はてなキーワード: 学費とは
大学の同期が成人式をむかえる前に書こうと思っていたが、結局こんな時間になってしまった。
この時間になって成人式ねーうん・・・みたいに思ってネット見てる人間が見ればそれでいいや。
「成人式に行かない人って、いったいどんな理由があるんでしょうかね」というのは、改めて考えてみるとこれがいまいちよく分からない。
あるいは自分がなんだかんだ言って結局行った方の人だからなのかもしれないが、行くのを結局決めたのは前日の夜になって「ああやっぱ行こうかな、一応準備だけしておいて寝坊したらあきらめるか」といった具合でいたら当日きっちり目が覚めたので、ええホントに行くの俺?みたいな思いを抱きながら行ったという有様だったので、その辺のところ行くまではかなり割れていたのだが、実際行った後になってああやっぱ行ってよかったなとなるような強い価値観の変化があったので、そのあたりのことがいまいちよく思い出せないし、結局行かない側の人ではなくなったので、行かない側の人としての物言いをしなくなったからだと思う。
というのも、その成人式人生三回目のセンター試験の一週間前だったし。
その頃の自分に何があったかというと、まあなんだかよくわからないことになっていた。少し本題とずれるので、結論だけ見たい人は読み飛ばして構わない。
単にシンプルな物言いで表したり表されたりしたくないだけなのかもしれないが、一年目も二年目も、センター利用で受かった大学にそれぞれ親に入学金と半期の学費、それから半期の休学費用をハタかせておきながら大学受験をおかわりしていたからである。
結局一度目はもっと高いランクの大学に行きてえと抜かす自己肯定感の欠如と、それでいて自分の有様をよくわかっていないが生きる上では大切な若者特有の貴重な熱意を、18,9年生きててそれだけしか身に付けなかったんかとばかりの崇高な偏差値という単線的指標に振り向けて、それさえ達成できればこれまでも中高大と一度たりと第一志望というものに受かったことのない過去の自分の救済になると信じて突っ走ったものの、大元の問題が何一つ解決されてないがゆえに何一つ解決するはずもなく、終盤完全に行動の伴わない支離滅裂なメンヘラという訳の分からない人になりながら本試は全て落とし、所属するが故の苦い部分から解放されもはや生きてるだけで自己肯定感を補填できる依存先と化していた元の大学と、唯一受かった1ランク上の、しかも受験が終わった後になってどうやら自分が本来大学でやりたいと思っていたものと違うらしいということが分かった大学のどちらにすればいいか迷っていると口にし親父を激怒させて終わった。
二度目のほうはもはや凄惨と言う他はなく、元の問題、つまりは自己肯定感の欠如であるとか偏差値以外の指標を実のところ持ち合わせておらず、大学受験というそういうことの最後の振り分けが終わった後でじゃあ自分が何をすればいいのかがわからない、自分に好きなことややりたいことがあるんだかないんだかわからない、ましてそいつを新しく見つけ出すこともできちゃいないし、前の大学の専門や多分野性は楽しかったし、自分のやりたいことのような気もしていたがそいつは自分でかなぐり捨ててしまった。そうこうしているうちに時間は過ぎ、周囲にいる一つ年下の人間はめいめいにそれを見出したり、あるいはそうでなくても仲間を見出していく。新しい人間を迎えるムードやチャネルは閉じていき、ただ一人、コミュニケーションに長けているわけでもなく、まして19になって未だ携帯電話さえ持ったことのない現代人にあるまじき自分は人間関係からも完全に弾かれたまま過ぎゆくただ時間に溺れ流されていた。前期の単位は夏前に再受験が決まって期末を受ける必要もなくなっていた前の大学のさえ下回り、初めてのバイトもクビになり、夏が終わるころには高校のころ深刻であった鬱状態が完全に再発状態となり、対人恐怖に加えて社会恐怖に陥り、狭いキャンパスの狭い学科で知っている人間と会うのも、知らない人間がそれぞれ彼らなりの為すべきことや適応を見出しているさまを目にするのも耐えられず、大学は来てもまともに講義に出ることもなく普段人の来ない大学の非常階段で横になりながら、人の話し声や足音におびえ、ただ一日中耐えぬ眠気と抗うつ薬の副作用からくる体調不良でくたばっていた。
そのような状況を見かねてか、というより、自身も家族も学生相談室もお手上げ状態と化しており、少時に発達障害でかかっていた大学病院の心理士やら全落ちした中学受験時代の予備校の先生にまで話に乗ってもらい、しまいに温情で元の大学に戻るなり、また別のところに入りなおすなり、リセットの機会を与えてもらったというのが11月、という有様であった。
というような具合だったので、高校を出てから二年間の間で、自分の人生は高校を出るまでは同期で同い年の(自分の周囲にいた)人間が辿っていたそれからは大いに逸脱していた。
二度目の大学の同い年の同期とも、ましてや歳の違う同期からも逸れていた。少なくとも、当時の自身にとってはそうだった。
もとは転勤族で住んでいる地元にそれほど愛着があるわけでもなく、昔から付き合いのある人間もいない。親類ですら、精神・物理的に最も長い付き合いがあり、肉親としての付き合いらしさを覚えはじめていた爺さんは最初の大学受験の途中で突然死した。ましてや住んでいるところの人間など、地理的なり関係性的になり分断が続いたので、初めて親しいらしき人間関係が三年を超えたのは、電車で一時間の高校を出てからのことである。
↑以上読み飛ばし
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↓読み飛ばし了
そんなわけで当時の自分は、血縁・地縁または精神的な人間関係という側面において、また学年や同期など社会的地位としての側面において、そして以前より自分が持っていたイメージ(と現状との乖離)という三つの面において、一般的な「20歳」という存在群から離れていた。(すくなくとも、当時はそう自覚していた)
とはいえ成人式のハガキというものは、本人のそうした事情や自意識とは全く関係なく、ただいつ生まれてどこに住んでいたかということ以外何一つ問わず、だれの元にも届くものである。
ハガキが届いた時点で、すでに自分の人生が同年代の多くの人間が歩んでいるのと同じような人生など望むべくもないと思ってはいても(事実そうだとしても)、である。
これは生まれて20年の1月を迎えるまでの経緯がどんなに平凡であろうが特殊であろうがおそらく同じことだが、成人式というものは、義務教育を終えた人間に来る、「ただ同じ年(度)に生まれたというだけで世間から全く同じ扱いを受ける」最後の機会だろう。ひょっとしたら最後ではないかもしれないが、少なくとも当分同い年というくくりではこれほどの等しさと無差別性を持った体験をする機会はないだろう。たとえ義務教育をどっかでドロップアウトしようが、義務教育後に社会に出ようが、小中高のどっから私立なり特殊な学び舎に通っていようが、あるいはそういうことのなかろうがである。
分かりやすいので義務教育を例にとってはいるが、それ以外であっても人間この国で20年も生きていれば意識しようがしまいがなんがしか本人なりの本人しか持たない(あるいは似たような人しか持たない)部分というものが出てくるものだし、そんなことはないと思っていてもそう思えること自体がそうである。
これは多分行く前はあんまり分かりにくいことだと思うが、ともかく成人式というのはそういうものを可視化してくれるこの上ない機会だと思うんすよね。
自分が変わっていようが、あるいは変わっていなかろうが、それがどう変わっていて、どう変わっていないのか。会場に集まった普段どこに住んでたんだみたいな70年代の珍走団の生き残りみたいな連中やら、無数にいるスーツにトレンチコート羽織った黒い大群やら、量産型みたいな晴れ着の女やら、(ときにキンキラキンの)紋付袴決めた男達やら、そこにいる連中すべてがまぎれもなく自分と同い年という光景は、少なくとも成人式以外にあるまいと。自分が前日にやっぱ行ってみようかなってなったのは、そういう風な光景って実際どんななんでしょってのを見てみたかったのが一つある。これ考えても実際に見てみないと絶対分からないぞと。少なくとも、行ったことは何かの話のタネになるが、行かなかったら何にもならない。あとでやっぱ行けばよかった、がシミのように残ると思った。
成人式のハガキをなくしたのならなくしたと言えば現地で何とかなるし、着ていくものがないならまぁ少しでもちゃんとしてそうな格好をしていけばよいだろうし、そういう成人式だってあってもよいだろう。別に地元に友達がいなかろうが、それはそれで自分にとっての成人式はそういうもので、そっから見える光景というものがあるだろう。ひょっとしたら、意外な出会いというものがあるかもしれない。俺の場合は誰一人知り合いとすれ違うこともなかったが、それはそれで面白かった。久しぶりにでも会いたくないやつがいたとしても、そいつと会うのはその日が最後だ。遅刻したって別に会場に入れてくれないということはないし、まあ既に終わってても贈答品くらいは貰えるだろう。
いずれにしても、成人式に行くことによっぽどの、それこそ生命の危機が伴いでもしない限り、積極的に行かない理由をひりだすことはないんじゃないか?
仮に生命の危機があっても相手は少年法の適用外だ。別に贈答品目当てだってよかろう。地方によっては金券まであるらしいし。ぶっちゃけ、ほかの自治体のでも潜ってる人はいるし、そういう手もあるだろう。
成人式という上に述べたような場で何が起こるか、あるいは自分にとっての成人式がどういう場で、どういう体験をしたかってのは、これまでの自分を同じ年齢の違う人間という物差しで照らし合わせて改めて見直すことができるいい機会になりうると思うし、あるいはこれからの自分がどうするかを決める上で一つの観点を得られる機会となることもあるだろう。
俺の成人式の話をすると、その日の朝は普段より早く起きて、普段予備校に行く格好のまま家を出て、最寄り駅のトイレでカバンに忍ばせたスーツと革靴(最初の大学の入学祝い)に着替えて行った。
贈答品は会場に一番近いマクドナルドのクーポン券なのは事前情報で知っていたので、特に期待はない(要らねえけどなんかムカついたから二枚使った)。
日本で最も規模のでかい成人式のひとつなので、夥しい人間がいた。その中で明らかに事前の期待を裏切ってよかったこと・面白かったことが3つと、クソだったことについて書いて終わろう。
まず前座で良かった点、開式の国歌と市歌の斉唱。これは完全に盲点だった。いや、人生であれだけの人数で国歌と市歌を斉唱するという機会は以前もなく、おそらく今後もそうないだろう。規模は地元によって変わるところなので一般化はできないが、大勢で国歌だとか市歌だとかをまともに歌ってみるというのは、歌というもの(または斉唱)が持つ効果について体感することができたし、本人の政治的スタンスによって様々に見方があるものだと思う。
クソだったのは、少しは面白い話するかとほんのちょっぴり期待していた林文子(市長)が死ぬほどつまらない話しかしなかったこと。マジで役に立たねえ話しねえ。1行で要約すると
「携帯電話が普及して直接コミュニケーションをとれる機会が私たちの世代より減ったと思うので密接な人間関係を築けるよう頑張りしょう。」
いやもっと役に立つ話しろとは期待が高すぎたかもしれんがせめてなんかそれについて掘り下げた話はできないのかよなんだそのお手本みたいなお年寄りのお手本トークは・・・というもの。これはこれで、ある種の貴重な機会かもしれない。毎年使いまわしてる可能性があるから横浜市民は要チェックだ。
輪をかけてクソだったのがその次の新成人のスピーチ。まあ新成人代表なんぞに選ばれてスピーチを打つやつはまず間違いなく模範的成人みたいなやつかそれに類するものだと思っていたのだが(それ以前のスポーツ選手みたいなのの紹介とかもそうで)、そいつの語り口が聞いていて気に食わなかった。正直後のインパクトで話してた内容をあまり詳しく覚えてないのだが、まあ今はボランティアとかいろいろやってます系の大学生が自分の人生を語るというものだったんだが、その途中で(当人の人生が実態としてどうであれ)妙に「こいつスピーチの話術として落としをやっているな?」というところがなんか聞いていてイラついてくるのである。「いじめられもしました」の言い方が湿っぽいんだよなんか。でもお前いい人に囲まれててよかったねいい人生だねと市長のスピーチに続いて半ば来たことを後悔し始めたのだが、ここからがとてもよかった。
これは行く前と行った後で最も価値観が変わったことである。かねてから成人式の乱入というものはまぁおよそまともなものではないと思っていたが、しかしその場ばかり、その場の自分にとっては違った。
むかし怪獣特撮で怪獣が町を破壊するシーンで喝采があがったとかいう話が少し分かった気がした。
成人式というのは、その主役は新成人である。そこにいる、会場に座っている全ての人間が主役である。彼らの社会的日向日陰此方彼方近郊遠方、全てを問わず、しかし彼らのものであり、選ばれた新成人と、一世一代の晴れ舞台乱入を試み壇上へ駆け上がった名も知らぬ煌びやかな和装姿の彼と、私と、あるいはすれ違うこともないがしかしそこにいるはずの知人どもとの間に、いったい何の違いがあるというのか。誰が彼と彼らと分かちうる権利を持ちうるのかと。成人式とは、生きてきたこと、為してきたことの如何を問わず万人がそこにいる場ではないのかと。
ひとり私は拍手し、心の中で喝采をした。壱萬の大群と自ら選んだわけでもない代表者という構図の中に包まれていた会場を破戒し、否、そうではない、と示した彼の姿に。
そのように見出した彼の姿に心打たれ、ある種の感謝と、自らの肯定を覚えたからだ。彼の行動によって、万人の場としての当市成人式は成立をなしえたのだから。
最後に。これは来ていちばんよかったと思えた光景なのだが、式が終わって駅に行くまでが死ぬほど混んでいたので見物感覚で大回りして駅の空いてるほうに向かっている途中、まあいかにもあまり中学の休み時間窓際で話してそうな感じのイケていなさそうな感じの風貌のダウンジャケットの男二人が、しかし久しぶりに会ったと思わしき感じで、いかにも久しぶりにやるその頃の二人のやり取りという感じで楽しげに歩いている、その光景を後ろから見ているときだった。
こういう成人式も、あるのだと思った。
うちの会社で、若い女もジジイも一緒になって「あの人は〇〇高校(公立)だから頭がいい」「私立に行くなんて親不孝者だね勉強出来なかったんだー」などと馬鹿みたいにはしゃいでてびっくりした。
公立高校(その県の中では偏差値トップ3)>普通の公立高校>>>>>私立高校 の順でみんなお馴染みのカーストがあるらしい
自分は他県出身だし、学費免除でもいいから来てくれと呼ばれて私立中学に転校し、そのままエスカレーター式で高校大学へ進学した人間だ。
だから某県の高校カーストの話をされても何一つ理解も共感もできない。
むしろいい歳した大人が10代半ばの頃のカーストにしがみついて人の優劣を決めるなんてきしょいなと思った。
大学カーストならまだしも高校の偏差値の高さって戦うフィールドが猫の額ぐらい小さいぞ。
弟が東京の大学に行きたいらしい。控えめに言って頭が沸いてるんじゃないかと思う。
どうしてやっと入れた高校を留年しかけた弟が、東京の大学に行けるのだろうか。
別に特段レベルが高いわけでもない、ただの公立高校の癖に、課題すらまともに出せなかった弟が。
定時制に無理やり転校して、そして結局この一年何の反省もせず、勉強もせず、だらだらごろごろしていた弟が。
高校時代、いや中学の頃から私は勉強を強要された。でも、大学に行きたいとも思っていたから私なりにも頑張って勉強した。
憧れの東京の大学、そして地元の大学、どちらも願書を出したのは国公立だった。滑り止めは受けなかった。
親に「東京の私立受けてもいい?マーチとかなら、受かるかもしれない」と聞いたら、「受けてもいいけどそんなとこに通わせるような金はないよ」とそっけなく返されたからだった。
落ちたら浪人しろと言われた。予備校に行くお金はないから、本当に全落ちしたら宅浪だった。
うちは貧乏なんだと思った。だから、三つ下の弟の成績が揮わなくて、理科と社会の授業も追加しようか、でもお金がないと話す親を見て、「じゃあ、私は塾辞めるから。弟にその分回して」と言った。お金がない私の家計と、頭の悪い弟の助けになるなら。
私は東京の大学は受からなかった。地元の大学には引っかかったから、そこに通うことにした。私の塾代を何食わぬ顔でふんだくった弟は、進学校でもないごく普通の高校に入って、挙句留年した。
高校三年にもなって、弟が自分の進路を何一つ決めていないのは火を見るよりも明らかだった。同級生は就職したり、専門学校に行ったり、次々進路を決めていると言うのに。
いや、ちょっと前までは東京の声優の専門学校に行きたいと言っていた。くそだと思った。
親は何も決めていない、何もしていない弟を見ながら「どうする?予備校に行って浪人?」とか言っていた。こちらはよりクソだと思った。
そんな弟が、突然東京の大学に行くと言い出した。親も私から隠れて、弟の入ることの出来るFラン大学を調べているようだ。返す言葉もない。
そんな金はどこにある。東京の私立に行かせる金はなかったんだろうが。
マーチですら出せないのに、どうして名前も聞いたことがないようなクソみたいな大学に、クソみたいな弟を入れる金があるんだ。殺すぞ。
高校すら留年するのに、どうして大学は留年しないと思っているんだ。親の目から離れて、東京に出たいだけじゃねえか。「俺の生きる意味なんてない」なんて、面倒臭いメンヘラ女みたいなことを言う男は、彼女作ってぱこぱこし放題か、パチンコ三昧だ。大学なんて行かねえ。
遺産の管理までそのおじさんやってるのか。それあかんパターンだな。ほっといたら全部持っていかれる。むしろ、はじめっから親父さんの遺産狙いで近づいてきたんじゃないか?その男。
ただ、見る限り遺産分割協議もまだしていないというのは幸いだ。
上の兄さん巻き込んで、遺産だけ弁護士通じてきちんと母親半分、兄弟分割の枠組みできちんとするようにせよ。マンション、土地持ちなら、弁護士もそれなりの金払ったら真剣にやってくるだろう。
金だけ割り切って自分の分(最低遺留分といって最低限取れる分)だけでも自分の手元に取って、卒業だけして就職したほうがいい。
そう考えると、金目じゃない不動産系のものは母親に残して、生活費と学費に充てる金や換金できる有価証券を額が少なくてもとったほうがいいかもしれない。
まあ、その辺は多少の財産もちで弁護士に出す金も出せるだろうから、俺みたいな増田の素人より、上の兄さんと一緒に弁護士と話すべきだろうが。
ただ、相手詐欺師だから、ひょっとしたら偽造遺言書作るとかするパターンかもしれない。
兄弟、親については上の兄以外あきらめるパターンで行ったほうがいい気がする。もう連絡もしない方向で。脱霊感商法のNPOもあるにはあるけど、兄弟一致団結できないような状況では難しいだろう。
脅して、和らげるって手口を見たら、あなたも落とそうとしているパターンに見える。しかも、泣き出したりとかその男に知られてる時点で、これ強くいったら落とせるんじゃないかと思われてる気がする。
ほかの霊感商法に入っていたことを見たら、上の兄さんももう見捨ててるのかもね。とにかく、上の兄さんと話して、遺産について弁護士巻き込んで話をしようというぐらいですかね。
法テラス経由で弁護士に相談して、あなた一人でも戦えるのなら戦ったほうがいいかもしれませんが。ただし、霊感商法ではありません。あなた分の遺産を取って学費と生活費を賄うためです。
一年留年しても、事情が事情だけに企業は汲んでくれる可能性があると思います。ある程度選べる企業は減るかもしれませんが。もっとも、弁護士、上のお兄さんがどれぐらい頼りになるか次第ですが。
同じような偏差値のところがいくつもあるかどうかは、偏差値によるだろう
学費とかの関係で私立に行けない人だっているし、家のある場所だって選べればいいけど諸々の事情でそんなに選択肢がない場合も多い
リスクを統計などで可視化して、各々可能な範囲で気を付けた方が良いというところまでは同意できるけど
進学先を痴漢に遭う確率で選ぶのが当たり前というのは同意できない
ブックマークで法テラスをすすめている方々がおられるが頼りになるの?
「ここは相談窓口を紹介するところであって、相談窓口ではありません」
と強い調子で言われたのだが。
2年ほど前の春に父親が病気で亡くなった。どんどん筋肉が無くなっていく病気だった。
私は母が心配だった。
1番下の娘(私)は県外の大学に進学したばかり、長年連れ添った夫とも死別し、母(私からするとおばあちゃん)も病気で、長女は(私の姉)精神障害で手がかかる。長男は仕事が忙しいようであまり家に帰らないしご飯もお家で食べることは少ない。ただ、次男は色々話してくれるし色々聞いてくれる。
こんな状況の母が心配だった。
本当は地元には帰るつもりはなかったけど、大学を卒業したら地元に帰った方がいいかもなと思った。
「お母さん、彼氏できたんだけどどう思う?」 私はびっくりした。正直少し複雑な気持ちだったけど、母が幸せなら良いと思った。ずっと心配だったから、そういう存在ができて良かったと思った。
そして4ヶ月ほど前、名字を私の旧姓に戻さないかという旨の電話が母からかかってきた。というのも、亡くなった父の遺品を整理していたところ浮気していた写真がいくつか出てきたらしい。父は旅行に行くのが好きだった。ほぼ年に1回は家族で国内旅行をしていたし、父一人で海外へ旅行に行くことも多かった。写真には中国人女性との写真が写っていたらしい。他にもいくつか写真が出てきたらしく、どうやら国内外問わずいくつかの場所にそういった女の人がいたらしいことがわかった。3年ほど病気の父の介護をしていた母。ずっと父を信じていた母。それなのに、こんな写真が見つかって辛かったと思う。
だから父の名字をもう名乗りたくないのだ、と私は思った。しかし、母が言った言葉は予想外のもので「あんたのお父さんはあんまり良くない人だった。お兄ちゃん(次男)も前からあまり良くない人だって気づいていたみたい。そして、おじさん(母の彼氏)は前世とか見える人で、この名字はあまり良くないと言っている。実際ルーツをたどっていくと昔戦争で何万人もの人を生き埋めにした人たちが先祖だった、この名字のままではあまり良くない、不幸が訪れる」といったニュアンスのものだった。
別に大昔の先祖がどうだったとか私にはどうでもいいし、それで不幸になるという意味がわからない、私は名字を変えない というような事を喧嘩腰で言ってその時は母も折れて電話を終えた。
あれからその話を持ち出されることはなかった。お金あるー?とか住民票を移したいとか事務的なメールが続いていた。
バイト中だったので最初は電話が取れず、その後メールで至急電話くださいとあり、何事かと折り返し電話をしたら名字を変えた方がいいという旨の電話だった。
「〇〇(私)の中学の頃の写真を見てたんだけど、おじさんがあんたの後ろに悪いものが4人いるって言ってた。お母さんもびっくりした。早く名字を変えないといけない」
というような話だった。すごく切羽詰まっている様子だった。そんなこと言われても私もどうしていいかわからない。“後ろに悪いものが4人”って何?ぴんとこない。おじさんにかわると言われて母親の彼氏に電話が代わった。
さっきと同じようなことをまた説明された。そして話が先祖が戦争の際生き埋めなど残虐な行為をした〜この名字は良くない、不幸になる云々といった下りにもなったときに「一つ疑問なんですけど、じゃあ私と同じ名字の人皆不幸になるってことですか?」と私は尋ねた。相手はすこしごもった様子にも聞こえたが「皆んなが皆ではない、ただこの先祖を辿っていた人は不幸になる」というような事を言われた。そして私はもう一つ言った。「私はあなたの名前も歳も、どうやってお母さんと出会ったのかも分からない それなのに急にそんな事言われても困る」というような事を話すと「あんたが知る必要はない」と言われた。
私が責め立てるような口調だったのも良くない。ただ、そんな言い方あるだろうか?
そもそも8月に帰省して会ったときにも特に挨拶も無しに馴れ馴れしく私の名前を呼ぶ貴方のことが気持ち悪いと思ったし、普通に常識が無いと思ったし、受け入れられなかった。今でも私はあなたの名前も知らない。
私は電話を一度切って、また電話をかけなおした、母が電話をでた「ごめんねさっき間違って切っちゃった。電車乗るからまた家に着いたら電話かけなおすね」と言った。
帰り道、電車の中で泣いた。
もうわけがわかんなかった。
家に着いて、話す内容を紙に整理して書いて電話をかけ直した。
泣きじゃくりながら話した。
お母さんのことをずっと心配してた、だからお母さんにそんな人ができて安心した。だけど誠意が感じられない。突然名前も何も知らない人に言われても混乱する、お母さんが私のことを心配してくれてるのはわかる。でも私の気持ちも考えて欲しい。さっきお母さんの彼氏に「あんたが知る必要はない」と言われた。
色々言ってる間にも話を遮って名字の下りの話をしようとしたから泣きながら今は私の話を聞いて欲しいと何回か言った。電話口の向こうからお金足りるか聞いてといったことを母の彼氏が2回ほど言っていた。
ここまで話してもお母さんがあの人のことも何も教えてくれないのはなんで?と聞くと元々高校の同級生だと教えてくれた。救世主のようなものだと言っていた。電話の向こうで代わるよ、俺が説明するという声が聞こえた。すると、「甘ったれは勝手にしたらいい、死ね」といわれ電話を切られた。
震えが止まらなかった。
お母さん、実の娘に死ねと言ってる人を見て何も思わないの??
泣きすぎて呼吸がうまくできなかった。
また電話がかかってきて、電話をとると母の彼氏だった。さっきはごめんというようなことを言ってる、 こわい。数秒で何があったの
タイトルに「母が新興宗教にハマり」とあるが元々母は霊波之光の信者だった。私が物心つく頃には良くお昼に何か唱えている母の姿があった。別に私は否定も肯定もしていない。それで母の気持ちが救われるなら、と思い干渉しなかった。
母の彼氏が新興宗教に関わっているかどうかは定かではない。ただ、人に相談した所それは新興宗教じゃないかと言われた。私は今客観的にこの状況をみることができない。ただ、私からするととても怖いのだ。母が恐ろしい、得体の知れないものにハマっているように見えて仕方がない。
これから私はどうしたらいいんだろう。
母は母の彼氏と一緒になってから悪い方向に進んでいるようにしか見えない。夏に帰省したときには再婚も考えてると話してた。母が救われるならそれでいい、でもあなたの実の娘に「死ね」という人をみて何も思わないのか、おかしいとおもわないのか疑問だし悲しくてやりきれないし、私にとって大好きな唯一無二の母親を返して欲しい。
でも母自身がこれが異常だと気づいたときの絶望を想像するとこのままの方がいいのかとも思う。
母はずっと専業主婦だ。父親の遺産は割とあるが母の彼氏に持っていかれたのではないか心配だ。私は春から大学4年生。学費も家賃も出してもらってる身分。でもそのお金は母の彼氏からきているのだろう。
私はどうしたらいいんだろう。
わからない。
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【追記】1/4 16:05(コメントくれた方にこれで通知はいくのでしょうか?)
たくさんのコメントありがとうございます。
正直、私一人ではどうしたらいいか分からない部分が多く色々意見が聞けてすごく参考になります。先ほどの文には無かったことも踏まえて追記させていただきます。
1.兄弟について
母親からの昨日の電話によると私以外の兄弟は皆名字を既に変えたそうです。本当かどうかは分かりません。
ただ、長女は精神疾患なのでまともに考えることはきっとできません。次男は昔から母寄りで実の父もあまり好きではなかった様子でした。私はそんな兄のことをマザコンキモいな位に思っていたのですが今考えると母に依存していると思います。兄は中学の時不登校だった過去があり正直友達も少なく周りと上手く関わることができていません。現在は仕事をしていますがきっと母親の信頼する母親の彼氏にもう取り込まれています。
長男は唯一普通だと思うのですが、もう彼も33歳位だし面倒なことには関わらないようにしているのではないかと私は予想しています。ただ、これは私の勝手な推測です。
そして兄弟仲はというと全然良くないです。もはや良い悪いの次元ではないです。私が小学生の頃以来全然話をした記憶もありせん。もちろん、連絡先も知りません。同じ家に住む他人のような存在でした。
2.遺産について
去年の夏に帰省した際に母親から父の遺産をお金でもらいたいか金塊で貰いたいかという話があり、私はなんとなく金塊で貰いたいと言いました。すると、「わかった。おじさんが今度金塊に変えてくるからね。」と母がいっていたのですがそれから特に音沙汰ありません。父は市役所に勤めていました。あとは自分が大家のアパートを持っていたりちょっとした土地も持っていた様です。父はよく旅行に行く人だったのでお金に苦労はしていないのかと思っていましたが、父が病気になり1年ほど県外の病院に入院したり、姉もたまに入院したり色々あった上に私が上京し、私立大学にも通ったことから正直お金がどこから出てくるのが分かりません。父親の遺産がどの程度だったのか、家計状況がどのようなものなのか分かりません。
3.これからについて
私はもうすぐ大学4年生です。なので就職活動も控えています。就活中はアルバイトもセーブして就活に専念しよう、就活はお金もかかるので多少親に金銭的に甘えることもあるかもなと考えていたのですが、今の状況だとどうしていいか分かりません。
きっとお金を振り込んでと言っても昨日の電話口で母の彼氏からお金はあるか聞いてということから考えるに、母の彼氏のお金がくるんだと思います。
それを考えるともう金銭的に助けてもらうことはしたくないのですが、学費や家賃(寮なので一気に払います)のことを考えると金銭的に援助してもらわないときっと卒業は厳しいです。
下手に動いて金銭的な援助が無くなり、学費も家賃も払ってもらえない状況になるのは避けたいです。他の人に相談したところ、アルバイトなりなんなりで学費も家賃も稼いで経済的にも自立するようアドバイスを貰いましたが、就職活動をしながらそういったことができるとは正直思えません。
金銭的な面も踏まえてどのように関わればいいのかまだわたしには分かりません。
母の彼氏という存在が母にどのような影響を与えるのか、異常だと知らせたいけどそれを知った時母は本当に孤独になるのではないか、無事私が来年東京で就職し、経済的に自立したとしてもどう実家と関わるべきか、連絡はこまめにとったほうがいいのか、わかりません。
昨日死ねと言われ電話を切られて、少しするとまた電話がきたのでとるとごめんというようなことを言われ、怖くて電話を切り(ここらへんは正直自分から電話を切ったのか何なのか覚えてません)、また電話がかかってきたのですがとりませんでした。ただ、数時間後メールで母に「さっきは電話とれなくてごめんね。急にお母さんの彼氏に〈甘ったれはいい加減にしろ、死ね〉と言われて電話切られて怖くてうまく呼吸ができなくてとても電話に出れそうにありませんでした。お母さんは辛くても人のことを悪く言わないし私にとって尊敬できる人です。でも何かあったらたまには私にも相談してね。今までいっぱいワガママを言ってごめんね」とメールしました。返事は返ってきてません。何でこんなメールを送ったのか私もわかりません。こんなこと言わなければよかったのかもしれない。
これからどうするべきなのでしょうか
明けてしまった。
観てもないテレビの音とか、点けたまま放置してるスマホのゲーム画面とか、窓の隙間から漏れてくる除夜の鐘とか。
全部もう、ぐちゃぐちゃしてて、何がなんだかわからない。
初詣は行かない。どうせ一人だし。あれは自分の中では、親しい友達と言って参拝する行為に価値があるものだから。
今年は一人で新年を迎えた。あと二か月ほどでぼくは二〇歳になるけど。10代最後の年越しは、一人ぼっちだった。
思うのだが、別に一人で新年を迎えるのって、寂しいことではないと思う。そんな人、世の中たくさんいるわけだし。
でも愚かな自分は、それを寂しい、悲しいことだと思っている。
孤独に馴れていないのだ。
就職して、会社に行って、家に帰って、寝て、また会社に行って……。休日は家でのんびり過ごしたり、たまに友達に会ったり。みたいな。
でも基本的にぼくは一人で生きていくわけで。
今は大した孤独じゃない。そう思う。
でも寂しい。
その寂しさを、酒でなんとなく誤魔化している。
……こんな思考に至ってしまうのは、たぶん全部、高校時代のせいだ。
家に帰って早くパソコンをいじったり、本を読んだり、ゲームをしたり。
そういうことが好きな人間だった。
でも、高校に入って、部活に入って、全部変わってしまった。ぼくは孤独に馴れない人間になってしまったのだ。
ここ数年で、ぼくは人間として進化するどころか、退化してしまったように思える。
やり直したい。
やり直したい。
できないなら、死んでしまいたい。
大学に入った理由は不純で、ぼくはもともと就職希望で高校時代を過ごしていた。
でも、高校生活に失敗して、
やり直したくて、
大学に進むことに決めた。
それで今、学費に苦しんだ挙句に一人暮らしなんて馬鹿なことをしている。
今更だけど、たぶん自分は一人酒が得意じゃない。すぐ鬱になるから。でも飲まずにもいられないわけで。だって、飲まなきゃもっと鬱だ。
酩酊で紛らわせ。
ぼくは虚無だ。ぼくは虚無だ。働け。学費を稼げ。家賃を稼げ。とにかく距離を置くのだ。親からも。過去からも。
何で、俺は生きてる? もう、わかんねえ。
最悪の新年だ。
明けましておめでとう。
増田は22歳→23歳(現21歳)男
恋愛:童貞脱出。前会社にいた気になるコ、3人いるんだけどなんとかしたいんだア
体重増やす、筋肉増やす。170センチ58キロ。腕が細い…太くしたい。
資産運用(追記):今500万ある。そっから学費うんちゃら引くと100万余るからそれを元手に運用したい。NISAと仮想通貨勉強中。
やりたいこと多すぎる。あせってるでござる。
(追記2)文章書きたい、本100冊読む、ストレッチをかかさない(体を柔くする)
(追記3)情報系の資格勉強、取得。英語勉強toeic600点。オナ禁。毎日記録する。工事担任者総合種 勉強。
したいこと全部アウトプッツする。
止まらねえぜ。
この後昭和50年は国立大学で36000円だった学費が昭和51年には96000円に53年には144000円と増え教育費をバク上げして子供を生みにくい日本を作っていったそのまま右肩上がりで爆発的に負担は重くなり平成17年は535800円しかもまだまだ上げるらしい
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100215/212778/
実は1974年に、日本ははっきりと少子化を目指す政策を打ち出していました。
同年に厚生省の諮問機関である人口問題審議会は、人口白書で出生抑制に努力することを主張しています。73年にオイルショックがあって、資源と人口に関する危機感が高まっていたからです。
象徴的なのが同年に開催された日本人口会議です。人口問題研究会が主催し、厚生省と外務省が後援した会議では、「子どもは2人まで」という趣旨の大会宣言を採択しました。
私が話した感じだと、
・お店を出したい(ネイルサロン率高すぎw)
・他に働くすべがない(頭が良くない)。
私に話した理由は建前なのかもしれないけど。
生活保護のニュース:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171229-00000004-kobenext-l28
>> 兵庫県尼崎市のパート従業員の女性(48)は、中学2年の長女と小学6年の長男、足に障害があり介助が必要な母親(73)との4人暮らし。10年前に離婚しシングルマザーとなり、9年前から生活保護の受給を始めた。月の収入は保護費とパートなどを合わせて4人で30万円ほど。食費はスーパーで夕方以降値引きのシールが張られた食材を買い求め、子どもの服はお下がりばかり。仕事用のTシャツ以外に自身の服はもう何年も購入していない。<<
おさがりは大体との家庭も良くあることだし、食品は割引を買うのも普通。生活保護じゃなくても皆工夫しながら生活費削減とのバランスを考えている。
小学生、中学生の学費等は免除対象だし、給食費すら免除対象。ランドセル等はひとり親等だとNPO等から支給される。医療費負担はゼロであろう。
生活保護じゃなく普通に育った私も当時は近所や親戚からのおさがりが9割だった。別に違和感すら覚えない、乏しいとも感じない。もったいない精神は日本人が誇れる所。
73歳の母に関しては過去の年金や障害者年金も貰えるだろうし。(この記事にはそこまでの背景は記載されていない)
女性服は男性服より質が良い物を中古チェーン店等で買える、ある意味女性は服飾に恵まれている。
男性服だと中々中古で見つからないのでユニクロとかそういった店で買うしかない。むしろ中古とユニクロの価格差がほぼない(T_T)
同じく育英会の有利子奨学金を借りていま大学4年生、4月から就職する増田です。受験生時代〜大2くらい?までは、よーく元増田さんと同じことを考えては絶望してたなあと思って。何のアドバイスもできないけど、わかるわかるよとだけ言わせてほしい。
ここの気持ち、痛いほどわかります。自分も親はそこそこの年収だけど家のローンがあって学費までは賄えなくて、結局有利子で奨学金を借りている状態。奨学金の説明会って高校でやった?私のときは高校で放課後に別室でやることになって、まずそこに来てない人は家がお金持ちなんだなあと羨んで、次に友人が無利子の奨学金に受かったと聞いて死ぬほど嫉妬した。世の中本当に不公平だよね。あなたが悪いんじゃない。私も悪くない。でも本当に不公平だ。
よく同じことを考えていたなんて言っておきながら、未だに私はその気持ちを消しきれていないところがあったりします。就職先の懇親会に行ったとき、お金持ちの多い私大生ばかりで、仲良くなれるかなあと勝手に思ってしまいました。未だに勝手にひとに嫉妬することは、無くならないままなんですよね笑
でもひとつだけ、きっと実際にそうならないと信じられないかもしれないけど、就職も案外なんとかなる。客観的にも主観的にも(自分も同じくらいのレベルなので)MARCHレベルなら全然大丈夫だろって思うし、そこの法学部に入れるくらいなら公務員を目指してもいい。
今はまだ将来が不透明で不安だらけだと思うけど、後悔しない大学生活を送ってください。
私も就職にあたって不安だらけだけど、今はなんだかんだ楽しみな気持ちも持てるようになってきたので。早くボーナス貰える年になってとっとと借金返すぞ。
お互い頑張ろうね。
親から大学の学費は国公立分しか出さないと言われていたので目指したけど、どうしても数学ができなくて、私立文系一本にしぼった
凄い大雑把に計算して、
自分で背負うのは4年分で200万円だよね?
仮に入学時に200万全額借りるという不利な仮定しても毎年の利子は3万5千円ほど
月3,000円、こんなもんは学生のバイト代から出しても痛痒がない額だ
んで働き出したらガンガン減るわ
Fラン大学行く為にその借金背負うなら厳しいが増田はそうじゃないんだから楽勝よ
そのランクの大学からまともに就職すれば低利200万円は大した痛みのない返済プランでも4年で返せる
親がむかつくとかそういうのはおいとくにしても、
くだらないこと悩んでる間に勉強なりなんなり学生らしいことしてないと損だぞ
その悩みは何の意味もない
早稲田は収入の一割が税金からの補助金で、学生の一割はなんやかんやあって国立と同等の金額で通えるよう奨学金を受けてるって聞いたけど
もうそれ一割国立じゃんって思ったことがあったのを思い出した。
まあ学費を国立と同等にした程度では、帝大と比べた施設設備の不利は如何ともしがたいとはいえ、文系の地方公立とかと比べると……
仕送りって、どれぐらいの歳になったら、どれぐらいの額送るべきなんだろうか。
父の収入が少なく、母が借金を返済するためにパートなど3つも掛け持ちしている。
そんな状況なのに、父は自覚がなく、
工夫をすればもっと給料が貰える仕事なのにがんばろうとしない。
母が「もう少しお金があれば…」と嘆いただけで
「俺にもっと稼げって言うのか!ならこの家を売って離婚すればいいじゃないか!」
と逆上するらしい。
それに加え、母に向かって何回も「どこかでお金を借りてこい」と言う。
私は早く別れてしまえばいいと思うのだが、
母は主婦時代、父の収入のおかげでそこそこ裕福に暮らせていたこともあったり、
優しい父のことも知っているのでその時の恩があったり、
ここ10年間この状況に耐えて続け、父を支えててきたにも関わらず、
父にそんなことを言われるのが悔しくて離婚したくないようだ。
自分はまだ社会人3年目で、一人暮らしで奨学金の返済などもあり、
近いうちに給料も上がるので、その借金返済のためにいくらか仕送りをしようと思っている。
いくらか仕送りをすれば、両親は余裕のある暮らしをできるだろうか。
いくらぐらい送れば良いのだろうか。
仕送りをする、と父に言ったらどんな反応をするのだろうか。