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2018-01-21

母の仕事服を捨てた

母の仕事服を捨てた。崖に。

私は田舎に住む18歳で、都会の大学に進学したいと思っている。父、母、4つ上の兄がいて、お金持ちではないけど兄を四年制の専門学校に通わせていて、私の進学先についても自由にしていいと言ってくれている。家族仲は最悪で、私が就職したら離婚するのではないか勝手に思っている。仲が悪いからか分からないけど、兄の専門学校学費は母が、生活費(アパート代と携帯代と仕送りとか)は父が払っている。やはりお金持ちではないので、特に母が苦労している。平日昼間8時間製造業に関する仕事をし、週4回(平日は夜、日曜日は昼)某飲食チェーン店で5時間バイト土曜日の夜宿泊施設で6時間ほど働いてやっと一年間の学費を稼いでいた。トリプルワークの大変さは父よりも兄よりも私の方が分かっていたし、私の学費も母に払ってもらうと思っていたから心の中で感謝もしていた。

母の口癖は「誰が学費出してやってると思ってんの!!!」だ。兄は小さい頃母に虐待されたとかで母に執着していて、兄がトラブルを起こすたびにこの言葉を言う。しかし兄は一人暮らしなので矛先は私になる。年越す前くらいまでは私も気にせずにいたけど、センターが近づくにつれその言葉が頭をよぎるようになり、センターが失敗して、第一志望だった都会の公立大は多分受けられないから都会の私立に行くことになるのかな…と思えば思うほどその言葉が頭の中で響く。学費を出してもらえることが有難いことや母の仕事の大変さはよく分かっていても、「学費を払ってやってる」なんて親が言う言葉ではないと思う。子供を産むということは、どんな時でも自分の子応援して(特に夢や進学については)、無償の愛で育てていくことだと思っている。(子供を産んだことないのに偉そうにすみません。)だからそんなこと言うなら親辞めればいいのにと思う。でも親辞めろなんて言ったら負けだと思っているから言わない。しか今日、堪忍袋の緒が切れた。

母は私の前で「どこの職場もみんな意地悪だし辞めちゃうか。収入0だ!」と言った。この1週間、私はずっと自分の夢を叶えることと学費で悩んでいて、明らかに冗談で言ったその母の言葉すら私には耐えられなかった。辞めたければ辞めればいい、大好きな贔屓の兄の学費払えて良かったじゃん、私がそんな事を言っていたら父が「お前の分の学費は俺が出すから心配しなくていい。」と言ってくれた。誰が学費を出すとかそういうことではなくて、親が兄を贔屓していることが気に入らなくて、私だって真剣自分の夢と学費のことを考えているのにそんなふざけたこと言われて、上手くまとめられないけどその言葉が許せなかったし、学費も出してくれる気ない上に辞めたいなら辞めてしまえと思ったので石油ストーブの上に母の飲食店制服宿泊施設エプロンを置いて、食用油をかけて燃やそうとした。生憎油がほぼ入っていなくて、燃やせなかった。でも怒りは収まらないし、母も「あんたの学費を出してやろうと思ってるから頑張って働いてるんでしょ!」とさっきと矛盾たことを言うので家の近くの崖に捨てた。(その後父が取ってきたけど…。)

イキリオタクみたいなことをしてしまったのは反省しているけど仕事全部辞めて収入0だなんて私の前で言うべき言葉ではないし、学費を稼いでやってる等恩着せがましく言うのは親のすべきことではないし…今はこの考えがグルグルしていて答えを出したりうまくまとめたりは出来ないけど、私はまた親と衝突しても都会の大学で夢を叶える。もう誰かに左右されたりしない。

1年間の思い出

研究

卒論

就活

アルバイト

家の借金発覚

卒論提出したら父から一言

家族なんだからもう少し足並みを揃えてくれ。毎日遊んでほっつき歩いてるように見える。早くバイト就活しろ。それができないなら家から出て行き学費を返せ」

なんのために頑張ったかわかりゃしねえよ

anond:20180121171510

いや、適当地方駅弁大とか行ってもそこの公務員になりゃ

学費生活費も安く済む(その分奨学金を借りる額も減る)し、貰える給料だって今と大して変わらんだろうけど生活費は安く済んでたわけで

有名私立だ有名上場企業だって辺り、学生時代から東京在住だろうし

実家に住んでないって事は、実家場所は周囲にろくな大学就職先もないような田舎という事だろうけど

実家仕送りしなければならないくら実家に金がないなら、学生時代仕送りなど期待できなかったはずで

バイト奨学金だけで学費都心部生活費賄うってのは計画に無理あり過ぎだろ

今更風俗とか言うくらいなら、もっと若くて高く売れる&暇がある学生のうちに風俗で働いた方がマシだった

2018-01-19

京大卒業した者達の実態

入る前は、

60%……大企業 20%……有名なベンチャーとか 19%……研究者など(D進) 1%……その他

ぐらいの進路なのかなあとぼんやり思っていたが、実際には、

20%……大企業 40%……(アレな表現を許せば)隠れ優良企業 10%……ベンチャーなど 15%……研究者など(D進) 15%……失踪

ぐらいの勢いで(思っていたより)10倍ぐらい失踪者がいる気がする。

失踪者の中にはただひたすらに学費を払って失踪しているものや、BやMの学位だけは取って失踪するもの、退学するものなど色々いる。

2018-01-18

生きているのがしんどい

生きているのがしんどいと思い始めて、多分だけど15年とか経っている、ちょっとした消えたがりの散文が、つらつらと下に書いてある。

時間がある人はちょっとだけ読んでほしい。そして何か、少しでも意見が欲しい。いろんな考えが知りたい。でも、かなり怖い。

いや、読むのは時間を持て余した人だけでいい。かなり端折って書くけれど、15年くらいの時間を書いていく。きっと恐ろしく長くなる。なんか流行りだからここに書いたけど、きっと読む人は片手ほどで、その中でコメントを残す人を期待するのも間違っているんだろうけれど。なんてったって散文だし読みにくい。

でも、誰でもいいから話を聞いてほしい。私かうすればよかったか、これからどうすればいいのか。無責任で構わないから教えて欲しい。

初めて消えたいなと思ったのは5歳くらいだったと思う。6歳だったかもしれない。

親の都合で転園してきた先で同じ園の女の子に仲間はずれにされた。

ぼんやりしか覚えてないけど転園する前も、仲良くしていたのは女の子ひとりと男の子ひとりだけだったから、昔からまり好かれるような子じゃなかったんだろう。多分、すごく生意気子供だったから。

みんなが可愛いお姫様ごっこセットをつかって、私はなんか地味な、柄のないスカートだけ渡されて、「それもお姫様から使えばいいじゃん」って。キラキラの、可愛い模様がついたフワフワのスカートを我が物顔でつかいながら、私に言うのだ。

先生が「順番ね」と注意をして、真ん中くらいの順番を手に入れたけど、気づいたら割り込みされて最後になっていた。

私の順番は回ってこなかった。

その時に、私はここにいてはいけないんだなと思った。いる価値がないというか、いる事の方がおかしいと言うか、そんな感じ。転園してきた訳だから、仕方ないけれど。それで、早くここから消えてしまいたいと思った。

その時、唯一できた友達は、多分友達じゃなかった。

あれ持ってきて、これ持ってきて。何かを持ってこないと仲間に入れてあげない。そういうことを言って来る子だった。パシリにされていた。

でも、パシリでもすれば一緒に遊べたから、喜んで従った。あまりいいこととは言えない。けれど、一人で積み木で遊ぶよりずっとマシだった、消えなくてもいいと思った。頼られているのだと錯覚した。

小学校に上がって、ランドセルを買い与えられた。普通赤色じゃなくて、少しくらい、ワインレッドランドセル

母親はなんでピンクとか真っ赤じゃないのって言われたけれど、ワインレッドが可愛かった。ランドセルの蓋の裏が、赤系のチェックでとっても可愛かった。気に入りだった。

パシリはまだ続けていた。というか、パシられることが普通だった。

小学生になって、一緒に登下校をするようになった。

なんで変な赤色なの?って笑われた。

それを「可愛かったから」と言ったけど、それは可愛くない!こっちが可愛い!と言われた。多分、その子達に「センスがない」という判定を受けたんだと思う。

パシリにされてて、さらセンスもない。なんとなく流れで、みんなよりも立場が下だった。

ジャンケンランドセルの持ち合いをした時、他の子が負けたらみんなで持ち合いっこするのに、私が負けた時だけ全部持たされて、持つ距離も長かった。挙句、置いてかれた。前に進んでも誰もいなくて、置いていかれたんだと泣いた。おうちも少しだけ離れた同級生の重いランドセル5つを持って、道の真ん中で泣いた。泣いて数分たったら、なんだか自分のことが惨めになって、どこか誰もいない、遠いところに行きたくなった。結局はその子たちが戻ってきて、どうにかなったけれど。

小学2年生になって、夏休みで転校した。どことも知らないところだった。でも、一番長く住んでいたし、今の友達大学友達を除いて全部小中高で一緒に過ごした子だ。それまでに比べてとても恵まれていて、いい友達だと思う。一人一人が唯一無二の友達だとおもう。

でも、友達がいても、残りの4年半はいじめられて過ごした。

最初は多分「遠いところから変なやつが来た」っていう理由それから訛りが違う。あとは真面目ぶってる。オタク父親の見ていた深夜アニメを一緒に見ていた。デ・ジ・キャラットとか、ギャラクシーエンジェルとか。今でも大好きだ)であること。あと態度が生意気。たぶんこの生意気って言うのは、生意気だという子の都合が悪いことを「誰にも言うな」と言われても担任にチクッたからだと思う。自分あんまりにも理不尽だと思ったことは黙っていられなかった。多分、そういう意味では「いい子」ではなかった。

でも、石を投げられて先生に報告したら睨まれるって、おかしいじゃん。石投げる人の方が酷い。チクった私が悪いのか。

多分悪くは無いんだけど、こどもの世界ではご法度だっただけ。けれど、それがどうしても辛かった。おかしいと言ったら「お前の方がおかしい」と言われてすごく辛かった。ここにいたくないと思った。

親に「ここの学力は低いんだから、90点以上取らないとダメだよ」と言われた。頑張って100点とっても褒められなかった。周りからは「勉強もできるっていう自慢か」と妬まれた。

言っておくけど1番を取れたことは無い。せいぜい10とか20とか。自分ではすごいと思った。100人近くの1020って凄いじゃん。って。でも親にはそれじゃダメときつく言われた。ちょっと点数が下がったらお小遣いを減らされた。

生きているのがしんどかった。でも頑張らないと、価値がないと思った。

中学に入って、小学校の時みたいな勉強をしていたら、順位が真ん中よりも下の、後ろから数えた方が若干早い場所になった。その時に「さすがにやばい」と思って、塾に入りたいと言った。一人でする勉強限界を感じていた。

下がった順位を元に戻したら「当たり前だ」と言われた。

中学では部活に入っていた。周りはみんなキラキラしているのに自分だけ見ずぼらしく感じた。部活に入ってすぐ、どうしてかレギュラーに選ばれた。自分初心者で、周りには小学校の時から続けていた人がいたのに、自分担当に人がいないからという理由レギュラー入りした。初心者なりに練習した。練習中、何度も泣きそうになった。でも自分が頑張ることがこれからに繋がるとおもった。最後までやりきったあとに残ったのは「初心者なのにレギュラーに選ばれた変な人」だとおもう。若干避けられてたし、自分も周りにどう接していいかからなかった。ここで必要とされていないとさえ感じて、練習サボりがちになった。先輩からは、嫌われていたと思う(練習をサボったから当たり前だ)。同級生からもよくは思われていなかったと思う。

部活同級生から「〇〇先輩はあなたと同じように生徒会もやって部活もやって成績もいいのに、なんであなたは同じことが出来ないの」と言われた。生徒会が忙しくて休みがちになっていた。そんなの言い訳だと怒られた。それでも暇を見つけて部活に行っていた。それでも怒られた。今消えてしまえば楽だろうけど、消えたら迷惑をかけるなと思って、最後まで頑張った。意地汚く残り続けた。高校進学は「〇〇高校の□□学科じゃないと、ご飯作らないから」と言われた。当時、高校授業料無償化されていたから、ご飯を作らないになったのだろう。端的にいうと「親の希望に添えなかったらお金は渡さないし育てないから」といわれたのだ。必死になって、どうにか合格した。合格したけれど、自分学力じゃ、高校勉強は厳しいなと感じた。もう一つの学科自分レベルに合っているとおもった。でもそこでは絶対ダメなのだという。辛くなるんだろうなと感じたけれど、それでも合格したのだから通うと決めた。

高校に入って、それなりの地位をもてたと思う。部活は変わって、生徒会には入り続けた。その部活がいわゆるパソコンをいじる様なもので、関連分野で色々頼られた。今度はパシリみたいなのではなく、よく巷で話題になる「絵をかけるならちょちょいっと描いてよ」の類でもない、本当の意味での「頼り」だった。

得意分野を持つということは自分自力で立つことのできる力であると、その時感じた。普段だったら近寄れない、スカートを曲げて薄く化粧をした、クラスの人気者と話せる。そういう立場をその時手に入れた。

多分、高校生の時が一番、生きていて楽しかったと思う。みんなが私のことを知っていた。それに対する恐怖もあったけれど、決してマイナスではない視線は「自分はここにいていいんだ」と思える自信に繋がった。

大学は推薦で入った。センター前に決まって、受かるとは思わなくて、とても喜んだ気がする。

クラスメイト合格を伝え、「あの〇〇か!?」「嘘ついてるわけじゃないよね!?」と言われながらも喜んでくれた。学校先生もとても喜んでくれた。自分の妹も、私よりも喜んで泣いてくれた。

母親合格たことを報告したら、おめでとうよりも先に「お金がかかるなぁ」と言われた。

正直なところ、大学に進むことについては消極的だった。高校に入った直後は専門学校に入りたいと思っていた。でも父親は「進学するより働け。進学するなら国立じゃないとだめだ」と言われた。だから専門学校を諦めた。中学生の予想通り高校勉強はつまづいてしまって、学科では後ろから数えた方が本当に早いくらい、勉強はできなくなっていた。どれだけやっても勉強が伸びなかったから、早い段階で部活シフトチェンジした。そんな経緯があったから、大学は行かないで高卒で働くかなとなんとなく思っていたら、母親が「高卒で働くより大学に行ってほしい。私立じゃ学費は出せないけれど」と言ってきた。これに逆らうとまた何か言われるんだろうなと思って、とりあえずやるだけやってみることにした。でも、勉強はできなくなっていたから、模試はどこも最低判定。ただ、推薦でチャンスがあるところがあったから、一かバチかで受けてみた。これでダメなら学力じゃ到底叶わないから、就職をしようとおもった。部活の成績がよかったから、それで受けた。

そうしたら受かった。奇跡だと思う。なにかの間違いじゃないかと思ったが、それでも受かったら嬉しかったのに、おめでとうもなく「お金がかかるなぁ」しか言われなかった。

誰が国立に行ってほしいと言ったのだと、その時は悲しくて悲しくて仕方がなかった。

こんなの傍から見たら「親の言う事しか聞いていないからそうなる」と思うのだろう。私もそう思う。

けれど、高校受験の時に「お金さないよ」といわれ、大学受験に「国立しか認めない」と言われ、受かったら「お金がかかるなぁ」。反抗するなら自立しろ、親に頼るな。

それでは何をすれば良かったのだろう?

奨学金は申し込まなかった。心のどこかで受からないなと思ったし、親の収入などの関係で、ほんの少しだけ規定より上回っていたから受かるわけもなかった。し、なんとなく大学に入れても、やめてしまうかもしれないなと思ったのもある。とにかく奨学金は取らなかった。だから親に学費を払ってもらうことになる。お金がかかるのは、百も承知だった。

でも、まさか合格おめでとう」よりも先に「お金がかかるなぁ」だなんて。なんだか悲しくなった。受けるのをやめた方が良かったのではないかと後悔した。

何より、ひたすら「お金がかかる」とい割れるのが嫌で、消えてしまいたくなった、なんのために頑張ったのだろうと、ひたすらに悩んだ。

大学に入るまで、そして入ってからお金がかかると言われた。言われ続けた。

大学に入ってしばらく経った頃、仕送り勝手に減らされた。1万円も減った。バイトをやりながらも結構ギリギリで頑張っていたのに、なんの前触れもなく減らされた。

なんで仕送り勝手に減らしたの?せめて減らすなら前もって言ってよと親に言った。そしたら、「元々この金額だったでしょう?」といわれた。頑張って節約しながらも生きていたのに、あたかも「余分にお金をねだっている」風にされたのがひどく苦痛だった。

その年の夏、節約しなきゃとおもい、電気代をとにかく節約した。外に出るようにしたり、電気をつけなかったり冷房をつけなかったりした。

その月の電気代は1,500円もしなかった。

純粋に、自分すごいとおもった。

こんなに節約頑張ったよ!と母親にいったら、「もっと節約できるでしょ」と言われた。

電気をつけず、テレビもつけず、パソコンもつけず、ご飯はまとめて炊いて冷蔵庫に保管して、一瞬だけ電子レンジでチンする。冷蔵庫も止めてしまうと食べ物が保管できないから。そんな最低限だったのに、もっとと言われた。

馬鹿らしくなった以上に、親から私は「ただただお金のかかるダメな長女」だったのだろう。お金がかからなければかからない方がいい。そんな認識だったのだろう。

こんなに頑張っても文句を言われることに、自分が生きている意味とはなんだと問いたくなった。

答えは出なかったから、ただただ消えたくなった。

どう生きていてもお金がかかると言われて、生きているのがしんどくなった。我慢するのがバカバカしくなった。

バイトはしていた。学校に慣れるまで、夏休み前後から始めたいといったら、それでは困ると言われて5月くらいから始めた。バイト先の先輩に厳しくされて、辛いと嘆いたら「みんなそんなもの」と取り合ってくれなかった。辛かった。

そういうことも含めて、たまにTwitter愚痴を呟いていた。愚痴をいうと今まで仲良くしてくれた人が、なんでも話せた人達が「自分の方が辛い」と言い始めた。自分の方が不幸合戦が始まって、私の「つらい」が軽くあしらわれた。次第に愚痴を言えなくなった。私だけ「辛い」が軽くあしらわれるのが辛かった。

頑張って大学に通った。頑張ってレポートを書いても単位が取れなくて、好んでとったパソコン系の授業を始め、授業に出ると頭痛が激しくなったり、気分が悪くなったりした。1年間くらいだったと思う。でも、お金をかけてもらっているから行かないといけないと、頑張った。

しばらく立って新学期になった。自分の妹が私立大学に入った。

母親は、私立入学するのを許したらしい。

どうして?という気持ちがすごかった。父親が許したのかという疑問もあったのだが、早々にほかの選択肢を諦めた私とは違って、妹は頑張って説得したんだなと思ったら、それは認めてあげるべきだと思った。合格たことは喜ばしいことだし入学も喜ばしいから、合格おめでとうと、素直に伝えた。

しばらくして、父親入学を許していないということが分かった。それで父親に「お前も加担したんだろう」と責められた。私は何も知らなかった。

なんで私が責められているんだろうと、つらくてつらくて。消えてしまいたいと思った。私から奪われた仕送り1万が、妹の入学金や学費になるんだなと思うと、なんとも言えない感情が湧き出てきた。

しばらくして両親が離婚すると言うことを伝えられた。どう思うと聞かれて、私が何か言ったところで何か変わるの?と答えた。冷たいなとも思ったが、私は私でそれどころじゃなかった。

学校に行けば嘔吐頭痛を繰り返して、正直もう限界だと思っていた。

しばらくして父親から伝えられた。

離婚とともに破産すると思う。妹の学費や母方の生活費は払えなくなるが、お前の学費生活費だけは出してやるからな」

素直に喜べという方が無理だ。体調不良等でまともに単位も取れなくなっていったのに、どうして喜べるのか。それが決め手になって、学校に行かなくなった。休学届けを出して、今はアルバイトだけやってる。

両親から連絡が来るだけで胃が痛む。学校に行けない自分社会に出てもやっていけるとは思えない。大学友達とは疎遠になっているとおもう。ただたまに道ですれ違って、名前を呼んでくれて、元気?と声をかけられると、いい人と友達になったなと思う。同時に、こんなダメ人間友達でごめんねとも。

高校までの友達は「そのまま社会に出てもやっていけるよ」という。でも、日本会社というのはおおよそブラックだと思っているし、そんな所に行ってしまったら自分は生きながら死んでしまうのだろうと思う。きっといまのオタク趣味もままならない。二次創作をする時間もなくなるだろう。そうやって仕事に謀殺されて、私は私でいられるのだろうか。

そこまで考えて、今までの人生の中で、私が私でいた瞬間とは何なんだろうと思った。

私とはいったい何なんだろうか。

私が生きている意味とは。

なんでこんなに必死になって生きているのか。

辛いという言葉は、私の方が辛いで潰されて、楽しいことなんか二次創作を始めとしたオタク趣味ばかりで、そのオタク趣味すらも、今じゃ疎外感を感じている。自由に慣れていたはずのSNSは、現実と同じように苦しいものになっている。

辛いと思うことも軽んじられ、ひたすら金がかかるといわれ、遊びに行くと贅沢だお母さん達は頑張ってあなた仕送りをしているのにという。

私はなんのために生きているのだろうか。

こんな生活、生きているというのだろうか。

ただ呼吸をして、心臓を動かして。ただそれだけ。

生きているのがただただしんどい。早く死んでしまいたいとすら思う。でも死ぬお金がかかる。親が困る。周りも困る。

ある日母親に言われた、「お父さんはあなたを生んだ時に『なんで生んだ』といったのよ」と。

母親はそれを私に伝えて、何がしたかったんだろう。

必死に育ててくれてありがとうと言って欲しかったのか。

ひたすらお金がかかると言われて育って、なぜ生んだと言われたと言われる。

「なんで私のことを産んだの?」とは言えなかった。「産まなくてよかったのに」とはもっと言えなかった。言ってやりたかったけど、それを言ったら家から追い出されると思ったから。

私は「そう」とだけ返したのを覚えている。いつ、こんなことを言われたのかなんて、細かい年は覚えていないけれど、そういうことを言われたということだけは鮮明に覚えている。

私は

どうすれば良かったんだろう。

何をすればもっと前向きになれたんだろう。

何をすれば「頑張ったね」と言ってもらえるようになるんだろう。

毎日生きているだけでも精一杯なのに、もっともっとと周りはいう。頑張ることが当たり前。

でも、私はまだ頑張ってないんだと思う。恵まれているのだ。奨学金を借りずとも大学に行けたのだから。好きなことをやれているのだから

世界一不幸だと思うな。世の中にはもっと不幸な人が、辛い人が沢山いる。

みんなそう言う。私のつらいという気持ちを無いものとして。みんなそういうのだ。

生きていることの何が楽しいのだろう。

生きるなんて、辛いだけじゃないか

早く誰か、私を殺してほしい。

金だけかかって、だれの期待にも応えられない私を早く殺してくれ。

生きているのがただただしんどいということすら認められない世界なんか、壊れてしまえばいいのに、世界はそれを許さない。それなら。私を早くこの世界から追い出してほしい。

早く私を殺して欲しい。早く殺して。早く。こんなに辛いのに、世界は生きれという。お前はまだマシだと。

何がマシなのかちっとも分からない。生きているのがしんどい

2018-01-17

anond:20180117100626

無償の愛って、子供育てること事態無償の愛じゃね?

学費とかその他、色々お金かかるけど

「全部返せ!」って言っている親はあまりたことが無い。

2018-01-16

卒業までの費用を捻出できる保証もなく入学するってすごいな

学費はもちろんだけどフルタイムで働けないわけだから生活費必要

年次がすすめばアルバイトもできなくなるだろうに

国立医学部へ進学するでもなく学費免除される条件までがんばるでもなく

私大医学部へなんとなく入学する

偏差値60以上はあるんだろうけどバカだよな

2018-01-15

学費なら、ありまぁす」

ってデタラメぶっこいて入学するからそうなるんじゃないのか

anond:20180115144843

かわいそうだ。休学中に学費からないなら休学して金策しまくるのが無難だけど、一年程度でウン千万円の金策ってほぼ無理ゲーだよな・・・。

かといって退学してしまったら今までの借金を返せなくない?

どっかの個人病院婿養子になればなんとか

anond:20180115165549

転職エージェント医学部入る前から話聞いてたな。キャリアが違う場合処遇を知っておきたかたからな。

学費免除見積もりなんて最初からギリギリだったからな。そもそもスタートラインに立てる可能性が少ないところに受かったら全ツッパしかないだろ。

今回は見送ろうとか確実になんてことしてたら、おじいちゃんになっちまうだろ。

anond:20180115155428

ばか高い学費所得制限の代わりなんでしょ。

そこに自分意思増田は入ったんでしょ。そういうのって卒業まで必要お金確保して入るもんなんじゃないの?

君の準備不足が問題でしょ。金か学力かどっちかが無いと医者にはなれないんだよ。君の学力じゃ金が要るの。君の学力じゃ国で優遇しなきゃいけない程の価値は無いの。

学内で成績がいいって言っても意味ないんだよ。偏差値40の高校で1番だからって言ってるようなものだよ。

お金が無かったら選択肢は狭まるんだよ。大人なんだからそれくらいわかるよね?

諦めな。

anond:20180115164555

医者になれないなら医者転職市場なんて使いようがなくね?

自治医への編入って、自分が聞いたことある限りでは前例は確か10数年以上前にはあったと聞くが、どっちみち金がないならそこ目指すか臓器売るかしかなくね?

つーか30過ぎまでリーマンやってたのになんで学費見積甘く見ちゃったん?あほなん?

anond:20180115161647

35で奨学金たんまり背負ってる医学生が、町医者開業するのすごい難易度高いと思うよ…。

学費すらまかなえてないのに、開業資金を誰が貸してくれるんだよ。独り立ちできる頃には余裕で40半ばだぞ。

私立医学部学費って具体的にどれくらいなんだ

そしてなんでそんなに高くなるんだ?

anond:20180115145337

どうして奨学金申請してないと思ったのか逆に聞きたい。そして、どうして奨学金程度で医学部学費が賄えると思ってるのかも。

学生ジャニオタ

私は今奨学金を借りている。

一人暮らしで、地方大学に通いながらもジャニオタとして現場によく行く。

月に借りているのは3万。アルバイトの稼ぎは5~6万ほど。月に約9万が私が自由に使えるお金だ。

家賃学費は親持ち。贅沢に大学生活を謳歌していると思う。

もともと超地方の超田舎育ちで、ジャニーズが好きだった。そしてジャニーズ応援できる女の子が憧れだった。CDDVDも昔は買ってもらえなかった。ジャニショなんて遠すぎて、コンサートは夢。大人になったら自分お金を稼いでコンサートに行くんだ。ファンクラブに入るんだ。CDDVDを買うんだ。それは大きな目標だった。

東京ものすごく遠くて、家賃も高くて、偏差値も高くて。現実を考えて東京大学を受けることはやめた。でもせめてもと都会なところを選んで進学した。ドームジャニショもある。嬉しかった。越してきた次の日にジャニショ写真を買い込んだ。

ついにアルバイトを始めて、コンサートに行った。DVDも買ったし、ファンクラブにも入った。楽しかった。働けば働いた分だけ、自由お金を使える。勉強してもお手伝いをしても泣いて喚いても行けなかったコンサートチケットがあれば入ることができる。自分の力で稼いだお金で、楽しい時間を買うことができる。

大学生には時間がある。そこそこ体力もある。働けばお金だってある。今が一番無敵のような気がした。社会人になってからなんて分からないし、もっと大人になれば結婚するだろうし。自由になんでもできるのって今が最後なんじゃないか時間は有限だから、やるならきっと今しかない。だから私はできる限りコンサートに行くことに決めた。

ドームがあるといっても所詮地方。向こうから来てくれるなんて年に数回。デビュー組もJr.応援してるがJr.現場は基本東京だ。毎度遠征して現場に向かっている。

最初は行けるだけで満足だった。コンサートのために東京に行ったんだ。コンサートジャニーズを生で見れたんだ。それで満足だったのに、Twitterを見ているともっともっとと欲が出てくる。同じ公演に何回も入ったり、ツアーに合わせていろんなところに遠征したり。また、もどかしくなってきた。行きたい。もっと、見たい。

名義をひとつ、増やした。シフト自由な高時給のバイトを増やした。現場に行くうちに知り合いが増えて、コンサートに誘ってもらう機会が増えた。行けるなら行きたい。今しかいから、行く。それから地方遠征もして、よく東京にも行っている。

コンサートのために働いている。信念として学業は怠らないことにしてるので、成績は落としたくないとそれなりに頑張って勉強している。授業を受けて、終電まで働く毎日。まじでめっちゃ働いてる。周りからは常にバイトをしてる人という印象らしい。課題バイト、そしてジャニーズ。余裕がないな、と思う。忙しくするほど、ジャニーズが見たくなる。

月に9万。おかげでジャニオタをすることができている。これは奨学金をもらっているからこそだと思う。奨学金はいつか返さなければいけないと嫌というほど聞かされたし、返せない現実の大変さも聞いた。正直貰いたくはない。しかし、授業の関係アルバイトができない期間がある。収入が安定しないのだ。

奨学金の使い道は自由だと思う。奨学金の分は生活費として使っているし、ジャニーズに使ってるわけではない。でも、奨学金があるからこそ自由に楽しんでいる。

卒業すればすぐ返済が始まる。収入が安定してる職に就かなければ、借金に追われることになると思う。たくさん今楽しんでいることを返済するときに後悔するのだろうか。

35歳で私大医学部入ったがどうやら授業料払えず退学になるようだ

来年から学費が一切ない

ちな4月から3年な

金は十分あるふりをして合格をもぎ取ったが、本当はあてなんかなかった 

入ってしまえばなんとかなると思っていたが、なんとかならなかった

俺の勉強時間と寝る間も惜しんで働きながら勉強してきたのは一体なんだったのか

成績も良いし医者になる能力はあるのに、金がないってだけで排除される

色んな学校利用の条件を制限してくれて構わないか学費を安くしてくれと言っても通らない

図書カードも返却して使わない。併設のジム交流スペースなんかも一切利用しないから使わない。部活動公式サークルも入らない。

そうやって使わないサービスを切り落として、医師免許取るのに必要ものだけ利用することを前提にしたら絶対学費がクソ高くなることなんてないはずなのに。

セットで取るとか詐欺だろ。

お前ら俺の為に声を上げてくれ。

頼むよ…

2018-01-14

ブスだけど私も男性に産まれたかった

anond:20180113163358

私は元増田の言うところの性交不可能な女だ。

とうとう、ほとんど恋愛たことがないまま、29歳になってしまった。

ここで、私も思うこととしては、男性に生まれたかった、ということである男性であれば、私は勉強仕事やその他いろいろの努力によって、人並み程度には幸せになれたかもしれないからだ。

自分がブスだと気づいたのは小学校二年生の頃だ。子供だけで参加するキャンプで初対面の女の子たちから、どうしてブタみたいな鼻をしてるの?どうしていつも目が開いてないの?とからかわれた。

それでも一縷の望みを持って、ピチレモン記事を参考にまつ毛をカールさせたり、眉毛を抜いたりしてみた。しか小学校高学年の頃、親戚の集まりでの祖父一言希望は打ち砕かれた。

「(従姉妹の)◯◯ちゃんは美人だし、◯◯ちゃんは愛嬌があるのに、どうしてお前だけ不美人なんだろうなあ」

私の従姉もとりわけ美人ではないが、私と比べればマシ、というか全てのパーツが悪いわけではない。父と母のそれぞれ悪いところだけを受け継いだのが私の顔だ。

私のような容姿人間調子に乗ってはダメだと思った。元来目立ちたがりだったが授業でも手をあげず、誰もやりたがらない係につくようになった。

それでも中学に入ると、周りが私を放ってはくれなくなった。男子による、学年ブスランキングの始まりである。毎回一位の私は、近づくと菌がつくと男子いじめられ、女子からは見えないものたして扱われていた。それは容姿のせいだけでなかった。

毎回二位の田中さん(仮)はクラスの一軍に入っていたからだ。田中さんは頭の回転が早く、どんなブスいじりに対しても軽妙な切り返しで笑いに変えることができた。私はそれができず、ブスと言われても曖昧に笑うことしかできなかった。

(そういえば今思い出したが、女子で唯一積極的に私をいじめていたのは田中さんだった。同じブスとして括られたくなかったのかもしれない)

しかしそれでも中学時代勉強だけはそれなりにできた。自分を軽んじている相手に勝てる唯一の手段だったし、母親からは「親は先に死ぬから勉強して手に職をつけなさい」と言われてきた。(今思えば、私の結婚をはなから諦めていたのだろう)

おかげで高校は、偏差値の高い女子校入学できた。高校時代は楽しかった。クラスでも目立たないオタクコミュニティに入れてもらえた。それほど二次元への情熱があったわけではないが、当時流行っていたテニプリおお振りテーマに誰かと盛り上がれることが楽しかった。

調子に乗って東京大学に進んだのが間違いだった。サークルに入ろうと新歓コンパに申し込んだが、連絡は一件も来ない。クラスでも私以外は垢抜けた人しかおらず次第に孤立した。せめておしゃれを頑張ろうと思った。キャンキャンに載っていた一重でも可愛く見えるメイクを試した。えびちゃんと同じ服を着て同じ髪型にした。「勘違い」と嘲笑されただけだった。

一人暮らしだった私は毎日学校に通っていながら、誰とも話さない日が続いた。一人でご飯を食べているのを見られたくなくて、昼食は抜くようになった。半年もせずに学校で私は意識を失って倒れた。気の遠くなるような精密検査の結果、鬱と診断された。母親実家に連れ戻され、大学を休学したものの結局中退した。

数年間の静養の間、親は私を責めなかった。でも学費無駄にさせたこと、60歳近くになって世話を焼かせてしまっていることの償いとしてせめて働こうと思った。十数件のアルバイトに応募し、ファミレスキッチン採用された。キッチン男性中心の職場だ。同僚は客の容姿に点数をつけたり、キャバクラの話で盛り上がっていた。大学時代と違って、面と向かって容姿の悪さを指摘された。何も言い返せずヘラヘラと笑っていると、彼らからしかけられることはなくなった。

「私のことも他の人と同じに扱ってください」とは言えなかった。

その代わりに、ブスな女芸人の出ている番組をすべて録画して、ブスいじりへの返しを学んだ。自虐ネタパターンも覚えた。

私は職場面白い奴と言われるようになった。もっと暗い女だと思っていたと。個人的飲み会には呼ばれなくても、職場全体の飲み会には呼んでもらえるようになった。

クリスマス年末年始仕事に入れる私は店長にもありがたがられた。

やっと人間になれた。そう安堵していた。そんなある年の暮れ、中学時代同級生が店を訪れた。私と同じように容姿に恵まれず、クラスの3軍だった勉強のできる男子だ。妻らしき女性と、赤ん坊と一緒だった。

母に聞くと、彼は上場企業就職して結婚子供が産まれたので一緒に帰省しているのだという。

私は恋愛経験のないアルバイトのまま20代を終えようとしている。

それでいいと思っていた。昔より全然人間扱いされてるし、人生で今が一番幸せだと思っていた。でも何でこんなに諦めなくてはいけないんだろう、って、気づいてしまった。

せめて男性に生まれていれば違ったのかな?

2018-01-13

希死念慮

小さい頃から希死念慮ぼんやりとした死んで楽になりたいという気持ち)がある。

小学1年の時に、祖父母が買ってきた問題集をやらされたのが嫌だったらしい。勉強机だった古い木製の机に鉛筆で死んでやるとか死にたいとか書いていた。

人に見つからないように書いていたつもりだが、バレていたようだ。祖父母が亡くなった後に父から聞かされた。

小学校高学年で火の鳥を読んで、それから生と死についていっそう考えるようになった。

中学の頃は成績の事でよく怒られてて、2階のベランダの壁の上に座りながら、ここから落ちて死んでもいいのかなと思って月を眺めていた。

今思うと、道路から行人に見られていたら通報されていたかもしれない。

中学3年の時に車輪の下を読んだ。父は悲しい話だと言っていたが、自分主人公は楽に慣れて少しうらやましいなと思った。

高校文化祭体育祭修学旅行にはあまりいい思い出がなく、この頃から自分人とは少し違うことを感じていた。

いつだったか、両親にせっかく産んであげたのにと言われたことがあったけど、産んでくれないほうがよかったのにと思った。口には出さなかったけど。

高校3年で受験勉強がうまく行かない時があって、3階の教室の窓から下を覗いて、ここから落ちて死んだら楽になるのかなと思っていたら、クラスのあまり喋ったことのない人に飛び降りるとか考えるなよと言われた。

大学では体育会系部活に入ってしまったが、あまり馴染めずにいた。

退部する勇気がないでいたら、周りが次々に辞めて逆に辞めづらくなってしまい、結局最後までズルズルといた。

ストレスはあったけど、Winnyダウンロードした完全自殺マニュアル自殺のコストを読んで心を落ち着かせていた。

大学院では修士2年からまったく研究をするモチベーションがなくなってしまって、トラックにでも跳ねられて死んで、今まで学費を払ってくれた両親に賠償金が入ればいいのになと妄想していた。

実際に手首を切ったとこはないけど、刃物を手首にあてながら、切ったら傷跡が残るの嫌だなと思っていた。

社会人になってからは、残業はそれ程厳しくなかったが、家に帰ると体が動かなくなってベッドの上で固まっていた。

同期や職場の人とのコミュニケーションに気疲れしてしまい、特に飲み会の次の日には無性に死にたくなることが多かった。

今では会社人とはプライベートでは極力会わないように気をつけている。

数年前に父が躁うつ病になって、自殺未遂をした。

幸いにも後遺症はなく、病気も今では回復している。

自分はだったら失敗せずに上手くやったんだろうなと思っている。

ただ、死ぬことについてはまだ何となく恐怖もあって、精神科のお世話にもならずにぼんやりとした日々を過ごしている。

2018-01-10

anond:20180110212832

そのドラマは見てないが、

援助交際って結局は売春で、なんのためにかねを得ているかで印象が変わってくる。

学費生活費可哀想

遊ぶ金、また、享楽に生じて金を得たいという刹那的な心→この自堕落が!

児童養護施設出身者とすると、前者の可能性が高いんじゃないか

それでなくても学費高騰と親の貧困化で女子大生風俗に身を落としながら大学に行くというのが社会問題になってきてるし。

anond:20180109105426

学生の頃、某大企業の人から学生勉強しに来ているんだから学費を払うのは当たり前。研究室から雇われるなんてけしからん!」と言われたことがあるね。

指導教官は、「学生論文や対外発表など研究室の成果を出しているんだから学生たちにお金を払って雇うのは当たり前」という考え方だったのだけれど。

2018-01-09

https://anond.hatelabo.jp/20180104053957

①おじさんを追い払いたい

②おじさんを引き離した結果、母親が一人になるのは不安

③おじさんより自分を選んでもらいたい

兄弟への連絡は気まずい

学費生活費就職活動の援助が立たれることは避けたい

ってかんじかな?

結局どうしたいのかをまず増田がちゃんと決めるべき。

すべての懸念がきれい解決する方法なんてない。

私はどうしたらいいんだろう、どうするべきなのでしょうか、と書いているが

ゴールだけは自分で決めろ。どうすべきかなんて、それによってまちまちなんだから

あと個人的には、名字うんぬんの下りで見知らぬおじさんにきちんと反論できる、泣きながらも話す内容を紙に整理して電話をかけ直すことができる、

などができる時点で、増田はかなりしっかりしてる。これは結構すごい。なので、就職活動はそんなに不安がることないと思うよ。

ああかわいそう。近くに住んでたら励ましにいきたい。たまに見返してるから混乱したらどんどんアウトプットしてね。

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