写真がバンバンバンと順番に来るような映画で、画質は必ずしも良くないのに、なんだか異様に綺麗な映像が印象的でした。
どうでしたか?その最終作に対する感想は?というと、ゴダールの作品が好きだなって感じですね。もういい悪いじゃなくて、好きだって感じですね。ゴダールはずっと「映画はテーマがどうとかじゃなくて、90分なら90分、じっとその映画館に座って見ていればそれでいい」と言っていて、ただ画面を見ていれば幸せ、映画ってそれでいいんだ、という考え方を持っていました。
ゴダールは、自分の映画が自殺の映画だと言っていて、主人公が死ぬ映画が多いんです。「気狂いピエロ」もそうだし、「勝手にしやがれ」もそうだし、最後に主人公が自分で目を閉じて死ぬ。あれはすごいなと思う。しかも、あれがデビュー作なんですよ。最後に自分の意思を表現する映画を撮るという意味で、彼の作品は一貫してそのテーマを持っているんです。
「映画史」という映画も撮っていますが、ゴダールという監督は、常に作品と現実の境界を取り払うことを考えていたんです。作品と現実が別々のものではなく、その境界を取っ払って、映画館で観ている観客に語りかけるという姿勢がありました。
映画の中で、主人公が観客に話しかけるというのは珍しいことではないですが、それを堂々とやったのがゴダール。アメリカでも10年くらい前に「ハウス・オブ・カード」とかで流行りましたけど、ゴダールはもっと前からそれをやっていた。それがかっこよかったんです。
また、魚くんの電気映画「魚の子」や、中村喜子の「女と刀」、植物学者牧野富太郎の「牧野富太郎自伝」などについて書かれた箇所を読むと、一つの観念や興味に取り憑かれて、非論理的であろうが、非経済的であろうが、自分の道を進む人が高橋さんの好きなタイプなのではないかと思いました。そういう方にどんな魅力を感じるのですか?
いや、面白いですよ。単純に普通に面白くないですか?ちょっと病的な感じさえありますが、頭おかしいんですよね。でも、そういう人は見ていて面白いですね。付き合いたいとは思わないけど。
でも例えば、魚くんだと、そこに書きましたけど、魚くんも面白いけど、お母さんがすごいですよね。僕も読んで「あ、そうなんだ」と思いました。魚くんの主人公はお母さんなんですよね。つまり、こういう人はいるんですよ、きっと。街を歩いても変な人はいます。変な人はいるけど、大体は困るんですよね。それが普通で、生きる人の知恵です。普通に生きてるとそうなるんですよ。
でも、時々そうは思わない人が出てくる。だから、変な人も大事なんだけど、その変な人を受け入れる人の方が自由だと思っています。お母さんがそうですね。お母さんは自分の息子だけど、そのおかしさを全面的に抱きしめる。
普通、おかしいって言っても結局排除されるか、直されちゃう。「お前、おかしいから普通にしなさい」と。でも、そのおかしさを育てるというのがすごいなと思います。それは他者とか異業のものを尊重するってことなんですよね。つまり、おかしくても存在意義がある。
これは結局、すべての人に存在意義があることにつながるんですけど、普通の人は存在意義があると認められている。でも、おかしな人とか、魚くんならいいけど、例えば身体障害者とか、知的障害者の人たちは見たくないと思うこともある。でも、それでも家族でも受け入れられない人もいる。
僕も色々調べました。障害がある子供が生まれると、受け入れられる家族と受け入れられない家族がいます。時間をかけて受け入れられるようになる家族もいます。特に父親は最初は受け入れないんですよ。でも、母親はすごいなと思います。お母さんは何でも受け入れるんですよね。
魚くんも牧野富太郎も色んな人が出てきますけど、その面白さとは別に、それを誰が受け入れたのかが重要なんです。牧野富太郎も変人だけど、奥さんが受け入れたんですよね。牧野富太郎は植物愛に没頭する変人ですが、それを受け入れるのは大変なことですよね。
でも、それを受け入れたからこそ、彼の生存が保証されたんです。だから、僕が書いた美方ククスとかも超天才だけど、あれ夫だったら困るよ。でも、受け入れた人がいたから、その生存が保証された。
でも、どうですかね。例えば、牧野さんとか魚くんとか、みんな著名になって仕事に繋がって成功しているけど、そこまでお母さんが考えていたか奥さんが考えていたかは分からないけど、魚くんになれなかった魚くんや、牧野富太郎失敗版みたいな人も絶対たくさんいたはずです。
結局、成功者の影には1000人の失敗者がいると思います。きっとそういう人たちのところにも、お母さんがいたんですよ。でも成功しなかったけど、いいんじゃない、それで。
これでも、親もすごいけど、1000人の失敗した人を見守ってた親がいて、その人たちが不幸だったかっていうと、そうでもない。そういう人たちは必要なんですよ、ということをよく考えますね。
セコさんの漫画「マダムたちのルームシェア」とか、信友直子監督の「ボケますから、よろしくお願いします」、早川知恵監督の「プラン75」など、老いと向き合った作品が多数言及されています。今、世界で最も高齢化の進む国と言われる日本で、高橋さんは何を感じていますか?
自分が年取ってきましたからね。今年で73歳です。もうやばいです。あと2年で後期高齢者です。やっぱり、身体的な衰えを感じます。確実に老いていくのがわかります。それに対して色々と体に気をつけています。
一つは、老いを新しい経験だと捉える感覚です。確かにそうですよね、経験したことないことですから、新鮮です。僕もそうですよ。ちょっと年を取ってきて体が辛くなってくると「こんなの今までなかった」と思うことがあります。
例えば、鶴見俊輔さんという哲学者の方が「限界芸術論」を書かれたんですが、90歳を過ぎて、「今日1日転ばないことを目標に生きよ」と書かれていました。「あ、そういうもんなのか」と思って、わかりました。
転びそうになるんです。僕、スクワットして足腰を鍛えているから平気だと思っていたら、筋肉じゃないんですね。バランスが悪くなっている。神経が悪くなっていて、神経は鍛えようがないから転ぶ。僕は筋力鍛えれば大丈夫だと思っていたけど、そうじゃなかったという新しい発見がありました。
そんな老いを新しい経験だと思って、余裕を持って受け入れることが大事なんです。実際、この国、これは日本だけじゃないと思いますが、68歳、70歳、72歳になると社会の窓が次々と閉まっていく。つまり、色々なことができなくなってくるんです。
例えば、家を借りようと思ってインターネットを引こうとしたら「72歳ですか、ではご家族と契約になります」と言われたんです。「70歳とインターネット契約ができないってどういうこと?」と聞いたら、「こういう決まりなので」と言われて、「おかしいでしょ」と思いました。これってちょっと差別的ですよね。
プラン75もそうですが、年寄りが不要だという考え方があるんですよね。これが寂しいです。今「シルバーデモクラシー」と言われて、年寄りが恵まれていると言われていますが、それは嘘だと思います。年を取ってみたら、社会の窓が閉じていく。シルバーデモクラシーという言い方で、年寄りが恵まれていると若い人に思わせようとしているんです。
でも実際には、全世代がそれぞれ抑圧を受けている。70代以上はこういう抑圧があるけど、20代30代も年金の支払いなど、みんなそれぞれ抑圧されているんです。だから、全世代が連帯しなきゃいけないと思うんです。分断が一番都合がいいから、それをやめるべきです。
僕は政治テーマとして、全世代が連帯すべきだと考えています。知らないかもしれませんが、70歳になったらインターネット引けないんですよ。72歳になったらローンもできないんです。なのに恵まれているなんて、ふざけているとしか思えません。
これは、土線(映画)とかでテーマになってもいい話ですよね。でもそれはなかなか声になりにくいんですよね。40代50代の時には知らなかったけど、68歳70歳72歳で新しい抑圧が出てくるんだな、と気づくんです。
社会ってさ、普通のことは知らせないようにしているんですよね。それぞれの世代とかジェンダーで、社会から抑圧されていることをお互いに調べ合って、連帯しなきゃだめです。
ジャニーズ問題と玉音放送について、高橋さんがテレビ局の幹部たちに「ジャニーズ問題を無視するのか」と質問した時のエピソードについて書かれています。昨年末にジャニーズの性加害問題が巨大なテーマになりましたが、この間、どう感じていましたか?
あそこにも書きましたけど、僕がちょうどBBCが放送した直後に番組審査員を辞めて、最後の番組で「これはダメだよ」と言ったんですが、沈黙がありました。その後、某テレビ局が漫画問題で騒ぎになって、それを良かったと思って続けました。
でも、やっぱりテレビ局は商業放送だから、視聴率が下がることが怖いんですよね。だから、視聴率が下がる可能性があることはなるべく避けたい。僕は怯えすぎだと思うんですけどね。もうそんなに怖がらなくても、普通の常識でやればいいのに、忖度している。忖度しない方が視聴者の指示を得るんじゃないかと思いますが、なかなかそうはならないんですよね。
今と昔を比較して、昔の方が保守的だったかというと、そんなことはなく、テレビ全体は進化している。ただ、メディアが動画サイトやSNSに壊れていく時にどうするかを同時に考えなきゃいけなくなっているので、やることも多いんです。
だから、僕も言ったんですが、面白い動画サイトの番組はテレビより面白いですよ。テレビのバラエティなんてやめたらいいと思います。個人で作っているものでも、ものすごくよくできた動画番組があるんです。それを見たら、テレビはお金も人もあるんだから、もっとできることがあるはずなんですよね。
Netflixのドラマなんかも面白いですよ。コンテンツの中身も含めて、やれることがあるのにやっていない。同じようなラブコメばかり作って、誰が見るんだろうって思います。
江戸川乱歩の「芋虫」を現代では取り上げることがかなり難しいということについて書かれていますが、以前、マルキ・ド・サドの作品を絶賛されていた話もあります。今の時代の言論の空気感についてどう感じていますか?
メディア、テレビ、ラジオだけじゃなくて、小説も含めて、僕がデビューした頃に比べると、だいぶ書きにくくなっています。例えば「ピエロ」って言えないじゃないですか。今では「ピエロレフ」って言われることがありますが、検索しても出てこない。
一番怖いのはこれですよね。こういう名詞ごと削除されること。ポリティカル・コレクトネスで、こういう言葉を使いなさいというのは一つの考え方としてあるかもしれませんが、元々あった言葉が使えないというのは、歴史の捏造じゃないですか。
今、「ジプシー」って言葉も使えないんです。「ロマ」とか言いますが、これは歴史の捏造であり、存在させないという方向に進んでいるんです。例えば、ゴダールの「気狂いピエロ」も、僕はそれを見ましたからね。でも、「ピエロレフ」って言われてもわからない。
ポリティカル・コレクトネスについては、理解できるところもありますが、理解できないところも多いです。多分、それを推進している人も、やっていて変だと思っているんじゃないかと思います。定義や限度が確定していないのが問題で、空気みたいなものだから。
ポリティカル・コレクトネスの一つの問題点は、日本が元々空気社会だから、空気で決めるというのはやばい。ポリティカル・コレクトネスが空気で決められるようになっているのが、日本の事情なんですよ。
上辺だけの議論が多く、社会的な不正義の問題は見ないで、言葉だけで物事を判断する。ポリティカル・コレクトネスは、社会的な問題を言葉だけで覆い隠そうとしているだけです。
その辺が、日本という国は忖度する社会だから、空気を読めということがずっと言われてきて、変わらなかった。変わるかと思ったら、ずっと空気を読んでいる。片方では多様性を唱えているけど、それは言っているだけで、実際には何も変わっていない。
大杉栄についても言及が複数見られます。思想、生き方、性格、私には高橋さんと似ている印象を受けましたが、大杉栄をどのように見ていますか?
大杉栄は、日本でも代表するアナキストですが、やっぱり感じがいいですね。友達になりたいなと思う。問題はいっぱいありますが、女癖が悪いとか、迷惑な部分も多いけど、その一方で愛すべき点がある。だから、あの人は人たらしなんです。
例えば、子育てをしていたんです。普通、政治的な人は政治活動はするけど、家のことは見ない。でも、大杉栄は、伊東のと結婚して子供が生まれたら、赤ん坊の選択をしたり、オムツを変えたりしていた。嫌じゃなくて、それが好きだったんです。
彼の中では、夫婦や男女の形は形式じゃなくて、対等であって、子供だから自分が Permalink | 記事への反応(1) | 08:25
マントラ「オンシュダシュダ(オン・シュダ・シュダとも)」について調べました。このマントラ(真言)は弘法大師の師匠の師匠である善無畏三蔵法師が唱えたマントラとされているようです
>「空海(弘法大師)の師匠の師匠に当る、古代インドの摩伽陀国の国王であり僧、日本渡来説を持つ「善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)」が作ったマントラ。
>あらゆるネガティビティをリセットする言葉。心の浄化、悪い出来事のリセット、心身のストレス、場の浄化などに強力な効果あり。」
このマントラは邪気が払われる最強のマントラとして近年広まっているようなのですが、出典はわからないようです
>恐らく私がさっと調べた感じでは「オンシュダシュダ」という真言は経典にはなさそうでした。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11294949481
Xを検索したところ2013年にはスピリチュアル系アカウントによって紹介されています
2014年にも紹介している気功教室のブログが確認できます。いずれも同一人物が関わっているようです
https://sumaho-kikou.com/?p=332
https://web.archive.org/web/20140118233548/http://kikou.info/page/cat2/cat1/528.php
Webではなく気功教室といったオフラインのネットワークを通じて広まっている場合、Webでこれ以上の情報を得るのは難しいかもしれません
参考になりましたか?
製造装置については、半導体は工程が多いので生き残っているが、問題は多くの人が欲しいと思うようなチップ設計が出来ない状態になっている。
ネットに何でもある時代というが、半導体設計に関してはネットにないことが多い。
ブロック図のような概略は多く、検索するとそればかりで実際に設計するための情報は出てこない。
検索ワードを知れば中国語かインド訛の英語の動画は出てくるかもしれない。
書籍はない。
教育にしても、現職でも衰退時期にいた人しかいないため、カリキュラムが作れない。
普通の分野だと教科書があるだろうが、教科書がない。(半導体デバイスの教科書はある。だから材料系は保っている)
OSレイヤーも作っている人が居ないので、どういう半導体を設計すればいいか判断ができない。
あれもこれもと注力すると結局性能が出ない
団体も解散しているので、兎にも角にも俯瞰出来るような人も、情報もない。
プロジェクトの成功には、人・金・物が必要で、そこからブレイクダウンしたときに、どういうスキル・物が必要かが可視化されない。
1,2位を競っている企業が国内にあるとか、尖った技術をトライアルしているスタートアップがあるなら、賃金を高くすれば人が来るだろうが、
そもそも人が居ない。
それらしいキーワードで検索しても全然ひっかからねえし、コピペ説のほうがあやしいだろ
このトラバ主とこれを安易に信じたはてなーは、千と千尋の神隠しのラストで隠されたエンディングがあったはず!!とか言ってそう。
40代男性。買い置きのコンドームが無くなったのでアマゾンで注文した。
ここ数年、コンドームは必ずアマゾンで購入している。ふと気になって購入履歴を検索した。
初めてコンドームを購入したのは2020年10月27日で、それから今日までに393個のコンドームを購入したらしい。
最近買っていなかったが、サガミオリジナルを買う時はLサイズを買っている。別にチンコがデカいわけではなくポリウレタン製で伸びが悪いからなのだが、
巨根になった気がして気分が良い。使用感は特別良くもなくて買うのをやめた。
雑に単純計算すると、1384日間で393回≒約3.5日で1回の頻度でいたしていることになるらしい。日に数回したとか、生でやったとか、破れたとかはあるけど。
家にひとり残された増田は一人でいることを利用してダラダラと過ごしていたんだけど、ふとYouTubeでカレーの動画が目に入ったんだ。
それは大食い系のYouTuberが特大大盛りカレーを食べるという企画の動画で、大食いだけど結構旨そうに喰うんだよ。
それで完全にカレーの口になってしまって、カレー喰いてぇ…てなった。
でも妻は出掛けてるし…どうしようか。
と、ここで「そうだ、作ってみるか」と思い立ったわけだ。増田は普段家事力ゼロで料理なんて全然したことがないから、そんなこと思うこと自体稀で、でも暇だったしたまにはいいかなと。
軽い気持ちでネットでレシピを検索。意外と簡単そうじゃん。台所を見てみると玉ねぎがあった。あとにんじんも。続けて冷蔵庫を開けると豚肉もある。小間切れって書いてあるやつで、まだ未開封。それにバーモントカレーを発見!!
材料あるなら楽勝でしょ。そう思って、既に勝った心地でスマホ片手に料理を始めてみた。
まず玉ねぎの皮を向いてカット。流石に料理番組みたいにタンタンタンとスムーズに切れはしないけど、手を切らないように慎重にカットはできた。あと予想外に涙も出なかった。俺は料理に向いているのかもしれない。
そのあとにんじんを洗って、これは粗めに切って、それから再度レシピを確認。玉ねぎを飴色になるまで炒めろとある。
ふむ。
サラダ油を敷いて、弱火でじっくり炒めることにした。時間は…二十分!?
いやいや長過ぎんだろ…と思いながらも妥協はしたくない。仕方がないので弱火でじっくり炒め、その間退屈なのでYouTube観ながら炒めてたら焦げた!!
でもちょっとなのでセーフだよね。続けてにんじん、豚肉を加えて炒めてたら箱にかいてある分量の水を加える。これは500mlのタンブラーがあったので無事にクリア。それから少し煮る。
沸騰してきたら一旦火を止めてカレールウを投入。じっくりことこと煮込んでいけば…カレーの完成だ!
なんだ、カレーって簡単じゃんというのが第一印象。試しに味見してみると、悪くない。
どうせならとご飯も炊こうとお米を研いで…ってうち無洗米だったんだよ袋を見て初めて知ったけど。お米の計量カップあったから、それで何度か掬って、あとは水の量をググって入れて…あとは炊飯器のボタンを押すだけ!
そんな感じでカレー作って米炊いて、あとはそわそわしながらネットやって時間を潰した。
夕方になると妻と子供が帰ってきて、台所見てビックリしてた。俺は内心笑いながらも冷静を装って「ん?どうかした?」って聞いたら「これ、あなたが作ったの!?」だって。あまりに驚いてるからおかしくって、思わず吹き出した。
そのあと三人で晩御飯。息子は「おとーさん、これおいしーよ!」って言って、俺はもう得意顔よ。
そうかそうかお父さんはカレーのプロだからなって言えば妻も吹き出して「なにそれ」って笑い出した。
皆で食べ終わったあと、子供が席を離れてから妻が「美味しかったよ」と言ってくれたのが正直一番嬉しかったかもしれない。
https://anond.hatelabo.jp/20240719084351
https://anond.hatelabo.jp/20240716170137
弱者男性だからこそ分かるけど明らかに右翼じゃなくて元リベラルが多いと思うけどね
それは多分あなたが偏ってるのと検索したものと見たいものしか出てこない狭いインターネットに居る影響だと思うのでネットやめて新聞とワイドショーを観よう。
まじめに。じゃないとそのうちなにかグループおじとか余命おじに騙されることになる
それはスタンミさんに着いていってる「Ran」のことだ。
いわゆる目立ちたがり屋かつクソ面倒くさいメンヘラで、VRChatでは中々の要注意人物として扱われている。
ToNというゲーム界隈の人間からは本当にもう触れたくもないし名前も見たくないぐらいの人間である。
手柄などを自分のものにしたがるし自分が目立ちたがるし少しでも気に入らない事があればそのコミュニティごと爆破させたりして病みツイートをする。
トコロバさんやスタンミさんが有名になるのは全然良いんだが、この「Ran」という人間が表舞台に立つのは非常に危ない。
この人間がいつ爆発するのか、その時スタンミさんやトコロバさんにどんな影響があるのかが分からない。
それがとても怖い。
キーボードを乗せる横棒と穴の向きが垂直になるよう配置すること
この方法の優れたところは
などが挙げられる
欠点としては
キーボードがないと他に使い道が少ないこと
専門器具なのでまぁまぁ高いことが挙げられる
試せる環境にある人は試してみてほしい
また他に良い方法知ってる人がいたら教えてください
21世紀型スキルは、現代の急速な技術革新、グローバル化、情報化社会において、個人が効果的に機能し、成功するために必要なスキルセットです。
これらのスキルは、教育学、心理学、経済学などの分野で研究されており、以下のように分類されます。
これらのスキルは、OECDの「未来の教育とスキル」プロジェクトやユネスコの「持続可能な開発のための教育」においても強調されています。
21世紀型スキルは、単なる知識の習得を超え、実践的な応用力や社会貢献を可能にする能力として、教育改革や企業の人材育成において重要視されています。
なんだろうな・・・世界観の作り込みやゲームとしての面白さという部分において、本当に可愛そうになるぐらいレベルが違うんですよねこの両者。
素人が作ったフリーゲームをわざわざ下げるのもどうかとは思うんですけど、それに影響されてか「「Papers, Please」を褒めたら「奇天烈相談ダイヤル」を褒めなきゃいけないみたいな圧が薄っすら世界に蔓延してるじゃないですか。
それに負けないで、「Papers, Please」だけを褒める人のことが私凄い好きなんですよ。
「奇天烈相談ダイヤル」が独自の世界観を作り出すために工夫したのは分かるんですけど、やっぱり元のゲームと比べると明らかに作りが悪いんですよね。
「Papers, Please」の良さって理不尽なミスの理不尽さそのものが世界観に組み込まれている所にあると思っていまして、あのゲームはアレやコレやとルールを押し付けてくる上に、それが意味不明に変化するし全然納得できないしでイライラする所に、官僚主義・共産主義・独裁政権といったものへの批判が込められていてイライラそのものがある種の快感になるように作られている。
一方で「奇天烈相談ダイヤル」のイライラって完全一致検索しか出来ない所だったり、形式的なコミュニケーションを必須とする所だったり、早解きすることを批判するような作りだったりの、ただただ事務的で鬱陶しくてそれでいてそこに何かの皮肉や世界観が込めらているでもない「面倒くさいだけの作業を強制される不快さ」だけしか残らなくなってる所が本当にアカンなと。
元となったゲームをただの間違い探しぐらいにしか見えてなくて、その奥にある「一挙手一投足から滲み出る世界観」を感じ取れない人が上辺だけを面白がって真似たんだろうなという失望や絶望があるじゃないですか。
そういったことをいちいち批判しろとは言わないんですけど、そういった難点を抱えてるゲームを同調圧力に負けて褒めてしまうことが、結果として「Papers, Please」の地位をそれと同じレベルにまで貶めてしまうのは回避して欲しいんですよね。
知ってか知らずかそれが出来ている人を見ると、すごく好印象なんですよ。
珈琲の話題で自家焙煎やってるブクマカが意外と多くて親近感を持ったよ
全体として珈琲を飲みたいだけならあまりお勧めしないよ。手間があってもとにかく安く飲みたい人と準備や焙煎そのものに楽しさを見出せる人には超おすすめだよ
家のコンロはIH?その場合はカセットコンロが必要になるよ。災害備蓄としても役に立つから1個あるとよいよ
生豆 … インターネットの生豆扱ってる珈琲専門店で買うといいよ。amazonでも売ってるけど当たり外れが激しいから避けた方が無難だよ
炒り網 … まずは専門のじゃなくていいよ。銀杏やゴマ用のがあれば買う必要ないよ。雪平鍋なんかでも大丈夫だけどテフロン加工タイプだとテフロンはげるよ。鍋で焙煎は一時期ダイソーの片手鍋で焙煎がちょっと話題になってたよ
ドリッパーやミルなどその他抽出用品はある前提で書いてるよ。なければ入門用はダイソーのでいいと思うよ
扇風機、サーキュレーター、ブロワーなどの送風アイテム … 煎った豆を冷ますのに使うよ。うちわでもいいけど面倒だよ
庭や火気利用可能な広いスペース … 台所でやるのが基本だけど後述のチャフが飛ぶから周りに物が少ない方が後で楽だよ
自家焙煎の最大の面倒さはチャフ(煎ることで生豆の薄皮が剥がれて飛ぶ)の処理だよ
掃除機やほうきチリトリの準備もあったほうがいいしコンロ回りは片付けてた方が後で楽だよ
まずは焙煎がそんな難しいことではないと知るために何度かやるといいよ
まずは豆を固定して焙煎をおぼえて、それから他の豆でも同じように好みの焙煎を見つけられるようにするといいよ
前回の焙煎具合と味の好みを覚えておいて、より浅煎りにするか深煎りにするかなど探っていくのが楽しいよ
不良豆の選別や焙煎後の焙煎不良の選別もやると味が一つ上のレベルに行けるよ
不良豆の種類や見分け方は 「欠点豆 珈琲」で検索するとたくさん出てくるよ。そう、正しくは欠点豆なんだけどなんか不良豆って書いちゃうよ
不良豆はどこで買っても必ず一定数は混じるものだよ、でも体感的にちゃんとしたお店の豆はちゃんとした生産者から買っててちゃんとした生産者はある程度ちゃんとした選別をしているので不良豆率は安いだけの豆よりは少ない…と思っているよ
生豆を焙煎することの最大のメリットは安いことだと思ってるよ。でもそのためにはある程度の量(1Kg以上とか)で買わないとあんまりお得感ないよ、慣れて好みの豆が決まったら量を買うのをおススメするよ
チャフがどうしてもやだというならプレウォッシュドという洗ってからの焙煎を試してみるのもいいよ。汚れがどうのという記事が多いけど基本チャフとして剥がれる薄皮がはがれているだけだからその点は気にする必要ないよ。一番のメリットは薄皮がはがれることでチャフの量が大幅に減ることだよ。でもデメリットも多くて自家焙煎レベルの量と火力だと水気を吸った豆の均一な焙煎が難しくなって焙煎ムラが起きやすくなるよ。そこらへんは何処に面倒くささを感じているかとの相談だよ
そこを書いたら戦争になるので各人の好みでやってね