はてなキーワード: タブーとは
anond:20191109191407で紹介されているやつな。機械翻訳にかけたあと適当に修正しただけなので誤訳勘弁。
大正ロマン(大正浪漫)。日本の大正時代 (1912〜1926)をロマン化した(romanticized)視点で表現する風潮のこと。
(中略)
本来、大正ロマンは韓国で特に批判される要素がなかった。しかし、2016年の『アイドルマスター ミリオンライブ!』右翼議論の後に、大正ロマンが間違っているという主張が一部のオタクの間で提起され、急速に伝播されて、いくつかのインターネットコミュニティを中心に大きな議論を呼ぶようになった。
韓半島の歴史的には、大正ロマンの前半は、日本植民地時代の武断統治期、あるいは文化統治期初期に該当していた時期で、躊躇なく野望を曝け出した民族抹殺統治期よりは相対的に良いが、知ってのとおり制服を着た日本の憲兵/巡査が韓半島で悪名を轟かせていたので、大正時代をひたすら肯定的にのみ見ることには無理がある。軍服だけ除けばどうかという人もいるが、明治以降の西洋化は日本政府と軍隊が主導して民間に広がったものであり、また大正ロマンにおいて日本軍と制服は概ね必須要素だ。それが無ければぎこちなく感じられる。少なくともマントを羽織った学ランは出なければならない。
これらの背景には、日韓両国の時代を眺める視点の違いがいくつかあるが、韓国は帝国主義時代の日本全体を否定的に見る傾向があり、日本は軍部が政権を掌握した昭和時代以前の帝国主義については一面的に否定的な評価をしない。そのために、日本のメディアでは「あの頃のように帝国主義に戻って大きく強く豊かな日本を作ろう」といった極端なメッセージを含んでおらず、単に「ユニークで美しい時代だった」という意味しかなくとも、周辺国では拒否感を覚える場合がある。
本来、韓国で大正ロマンは批判される要素ではなく、いくつかのインターネットコミュニティを除けば、大正ロマンの批判はない。特に植民地支配を擁護する要素がないのであれば、韓国の一般人にとって大正時代は何の変哲もない時代であるだけだ。ポン・ジュノ監督は、鈴木清順の大正ロマン3部作のブルーレイBOXを購入したとインタビューで述べたが、誰も問題にしなかった。日本へのパッケージツアーで大正ロマンのコンセプトカフェに行くこともあるし、大正ロマンを題材にした日本の文学作品が流通することもある。そもそも韓国でもこのようなものが存在することを知らない人が大半である。
韓国でもその時代を扱った作品を見ると、大正ロマンの必須要素がすべて登場する場合が多い。大正ロマンの説得力のある描写とされている要素が、日帝時代、特に1920〜30年代を舞台にした作品でも、同様に美化されて描写される。主に日本植民地時代を時代背景にした作品の中で、日本の悪行や独立運動のような重い素材ではなく、恋愛や芸術などの軽い素材を扱った作品で、このような要素が著しく現れる。パク・チャヌクの『お嬢さん(映画)』の衣装監督は、最初から大正時代の反物を探して駆け回った。しかし、これをもって、その時代を美化したと批判する人はいない。これは、韓国でも三・一運動後から太平洋戦争以前の時期までは、文化統治と経済の好況という流れがあったからだ。
実際、韓国オタクのなかでも、大正ロマンの批判をする風潮は、あまり古くからあるわけではない。2000年代後半、さらに2010年代初頭までは、韓国オタクたちも大正ロマンは良いという話を公然とした。この時期に、韓国でよく挙げられた代表的な作品としては『るろうに剣心』がある。ツイッターなどを検索すればログが残っているので確認可能である。大正ロマンが問題視され始めたのは2010年代中盤だと言うことができ、この時期に起きた事件は、2016年1月の舞台『あんさんぶるスターズ!』 右翼議論である。正確に何をきっかけに突然大正ロマンがタブーになったかはわからないが、概ね韓国の成長と民族主義化、日本の右傾化が原因と思われる。
とりあえず、昔からタブー視されてきた日本帝国と日本の軍服要素に対する批判が、大正ロマン全体に対する批判に拡張されたものと思われる。大正ロマンに批判的ではないコミュニティでも、日本軍の要素については批判的な態度をとる場合がほとんどである。
また、『ヘタリア』(ウェブコミック) 、『進撃の巨人』(作者がプライベートにおいて自分の政治的・歴史的な見解を発言した)などの後に、「避難所ドットコム」などの女性向けのコミュニティで、右翼的な要素が徹底的に検閲された影響もある。おりしも2010年代中盤に入って際立ったコミュニティの先鋭化も少なからぬ影響を及ぼした。現在は、男性の多いコミュニティでは日本軍服など軍国主義要素は批判しても大正ロマンに対しては問題を感じない人々が大半だが、ツイッターおよび女性の多いコミュニティでは大正ロマンは軍国主義の美化および戦争の美化と同一視して、徹底的に排斥しなければならない要素として扱われている。
(後略)
自分の歳は40代前半。妻の歳は3つの上姉さん女房だ。子供は高校と小学生で二人。妻はパートタイムで週に数回半日程度働く。
事の発端は空の納豆パックの放置事件だ。1か月以内の出来事だったと思う。
平日の仕事帰りの夕食はほぼ一人で食べている。
先に子供たちは食事をとっており、八割くらいの確率で食卓は片付いていない。
妻は食事後はスマホをいじりながらテレビをつけてのんびりしていることが多い。
自分は食卓に食事用のスペースをつくり、1時間くらい放置されたおかずを食べる。
面倒そうな反応をされるが、温めたほうがおいしいおかずのときは「あたためてよ」と頼む。
フルタイムで働いている夫として、この程度はお願いしても良かろうと思っている。稼ぎは悪くない方だ。
ある日の朝、急に妻が怒り出した。「においが出るから納豆のパックを放置しないで!」
それは自分が前日に夕食で自分だけ食べた納豆のパックを食卓に放置してしまったものだ。
その日は二割くらいの確率で発生する<夕食の食卓が片付いていた日>だったと思う。
素直に謝った。確かににおいの出る納豆のパックを食卓に放置するのはよくないことだ。
そして昨日のことだ。今度は食べかけの中身がひからびた納豆パックだ。
土曜で二人とも仕事だったので、子供たちは昼食を自分達で用意して食べた。
これは滅多にないことで、子供たちに食事後に食卓を片付けるようにしつけできていないため、食卓は食べっぱなしのごちゃごちゃだ。
そして食べかけの納豆のパックが放置されており、ひからびていた。強い臭気をはなっている。
妻は2時半くらいにパートを終えて帰宅し、自分は4時半くらいに帰宅した。
自分「一緒に片付けようか?」
妻「いいよあとで」
自分「いや、納豆がすごいから片付けようよ。はやくやろうよ。」
妻は自分がくつろいでいる時間に、それを中断されるのを嫌がる。
気になったんなら気になる人がやればいいじゃんという素振りだ。
そこで自分は怒った。自分の怒りを整理すると以下のようになる。
においの出る納豆パックを放置することは、我が家ではタブーになったはず。
何故、子供たちの納豆パックの放置は容認して、さらに放置する時間を自分の気分で延長可能なのか?
最初に納豆のパックについて怒り出したのは妻であり、納豆のパックを放置してはならないというルールを発動させた。
自分の発動したルールを守らないのはおかしい。最優先で対処すべきだ。
子供が自分で食卓を片づけないのはしょうがない。これはまだしつけできていないことなので怒ることではない。
なので、その食卓の片づけの問題は夫婦の責任であって<一緒に片付けよう>と最初に誘ったのである。
自分は怒られてから<同じことを繰り返してはならない>と行動を改善した。
自分は理屈で攻めるが、妻は感情論で反論する。それで納得できるはずがない。最後は感情のぶつかり合いだけになる。
たかぶった感情を鎮めるには、この件の議論をやめることだけだ。なので反論をやめ喧嘩をやめた。時間で解決するしかない。
今日は何しろいつもより腹が立ったので匿名ダイアリーに吐き出してみた。
こんな腹立たしいことを吐き出さずにはおれまい。
でも欧米の学園物の映画やドラマでは必ず体小さい子ややせっぽちが「ホモ野郎」って罵倒されて嫌われてる。
体の大きいたくましい男が「あれはホモなんじゃないか」と恐怖や警戒されてることなんかないでしょ。
日本でもそう。
ホモフォビアっていうのは根源的には
「ホモに襲われるのが怖い」んじゃあなくて
「自分がホモと関わりのある人間になる、ホモになるのが怖い」なわけ。
女性のレズへの気持ちより男性のホモへの気持ちの方が拒絶が強い気がする。
科学的に比べたわけじゃないけど。
多くの男性はホモについてつまり、出来損ないとか失敗者みたいなイメージをどこかに持ってる。
男児は父親に去勢される恐怖を持ってる、っていってた心理学者がいたけどホモ嫌悪はあれに近い。
具体的に襲われることを警戒するというより、
そのホモとの関係性が出来る、自分がホモに近くなる、自分がホモになる、
肉体的に弱いホモは嫌われる理由が少なくなってわりと寛容に扱われて
ムキムキゲイの故ビリー・ヘリントンは「兄貴」として大人気で慕われてたよね。
あれはつまりボディビルで鍛えあげた超男性的な肉体がホモという「欠陥」を凌駕して
むしろ「超オス的な英雄なのにでかい欠点のある親しみやすい俺達の兄貴」になったわけ。
ムキムキでゲイなら親しみを込めていじられることもある。
線が細くて女性的でゲイならもう救いようがなくキモいのでキモキャラかオカマキャラしかない。
これは結構世の多くのゲイ嫌悪的なストレート男性の反応として心当たりあるでしょ。
「現実的に襲われることが怖い」じゃなくて、
「男の失敗作のバイキンが移ることが怖い」。
これがホモフォビアの大部分の正体だと思うよ。
bigapple11 性的に見られることへの恐怖って女にとっては身近すぎて当たり前になっているけど、男は身近にゲイの存在があって初めて、実感として意識できるようになるんだろう
こういうのはたぶん大外れってこと。
俺の説もこの人の説もともに科学的なエビデンスはない自己研究的見解だけどさ。
痴漢に悩まされたことがある女性とかにとって「スカッとする」説なのでこんなに支持されてトップに立ってるんだろうけど、
スカッとする説が正しいかと言うとそうでもなくて、願望バイアスがあるぶん外していくことの方が多いと思うよ。
ゲイをいじめたりするのはもちろんよくないことで非難されるべきなんだけど、
非難されるべき人間の心の内訳と言うのはとかく「スカッとする」説明をされやすい。
MLPでガチシコってるやつは、MLPが好きでシコってるんよ。
小児性愛タブーの逃げ道としてのケモノとかって昔の話で今の文脈じゃない。
日本のコンテンツはWeeabooによって翻訳されたり拡散されたりしてるから、MLPのエロにアクセス出来て日本のコンテンツにアクセスできない人間ってのは稀。
MLPもドラゴンカーセックスもアメリカの厳しい規制に対してのネタの側面がかなりあって、本気のブロニーとかはごくごく少数でしかない。
>メディア報道を辿り豪パース空港での日本人青年逮捕を伝える2019.11.4付豪州国境警備隊(ABF)公式リリースを発見した。詳報の内容は、ほぼこのリリースの通りで、参照する「輸出入禁止品目(prohibited goods)」のIllegal porn(違法ポルノ)の中にChild pornography(児童ポルノ)が含まれていた。
https://twitter.com/tkatsumi06j/status/1191564220548042752
>日本がいかに実在児童個人の保護法益を適用していても、その論理は国外では通用せず処罰の対象になり得る。それを如実に示したのが今回のオーストラリアでのケース。政治家ならこの現実の問題に対する解を示してほしいものだ。一国主義的な主張は何も解決に寄与しない。
https://twitter.com/tkatsumi06j/status/1191611038350733313
ある意味では予想通り。
聞いた途端、そうだろうなと思った。
オーストラリアは昔からはっきり言ってアメリカ以上にアレな国だし、そもそも今回のセックスドール規制に関してもここから始まった代物だからな。
更に言えば、セックスドールに限らず、最近はウエディングドレスにすら児童婚だの噛みついて、販売停止に追い込んだりしたからな。
「少女向けウェディングドレス」は児童婚を連想? オーストラリアのスーパーが販売停止して物議
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191026-00010003-huffpost-int
要は児童ポルノに託けた児童に見えるものは何でも逮捕できる口実にしているって所だよ。
ついでに言うと一部のキリスト系フェミ団体が国連を利用するのもこの辺からな。
ここがおかしな国である事は何も児童ポルノ問題に限った事ではないからな。
昨今ではフェイクニュース規制辺りでこの国のおかしさはニュージーランドと共に知れ渡っているはずだしね。
この辺の話ね。
検閲法を有するニュージーランド政府、「不快な出版物を頒布することは違法行為であり、懲役刑で処罰されることを国民に思い出させていただきます」とTwitterで堂々宣言
https://togetter.com/li/1330035
そう言えば、一時期話題になったシーシェパードもこの辺の国が関わりあったよね。
ただその安易な規制強化と際限なく拡大したせいで、欧米では実在児童の児童ポルノの件数が悪化し、事実上リソースを超えて、対応不能状態に追い込まれ、フィリピンでは児童ポルノの動画件数や売春が西洋人によって悪化していると言うふざけた結果を招いたのも事実としか言いようがないのだけどね。
だってこの辺は無論、警察の恣意的運用や冤罪等の危険性も指摘されていたけど、当時から下手な規制の拡大により、逆に実在児童保護自体が悪化しかねない問題点も普通に指摘されていたからな。
今回に関して言えば、この辺が、以前に指摘された前提があるので、規制により逆に実在児童への被害が増大したと言える様な事態を招いたとしか言えないんだけどね。
現に日本より児童ポルノ規制が厳しい国でこの様な事が起きているのは規制が厳しすぎた結果、カリギュラ効果とか働いて、逆に興味をもった人が増えてしまった事実としか言いようがないからね。
下手な安易な規制が危険であると個人的には思うのはこの辺からもあるんだよ。
https://toyokeizai.net/articles/-/309872
フィリピンの児童ポルノ動画、「西洋人によって悪化」 BBC番組が取材
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-48781713
>フィリピンでは現在、キリスト教の教会に対してオンラインの児童性的虐待のサインを見逃さないよう警告が出ている。
>ガルベルト牧師は、親が「自分の子どもにカメラの前で売春をさせている」のは「吐き気がする行為だ」と話し、貧しくて他の選択肢がなかったという主張は通らないと一蹴した。
良くもまぁ、こんな事抜け抜けと言えるなと普通に思ったよ(苦笑)
ちなみにこのキリスト教の性的虐待は昔から指摘されてきたことで、最近漸くニュースでも取り上げ始めたなと思ったりする。
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/29979
https://www.afpbb.com/articles/-/3210932
まずは本当に実在児童保護を主にするならば、一度全ての規制を見直した方が良い。
性的虐待物にのみに絞れと言われていたのもこの辺の事情もあるからね。
ただあの人達は気に入らないものを潰す為に、子供の権利を利用しているに過ぎないし、実際の子供の保護なんてどうでも良い事は日本の実在児童保護の予算付けるべきだと言う指摘をガン無視した件でも判っている事なんだけどね。
>確かに、日本の児ポ法における保護法益は児童個人の尊厳の保護であるが、他国では異なる。表現規制派が拠り所にしがちな件のスウェーデン最高裁判決で問われた法益は、「所持される図画で描写されている児童及び児童一般に対する尊厳」だった。
https://twitter.com/tkatsumi06j/status/1191611035699924992
この辺もとっくにおぎのさんに指摘されている所だし、逆に当時そうであったからこそ、裁判になり、違憲判決が出る様な騒ぎになったとも言える。
はっきり言って当初からスウェーデンの定義自体、実在児童保護のみに絞っていたら、ああ言う裁判自体起きなかったと言えるからね。
何にしても漫画やらゲームやらアニメやらセックスドールやら児童ポルノに含んでも実在児童保護に役に立たない所か、逆にリソースを奪って、捜査の破綻等の事態を招きだしたのは昨今のニュースを見ても判る事だから、実在児童保護をメインにするならば、一度本気で見直した方が良いよ。
anond:20191102173100の増田を読んで、経験したことあるな〜と思い出したので書く。原因は全然違うんだけど。
チェーン店とかじゃなく、店長ぽい人が奥のレジに一人で座ってるような個人店で、Twitterでちょっとバズってるのを見つけて行った。
少し商品を見ていると、店主が飛んできて追い出された。理由はただ一つ、私が女子高生だったからである。Twitter見てきたんでしょ?と言われ、そうですと答えたらウチは子供が来る店じゃない、興味本位で遊びに来られると不愉快だ、みたいなことをかなりキツめに言われて追い出された。買う意思があること、その金もあること(確か一月だったので三、四万はあった)を財布の中身まで見せて訴えたが、結局取り合ってもらえず結果は一緒だった。万引きしに来たんでしょ、とか色々触られて壊されたら困る、みたいなこともかなり言われた。店にいる他の客もその様子を見て笑っていた。私は家に帰って泣いた。
まあ五年以上前だからあった話だろうし(今も同じ方針でやっているのか潰れたのは知らないけど)、今は正直個人店なんてこんなもんだろうなと思っている。元増田のカセットも私のレトロゲームも、所謂レア、高レートの物を持っている人間が一番偉い世界である。そういう高レアなものは余りチェーン店には入荷しない。欲しい客はこういう個人店に行く。多少高くても店主の性格が悪くても。つまり殿様商売が余裕で通る世界なのだ。それと古本屋でバイトしてみてわかったけど、個人中古店は一回の万引きとか商品破損がかなり響く。うちは駅前で学生利用が多かったしそれ程レア物もないただの古本屋だったから規制はしなかったけれど、客選別できるならした方が絶対楽だし儲かる。
カセットテープには詳しくないので元増田の行為がどれくらいマナー違反か知らないし、この一件がトラウマになってレトロゲームから完全に離れてしまったので女子高生がレトロゲーム屋に行くのはタブーなのかも知らないままだが、マニア系の個人中古店の店主に人格を期待する方が間違っている。客選別しようが横柄な態度取ろうが儲かるんだから性格が良い人間がやっている訳がない。そこらのクレーマーより日本語が通じないマイルールが罷り通る世界だと思った方がいい。初見はぶっ叩かれて当たり前だし、女子供は弾かれて当然の世界なのだ。初めて行く時は肩身を狭くして、買わない限り商品に触らないレベルで気を使った方がいい。一回絡まれただけで出禁食らいかねないし、周りに似たような店が固まってる場所だと他の店からも出禁食らうことになったりする。こういうイキり老害さっさと死んでもっとマシな若者に変わればいいのにね。まあ後継いないから死んだら潰れるんだろうけど。
誰が言い始めたのでしょうか。
「いわゆる、そうした日本の童顔・巨乳、でか尻、足細の女性キャラって、一昔前の言葉で、使うことにも躊躇しますが「奇形フェチ」だと思うのですよね。
昔の中国の纏足につながるような身体形成で、それは正に男性による女性のモノ化であり、人権・人格否定。」
色々思うことがあったので、自身の考えを整理するためにも書いてみました。殴り書きですみません。
まずこのツイートの背景を簡単に説明します。宇崎ちゃんが採用された日本赤十字社の献血ポスターにおける女性の体の描き方が以上に胸が大きく、つまり女性表象が現実を逸脱しており、これが性差別に繋がっているのではないかという議論が巻き起こりました。それに対して、巨乳を差別している、表現の自由が保障されているから良いのではないか、という意見がありました。
女性の「モノ化」とは?
性別という理由のみで性役割を固定され、女性が主体を失い、男性の理想となるような「モノ」を強制されることを指します。例えば歴史を見ていくと、性は戦争の道具に利用されていました。男性は戦争に行き、女性は家庭を守る。父権主義により女性は家庭に入り、男性の子供を産む道具つまり「モノ」として性役割を強制されるような歴史があります。
今回は、胸を過剰に表現することによって女性が男性の性的消費の「モノ」と化しているものを堂々と公開することは問題ではないか、ということを論点にしています。
→そもそも今回の批判対象はポスターの性表象になります。ですので、現実に存在するGカップの女性(どこからが巨乳かの定義は置いておきます)を批判しているわけではありません。また「奇形」と表現されているのは表象の結果的要素であり、作者の絵柄や萌え絵文化を非難するものでもないはずです。「なぜあえて胸を強調するような絵柄がポスターとして採用され、人の目に留まりやすい場所に掲示されているのか」が問題の本筋となります。
ツイッター上ではこの巨乳を奇形と差別したという話ばかりが広まり、これに対した反応をしている方ばかりを見かけるようになりました。巨乳が奇形だと間違った受け取り方をして、それを広めているのもここの人たちです。
→表現の自由は人権を守った上で存在できることは周知の事実です。
→あいトリで大きく問題にされていた昭和天皇の写真を燃やして踏みつける動画作品。これはそもそも天皇制を批判している、日本の象徴を侮辱しているという文脈で見ようとすると誤解を受けます。この作品を制作した大輔さんは「心の問題としての自画像」を取り上げ、変遷するイメージを天皇として表現しました。本来は世代によって変わる天皇のイメージと皇室タブーの議論へと接続される予定の作品だった。ただそれが上手く行かずに政治的文脈によってのみ判断されてしまいました。現代アートは問題を投げかける作品が多いです。ただその性質上、人間の負の感情からスタートすることが多い。私は表現の不自由展・その後を支持するわけではありませんが、展示が本来持つ意味に沿って機能せず、短絡的な思考により展示が阻害されたのは問題だと思います。これは余談なのですが、そもそも天皇は基本的人権をお持ちなのでしょうか。人権を制限されている制度が存在することを無視して、この動画作品を批判するのはどこか矛盾していませんか。天皇の人権について議論するならば、天皇制についてもきちんと議論するべきだと思ったのは私だけなのでしょうか。
→そのような絵柄を好む方も多くいることは理解しています。その愛好人口のある程度の多さ故に、女性的な要素である胸を強調するイラストは一定の支持を受けている。ただ忘れてほしくないのは、女性の性的要素が強調されたイラストを不快に思う人が存在するということです。今は女性の性的要素を強調しているのみですが、これが水着になったらどうでしょうか。もしエロやグロだったらほとんどの人が批判すると思います。場に適切か不適切かどうか。その線引きについて現在議論しているのです。
→存在し、受ける人が増加する事実を確認しているだけで、勧めているわけではないです。大事なのはこの背景に何があるかということです。胸を性的要素として日常に取り入れすぎてしまい、巨乳、つまり性的要素が強い人が結果的に性的な視線に晒される機会が多くなった。日常に取り入れすぎるというのは、今回のポスターのように市民権を得すぎてしまったことです。冒頭に戻りますが女性の「モノ化」により本来、個人的にやり取りされるはずの女性の性が、大勢とやり取りされることが問題になります。
この一連のツイートへの反応はどうしても本筋の論点とは違ったところへ議論が流れがちです。第三者が各所を切り取り、論旨をすり替えたツイートも見られ、大勢の人がRTしたりしています。これが最近話題のフェイクニュースかあ、と感心してしまいました。もちろん感心してる場合ではないのですが。情報の判断を誤ると生産的で建設的な議論ができなくなります。そもそも議論ではなく「でも私はー」や「でもこんな人もー」などのように個人的な感想や極めて稀な例を出す人もいます。感情や例外ではなく、一般的な例に則った議論を交わすことをお勧めします。私はこの議論に関しては肯定派にいますが、反対派の意見ももちろん聞きたいです。しかしそれは「胸を強調することに問題はない」「このイラストが公共の場に晒されることに問題はない」ことを証明する意見を求めています。
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