はてなキーワード: サーブとは
2023年3月3日・4日に、ニロアンドカンパニーがプロデュースしたイベント
「Amandine at SHIROIYA」が白井屋ホテルにて開催されたとのことです。
https://www.niroandco.com/amandineatshiroiyahotel
ノーマスクの人々が換気の悪い空間に過密に詰め込まれています。
3枚目の画像では、サーブする前のカクテルと客が口をつけた後のカクテルが一列に並べられています。
一目見て「不潔」と感じました。
手前に後ろ向きで立っている4人の男女の、左から2人目の女性。
根拠は、
・現代の日本において、黒いテーラードジャケットを着る際に大きなリュックを背負う成人女性はほとんどいない。
・仮に上記のテーラードジャケット&リュックの組み合わせを選んだとしても、インナーにスタンドカラーシャツを合わせることはない。
・この女性は身長が低い。左右の男女と比較すると、150cm程度と推測できる。成長期にある女性と推測できる。
この女性が成人していると主張なさる場合は根拠を示してください。
たとえば、この女性の全身が写った画像があれば、高校の制服かどうかがすぐに分かりますね。
2週間以内に上述の質問に答えず、かつこの女性が成人している証拠も示さなかった場合は、
ニロアンドカンパニーが本イベントにおいて高校生をバーに入場させ、カクテルを与えたとみなします。
高校生をバーに入場させることは風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律に違反します。
高校生にアルコール飲料を与えるのは未成年者飲酒禁止法に違反します。
なお、もしこの女性の画像を何の弁明もなく御社Webサイトから削除した場合、削除したことをもってあなた方が犯した犯罪の証拠とみなします。
↑の近況報告を書いてから相当に間が空いてしまったが、実はレッスンは続けていたという。
それでいま再び筆を執ったのは、レッスン再開からちょうど10年の節目ということだけではない。
来月のレッスンから、ようやくメンコン(メンデルスゾーンの協奏曲)に取り掛かれるようになったことが、一番の報告だ。
これについては前のエントリで
全てが順調に行けば、年内にも念願のメンコンに取り掛かれる
と書いたけど、その意味では全く順調ではなかったのだ。
そこら辺の話を、例によって長くなるけど書いていこうと思う。
ちなみにメンコンの前準備としてモーツァルトの協奏曲に取り掛かったのは本当。
全5曲ある協奏曲の中でもかなり難しい第5番を、結局全楽章さらう結果になった。
楽章の合間にいくつか他の曲を挟んだ(ベートーヴェンのロマンスとか、クライスラーのロスマリンとか)ものの、モーツァルトに取り掛かってから現在までの7年の多くの時間は、モーツァルトに費やしたと言っていい。
こう書くと、曲のボリュームから言えば「時間かかりすぎやろ」と思うのが普通だろう。
確かに今思えば自分が先を急ぐあまり、少なからず荷が勝ちすぎる曲だったのは否定できないが、それでもここまで時間がかかった理由としては十分な説明ではない。
荷が勝ちすぎた曲だったことは前提として
という2点が大きいので、それぞれ説明しようと思う。
幼少からヴァイオリンを習っていた、いわゆる「アーリー組」の読者諸兄ならほぼ全員通ってきた道だと思うが、ヴァイオリンのレッスンというのは基本的に
ことで、「曲を弾ける」ようにしていく。
でもこれ、言葉を選ばずに言えば「先生の劣化コピー」を作っているに過ぎないわけだ。
もちろんそうやって一曲仕上げる際に得たノウハウを、他の似たような楽曲に応用できればいいが、学習者にそこまで耳やセンスが育っている保証はどこにもない。
実際、「よくわからないけど先生の言う通りに弾けるようになったからいいや」で済まし、結果「お前先生がいないと何も出来ないのか」みたいに、解釈力が全く育たないまま放置されている人は非常に多い。
何よりこうしたお仕着せまがいの教え方は、学習者が難しいことを前向きな気持で克服するのに必要な「憧れ」をしばしば忘れさせ、嫌々お稽古ごとコースに陥らせるわけで。
そしてモーツァルトのような、奏者への要求レベルが相当に高い曲をやる頃になるとそのレクチャーというか諸注意は微細を極める(それこそ音符単位)ため、
「もういいです勘弁してください!」
(それを踏まえると辞めることを許されない、プロを目指す子達がどんな気持ちでヴァイオリンをさらっているかは、想像を絶するものがある)
「自分が弾きたい音で弾く=弾けるようになるまで絶対に妥協しないことを基本にしなさい」と。
そのうえで
「増田さん、その解釈に基づく演奏でステージに上がったら恥かくよ(変人ショーになってしまう)、なぜなら(以下説明)」
「その部分が無味乾燥に聞こえる時点で解釈が足りてないと思う」
「それだと増田さんの弾きたい音は出ないから、これをこうする練習をしましょう」
という、クラシック=最上のものと定義される音の有り様を、懇切丁寧に教えてくれた。
お陰様で、モーツァルトの協奏曲5番は「本当に難しい」と思ってはいてもモーツァルトを嫌いにはならなかった。
気がつけば音楽に対する集中力と解像度は飛躍的に上がったし、なんなら
「アニソンやボカロみたいなポピュラー楽曲のカバーでありがちな、ポルタメントや過剰なトリル/アクセント/ビブラートに頼らない、あくまで上質なクラシックの弾き方で弾いて喝采を浴びてみたい」
みたいな新しい夢も出来た。
時間はかかったけど、その分より大きな高みに登っていける基礎体力は間違いなくついたと思う。
結局、能力に大きなばらつきがあることが先生はもちろん自分自身も、諸々の見通しを大いに誤らせる結果になった。
何に苦しんだかというと
これだと親指以外の4指を自由に動かせないのを無理やりコントロールする=コントロールできるまで途方もない練習量が要求される。
なのでこれ以上難しい曲に取り組むのであれば先がない(最悪弾けないまま体を壊しリタイヤ)という、致命的な問題だったのだ。
これについてはヴァイオリン以外の、逆上がりや二重跳びができないのはもちろん、ボール投げもバレーのサーブもヘボかったりとかも踏まえると、もう間違いなく自身の神経発達に問題があると確信させられた。
結局、なんとか「左指がデフォで緩んでいて、他の4指の力の入り具合に連動して自然に屈曲するように力が入る」動きを無意識にできるようになったが、もしこれが体得できなかったらと思うと、今でも怖くなる。
他に楽器を常に鎖骨の上に置く、右肘が後ろに逃げないよう腕を重力に任せて落とすといった基礎もツッコまれたが、どちらも10日程度頑張ったら治ったので軽症で済んだ。
なお、今もメンコンの最初の方だけしかさらえていない。納得できる音が出ないので先に行けないし、先を見ても意味がないからだ。
こうやって一歩ずつクリアしていけばいいと思えるくらいには落ち着いた。
正直とても難しいけど楽しい。
ぼんやりとそんな概念はあるっぽい人は9割に近いかもしれないけど、「返ってくる」とは? ベースどっち周りだっけ? とか、△だっけ四角だっけとか知らない
(ア、アウトってのがあるんだっけ? って先日話したとこ。シャアとアムロとガンダムが居る、ぐらいの知識)
野球詳しそうな人が多すぎて無駄に謙遜しちゃうのも知らない人多く見えちゃう原因かもね
ちなみに、自分は高校の体育でラグビーをそれなりにやったはずだけど、トライで何点か入ってなんか蹴っても入って、ボールを前に投げちゃだめ、ぐらいしか覚えてないからラグビーのルールわからんって言う
バスケはトラベリングぐらいまで押さえたらなんとなく形になる? ダブドリとかは目をつぶって
テニスやら卓球やらもルール知らない人とやる時はサーブどこに入れるとか、自陣でワンバンしてからとかは気にしないでまあそれっぽく成立はする
どんどん話が変わっていってる気がするけど、自分が沢山居てラグビーやろうぜってなったら、
・最初の時点で全員スクラムに参加してるので、押し勝った後次のプレイに入るタイミングがわからん
(こないだのW杯でみたのとか思い出した↓)
・足で後ろにいる人にボール蹴るんだっけ?
・あとはなんとなく横に広がって斜め後ろにパス
・守備側はタックル(上半身行っていいのか、掴んでよいのかとかはわからん)
・トライしたら点入る 3点か6点ぐらい
(アメフトと違うみたいな知識あるからトライ地点の延長上じゃなくてもいいんだっけ)
・パントってやつあったなぁ、攻撃に使うんだっけ? ピンチの時の緊急避難?
ずっとパントしてりゃいいじゃん、って思うから多分制約あるんだろうなってパントは控える
・外に出たら、なんか両チーム並んで真ん中にスローインして、持ち上げて取っていい
ん?
そうなの?
知らないけど。
それはさておき、
今まさにホッツな研究中の
お茶を淹れる急須を使わずに手軽に淹れることの研究に意外と熱を上げ熱心な私。
今朝からまた熱心にレッツホッツよ!
急須は容量が小っちゃいから一度にたくさん均等な濃さのお茶を淹れ作りたくて私が昨日思案したのが耐熱容器にお茶っ葉を入れて淹れるってことなんだけど、
棒でグルグルかき混ぜたら苦くなっちゃう成分が出ちゃうかも知れない?
そんで思ったより茶葉も容器の中でジャンピングチャンスしてなくて、
私が考えた今の時点での自分的に最強の耐熱容器でのお茶の淹れ方は
容器3分の1までお湯を入れて、
お茶っ葉を開かしーの1分ぐらい待つ、
その次に残りの3分の2のお湯を一気に容器内で対流させるように注ぎ
棒で物理的にお茶っ葉をいじらない方がいいかもしれない作戦よ。
安いお茶はとにかく熱湯でガンガンやった方がいいとのことなので
それで出来上がるお茶は残りのお湯を注いだときにお湯の流れの対流でかくはんされるので、
容器を見ていると、
重量の重いお茶っ葉はすぐに沈んじゃうから軽いお茶っ葉しかジャンピングチャンスをしてないのよ。
それで私は考えた作戦として、
残りのお湯を注ぐ回数でその勢いで
重く沈んでしまったお茶っ葉もジャンピングチャンスを得られるってわけ。
これもしかして
3回に分けてお湯を注げばダブルジャンピングチャンス!ってことにならない?
お茶っ葉がかくはんされて案外いい緑茶が淹れられるかもしれないわ!
と言うところまで試してみて飲んでみて、
もはや
急須で淹れたようなお茶なのか耐熱容器で淹れたお茶なのかのどちらの良し悪しが良いのか悪いのか分からなくなってきたわ。
結局どちらでもいいような気がしているところの結果的今の時点での発表よ。
ただ!
急須は部品が小さくて入り組んでいて洗うのが面倒くさいと言っても食洗機に突っ込んじゃうから私的にはそれノーダメージなんだけれど、
ただ気になるところは
お茶の苦味や渋味がなく甘みもなかったような感じがするテイスティング結果の着地地点に今私は空から女の子が振ってきたばりにそこに到達着地しているんだけど、
なんかもっと甘み出ないのかな?って
急須で淹れた時には甘み出てたような列島を奄美大島で味わったお茶のように
奄美大島には行ったことないけどきっと美味しいお茶がある大冒険!かも!?
うーん、
これはもはや先入観の差なのかも知れないけど、
急須は面倒くさいので
耐熱容器で一気に均等の濃さを大量に緑茶を抽出するって私の研究のテーマである昨日から始まった実験は完成しつつあるのよ。
お茶の葉っぱが容器の中で攪拌されているのが確認出来るから見ていて面白い実験の醍醐味でもある味つけでもあるわ。
でもこれ逆に
多いなぁって感じで
これは現代の世の中の大量生産大量消費を肉挽きにくい挽肉を皮肉るかのようだわ。
逆にクローズアップしすぎな現代も弊害の一途をたどるかもしれないわ。
でね、
だけど
これが1リットルつまり1000ミリリットルほど緑茶ホッツが出来てしまうので、
量が多いっちゃー多いのよね。
まあ飲むけど。
そこは私の生産体制のお湯を沸かす調整をすれば良いだけの話つまりはお湯を750ミリリットル分沸かせば良い!って最適解が出ているの!すでにこの方程式は!
なので、
お湯多すぎ!ってわけね。
朝の忙しいときに効率よく緑茶ホッツを!と思っているところよ。
かと言ったとて
お茶を淹れるに関しては
何かしろの器具がいるから結局は洗い物が増えるのはさけられない実験の結果は変えられないみたいね!
違う違う
そうじゃそうじゃなかったわ。
焼きたてのパンが焼けたときの発表するパン屋さんの店員さんのようでもあり、
てんちょーレジ1万円入りまーす!って言うレジの担当の人かのような如くね。
ってそれだとただのパン屋さんの店員さんかレジの係の店員さんか来客時に気を効かせてお茶をサーブする人かのどれかになっちゃうわ!
なので、
私はお茶が入りましたってサーブするからあなたはお茶をレシーブしてね!
行くわよっ!!!
うふふ。
ツナの旨味が口の中で爆発して美味しい感じが朝の元気をタマゴ不足を補ってくれるわ!
そしてトドメの薄いタマゴサンドはタマゴ不足の懸念はあるものの、
美味しいに変わりないから美味しいわっ!
朝のサンドイッチ最高元気出るー!
もっとゆっくじじっくりお茶を淹れられる時間があればいいのにーって
でも朝は忙しいの
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
それもニコニコ大百科だのピクシブ百科にお株をとられてるけど。
自分のはてなは人力検索で3万ポイントくらいかせいでうち1万は初期のうちにamazonにかえてたのがメインかな
あとはジオシティからはてなダイアリー(匿名ではない)にのりかえてはいくとグループつかって今はツイッターメイン
はてなはブログプロ(のこり2万)をあきらめて撤収して無料ブログ書き散らしのみと撤収気味
今noteのほうが国内一のユニークユーザーらしいけどバズらない程度が楽でいい
ちなみにもっとながく使ってるサービスでいうとniftyはサーブから35年だって、そのうちの30年弱付き合ってる。こちらも撤収気味
ジオはとっくの昔にない
気がきかない自覚がある 例を挙げると枚挙にいとまがないが、今は若いからまあ許されてる(と勝手に思ってる)のがどんどんシビアになっていくと思うと恐ろしい
例えば、12月に職場でチームの忘年会があった 私はあまりお酒が強くなくて、特にそのときはイタリアンでワインだったんだけど、ちゃんとワインを飲んだ経験がほぼない だからあまり飲めないかもしれないですとは伝えつつ白ワインのグラスはもらってた そうしたら、カジュアルなイタリアンでお店の人のサーブもカジュアルな感じだったので、有無を言う間もなく赤ワインも人数分グラスに注がれて出てきてしまった
私は白で十分だったので、最後まで赤ワインには手をつけられず、でも誰かにこれ私飲めないので飲んでください、とも言えず、結局そのグラスを手付かずで残したまま会は終わってしまった
できれば他の人に譲りたかったけど、自分より目上の人ばっかりでそれも憚られる気がしてできなかった どうするのが正解だったの?
・サッカーの分かりにくいところ
身体的接触で倒れても、ファールの時とファールじゃない時があるし
ファールでもカードが出たり出なかったりするし、FKになったりPKになったりする
プロレベルだとほぼないけど、半スローとかGKがバックパス拾っちゃダメとかも知らないと何で?ってなる
・バレーの分かりにくいところ
セッターとリベロは何となくわかるけど、それ以外の人の役割の違いがよく分からない
あと技の名前もAだのBだの分かりにくい
あととにかく突き指する
・バスケの分かりにくいところ
反則がとにかく分かりにくい
トラベリング一つとってもアイツ今4歩くらい歩かなかった?って言ってもピボットだからOKとか言われるし
ダブドリとかもよく分からないけどピピー!ダブルドリブル!とか言われて何か分からんまま反則を取られる
身体的接触もサッカーの感覚でいると肩で当たってもチャージングやらプッシングやらととにかくファール取られまくる
あととにかく突き指する
現役ではない部活程度の経験者です。日本がんばってて試合を見るのおもしろいのに最近気づいた観戦にわかからの提案。
下回転でネットに引っ掛けてノーバウンドを故意に狙うような選手に対しては警告で対処。サーブミスのリスクが大きいのであまりでてこないと思う
3本交代にすると心理戦の要素が強くなり、サーブのバリエーションをもつ人や経験を積んだ年長者が若干有利になる
どうせ当面の世界一は両ハンドドライブのラリーが強い人なのだから、サーブの権威をさらに上げよう
6点ごとのタオル休憩との相性もよい(サーブ交代とタオル休憩が重ならないポイントが少なくなる)
単純に見た目が汚い
知らない人が見たらなんでって思う(汗をぬぐってます)
アニメ(映像)になった瞬間に「時間」という概念から逃れることが難しくなってしまう。
なので漫画という常に静止しているメディアでしか表現できないものはあると思うんだよね。
例えば昔懐かしのテニスの王子様で乾が「あれはフローターサーブ、なんちゃらかんちゃらでうんぬんかんぬであれこれあれこれでどうこうどうしてあーしたこーしたにゃんにゃかにゃんにゃんうんこちんちん」みたいなことを長々と解説するんだけど、漫画だとこれが一コマに収まるので打って次の瞬間には相手のコートにボールが撃ち込まれている。
でもこれをアニメでやると乾が解説している間、延々とボールが飛び続けているか、ラケットがボールにヒットした瞬間の絵で静止して乾の解説のターンに入るので、今時間の流れどうなってるねんみたいな状況になってしまう。
心情表現にしてもそう。
漫画だと心情表現用の吹き出しに心情を書いて置いておくことで、空気感を維持することが可能だけど。
これをアニメでやろうとすると声優が心情を読み上げる時間が流れることでなんとなく間延びした印象になってしまう。
こういう時間を割と作者の思い通りに操ることが出来るメディアとしては
ブラック部活お疲れさまでした。
はてなではブラックな部活の話しか無いから、俺が経験した超絶ユル~イ部活動経験でも書いて中和しとく。
それは中学時代の卓球部。母校の卓球部は卓球部が持つ世間のイメージ以上に緩かった。緩すぎた。(ガチな卓球部はもちろん存在します)
松本大洋の『ピンポン』でスマイルが本気出す前の片高をさらにダメにした感じ。まず女子部員が見てないと高確率でピンポン玉で卓球ではなく野球をし始める。
卓球の練習内容も適当に打ち合っていればまだ良いほうで、実戦で使えもしない魔球()サーブを延々打ち込んだり、台空いてないときは座って駄弁ってたり、全部員で外周走りに
行くことになって(走り込み自体が珍事)並んで出発したはいいものの100m程進んだところで女子が見てない間に男子部員全員で勝手に引き返したりと最高に緩かった。
顧問も色々緩くて卓球はミリ知らだし、練習は基本見に来ないし、たま~に見に来ても部員とドラクエの話で盛り上がってるような始末。
今思うとユルイというよりダメダメな部だったけど、不良だらけの母校においてあのユルイ卓球部は俺の居場所として心地よかったし、あの卓球部が無ければ俺は不登校になってたかもしれない。
上司「増田君、来年4月の第1週の金曜日、夜は空いてますか?」
上司「よかったです。この日にちょっとした会があるので空けておいてください」
という会話から半年弱。4/8の午後に、新幹線に乗って静岡県の某駅に向かった。
素直さだけをウリにしていて気働きが鈍い自分も、上司がああいう言い方をした時点で、それが「ちょっとした会」などではないことはわかった。
車中で交わした会話からすると、ごく内々の慰労で、お客さんは関係ないと。
ただ、「ちょっといい店」なんだよ、と。
店に行く自体が目的だということ、自分には特にお役目がないんだということがわかった。
夕方5時過ぎに駅に着き、そこからタクシーに乗って20分ほど。
街中から離れ、周囲を夕日に縁取られれた稜線が取り囲むような里山の前で下ろされた。
看板が出ていない、綺麗に舗装されたゆるやかな歩道を上がっていくと、
簡素な門の向こうに、小さな庭園と池、RC造で軒のない平屋の建物が見えた。
玄関ドアに着いた呼び鈴を鳴らすと、和服の仲居さんが出てきて中に通された。
割烹みたいな対面カウンターに先客がいて、それがウチの専務だった。
普段なら声もかけられないような関係の人が、「おお、上司君、増田君、お疲れさま」。
自分は小心者だから、さすがにちょっと、いや相当、テンションが上がった。
専務によると、ここは以前、地元企業の経営者が所有していた別荘を店主が買い取って料理店に改装したのだという。
以前は都内で知る人ぞ知る店を構えていた店主が、一念発起して静岡に拠点を移したんだと。
肝心の料理は、突き出しの後は、天ぷら屋みたいに色々な唐揚げを少しずつサーブするスタイルだった。
揚げ油も白絞油とごま油を使い分けていた。
大半は衣の時点で調味されてるので、天ぷらみたいに、塩をするとか天つゆを使って最後に味を付ける過程がない。
硬めの衣で包まれ、噛み締めた途端に口の中で爆発するプチトマトの唐揚げ。
ほんのり香るクミンが腸の苦味と絶妙に合う、ホタルイカの唐揚げ。
芯から丁寧に外した1粒1粒の食感が楽しい、トウモロコシの唐揚げ。
神妙に味わってから、その料理の味についての話はせずに、また雑談に戻る。
これが彼らの、もしかしたらこのお店の、作法なんだなと思った。
(帰りの新幹線では3人一緒で、2人はしみじみと一品一品の論評をした。
○○鶏は、70年代に大型化して復活した肉用名古屋コーチンの原種に近い、どこにも品種登録されていない鶏だという。
唐揚げという言葉から想像するくどさとかジャンク感とは対極の、どこまでも澄んだ、静謐さすら感じる体験。
地鶏らしい弾力と旨味が、薄く纏った米粉の衣の香りとともに鼻腔と味蕾を満たす。
これもまた途轍もない、自分の親子丼に対するイメージを塗り替える代物だったけど、最後の唐揚げの後ではどう評しても蛇足になってしまう。
客は我々を入れて4組。それでゆったりしたレイアウトの客席が満席。
こんなご時世なのに、客の半分は外国人だった。
隣席の会話を聞くに、もう引退した有名政治家が、仲間を連れてお忍びで通ってきたりもするらしい。
自分は(接待では)超高級といわれる炉端焼屋も蕎麦屋も寿司屋もうなぎ屋も串焼き屋も行ったけど、
唐揚げというジャンルにも、そんな知られざる至高の高級店があるということを、初めて知った。
この手の店ではよくあることだけど、予約は(普通のやり方では)取れない。
専務も他の客も、実際に店に行った時に、店主と話して次に「空いています」と伝えられた日程を
半年後でも1年後でもとりあえず押さえて、その日には仕事を入れない。
それを繰り返す。結果的に、客は常連さんか、常連が連れてきた一見客だけになる。
一度常連になった客達は、みんなこの予約のサイクルを切らしたくないから、
人数合わせで知人や部下を誘うことがあって、自分は今回たまたまそのお相伴に与れたのだ。
おそらく、自分がこの先の人生で、この店の会計を自腹で払えるようになることはないだろう。
でもめいっぱい出世すれば、専務が持っている予約枠を埋めるレギュラーになって、
年に1度ぐらいは通えるようになるかもしれない。
それか、あと5年ぐらいしたら、あの目眩のするような体験を思いっきり通俗化・大衆化したような
「高級唐揚げ屋」が町場にたくさんできるのかもしれない。それはそれで楽しみだ。
すげぇよなこの「おちんぽ君にヤラセるためだけに存在する女」の徹底した描写
まずイヤリングもペンダントも(もちろん指輪も)一切つけてない。
なぜってイタリングはトップス脱ぐ時にひっかかるから、おちんぽ君の貴重な時間を奪うことになる。
おそらく香水や制汗剤の類いも「舐めると苦いから付けるな」と云われてつけていないのだろう。
そしてトップス、ニットだがジャージだかわからん薄手の素材がアンダーバストに食い込むという奇妙なデザインになっている。
さすがのエラいおちんぽ君も重力をあやつることはできないはずなので、これはそういうデザインでしかありえない。
つまり、黒いアンダーにニットだかジャージだがを縫い付けて、胸のラインがあらわになるようにしているわけだ。
おちんぽ君の目を楽しませて、なかつ脱がせる時は一度で済むという理想の構造。
目の前の料理は一切手を付けられていないが、もはや湯気も出ないほど冷え切っている。
おちんぽ君に「ヨシ」と云われるまで食べることも許されないのだろうか。
コップの中味の黄色い水は氷はなく、結露もしてないということは室温と同程度にぬるくなっているようだ。
ドリンクバーのオレンジジュースかなにかの成れの果てだろうか。
(有料のワインなど、注文する訳がない)
さて、ドリアの前に置かれたピッカピカの空っぽの皿がまったくもってナゾなのだが
(エスカルゴの殻入れかとも思ったが、サイゼリアの場合殻なしで提供される)
もしやこの冷え切ったドリアを、まず最初におちんぽ君にサーブするために置かれたのか?
女は男より先に食べることを許されないというわけだろうか。
21世紀の日本ではあまり聞かないが、おちんぽ君の脳内では当たり前の風習なのだろうか。
おちんぽ君の脳内では、自分がおごる料理はテーブルからあふれんばかりに巨大なのだ。
彼女の方から「お金がもったいないからトイレでしよ(はぁと)」って言い出すのだ.
シャワーも浴びていないおちんぽ君のおちんぽを、エスカルゴのガーリック臭い口でぱっくんする。
それが「サイゼで喜ぶ(彼)女」
あと少し疑問なのは、ソファの上辺がテッカテカに光ってることだ。
なんらかの光源が背後(あるいは真上)にあるということになるが
少なくとも後ろには窓かないがどうなってんだろ。
全ての火種は、開発者本人がユーザーの要望に全部返信しているということにあると思う。
ソナーズで過去の感想が読めなくなる件についての運営からの返信を読んだが、1から10まで開発者目線の言葉で綴られている。
「お客様に対する運営の言葉」じゃなくて、「開発仲間や知人に対する開発者の言葉」だ。身内に対する「わかるでしょ?」の連発。つまり、身内じゃない人には何もわからんだろう。
==== =====
まあそれもしょうがないんじゃなかろうか?だってベータ版でしょ?
開発者にとって、ベータ版ユーザーというのは「まだ完成していないことを承知で、機能がどんな風に動くか試してくれる人」だからだ。
そこで不具合があったら正式版までには絶対に潰しておくリストに入れて、試しに修正してみて、「修正しました、どうでしょう?」とやって、またβ版ユーザーに投げる。
ある種の開発仲間のようなものだ。開発者はそう捉えていると思う。
だが、「ソナーズβ版」のユーザーは、全くそのあたりを承知していなかった。
承知させないまま利用を始めさせてしまったと言った方がいいか。
togetterのコメントとかで「できるかもわかんないのに不完全のまま公開したってこと?」というお怒りの文面があったが、β版というのはそういうものだ……。
どんなサービスも、どれだけ開発時点で不具合を潰したとして、「実際の利用者の挙動」は実際利用してもらわないと不明の、未知の領域だ。
どんな科学理論も実験してみると思わぬ結果が出たりするのと一緒で、web開発も「実際に動かしてみないとわからないこと」がたくさんある。
そういうのをβ版で吸収していって開発に活かすのだ。そうやって正式版になるんだ。そういうものなんだ……。
だって、マシュマロにリンク貼ってあるもんな。そら皆「完成したんだ!」と思って使うわな。
まさか、『未完成のサービスに準開発仲間としてご招待!!』だなんて思わんわ。
第一に、開発者は「マシュマロに訪れた全員」を対象にしてβ版に誘導してしまった。おそらく『マシュマロ』というサービスの規模を余り考慮せずにその行動を取ったんじゃないだろうか……?どれだけの、どんな層の人々が流入するのかという検討が不足していたってわけだ。
正直、だいぶ浸透したサービスなわけだし、そんくらい予想しといて欲しいな……と思わんでもないが、気持ちはわかる。だって開発者本人なんでしょ。
例えば飲食業だって、大衆的なものだったり、1品だけのメニューを作り続ける屋台とかなら調理とサーブを1人でやったりする。
でも、少し規模がでかくなったりメニューが繊細だったりすれば調理する者とサーブする者に分業するのは当然だ。
つまり、今までにない機能をつけたwebサービスを開発するというトンデモない複雑なことをやりながら、
一方で現在稼働中のサービスのアクセスを解析し、どのような層に届くのか予想し、どんな風に告知するのかを最適化して、
ベータ版というものを全く理解していない人にもよくよく承知していただけるようにチュートリアルや説明がきを用意して……
なんてことを、1人でできるわけないのである。
ひとりでやっているかは知らんが、あの文章をみる限りそうとしか思えない。少なくとも仲間内には開発者しかいないんじゃないか?
きっと、『マシュマロ』をつくったときも初めはベータ版を少数のフォロワーとかに試してもらって、「ここ動いてないよ!」「ああそこはまだできてない!ごめん!もうちょっとかかる〜」とかやりとりしながら作っていたんだろう。
そのノリで今回もできると思ったのかもしれないが、もう既にマシュマロはそんな規模のサービスじゃなかったのだ。
文面を見てると「最初からそんなに利用されるサービスなんてない」風の記述があるが、それはきっと……初期のマシュマロの開発のリズムをイメージした話なんだと思う。投稿者を馬鹿にしている、という批判もあったけど、そこは違うと思う。「個人で開発したサービスなんだから、最初は知人くらいしか使わないのが普通!」みたいな。開発者は、己が運営しているサービスのポテンシャルをみくびっていたんだな、、多分。もしそれ(β版を試用してもらいながら最適化)をやりたいのなら、本当にオフで会ったことあるレベルの知人限定でやるべきだったと思う。その範囲なら多少やらかしても「ごめんごめん!」で済むので。
もし今回の炎上をマシュマロ運営が懸念して、今後ちゃんとやっていきたいならば、
web開発に技術が必要なのと同じで、開発に詳しくない人に、きちんと誠意が伝わるように説明するのだって技術が必要な仕事だ。
正直あの文面は「運営からお客様への返答」として見られたら最低だと思う。
だが、開発者にカスタマーサポート技術まで求めるのは酷な話だ。本当に。
今のまま、サポートも開発者が兼任していたら、いずれ本当にどちらかを蔑ろにするしかなくなって破綻する。
大事な機能を開発途中で「β版で試して貰えばいいや!」と公開したのも、「β版」に関する説明不足で混乱をきたしたのも、全て「今の人員じゃ間に合わないから」なんじゃないのか?