はてなキーワード: おもしろとは
こういうの、思い出すんですよ
10年以上前に2ちゃんでROMってた頃、ニュー速VIPとかで
「〇〇だけど質問ある?」
っていう板を見たこと
あれずっとやってみたかったんだ
でも高校生だった当時、ガキが来んなとか、ツマンネとか、半年ROMれとか怒られるの怖くてね、言われる前にROMってた
でもいざこういうときに
「あ、こういうのでスレ立てたい」
いくつになっても顔が見えない他人に怒られたり、心がキュッとするような言葉を投げられるのは嫌だ
全然分からん、だからもう今、匿名でなんか書くってなると増田ですよ、ここしか思いつかなくて
大人になったな、って思うんですよ
結べたんですよ、マン汁
結べると思います?わたしもさっきまで結べるもんだと思ってなかったんです
でも結べたんですよ
それがちゃんとした暮らしをする者の嗜みというか、後から同じ湯船に浸かる家族への礼儀ってもんで
で、ちゃんと湯で股間を洗おうとしたら、タンポンの紐みたいに“しらたき”が出てた
股間から“しらたき”が出てることある?あの、白いこんにゃくのちゅるちゅるしたやつ
最近うちの献立にすき焼きが採用されたもんで、“しらたき”は最近食べたから記憶に新しいけど、女人の股間からは出ないよ“しらたき”は
知人の女医が昔言ってたけど、卵胞期にマン汁って「みよ〜ん」ってなるらしいね
今はもうすっかり交流がないけど、でも「卵胞期だからマン汁がすっげぇ伸びる!!!」ってTwitterに投稿してたことは覚えてる
今、そのツイートが活きました
で、“しらたき”を改めて見直して
「これ引き抜いたら視界真っ暗になって死ぬかな!?そこに視神経はないだろ、そりゃそうだ!ガハハ!紐切り!プッ(鎬昂昇)」
とか思って(口には一切出していない)引き抜いた
すごい“しらたき”だった
こんなにマン汁が“しらたき”になること人生でないな、と思った
液体じゃないんですよ、普通「汁」って液体と形容できる流動性があるはずなんだけど、垂れない、はねない、手につかな〜い!(レインボーアート)だった
手に持って指に巻き付けられる、これは人類史上でも類を見ない、とても貴重なマン汁だ…!と研究者の顔になって、入浴そっちのけで“しらたき”マン汁を見ることに励んだ
でもさぁ、そこで気づいたんよ
「液体じゃなければ結べるんじゃない…?!」
って
なんでそんなこと思いつくんだよ
普通に、結べた
そりゃ〜そうじゃ“しらたき”だもん、結べないわけないよな
いや、“しらたき”じゃない、マン汁だよこれは
「マン汁を結ぶ」って聞いたことないもん、そんな、あの可愛くておしゃれなアニメーションをMVに使いがちな令和の流行曲のタイトルみたいな…
友達やあの卵胞期マン汁びよ〜ん女医でも「マン汁を結ん」でないんじゃない?!?!!いや、女医はあるかも…
でも、その高揚感も一瞬のものだった
ここまで14回「マン汁」って単語をキーボードで打ち込んでますが、ちゃんとした大人ですよ
「なにやってんだろう…」がすぐ来ちゃうんです
結べたマン汁はすぐに排水口に流しました、こういうのは自分のクローンにお別れを告げるようなセンチメンタルを感じます
でもやっぱり、ここまでで16回「マン汁」って単語をキーボードで打ち込んでるので、ちゃんとしてないんですよ、マン汁(18回目)もニヤけながら結んだし
「こんなおもしろいエピソードをどこで言おう?!」がすぐ来ちゃうんです
なんて哀れなおもしろ奴隷、ゲットしたおもしろエピソードを新鮮なうちに放流したい気持ちに囚われる、哀しき、おもしろピエロ…
しかし、一応ちゃんと社会で働き、普通自動車免許も持ち、お酒も飲める年齢の社会人ですので、友人が沢山いるSNSに書くことは思い留まりました
「VIO脱毛して、陰毛ハート型にしたんだ〜♡」はギリ言っていい、個人的には詳しく聞いてみたくもある、けど、マン汁は、言えない 体液はさ、ちょっとネ……
ところでハート型の陰毛って脱毛のデザイン表に結構掲載されてるけど、あれどの層の需要なんだろう
そういうことで、「スレ立て」の文化にも再度乗れず、友人の前で体液の話をすることを憚る僅かばかりの理性がはたらいた結果、初増田でしらたきマン汁について書きました
匿名でなんてものを人様に見せてんだ、明日仕事のひともいるだろうに…
もう20回も「マン汁」って書いてしまいましたが、きっと明日も社会でうまくやれます
グッドラックしらたき
こんにちは、ニートです。躁鬱と自閉症を患っています。まともに働けないというか、もう会社の方が「頼むから来ないでくれ!」という感じなので、働いていません。工場で言えば不良品・不合格品です。工場ならそのまま処分されておしまいです。しかしありがたいことに、この世には障害年金という制度がありまして、このお陰で自由に使えるお金を確保できています。両親からも衣食住を施されており、生き長らえさせてもらっています。
経済的には社会のお荷物以外の何物でもありません。真面目に働いてきたはずの両親の負担にもなっています。生きててすみません。しかし、生まれてきてしまったからにはそう簡単には死ねないわけで、どうにか死なないで済む理由を考えています。例えば、人間の価値はお金だけで決まるものではない、みたいなことはどこかの宗教家やリベラルな人たちが言っていそうです。ですが、そんなことを言ったって、僕のような人間を目の当たりにしたり、このような文章を読んだりすれば、「こんな奴に税金使う意味あるの?」という気持ちが湧いてくる人も少なくないでしょう。僕もそう思ってしまいます。ですので、もっと直接的でわかりやすい、自分が生きている価値のようなものがあると生きやすいなあと思います。
そんなものが果たしてニートにあるのかというと怪しいところですが、心当たりがないわけではありません。それは僕の彼女のことです。いえ別に俺は彼女いるから幸せだぜ細かいことは気にならんぜリア充だぜということではないです。だいたい僕は薬でちんぽが勃たず、勃っても中折れしまくり、ついでに三次元にあまり性的な興味を覚えないので、セックスで射精したことがありません。今の彼女以外に付き合ったこともないので実質童貞です。リア充どころではありません。いえそういう話ではなく、もうちょっと内面的な話になります。
彼女は鬱病などを患っています。付き合い始めた当初、彼女は希死念慮が強く、酷く落ち込んでしまうことが何度もありました。本当に死んでしまうのではないかと思いました。しかし、辛抱強く話を聞いて、一緒に悩む内に、少しずつ生きる元気が湧いてきたらしいです。まだすっかり元気になったわけではなく、ちょっと前にも死にたいと言って駅のホームに向かっておりました。そういう時は僕もいっしょに駅に向かい、苦しみを共有しようとします。僕は躁鬱なので、鬱の人の気持ちがいくらかわかるというのもあるかもしれません。躁鬱でよかった〜。こういうことを繰り返す内に、彼女は徐々に前向きに生きられるようになってきたようです。どんな人であれ、一人の人間の自殺を止めるというのは、それなりに価値があることなのではないかと思います。
他にもあります。例えば、仕事とは何のためにするのでしょうか。ドラッカーによると、会社とはお金儲けのためだけではなく、顧客にサービスを提供するためにあるものらしいです。とすると、その会社で働く人もやはり、お金のためだけでなく、お客さんに何らかのサービスを提供するために働いていることになります。ではそもそも顧客にサービスを提供して何がしたいのでしょうか。たぶんですけど、それはお客さんを幸せにするためでしょう。人は人を幸せにするために働いているんです。そうだったらかっこいいなあと思います。僕は働けないですけど。
しかし、人を幸せにするというのは、何も会社だけができるものではないはずです。もちろん、会社という組織を作り、大勢で力を合わせる方が、個人が行うしょぼい善行などよりも、遥かに力強く、よりたくさんの人に届く価値創造ができるでしょう。また、経済とは個人の欲望を全体の利益へと変換する強力なエンジンであり、お金という代えがたい報酬を提供することができる会社は、より大きな社会貢献ができるでしょう。会社と平凡な個人とではできることの規模が違いすぎます。だから普通の人は、働いた方がより多くの人を幸せにできると思います。残念ながら僕は普通未満の人間なので、まともに働くことはできませんし、というか「お前と一緒に働くとか金をもらってもやりたくない」とか言われる始末なので、働くことによって人を幸せにすることは難しいです。しかし、もしこういう文章を読んで、ああ働いている俺はこんなアホよりは価値あるわ働いてる俺エライ、と自己肯定感を高めてくれれば、間接的に社会の役に立っていると言えるかもしれません。また、インターネットの多様性をわずかに広めることができるかもしれません。もしかしたら誰かがおもしろかったとか、アホだなこいつwとか、何らかの感想を持ってくれるかもしれません。それはお金にはなりませんが、しょうもないながらも何らかの価値を生む行為であることは確かでしょう。
あとは僕はネットで人を集めてフリーゲームを作ったりもしました。サクッと遊べるゲームで、ありがたいことにいくらかバズったりもしました。この活動はそこまで組織だってはいませんでしたし、お互いに手弁当で作ったゲームなので、会社のような強い価値創造ができたとは思いませんが、燻っている個人に活躍の場を作ったり、誰もが自由に遊べるものを作ることで、インターネットを少し豊かにすることができたのではないかと思います。
働く目的が人を幸せにするための価値創造なのだとしたら、規模の大小はさておき、僕も多少はそれをできているかもしれません。働いていないなりに社会貢献ができていたらいいなと思います。
と偉そうなことを言っていますが、僕はそんなしょぼい活動などよりも真っ先にやらねばならないことがあります。それは両親を幸せにすることです。家族の形はいろいろでしょうが、少なくとも僕は両親にかなりお世話になりましたし、今もお世話になっていますので、恩返しはせねばなりません。世話になっている両親すら幸せにできないで何が価値創造だという話です。
で僕に何ができるかというと、それはやはり自立することだろうと思います。それも経済的自立です。いえ現実問題としてそれはかなり難しいわけですけれども、僕のような奴でも何とか働けるところは全くないとは言い切れません。今は就労移行支援施設に通いながら、とりあえず障害者雇用でバイトできるところがないか探しているところです。よいところが見つかったら嬉しいです。もしあなたの職場に僕が来てしまったら、大変申し訳ないのですが、とてもお世話になってしまうかと思われます。今のうちに謝っておきます。すみません。
僕は人間の歩留まり率のようなものを考えることがあります。何%かはわかりませんが、経済的価値を生み出すことが難しい人間は出てきてしまいます。工場なら不良品はポイして終わりですが、人間をポイすることはあまりよくないことだと思います。少なくとも寝目覚めのよいことではないでしょう。僕もその何%かに入っている人間なので、できればポイされるのではなく、何とか意味のある人生を送れるようにできたらいいなと思っています。
僕と似たような境遇にある人たちは、自分は生きる意味があるのかとか考えることがあるかもしれません。社会のお情けで申し訳ない顔をしながら日陰で生きてろと言われたら、そうするしかないかもしれません。僕も現実社会ではそうしています。でもまあこんな匿名のインターネットでくらいは、人を傷つけない限りは好きに振る舞ってもバチは当たらないだろうと思いますし、あと僕はインターネットがわりと好きなので、インターネットが自分にとって居心地のよい場所になってくれたら嬉しいです。
まともなコメントもあるけど
松本人志が審査員ばっかりしてたら、松本人志色の強い芸人しかこの世界で生き残れないので、
中田の意見を否定しているわけじゃなくて、これはおもしろい切り口だと思う
まったくその通りでテレビ番組だからTV局のプロデューサーとかの人選なんよなあ
偏差値65
マネーで計算すんのか、影響力で計算すんのか。いろんな見方あるけど。中田くんもそんなに言わんで。松本さんが審査員全部辞めるわってなったら、スポンサーもつかんわ、番組成り立たんわってなったら、これどないすんの?
すまん、ほんこん。ワイはお前を完全に舐めてた
感情に任せてコンテキスト無視したとんちんかんな文句言うネトウヨと同じレベルの無能な芸人とはちゃうかった
さんまさんの意見にも通じる。TVやし。そうよね、スポンサーつかんかったらTVとして成り立たん。その視点はまともよ
偏差値50
誰よりも神格化してるのかな
なんでそうなんねん。
番組を作ろうっていうお笑い関係者が松本を神格化しているっていうのはあっても
中田は違うだろう。
そして、中田の発言に論理性ゼロのコメントを出す人間こそが松本神格化して全てを擁護しようとしているんじゃないのだろうか?
偏差値35
真っ直ぐ勝負ってそんな自分ルール持ち込んで文句言われてもなあ
偏差値30
いやいや中田そんなこと言ってないし
おまえがおもしろくないって考えるのは勝手だけど、それ擁護にはなってないし
ただただ浮いたコメント
偏差値25
いっぺんやってみ、審査員!、こんなこと言われたら腹立つわ
いっぺんやってみって何よ。中田のコメントは別に俺にやらせろでもなければ、やったところで何も意見が変わるものでもない
偏差値15
この意見が一番ひどい。
そのべきって何だよ。権力者だけが権力者に意見言えますって何だよ。
そんな考えだから独裁が生まれ、多様性が失われるってことがわからんかなー。権力の犬かよ。
頭のいいポジション狙って学歴ロンダリングに夢中だけど、到底無理だよ
芸人でロジカルにもの考えられるのあとはカズレーザーくらいかな?
この件では何も意見言ってないと思うけど
他誰か何か言ってたっけ?
なんで鬱展開がオタクに嫌われるかって
エロゲで「こんな客を無視した展開できる俺らまじクリエイタ~」みたいな
ただこれが出来る俺ら凄いだけで生み出された数々の無意味鬱展開があったから
例えばアベンジャーズインフィニティ・ウォーはヒーロー負けてガモーラ殺されて人間50億人ぐらい殺されて終わって一年以上続きが見れない超クソ鬱展開だけど、
だからこそものすごい気を使ってやって、次回作は超明るいアントマン2だったり超無双映画のキャプテンマーベルだったりするのよ
そんでEndgameでは開始20分ぐらいでサノスぶっ殺して復讐完了するスピード展開っぷり、そーいうアフターケア、鬱展開にしたからこその超楽しいお話を後でやるから、物語の“谷底”が成立するんだけど、
日本のアニメ業界、そういうことを一切せず、ただ急に鬱展開にすりゃシリアスになってすごいみたいな
無責任で無意味で、ただクリエイターがこれが出来る俺らまじサブカルチャー作ってるぜ~みたいな、意外性以外感じられないクソみたいな鬱展開をいろんなアニメでずーっとやり続けて、
だからアニメで鬱展開が始まると、エヴァとか富野とか影響を受けたアニメとか、エロゲアニメみたいな、あっこのアニメ何も考えずに鬱展開初めた、あーあーこの後何も考えずに適当につまんない話が続くなーってわかっちゃうわけよ
だから鬱展開は嫌われる
信用がない
アヴェンジャーズインフィニティ・ウォーが成立したのは、10年と20作品という“信用”があったから成立したわけよ
なぜ日本のアニメ業界で鬱展開が嫌われるかって“信用”が無いから
それ程に90年代~00年代で鬱展開を多用し無責任に放り投げた実績がある
—
D4プリンセスとか、明らかにシリアス展開を見たいと思って見てないのに、
Wind -a breath of heart-はなんか急に鬱展開になってテレビ放送終わったからな
ナメとんのかってマジで思った
—
富野由悠季に影響を受けたのか
エヴァに影響を受けたのか
あの頃はマジでアニメでクソ鬱すれば一流クリエイターの仲間入りや!
みたいなゴミみたいなやつがたくさんいた
そういうのを10年ぐらいやってたから
見るのやめよ
ってなるわ
そういう事散々やってきたのに
今更ちゃんとした鬱展開です!信用してください!とか
信用できるか
ほんとまじで、そういうクソ鬱が見たくてみてるわけじゃねぇのに
これ読んでほしい。
ナンシー関曰く:
「ダウンタウンとウッチャンナンチャンを一緒にしてしまうことは間違っている。 百歩譲って、テレビタレントとして同ランクに並ばせることは仕方ないとしよう。 しかし「お笑い」という表現方法をとろうという人間である点で考えたら、その能力に差がありすぎる。ウッチャンナンチャンは近所の陽気な兄ちゃんである。かたやダウンタウンは 10年の1人のつっこみの天才浜田、笑いの狂気松本ダウンタウンは桁が違うである。 」
まぁナンシー関を知らない/評価していないなら仕方がないけれども、
テレビを見ていて感じた様々なモヤモヤや、ダウンタウンをおもしろく感じたのに
ウンナンはそれほど刺さらなかった理由を、当時ナンシー関は見事に言語化
してくれたので、俺はナンシー関を信頼している。
なので、
「1990年代ダウンタウンはすでにウンナン・とんねるずより格上だった」
GAFAMございますとはお世話になっているアメリカや中国のハイテク企業に対しての最上級の敬意
中国発大人気麻雀のゲームがおもしろい時にGAFAMございます
これは今年の流行語
既に決定
みんなで言おう
お世話になっとるだろ?
いうことあるだろ?
https://twitter.com/merumeruchann/status/1663878494336458753?s=20
3. Choose your words wisely; AKA consider what is SEXY
"Wriggling" is a pretty standard translation of 藻掻く but in English it's associated with worms. WORMS! 🪱 "Undulating" is much nicer. e.g. A pussy doesn't wriggle, it undulates or ripples, or it convulses around his cock.
A woman doesn't wriggle her hips, she bucks them or she writhes. Your MC doesn't rock his hips he thrusts or pumps or rides. His hips aren't "moving on their own" he "can't control himself".
「もがく、身悶えする」はふつう"Wriggling"と訳されるが、これは虫を連想させるのでダメ。"Undulating"のほうがよい。
「まんこがうねる」と言いたいときも、wriggleではなく、undulate や ripple
あるいは"it convulses around his cock."
同様に、女が尻をくねらせるとき wriggle her hips とは言わない。she bucks them or she writhesなどと言う。
男が腰を振るときはrock his hipsではなくhe thrusts or pumps or rides
意識的に腰を振るのではなく自分をコントロールできず振ってしまう感が大事
Sometimes a woman's skin may be described as 白魚. This is sexy in the original cultural and linguistic context. In many English-speaking cultures, fish are used for negative comparisons. Something like translucent or dewy would be an appropriate equivalent.
In JP a man going wild during sex is often likened to a monkey, but this has a more comical sound in English, where comparisons to simply a "wild animal" work better.
女の肌を「白魚」と形容することがあるが、英語では魚はネガティブな意味合いになってしまう
translucent (透き通るような)やdew(つややかな)と言い換えると良い
また、激しいセックスの最中、「猿のように」と形容することがあるが、英語ではコミカルに響いてしまうのでwild animal(野生動物、獣)などと言いかえるとよい
Consider the virgin "He put his penis in her vagina" vs the chad "He slid his cock into her pussy".
These sentences describe the same action, but one says "I fuck" and the other says "I've only ever seen sex in the bio textbooks my model was trained on".
On the other hand, don't throw in porny words where there shouldn't be any; if your heroine is a shy virgin and the source text is using coy words like あそこ, don't have her shouting FUCK MY TIGHT LITTLE PUSSY in English.
挿入するシーンでは
"He put his penis in her vagina"
とするのではなく、
"He slid his cock into her pussy".
と訳すべき
後者は「ヤる」という感じだが、前者は「私はAIなので性行為については生物学の教科書の知識しかありません」みたいに聞こえてしまう
とはいえ、ヒロインがシャイな処女で、「あそこ」と控えめに言っているのに”FUCK MY TIGHT LITTLE PUSSY”(私のキツキツオマンコを犯して!)などと絶叫させてはいけない
僕からするとですよ。紙を出すと漫才じゃないんじゃないか問題で言うと、昔読み物、ますだおかださんも「M-1」でなんか物を出して読んだりしたネタをやったような気がするんですけど。
あと、テツandトモさんが、決勝でリズムネタをやったんですよ。その時もいろいろ言われたんですよね。漫才じゃないとか。これは漫才だ、漫才じゃない。こういう漫才がおもしろいおもしろくないっていうのを、必要ないんじゃないかなっていう。僕は思ってる。
何でかと言うと、お笑いって結局芸術じゃないんですよね。審査員が必要なものって何かというとこれがいいかどうかわからないっていうものに対して、専門家がこれはすごい技術を使ってるんですよって言って、審査をしていって評価するっていうのがあると思うんですけど。
お笑いって徹底的に大衆演芸で、どっちが勝ったか結構わかるじゃないですか。というのもウケたほうが勝ちなんですよ。より多くの笑いを大きな笑いを取ったほうが勝ちなんですけど、すごく不思議なのがお笑いを審査員が審査するっていうこと自体が非常に矛盾を孕んでいて。だっておかしくないですか。ウケたら勝ちでいいじゃないですか。
だけどウケたけど、このウケ方はどうだろうっていう審査の基準が入るんですよ。審査員の好みとか思想が優先されている状態って、お笑いでウケるウケない関係ない。テツandトモさんがめっちゃウケても、あれは漫才じゃないという理由で落ちたりするわけですよね。
これを何で僕が言ってるかっていうと僕が全くその松本さんの流派ではないからですよね。だからすごく言えてるところがあるんですけど。逆に言うと、だからこそ言えるっていうのもありますよ。
もし僕が今で優勝して今がある芸人だったら「お前松本さんに褒められて売れたくせに、なに松本さんディスってんの」ってなるじゃないですか。だからこそ、いや関係なくここまで来て、こういう自分の発信するところで言ってるんでよくないですかと。
正直松本さんのご恩で売れた瞬間一度もないんですよ。むしろディスられてるんで。僕がね。僕がディスられてるから。このね、ディスるに関してなんですけど。松本さんが「あれおもしろいな」っていうのはまだいいと思うんですよ。だけど「あれおもしろくないな」は業界全体にとって悲劇なんですよ。
まず受けてない人って、世に出れないから。ほっとけばいいじゃないですか。松本さんが「あれおもしろくないな」って殊更に言う時って、売れてるものに対して言うわけですよ。それの最初の最初が「遺書」っていう著書でもうすごい売れた本なんですけど。
その本の中でナインティナインさんをこき下ろしてるんですね。めちゃくちゃ勢いのあるナインティナインさんをめちゃくちゃこき下ろしているんですよ。それって、めっちゃ必要ないことじゃないですか。どっちかとやって欲しくないことというか。でもやるんですよね。そういうことを何度かやるんですよ。「あれおもしろくない」もやるんですよ。
これがね、業界全体にとってものすごい俺は損失なんじゃないかなって。冷静に考えると松本さんの主催した大会で、松本さんを超える人材というのを作ることが20年間今のところできていない上で、その大会に出ない人とかの価値もおとしめるっていう人たちを作り上げてる。
「M-1」に出ないんじゃなくて出れないっていう価値観を作るし、そうじゃない演芸が向いてる人を向いてる人に関してはもう認めないっていう。売れていようが売れてなかろうが漫才ができないんだったらだめです。これができないんだったらだめですっていうふうにしちゃうのがちょっとなって思うにもかかわらず、その「M-1」っていうものの延長のような大会が開かれて。そこに松本さんが来るっていうのは……どうですか?っていう(笑)。どうなんですかっていう。
でもせめて微笑んで見ててほしいなと思いきや、紙を読むのは漫才としてどうなんだって介入はしないでくださいと。いや俺ね、松本さんをおもしろくないって言ってるわけじゃないですよ。でもとてつもない功績を残します。僕もそれを見て育ってるわけですよ。小学生ぐらいの時に「ごっつ」だからね。すげーなと思って。
中学校でも高校でも見ましたし、「HEY!HEY!HEY!」とかも全部「一人ごっつ」だなんだ、[?ぶいてぃーあーるもびじゅあるばむも]もう全部見てるわけ。全部見てるんですけど、正直ちょっと審査員をやりすぎなのではないかっていうのが、私の素直な意見ですね。
審査員をやりすぎてしまっている。少なくとも「M-1」だけに絞られるのがよろしいのではないかと。誰が言うてんねんっていう、その、僕が言うてます。ごめんなさい。僕のただの意見です。はい。中田敦彦というリズムネタで売れ、音楽ネタで紅白へ行き、教育YouTuberとして芸人最多登録者を持つ、この中田敦彦が言ってます。松本さんが一切評価していただけないことで、なんとか生き延びてきて。
さらに吉本興業という事務所も今独立して、1匹狼よろしくやってるこの中田敦彦が申し上げているのですけれども。ちょっと審査員をやりすぎてしまっている。少なくとも松本人志さん以外の価値観を持つ人たちに、そのハンドルを渡すことで、お笑い界に新しい価値観や新しいスターができる土壌を作ることが、お笑い界全体への貢献になるのではないかというのは、私の提言ですね。はい。
少なくとも「THE SECOND」は違うフォーメーションでいってほしかったですよね。それができる人っていうのはいらっしゃるんじゃないですかね。わかりませんけども。
……っていう「審査員やりすぎちゃってる説」。これ、ちょっと「水曜日のダウンタウン」でやっていただけないですか? その「審査員やりすぎちゃってる説」ね。うーん。だいたいお笑いの賞レース、東京でやってるのを見たら、あれ、審査員やってる? 審査員やってる? やりすぎてますねっていう、検証をぜひしていただきたいんですよね。
他の出口はないのかと。1個でもいいから大会を、爆笑問題さんに1個でもお譲りいただけないですか。1個お譲りいただけたら僕爆笑問題さんにははまる自信があるので。そこでは勝てるんじゃないかと褒められるんじゃないかと思うんですけど。
なかなか褒められる気がしないんですよね。僕が褒められたいだけなんじゃないかっていうのもありますけどもね。ということですよね。この松本さんに対して、何も物が言えない空気ってのはあるんですよ。不思議だよね。あんだけさぁ。ジャニー北川さんの件でもさ、ジャニーさんが生きてる間に、言いなよとかっていう意見あったりするんだけど、生きてる間に言えなかったんだろって。それがもう一番の問題だったんじゃないのって。
生きてる間に言えないんだよ。そういうことがあったんだよ。だって松本さんの映画をさ、面白いか面白くないかって、誰も言わないんだよ。芸人が。あんだけラジオやってんだよ? みんな。絶対見てんだよ。松本さんの映画。なのに、それがおもしろかったかおもしろくなかったを、全員が押し黙ったように口をつぐんでんだよ。
そういうことがあるのよ。世界には。全員が、松本さんちょっと審査員やりすぎじゃないですかって、どっかで思ってても言えないのよ。なんでかって言うと、今活躍してる人の多くがどっかで賞をもらってるからだよね。
「IPPONグランプリ」でもらってる。「滑らない話」でもらってる。「M-1」でもらってる。「キングオブコント」でもらってる人たちが出てるでしょ。審査員やりすぎじゃないですかってどの口でお前言うんよ。その審査委員長に認められて売れたんやろうって言われちゃうじゃないですか。
だからこれ、言える人って、このどれでも賞を持ってないんだけど、今影響力を持ってる人間なんですよ。このどれでも賞を持ってない人間って、基本的にネットニュースにもならないんですよ。売れないから。
普通漫才かコントか大喜利か漫談かどれかでいくじゃないですか。どれかが良かったらどれかに出るんですよ。で、売れるんですよ。まったく関係ない。ダウンタウンさんのおかげでまったく影響を持たずにきた人間しか実はこれ言えないんだと思うんで。ちょっとみんなの代わりに言っちゃおうかなって。
審査員、ちょっと何個かやめてくれないですかって。ちょっと松本色が濃すぎてお腹いっぱいになっちゃってんじゃねえかなって思うんですよ。あと、そろそろちょっと松本さんの映画が面白かったか面白くなかったかについて、そろそろ論評してもいいっすか。後輩たちが。ちょっと。
映画確かに撮ってないですよ。撮ってないけど、あーだこーだ言うのが良くないって言うんだったら、「シネマ坊主」やってましたよね?映画撮る前に映画評論の連載、やってたじゃないですか。別に撮ってなくても評論はしていいですよね? いいっすよね……。はい。
ちょっとそろそろタブー解禁してもらってもいいですかねっていうこと?・・・ハハ。どう思います?これ見てる粗品君、どう思う?
最近ね、俺のトークチャンネルすごい見てくれてるらしいんだよ。粗品くんが。すごい嬉しくて。粗品くんなんて、全部取ってるでしょ? 「M-1」も取ってさぁ。「R-1」も取ってます?でね、もう大喜利だって強いんだし。でも言えないよね。吉本から数千万借りてるから言えないでしょ? 粗品君は言えないじゃん。言ったらお金とかいろいろあるから。
言ったら「松本、動きます」とかになって岡本社長が動いてくるから。動きますだけやめてほしいんだよね。動きますっていうか、「動かします」になっちゃってるじゃない。岡本さんをさ。岡本さんを動かしますになっちゃってるから。「あれ?」ってなっちゃうんだよね。あれ?社長より上?みたいなね。会長・松本さん・社長みたいになってるっていう。
そんな中でさ、そこの会社にお金借りてる若手は絶対何も言えないよね。だからね、俺、粗品くん、代わりに言うわ。松本さんやりすぎですよって。関係ない。思ってないよね。俺の意見だわ。ごめん、粗品くん、これ関係ないわ。とばっちり。関係ないけどね。
他にもいるけど有名ないろんな人言いそうな人いるけど、賞を取っちゃってるか。1本グランプリ取っちゃったりしてるよね。してるもんね。みんなね。
俺が奇跡的に何の賞ももらってないんでね。「IPPONグランプリ」出たこともないし。「滑らない話」若手の時1回だけしか出たことないし。「M-1」も決勝行ってないし「キングオブコント」も決勝行ってないから。「ドキュメンタル」も出てないし。
なんせ松本さんが大好きな、後輩との飲み会に一度も行ってないんだよねぇ。飯も奢ってもらったことないから。俺言っちゃうんですよねぇ。ごめんなさいね。ちょっといつか言わなきゃいけないなと思って。
俺昔ブログでもさ、そういうこと書いたのよ。なんか大御所が価値決めてるみたいな。あん時にさ、「ブログで書くのは卑怯だ」とかっていう言われ方したりもしたの。あ、そうなんだみたいな。じゃあ、どこで言えばいいんだろうっていう。松本さんの前でそれを言えるか?といって、呼ばれないんですけどっていう。呼ばれないです。松本さんの前に行ってそれ言う現場、ないじゃない。ないんだよねぇ。だからYouTubeでああだこうだ言うってことになるよね。これは卑怯なことなのかなぁ?YouTubeで言うの。
「松本さんの番組に出て言え」っていう意見の人もいるんだけど……うん。これを受けて松本さんの番組オファーされたら、サシだったら喋りたいよね。それはもちろんサシで喋らないかと。という番組いったら、あれだけど。まぁ~、ないんじゃない?それ。ないよね。
だからこれからも、ここから言ってくことになるのかねって思うんですけどね。それが俺の「THE SECOND」の感想なんだよね。正直みんなおもしろかったんだよ。みんなおもしろいんだけど、なんかそれ以外のことで気になっちゃったんだよね。
「ワイドナショー」コンビでやるんやみたいな。松本さんがまたアンバサダーやるんやとかマシンガンズさんになんか言っちゃうんだみたいな。それが気になっちゃって。どうなんでしょうっていうねことを思っちゃってるっていう。すみません。
収益化、止めますかこれ。あのねぇ……なんかつったらもう金稼ぐために利用するんじゃねえとかがあるから。ジャニーズの時もさ、収益化停止したんだけど。松本さんの時も収益化を停止しないと、お前は金稼ぎに利用したと言われる可能性があるから。これもちょっと収益化停止するよ。
なんでって思うかもしれないよね。なんでって思うかもしれないんだけど。いやそれぐらいのことなのよ。松本さんのこと喋るって。なんでこんな空気になっちゃったんだろうね。他のどの先輩とも全然違うんだよね。
さんまさんについてとかさ、みんな普通に気さくに喋ってるでしょ。鶴瓶師匠ってさ、こういう人なんですよとかって言うじゃん。みんな言うのよ。たけしさんのエピソードとか、鶴瓶のエピソードとか、さんま師匠のエピソードっていうの。松本さんがいないところで松本さんのエピソード語ってるの、聞いたことある?特にちょっといじる感じでとかないよね……。すいません。
あとですね。「中田で笑ったことねえからお前が何を言おうが響かねえ」とかそういう人もいるんですよ。それがね。だから中田で笑ったことあるかないかの問題で言うと、中田は芸人じゃないみたいな言い方をしちゃうあたりとかね。「誰々は芸人じゃない」とかいう定義が狭く狭くなってるから、なんか元気ないんじゃないですかっていう。
だってスター発掘になってんのかどうなのかっていうのがすごい重要だなぁと思うからね。あるからそうなのかなぁと思って。いやーなんとか生き延びて、文句言えるようになりましたわ。自分のメディアで。はい。この後、私がどんな目にあうのか。ぜひお楽しみに!
https://www.youtube.com/watch?v=fHrzrL06I2A
↑動画も見てね。収益化停止してるということで書き起こししました。
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今日はですね、「THE SECOND~漫才トーナメント」という大会についてちょっとお話ししていけたらなと思っておりますね。
いやーまずね、あの「THE SECOND」が放送されたタイミングと同じタイミングでオリラジ
アカデミーって僕らのYouTube大学で、藤森くんとの番組に生放送してた。生放送という
かプレミア配信してたんでね。うわ、裏被ってるよと思ったんですよ。
なんかコメント欄でも「『THE SECOND』とかぶせんじゃねえ」とかって、「もうお笑い芸人が『THE SECOND』とかぶせんな」とかあったんだけど。ふ~ん。あっ、かぶってんだぁ。
僕「THE SECOND」って知ってたし、興味なくはなかったんですよ。言ったらもう
知り合いとか先輩が出まくってるから。あぁ、あの先輩どうなったのかなとか、知り合いどうなったか。三四郎とか同期だしね。
うーん。言ったらギャロップさんとかもね。若手の頃に大阪の劇場でご一緒させてもらったりとかそういうのもあったからねぇ。もうベテラン枠。15年以上が出るんですよね。大会でね。で、客評で決めていくと。そこまで知ってたんだけども。いつかってまでやってない。こっちはこっちでさ、あのスケジュールがあってこの日にっていうのが、たまたま一緒だったから。
あ、そうなんだ。わ、一緒かぁと思いきや、視聴者層の違うし。何だったら戦いだと。常にね。あらゆるコンテンツつうのはずうっと戦いだから。やってるじゃねえかぐらいの感じで
オンエアしましたね。
その結果ね、僕のほうのYouTube大学が急上昇ランキング4位までいきまして。相方のほうの後編は急上昇ランキング1位になりましてね。よかったなあと思いましたよね。その「オリラジアカデミー」木本さんにも活躍していただいてみたいな。そういうのもあって。
でも裏だったしって思ったんですけど。だって見ないで何か論じるのっておかしい
よねと思って、見たわけですよね。
ギャロップさんですとか三四郎の漫才を見ましたし。大会のあり方そのものも含めてね。
中田がどう思ってんのかっていうことですよね。はい。ここなんですよね~。
これでさネタが面白かった云々っていうのもそれもあるんだけど、大会そのものが
どういうふうに中田、捉えてるのかっていうことで言うと。
本当にいろんな側面があると思う。単純に「M-1」自体がそもそもは「M-1」との兼ね合いの中で生まれた大会じゃないですか。「M-1」はテレ朝でやってて。この「THE SECOND」ってフジテレビでやってるんでよね。
そんな中でテレ朝が作ったこの「M-1」っていうのがいろんな、その後賞レースできましたけども、すべての雛形になってるような形ですよね。
というのもお笑いで言うと東京ってああいうお笑いの賞レースって。
ショータイムのショーのレースじゃなくて受賞の賞ね。賞レースって我々言ってるんだけど、賞がついてるレースだよね。こういう大会自体が、関東はあんまなかったんですよ。テレビ局は。でもこれ、関西の文化で大阪はABCお笑いグランプリとかなんとかMBSアワードとかなんかいろいろあるみたいなんですよ。
でもその吉本の中でも大阪と東京って全然文化が違うから、その東京の人間がじゃあ大阪に行って大阪の賞をとれるかっていうと相当厳しいんですね。大阪の賞は大阪の芸人のものだっていうのが、大阪のテレビ局の中でも芸人さんの中でも視聴者の中でもどっかあるんですよ。
だから東京から来た奴らっていう感じだから、なんかね大阪の賞レース文化ってちょっと遠くに見てたんだけど。ただ吉本興業ってすごくその賞レースを中心とした事務所なんですよ。だからそのテレビでどれだけ売れたか以上に漫才の賞を取ってるかどうかで劇場のギャラが上がる下がるとかっていうのがあったりしたんだよね。少なくとも俺がいた時は。
だから僕はずっと不平等だなと思ってたの。なんで、東京はショーが少なくて大阪はショー
がいっぱいあるのに賞を取ったらギャラが上がるんだよって。フラットじゃなくない? 大阪超有利じゃんとかいろいろ思ったわけ。
でもそれはそれで、テレビ局の全国ネットが東京にあるんだから東京の芸人は売れやすくて有利じゃないか。大阪から移住しなきゃいけないんだぞとか、いろんな理由があるから。
必ずしもね。そのどっちがっていうのはないと思うんだけども。その大阪の賞レース文化っていうのはなんかすごく遠くに見てたんだけども。
そのM-1っていうものができて僕はそこに吉本って入ったの、「M-1」ができた後ですから。
2004年にNHK入って5年にデビューするんですけど、2001年に「M-1」始まって。僕は大学生の時に大学1年生の時に「M-1」ってのが始まったっていうのがね。覚えてますから。
その「M-1」の大会の存在意義っていうものも含めてこのセカンドができたわけですよね。「M-1」っていうものは要するに1年目から10年目までしか出れなかったですよ。まず
これは島田紳助さんが10年やって売れないんだったらもう諦めてもいいんじゃないかっていうことでお笑いという、いつ売れるかわからないけれど、そのためがゆえにズルズルやっちゃうという芸人さんを産まないために10年目までに光を浴びないんだったらやめなはれ
というですね。
そういう言ったら厳しい愛の鞭のような意味を持った年齢制限だったわけですよ。
ところが1回終わるんだよね。「M-1」自体がね。なんでかって言うともちろん紳助さんが辞める辞めないとかもあったんだと思うんですけど。それ以上にやっぱりこう、10年目までのおもしろい人たちが大概出ちゃって。ちょっとこう、「うーん…。なんか、どうする?」みたいな状況になった中で。「THE MANZAI」とかできたり、(一緒に?)しましたよね。
そんな中でまた戻って、15年まで広げたんだよね。芸歴15年まで出れるようになったわけ
よ。この時点でかなり中堅に優しい大会になったんだよね。
これ10年って、俺が、俺はずーっとこう最初にデビューした時に武勇伝っていう
もの自体がそもそも漫才じゃないっていうことで準決勝まで行けたんだけど決勝に上がれ
なかったんですよ。
そこから漫才じゃなきゃいけないんだと思ってずっと漫才やってたんだけど、漫才自体が俺が一番向いてるフォーマットじゃなかったんじゃないかって思ってたし。僕らの実力不足でいけなかったんだよね。優勝も決勝までね。ずーっと敗者復活とか準決勝で敗者復活。ずーっと。そんな感じだった。
そんな中で、でもまあ10年でやめれるっていう側面もあるわけよ。あれって。
芸人からすると。もう出なくていいっていう側面もあるわけよ。ところが15年まで広がることによってずっと出なきゃいけなくなっちゃうんだよね。
ここね。でも15年で言ったら解放されるって所があるわけよ。解放されるのか? それともチャンスがなくなるのか? この2つの視点があることがすごい大事なの。
で、「THE SECOND」始まったんだよね。15年以上のキャリアの。ということはだよ? これ、全キャリアがその賞レースに向かうことになったわけですよ。
この「M-1」至上主義っていうのが「M-1」で見出された人たちはたくさんいるん
だけど、俺からすると正直みんな「M-1」目指しちゃってもなーって思ってたんですよね。
もちろんいろんな意見あると思うよ。「お前は決勝行ってないんだから黙ってろ」とか
いろんな意見あると思うけど、「M-1」ばっか目指しちゃうんですよ。みんな。
売れるために「M-1」しかないって思ってる人もすごい多かったのね。今、わかんない。「YouTube頑張れ」とかっ言う人もいるかもしれないけど、「M-1」しか
ないと思って、「M-1」で何とか売れるために1年準備して「M-1」に行くんだけど、「M-1」のすごいところって、発掘してるっていう側面もあるんだけど、選抜してるっていう側面がすごい強いから。言ったら「M-1」で優勝したとか準優勝したとか、それぐらいの功績を残した人たち以外は、言ったら日の目を見ない大会なんですよね。あんまり。
特に「M-1」の決勝出たけど、下位だったっていうコンビって、逆にレッテル貼られたりするじゃないですか。相当しんどいんですよね。僕の感覚からすると、お笑いって
漫才だけじゃないんですよ。まず。
漫才が偉いとかも実はないんですよ。だけどあの大会のすごいところは、漫才が偉
いっていうふうにしたところで実はみんな2001年からのお笑いの流れしか知ら
ない人って漫才ってすごいもんだって思ってると思うんですけど。
実はそれよりちょっと前って、言ったらボキャブラとかの時代って漫才師のほうが少なかったんですよ。ネプチューンさんとか、ナインティナインさんとかロンブーさんとかの世代
ってどっちかというとそのショートコントとかコントとかそっちのほうが多くて、漫才ってちょっとレトロな演芸になりかけてたところがあったんですよね。
それをルネッサンスしたのが、復興したのが、復活させたのが「M-1」だったわけなんですけど、そういう風に相対的に見ると漫才っていう演芸とコントっていう演芸とそれ以外の演芸っていうのは実は本当はフラットなんですね。
みなさんの中で落語と漫才どっちが偉いですかとかって言われてもなんか「う~ん、知りません」って感じじゃないですか。だけど昔は落語のほうが圧倒的に偉かったですよ。これ。
落語家さんは出番が黒い文字で書かれてて、それ以外の漫才師さんとか手品師さんとかそういう人たちは全部赤い文字で。色のついた文字で描かれて紹介されて落語という主の演芸を賑やかす、いろもんって言われてたんですよね。そういう感じで時代によってこの演芸が格式が高いっていう認識って全然違って。
ある時は落語、その後である時は漫才みたいになったりもしたんですけど。それはすごく相対的なものなんですよ。すごく相対的なもの。そんな中で「M-1」っていうものがもたらしたのは、僕から言うと漫才至上主義に近いものでそれのカウンターカルチャーに置かれちゃったのが「エンタの神様」とかなんですよね。
エンタの神様はどっちかっていうと「ボキャブラ」とかそういうのもそうなのかもしれないですけど、テレビバラエティの中で言ったら何でもいいからやるっていう感じですね。
もちろん漫才とかもやる時間もあったけど、漫才の時間は「エンタ」ってすごい少なくて漫才師は出づらいって言われて、タカアンドトシさんでも「コントで出ろ」とか、サンドウィッチマンさんでもコントで出ろとか言われて、コントに漫才を直してやるぐらい、お茶の間にセンターマイク1本で2人が立ってるだけの演芸は伝わりづらいだろうっていう五味和夫さんの強い意向によってコントにしていくっていう。そっちのほうがテレビ的じゃない?っていうそういう流れの中でやられてたんですけど。
だから言ったら「エンタ」芸人と「M-1」芸人って、2種類あるとしたら、なんかエンタ芸人のほうが一発屋の扱いを受けることのほうが多くないですか? でもね、冷静に考えてほしいんですけど、エンタ出身で売れ続けている人もいっぱいいるし、「M-1」出たけど一発で終わった人もいっぱいいるんですよ。
そうですよね。「M-1」の決勝に出たけど、今その後出てない人も全然いるんですよ。だけどなぜか「M-1」で決勝を出て、その後売れてない人ってのはあんまり一発屋だって言われないんですよ。こういう、まず流れがあるんですね。なので、「M-1」は漫才が格式が高いっていうふうに見せた流れがあることと、キャリアが10年って限定してたんだけど、それを伸ばしたっていうことがあるっていう事がまずあるんですよね。
そんな中で、僕がもう1個問題だと思ってるのが、実はその若手がすごく、その「M-1」に集中しすぎちゃって、逆にチャンス減ってんじゃないかなと俺は思った時期があったんだよね。他の出方、いっぱいできるんだもん。「M-1」に向けてだけやる人、すごい多くて。
減ってる?チャンス、もしかしてって思うこととか。あとね、他の賞レースとの大きな違い。これ、功罪両方あるんですけど。「M-1」って圧倒的に審査員に光がめっちゃ当たるんですよ。審査員がなんて言うかっていうのは超重要なんですよね。
特に松本さんだよね。松本さんが「うーん、もっと点数入ってもよかったと思いますけどね」って言ったら、順位が低くてもものすごいフォーカスされたりしますよね。あれがもう圧倒的な特徴なんですよ。この「M-1」の「M-1」の圧倒的な特徴が、審査員にものすごい力があって、審査員がものすごい光を当てられる。
あんなに審査員が華々しく登場する賞レースってないんですよ。最初の1時間ぐらい、実はネタ始まるかなと思う。始まんないじゃないですか。審査員の紹介が、結構長い大会なんですよ。だからこそ成功してるとも言えるんですよ。
他の大会見てると、重みがあんまりなかったりするんですよ。要するに言ったらネタ番組と差別化が図れないんですよね。だからこそ大御所の審査員のほうが厳しいこと言うとかがすごいフォーカスされますよね。上沼さんがとろサーモンさんに対して何か言ったとか、和牛さんに対して何か言ったとかもすごい注目されるように、紳助さんがなんか言うかとか。
でもなんせとにかく松本さんがなんか言うかっていうところすごく強かったわけですね。M-1ってね。これが大きな特徴。そんな中で、僕がずーっと思ってたことは、松本さんがあらゆる大会にいるんですよ。
これ冷静になって考えてほしいんですけど、「1本グランプリ」にもいらっしゃいますよね。「滑らない話」もいらっしゃいますよね。漫談でも大喜利でもいるんですよ。なんだかんだで、その若手を審査するっていうお仕事がめっちゃ多いんですよ。それは第一人者だからカリスマだからっていう意見もあると思うんですけど、今までもカリスマ的な芸人さんってたくさんいたんですよ。
たけしさんとかさんまさんもそうじゃないですか。でもたけしさんやさんまさんはそんなに審査員いっぱいやらないんですよ。ここが松本さんの特筆すべきところで。
松本さんはあらゆる大会を主催して、あらゆる大会の顔役になってたんですよね。ここで非常に重要なことが、賞の審査員が、どのジャンルでもですけど、実はその業界で一番力を持つことが大きいんですね。例えば、だから芥川賞ってすごい有名な賞ですけど。
芥川賞の審査員をやっている作家が一番偉いんですよ。実は。なんでかというと、どの作家がいい文学かっていうのを規定できるからなんですよね。この文学がいけてる。なぜなら、こうだからだっていうふうに決められる作家が一番偉いんですよ。
だから太宰治とかは、それを賞を、僕に、芥川賞を僕にくださいとか言って審査員にお願いしに行って断られたりとかっていうことがあるわけですよね。
それぐらい、その審査員って権力なんですよ。この権力が分散していたらまだいいんですけど集中してるんですね。なんせ漫才だけでキングオブコントもそうですよ。キングオブコントにもいて、「M-1」にもいるって、要するに言ったら、主流二種競技なんですよ。漫才というかコントって。その両方にいて。なんと大喜利にもいて、漫談にもいるんですよ。4種競技。5種競技だとしたら、全部のジャンルの審査委員長が松本人志さんっていうとんでもない状況なんですよね。これって。
たぶん他の業界だったら信じられないぐらいの独占状態にあるんですよ。これ、どうなるかって言うと、松本さんがおもしろいっていうか言わないかで、新人がキャリアが変わるんですよね。その権力集中っていうのは、1個の見方で言うと松本さんがそれだけ偉大な人だから求められてるんだって見方があると思うんですけど、求められてるっていうことと、実際にやるっていうことはちょっと違うことなんですよね。
求められてたとしても、冷静に考えたら実際にやることがその業界のためになるかどうかでいうと、もう僕の意見で言うとあまりためにならないと思うんですよ。なんでかって言うと一つの価値基準しかないっていうことは、それ以外の才能は全部こぼれ落ちるからなんですよ。
その人の理解できないお笑いに関しては全部こぼれ落ちていくんですよね。いや、とはいえ、中田とはいえ、それでうまくいったんじゃないか、「M-1」は成功したんじゃないかっていう議論があると思うんですけど。
もちろん素晴らしい芸人さん出てったんですけど、この「M-1」における成功って何なのかってことだと思うんですけど。それってネクストスターの発掘じゃないですか。
つまり本当の成功って松本さんを超える芸人が出てくることなんですよ。「滑らない話」「M-1」この「キングオブコント」「1本グランプリ」もう何年もやってますよね。「M-1」にいたっては2001年からだから、言ったらもう20年近く。休んでいった期間があるとはいえ、20年以上やってるんですよ。20年やって、松本さんを完全に超えたっていう芸人さんをこの全大会全部やってですよ、誰か産んだんすかって言うと、誰かが新しい大会の審査委員長になって、みんなが納得するような人が出てきたら、もしかしたらそれは成功したっていえるかもしれないですよね。
ところが、新しく始まった「THE SECOND」のアンバサダーという役割は、松本さんなんですよ。わかります? つまり20年間松本さんは松本さんを超える才能を発掘できなかったんです。発掘できなかったのか、どうなのか。
それとお笑い回は、今向き合わなきゃいけないと僕は思うんですよね。みなさんがどう思うかわからないです。僕の意見だけ言うと、ここのっていう、このアンバサダーという立ち位置がすごい微妙な立ち位置ですよね。なんでかっていうと、審査に影響を与えない大会の顔だけを求められてるわけですね。権威だけとしてアンバサダーってあるわけじゃないですか。
ブランドのアンバサダーとかいますよね。でもそれは広告塔であってブランドのディレクターではないですよね。クリエイティブディレクターとかではないから、広告塔になってくださいという言い方なんですけど。ただね、ここ、すごいポイントなんですけど松本さんってめちゃめちゃ評価に介入していくタイプの人なんですよ。
今回それが浮き彫りになったのがマシンガンズさんの時ですよね。マシンガンさんが自分たちの書き込み、自分たちについての書き込みを読み上げていくぜって言って、「マシンガンズがこういうふうに言われてる! なんでだよ!」って突っ込んでいくっていうネタがあるわけですけど。
それをやってすごいウケたわけですよね。ウケた後に、「いやでも、あの紙を出すのっていうのが、どう捉えられるかな」っていう意見を言ったわけですよね。あれがいわゆる介入。
価値観への介入に値するわけですね。
「M-1」でもそういうことはたくさんやってきたんですよ。「M-1」でも、もっと受けてもよかったけどなとか、もっと点数入っても良かったけどなってなった時に、「あっ、えっ? そうか。点数はもっと高くあるべきなんだ」と。「この人たちは面白かったのにうけなかったのは間違いなんだ」っていう。あれは審査とか、価値への介入なんですよ。
それをまあ積極的に求められてるから審査員なんじゃないかっていう見方で言うと、今回審査員ではないにもかかわらず価値に介入していったんですよね。その価値への介入を、しかも今回凄かったのが、跳ね除けちゃったんですよね。客票が。マシンガンズが勝っちゃうっていう。だから余計に変な感じになるわけですよね。
「ん? どっちなの?」っていう。紙を出しても良かったの?良くないの?