はてなキーワード: プレッシャーとは
一番になった途端に、謙虚になれというプレッシャーがものすごい勢いで押し寄せてくる。それを押しのける傲慢さが必要。そうでないと、一番になった→お前には謙虚さが足りないという「悪徳」がある→もっと高みを達成した→さらに謙虚さが足りない酷い人間だ、というサイクルに潰されて、何かを達成する度に自分の欠点がどんどん増幅されていき、何を達成しても自己肯定感を感じられない人間になる。
謙虚を美徳だと思う、一般的な日本人のメンタルではまず無理。謙虚は害毒だと思うくらいでないと潰される。俺の観察では、日本の庶民育ちではまず無理で、親も裕福な育ちだと、このプレッシャーを正面から受けず他人事として流す処世術が身に付く。
タイトルの通り、最近ねこが飼いたくて仕方がなくて困っている。
住んでいる物件的にはペット可能、自分の稼ぎ的にも継続的にねこを飼い続けるのは可能だと思う。
また、基本出不精なので、家を長期的に空けることもなく、土日は月一の持病の病院で出かけること以外はほとんどない。
そして、今転職のタイミングでまとまった時間がとれるので、何か動物を飼い始めるのにちょうど良いのでは?と思ってしまった。
ただ、問題なのは、今まで1人で生き物をちゃんと飼ったことがないということと、(転職後もおそらく)平日の仕事が遅くなって夜10時頃に家に帰ることが良くあるということだ。
また、何かあったときに猫に関して相談できる知人・友人もおらず、自分1人で対応しなければならないこともある。
実は、小学生の時に、朝顔のお世話をまともにできなくて枯らしてしまったことや、とってきたザリガニのお世話をサボって死なせてしまった前科がある。
正直自分に生き物を育てる力があるのかどうかとても不安で、いざ飼い始めたらそのプレッシャーでやられてしまいそうで怖い。
でもとっても猫を飼いたくて飼いたくてたまらない。
実は高校生の時からずっと飼いたいと思っいるのだが、今まで実家は両親がペットダメ、住んでたところがペット不可、経済的に厳しい、などなどでこの歳まで飼えないままで来てしまった。
しかし今、前述のようにまとまった時間が取れるので、飼いたい気持ちが抑えられなくなってきている。
今日はペットショップをはしごして、ねこを観に行ってしまった…。
一体この気持ちはどう整理をつければ良いのだろうか。
つらい。
ただのメモです。妥当な場所が思い浮かばなかったのでここに書かせてください。
休日なのにひとりで部屋にいる。
本当は出かけて友人に会うつもりだったけど、体調不良を偽った。
前々からどこに行こうなどと計画をしておいて、わざわざ予定を空けてもらっておいて、このザマである。
そもそもわたしはあまり約束を守るほうではなく、遅刻や突然の予定変更を繰り返しがちである。
わたしをよく知る友人は心得たもので、今日もきっと呆れた顔をしながら、それでも律儀に気遣いのメッセージをくれた。
よくあるやりとりだけど、今日はこの流れが私にひどく無力感を与えた。
たまに自虐的に「わたしは死んだほうがいいのでは?」と考えることはあるけれど、今日の「死んだほうがいいのでは?」は、例えれば大きく暗い穴の縁に向かって歩みを進めるような、現実味を帯びた選択肢となって私の前に現れた。
・吐き気に似た焦燥感、無力感と申し訳なさ、泣きそうな気持ちがないまぜになっている
・普通の呼吸がし辛い、どう呼吸をしていたか思い出せないので、深呼吸というか、ため息を繰り返すような呼吸をしている
・普段は「死にたい」という言葉を冗談として使用できるくらいには実際にそんなことをする気はさらさらないが、今日はあまり書いていると本当に実現しそうであまり書きたくない。
思い当たる節はある。ここ何週間か、長距離の出張が連続し、また、初めて行く場所・初めて会う人たちとのコミュニケーションがあり、ほうぼうからプレッシャーを掛けられ、よく眠れない日々が続いた。
それに、もう一ヶ月にもなるだろうか、毎週末のようにイベント等があり、それはそれで楽しかったけれど、どちらかといえばのんびり過ごすほうが好きな私には負担だったのかもしれない。
この記事の主題。先にも書いたとおり、今日のこの選択肢は普段とは違った。
これまで自殺に対するイメージは、有り体に言えば、なにか問題を抱えた人や、どうにもならなくなった人が仕方なく選ぶ選択肢として選ぶというものだった。
今日の選択肢として出現したこいつは、行動として取りうるだけの魅力があった。
少し落ち着いている今になって思えば、連絡を断って寝続けるとか、ゲームやSNSで気晴らしするとか、お茶を濁す選択肢はいくらでもあるはずで、これまでも自殺を考える人々になぜそうしないのかなどと考えていた。
けれど、そのときの私には他のどんな選択肢よりも「自殺」という選択肢が、それを選ばせる質量のようななにかと共に、確かにあった。
自殺は消極的な選択肢ではなく積極的な選択肢だったのかということがひどく衝撃で、このメモを書いている。
もしも自殺をする人がこんな思いを抱いた上に実行に移しているのなら、もしかして我々には止める手立てはないのではと思う。死にたくて死ぬわけじゃないんだろうと思っていたけれど、違う。本当に死にたくて死んでいるんだ。
現代の日本では、男性たちは弱音を吐きづらいし、なにかと「男らしくない」と言われるプレッシャーがあるのは、確かだと思う。
男たちには、現代の日本では多くの「足かせ」がついているよね。
ワレン・ファレルが、1970年代に「男性権力の神話」の中で「フェミニズムのガラスの天井ならぬ、《ガラスの地下室》に閉じ込められて男たちは危険なことを無理やりさせられている」といって、男たちばかりが致死率の高い、危険な仕事に従事している様相を比喩したように、未だ日本の社会では男性特有の困難感は内在すると思う。
あと、精神科医の松本俊彦が「アルコールとうつ」に関する著作の中で「女性の方が精神疾患の罹患率は一見すると高く見えるけど、実際の精神科医としての感覚はそうじゃない。男性の方が問題が大きくなるまで助けを求めない」と言っていたみたいに、これはジェンダーという社会構造の問題だと感じたりもする。
もちろん、ファレルに対する批判もあって、「いやいや、社会構造としては、男性が有利な社会じゃん?片手落ちじゃね?」という話もある。
もちろん、それはそうなんだろうけど、もう1つの流れとして、支配力を手にして、そうした社会背景の恩恵に預かっている男性もあれば、そうじゃない人もいる、という視点もある。
dominantな男性性とか、その周辺の男性性とかってヤツ。
この辺りの議論がさ、比較的理知的に感じる、増田でさえも入り混じってしまっているのは不思議にも感じる。どうしてなんだろ。
アレかな、なんというか、そうしたことの理由には「持って生まれた身体という、簡単には変えられないものに対する無力感」がベースにあるのかもしれない。
つまり、男性性とその周囲の状況が批難されるとき、私を含む男性は、自分の変えられない部分が批難されたように感じてしまうのかな。
あと、もう一方で、私たち男性は「弱音を吐くのが恥ずかしいことだ」という男性性規範に駆動され、援助希求能力は決して高くないと思う。
女子はすごい。鍛え方が違う。
(もちろん、そうでない人もいるだろうけど、傾向として、というお話です。念のため。)
だからさ、男たちも「自分たちの苦悩」を安心して話せる場が必要なんだと思うのですよ。
それが、それこそが、よりよい多様性のある社会を作るための、橋渡しになるじゃないかなぁ。
まあ、個人的には弱音を吐くことって、スキルが必要だなぁとは思う。
ここ最近、発達障害についての報道とか取り組みが多くなって、一般社会に発達障害が浸透してきたと思う
ある分野に特異な才能を持ったギフテッドも入れば、重度から軽度の発達障害、果てはADHDや適応障害に鬱、線引きは曖昧だけど知らない人は少ないと思う
(ただ、世間的にはギフテッドばっかが取り沙汰されている気がする。NHKくらいがそうでもない人を取り扱っているが)
良いか悪いか、メンタルクリニックに行く人も増え、治療や投薬を始める人も多くなった
発達障害者もSNS等で平然とカミングアウト出来るようなった。みんな元気そうにしている
昨今の空気的に「お前は我慢しろ」ってプレッシャーが増えた気がしてならない
重度、軽度。ギフテッドだろうが、発達障害は障害者だ。手帳の有無もあるが、一般社会での日常生活には何らかの問題が発生する
それは忘れ物、遅刻とかの可愛いものから、暴力や引きこもり等の重いものまで。それを許したり世話するのは健常者たる周りの人だ
ギフテッドだからその才能で大儲けできる!とか人は言うけど、ギフテッドだろうがなかろうが、発達障害者は気分屋だ。どんなに優れた才能を持っていても気が乗らなきゃ何もしない
輝いている発達障害者は運良く自分の興味のある分野にいられた極々一部だ。大多数は、今日も日本の片隅で、周りの健常者に迷惑をかけている
発達障害者も楽しく生きれる社会を!とても良い事だと思う。バリアフリーだ
でも、何をどう頑張っても彼らは一般人に迷惑をかける。我々は理不尽だろうと許さなくてはならない。そうしないと楽しく生きれる社会にはならない
せめて、発達障害者から受けた被害も言える社会になるのが本当のバリアフリーじゃないか。不都合な所だけ目を瞑っては駄目だろ
今の社会は発達障害者に忖度しすぎ。個性でも何でも無い。年寄り同様、他の人が支えることで楽して生きていられる存在
せめてもう少し日本の人口密度が薄ければ。もう少し地方に人がバラけていれば。東京には発達障害者が多すぎる。一般人が支えるには余りに多すぎる
そう思う。自分の子どもを無条件に愛する親が社会的には求められているんだろうけれど、皆が皆理想の親であれるわけがないだろうし。
実際、全ての親が親になる覚悟を持って親になるわけではないのも分かるけど、それでも育てていけるのは、誰かや何かに支えてもらうことができているからだろう。
もし自分が子どもを育てることになって、増田が言うようなストレスやプレッシャーに潰されそうになったとしたら?と考えても、そのとき頼れる人も機関も心当たらない。
http://lighter1119.hatenablog.com/entry/2019/02/03/165438
グラブルを2、3年前ぐらいにやめた人間で、今もやめております。CMでガチャピンがガチャガチャいってるのをみて「グラブルまだ生きてんのか」と思うぐらいグラブル断ちできた人間から思ったことを言います。
この人はやめられないでしょう。
理由は3つ。
理由の大半はこれです。
こういう人で多いのがCMでガチャピンがガチャガチャいってるのをみて「ガチャだけ引いてみるか」となるからです。
まぁ、ガチャ引いただけでは復帰とはいえないとしましょう。ただ、その結果、驚くほどうまいガチャ結果を得られたら復帰するでしょう。
幾人もの引退者を見てきました。幾人もの引退者を「ようこそこちら(グラブル引退)側へ」と迎えてきました。そのうち19人中18人はガチャピンのCMを見てガチャを回し、その18人中13人がガチャの結果に満足をし、復帰をして今も騎空士としてがんばっておられます。
残りの7人(私を含めて)がガチャを引こうがガチャピンが誘惑されようが戻らないのはなぜなのでしょうか。
それを周りに聞いたことはありませんので私だけの感想ですが、やはりグラブルとサイゲが好きではないのです。
グラブルとサイゲが嫌いになれる理由はいくつか上げられるでしょう。
はっきりいいましょう。こういう理由付けをできる時点であなたがグラブルとサイゲを嫌いになれない。
この2つを理由にやめようと思ってる方。あなたはガチャピンに抵抗できません。
開発がまともになって改善されたらあなたは戻るでしょう。PがHRTからKMRに変わって戻った人のように。
やめるなら嫌いになってください。キャラまで嫌いになる必要はありませんが、グラブルというプラットフォームとサイゲという運営を嫌いにならなければ戻ります。
はっきりいうと、Cygamesは優秀です。クソだと言われた部分を確実に改修できる技術力をもっているからです。
本当のクソ運営というのは、引退者続出でログボに課金アイテムをぶっこんで復帰者を増やそうと頑張ったのに、うつ施策すべてが裏目にのり、Pが公式放送から身を引いた某ゲームを言います。そことは明らかに違うのです。
見限らない限り、引退はあり得ません。
例のブログではサイゲやグラブルのコンテンツ自体を否定しきれていません。
言ってしまえば、グラブルサイゲに全くの落ち度がないのに彼はやめたのです。
彼いわく「天上人」が気に食わない。
もう自分からしたら、今までのしがらみをすべて爆破して新しいTwitterアカウントなり、Lobiなりに逃げ込んで転生すればいいだけなのでは?としか思わないんですが、そんな簡単な障壁で辞められるのでしょうか、というのが自分の疑問点です。
まぁ、自分はフォロワー500程度のすぐにSNS辞められますマンなのでそう思うだけかもしれませんが。まぁ、グラブルやってる天上人はブログの人がグラブルをやめても構わずグラブルの事言いますから、すっぱりとブロックするなり、アカウントを離れたほうがいいとおもうので数の問題ではないような…。
まぁ、例のブログの事以外でも、これはかなり多いです。
って人はほぼこれです。ぶっちゃけ、グラブルは古戦場やらなくてもストーリーやイベントだけ楽しむ、ガチャだけ楽しめるんですよね。なんというか、常勝団とか天上団だとかいわれている所を離れればいいだけなんです。
自分が嫌だと思っている原因を他人に押し付けているだけなんです。押し付けて、そのまま辞めるのもシャクだから、原因を押し付けた他人に自覚させたやろうという気持ちがあるから引退宣言をするわけです。これは非常に卑怯です。責任を押し付けられた人は自由気ままにプレイしているだけで、禁止ワードで会話をしているわけでもないのですから。
そして、ぶっちゃけ、責任を押し付けられた側にまったくもって効きません。引退者が正しく、責任を押し付けられた側が愚かな行為をしていたとしましょう。そんな愚かな行為をする人間にあなたの言葉を受け止める器があるでしょうか。その逆の場合も、大体引退者がクソなら引退宣言自体がクソで正当性もないので無意味です。この引退宣言が通じるのは両者が正当であるという時のみです。
だから、辞められません。
引退宣言という手段をとったのに何も残せていませんし、かといってグラブルを嫌いになっていないのだから。
ブログに人にちょっと気持ちの余裕ができた程度で戻ってしまうのです。
これが引退宣言者は戻ってくるのロジックではないかと考えています。
説明するまでもないんですが、読んでいる感じ、
「あぁ、まだこちら側ではない」と思ったのは、ブログの人が単純にうまくいかないことがあって逃げ出しただけに見えたからです。
そのうまくいかないことが解消される時が来たら、まぁ、戻るでしょう。
なんというか、読んでいて、あの文章が匿名掲示板とか増田にはられたら、
「そうか、また明日!」ってレスや言及がつくんじゃねーのかなって思った。
簡単です。
もうやりたくないとなればいいだけです。
何をされてももうやりたくないと思えばいいだけ。
例えば「あなただけに100万石プレゼント!」となっても「いや、もうグラブルはやらんよ…」となればいいのです。
つまりは飽きです。
自分語りですが、自分がやめたときはまさにグラブル楽しんでいる最高期にふと「俺はシュバ剣を8つ完成させてなにがしたかったんだろうか」と思った瞬間、すべてが退屈になりました。
某人気声優が完成させた後しばらくして自分も完成させてほぼ理想値のダメージを見た瞬間に漂ってきたのは「虚無」でした。
Twitterに「出来ましたぞ」とSSを上げてフォロワーから「すげ!」ってもてはやされて最高のリビドーを感じた後、驚くほどグラブルの熱は冷めました。そこから「終わりがないゲームって地獄だ」みたいなこと言ってログインしなくなったのを今も思い出します。
自分の中に原因があるときのみ、ゲームをやめられる。というのが自分の考えで、それは19人中6人と自分を見た感じ間違っていないのではないかと思います。
めちゃくちゃ都会の保育園で働いてた
どことは言わないけど言ったら結構誰もが知ってる有名な都会の駅の徒歩圏内
もちろん園庭はなかった
デザイン重視のイマドキのオシャレな保育園だから見た目だけはよかった
収納がないからその分荷物をそのへんに置くことになって保育スペースが減る、とか保護者にはあんまりわからないだろうし
ほんとに見た目しか取り柄がなかった
定員数ギリギリ(なんなら若干オーバーくらい)が狭い部屋に押し込められて、
0歳児とかも年度初めから定員満タンまで詰め込まれて夏までずっとギャン泣きしてた
せめて入園時期をずらすとかしてくれよって思ったけど
補助金のために詰め込まれる子どもが可哀想だと思ったけど、ペーペーの平保育士には何も出来ないし自分もストレスで気が狂いそうだった
ちょっと郊外の保育園ならちゃんと園庭もあるしホール(講堂)的な集会スペースもあったりするけど
そんなのもないから、
行事の時には○○組さんと○○組さんを繋げて大きいスペースにします、的な感じでやってた
普通に狭いし、窮屈だった
幼児クラスは大きいスペースで体操やダンスを習ったりしていたけど、
1クラスが習ってる間はほかのクラスが場所にあぶれて行き先がない
近所に公園もない
とりあえず狭いスペースにぎゅうぎゅう詰めに座らせて絵本読ませたりしてたけど、
園庭はないけど屋上があります!運動もできます!とか保護者には言うけど、
ビル型保育園の屋上なんて広さも知れてるからもちろんかけっこもできないし、
公園まで10分歩いて30~40分程度遊んでまた10分歩いて戻るくらいがせいぜいだし、多くて週2が限界
保育園の真隣に公園があるとかなら行けるんだろうけど、勤めてた園は公園からも遠かった
幼児クラスになると体力が有り余るから室内で騒いで、それで怒られるの繰り返し
日常的な運動はきっと足りてないんだろうけど、運動会はそれなりのことをさせなきゃいけないから超スパルタで教えてた
運動会前に年長さんのある子がストレスとプレッシャーで吐いた話を聞いて、マジで狂ってんなって思った
もちろん先生達も限られたスペースの中でできるだけのことは考えてやってたと思う
でも限界だった
その市では待機児童問題の解消のために、元々定められていた定員より多くの子どもを預かれるように特例が出されていた
ぎゅうぎゅう詰めで落ち着かない子ども、怒鳴る先生、あと職員の人間関係、そういうのに疲れて一年で辞めた
今は郊外の園で働いてる
園庭があるからお外遊びにも行けるし、部屋も広いし、集会スペースもあるから狭くて窮屈になったりしない
園庭は屋上と違って広いから、ほかのクラスと被ってもちゃんと活動ができる
転職して本当によかった
待機児童問題、とかいって保育園だけバカみたいに増やしてるけど
都会ではそんなこと全然考えないで保育士さえ増やせばいいと思われてるように感じたから
二度と都会の保育園では働かない
都会の子どもがが保育園に入れなくて困ってるのはわかるんだけど
ごめんって感じ
自分の携帯から「最近の弱音」というタイトルのメモを見つけた。懐かしい。この時 苦しかったなぁ。
最近の弱音
・外が暑い。家が狭い。散らかってる。
・床の生活し過ぎて尻が擦り切れた。悲しい。膝こすれて汚くなった。
・外で乳を飲まないのは私への嫌がらせか?と本気で思うことがある。そんなわけないが。
・外出するとなにかとお金がかかる。お金を貯めなきゃという気持ちが強すぎて何となく贅沢できない。外食でも食べたいもの我慢してる。
・家が欲しいと言う割には外食ガンガンするなと呆れている。光熱費とかの小言を言う前にお金が何に出て行ってるのかちゃんと把握しろ夫。
・なんでかぜひいてるんだよーーーーー!こっちは子供の世話で手一杯だよーーー。
・退屈を解消しようと外出するとそれだけで疲れて、夜の愚図りやら授乳に耐えられない。結局 最終的に面倒を見るのは私で、助けてくれる人がいないので 体力温存が第一優先事項になり、積極的に変化を求めて試すことができない。悪循環。
・家にいると苦しいけど、外に出ても苦しい。結局 どこ行ったって母親はやめられない。代わりがいない。
・私の代わりができる人がいない。私が具合悪くなったら終わりだ。私が愛情注いでやらなきゃ終わりだ。私が気づかなきゃ終わりだ。プレッシャーすごい。
・毎日 授乳辛い。眠い。おいお前 いつまでしゃぶっているんだよ これは私の乳首だぞ と0歳児に対して思うことが多々ある。
・授乳だって、乳出すために人より水分と炭水化物多めにとって、できるだけ疲れすぎないよう努力してるんだ。勝手に出てくるもんじゃないんだよ。
・そもそもこいつ(子)は私のことおっぱいぐらいにしか思ってねぇんじゃねぇか。
・(夫の)女友達ってなんだよ。一度死んで出直してこい。産んでやる。
・私を見れば泣き止むのは分かるが、風呂場で着替えてる時にまで連れて来られると 腹が立つ。わたしにはパンツを履く時間も無いのか。
・携帯ばかり見ていて、この人は私の味方なんだろうかと不信感がすごい。2人しかいない中で、片方が相手してないってことは、残った片方が子供の面倒見てるんだぞ。分かってるのか。大人は2人しかいないんだぞ。
・鏡を見るとがっかりすることが多い。ブスになったなと感じる。悲しい。何着てもパッとしない。ヒール履けない。目の下のクマが取れない。体が痛い。禿げた。自信が無くなった。
・特に髪の毛がべとっとしていて、何やっても気分が上がらない。
・風呂に落ち着いて入れないから、後回しになり、結果 頭が洗えず痒いし、ボサボサになるし、鏡を見てガッカリする悪循環に陥ってる。
・美容室行きたいが、いけないよな、と思う。したいけど、子供のこと考えるとできない、ということが多い。美容室・歯医者・病院・ショッピング等々。
・夫とうまくいかない。優しくなれない。
・いや、夫はまだ大丈夫だろとか思ってるんだろうが、私の中で沸々と恨み辛みが溜まってきている。なんでこんなに私が大変なのに、こいつは良いところだけ取っていくんだ、何も変わらずに過ごせるんだと、何かにつけて思ってしまう。自己嫌悪すごい。一緒にいると苦しい。できれば仲良くやって行きたいし、優しくしてあげたいけれど、そこまでの余裕がない。毎日子供のことで必死だ。
・やりたいことの多くが子供の「構ってくれ!」で中断させられ、その度にイライラする。
・離乳食 食わない。大きくなれるんだろうか。アレルギーは大丈夫だろうか。食べさせてるものが偏っていないだろうか、不安が尽きない。
・こういうことを考えずに可愛い可愛い言ってる夫に腹が立つ。その可愛さが維持されているのは私の努力あってだぞ。たくさん構って、気配りして、愛情と時間をたっぷり注がれた結果 順調に育ってるんだぞ。分かってんのか。子供に可愛いという100分の1でいいから私にも構え。託児所の人だって、幼稚園の先生だって、もう少し感謝されとるわ。言葉かけてもらってるわ。母親だから子供の面倒見て当たり前じゃないんだぞ。苦しいことの方が多いんだぞ。なんとか毎日、一日一日をどうにか過ごしてるんだぞ。
・おっぱい吸われるの辛い。どっと疲れる。身体中の水分が失われる。アスファルトのミミズかよ。
・子供の要望に応えてやりたいが、パワーが出ない時がある。ダメな母親で申し訳ない気持ちになる。
・当たり前だけど、思い通りに進まないことが多い。
・相手が自分よりも遥かに弱い分、自分で自分の気持ちをコントロールしなければならない。なんとか抑え込んでいる。(安心しろ。子供を傷つけるぐらいなら私が死ぬ。)
・私が注意を逸らすとすぐに不満の声を出してくる。分かっているが、応えてやりたいが、腹が立つ。腹が立つが仕方ないので相手をする。この絶望感。
・私には「(私じゃ)ダメみたい」って言って任せられる人がいない。全部が全部 母親だからできると思われたら死にたくなる。
・父親って何をしてくれるんだ一体?
・とにかくすごく苦しい。
・そのくせ誰かに預けるのは不安だ。子供が悲しい思いするのは目に見えている。
・私に休日は無いのか?
・甘ったれの何が悪いんだよ。自分が好かれないからって子供のせいにすんな。
・太ももベタベタ触るんじゃねぇよ。私が頑張って産んで育てた子だぞ。女の子だぞ。何考えてるんだ糞爺。
・よく頑張ってるわ。そもそもここまで持ったのが奇跡。十分いい母親だよ。誰も言ってくれないのは誰の目から見ても明らかだからだよ。
・お金はカードで支払うことにして、あまり考えないようにしよう。(その代わり娯楽出費は気をつける)
・もう少し 夫以外の人と話したり接する時間を作ろう。支援センター。
・外食で気を使うのやめよう。好きなもの食べよう。子と一緒に牛タン食べに行くか。
・先のことはあまり考えないようにしよう。
・外出が辛いなら家で遊べるようオモチャをたくさん用意しよう。ガンガン買おう。金に糸目をつけるな!
・保育園に預けるまでは大きな怪我なく育てきる、を目標にやっていこう。
以下 我が家の詳細
・実家 遠い
・妻育休中 夫からは育休は断られた
・保育園 落ちた…
・元気いっぱい(これは本当にありがたい)
・夫 変則勤務
以下 久しぶりに見た感想。
今は少し大きくなって、これまでできなかったことができるようになったり、また新しい我慢が増えたり。
夫婦仲は一度思いの丈を手加減せずにぶつけたら(発狂レベルだった。夫可哀想。)何かしら伝わったらしく動いてくれるようになった。言うって大事。爆発も悪くない。うちの夫は小出しに穏やかに伝えていたら何も伝わっていなかったことが後々判明。まぁ、人によるよね。うちの夫は残念なのかもしれない。伝え方が拙い私も残念なのかもしれない。こればっかりは残念者同士 頑張っていくしかない。
生まれてきてくれただけで幸せだと思いつつも、この大変さに見合う何かがこの先やってくるんだろうか、なんて随分勝手なこと考えたりしてる。(いや、元気でいてくれたら十分。でも、ちょっとくらい良いことが、例えば「ママ大好き」とか1回くらいは聞きたい。言ってくれ頼む。一度でいいんだ。)
子よ、母はこれからも頑張るぞ。(多分 父も頑張っているはずだ!多分!)
右の下まぶたがピクピクする
昔、毎日のように瞼が痙攣してた時期があって、その時にあれこれ検索して どうもストレスらしいと知った
当時はプレッシャーによるストレスが慢性化していた割には残業はさほど多くなく
ストレスが原因と言われても納得できなかった
その後部署や現場が変わって、ほとんどストレスのない勤務場所になった
いつのまにか瞼の痙攣はなくなってた
が、ここしばらくスケジュールがかなりタイトで、割り当てられた作業も難易度が高く
疲れを感じていた
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.itmedia.co.jp/news/articles/1901/30/news132.html
おまえら恥ずかしくないの?
平成も末だよ?
「年間何万使ってる俺たちこそ真のオタクであっておまえのようなニワカはお呼びじゃないの」
みたいなプレッシャーかけてくるジジイどもを老害として切り捨て、
ニュービーを優しく迎え入れて手取り足取り導いていく、
そんな明るく楽しいオタクコミュニティをこの10年20年で目指してきたんじゃなかったの?
クレジットカードはもちろん、電子マネーやモバイル決済の類も一切受け付けていない。
さらに、トラブルのないよう店先には大きく Cash Only と掲示している。「現金のみ」といった日本語も添えて。
決済手数料がかからない分をお客様に還元するとか、薄利のランチではクレジットカードを使わせないとかはよく聞くが、うちの店はそのいずれの理由でもない。
某テレビコマーシャルで、小さな店に爆買いにきた外国人口調の客が、クレジットカードが使えないことを理由に何も買わずに帰っていくというのがある。2020年に向けてキャッシュレス決済を導入しないとまずいとも感じさせる。
だが、外国人に対応することは、単純にメリットばかりなのだろうか?
従業員のプレッシャー、それに対する教育、メニューの英語対応、決済オペレーションの複雑化など、人的と物的ともにコストが増加するだろう。結果売り上げが増えれば良いと考える人もいるだろうが、私の考えはそう単純ではない。
かといって、キャッシュレス決済の導入を否定しているわけではない。むしろ、導入できるならしたほうがよいとさえ思う。顧客が増え、次のビジネスへのきっかけもできる。キャッシュレス決済に対応しないことが、潜在的な顧客を失っているかもしれないことも理解できる。
でも、あえてやらないのだ。
だって、Sorry, Japanese Only と書けば角が立つけれど、Cash Only ならば同じ効果が期待できる上に、誰も気にかけないでしょう?
上野のチケット売り場の行列に並びながら掲示された料金表を見てたらさ、学割、高齢者割、各種障害者割があるのにニート割がないことに唐突に疑問を覚えたわけさ
そもそも美術館の様な公共施設の料金割引っていうのはその施設の有する公共性を考慮して所得の少ないと考えられる学生や高齢者や各種障害者らが料金によって芸術鑑賞の機会を拒まれてしまうことを防ぐ為に設けられた社会福祉的な措置だと俺は理解してるわけ
だったら同じく所得が少ないと考えられる無職やニートも料金割り引きの対象にならないのは明確な差別じゃね?
無職やニートは場合によっては資産は相当額を有していたり資産運用や株式投資なんかでしっかりした収入がある場合もあるだろうけど、それは学生や高齢者や各種障害者にもあり得るケースでしょ
今の一億総奴隷社会の世間の目は無職ニートに対して厳しいけど、無職ニートも好き好んで無職やニートになった人間は極々一部で、その大半は人員整理にあったりパワハラやセクハラ、過重労働で鬱や精神病になり退職に追い込まれたり学校で虐めにあったり勉強についていけなくなったり将来へのプレッシャーに押し潰されたりして引きこもりになってしまったり、そういうやむにやまれぬ事情で現在の立場にある社会的弱者なんだよな
繰り返すけど毎日ポテチとピザ食べてコーラ飲んでネットサーフィンして資産運用や株式投資で儲けて悠々自適みたいなネオニートは極々一部に過ぎないわけ
それにこうした身体や精神を病んだ無職ニートにとって芸術鑑賞をして心を癒すことは社会復帰への一助になり得るし、社会福祉として公共性が有り余るでしょ
効率的に働いて生産性を伸ばそうぜ系にはなれません。そういうプレッシャーもういいです。無能ですゴミです、私は。
さして生産したくない。のんびり過ごしたい。ほしい物なんてぜんぜんないし。
なんでわたし、ここにいるのかって突き詰めて考えた結果、世間体と将来への保険のためだった。かなしい。将来やりたいことも夢も無い。
金なんていまもさしてもらってるわけではないけれど、社会と交流のなかで生きてく上で金が無いというのは、かなりおそろしい。あと、なにもできなくなったときの保険に必要だとおもってる。世間体さえ捨てたら金なんぞ要らんのでは、とおもっている。世捨て人のような生活になったら今交流してる大体の人間とは付き合えない。友人は1人を残してダメになるだろう。
わたしはえたいの知れない社会と将来のために地位と金を、毎日泣きながらかせいでいて、あのボンベを買えばまわりにも2次被害を出さず安楽死できるかもしれないそうしたら河川敷で死のうと思ってる。でも、だからって、だれかに助けてほしいわけじゃないし、養ってもらってリッチに生活したいわけでもない。耐えられない。きっと。
ネットには働かないで生きていこうよ!みたいな、すこし胡散臭い情報が溢れてる。これってさ、バブルのフリーターみたいな文句だよなって思うんだよね。
あとから地位と金がなくなったことによって後悔するんじゃないかってすごくこわい。
でもよだれが出るくらい羨ましいんだ。
働きたくないな。
もう、働きたくないな。
次にやりたいことなんてないんだよ。
なんだかんだ多少は見てたんだろうけどね。
日本のサッカーは後方でパスを回して、相手がプレッシャーをかけて来たらこけて痛そうなそぶりをしてフリーキック。
福島原発事故は政府のせいではなくて、東京電力のせいですんだ。
だが、こんどは霞ヶ関が間違った。
つまり「政府は間違わない」ことの決定的反証材料が提供された。
政府統計の総元締めは総務省のはず。政府発表統計への政治的圧力の介入は致命的かもしれない。
政府統計の仕事をしている人たちは間違わないよう大変なプレッシャーの
もとで仕事をしている。政治性のないとても真面目な人たち。経済産業省の
とても残念だ。
父方の祖父母には嫌われたけど、母方の祖父母には甘やかされました。
妹の私には何のプレッシャーもありませんでした。
全話見てない人に説明してもな
メイン視聴者に夢と希望与えるアニメだから、みんな幸せでいいの
そういうのは要らないんだよ
そもそも、敵幹部たちも自分たちの時間線に戻ってどうなったかは不明だし、あちらの未来の時間線がどうなったかも不明。挙げ句にこちらの未来もこの後どうなるか不明
もしかすると歴史の修正力で結局主人公は迫害され、ラスボスは絶望するかも知れないし
そういうのも要らないんだよ。子供向けだし