はてなキーワード: 感情労働とは
自分はセックスワーク擁護派だけど、「セックスワーク差別は無知からやってくる」(https://anond.hatelabo.jp/20210714185723)を書いた元増田のロジックはだいぶマズいというか突っ込まれどころが多いので、もう少し理論武装してください。通常の賃労働とは違うセックスワーク固有の困難というのは確かにあって、セックスワーク当事者たちも、そのことはきちんと問題化しているので。
そもそもセックスワークというのはワーカーの安全確保がとても難しい。行為の性質的に、どうしても個別性・私秘性が求められ、たいていは誰からも見られない場所、多くの場合は密室で、1対1で行うということになる。特に非店舗型風俗では完全にアウェイな相手の自室に1人で入っていくことになるので非常にリスクが高い。男性相手の女性セックスワーカーの場合、フィジカルに圧倒的な差がある。事前のルールで決められた以上の行為を強要する顧客もいる。自室にカメラを仕込んで盗撮を仕掛ける顧客もいる。そういった「意図的な悪意のリスク」に一定確率でさらされるというのは、建設現場など通常の肉体労働では起こらないセックスワーク特有のリスクだ。
健康問題についても、「内臓を売ってるってことなら、サラリーマンは眼球を売ってるでしょ」みたいな悪質な比喩は問題を誤魔化してしまう。臓器を売り渡しているわけではないが、臓器(内性器や口腔)を使わせる自由は売っていて、このことには普通の「ワーク」にはないリスクが伴う。特に女性器への挿入を伴うセックスワークは、眼球で何かを見ることとは比較にならない健康上のリスクがある。慢性的侵襲、性感染症、意図せぬ妊娠など、就労を一時中断したり、離職を決断しなければならなくなったり、将来的な妊孕性を損ねてしまうといったケースも普通にある。またワークを通して何かあったときの労災的環境も全く確保されていない。その点、何度も比喩に使われている建設業は、労災や労働環境保全は過去の事故の反省もあって、非常にしっかりしている(たぶん平均的なサラリーマンの職場よりちゃんとしてる)。そういうところも大きな差がある。
セックスワークが売るものは、性行為とその行為に伴うさまざまなファンタジーだ。このファンタジーには「その行為が単なる金銭目当てのサービスであってほしくない、金銭の対価として自分に提供される商行為であってほしくない」という利用者の幻想も含まれることが多い。お金のためにやっているのに、「お金のためだけにやっているわけではない」ようなフリをすることが求められたり好まれたりするという倒錯的な構造がある。たとえば、実際は気持ちよくないのに気持ちよがって見せる、相手に好意を持っているように見せる、セックスが好きだから自分の天職だと演じる、など。別のペルソナを身に付け、本当はそうではないのにそうであるように振る舞うのは感情労働の一種で、このことはワーク当事者にとってストレスになることが多い。多くのサービス業には感情労働的な性質があるが、その「程度」は全然違う。身体への性的アクセスを許して、そのことに快感を感じているように演じて、相手にはビジネス以上の繋がりを感じているように振る舞うということを1日に何回も繰り返すのが、本人の精神的健康にどう影響するか想像してみてほしい。
セックスワークは長く生業とするのが難しい。特に日本の男性向けセックスワーク業界では「プロ」へのニーズが低い。これはさっきの「その行為が単なる金銭目当てのサービスであってほしくない、金銭の対価として自分に提供される商行為であってほしくない」という幻想とも密接につながっている。セックスワーク業界は、セックスワークに関する技術を徹底的に磨いたベテランのプロフェッショナルほどサービスの付加価値が高まる、という構造になっていない。むしろ技術が拙いことが「素人っぽさ」「初々しさ」として評価されることもある。風俗店でもAVでも「新人」には高い価値がつけられる。普通の賃労働では技術の拙さが評価につながることはないが、セックスワークではプロでありすぎないことが求められる。経験を積むことはさほどプラス評価にならない(時にマイナス評価になる)のに、年齢が上がることはマイナス評価に直結していく。技術より容姿・年齢がワーカーの付加価値を左右するから、素人の女子高生・女子大生がセックスワークの分野で高い付加価値を持ってしまうし、加齢を経てセックスワークに携わり続けることが難しくなっている。メディアの発達によって、その気になればいつでも誰でも性行為を売れるようになったことで(援助交際からパパ活SNSまで)、ますますプロの付加価値は下がっている。
これは私見だけど、この構造があるので、元増田の言う「合法化したほうが業界団体ができたり、まともな資本が入ってきたりして安全面含めたセックスワーカーの労働環境がどんどん良くなっていくと思う」については自分はあまり肯定できない。管理されていてセキュリティを確保されているプロは、管理されていないリスキーなアマチュアに売り負ける。今後セックスワークはどんどんネット経由で地下に潜っていく。それを防ぐには、管理売春の合法化と同時に、非管理売春の厳格犯罪化と取締りを行うことになる。普通の「ワーク」にはこんなことは起こらない。このこと自体がセックスワークの特殊性をよく表している。
こういうセックスワークをめぐる構造的問題、特殊性もちゃんとわかった上で、それでもセックスワーカーの権利獲得とセキュリティ向上のために活動しているアクティビストには頭が下がる。そこでしか働けない人、そこでしか働きたくない人がいる以上、そういう人達がより安全に快適に働ける環境作りをしていくという意味では労働運動の正道だし、圧倒的に女性就労者が多い現場で固有の問題を考えていくという意味ではフェミニズムの本道でもある。自分としては精一杯支援したい。
元増田がセックスワークの擁護をしたいなら、こういうセックスワーク当事者や支援者が認識している論点を無視したり、「ワーク」全般とセックスワークを脇の甘い比喩でまぜこぜにしたりして、本人達の意に沿わない正当化をしないほうがいいと思う。あの書き方だと、逆に「無知だけどセックスワーク擁護してる人」になりかねない。
みなさんコメントありがとうございます。自分的に重要な指摘だと思ったことにコメント返します。
id:allezvous 「それを防ぐには、管理売春の合法化と同時に、非管理売春の厳格犯罪化と取締りを行うことになる。普通の「ワーク」にはこんなことは起こらない」法律行為代理や医療行為を筆頭にした資格制の業務でよくあるような
医行為との対比は一度書きかけてやめたのですが、コメントいただいたので少し書いてみます。医行為や法律行為代理が免許制資格になっている理由は、提供するサービスの質を保ち、その利用者を保護するためだと思いますが、上記の理由でセックスワークを許認可制とする場合、その制度設計はワーカー側の身体と健康と安全を利用者から保護することが主眼となり(そのことは利用者を守ることにも繋がると思いますが)、目的と方向が真逆になっています。
セックスワークの特殊性のひとつに「ワーカーの身体による利用者へのサービス」ではなく「ワーカーの身体への、利用者の一時的アクセス権」自体を売るという側面と、それに伴う固有の脆弱性(vulnerability)があります。他の一般的な「ワーク」で、こうした受動的・対象的・客体的な要素を持つ賃労働、「利用者から自分が何かをされるのを受け入れること」自体をサービスとする賃労働を、私は他に知りません(あえて言うなら猫カフェの猫はそうかもしれません)。この構造は、セックスワークが普通の「ワーク」になることを難しくしている、ひとつのアポリアだと思います。
id:aquatofana さん、id:m7g6sさん、id:pekee-nuee-nueeさん、id:yetchさんが、「受動的・対象的な要素を持つ賃労働」の例として、医療・製薬業界の治験バイトを挙げてくださいました。確かに身体そのものの一時的供出、それに伴う健康的・身体的リスクの受忍という点で、似通った部分があります。一方で治験というのは、旧厚生省治験検討会の方針もあって、一貫して労働ではなく善意のボランティアという体裁になっており、支払われるお金も治験協力への直接の報酬ではなく「被験者負担軽減費」(治験参加に伴う物心両面の種々の負担を勘案した、社会的常識の範囲内における費用の支払いによる被験者の負担の軽減のための費用)という名目になっています。報酬金額が制限されていること、終了後に4ヶ月の休薬期間が設けられていることも含めて、「ワーク」にならないような工夫が凝らされています(とはいえ、実際は色々な抜け道を駆使して治験ボランティアの収入だけで暮らすことも不可能ではないようですが)。
国や業界がなぜ治験を純然たる「ワーク」にしなかったのか、してはいけないのか、というのは、セックスワークの「ワークとして成立することの困難」を考えるうえで、ひとつの手がかりになるかもしれません。治験については、おそらく行政にも医療従事者にも『①個人が自己の身体を一時的に相手に使用させ、②相手の〈自己身体の使用〉に伴う身体的・健康的リスクを引き受けること、それ自体を商行為にしてはいけない』という感覚が強くあるのだと思います。
このうち①は、みなさんご指摘のように、多くのセックスワークの業態に含まれている要素です。②は、本来セックスワークの現場からは排除されているべきですが、現実には看過できない頻度で発生している要素です。しかも実際にリスク事象が起こったときには、その責はワーカー自身に帰されがちです。たとえば、ワーカーが性感染症に感染したり、意図せぬ妊娠をしたとして、世の中で利用者・管理監督者・ワーカーのうち誰を責める言説が多いかといえば、圧倒的に「風俗で働いてるワーカーの自業自得」という声だと思います(そしてそのことは、仮に売春周旋行為が合法化されても変わることはないのではないかと思います)。これは、多くの人が「セックスに直接関わる行為には、どれだけ運用を工夫しても一定の身体的・健康的リスクが伴う」と理解していることの現れだとも言えます。
セックスワークには「利用者がやってよい行為」と「やってはいけない行為」の距離が極めて近いという特徴もあります。性的に興奮している利用者は、意図して、あるいは意図せずに、その「やってよい行為」と「やってはいけない行為」を隔てている薄皮を破るかもしれません。いわゆる本番行為がある性風俗店や派遣型風俗では、その〈薄皮〉は0.02mm厚のコンドームだけかもしれません。あるいは、キス禁止にもかかわらず、抱きついているワーカーの顔をつかんでキスを迫ること。本番禁止にもかかわらず、素股というサービスを受けているときにワーカーの腰を掴んで挿入を試みること。おっパブで働くワーカーの乳首を舐めるのではなく、噛むこと。「自己身体そのもののへの直接のアクセスを利用者に許可している」という脆弱な状態にあるので、利用者が予め設定したラインを欲求や興奮とともにほんの少し踏み越えただけで、ワーカーの健康リスクに直結するという構造があります。
建設業では現場の建設従事者に健康診断結果の提出を義務付け、毎朝朝礼を行い、現場パトロールを実施し、ヘルメット・安全帯・安全靴・長袖服の着用を義務づけるなどして、そのワークに伴うリスクを可能な限り抑制します。風俗業界では、店員やドライバー男性による様々な処罰(いわゆる「業界流儀」)によって、そのワークにともなうリスクを可能な限り抑制します。この両者は、似ているようで違います。建設業では、ワークの現場を監視し、ワーカー自身を防護し、事故リスクを減少させ、事故時のダメージを最小化しています。風俗業では、ワーカー自身を利用者から防護することはできません(一時的に身体へのアクセス権を利用者に提供すること=ワーカーの身体を利用者から防護しないこと自体が、サービスに含まれているからです)。管理者がワークの現場を監視し、利用者が「やってはいけない行為」に及ぶ瞬間に介入して中断させることもできません(処罰の担当者は、実際の行為が行われている空間の外にいるからです)。
中規模以上の建設現場では、しばしばゼロ災の継続日数が掲示されていますが、店舗型風俗では、しばしば出禁・罰金などの制裁行為を受けた利用者たちの顔写真が掲示されています(代表的な「業界流儀」です)。これは、後者では、たとえ事後の処罰があっても禁止行為に及んでしまう利用者が一定数いること、そしてその行為の被害を受けたワーカーも同数いることを表しています。セックスワークの現場でワーカーがさらされる健康的・身体的リスクの抑制が「事後制裁」という形式でしか行えず、それが現実に抑制力として100%機能しているわけではないことは、セックスワーカーの安全衛生の確保、そしてそれが大前提になるはずのセックスワークの「普通のワーク」化を困難にしている、重要な要因だと思っています。
その結果がこれなんですけど
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https://anond.hatelabo.jp/20200304103252
引きこもり男性のような、あからさまに態度がヤバくて入り口で拒否されるパターンではなく、
数か月した頃に「こいつ、うまく言えないけど、なんかイラつくな…」みたいになるから言語化・可視化しづらく厄介というか。
こういう子は、最初はみんな愛想よくしてくれたのに、数か月するとみんな冷たくなるという経験を何度も味わっている。
そのせいで、子供を欲しがるんだよね。子供は母親から逃げていかないから。
同世代からするとイラッとくるような人でも、子供はママしか頼れないし、ママ、ママとなつく。
女性の弱者は初対面で好意的に接してもらえた成功体験があるのか、男性よりも孤独への耐性がなくて我慢できないのか、
人懐っこい態度や、縋りつくような態度をとることが多い。(媚びや縋りつきと同時に不快な言動もある…)
モラルがある男女からは「居心地悪そうな苦笑い」と「そっと距離置き」、
モラルない女性からは「イジメ」、モラルない男性からは「ヤリ捨て」「孕ませ捨て」をされる。
そして「悲しい」という気持ちでいっぱいになってしまって、食べ物・アイドルやアニメなどの力で悲しみを乗り越えて……
……同じことを繰り返す。
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https://anond.hatelabo.jp/20210626195942
専門卒で薄給で田舎育ちで親はテレビしか見ない、語れるキャリアのない自分とは、全然ちがう人たちなんだな・・・。
ツイートだけなら高級化粧品もたまの贅沢なのかな、なんて自分に置き換えて見ていられたけどあれが日常な人たちなんだよなー。スペースは声のおしゃべりだから、その辺のリアリティが段違い。色んな本から引用する知的だけど面白くて、ちゃんと誰に聞かれても困らないわきまえた会話ができる時点で頭の良い人たちだなと思った。
実は少し前、ちょっとでも近づきたくてブログを始めたけど、書けることが全然なかった。匿名のこういう愚痴ならいくらでも書けることに今絶望してる。彼女たちにとって私はこれからもずっと、フォローする価値のない視界に入らないアカウントなんだよなぁ。
↑ 上記はすごいと思った要素をかき集めたイマジナリーキラキラ(創作)だと思うが、
『どんな相手となら傷付かずに付き合えるの?』を年がら年中ネットに巻き散らかしがち。
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https://anond.hatelabo.jp/20210627002506
私は感想が欲しい。
一生懸命書いたホモより増田で書き散らかした適当な文章のほうがよっぽどリアクションが貰えるの、はっきり言って虚無になる。
でも感想は貰えない。マシュマロとかほぼこない。RT後のツイートで感想上げてくれてる人を必死で探してスクショして保存して回っている。
それでも全然足りない。
彼らはなんとかエロイプに持ち込もうと私をあの手この手でおだててくる。
当然、「わたし、小説書くのが趣味なんだよね。」と言うと、「読みたい!」と返ってくるわけだ。
いろんなジャンルを渡り歩いてきたので、だいたい一つぐらいは彼らが知っている作品の二次創作を書いている。
↑ 手間が掛かるし感情労働だしネタだと思うだろ?けどたとえ元増田が創作でもリアルでこういうのいるんだな
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まぁそれでも "求めよさらば与えられん" だけどな
構ってもらえないよりは感情労働の方が楽って病気じゃなかったらなんなんだ?
関連増田:クラスに1人はいたカースト外ぼっち女がその後どう生きるか (anond:20200327070213)
関連増田:風俗も結婚もセーフティーネットじゃないよね(anond:20200304103252)
障害者だろうが健常者だろうが、通常業務から外れる範囲でかつかなり時間的な負担の大きい業務を30分前に依頼するのは非常識でしょ
障害者は感謝するべきとは言わないが、末端の駅員を批判して無用な感情労働を強いていいとも思えん
バリアフリーのために努力しなければならないのは「障害者」でも「労働者」でも勿論「利用者」でもなく、「事業者」です
事業者の努力が足りないために利用者が不便を被ることになるならそれは十分批判の対象になるという話です
もちろんたかだか1駅数千万程度の出費だけで「運賃2倍w」などという経営努力の欠如が生じるのであればそれは当然批判されて然るべきですね
そりゃまあ建前としてはそうだろうけどさ、事業者が努力すればノーコストで完全なバリアフリーが実現すると思うんだったら具体的な改善案を出してほしいわ
1+1=80じゃないんだからさ、いくら頑張っても出来ることと出来ないことがあるの
まあ今回は該当地域では既に計画が進んでいたわけで、たまたま利用者の不利益にはならんかったわけだけども、日本中の全駅のバリアフリー化を目指すなら何らか利用者に不便を強いることは考慮して然るべき事柄だろ
要介護者なんだといわれたらそうなのかもしれないけどそうするとヘルパー的な女性が訪問しておしゃべりする介護とかを想定するのか?
介護ってのは実際は賃金以上のサービスを要求されてる面もあると思うけど、建前としては身の回りの介助をするだけで、感情労働を求められているわけではない(だから人権侵害ではない)と思う。
でも、「女性とコミュニケーションしたい、優しくされて寂しさを満たされたい、満たされない恋愛の欲望に代わる擬似恋愛を得たい」ってのはどストレートに性別を限定した感情労働で、さすがにそれを公助として、金銭を対価に誰かの感情を要求するのはなんかさすがに超えてはいけない一線じゃないかって気がする。
とはいえ、老人ホームに中学生をボランティアとして派遣して交流させるとか、児童保護施設で親のように愛情を注ぐとかの感情労働は許容されてる気もするので、やっぱり恋愛とか男女の性愛の自由意志みたいなものだけに関してはお上が強要することに抵抗があるのかもしれん。なぜならば求められているものが女性であることという性別に関わるもので性差別に容易に結びつくからかな。
これが、「老若男女とわず誰かに優しくされたいので派遣してください」ならわりと通りそうな気がするが、「好ましく自分が求めるような女性でよろしく」とすると一気にアウトな気がする
はてなの増田含めて発達障害をたくさん見てきた仮説なんだけど、かつては大体の人間って「勉強しなくて良いけど、衣食住のことがきちんとできて他人のケアができるようになれ。愛想よく人から嫌われるようなことをするな。変なプライドは持たず置かれた場所で謙虚に生きろ」って育てられてきたわけよね。
結局さ、これができるとホームレスになったり糖質にはならんのよ。
貧困になっても支援施設とかで平和に暮らせるし、いわゆる感情労働とかケアワークの働き口はいくらでもあるし、困窮しても助けてもらえる。
(ていうか、女は体さえ売れるからっていうけど、それができない女は体売るのもなかなか難しくなってくる。風俗も一種のケアワークだから。)
でも今は差別だってんで、そういう育て方はしないよね。だからこれからは人生踏み外した発達障害児のホームレスも増えるし、自殺者も増えるよ、たぶん。
思いつく限り。
そもそも結婚・出産しないかもしれない人もそのうち辞めるものだと思われてキャリアを積めなかったのがひとつ目の問題。
もうひとつは、正社員キャリアが一度途切れた後に、もう一度正社員キャリアに戻れないということ。これは今も変わってなくて、産んでからどうやって産む前と同等の地位に戻れるか、みたいなとこを闘ってる(戻れない場合を「マミートラックにのる」などという)。もし離職してたら、低賃金の非正規職しか得られない。
一方で、男性は「誰でも正社員キャリアが途切れ得る」という状態ではなかった。育児も介護も妻がやる前提だったから。一方で、育児や介護をしながらパートタイムで働く、という選択肢は今はあまりない。介護離職した人のセカンドキャリアとかね。
男女平等は正社員の中途採用の門戸を職歴にブランクのある人(たぶん主に女性)にも解放するということでもある。何が「正社員は大変だなー」だよ。現場で非正規薄給のままマネジメントまでさせられてるなんてよくある話じゃん。ワープアなめんな。
あとは、介護職とか保育職とか伝統的に従事者に女性が多い職種の賃金が抑えられている、というところがなんとかなればねー。それだけで賃金格差は結構マシになるんじゃないの。肉体労働で感情労働でしかも人の命を預かるっつーすごい大事な仕事なのになんであんなに安いのか。
卒後数年経った。ようやく仕事に慣れて外来もこなしている。最初の数年に比べて最近2年ほど、患者への姿勢が変化してきたと自覚している。
ここ2年程での変化は、親身さ・親切さがすり減ってきたといえる。
正直言って、患者さんたちとの接し方を変えないと自分がもたないなと思う気持ちがあり、結果親身さが減ったのだと思う。
親身になって接しても、心ない言葉をかけられることも少なくない。それは必ずしも患者さんが悪いわけではなく、「親身」の表現が結果的に患者さんの満足度を下げる方に働いてしまったりするなど、まぁ技術的な未熟さによるものもそれなりにあると思う。それも勉強である。
でもやっぱり、客観的にみてひどいことを言われたりすることはあるし、砂に水をやるようなコミュニケーションに疲れた、すり減ったところもある。医師は患者を選べないとはそういうことだ。
ある部分では医師-患者の適切な距離を学んでいるともいえる。医師と患者は他人なのである。どんなに親身になっても同一人物になることはできない。それを弁えることはプロフェッショナルとして必要なことだと思う。
だからといってニヒリズムに陥るところまでいくのは行き過ぎだと思う。そういった方向性がもしかしたら、嘱託殺人みたいなことに遠くつながるのかもしれない。
よかった セックスワーカーは映像系以外はフィジカルワークから解放され
非難する意見が多いみたいだけど、RTも感想も、欲しがるならまず自分がやんなよ、と思ってるので、増田の苛立ちには共感するところがある。
なんでみんな「同人作家は感想がほしい!」「同人活動において感想は大事!」って言いながら、自分は感想を送らないんだ?って話だよね。
感想来なくて心折れた、とか
感想来るととっても嬉しくてやる気でちゃうから頂戴ね!、みたいな
ツイートが頻繁に数千RTされて創作者垢からTLに流れてくるわりに、創作物を発信している人間が頻繁に他人の作品をRTしたり、感想を送ったりしているかというと、そうは見えない。(もちろんそうしている人もいるけど自分の見ている限りあまり優勢には見えない)
「ボス」が実際そういう人なのかはわからないので(他人には見えない方法で感想を送っているかもしれないし)この個別の件についてはなんとも言えないけど「感想ほしい!」ってよく言っているアカウントが、ちゃんと感想を伝えているかっていうとあまりそうは感じない。(繰り返すけどもちろんみんなじゃない。やってる人もいっぱいいる)
TLに流れてくる「感想は大事!」をまともに受けて実行してきた人がそれを感じたら、そりゃ「ちぇっ」ってなるのもそうだなと思う。
「感想を書くことも能力が必要な大変なことなんだよ」というのはわかるし、実感もあるけど、だったらなんでみんなそんな「感想ほしい」系のツイートを頻繁にRTしてバズらせてしまうんだ…とも思う。
どこかで「金もかからないし一文綴るくらいの感情労働と、それによって発生しうるリスクは、私のやる気のために負ってくれませんかね?」ってなってない?
自分はまぁ、やれる範囲で送るけど、そのそこそこの範囲でしか感想も当然来ないよな、と思いながらやってる。
逆に仮にめいっぱい感想が来たとしても、自分の求める感想ばかりが来るとも限らないし