現代の日本では、男性たちは弱音を吐きづらいし、なにかと「男らしくない」と言われるプレッシャーがあるのは、確かだと思う。
男たちには、現代の日本では多くの「足かせ」がついているよね。
ワレン・ファレルが、1970年代に「男性権力の神話」の中で「フェミニズムのガラスの天井ならぬ、《ガラスの地下室》に閉じ込められて男たちは危険なことを無理やりさせられている」といって、男たちばかりが致死率の高い、危険な仕事に従事している様相を比喩したように、未だ日本の社会では男性特有の困難感は内在すると思う。
あと、精神科医の松本俊彦が「アルコールとうつ」に関する著作の中で「女性の方が精神疾患の罹患率は一見すると高く見えるけど、実際の精神科医としての感覚はそうじゃない。男性の方が問題が大きくなるまで助けを求めない」と言っていたみたいに、これはジェンダーという社会構造の問題だと感じたりもする。
もちろん、ファレルに対する批判もあって、「いやいや、社会構造としては、男性が有利な社会じゃん?片手落ちじゃね?」という話もある。
もちろん、それはそうなんだろうけど、もう1つの流れとして、支配力を手にして、そうした社会背景の恩恵に預かっている男性もあれば、そうじゃない人もいる、という視点もある。
dominantな男性性とか、その周辺の男性性とかってヤツ。
この辺りの議論がさ、比較的理知的に感じる、増田でさえも入り混じってしまっているのは不思議にも感じる。どうしてなんだろ。
アレかな、なんというか、そうしたことの理由には「持って生まれた身体という、簡単には変えられないものに対する無力感」がベースにあるのかもしれない。
つまり、男性性とその周囲の状況が批難されるとき、私を含む男性は、自分の変えられない部分が批難されたように感じてしまうのかな。
あと、もう一方で、私たち男性は「弱音を吐くのが恥ずかしいことだ」という男性性規範に駆動され、援助希求能力は決して高くないと思う。
女子はすごい。鍛え方が違う。
(もちろん、そうでない人もいるだろうけど、傾向として、というお話です。念のため。)
だからさ、男たちも「自分たちの苦悩」を安心して話せる場が必要なんだと思うのですよ。
それが、それこそが、よりよい多様性のある社会を作るための、橋渡しになるじゃないかなぁ。
まあ、個人的には弱音を吐くことって、スキルが必要だなぁとは思う。
日本ほど弱さに甘い国はない しかしそれでも日常的に「男なら我慢しろ」を聞くし、日常的に男はXXが蔓延っている これはよろしくないのでやめた方がよろしいと思う 本人がモテるため...
日本は相当弱さに甘いのは確かで、そんな日本ですら男に対する重圧はものすごく、 海外の男があれほどの狂ったマッチョイズムにどうやって耐えてるのか想像もつかない。
男がいくら問題提起しても、「でもお前らは〜」か「そんな事言う前に私達の〜」で終わり。 醜くて同情を誘えない見た目のが悪い。