はてなキーワード: 同業者とは
俺は昨年末にプロ野球選手と結婚した某女性声優Tが好きだった。それはもうめちゃくちゃ好きだった。だがしかし、結婚した相手が悪かった。現役のプロ野球選手なのだ。
これが仮に一般男性となら相手は表に出てこないからまだいい。しかしプロ野球選手なら試合の度に出てくるし、というか「名の知れた著名人」だから嫌でも連想してしまうのだ。相手の顔と名前が分かるって辛いよね。ていうか「Tが結婚している」という現実から逃れられない。
しかもその相手のプロ野球選手・・・Wが結婚以降ネタ的な存在になり大衆から話題にされやすくなったのも大きい。俺はTwitterで名前をミュートし5ちゃんねるのスレタイNGにも追加した。つまりもう野球ファンな俺にとってオリックス戦の度に存在がチラつくのだ。そして現実に絶望する。これ、某西武のショートと結婚したアイドルのオタクは分かってくれるのかなぁ。
つまり、オタクはガチ恋を辞めろ。もしお前の推しが同業者、あるいはこう名の知れた有名人と結婚したら現実から逃げられなくなるぞ。そもそもお前に女性声優と結婚は出来ない。
一般男性と結婚したなら「俺も一般男性になりてえ~w」って冗談言ってられるけど、こうやって有名人と結婚されたらお前の出る幕はないぞ。だから、ガチ恋を辞めろ。あれから9ヶ月も経ってるのにまだこんなことを言ってるモンスターになりたくないだろお前。本当に毎日野球があるたびに気が狂いそうなんだ、助けてくれ。
スウェーデンの夜を覚えている。2月のスウェーデン。坂道を歩く。サーブ、フォルクスワーゲン、トヨタ、表情豊かな車が路肩に並び、眠っている。不思議とどの車もくすんだ色になる。
北欧の夜には不思議な静寂がある。凍ったアスファルトが音を吸いとってしまうのかもしれない。街灯の光子も彫刻のように止まっている。
あの冬、仕事で北欧にいた。同業者と一緒に北欧を回る出張だった。みな、巡礼者のように、同じような黒のダウンジャケットに身をつつんでいる。凍った道に足を取られないよう、歩幅を狭くして、冷気で化粧した街を歩く。
「ペリカン」という名のレストランに入ったのは、北欧に着いてから何度目かの夜だった。タイル張りの床、チークの壁、スカンジナビア特有の、あのとろけたような飴色の照明。ビアホールスタイルのペリカンレストランはダンスフロアのように広く、笑い声とグラスを打ちつける音に溢れている。今までに見たどのレストランよりも薄暗いが、しかし、今まで見たどのレストランよりも客の顔が明るい。
僕らは4つのテーブルをくっつけた一角に座る大所帯で、めいめいが好きなビールを、あるいはワインを、ぶっきらぼうな英語で注文した。テーブルのろうそくが子熊のダンスのようにゆらめく。人の瞳を大きく見せる、不思議な炎だった。スウェーデンで覚えた「スコール!」の掛け声とともに、琥珀色の液体を冷えた胃に流し込む。
ざらざらとした紙のメニューは、スウェーデン語と英語の2つが印刷されていた。チーズ、魚、マッシュドポテト、そして子猫の頭ほどの大きさがあるミートボールがテーブルに並ぶ。肉厚な白磁の上で、てらてらと光る料理を見ていると、夢と現実の境界が曖昧になる。メニューに刻まれた”smaklig spis!”の文字が滲んでいく。
ふと隣のテーブルを見ると、やけに騒がしい。スウェーデンの若者が盛り上がっている。年の頃は20代。テーブルではしゃぐ8人全員が屈強な男たちだ。不思議なことに、全員が純白のナプキンを頭にかぶせている。ナプキンの四隅を結び、帽子のようにして。
水夫のようだ、と思った。彼らはだいだい色の髭と睫毛をろうそくの光に透かし、歌を歌い始めた。樽いっぱいの勇ましさに、ひとさじの寂しさを混ぜたような合唱。なぜかその歌と、その力強い瞳と拳とは、バイキングを思い出させた。
アルコールの助けもあるのだろう、バイキングのひとりが、僕らに話しかけてきた。君たちはどこから来たのか?トウキョウだと答える。すばらしい!乾杯!と男が叫ぶ。テーブルでできた国境は曖昧になって、アジアとスカンジナビアが溶け合った。トウキョウの明かりは闇を削る。北欧の光は、闇をぼかすようなやわらかさがあった。
日本の歌を聞かせてくれ!——スウェーデンの若者がテーブルの向かいから叫んだ。僕らは困り果ててしまった。この異国の地で、ここにいる日本人が詰まらず歌えて、しかも日本を代表するような歌……それは一体なんだろうか?
君が代。いや、堅すぎる。「翼をください」はどうだろう?しっくりこない。誰かが言った。「『ふるさと』だ」
そして僕らは、声を揃えて歌った。
兎追いしかの山……小鮒釣りしかの川……夢は今も巡りて……忘れ難き故郷……
北欧の地においても、当然ながら僕らは日本語でコミュニケーションをしていた。でもそれ以上に、「ふるさと」は日本語で話していることを意識づける歌だった。
8000キロ離れたスウェーデンの地で、この歌の持つ郷愁は凄まじいものがあった。僕らは住んだこともない日本の原風景を思い浮かべて、目頭を熱くした。バイキングの若者たちはその大きな手で拍手する。ペリカンレストランの客にとって、「兎」や「小鮒」から浮かぶイメージは、僕らのものと随分違っていただろうが、歌の持つなにかは伝わった。
そして彼らは返歌とばかりに、彼らの故郷の歌を歌った。いや、実際は故郷の歌ではなかったかもしれない。けれど、僕らが言葉とメロディで故郷を表現したことを、彼らは彼らなりに感じとって、故郷の歌を口ずさんだのではないかと思う。そう思いたいだけだ。独りよがりかもしれないけれど、ペリカンレストランの光は、そう思わせるに十分な魔力を持っていた。
歌の交換が終わり、場が落ち着いて、ひととおり肉と魚とアルコールを胃におさめた後、僕らは三本締めを派手に決めてやった。これもスウェーデンにはないものだ。隣のバイキングに威勢を張るため……あるいは、友好の意を示すため、僕らは目配せし合いながら手を掲げた。「イヨォーオ!」という掛け声とともに掌を打ち付ける。スウェーデンの若者がワッと歓声をあげる。「俺にもやらせてくれ!」誰かがスウェーデン語で叫んだ。「よし!」日本語が応える。片言の「イヨーオッ!」、それに呼応する柏手。そして都合3回の三本締めを終え、スウェーデンの夜はふけた。
あれは夢だった、と言われても信じてしまうくらい、全てが出来すぎた夜だった。
ホテルに戻り、ベッドに倒れ込む。
頭の中に、凍りついた道と、白い息と、温かなテーブルと、チョコレートのようなミートボール、人懐っこいスウェーデンの男のきらきらした眉毛がこびりついている。
蟲師のわりと初期のエピソードのラストあたりに出てくるセリフ。
色々あって自分を犠牲にして地域を救おうとする同業者の爺さんを主人公は「なんかあんだろ!こんなのよりゃよ!」と勇ましく止めるんだが、結局なにも出来ず爺さんは消えてしまう。
爺さん亡き後、超のどかな景色の中、山を見つめて主人公はこぼす。「ないねえ 残念ながら」
蟲師、単話完結型でビターエンドも多めなんだけど、基本的に主人公は優秀だしわりといい感じの解決策を出せることが多いんだよな。ビターな終わり方をする場合は問題の当事者たちの精神面とかに原因があり、主人公はよくやってたってことが多い。
この話でもまあわりとよくやってるんだけど、でも何かが出来たかっていうと実際なにも出来てなくて、爺さんの自己犠牲を止められずじまいだった形になる。
それでこう、自嘲するのがいいんだよなあ。自嘲つってもそんなに卑屈にならず、サラッとしつつも悔しさをにじませてるくらいなのが丁度いい。
誰かの犠牲によって確立された平和の中で主人公がひとり悔やむっていうシチュはけっこうよく見る気がするけど、セリフ回しあたりはこの話が一番好きかもしれない。
当時、人生のほとんどの時間を投入していたメインの仕事で著しく自信をなくし、その仕事を廃業してしまおうと思っていた時期があった
そんな時に同業者が連絡をくれ、励ましの飲み会を開いてくれて、見るからに憔悴していた俺に「自信がなくなった時は、途方もない目標を立ててみては?」と言ってきた
手頃な目標で成功体験を積み上げる程度では、失った自信は取り返せないどころか、そのままスケールダウンを続け萎縮してしまうと思ったそうだ
そこで俺は当時大好きだった竹内結子さん関連の仕事ができるように、今の仕事を続ける実績を積み続けようと気持ちを立て直し、それから10年が経過した
日曜日の朝に流れた速報はたまたま外出していて見ることはなかったが、妻からの連絡で知った
あまりにも突拍子もない話に、映画の話なのかドラマの話なのか、もしかすると竹内さんがゲームでもしていて……という話なのかと、理解が及ばなかった
スマホを見ればきっと事細かに報じたニュースを見ることもできただろうが、なんとなくできないまま夜になった
夜中、好きな音楽をかけて仕事を再開し、我慢できずに調べてしまった
悲しい知らせは事実で、悲しむ書き込みや心無い意見を見て、空虚な気持ちが膨らんで行って、現実感がとにかくなかった
4時半ごろ、カーテンの隙間からにわかに明るくなった空が見えて、とても穏やかな気分に包まれた
数年ぶりに感じた平穏だった
俺があの時に立てた目標はもう叶わない
それに対して、恨み言を言うでも竹内さんのせいにして逃げたり諦めたりすることもない
誤解を恐れずにいうなら、竹内さんが自ら死を選んだことで、悩みや苦しみから解放されたのならよかったと思う
分かる?
まず予約すんじゃん。 予約出来た時点で在庫確保と見なすじゃん。んでヤフオクやらメルカリで出品すんじゃん。売れるじゃん。売れてはじめて、お金を払って商品を引き取りに行くの。
お店から落札者に直送してくれるなら、なお良いよね。送料もラッキー。
落札されなかったら予約キャンセルすればいいだけだから、お金が無くても稼げるのが転売なわけ。小売店が仕入れコストかかるだけ。小売店は大変だろうけど転売屋は困らない。
在庫化しないから在庫リスクなんてないの。売れなかったら予約をキャンセルすればいいだけ。小売店が在庫リスクを抱えるだけ。小売店は困るだろうけど転売屋は困らない。
ヤフオクやメルカリでは「在庫持ってない商品は出品しちゃだめよ~」なんて規定があるけど、知ったことじゃないよね。予約出来た時点で在庫確保したとみなして出品しちゃうよね。
ヤフオクやメルカリから「ほんとに在庫ある?」みたいな警告メールが、たま~~~に 来るけど、そんなのそのときだけ在庫引き取って1個だけ写真撮って「ありますよ~」で、お互いに「そっか~、よかったよかった」で終わりだよね。ヤフオクやメルカリも共犯だし、なんなら同業者だよね。
安く仕入れたものを高く売りぬくのが転売屋だと思うじゃん? 違う違う。
需要のあるものを買い占めるのが転売屋だと思うじゃん? 違う違う。
転売屋は「もの」を売ってるわけじゃないの。「権利」または「券(チケット)」を売るのが転売屋なの。予約権やら整理券を売ってるだけなの。
在庫を仕入れてる転売屋は、単なる「高値の仕入れ商売」ってだけ。転売屋はケンを扱うの。
「高額販売」と「買い占め」と「転売」をまとめて議論してっから やられっぱなしなんだぞお前ら。学べよ。
まず「普段 日常的に駐車してある場所」をチェックしておいて、他人の乗り物を写真にとって まず「出品」そして「落札」されてからの、盗みに行くんだって。
そうすることで、利益確保が確実だし、「もの」が手元にないから 足がつかないんだってさ、笑っちゃうね。
ちなみに、先のトイレットペーパーは、あれは転売屋じゃなくて、単に あせった主婦や年寄りの行動の結果。あんな在庫スペースや送料リスクの高いものは、転売屋は扱わない。トイレットペーパーで利益出せてた転売屋がいるなら、むしろそのノウハウを買いたいぐらい。
マスクについては中華系。チャイナは人海戦術で根こそぎ行くから、転売屋からは目の敵。チャイナに「ここに来れば買える」と気付かせないために、転売屋があえて買い占めることもあるけど、あれは中華系。海外から輸入の時点で在庫を買い占めて、街の雑貨屋やラーメン屋に降ろすなんて、転売屋のノウハウで出来るものじゃないよ。
ゲーム機は、あれはある意味 中華と転売屋の合同商売みたいなとこがあるよ。
共産圏にとってゲームは西側コンテンツだし西側文化だから情報統制対象で、ハードレベルで情報規制(ロック)をかけて売るのね。プレイできるゲームと遊べないゲームがでてくるの。でも話題のゲームを遊びたいわけじゃん。だから あっちの金持ちは10倍の値段をだしてもロックのかかってないゲームハードを求めるよね~。
チャイナとしては在庫をがっつり抱え込んでも十分利益出るし、輸送するにあたっても大量輸送のほうが楽だからね。中華系が買い占めたがってるし、転売屋がその手前に入り込んで高値で中華系に「権利」を売ってるよ。
あるよ。「情報商材」ってみんな馬鹿にしてるかもしれないけど、あれは「情報(ノウハウ)」を買うわけじゃなくて、彼らの「コミュニティ」に加えてもらうことに価値があるのよ。
他の民族、他の部族の文化風習を、必要な範囲で理解し妥協をする
ということと
話し合うということは同じではない。
あるいみプログラムの仕様書を日本語で書け、英語で書くなみたいな話である。
話し合い、会議、打ち合わせという、事をすることではない。
普段会議は仕事ではないプログラムしている時間が仕事だと主張している
プログラマーらしくない。
プログラム時間がメインの仕事であり、同業者での話し合いは副業である。
この文化の違いが
揉めたんだろうなぁ
まぁ、ごめんね。察して
ネットの世論は商業漫画家の失敗にどんどん厳しくなっていると感じる
プロの癖にこんな事も分からないのか!プロの癖にこんな漫画を描くのか!プロの癖に言動がしっかりしていない!
これが口だけの「無産様」なら精神的勝利法でしのげるだろうが、プロクラスの画力で商業漫画を添削して見せる匿名も珍しくない
昨日は意識高い系に叩かれ、今日は同業者に叩かれ、明日はフェミに叩かれ、明後日はオタクに叩かれる無間地獄じゃん
一方同人漫画家には値段を吊り上げろ!お前が正しい!客を選べ!と甘やかす声が目立つ
これはそう思いたいだけじゃないですかね?
今の時代、ポリコレ的にアウトだと判断されたら創作者は簡単に切られますよ、出版社にとってその方が合理的だし作者の立場は弱いですから。
例えばツイッターで数人の女性やフェミニストが私の作品をポリコレ的にアウトだと騒ぎ始めたらどうでしょう?
多分、私は潰れます。ぺーぺーですから。それ以降の仕事も無くなるでしょう。
例えその批判が理屈の通らないものだと思っても私は反論できません、反論したこと自体が批判されますし、客商売ですから。
幸い私はポリコレをある程度気にした作風なので、そこまで心配無い気はしますが……いや、嘘ですね。
ポリコレ的な視点が有れば有るほど、自分の作品のまずさや暴力性、その不可避さも見えてきます。
ポリコレ的な批判を絶対に受けない作品作りは、少なくとも私には不可能です。
そういう状況でも、「圧力」とは認められないんですよね。
普通有りますか? ツイッター上の数ツイートで明日突然仕事が無くなるかもしれない、そういう職業。
いや……いっぱいあるか。
しかし、ともかく憂鬱です。職を失うかもしれないアクションを「圧力」だとすら認めて貰えない。それがどういう感覚か、創作者でない人に理解して頂くのは恐らくかなり難しいでしょうし、同業者の間でも感覚の個人差は大きいでしょう。
批評はいいんですよ、批判も、どんどんしてください、私は自分の作品が批判されるのも割と大丈夫な方なので、それはいいんです。
でもそれが、今後の仕事や、創作者としての仕事を失う事に繋がるとなると、本当に不安です。
これしかないんですよ、私の人生は。これが無いなら私の人生に価値は有りません、そう思ってこれまでずっと生きてきました。
創作を奪われる事は私にとって命を奪われる事に等しい事です。
(もっとも、商業的に活動できなくなっても創作は続けるでしょうけど、けれどその時の喪失感は今想像してみるだけでも本当にいやなものです)
どうすればいいんでしょうね。
ほんと、八方ふさがりです。
ケン・ローチと同じく、さぁ泣け!同情しろ!って作りじゃなく、
極めて厳しい立場に置かれながらも、優しさとユーモアが感じられる作品なんだけど、
実話を元にして主演は素人のロマの人なんだけど、映画の成功は彼にまったく富をもたらさなかった
それどころか、映画の成功で金持ちになっちゃいないのに同じく厳しい立場にある同業者からやっかみを受け、
職に就いているときでも妻を病院へ連れて行くことすら困難を極めたのに(それが映画のストーリー)
それすらも失ってしまったのだ、しかも唯一の財産である健康まで失われた
ドイツへ難民申請する・・・が、ドイツは無下に拒否(特別扱いせずフローに従ったともいえる)
「裕福になりたいのではありません。普通の仕事と、家族を養うチャンスがほしいだけなのです。子どもたちは道端で物乞いをしているが、私にはどうすることもできない」
https://www.hollywoodreporter.com/news/berlin-bear-winner-forced-seek-678201
https://www.afpbb.com/articles/-/3007151
2018年にも第63回ベルリン国際映画祭で受賞した銀熊賞のトロフィーを売り払って、旅費にし、
映画祭で窮状を訴えようとするも、ドイツへ難民申請をした際の罰金支払い義務で映画祭の開幕前に強制帰国
そうして、貧困の中、怪我と病気とストレスで2018年に彼は死んだけど、
言葉も無い
しかしセレブじゃないワイらに出来ることってあるんでしょうかね?
加えて映画になっていないだけで同じ立場、場合によっては最も酷い人たちもいる
このご時世、色々な面で限界を感じている人はいると思う。このままだと精神面でヤバいと感じたのでそっと匿名で発散させてほしい。初投稿なのでお見苦しい点はご容赦を。
今年に入ってから、一時期を除いて経営母体に他人との食事を禁じられ続けている(正確には、自粛を求められている)。
もともと入院患者さんがいらっしゃる限り休日など存在しない職業ではあるが、今年は唯一の1週間の長期休暇も他人と過ごすことはできない。もちろん盆も正月もない。時給換算したら…おっと、この話は今日はやめておこう。
都道府県境も有事以外は超えないように言われている。同自治体内の自然溢れる施設などは休日には人が殺到しているため却下。体を動かそうとジムに行けば医療従事者は休んでる方もおられますとやんわり伝えられる。自宅や仮想の森で生身の人間と話さずに過ごすのはもう飽きた、何をして過ごせばいい?
初期の頃は配偶者等を含む家族との食事も禁止だったから自費でホテル住まいをしている人もいた。その頃は皆で一丸となっていて自分達もできることを頑張ろうとモチベーションをもって働いていた。当たり前のようにあった物品が高級品となり、それを案じて寄付してくれる方々もいた。
飛行機や花火を見る暇はないけれど、心のどこかで色んな人が協力してこの状況を乗り越えていくんだと心強く感じていた。
第二波に入ってからは、「まずは経済を優先する」という方針に固まってきたため、複雑な思いを抱きながらも出来る仕事を粛々と行い、どんどん埋まっていくベッド、だんだんと回数が増えていく断らなければいけない救急車用PHSを眺めてきた。時には「重症者は増えても仕方がない」のような意見をネットで見て、今日行った仕事はなんだったのだろうとお風呂で涙したりもした。他方、我々の状況は変わらず、職場では必要最低限の仕事の話を他人とし、家では壁にぶつぶつ話しかけて過ごしている。全ての欲が減衰し、はっきり言って私は経済を去年の半分も回していない。回せる人は頑張って回して欲しい。
蜘蛛の糸を垂らされて、皆で穴の上を目指して強固になったと思っていた梯子は外され、上から水やらなんやらをかけられている気分。目の前の人1人をチームで救う力はあったとしても、世の中の大きな流れは医療崩壊は起きても仕方がないと考えているのかな?
少なくとも私は、1人でも人が亡くなることに関してとても悲しいと感じている。1人でも多くの人をまだ未知の部分も多い疾患から守りたいと思って働くことはそもそも間違っているのだろうか。
それでも心を無にして働くしかない。
流行り病があるからと言って、血圧は下がってくれないし、癌や出血は引っ込んでくれないし、事故が急にゼロになるわけではない。病気は日にち薬や魔法で改善するものだけではない。手の届く範囲で救える人を救いたい。
それでも。せめて誰か一人でいいから、一緒に焼肉を食べてください。私が奢る。
(追記)
お返事の仕方がわからなかったのでこちらでまとめてお返事とさせてください。
家族以外とのご飯が食べられた時期があり、普段以上に友人のありがたさを感じた。これが、ここに書いてまで食べたかった他人との焼肉なんだなぁと思った。ハラミも食べられて嬉しかった。また夏頃までに部屋の掃除をしておくから焼肉できたらいいな。
以下はただの愚痴です。
周りでも次々と院内感染が発生し救急受け入れを一時的に止めたり、そうでなくても満床で受け入れが難しかったりする状況になっている。あまり知られてないようだが、冬は例年ですでに病床がパンパンなことが多い。令和の時代にここまで医療崩壊を意識する時代がやってくるとは去年は想像もできなかったな。
慣れとは恐ろしいもので、私は短期間でも恵まれた期間があったからなんとか働いている。時折色んなニュースに腹を立てながらも、ここに投稿してからはお風呂で泣いたりはなくなりおかげさまですっと憑き物が落ちたようだった。
業界で働く人全員が冬を迎えられるような状況にうまく折り合いをつけられたわけではなく、残念ながら退職される方もいた。病院の収入そのものが私たち医療従事者の収入になることは全くなく、入院患者数が増えたからボーナスが出たり時給が上がるわけじゃない。
粛々と働くだけだけれども心はいつまでも頑丈ではない。人は漸減し負担は増える一方となっている。病床数だけ増やしたとしても新しい場所で働く人は魔法のようには増えない。
この半年間で気づいた人が増えたように、拍手してもらったり花火が上がったりライトアップされたりした数だけ、ビスケットのように医療資源同様、私たちへの補償が生じるわけではないので辞めたい気持ちはすごくよくわかる。
最初はお金を使えず〜と上にも書いたが、慣れた今お金は普通に欲しい。ストレス発散にネットショッピングはめっちゃしている。直接診療している人からの温かい言葉はとても嬉しいけれど、むしろ間接的に仕事を増やしてくる人たちからのうわべだけの感謝の言葉はいらん、お金か、呼び出しも絶対ない本当に病棟に一回も行かなくていい休みを夏休み以外にください。
結局目の前の人を救いたいという気持ちで働いているんだなと再確認した年になった。いろんな方法で多くの人を救う力のある人は本当に頑張ってほしい。目に入ってきてしまう我々に対するいろんな文句や目を疑うような同業者の発言は視力のせいにして見えないことにした。最近は某珈琲のCMのように自分が地球外生命体と思いながら働いている、この星がどういう方向に進んでいくなんて知らない。心がもつ限りやるべきことをやる、それだけだ。
なんかよくわからないけど韻を踏んでる?言葉のやりとりを繰り返したり
意味わかんないタイミングで「2日前の自転車…」みたいな意味わかんない単語連続で言ったり
複数人が無秩序にドタドタ歩き回ったと思ったらいきなり止まって関係なさそうな単語を発言したり
私からしたら大まかなストーリー以外、全然理解できないんだけど、その全てを身内(同じ劇団の人や同業者)では「エモいエモい」と言ってる
ドラマのラストとかで意味深な終わり方してあとは視聴者にお任せ、レベルではなく全てがこっちの解釈に任せられてる感じで疲れちゃう
そんな感じで、有名なお話をやる場合じゃない限り初見では意味が理解できないことが多いから誘われない限り行かないんだけど
あれって演劇やってる人たちは意味がわかっててエモいの?意味わかんないけどとりあえずエモいの?
あと偏見だけどそういうのやってる人劇場の山崎賢人みたいな傷つきやすいナイーブクズが多いイメージ
おわり
置いてあったのは屋外の私有地。
道路からは視認しづらい位置に、中身がわからない段ボール箱に入れて保管。
かなりの田舎。
人がめったに通らない田舎の狭い道で、段ボール箱が中身ごと盗難。
その道路は狭く、ほとんど抜け道にもならない位置のため近所の人しか通らない。
その近所の人も、狭すぎるのであまり通りたがらない。
大体の人は迂回する。
ただの一人を除いて。
その容疑者は広かろうが狭かろうが、常にキョロキョロしながら徐行運転することで有名。
その狭い道を通る事で唯一、自宅までの距離が短くなる人。
その道路を使う人は
我が家9、その容疑者9、なんらかの事情で通る近所の人2、道に迷った一般人2、金属廃品回収の業者の営業トラック1
くらいの割合。
業者が勝手に持っていった可能性もなくはないが、二種類あった消耗品の小さい方だけ盗まれていた。
大きい方は段ボール箱に入ってなくむき出し。
2トントラックを使わなければ運べない大きさなので、目立つが金になる方を置いていくのも解せない。
くやしい。
万が一違うかもしれないけど、その人が犯人であって欲しい。
たかだか数千円の消耗品ために鑑識読んで足跡取ったりはなんだか気が引ける。
ああ、イライラする。