はてなキーワード: 好きな芸能人とは
社会的な発言をする人、役に立つ発言をする人、尊敬する人、リアルの知り合いのフォローを今すぐ外すんだ。好きな芸能人も絶対見るな。
ツイッター上で他のアカウントにレスして会話している奴もだめだ。SNSで馴れ合ったり議論したりするアカウントなんかろくでもない奴らばかりだ。
ペットの写真をアップするだけのアカウントを見つけてフォローしろ。ただしペット遺棄問題やペットショップ批判に触れているアカウントはだめだ。環境問題や食の安全も一切興味なさそうな、ひたすらペットを愛でているだけのアカウントを探せ。
それから自分が手を出していない、今後も手を出さなそうな趣味アカウントもいいぞ。流行りのソロキャンプも写真が落ち着くし、ひたすらスニーカーやプラモデルの写真を上げているアカウントも見ていて楽しい。ここでも環境問題にからんだ発言をしたり、初心者にマウントをとる奴や、教え魔おじさんは避けろ。
趣味アカウントでも一大勢力のイラスト勢はやめろ。スキルの高すぎる人を見続けると病みやすいし、コンプレックスや他人とのトラブルの発言も目に入りやすい。
千葉県、埼玉県、神奈川県あたりに住んでいたら田舎コンプレックスはそんなにないだろうけども
ZIPや月曜から夜更かしやヒルナンデスや王様のブランチに出てくる東京の光景は外国のもののよう
都会でやってる楽しいイベント情報を指をくわえて見ているしかない
地方から東京へ行ったとしても浅草、池袋、新大久保あたりのいかにも観光地デースというところを巡る
東京旅行の同行人がいたらマニアックな観光地に連れていくのに気を使うし…
しかし、都民になってみると何回も細かく東京観光ができるので本当に助かる
1回目に行った場所で「あ、あそこもっと見たかった!」「うわ、行列が長すぎて並んでられない!」という体験をしても
また後日に行こうということができるのは都民の強みだ
それから、都民をやっていると日本の中心にいるんだという意識が強くなる
モノの見方が変わる
当事者意識というか
中国地方に住んでいるときにテレビでしゃべっている小池百合子をみても「ほーーん」くらいの気持ちだが
都民になって都民のために動いてくれている小池百合子を見ると小池百合子と自分の生活が繋がっているんだという意識になる。
あと自分が好きな芸能人のイベントにいって、会話までできちゃったことがすごく嬉しかった
偶然、街で芸能人を見かけるという体験はまだないけれども、芸能人を偶然見かけてみたい
コロナ禍だから偶然見つけた芸能人に「握手してください!」「サインください!」なんて言えないのが残念
せいぜい「応援してます!好きです!」と気持ちを伝える程度のことしかできないだろう
まとまりのない文章だけれども、田舎コンプレックスの人が都民になったらむちゃくちゃ楽しいだろうなって思う
地方の生活を心から満喫してた人が無理やり東京に連れてこられたら「ヤダー東京ヤダーどこも人混みすごすぎ!電車のなか地獄!」となりそう
東京がいやになって地方移住する人もいるけど、もともと地方出身だった私からすれば「都民をやめるなんてもったいないことだ…」って思う
まぁ、考え方は人それぞれ
誰でも社会で暮らしてると「好きな芸能人は誰ですか」と一度は聞かれる
そういう時大抵の人間はその時テレビでよく見かける芸能人の名前を出す
その芸能人を本当に好きかと言われるとそうではなくただ単純に売れてるから良い人だという思考で名前を出す
Wikipediaに書かれている項目も知らないし読んでもない
芸能人はブレイクしても大抵は3年もするとあまりテレビには出なくなっていく
そうしてテレビの世界から外れて宣伝と無縁な世界に回る訳だけどそうなるとその芸能人を好きだと言ってた人達はどうするか
テレビに出なくなっても追い続けるなんてのは極一部のファンだけで大抵はまたその時テレビでよく見かける芸能人の名前を出す
これは行きつけのチェーン店と同じだと思う
全国にあるチェーン店がうちの街にもできたと言って友人達と盛り上がって通っていたがその店が潰れた途端行かなくなる
ちょっと足を伸ばして隣町までいけばまた食べられるけどわざわざ食べには行かない
また同じ街に別のチェーン店が出店してきて喜んで食べに行く繰り返し
みんなが好きだと言ってるから私も好きだしみんなが行かなくなれば私も行かなくなる
2020M-1チャンピオンの二人がどちらもだいしゅき結婚したい
ツッコミの方がSNSで女の子ファンからすきすきアピールされて
ツッコミが「渡しにこい」と煽ったら
実際にマンションの近くまで来たらしい
ツッコミのマンションはテレビにも取材で映ったことあるし、特定しようと思えば特定できるんだろうな
牛乳少年のツッコミもファンと付き合ってる?結婚してる?らしいし
自分の好きな芸能人にすきすきアピール直接できるのうらやましい
認知されたりとか
自分はファンレター送るくらいで、認知されるほどの追っかけする時間もないし
地下アイドルとかに必死にアピールしてチェキとか撮ってる女の子みれば痛々しいなんて思っちゃう私だが
やっぱ牛乳少年みたいな芸人とファンの両思いの関係性はうらやましいわー
わたしはわたしで結婚しててラブラブな旦那がいるし子どもだって産んでるんだけど
去年の3月。世間が「もしかして、コロナってヤバい?」という雰囲気になってきた頃。私に好きな芸能人が出来た。以下、その人のことを「推し」と呼ばせてもらう。
ほどなくして訪れた緊急事態宣言。以前から好きだったスポーツ観戦やコンサート、舞台等が続々と中止になり、激しく落ち込んだ。
そんな時、唯一の心の支えだったのが、毎日更新される推しのYoutubeだった。
緊急事態宣言が明け、続々と無観客ライブの配信が始まる。推しも仕事を徐々に取り戻し、私は推しのライブの有料配信チケットを沢山買った。
やがて少しずつ観客が入れるようになっていくも、ただでさえ人気の推し。更に座席数が激減となると、ライブチケットは入手困難。
そんな状況でも、チケットを1人で複数枚買い、良席を抜いて残りは金額を少し上乗せして売るという、ダフ屋まがいの行動をしている女性をツイッターでチラッと見かけた。
嫌な奴だなと思った。この人が買い占めなければ、もっと色んな人にチケットが行き渡るのに。
そしてコロナも終わったわけじゃない。私は高齢で体の悪い両親に気を遣い、有料配信で推しのライブを見続けた。更に、推しのグッズが発売されたら全て必ずネット通販で購入した。
夏の終わり。私はとうとう我慢できず、細心の注意を払って、1回だけ生の推しのライブを見に行った。
やっぱり生で見る体験は違う。推しはすごく輝いていた。楽しい時間を過ごした。この思い出でしばらく頑張れる。
同じライブを見ていたファンの人とツイッターで知り合い、友達になった。
「申し訳ありません。事務所の方針で、今は写真撮影NGなんです。コロナが終わったらいくらでも一緒に撮ります!」
多分、出待ちか通りがかりのファンに頼まれたのだろう。そりゃそうだと思った。常識のないファンだなと。
時は流れて冬。コロナ感染者は増えているのに、私の職場はかなり忙しくなった。疲弊していた私は同僚に「お客さん、ちょっとは自粛してくれないかな。コロナなのに」と愚痴った。
思い返せば4月からこれまで、夏に見に行った推しのライブ1回以外は、家と職場と近所のスーパーと、本当に疲れた時に立ち寄る飲食店と、最小限の移動しかしていない。他の買い物は全て通販。
友達とはLINEで「コロナ終わったら会いたいね」と何度か話して、まだ会っていない。
一方ワイドショーでは「若者が遊び歩いているせいでコロナが終わらない」と叩かれる。(私20代の若者だけど、必要最低限の外出しかしてないよ?)と内心イライラが募る。
毎日毎日、仕事でくたくたになって帰ったら、残っている家事をこなし、推しの出ていた番組や有料配信、Youtubeを見て寝るだけ。
休日も家に籠るか、近所の散歩だけ。自分は根っからのインドア派だと思っていたのに、そんな日々にはもう飽きてきた。
年が明けて、再びの緊急事態宣言。タイミング悪く、推しのグッズショップのオープンと重なってしまった。
推しは「こんなご時世ですから、お店に行けない方もいると思います。そんな方はぜひネット通販をご利用下さい」と言った。
私はネット通販でグッズを沢山注文した。通販分の在庫は即完売、実店舗でも9割のグッズが完売した。コロナさえ無ければ、現地に行っていた。
そして先日、グッズショップの公式ツイートが目に飛び込んできた。
【なんと!推しさんが緊急来店します!〇時までおりますので、ぜひ皆さんお立ち寄り下さい!】
ああ、やられた。
TL上で「地方民だから今更行っても間に合わない。地方民はいつもこうだ」「今仕事中だ。羨ましい」と無念そうに嘆くフォロワー達。
でも彼女達と違い、私は行けるスケジュールと距離だった。自粛さえしなければ。
そこから1時間ぐらい経つと、店にいたファンのレポツイが出回ってきた。
自らレジ打ちをし、
ノベルティを渡し、
会話をし、
買ったグッズにその場でサインを入れてくれたとのこと。
明らかに1m以内の距離で撮影された推しとの写真や、「結構お話できて嬉しい」「感動して震えた」「神対応すぎて今泣いてる」等と、現地でファンサしてもらった人々の自慢ツイートがTLに流れる。
その浮かれたツイート達の中には、夏に見かけたダフ屋もどき女性もいた。
そこで、なんかもう、急に全部がばかばかしくなった。
もう疲れた。
推しも現地に居合わせたファンも悪くない。こんな感情は私の嫉妬であり、ひがみであり、八つ当たりだ。
律儀に引きこもって、自分が感染しないよう、身近な人々や推しに感染させないよう、勝手に行動範囲を狭めて、ネットで金を出して現場へ行かずファンを気取って、今ここで愚痴る私が悪いんだろう。
でも、どれだけ私が間違っていたとしても、これだけは言わせてほしい。
「自粛した方が損じゃん」
なろうの小説が原作らしいその作品は、賢い主人公と賢い味方の他は、全員理性の欠片もないバカとして描かれていた。
そんなに簡単に他人をバカだと思うなよ、私みたいになっちゃうよ、と悲しく思った。
私の両親はとかく人をバカにする人だった。
それは例えばテレビに出ている芸能人や素人、過干渉な近所の人々、私の級友の両親、各々の職場の同僚、私や兄弟が夢中になっているアニメ、などなど。
心から世の中すべてを見下しているという訳ではないと思うが、
なんというか、バカにしてみせることが、気の利いたコミュニケーションだと思っているようだった。
漫才でいうなら、家族や自分を決してボケ役にせず、その場にいない他人やテレビをボケ役と見なしてずーっとツッコミ続けるようなかんじ。
こんな田舎の環境では、あなたたちは優秀すぎる。だから周りと衝突してしまうのだ。もっと広い世界にいけばあなたはもっとのびのびと暮らせるのだ。
そんなかんじ。
私は子供心に、
大人のコミュニケーションというのは、他人をバカにして冷笑的で気の利いたツッコミをすることであり、
大人の愚痴とは、他人の無能に困らされた経験を語ることなのだと思った。
その思いは同時に、
そうでなくては愚痴る資格さえない、という強迫観念にもなった。
悪いことに、父も母もそれなりに地位があり、地域のなかでは相対的に裕福であり、私は地域のなかでは成績のよい子供だった。
足が遅くてみんなに笑われて悔しい思いをしても、家に帰れば母が自分を励ましてくれた。
あなたはこんな田舎にはもったいない子供だ、あなたをバカにする連中がバカなのだと。
大人の作法とは他人をバカにすることなのだという思い込みを覆す機会がなかった。
その思い込みはずいぶん長い間、気づかぬうちに降り積もり、すっかり私の精神にしみのように沈着してしまった。
仕事がうまくいかないことも、上司に理不尽な目に遭わされていたことも、
私は父にも母にも辞める直前まで言えなかった。
自分が無能なせいでうまくいかないのだと思っていたし、無能な分際で愚痴ることなどできないと思った。
私の記憶する仕事の愚痴というのは、有能な人間が無能な他人をバカにするというものだったから。
もしかしたら、自分は悪くないかのように脚色して話し、母にあなたの周りがバカなのだと励ましてもらうことは出来たかもしれない。昔のように。
けれどそんなことをしても意味がないとわかっていた。
自分で自分を有能だと思えなかったし、なにより、私はもう東京にいた。
私が苦しいのは、ここが田舎で周りがバカだからだ、とはもう言えなくなっていた。
他人をバカにするより他人を肯定するほうがずっと心地のよいコミュニケーションなこと、
親というのは芸能人の歌や演技をバカにするのが当然なのではなく、
何歳だって、好きな芸能人に歓声を上げて夢中になっていいんだということ。
テレビを見ながらする雑談は、テレビに突っ込んだりバカにするのでなく、素敵なこと、面白いことを口に出して誉めてもいいのだということ。
自分がいつでも他人より有能でいられるわけはなく、仕事は自分の無能を誰かに埋めてもらいながら、自分の得意なことで他人の苦手を埋めてどうにか進むのだということ。
私自身、すぐに他人をバカにしてしまうのだということ、そして他人にバカにされることに強く反応してしまうということ。
大人になってからは、努力してそういう傾向を抑えようとしている。
とくに姪や甥と話すときはそんな発言を絶対にしてはいけないと思っている。
それでもふとしたとき、無意識に誰かやなにかをバカにしてかかっている自分を発見して悲しくなる。
リアルで出会う人たちは、私よりずっと他人に対して肯定的で誰もバカにせずに生きているように見える。
だが、
ネットを通して見る人たちは、私なんかよりずっと冷笑的なように思える。
冒頭にあげた流行の漫画も、ネットでよく見るいがみ合いも、今ニュースを騒がす分断も、よく考えたらみんながみんな、相手をバカにしてみせている。
もしかしたら、他人をバカにする言葉というのは、他人を肯定する言葉より口にしやすいのかもしれない。
母が学校から泣いて帰ってきた私のために、私の級友をバカにしてみせたように、
他人をバカにしている限り、自分が他人より強く、守られているように思えるのかもしれない。
そうだとしたら、そうだとしても、そんなやり方を克服することが当面の目標ではあるのだが。
着地点を決めずにつらつらと書いてしまった。
終わり。
正月はだらだらやってるバラエティーや映画を見ながらまったりするに限る。
いつもと変わらないじゃないかと言われればその通りなのだが、放送内容がお祭りモードなので、いつもより数段楽しい。
しかしだ、そのスペシャルなムードで楽しむはずの正月映画の吹き替えがクソだった。
いや知ってたよ、前にアマプラかネトフリで見たから、あータレント起用の聞くの辛いやつだったよなーとうっすら覚えてた。
もうね、何度この悲劇を繰り返すの?
誰が悪いの?
作品と関わった人に対する冒涜ってレベルじゃねえぞ、物売るってレベルじゃねえぞっていういうか売り物ってレベルじゃねえんだよ……
そのタレントの事務所がスポンサーとして入らないと興行が成り立たないとかそういう何か揺るがし難い事情でもあるのか?
それにしたってさあ……声の仕事ってやつは努力でどうにかなるものなのか分からないが、なんとなく、その起用された芸能人自身を責め立てるのは違うんだろうな……ということさえ読み取れるくらいあり得ないキャスティングだ。
漫画のキャラの口だけ素人が描いた様な、小説の「」内だけ素人が書いたような違和感が作中ずっと続く。バカなのか?実は見せる気がないのか?
他人の仕事を台無しにするのが生き甲斐みたいなやつが映画業界人に多すぎるのか?
この種のクレームがいつからあると思っておるの?改善する気がまるでないのは明らか。幸運な例も多数あるし、ジブリに違和感は感じない。CV庵野でさえも良かった。俳優ですらないのに!?
なんなんだこれは……
どんなに好きな芸能人でもクソ吹き替えに手を染めた奴は毎分ツイッターで晒し続けるか?
所属事務所もそこに所属する他の芸能人も芸能の敵と腐し続けるか?
偽計業務妨害なのか?
炎上になったら死人が出るのか?
だがもう監督脚本家あたりが自殺しててもおかしくないくらいの所業を日本映画業界は日々行っているのではなくて?
それにもう、この底知れぬ巨悪に立ち向かうには、己も悪に手を染めるしか……
常々、ネットに溢れるどうしてもサンドバッグが必要な人らの有効な活用法は無いものかと考えていたが、『有用な悪口』という可能性が見いだせたのは良かった。
自分には人を操れるような、ましてやマスで動かせるような才能も熱意もないので、もしそういうのが得意な奴がいればどうか頼むと思って記しておく。ここに綺麗めな正義があるぞ。
芸も見た目も中身もドンピシャな人と30年ちょっと出会わず、しかもここ数年は家にテレビもない状態で平気で生きてきた
でも初めて、ついに、心から「好きだ……」と思える芸能人の手がける音楽と出合ったのは1年前のこと
日常でずっと音楽を聴いていたところ、アルバム発売をきっかけにSNSを追いかけ始めたらまんまとベタ惚れするに至る
今日はついにライブに行ってきて、終了直後に鼻息荒く(萌え語りを聞くのを趣味とする、稀少な)友人に語りまくって帰ってきた
ライブは長い長いMCから始まった アー写のポーズをとっておどけるKanさんからは高揚感が伝わってきた
Kanさんは前衛的な作曲スタイルやクールな外見、何かが乗り移ったかのようなパワフルな演奏から考えつかないくらい中身が「普通の37歳男子」(あえて「男子」と呼びたい)なところが人の心を掴むんだと思う
直前までの不安、ライブができる喜び、オーディエンスの表情が見える喜び、インスタでファンと交流した時の笑い話を「早く直接伝えたかったんだよ」という気持ちとともに話してくれた
そしてflavorから始まる本編 弾けるようにキーボードを叩く姿にただただ体を揺らすしかできなかった
Ash Blownのアレンジはかっこ良すぎたし、On My Way Homeは黄昏時の街並みが強く頭に浮かぶピアノで渋谷から幽体離脱した気持ちになった
私がKanさんを好きになるきっかけになったSit At The Pianoは私の居るエリア前に置かれたキーボードでとても楽しそうに演奏してた 人間が極限まで楽しんでいる姿はハッとするほど美しいということを知った そしてミキシングやサンプリングを一切行わない素の旋律の美しさは心に強く響いて息を呑んだし、感動で涙が滲んだ
そして、アルバムで一番好きなShe's Goneは独唱から始まった
フィジカルのものを手にしていないので歌詞の記憶にあやふやなところがあるわけだけど、今日は歌にあまりエフェクトがかかってなかったから歌詞がとてもはっきり聞こえて、泣いてしまった 私が思っていた以上に切ない歌詞だったのだ
こんなに軽やかなアップチューンに山崎まさよしばりの未練がましい歌詞を乗せちゃうKanさんの感性には敬服してしまう
どんなに辛くても、体を揺らして音楽に身を任せればいつのまに気持ちは上がってる……のかもしれない
そんなポジティブな気持ちを勝手に受け取って、そして楽しそうに演奏するKanさんを見て、また少し泣いてしまった
ときに森川さんと担当楽器を交換し、ときに颯さんのドラムに乱入し、かと思えば真っ赤なトランペットを吹いて、いい感じに好き勝手やってるKanさんは無邪気で尊い
無邪気に超絶技巧を披露するってそうそうできることではないと思うんだけど、やってのけるのがKanさんのすごいところなんだと思う
努力の結晶、無邪気さ、クールさ、荒々しさ、全部が同居していて、それを惜しげもなく表現できる人はとっても稀有だ
内面にどんなにすごいものを持ち合わせていても、ある程度表に出さないと人には判別できないことがほとんどだ
世の中のディスコミュニケーションは「情報量不足」がほとんどの原因だと思うんだけど、Kanさんはライブという限られた場所で全部出し切ってしまう 自分の内面と常日頃向き合い、丁寧にアウトプットしているからできることなんだろう
表現に向き合うことはイコール自分と向き合うことであって、常に向き合い、問いを重ねる心の強さがある人がすごいパフォーマンスに到達できる
あの無邪気なステージにKanさんのすごいところをたくさん見た気がする
でも、それならばとわたしが好きな芸能人を「受けだよね」とか「〇〇(他の芸能人の名前)とデキてるよね!」とか言われると腹が立つ。
わたしは純粋にその芸能人に憧れて、尊敬し、唯一今日も健やかであれと素直に願う対象なのだ。
どうかわたしの好きな芸能人の勝手な解釈を押し付けないでほしい。今はその沼から出て話をするタイミングではないのだよ。
あとTwitterで堂々と〇〇と〇〇は受けだの攻めだのと言わないでほしい。腐女子専用アカウントでフォロワーもそれを承知ならば問題はない。けれども専用アカウントでもないところで興奮して受け攻めの討論をしないでほしいのだ。
不快だと思う人もきっといる。なんなら本人の耳に入ることだってある。
腐女子のみんな、どうか開き直らないで欲しい。
あなたたちの性癖にどうこう言うつもりはない。何度も言うがわたしもBLは好きだ。ただ場所を弁えて欲しい。本来ならBLはコソコソと仲間内だけで楽しむものではないのだろうか。わたしはBLが好きとは公言するけど、じゃあ誰と誰が推せるかなどはわたしの頭の中だけでとどまっておけばいい。声を大にして言う必要は絶対にない。
もし教室の片隅で静かに本を読んでいるだけの自分に対して「あいつは物静かそうに見えて絶対淫乱だよな」などとクラスの男子に言われたらどう思うか。それで抜ける抜けるなどと言われたら嬉しいと思うのだろうか。
好きな芸能人ができると、ミーハー心が暴走して「この人と結婚したい」と一瞬思うんだけど、でもこの人に家事育児させて芸を磨く時間を奪いたくないな…って冷静に考えるようになった。
同業者と飲みに行ったりご飯食べたりしててほしいし(ご時世はさておき)、夜寝る前には好きな本や漫画を読んでもらいたいし、休みの日には好きなだけ寝たり仕事のための勉強やインプットに没頭してほしい。
本人がやりたくてやるなら受け止めざるを得ないけど、できれば一生子育てとかしないでほしい。
子育ては、ほんとに、感性とそれを深める時間を奪う。あ、実体験の話です。すでに結婚もしてるんですけど。
ひきかえ配偶者には道連れを望んでいる。外で遊ぶな、起きてるなら家事育児しろ、休みの日も早く起きて掃除洗濯どんどんやれ。
一番尊敬しているはずの人なのに、育児から解放してあげられる心と体とお金の余裕がなくて申し訳ない。
一緒に、感性が死んでいく日々を送ってくれ。
じゃあ黒鯖をやろうモバイルもあるよ
モバイル版もキャクリも秀逸で自分自身や好きな芸能人に寄せられるやで
ただの着せ替えゲー・たまごっちだけど、グラがリッチなので フフッ ってなる
面白そうだけどキャラクリ出来ないのとスマホ・タブレットでゼルダアクションはキツそうなイメージあって
まだインスコしていない
Tropico とか Civilization とか This War of Mine とか The boneFire とか Beholder とか Papers, Please とか
スマホ・タブレットでも操作に無理がない、アクションじゃない、移植ゲーの買い切りしかやっとらん
黒鯖モバイル(ソロ着せ替えゲーだが一応 MMMO を名乗ってる)と
Reigns とか Lifeline (Applewatch持ってるけどiPadの時間をガンガン進めて待たないよ) とかも好きよ
She See Red とか Telleng Lies もいいね。Life is Strange も My Child Lebensborn もやった
2001年の2月、ジャニーズ好きの友人に見せてもらったビデオ(ザ少年倶楽部)で嵐を知ってハマった。
ジャニーズのJの字も知らない、「キンキどっちが好き?」って聞かれて「魚?」って答えるくらい無知だった。
そこから少ない小遣いやり繰りしてCDやアイドル誌買ったり、頑張ってバイトしてファンクラブ入ってライブ行って楽しんでた。
同級生に好きな芸能人を聞かれて「嵐」って答えると大抵「嵐って何?」「あ、なんかジャニーズにそういうグループいた気がする」
アイドル誌持ってって見せると大概センターにいたメンバーを指さして「この人がリーダー?」って言われてた。それは松潤です。
流行りもの好き女子中高生の知名度がクソの頃からの嵐ファン。アリーナの後ろの座席が埋まらない頃から嵐ファン。
真夜中の嵐でファンの自宅に夜中忍び込んでた頃からの嵐ファン(番組に鍵を送るファンもどうかと思うけど、実際行かせる企画作るスタッフもどうなの)
Cの嵐!でリーダーがクレーマーに土下座してた頃からの嵐ファン。Dの嵐!のコーナーAの嵐!(実験コーナー)で生ゴミ揚げて食べてた頃からの嵐ファン。
犬の着ぐるみ来て2時間番組(好評?だったのか単発かと思いきや2回目もあった)(犬の着ぐるみでライブもしてた)
白Tシャツにハサミ入れて両乳首こんにちは。ストッキング被って木彫り呼ばわり。楽屋に合宿みたいに布団引いてイタリアの大砲ってカメラに向けて尻を付き出す。
アングラ寄りの体当たりアイドルグループ嵐。当時、嵐にはいっぱい楽しませていただきました。
通達が来て「今まで使っていた会員番号(6ケタ)の前に、今後は00を付けてください(8ケタ)」の時点で「おや?」となった。
やっと行けたと思ったら会場の規模はドームになっててペラい衣装は派手になっててセットの豪華さがヤバかった。
テレビで目にする機会が増え、いろんなファンが増えたなって体感した。自分の周囲も嵐を認識しだして、何回かライブDVDを貸したこともある。
ネット上で見掛けるファンには今までの熱心な層に加え、ライト層、アンチ層が増えた感じ。アンチは人気の証拠みたいなもんだから構わなかった。
でも、熱心を超えた盲目的なファンは正直、気持ち悪かった。あと、タレントや芸人に無闇に持ち上げられすぎているのが気持ち悪い。
どんな言動しても奇声を上げるように褒め称えるのみ。彼らは可愛い赤ちゃんや幼児じゃないんだよ。
そういう立ち位置になったんだな、というのは理解しているけど、多分自分の中でアングラ寄りだった頃の感覚が抜けていないせいか、違和感が物凄い。
完全に自分の問題だと思うけど、気持ち悪い。嵐を見ると漏れなくそれらが付いてくるから、いつからか距離を取るようになっていた。
嵐メンバーのみで見ると、交わしてる会話とかコメントとかでアングラ寄り時代の残り香を感じるし、かといって昔のまま変わらずいて欲しいとかもなく、
SNS解禁とか新しい事に取り組んでるのも頑張ってほしいって思うから、嫌いになったわけじゃ無いとは思う。
ただ積極的に見に行くことは減った。見に行くと、漏れなく気持ち悪いが付いてくるから。
今の自分はたぶん嵐ファンなんだけど。ちょっと自信なくなってきたな。
コロナで色々制限掛かってしまったけれど嵐にはグループ休止までやりたいことやって駆け抜けてほしいし、個々での活動になっても応援したい。
当時ハマっていた芸能人の名前で検索すると出てきたブログで、文章に惹かれるものがあったので定期的に訪問し、過去の記事も拝見していた。
その方には他にも好きな芸能人が居たのだが、その芸能人も共通しており、勝手に親近感を感じていた。
内容から推定するに、自分よりも約5〜10歳くらい年上の方で、日々の楽しい出来事を綴っておられ、なんとなく憧れるような存在であった。
読み始めた当時はその方は独身だったが、読み始めて3〜4年が経った頃にご結婚され、勝手におめでたく思ったものだった。
その後、ブログに出会うきっかけだった芸能人は第一線を引かれてしまい、自分自身も環境が変わったことから次第にブログを訪れることも無くなっていった。
先日、ふとその芸能人の方はお元気かなと思い、Twitterで名前を検索し、ご本人のつぶやきやファンのつぶやきなどを眺めていた。
すると、そのブログを書いていた方がTwitterをされているのを発見し、勝手に少し懐かしい気分になった。
ツイートを拝見していると、その方は今は首都圏で暮らされているようだった。
今もきっかけの芸能人のことはお好きなようだったが、あまり活動されていないこともあり、その芸能人に関するつぶやきは少なかった。
自分自身も目立った活動の無くなってしまったその芸能人を気にかけることも減ってきていたので当然のことだなと感じた。
今は新しく別の芸能人にハマっていらっしゃるようだったが、その芸能人は一度自分もハマりかけたが、あまりファンの質が合わず、一気に冷めてしまった芸能人だった。
やっぱり好きな芸能人の傾向が合う方だなと勝手に嬉しくなったと同時に、その方のツイート内容を見て合わないと思ったファンの質の片鱗を感じてしまい、一気に冷めてしまったときの感情も蘇ってしまった。
勝手に。
ひたすら勝手に感じた感情を述べているのだが勝手ついでにもう少し続けたい。
その方はブログをよく拝見していた当時から仕事も一生懸命頑張る方だった。
仕事関連のブログを読んだときには自分も頑張ろうという気にさせてもらったし、当時、慣れない仕事に四苦八苦していた自分は元気をもらっていた。
だが、最近のツイートを読んでいるとあまりのプライドの高さに辟易してしまった。
どうやら、ここ1、2年の間にその方の人生でも大きな変化があったようで、その経験がプライドの高い発信内容につながっているようだと感じ、勝手にがっかりしてしまった。
ただ、よくよく考えてみると、当時からそこまで発信している内容は変わらないのだが、自分自身が少しずつ社会を知ったことで、なんとなく痛々しく感じるようになってしまったのではないかと感じる。
他にも、最近の時勢についても色々と思うことがあるようで、その発信内容へ決定的にがっかりしてしまった。
このブロガーの方だけではないが、制限が色々と多い現状の中で、人の本心や汚い所(時々はきれいな所も)透けて見えることが多いように感じる。
もちろん、今まで好きだった人、モノ、場所などを違う風に感じてしまうこともこの現状以外においても、人生を過ごしていけば多々あることだろう。
変わっていくことをなぜ
僕らは恐れるのかな
変わらないことを笑うくせに
勝手にがっかりしたブロガーの方と共通する好きな芸能人の曲にある歌詞の一節である。
昔はふーんとなんとなく聞いていた歌詞だが、今は心に突き刺さる。
勝手に読んでたブロガーに勝手に期待をして、勝手にがっかりした自分の勝手さにあきれてしまう。
人もモノも社会も世界も変わっていくものだと受け止めなければならない。
…………と勝手にカッコつけて綴ってみました。
多分明日読んだら恥ずかしいな。