はてなキーワード: 恩恵とは
8歳ごろに昭和が終わる
小学生時代は、土曜は半日授業。今の若者には個性がないと言われ続けて育つ
親も週休1日で休日はほぼ遊んでくれることはなかった
忘れ物をすると教師に殴られるし廊下に立たされる毎日だったがそれが普通だと思ってた
教師の生徒へのセクハラも日常茶飯事だが問題になることはほぼなかった
大学受験失敗→浪人→ようやく大学入学するも、就職氷河期でなかなか就職が難しい
もちろんバブルの恩恵は一切ないが、恩恵を受けてきた世代の自慢話を聞かされる
転職を繰り返すことになった
中小企業に入るも、景気も悪く上の世代が詰まっているので出世できないことを目の当たりにする
それでも働き方改革もないし、会社の景気も悪いし20代はなんとか徹夜しながら精神論で乗り切る
つき合う子は、少し上の世代に奢られ慣れているし
専業主婦願望を唱えられても実現させてあげることは不可能だった
ようやく結婚できたのが35歳
マイホームを買うのはもう諦めた
それでも、就職氷河期世代は頑張りが足りない世代みたいに社会に扱われる
何の恩恵も受けていないし、生き残るために必死だっただけなのに
今の新卒世代には、精神論で生きてきたおじさん世代として扱われる
若い世代を定時で帰すようにするために中間管理職として残業を受け入れるため仕事は楽にならない
精神論世代の人が残業していても、昔からそうでしょとあまり罪悪感は持たれない
それでも39歳で早くも、古くて、邪魔な世代として扱われ始めている
僕らが社会人になった時に40歳くらいの人たちを見て感じたあの感情は
そんな8歳の頃から今まで変わっていないことがある
B’z’がずっと変わらずに売れていること
はてな見てると自民党に反対する人とか、消費税増税反対な人多く見えるんだけど世間はそうじゃないんだなあ。
社会人なりたての2年前?3年前の選挙はとりあえず多数派だし自民党入れておくか、他は名前がかっこ悪いし(希望とかみんなとか幸福とかなんなの?ばかなの?)
共産党は何か怖そう、ロシアとか中国とか?なんかやばい奴らなんでしょ。
よくわかんないから投票所に向かう途中にあったポスターで笑顔の優しそうな眼鏡のおじさんに入れた(自民党の)。
あれから3年ぐらい経って、
消費税が10%になるとか、なんか統計が改ざんされてるとか、老後2000万必要(!)だとか聞いて、
あれ?このままだとやばくない?っていうか毎月めちゃめちゃ税金とられてるけどこれってちゃんと使ってもらえてんの〜〜!?って。
あと去年子供生まれて、出費も増えて、お金ちゃんと貯めないとっべーなっていう。
保育園無償化とか大学の学費一部無償化とか…恩恵受けないしなあ。
っていうか保育園無償化も大事だろうけど保育士の給与改善して保育園の数を増やして欲しいんご。
だから今回は「保育士の待遇改善するぜ〜」、「消費税増税やめるぜ〜」、って言ってる党に入れたぜ
あと選択的夫婦別姓…?とかLGBTのパートナーシップ…?とか、多様性ばんばんざいじゃん。
今回はちゃんと各党のことも、自分の区の候補者のことも調べた!
入れたい人が二人いて、どっちに入れるか悩んだけど票が競ってる方に入れた。
これで良かったのかは正直わからん!
配偶者がどこに入れたの?って聞くので、「どこに入れたの?」って聞き返した。
家にセンサー設置とかするのめんどくせと思ってたので、それが不要になったのが一番の決め手
スイッチのVRラボを遊んでVRおもろいやんってなってたけど、これがなければ買ってなかった
うちのノートPCのグラボがGTX1060でスペックは満たしてたし、Oculus Questじゃなくてこっちにした
ケーブルが邪魔、背中に回せば腕には引っかからないものの、存在を感じてしまう
画面は綺麗。遠近感も普通に感じる。自分が歩いたりしゃがんだりすると景色もそのように動くので違和感はない
立ち上がる時に仮想の壁に手をかけて立ち上がろうとしてつんのめったりする
主観視点のゲームやるのはとてもいい、独特の操作方法による楽しさがある
客観視点のゲームはVRの意味なくね?と思ってたけど、やっぱりテレビでやればよくね?って感じ
人によっては手元でミニチュアを動かしてるみたいで楽しめるみたいだけど、考え方の違いかな
仮想空間で自分で手を動かして将棋の駒を動かす意味があるのか?みたいなこと考えちゃう
あと映画も楽しめるというので、BigscreenBetaというアプリでプライムビデオを観た
映画館よりも画質がよくないので、これは映画館というよりホームシアターって感じ
今までゲームやってて一度もゲーム酔いを感じたことがないんだけど
FPSでは普通にやってるスティック移動が、VRで見るとぐらぐらしてヤバい
VRというガジェットは面白い。だが、Wiiの時も思ったが、ゲームが楽しいのか新しい体験が楽しいのかがわからない
テニスというスポーツが面白いなら、じゃあそれをVR空間で腕振ってプレイするのは面白いか?テレビとWiiリモコンなら?コントローラでやるテニスはどうか?
装着の手間なんかもあるので、気軽にやろーというものではないね
飽きるかもしれない
・H3VR
これがやってみたくてVRを買ったようなもん
リロードやボルトアクションを手動で行うのだが、コントローラの形状のせいで一部やりにくい場合がある
・QuiVR
トラッキングの問題か構え方の問題か、弓を引いた手をうまく認識してくれないことがある
・The Forest
VRモードがあったのでプレイ、でもVRの恩恵あんま感じねえな
このゲームスティックでぬるっと移動するので酔いそう感がすごい
・V-Racer Hoverbike
首の傾きでハンドリングするバイクレースゲー、前に扇風機を置くといいらしい
座って遊べるのがよい
・その他
基本的に部屋が広くないと、自分が移動する系の要素が利用できないので
部屋の片づけをしようと思った
どう見たってちゃんとしてない。少し小馬鹿にしたような、傘にきたような態度で、誠実さも見えない。
それでも支持されるのは当然の話。潤ってるところは潤ってる。その人たちにとっては、成功のタネ、恵の神な訳で。
これだけ恩恵があるのだから正しいのだと喧伝するだろう。素晴らしい君主、偉い殿様、真面目で賢くて可愛くて面白くて格好良くて、いいセンセイ。権威がある。
文句を言ってくる輩にはビシッと言ってやるんだ。口ばっかりで実力もないくせに。妬みや僻みで偉そうに、セクハラだのAIだのコンプライアンスだの人権だの言いやがって。そんなもん構ってられるか、適当にごまかしておけばいいんだろ。潤ってるんだから。
と、こんな感じで、老後?まあなんとかなんじゃね?とか、消費税10%?上がんの嫌だけど計算楽になるわ、みたいな層に支持されているのではないかと思った。
実際そういう人たちの方が社会構造の核になってるから、悲観的な分析や反対意見は広がりづらい。普段から気軽に政治の話を口に出さない現代文化もあるし。
善い悪いではなくて、成功してる人にとっては正しくて、不満がある人にとっては正しくない。成功してる人の方が社会を操作しやすいし、勝ち取った都合の良い状態を手放したくないから保守的になる。
すべて当然の事だし、理想を失った民主主義って金の鉱脈を流し合うゲームなんだよなって気付いた。
正しくないと言い聞かされ、不満を持つのは怠慢だと決めつけられ、傷付いた自尊感情を表現すれば下品だと言われる。劣等生で十分なロクデナシやキチガイは、どうしたらいいんだろうか。逆恨み天誅でもする?耳と目を閉じ口をつぐんで孤独に暮らす?
最初に、京都アニメーション関係者の皆様にお見舞いを申し上げる。皆様のどなたにも、こんな目に遭ってよい理由はなかった。亡くなられた方々には哀悼の意を表する。癒しがたい傷を負われた方々や深く傷つかれた方々に、心からお見舞いを言いたい。今現在、痛く、辛い思いをしていらっしゃることだろう。あなたは一人ではない。多くの人があなたを気遣っていることが、少しでもあなたの支えになることを願う。そして今生死の境をさまよっていらっしゃる方々に、匿名ながら応援の気持ちをお伝えしたい。どうか生き延びてほしい。
だが、こういう時だからこそ、以下の点は言っておかねばならないだろう。
今回の犯人――状況からみて病院に搬送され警察に事情聴取を受けている男が放火犯本人であるという前提の下で話を進めるが、他の多くの事件においてこのような前提を置くことは危険であることをご承知おき願いたい――が憎むべき罪を犯したこと、その罪は厳正に裁かれるべきこと、この点にはなんら疑いはない。個人的には、どこかで火災に遭って焼け死ねばいいのにとは思う。しかし、それはそれとして、彼を死刑にすべきではない。
死刑は撤廃するべきだ。たとえそれがどのような憎むべき極悪非道の人物であっても、死刑に処されるべきではない。理由の第一は、冤罪の危険性だ。今回はたまたまかなり高い確率で真犯人であろう人物が捕まったが、一家四人が惨殺され放火された別の事件では、おそらく真犯人ではないであろう人物が死刑判決を受け、現在も再審請求中である。人が人を裁く以上間違いはどこにでも存在する。間違った人が首を吊られるなどということはあってよいはずがなく、誤判をゼロにすることが不可能である以上、冤罪で処刑することを防ぐためには死刑を撤廃しなければならない。
理由の第二は、それが真相の究明に繋がらない場合も往々にしてあるからだ。中には改悛して洗いざらい吐いて刑場に向かう死刑囚もいようが、どうせ死刑なのだからとすべてを投げ出して語るべきことを語らず処刑される者もいる。仮釈放のない終身刑にでもしておけば、数十年後に重い口を開くことがあるかもしれない。被害者がどうして殺されたのか、本当の理由を知ろうと思うのなら死刑にせず生かしておいた方がよい。
理由の第三。死刑は過激な犯罪者を焚きつける可能性がある。オウム真理教の幹部を集団で処刑したのには開いた口が塞がらなかった。そんなに「国家権力に処刑された尊師と幹部たち」という物語を演出して、オウムの残党に彼らを神格化してほしかったのだろうか。死刑になりたかったから子供を大勢殺したのだと言い放った死刑囚がいた。彼らのような人物は、刑務所で死ぬまで惨めに生かしておくべきだっただろう。世の中を恨み、せめて大きな衝撃を与えてから死んでやろうと目論む者――ひょっとしたら、今回の放火犯もそういう動機を持っていたのかもしれない――に、死刑制度は大きな誘因を与えてしまう。彼らを英雄や殉教者にすべきではない。
理由の第四。欧州連合やスイス、ノルウェーといった主要な先進国は死刑を撤廃し、日本に強く死刑の廃止を求めている。彼らは死刑をその国の人権感覚の証と信じており、そして彼らの主張に同調する国は増えている。これが鯨食のようなそれぞれの国の伝統文化の話ならば妥協する理由はどこにもないが、別に絞首刑が日本の伝統というわけでもなし、欧州諸国、ひいては国際社会から人権侵害と糾弾されるリスクを抱えてまで維持すべきものでもなかろう。我々は中国や北朝鮮やサウジアラビアではなく、ドイツやフランスやスウェーデンと同じ側に立つべきだ。
そして、彼の行為を社会を統制するための口実にしてはならない。彼のやったようなことは事実上防ぎようがなかった。多少の安全対策で死ぬ人数は減らせたかもしれない。だが、セキュリティをどれだけ強化したところで、悪意をもった攻撃を100%防ぐことは不可能である。
犯罪防止の名の下で行われる様々な施策は、往々にして我々の自由やプライバシーと対立する。もちろんそのような行為をすべて否定するわけではない。軍用の銃器を保持する自由は制限されても仕方があるまい。だが、衆目を引く犯罪が起きる度にそれに応じた対策を採っていたら、我々の社会は生きるには窮屈になるはずだ。
新幹線の車内で凶悪事件が置きたことがあった。だからといって新幹線に乗る度にいちいち持ち物検査を受ける必要があるとなったら、ずいぶん窮屈で面倒だろう。包丁を使った通り魔事件が置きたとして、包丁の購入にいちいち面倒な手続きが必要になったとしたら、料理をする人は困るだろう。我々は秋葉原で執拗に職質をかけられ荷物を開示させられる屈辱ならよく知っているはずである。そのような社会に我々は生きたくない。
犯罪を犯す「法的な」「道徳的な」自由はどこにもない。そのようなものは認められるべきではない。だが「物理的な」自由、つまりやろうと思えば犯罪を犯せる環境を制限しようとすることには、慎重になるべきだ。
犯罪者は「事後に」厳しく罰せられるべきだ。強く非難され、その行為の報いを受けるべきだ。だが、「事前に」規制しようとするなら、それは無関係の者の自由をどこかで奪ってしまう。
包丁を屋外で振り回し無辜の市民を傷つける行為を「システム的に」抑止しようと思ったら、新居で料理道具を揃えようとするのに、あるいはふと思い立って台所に立つのにさぞや苦労するだろう。ガソリンを簡単に購入し持ち運べるのはおかしい、という主張もあったが、なぜ一人の悪人のために農機具を使用する人たちの利便性が損なわれなければならないのだろうか? そのような統制が行き着く先は中国のような監視社会だ。なんの統制もなくてよいとは言わないが――なんといっても私は日本の厳しい銃規制や航空業界の厳密な安全規則から恩恵を受けているので――我々平凡な庶民の自由やプライバシーが徐々に奪われていくことには警戒したほうがよい。
今回の事件の犯人は、相応の報いを受けるべきだ。だが彼は死刑に処されるべきではないし、彼の行為を元にして自由な社会に統制が加えられるべきでもない。
私たちオタクが自由に、幸福に生きていけるのは、自由とプライバシーが尊重された社会においてだけだ。中国のオタクが種々の不自由に耐えている姿を羨ましいとは思えない。我々の社会を監視社会にしてはならない。究極的には、自由は安全に優越するのだから。
ということで、これが死刑廃止派からの回答です> anond:20190719044907
1番は今回当てはまらないし2番は真相究明が済めばやっていいってことになるし3番はこの犯人の信者なんていないので実質的に4番の海外からの同調圧力だけってことか。まあええんちゃう。
1番は「どう考えても無実だったり10%しか疑わしくなかったり50%しか真犯人じゃなさそうな人が吊るされないためには99.99999%真犯人なやつも吊るすべきじゃない」って話やで。
個人的にはそこまで原理的な死刑反対論者ではなく、100%真犯人である人だけが処刑されるなら死刑制度存置を支持する。でも全知全能の神じゃなくて人間が裁判する以上どこまで行っても100%はありえず99.99999%にしかならないので(今回の被疑者だってそうだよ!)、その0.00001%が残っているうちは殺すべきではない。そして全知全能の神の存在が実証されない以上死刑は廃止すべき。
ボケーッとしてたら、来年からNHKがネットでも見られることを思い出して憂鬱になっている。
私の家にはテレビがない。
どうしてこうなってしまったかと言うと、大学生で初めて一人暮らしした時のNHK受信料を回収?にきた人がすごく嫌な人だったからだ。
私が住んだマンションがたまたま新築の学生専用だったため、ほぼ全員受信料を払っていない状態。
そのせいでほぼ毎日マンションに入り浸っていて、少々怖かったし、
そして、その人が語る受信料を払わなくてはいけない話が長くてしつこくて、当時NHK受信料のことをよく知らなかった私は
泣きながらテレビ捨てるので許してくださいと思うほどだった。
『テレビを見られる環境がなければ受信料は払わなくて良い』という逃げ道が無くなってしまうことが辛い。
貧乏人でテレビを見なくても受信料を払わなくて済む日本であって欲しい。
消費税はまだ買い物の時考えたり、恩恵も多少あるから良いのだけれど、
NHKの受信料に関しては見ないものなのでお金を投げ捨ててる感覚に強い。他のことに使いたい。
まだその受信料で地震とか災害の必要な情報を流すのなら良いのだけれど、制作費数十億円のドラマが作られるのはなんだかなーと思う。
いっそのことNHKを分割して、必要最小限NHKと娯楽NHKに分けてほしい。
必要最小限NHKでは国民に伝えたいことだけ放送する。こっちならまだ受信料払っても良い。自分が見なくても、いつかお世話になる日がくるかもしれないし。その分安くはして欲しいな。
遺伝子関連の技術や治療は今も日進月歩で進んでおり、100年もすれば物事はだいぶ様変わりしていると思われる。直近では、ips細胞による移植、ガン治療、アルツハイマー治療が出来ればだいぶ話は変わってくるよね。あとは「老化」という現象に関する知見が深まったらいいよな。過激な論者なら、そういう技術の発展は、結果的に人間を不老不死にするとまで言う。
バイオ関連技術は、食料関係の窮状も救うかもしれない。実は地球の面積では、今の全人類が先進国並みの生活をするだけの食料生産にできない。しかし過去、化学肥料の開発が単位面積当たりの収穫量を大きくあげたという実績があり、これからのバイオ技術はそれをもう一度起こすかもしれない。
あと代替石油を見つけ出すのもここらへんに期待されている。もはや原子力に頼れない以上、その辺は必須だ。
実用化すればムーアの法則をぶっちぎってちょうはやいこんぴゅーたーが出来る。
その速さたるや、今使ってる暗号通信が全て素で解読できるほどなので、ネット世界が荒廃するのとも危惧されたが、量子コンピュータでも大丈夫な新方式の暗号は開発できたらしいので、単にちょうはやいこんぴゅーたーの恩恵だけを受けられそうである。
コンピューターがちょうはやくなると何ができるか? これは単に、いま複雑すぎて出来ないことが出来るようになる。AI関連の話が一般向けにはわかりやすいが、最も大きいのは、先のバイオ関連と絡んだ話。今は1年待ちの予約とかで使ってる国家級コンピュータが全研究室に置かれたらどうなるか。もちろん研究結果がすぐ出る。世界の全てが加速することになる。
農産物を今よりたくさん作るなら、水が今より必要になる。既に灌漑のしすぎでアラル海が消えるとか言っているが、同じことが他のところでも起きるかもしれない。そうなれば、20世紀のような石油とか商圏とかではなく、水を巡る戦争が起きるのでは?という危惧がある。
しかも戦争は変わっていくだろう。既にドローンが爆弾落としてきてヤバイ、みたいな話はあるけれど、似たような自動化は進むだろう。ww2以後やベトナムを踏まえた今の戦争反対の機運は、「自国の兵士があまりに死にすぎた」ことの反省から盛り上がったところがあったが、兵士が自動化された状態で我々はまだ戦争反対とか言ってられるのだろうか? 昨今のポリコレ情勢もあって、左翼的価値観は人気を失いつつあることもあって、これは危惧しといた方がいいと思う。
・経済学の発展?
我々の日常生活がどうなるかは、結局は経済にかかっている。もしも政府がちゃんと経済をコントロールして、バブルも恐慌も不況も操作できるなら、我々はずっと豊かになる。
絵空事なようだが、どこかで実現というか、ラインを超える日は来るはずだ。いまいち一般に何をやっているか理解されにくいし、政治利権に翻弄されがちなせいで信頼されないと見られがちな経済学だが、実はここ50年ですごく長足の進歩を遂げている分野だ。今の理論なら、70年代の大恐慌はもう防げるだろうし、バブル崩壊やサブプライムローン関連のコントロールだって今なら出来るかも。
もし経済をコントロールする理論が順調に進歩するなら、我々はついに平和すら手にするかもしれない。テロも戦争も結局は貧乏が起こしている。経済学にこそ、暴力を撲滅するための役割が期待される。
・たぶん起こらないこと
宇宙に住むとかいうことはない。どうあがいても地球の重力を振り切るコストは高くなるし、工夫でどうにかなるとは思えない。割にあわない。金持ちの道楽に終わる。
多くの人が勘違いしているだろうけど、それなりの才能の無さで挫折していく人はかなり少ないと思っている。
趣味レベルで小説書く力なんて、好きな小説読んで影響受けて、自分でも書いてを繰り返してたら自然とつく。
そんで絵と比べてまだマシなのは、素人が書いたものでもそれなりに読めるものになりがちということ。よっぽどの人でない限りは、文章破綻しない。
そう、文章力底辺レベルの小生でも続けられているのだ。(まあ今は飽きたというか、ちょっとお休みがちだけど。)
小学生時代やら中高生の頃からイラスト描いてたガチ勢といきなり絵でも描いてみようかと思い立ったケースでの絶望的画力の差ほどひどい差が出ないのが小説の良いところ。
そもそも小説読んでなかったり、物語が好きじゃなかったら小説無理に書く必要はないけど、物語(漫画、アニメ、映画、ドラマ)好きなら、もっとも手っ取りひとりで早く形にできるのは小説であることに異論はないと思う。
で、継続するモチベ。ここでみんなつまずく。読まれない。反応がない。批判される。
これに特効薬はない。
凄く書きたい話があるなら、それをなんとか仕上げるまで頑張るしかない。
特に書きたい話がなかったら、お題が出て数百文字とかでも投稿していけるサイトとかで習慣づけること。
あと、継続する力以外に必要なのは、情報収集能力。これに尽きる。
書きたい話がないなら、みんなが読みたいのはどんな作品? っていうのを考える。
テンプレ上等。
あとは続けるだけ。
新しい小説投稿サイト的なのが立ち上がったら真っ先に登録して、雰囲気を感じるのも大事。
結局は、情報収集が出来てるか、アンテナが伸びてるか? に集約される。
ゴールドラッシュまでは行かなくても、鉄鉱石ぐらい掘り出せてたら継続する力になる。
自分がしてほしいことを他の作者にしてあげる。情けは人のためならずとはよく言ったものだ。
スパムにはならないように適切に、リアクションしてたら、いずれ返ってくる。そのうちの数パーセントだろうが。
微課金するなら、お金払って誰かに感想述べてもらうのもいいし、メンタルつおいなら、掲示板とかに投稿するのもいい。
とにかく継続、そして継続するためには自分に何が必要なのか? をちゃんと考えること。
商売っ気だすなら、それなり以上の才能と運が必要とされるが、趣味レベルであれば、続けること、新しい環境にどんどん飛び込んでいくこと(合わなかったら身を引けばいい)
続けているうちに、人脈広がったり、色々な恩恵が得られる。
さあ、書きたいやつは書こう! そして書き続けろ。
書きたくないやつは好きにやってくれ。そもそもこれを読むな。
勘違いしたらアレやけど、この増田は免除申請受けてるんやで。「こいつ穀潰しやから勘弁したる」制度の対象者であって、「掛け金不払い」とは違うで。つまり、制度に文句言うてる割に、実はバリバリ制度の恩恵を受けてる人やで。