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2023-08-18

Twitter相互に「自分の好きな準地下ドルの曲がバズってるんだけど聞いたことあるか」とアンケとってみたら全員に聞いたことないと回答されて、世間オタクギャップを感じている

回答してくれたのは全員20代女性

二次元オタクジャニオタ女性アイドルは好きじゃなさそう

二次元2.5次元オタクアイドルに興味なさそう

音楽オタクボカロとかジャズとか色々聞いてる。アイドルに興味なさそう

みんな元から女性アイドルの曲を聞くタイプ人間じゃなかったから、という理由も大きいかもしれない。

バズと無縁のアイドルだったので、今回バズ狙いの曲を出して、ようやくバズった!少しでも知名度人気あがるといいな!と思ってたのにそんなこと全くなかったのか、オタクの思い上がりか、と少し悲しくなっている

話題にされることはあれど、他界オタクからかわいい振付から推しに踊って欲しい音源」としか扱われない、大衆知名度はない、そんな中途半端なバズが一番嫌かもしれない

2023-08-11

毒親感謝している事

◾️歯列矯正

前歯の歯並びがガッタガタなのを気にしてやってくれた。小学2〜3年の1年程で終わったと思う。上顎のみで裏側に器具をつけるタイプのやつ。

当時は「歯並びなんてどうでもええのに。痛いし嫌だわ」と思いながらやってたが、大人になった今では1番感謝している。今でも「歯並び綺麗だね」と言われる。

ちなみに母親シングルマザー祖父母増田が産まれる前に他界しているため経済的に余裕があった訳ではなかった。

 

◾️コンタクト

中学生まで授業中のみ眼鏡をかけていたが、高校に上がると同時にコンタクトを買いに行かせてくれた。

眼科からの帰り道、視界いっぱいに広がった鮮明な景色への感動は忘れない。

 

◾️食育のゆるさ

①嫌いなものは食べなくていい

食べなくてもいいというか、そもそも増田が嫌いな食材ピーマンネギあんこ)は全く食卓に並ばなかった。

結果として歳を重ねるにつれて勝手に食べられるようになり、今では特に嫌いな食べ物はなくなった。

②食べれる量だけ食べればいい

「残さず食べなさい」と言われる事はなく、食べきれなければ残してもいいスタイルだった。

小学中学年頃までは好きなおかずだけ食べて残す事が多かったが、小学校高学年頃には大体完食出来るようになっていた。

③箸の持ち方は矯正しない

元々変な箸の持ち方だったが、特に母親から指摘された事はなかった。

小学2年生の頃に友達の家でお昼をご馳走になった時「変な箸の持ち方恥ずかしいな」と感じ、自分練習して正しい持ち方が出来るようになった。

自分が親になった今、子にあれこれ言ったところで結局は子自身が「自分でどうにかせねば」と気づかなければ意味ないんだろうなと思う。(食に限らずだと思うけど)

2023-08-08

夏の青天の霹靂

両親が他界してから久しいのだけど。

先日、東北地方のある市役所から連絡があって、あなた相続権所有してる土地がありますと連絡がありました。

え、新手の詐欺?!と思ったけどよくよく話を聞いてみると、叔父さんの奥さん(2人とも他界)が相続権を所有しており、巡り巡って私に連絡が来たとのこと。

土地の名義は知らない人だけど、固定資産税がうんちゃらかんちゃらと説明が続き、あぁ…費用負担して欲しいのだなとうんざり青ざめていました。

更に話が続き、どうやら名義人、居住者他界しているため、土地を売却してその費用を捻出したいとのことでした。

手続き関係上私も対応する必要があるとのこと。持ち出しもほぼ不要のはずなので安心してくださいと言われホッとしました。

良ければ簡単土地情報を送付しますと言ってくれたのでお願いしてみることに。

その書類が届いたのが昨日。

土地勘がないのであたりの雰囲気などは分からないけど、主要駅から車で20分ぐらいの場所記載されていた土地面積を合計すると400坪弱…。

相続比率が1/10あるらしいので、売却後全て精算したら私にも150万ほど入るとのことで逆にびっくり。

まだまだ話半分で聞いているけど、本当であれば臨時収入有難いな。

親戚も少なく付き合いもほぼないけど両親の墓を建て、名もわから先祖の供養は毎月してました。

身内のない私に協力してくれたのかな。

昨日は父の命日でした。

2023-08-05

ババアだらけの界隈のオタクになったよ

タイトルの通り。

ババアだらけって言ってしまったら失礼かもしれないけど、まあ事実として40から60ぐらいの女性オタクが多い界隈に突っ込みました。bioは長いし絵文字がうるせぇです。

同じ世代10〜30代ぐらいのオタクも居るんですけど、まあほんと少なくて、でも一発で若いオタクを見つけ出せる方法を編み出してなんとか同年代とおしゃべりしてます

そんで、ここで衝撃だったこととか、なんだかなー、と思う書こうと思います

オタク観の違い。オタクに対する柔軟性の無さ

さっそく令和のオタクみたいなこと言ってて失礼すぎるよな。ごめん。

同担拒否って言葉あるじゃないですか。前いた界隈だと同担拒否(以下同拒)が居るのがめっちゃ当たり前で普通の事だったんです。

でもここでは新規?というかあたらしくツイッター始めて、繋がりタグみたいなので同拒って言うとすっっっげえ引かれる。私自身は別に同拒じゃないんですけど、フォロワー説教されてた。「同拒とかいうありえない価値観で生きているんですね。あなたもいずれ歳をとったら同じ人を推すということに生きがいを感じますよ」みたいな。ダルすぎんか?

同拒をなんだと思っているんだろう。推し被りでトラブったことあるから同担フォローあんまり積極的にしてないんです、みたいなのを言っても狭い場所で生きてるのね、可哀想、的なずっと説教ね。

箱推しが当たり前。

箱推し、まぁall担ですね。こちらも前いた場所だとあまり気に入られないんですよ。ところがどっこいこちらは箱で推してないとなんというか敬遠されてしまう。もちろん全員好きだよね???てかむしろ事務所ごと推してるよね???みたいなのをひしひしと感じてしまう。私は全然事務所担じゃないし、all担ではないので、冷たい視線を感じますね。

弁えているオタク?弁えてないオタク

多くの界隈(YとかJとかLとかアニメとか)を経験してきた20〜30代に比べると40overな方はそれ一筋で生きてる傾向にある。多少寄り道はしても、軸はこの界隈で、どっしり構えてらっしゃる。もちろん例外はいるけどね。

で、若いオタクはどうしても他界隈と比較してなんかモヤる、と思ったらすぐに言っちゃう別にそれが良い悪いは置いといてね。

それっておかしくね?と思ったら言っちゃうんだと思う。推しが好きで、推しもっと見たい、けど運営してる側が全然動かねぇ!もうちょい更新頻度上げて!って声上げるんだけど、けど上の方がそれって別に普通だよ、こんなのよくあるよ、なんでそんな過激なこと言うの?事務所に失礼じゃない?みたいになっちゃう。そんで若い子たちが言ったことを飛躍させて怒ったりしてお母さんヒス構文みたいになってる。へー、イヤならFC退会しなよ? そうじゃない感。若手は弁えてないんか??

若手(新規)とおばさん(古参)が上手いこと共存できる日、来るんでしょうか?

多分来ない!お疲れさーん!!!

2023-08-02

新刊カードさなきゃよかった!!!!!!!!

新刊カードさなきゃよかった!!!!!

タイトルの通りだよ!!!!!

新刊カードって言葉意味からなかったら読まないで!!!

CPニコイチコンビで、公式でも供給が多くて、二次創作も活発でオンリーも度々開かれてる最高のCP

新刊カード集めてでのオンリー開催もあと3回は確定していてマジで最高だな〜!!!

て思ってられるならまだよかった。

6月までは。

他に人間がいないマイナーの民からしたら贅沢言うなって話だからもう読まないで欲しい。

本当にただの愚痴から

CP、参加サークルの6割がグッズ系だからマジで最悪。

同人なんて作りたいのなら作れば良いって話だからとやかく言うなって話なんだけど、CP要素がミリも無いような単キャラアクキーやら缶バッジやらの安価グッズを作る為にわざわざCPオンリー申込む必要ある?

バリバリの左右固定で逆マジで嫌いだから、自CPの参加サークル数が70近くあって、逆より何件か多いの最高でやったーーー!て喜んでたら、6割がグッズとか…CPオンリー申込む必要ある?

母体ジャンルオンリーだって3ヶ月毎に開催されてるんだから、そっちいけばいいじゃん。CPオンリーに申込む必要ある?

しかもグッズ出してるやつの多くはCPの左右どっちも見るタイプだし。本当にCPオンリー申込む必要ある?

6月に自CPオンリーの島歩いて見渡せばグッズ、グッズ、とにかくグッズ。

壁サーだってイラスト集しかCP要素がミリ程度だし。合体だからって雑魚文字書きが壁サーなの鼻で笑ったわ。これは妬みだわ、ごめん。

壁サーの大手はグッズしか作らない奴らと毎週のようにオフ会開くわ、「CP左右固定です!」て名乗る割にはリバカスや逆の大手フォローしてるわで、行動と言動が伴ってなさすぎる。最悪。

ミネラルウォーターだと思ってたら汚水混ぜられてたものを飲まされた気分。

もうわかるでしょ、6月CPオンリーで競い合ってたCPが。

CPの本が欲しくてオンリー開催してもらいたいのに、期待したら出てくるのは要素ミリも無いグッズばっかり。コピー本じゃなくて、グッズ作る金で本を作れよ、マジで

挨拶のついでに新刊カード渡して、それで次回のオンリーの開催決まった。渡さなきゃよかったって後悔してる。

だったら他界隈や、サブで好きなCPオンリー開催の一助になった方が断然良かった。

グッズ作る為にオンリー参加する人らの方が新刊カードの集まりも早いでしょ。

webオンリー主催も左右非固定だし最悪でしかない。

あ〜〜〜〜〜マジで左右固定で、左右固定の人しかフォローしてない純粋な自CPの本が欲しいよ

贅沢な暮らしに満足いかなくなった。それも最悪。

2023-07-28

[] 精神障害特に幻聴被害妄想がある系は田舎とすこぶる相性が悪い

自分の身内も、みんな赤ん坊の頃から顔馴染みで同じ姓が多いので屋号を使う、そんな穏やかな土地で育ったが、

田舎特有の身内いじり・遠慮の無さ(配慮の無さ)に参ってしまい、統合失調発症増田に書けないようなことになった

 

田舎から出て都心部に出てからは、その身内はだいぶマシな精神状態になった模様

 

田舎は、幻聴じゃなくてガチ話題にあげてるからな。良くも悪くもほぼ身内だから気にかけてるから

その気にかけが被害妄想があるとぜんぶ悪口に思えて悪循環に陥ってしま

 

つけ火の死刑囚妄想障害があったって判定されとるしな

「鑑定人によると、被告は両親が他界した2004年ごろから、近隣住民自分のうわさや挑発行為嫌がらせをしているという思い込みを持つようになった。

こうした妄想を長く持ち続けており当時、妄想障害だったと診断できる。『自分が正しい』と発想しやす性格傾向と、周囲から孤立した環境が大きく関係し、妄想を持つようになった。

 

田舎を悪く言っている人・東京妄信している人たちは、こういう系統の人かね?

見本の増田https://anond.hatelabo.jp/20230727214057

もしそうなら東京都心部出た方が良いと思う

東京都心部は、自宅も街も交通機関もどこもかしこも喧しいので幻聴対策必要そうだけど、

都会は基本的に人に無関心だから幻聴以外で噂されることは無いし、福祉も手厚い

 

それとも暗黒青年団婦人会みたいな闇でもあるのかしらね・・・

2023-07-27

anond:20230727094703

この人知名度ないのにすごい取り上げられてると思ったら、発表内容隠してファンイベントに呼びこむ→自分記者も呼んで泣きながらLGBTQアピール→これからゲイアピールして活動するぜ!応援してね!女はこれからお金払ってね!ってこと?

差別じゃなくても推し同性愛者だったら冷めるファンもいるだろうに、この空気感にされたら他界した瞬間差別主義者のレッテル貼られそう

2023-07-24

運のいい人生だった

まれときは庭付き一軒家だった。

小学3年の頃に急に引っ越すことになり、そもそも一軒家が賃貸だったことにショックを受けつつ、マンションへと引っ越す。

この辺りから転落していくんだが、

引っ越しの要因は父親仕事を変えたらしく、家に居ることが増えた。

もともと何の仕事をしていたのか分からなかったが、引っ越しからタクシードライバーをやっているようだった。

両親は不仲な感じで、自分は父の居るリビングに居づらく自部屋に籠もってスーファミをやった。

そこから何回か引っ越しを繰り返し、次々と住まいのグレードは落ちていった。

最終的には長屋のようなボロ借家自分中学生の頃だ。

今思うと安家賃を求め引っ越しを繰り返す、引っ越し貧乏のような気もする。

父親タクシードライバーを辞めバイトみたいな仕事、母はパートで働いていたが、

家は貧乏お好み焼き豚肉を入れることも躊躇われる程だった。

高校は行かせて貰えたがそこから進学するという選択肢自分の中に無かった。

自分勉強も出来ないのでランクの低い商業高校に入り、その高校内で当初は上位に居たものの、

遊び呆けて順位はみるみる落ちた。

就活学校に来る求人適当に見繕った。

とりあえず家を出たかったので遠方地が良かった。

東京金融業か近場の地方製造業の2つで悩んだが、

知り合いの居ない東京は嫌だな、1,2時間もあれば友人に会える近場地方製造業を選んだ。

就職氷河期と呼ばれる2001年だ。

ここが人生の転機だった。

入社してすぐにリストラが実行されたが新人には関係がなく、

リーマンショック赤字転落しそうだったが何とか耐えきったようだ。

無学な高卒だが課長にまでなり年収は1000万円手前になった。

家も買い、妻子にも恵まれ中学高校時代貧乏生活が嘘のようだ。

これは完全に運要素だ。自分に何かスキルがあるとは思っていない。

就職ガチャSSSを引いただけ。

東京金融業を選んでいたらどういう人生だったのだろう、とたまにふと思う。

ちなみに父親は不摂生他界した。

2023-07-14

普通人生って難しすぎない?

高校までに勉強しながら恋愛もする

大学は最低GMARCH以上

新卒大手企業入社

20代後半までに数年付き合って結婚

・数百万かけて友達数十人呼んで結婚

・35歳までに1~2人産む

マイホーム購入

子供に↑以上の人生を歩ませる

親族や友人に惜しまれて他界

2023-06-19

祖母が死んでいた

間違い電話の折り返しで母と話したとき祖母が数か月前に亡くなっていたと教えられた.

祖父はかなり前に他界している.祖母一人暮らし痴呆症も進行し,介護施設に預けてから大分経っていた.

最期は呼吸が困難になり苦痛でのたうち回った.母は何度も病院に呼び出され最終的に看取りはしたが,火葬などの手続きは叔母に任せたそうだ.

年齢的には大往生と言ってよいのだろう.祖母には末っ子一人っ子として幼少の頃は大分可愛がられた.

から伝え聞いた話によると医者を志していた才女だったようだが,時代親族がそれを許さなかったそうだ.

おぼろげながら思い出せる会話から教養の片鱗は覗かせていた.

2DKの狭い実家にほぼ毎年帰省してはいたが,親子間の関係はかなり冷え切っていたように思える.

理由ははっきりしていて,母は幼いころ大叔父レイプされたそうだ.

母は我慢強い性質ではあるものの,全てを隠しとおせるほど強靭ではない.

当時も周囲に告発したものの,祖母,つまり実の母には「お前が股を開いたんだろ」と言い捨てられたらしい.

そのときの母の絶望想像に難くないが,当然ながらそのやり取りは姉弟にも知られ,親子関係破滅した.

私はその経緯を学生の頃,母から涙ながらに電話で教わる.まさに青天の霹靂だった.

因果関係不明だが,母は障碍者手帳を持つ程度には重度の双極性障害で,私は虐待を受けていた.

短気で仕事に没頭しがちだった父と母は相性が悪く,離婚していないことが不思議なくらい夫婦仲はよろしくない.

小学生の頃,母に連れられ不倫相手の家に泊まったこともある.当時はポケモンカードを買ってもらい口封じされる程度には単純だった.

いつしかその行為も終わったが当時専業主婦だった母は精神病み,私を風呂場に閉じ込め,叩き,包丁お気に入り自転車サドルをめった刺しにした.

私は逃げるように県外に進学した.小中高大院と全て国公立だったが塾に行かせ,学費負担してくれる程度には父は稼いでいた.

勉強研究は楽しかった.指導教員にも恵まれJASSO奨学金も返済免除となる程度には業績も評価された.そこに件の電話が来た.

私は病んだ.祖母憎悪し,母を憎み,父を恨んだ.祖母に無邪気に懐いていた自身も悍ましく思った.

ほどなくして不登校となり,カフェインLD50を調べエスタロンモカをがぶ飲みした.ブルーシートを敷きドアノブを使って首を括ったが死ねなかった.

幸い研究業績は積み上げていたため,職にありつくことはできた.毎日リーマスやラミクタールを飲むことでどうにか生きている.

祖母が亡くなったと聞き,帰省の際時折見せていた物憂げな表情を思い出す.

2023-06-16

anond:20230616212228

❌敷居

⭕️ハードル

他界

⭕️敷居しんだんか?!

敷居が高いってもういい加減市民権を得ていいよな?

敷居が高い本来意味は「不義理または面目ないことなどがあって,その人の家に行きにくい」

「気軽には行きにくい」みたいな意味で使うと誤用だと怒られるけど、もはやここまで頻繁に使われるとそれは最早誤用じゃなくて正しい使い方だろ

いい加減敷居が他界を新たな意味で使うのを認めよう

2023-06-14

邪馬台国 畿内説vs九州

吉野ヶ里発掘のニュースで、自分の中の邪馬台国畿内説vs九州説へのロマンが盛り上がったので書く

まず自分古代日本史考古学の全くの素人であることをお断りしておく。

古事記日本書紀伝説として好きで子どものころから繰返し現代語訳で読んでいた。

学生時代九州旅行で記紀地名が出てくる場所を訪れロマンを掻き立てられたこともあり、自分は昔から九州説派である

奈良県がまとめている古事記ゆかりマップは全国のゆかり地がマッピングされていて親切だ。

古事記ゆかり地マップ

だが、ここ5年ぐらいで専門家の間では畿内説がほぼ鉄板となったという話は何度も聞いていた。

専門家意見一定価値を置く自分としては寂しさを感じつつ受け入れていたが、今回のニュースで改めてググってみると、やはり改めて九州説を自分は強く推したいと思う。

(因みにネット上の情報は圧倒的に九州説が多いので、ネット情報を中心に接種すると九州説派になる模様。)

畿内説の論拠

自分理解では畿内説の論拠は、纏向遺跡がすごい遺跡から

こう書くとバカみたいだが、

纏向遺跡前と後で時代が大きく変わったことが分かる

 ⇒ 埋葬されている王は歴史に残る大王であったと考えるのが普通

・纏向にあったのは日本四国方面関東方面支配下に置いていたことが推察される、当時の日本では他にない規模の大国だった

 ⇒ 中国との交易品を考えると邪馬台国大国であったはず。纏向にあったのが邪馬台国でないなら、中国地方小国交易していたことになり不自然

卑弥呼時代と大体年代が合っている
魏志倭人伝にある卑弥呼の墓の大きさ「径百余歩」に匹敵する数少ない古墳

ということなので、考古学証拠から邪馬台国大和国で、纏向に首都があったと考えるのは納得できる。

自分が今回目を通したソース

Wiki邪馬台国畿内

新版 古代史の基礎知識 (角川選書)の前半(倭の五王まで)

自分が感じる畿内説への違和感

まず邪馬台国大和国自分同意。「たい」なんて音は日本語の発音になじまない。

違和感1:贈答品の確認を伊都国でしている

そのうえで、自分はこのYoutube関川尚功氏が指摘している「女王の住居が奈良なら、伊都国(大宰府周辺と推定されている)で女王への贈答品の確認はしないだろう」という意見に強く賛成する。

https://www.youtube.com/watch?v=dA3e14517Ek

現代にも通じる物流常識感で、中国から奈良まで水路でこの後運ぶ荷物確認は、一旦寄港した福岡でなく最終水揚港の大阪付近になるはずだろう。

伊都国で贈答品の確認をしたという魏志倭人伝記載はこのリンクでも紹介されている。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~smkodai/25route.html

違和感2:箸墓伝説

記紀ではうっかりか意図的にかの違いはあれ、三輪山の神に去られた百襲姫が女性器を箸でついて死んだとある。これはどう見ても性交または出産に関したトラブルで死んだように読める。

また、その墓は夜は神が昼は人が作ったとある。この表現は緊張関係にある2つの部族彼女のために距離を置きつつも協力して墓を作ったように読める。

卑弥呼が何歳で他界たかはわからないが、魏志倭人伝から長い治世だったと考えると性交出産トラブル死ぬような年齢だったのか疑問がある。

次に、魏志倭人伝卑弥呼が死んですぐまた国が乱れ台与を女王にたてたとあるので、争いあう二つの部族卑弥呼の墓を一定期間協力して作ったというのが想像しにくい。

自分が考える邪馬台国

自分纏向遺跡卑弥呼の跡を継いだ台与の墓だと考える。

九州大和国卑弥呼女王に立て勢力を伸ばし、彼女の在位中に近畿に東征し、奈良三輪山周辺に拠点を持っていた大物主一族姻戚関係を結びながら(神武天皇皇后大物主の姫)、最終的には大物主一族も亡ぼしたのではないかと思う。それが記紀神武東征伝説として書かれた内容だろう。

卑弥呼自分兄弟である神武(または崇神)(※二人とも「はつくにしらすすめらみこと」)と共に近畿に移動したかからないが、中年女は引越しを嫌うので九州に残ったかもしれない。

だが、ある程度近畿大和国勢力を持ってから即位しただろう台与は近畿生活していただろう。

彼女が死んだとき大物主一族大和国の間は既に緊張がありつつ協力して墓を作るぐらいの関係性はあったのではないか

その後、大和が謀略か戦争かで大物主一族を滅亡させたため、その祟りを恐れ、記紀にあるように一緒に祀っていた大物主と天照(卑弥呼か?)を分けて、それぞれ三輪山伊勢神宮に祀ったのではないか

吉野ヶ里で今発掘中の貴人の墓は、卑弥呼の墓として魏志倭人伝に書かれている径百余歩の大きさに到底及ばない規模らしい。自分吉野ヶ里卑弥呼の墓ではないだろうと思う。

卑弥呼の墓はまだ発見されておらず、台与の墓は先代と同じ規模にということで箸墓が径百余歩の大きさなのではないか

魏志倭人伝にある邪馬台国場所説明は、神武東征が始まる前、または、まだ卑弥呼九州に残っている時のものなのではないか

2023-06-09

文学部入学してしまった哀れな人へ

この文章24卒の文学部所属している私が書いたもので、同じ文学部の人たちや学部を悩んでいる高校生、その親御さんとかに向けて書いているつもりです。キャッチータイトルにはなっていますが私は文学部が好きだしここで勉強できて良かったなと思っています。主に文学部での大学生活と就職活動について正直に書いていきます。進路選びの参考にしてください。構成を決めず、思ったことの羅列なので読みにくかもしれません、すみません。読んでいるうちに私の所属にピンとくる方がいるかもしれません。その時はおすすめ東京ご飯を教えてください。

自己紹介

24卒私文。都内近郊生まれ都内近郊育ち、中高一貫からMARCHへ。やや厳格な家庭だが進路や普段学習・成績ついて厳しくは言ってこない環境で育つ。

サークルなし、体育会なし、大学友達(と呼べる関係の人)マジでゼロ、長期インターンなし、普通バイト特殊バイト

大学選びについて、文学部という学部を選んで

 一言でいうと文学部おすすめしません。やめておきましょう。なぜなら文学部の授業で聞くことは基本的にやる気があれば調べたり本を読んだりすることでみにつけることができるからです。特に国文系や史学系は新しい事実が追加されることがあまりなく、すでに体系化されたものをその科目のオタク先生楽しい感じでおしゃべりしてくれるだけだからです。要するにうんちくマンにはなれますご飯を食べていくための能力は授業だけでは身につかないかなと通って思いました。いつか忘れましたが阪大文学部(?)の卒業式部長っぽい人が言っていた「文学部の学びは金にならないけど人生の節目節目で生きてくる」(意訳、ググって読んでください。これを読んでいる人には刺さると思います)の通りだなと思います。うんちく(笑)がたくさんあるに越したことはありません。けれど考えてみてください。あなた面接官だとして、マーケティングを学んできて神話文学知識にも明るい商学部の人とレポート文字数を稼ぐのが異様に得意で国生み神話を事細かに話せる文学部ではどちらの方が欲しいですか?(泣)私はこのことに大学4年の春に気づきました。「イザナミイザナギが空からぐちゃぐちゃにかき回したらできた島が淡路島なんですよ〜!」っていう知識会社顧客の獲得に大きく貢献するでしょうか(涙)。あなた文学部での研究面接官にまったく刺さらなかったらどうでしょうか(涙)。私は広告に関する卒論を書いていますマーケ的な視点ではなくシンプル趣味で調べましたみたいな内容なので全然ウケないです!

なので今進路に迷っている高校生はよっぽどの確固たる動機がない限りは文学部を選ばない方がいいと思います理由は①やる気さえあれば本やネットで十分に学習できる、②会社で直接役に立てる知識が身につきにくいからです。数学ができるなら商学部経済学部、そうじゃなくても文学部以外だったら基本的会社仕事に直結できるようなスキルが身につきやすいのではないでしょうか、知らんけど。たとえば法学部とかだったら薬の会社法務職とか、マーケ勉強してたらマーケターの採用もあるので学びと結びつけやすそうだなと就活して思いました。

 では私には確固たる動機があったのでしょうか。ありました。高校生時代のある経験から広告をつくりたい」という強い思いができたこと、その経験から文学部勉強するという動機がうまれ進学を決意したのです。今思うと大学入学時にすでになんとなく行きたい業界(広告)が決まっていて、かつ広告関係することで卒業論文を書こうと決めていたのでなんとか納得のできる就活ができたのかな、と思います。結果として行きたい業界で満足できる会社内定をいただけました。ふわふわした感じで「歴史が得意だから」「源氏物語が好きだから」「神話もっと詳しく知りたい」みたいな趣味ベースで行ったら苦労すると思います。その好きや趣味の先に「こういう仕事業界で働きたいか文学部で〇〇を勉強するんだ」というビジョンがない限りは文学部は選ばない方がいいと思いますマジで文学部就活成功するのは基本スポ薦でゴリゴリ体育会ウェイか授業最低限で長期インターンハマり奴か公務員になろうという意思を持って1年から公務員就職に関する勉強情報収集をしている奴です。何も考えずに大手受けても普通に落ちます(笑)パンフレットに載っている大手や勝者で活躍している先輩の紹介はマジのマジで一握りです。各大学が出している学部別の「就職企業データ」をみましょう。何も考えず王手を受けるのはMARCH文学部では心もとなさすぎます運動部全国大会ガクチカ、長期インターンガクチカなどが作れない(作る気ない)けど文学部趣味の延長線上みたいなことがしたいならとにかく上位の文学部に入りましょう。

 教員志望は学芸大学とか早稲田教育とかとりあえず知名度とか偏差値の高いところに行くべきだと思います理由は周りの(っていっても友達がいないので雰囲気でだが)教職履修者は大体途中で履修をやめているからです。文学部というのはおそらくどこの大学も専攻がわかれていて、国文とか史学とか色々あってそれらの必修をなんとなくとっていれば教員免許に必要選択単位自動で取れるのですが教職のための科目を取らなければいけません。教職科目は履修人数が多くてテストありきで(レポートや出席点がない)落とす可能性があったり、土曜だとか平日の遅い時間か1限に授業が入っていて「とりあえずとっとくか〜」のノリでとった人は大体やめます教職保険代とかであまり課金せずに取れる資格課程なので辞めるのもハードルが低いのでしょうね。教職履修者で残るのはマジの教員志望と親が教員でとりあえず受け続けている真面目なやつくらいです。なので「1年の時は教員になろうと思っていたけれど3年になってやっぱ一般企業にしよ」とか言う人も多いと思います。なので高偏差値教育学部に行っておけば教員という道をやめても就活市場で戦える可能性が高くなるのではないかと思いました。

ここまでできれば文学部はやめとけの路線で行きましたが、文学部でできること(いいところ)をいくつか挙げておきます

レポート簡単にかけるようになる。

 文学部経済や法と違って知識の定着を問う試験はあまりありません。(もちろん試験ある科目も一定数ある)基本的に14回分の授業を通して考えたことやそこから発展して自分で決めたテーマに沿ってレポート(最低2000字くらい)を書くことのほうが多いです。文学部はどちらかというと知識や体系を詰め込むところではなく「ここまで色々話してきたけどじゃあ貴方はどう思うの?」と問われることが多いところなのかなと思います文学部入学するということは基本的に中高時代に作文などで苦労したことが少ない人が多いと思うので元からある程度の作文スキルがあるでしょうがそれがより強くなります難解な表現カタカナ語を駆使して中身がないのに文字数のある文章を書けるようになったり、参考文献を読む機会が多いので要約する力や全然関係ない学部の他校の友達レポート代筆ができるようになります。多分3年生くらいになると最低2000文字レポートを課されても「ツイート15個分カァ」くらいになると思います。授業の感想を毎週数百文字で求められる授業も多いので文字数を稼ぐ文章力や考えを整理する力、あとはブラインドタッチができるようになります。(逆にこの力を4年かけて400万で欲しいですか?笑)

②ずっと日本史とか世界史教科書の端っこのコラムみたいな話が聞ける。

 文字の通りです。その分野のオタク先生コラムみたいな話を100分盛りだくさんで話してくれます。考えてもみてください、文系(人文社会学)で院行くだけでもかなりのキテレツなのにそこから大学教員研究者になるってよっぽどの厄介オタクですよね。先生質問とかすると基本ニコニコされるし気に入られます。中高の頃先生と仲良くなるのが得意だった人(仲良くなりやすい人)は中高の延長線上みたいな授業になるのではないでしょうか。

一般教養科目がめちゃくちゃある。

 どこの大学文学部でも大体当てはまると思います。専攻や専門以外の文学部の授業がたくさん取れます国文系でも哲学歴史心理宗教など幅広く授業をとることができるので(めちゃくちゃ偏見だけど)楽単度合いで選ぶよりも内容で取りやすい、しかも大体が出席とレポート簡単単位が取れるのでおすすめです。あそ文学部所以ではないでしょうか。

パッと思いついたのはこれくらいです。基本的高校時代までの趣味嗜好がそのまま勉強なるみたいな感じなので授業そのものは満足できると思います

就活について

 就活広告テレビ出版映像などクリエイティブ系を見てました。また好きな商品サービス宣伝するのも楽しそうだという思いかメーカーもいくつか受けました。メーカーは全て「ES落ち」でした(笑)保険などの無形商材と不動産と金融、コンサルなどは「私如きが人様の人生に口出しできない」という思いとウェイ系が多そうということで受けませんでした。文学部大学によっては教員公務員志望がほとんどで大3の夏になってもサマーインターンの話が全く出ないみたいなこともザラなので仲間が欲しいとかなら他のコミュニティに入るか文学部はやめましょう。就活を始めたのは大学3年生の春で、といっても春は片っ端から興味のある会社マイページを作って本格的にやっていたのはサマーインターンの応募からでした。ちなみによくtwitterとかでみるサマーインターン経由の優遇内定を勝ち取れるのはごくごく一部です。期待するのはやめましょう。また、twitterゴリゴリサマーインターンを勝ち取った報告をする人がいますが病む必要はありません。意識が高いかtwitterをしているのです。いい結果の時しか呟かないでしょうし、心配する必要はありません。夏インターンに参加できたのはテレビ局(単日開催→上級参加)と誰でも参加できるキモいベンチャーのふたつだけでした。キー局電博、読広、D2C、NTTとかの大手ミーハーで出してました。インターン参加しなくても本選考が始まると説明会や座談会がたくさん組まれるので大丈夫ではあると思います。20社参加した!とかいうのもあまり気にしないようにしましょう。

私が就活を終えたのは6月に入ってからでした。ありがちな秋〜冬の大手に落ちまくってバリ病んでいたところ、たまたま行きたい度が高かった会社選考とんとん拍子で進んで内定をいただくことができました。大手だけ見るのはマジで精神病みます。行きたい業界大手業界10位以内くらいまでの会社をとりあえず出して、あとは駒を増やすために逆オファーサイト(オファーボックス、ABABA、ネオキャリアなどなど)を登録するといいと思います。逆オファーは有名な(かつブラックである)飲食チェーンとレバや某ハウスみたいなウェイベンチャーと零細意識他界ベンチャーしかないので、逆オファーサービスメインでの就活はやめましょう。

 あとは話せる人がいるって大切だなと思いました。学校環境就活モード低そうであれば夏秋冬のインターンに参加して居合わせ学生とインスタなり交換して情報交換できるようにしましょう。私は大学での友達がマジのガチゼロでしたが夏インターン出会った子と励ましあったり情報共有をしたりしていてメンタルが保てました。有名かつ人気の企業インターンに「選抜」されているということはそれだけである程度優秀なのでぜひそこの繋がりも意識してみてください。大学が違う方が僻んだり妬んだりしないのでなるべく違う環境で生きている子の方が精神が安定するしモチベも保ちやすいです。

ガクチカ

 ES面接ガクチカ特殊バイトをしていたことと特殊ゼミに入っていたこと、地元でのボランティアでの活動を出す会社によって分けていました。これらの活動をしていたのはサークルなどに入っていなかったのでガクチカ代わりになると思ってやっていました。ゼミの方は結構ウケて、特殊バイトの方は広告エンタメ系ではウケました。結果として行く会社内定をいただけたのは特殊バイト面白がってくれたからだと思っています文学部の人は学部に華がないので大学+自分しかできないような経験必要じゃないかなと思います。商とか経はよくゼミ大会とかゼミでコンペに出すこともあるのでゼミガクチカになりうると思います自分趣味を発展させただけの文学部でのゼミ活動は「で、なんか役に立った?(笑)」になってしまいがちです。クリエイティブ系を目指すのであれば変なバイト特殊バイトしましょう。特殊バイトというのはタピオカ屋やスタバ、高級焼肉などある程度のハードル必要飲食もいいですがライター特殊清掃、ラブホ、街ゆく人の数数えるなど人とのコミュニケーション人間観察ができる、価値観に影響しそうな仕事を選ぶといいと思います。私は上に書いたようなバイト経験しました。話すと結構興味を持ってもらえました。SNS運用インターンもいいですが、特殊経験をうまく話したり表現することができると食いついてくれる(おもしれ〜女・男認定される)のではないかと思います

ガクチカについては「これまでの学生時代」や「いつでもいい」などがない限りは基本大学での活動にしていました。高校時代のを話すとき文化祭でのリーダー経験でした。ガクチカを「作る」のはお勧めしません。せめて経験を「盛る」くらいにしておきましょう。周りの話や感覚としては「サークル活動」は弱いです。圧倒的に「体育会」が強くて次点で「長期インターン」です。行きたい業界に関連した会社インターンおすすめです。おそらくその長期インターンベンチャーが多いと思いますが間違えてもそのベンチャー魅せられて就職したりベンチャー就職するのはやめましょう。

個人的ヤバい(ヤバそう)会社の見分け方は①20代で人事、②HP会社説明文をみて一発で何をしている会社かわからない(成長・やりがい・仲間みたいな単語で内容が薄い)のは要注意です。特に①で外したことはないです。(D◯M、〇―〇〇〇〇〇、すか〇〇―◯など飲食全般)ベンチャーベンチャーでも出資元が老舗企業だったりキャリアのある中途が多い人は結構印象よかったです。(タクシー配車アプリ会社とか)

最後

 ここまで読んでいただきありがとうございました。文学部受験を考えていた方は考え直してくれたでしょうか。推薦で文学部を考えている人も私の文学部での生活をぜひ参考にして自分でもイメージしてみてください。教員公務員志望の方は文学部でいいと思います。結局文学部だけに限らずどこでも大学では「自分意思」が非常に大切です。周りに合わせていたら詰みます。一緒に行動している友人が就活を始めるのが4年の4月だったらあなたもそうしますか?面白くなさそうだけど友達がとるからその授業をとりますか?ぜひ自分意思で行動してみてくださいね

文学部に行きたいと思っている後輩へ

 考え直してみましょう。〇〇について詳しく知りたいな〜くらいの動機だけじゃないですか?大学文学部ではその〇〇を知った上で何か新しい視点をみつけなければいけません。自称進に通うあなた先生に穴場学部として文学部を勧められていませんか?早慶くらいならまあいいかもしれませんがMARCH以下ならやめておきましょう。MARCH文学部に滑り入るくらいなら勉強して文学部以外に入れる成績に持っていくかランクを落として法学部に入ったほうが就活楽そうに思います。(個人の感想)旧帝以上なら学歴に箔がつくと思うので文学部でもいいと思いPermalink | 記事への反応(30) | 15:34

2023-05-29

嫁への怒りの押さえかた

まりにも嫁がバカすぎてこまっている。

とにかく希望的観測が強すぎて、あらゆる事が自分の思った通りになると思っている。

それゆえ、その通りにならないことは全て不満だと考えているし、その責任は全て他責だと考えている。

合理的な考え方は存在しないので、例えばそれに反論したり、より良い案を提案しても「なぜ私の考えがわからないんだ」といった逆ギレをぶちかましてくる。

そんなのがもう十何年も続いてるのだけど、世間体もあるのと、親には苦労をかけたので、他界するまでは円満夫婦を演じていたい。

なので一応は我慢し続けてるんだけど、以外にもう耐えられ無そうだなと思い、愚痴半分に対策を知りたいなと思い書いた。

わがままや、意味の分からないレベルに運頼みな考えに対し「あなたの言っている事は全面的に正しく合理的である」という、ストレスの固まり対応以外で対策があれば教えてくれ。

2023-05-23

祖父ウニの話

みなさ〜ん、じいちゃんばあちゃん孝行してます!?

(している人が頷く)

天国に昇れ!!!!!!!!!!!

 

 

これは、私の祖父孝行不足に対する後悔の話である

 

 

私には、高校生とき他界した祖父がいる。

祖父は孫との関わり方があまり上手ではなくて、優しいけど不器用な人だった。

 

しかし小さいころの私はまだガキだったので、そんな祖父の心境を慮ることができず、「私とおばあちゃんが話してるのに割って入ってきて嫌だな」とすら思っていた。

 

祖父との距離感がよく分からないまま私は高2になり、修学旅行北海道に行くことになった。

お土産何がいい?」と祖父に聞いたら「1000円ぐらいの安いやつでいいから、ウニの瓶詰めを買ってきてくれ」と言われたので、私は素直にお土産代をもらってウニの瓶詰めを買って帰ると約束した。

 

修学旅行当日、小樽の海産市場にてウニの瓶詰めを探していた私は値札を見ずに「あっ、これだこれ」と思い、かごに入れた。

 

しかレジに通してから、その瓶詰めが4000円以上することが判明した。

 

高校生にとって4000円は大金だ。当然の如くビビり散らかしたが、自分勝手で班のメンバーを待たせるわけにもいかず、結果としてその高い瓶詰めを祖父母の家までクール便で送ることになった。

 

そのことを修学旅行から帰って祖父母に伝えると、「やけにうまいと思ったわ」「おじいちゃん美味しい美味しいって言って食べてたよ」とのことだったので、私の勘違いは親戚の間でほっこりする笑い話として昇華された。

 

 

ここまでなら、単なるほっこりエピソードで終わっていたと思う。

けれども私が修学旅行旅行から帰ってきてから一ヶ月も経たずに、祖父他界した。

危篤になってから他界するまで、3日もかからなかった。突然の死だった。

 

葬儀ときに初めて、祖父は長いこと腎臓を患っていたことを聞かされた。

病気の件に関しては、周りの親戚の人々も子供に教えることではないと気を遣ってくれていたのだと思う。

でもそのせいで、高校生の私は何の心の準備もできないまま祖父の死に直面することになってしまったのだ。

 

葬儀屋さんや親から最後に棺にお手紙を入れてあげたら?」と声をかけられたが、返事ができなかった。

ドライアイスで冷えた祖父の手に触れるたびに涙が出てきて、火葬場に行くまでずっと白い棺の側で泣いていた。

  

葬儀が済んで半年が経ち、祖父母の家を訪れた。

祖父の座っていたソファ空っぽだった。

空っぽになったソファを見つめて、祖父のことを思い返すと、涙が溢れて止まらなくなった。

 

祖父が私を見る目はずっと優しかった。私がつっけんどんな態度をとっていても、いつも目尻を垂らしてニコニコしていた。

それなのに私は、祖父に何も返せなかった。

返せたものがあるとしたら、それは修学旅行お土産で買ってきたウニの瓶詰めひとつきりだ。

祖母も母も「私ちゃんのおかげで、おじいちゃん最後に美味しいものを食べられたんだよ」と言ってくれたが、「もっと何かできたのではないか」という思いは、私の胸にずっと残っている。

 

社会人になって地元を離れても、祖父の亡くなった夏がくるたびに、祖父孝行をしきれなかった後悔が襲ってくる。

この後悔は、きっとどれだけしてもしきれるものではないのだろう。

 

なので今は、祖母孝行に精を出している。

祖母は耳が遠いので、正直やりとりがスムーズいかずにイライラするときもある。けれども真剣にやり切らないと、絶対に後悔するだろうと思えて仕方がないのだ。

 

祖母86だが、膝と耳が悪いだけでまだまだ元気である

離れて住んでいるのであと何回会えるか分からないが、会ったときには祖母を喜ばせられるよう、いい孫でありたいと思う。

2023-05-12

結婚は失敗だった

結婚して20年弱になる。

子供もいて、会社もまあ有名な企業で働けているし、持ち家もあって、基本的にはうまくやっていると思う。

はいっても、結婚は本当に失敗だった。

妻は「自称気遣いの出来る人」だ。

実際、つき合っている頃は色々気を使っていたのだろうし、自分から気遣いが出来る人間だと言ってくる事もなかった。

やがて結婚して、家計を任せたり子供が産まれたりしてきた頃からおかしくなり始めた。

家でのんびり掃除をしたり、買い物や夕飯の支度をしていればいい生活が崩れ、忙しくなってきたため、周りに気を使う余裕はすぐになくなり、タスク管理もできなくなり、家事などがおろそかになってきた。

本来であれば、決められた時間の中で優先度をつけ、効率化をしていくしかないのだが、それが出来るほどの器用さは妻には無かったのだが、それを認められない性格だったようだ。

その結果、例えば夕食の支度ができていないにも関わらず「出来てる」と言って、漬け物けが盛られた小皿のみをテーブルに置き「忙しくてこれしか準備ができていない」といったようなアピールをするようになった。

自分努力をしているが、それ以上のタスクを抱えているのだというアピールだった。

流石に困るので、忙しいのならお惣菜でも買って帰るので、無理して作らなくてもいいと言ったにも関わらず、何度か同じような事をしてきた。

そのうえで「何で私の努力を認めないんだ。こんなに気を使っているのに」と言い出した。

自分からしてみれば妻の行為努力でもなんでもなく、忙しい事に対する八つ当たりしかない。

改善するためには稼働を減らさないといけないし、その為の提案もしているのだが、妻からしてみると、効率化は「悪」らしい。

気を使っている方向が斜め上過ぎである

仕方ないので、そういう日は腹を空かせて寝ることにしたのだが、段々悪化を続け、最近では論理破綻も気にせず「私の言ってることは正しい」とキレるようになってきた。

子供が成人し、両親が他界したら離婚するつもりなのだが、こういった経緯があり、結婚して失敗だったと感じている。

もちろんそうでない女性もいることとは思うが、大小あれど、周りの妻帯者も類似した傾向があるようなので、結婚を考えている男性は、それすら許容できるか、というのを判断基準にしておいた方が後悔する確率は低いと思う。

2023-04-30

悲報はてブ、実は田舎差別地域差別がひどい[再]

amunku 草津市県内ワースト犯罪件数だったとこでしょ。犯罪どころか揉め事も多いのかって思っちゃう

ndns 事の真偽は関係なく、極めて愚かな住民投票とその結果だからその街全体が嫌われるという当然の末路。地方とか田舎とかは関係ない。

mopo123 セクハラ温泉か。旅館風呂盗撮カメラ仕掛けたのもここだっけか?追記:細かな事情分からんのは町民だって同じでしょ?その状態リコールかけたんだから、町民の民度はそんなもんだよ

aki_minori 異物を排除する田舎論理が悪い方向に出ちゃった感じ。ただ、断片的な情報だけでも、この町議の言ってることを丸のみはできないと思う。

hisa_ino たかが一町議リコールまでして「今すぐ」辞めさせたい、というのが異常で引くわ。住民意思なら次の選挙いくらでも示せるんだし。要は町長報復なわけでしょ。それに乗っかる町民もなあ…。

sisopt “個人自由意志を舐め過ぎ”とかいブコメ村社会同調圧力を舐めすぎ。

zambia とりあえず消滅可能性都市から消滅都市へようこそ。それが町議の狙いでしょ?

T-3don 草津イメージ回復的には、大差で否決してようやくイーブン、くらいの状況だった思うが。ブランド価値を守るチャンスを住民自ら踏み潰した、と見なさざるを得ない。今後選択肢からは外れるなぁ。 news

dd369 グン○ーとは言いたくないけど言ってしまう。香港のように人権通用しなくなった未開の地を女性は捨てた方がいい。 社会local

questiontime 個人的にはこれで草津温泉に行くことはなくなったけれど、この結果を見て草津を優先するのもいるんだろう。客がそんなのばかりになったら女性もっと住みづらくなる。悪循環

satromi 草津みたいな人が来る観光地でさえこれか。田舎は恐ろしい。

zyzy これは流石にちょっともう草津のものを異常視せざるを得ないし「おかしいっていうなんてさべつぅなにかあるはずぅ」っていう権利は、こういう迫害をしない人だけが持っているからね。裁判回避やった時点でアウト 考え方

cotbormi 住民クズから逃げな。そんなクソ田舎捨てな。 これはひどい

kohgethu 田舎なんてどこもかしこ案件か。クソが。/そんな「男性けが楽しめればいい」という考え方でやってると、本当に温泉街が寂れるぞ。

ustam 草津タウンこの…。旅行先、移住から草津町は永遠に除外だな。町ごと地図から消えてなくなればいいのに。セクハラの有無はわからんし、実際虚偽の可能性もあるけど、裁判の結審を待たずにこのようなやり方は異常。

korilog 9割賛成はすげーな。性被害を訴えると町の9割が敵になる。やっぱり田舎は怖い。

wwakainkyo 町議会がおかしいだけと思ったら、草津町そのものおかしいのか。草津温泉に行こうという気が失せるな。(中途半端田舎だとよくある、地元有力者が根回ししたら決まる構図)

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASND66WZ6ND3UHNB00J.html



hammam 恥を知りなさい草津町民

shun_libra 議会はその自治体民度を表すからなあ。こういうクソ動議が起きるような町じゃ、町民の男尊女卑志向も相当ヤバそう。

emt0 温泉に罪はないし、ここ最近の復活は素晴らしいが、これじゃお金落としに行く気が失せるわ。仕方ないが所詮群馬の山奥のムラ社会

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASMD261GBMD2UHNB00M.html



RCHeLEyl だよなぁ。これが通るなら草津性犯罪被害に遭っても、加害者が「嘘だ!でたらめだ!」って言い張ってセカンドレイプを起こされ、社会的に排斥されかねない。

mkotatsu 事実はどうなんだかよく分からない問題だけど、ポスターやビラを見るだけでは、はてなの大好きそうな「田舎の嫌な所」のかたまりっぽい。その割に擁護コメがあるから余計に草津にはちょっと近寄らんとこ感

hevelo 野蛮なクソ田舎滅びてどうぞ

takeshiketa きつ…クソ田舎のクソ田舎化が深刻だ

vkara やばい土地草津。みんな逃げて。

duedio 地方はもう政治機能してないのかもしれない。

zyzy 草津ヤバい以外の感想が出ないのよなぁ。もう女性たちは全員逃げだせるようにしておいた方がよさそうなレベルで。 考え方

tokage3 観光地でこれやるんだから田舎常識すげー。

gomaberry 「小さな町だからリコールされた女性の人柄をみんな知ってるはずだから当然」という不自然コメントがヤフコメに大量についていた。地元紙に同様の文面のチラシが折込されたそうだ。組織的犯行。あの群馬だもん。 ドリル優子慰安所中曽根中の人一太カルト下村

siiko どっちの主張が正しいかも分からないのにリコールを主導する町、賛成に丸付けちゃう住民

fukuroiri まさに衆愚。あまりにも下品で醜い。

watapoco 行政住民気持ち悪すぎて絶対行かない場所になった。ちなみに気持ち悪さは性被害告発されたことではなくその後の対応

papercup140 田舎議会は恐ろしい…。草津町民を責める気にはあまりならない。

mopo123 草津町民というセカンドレイプ民。覚えておこう。

napsucks 田舎に対する偏見が裏打ちを得て強化されていく。。。

domimimisoso 草津真相がどうあれ、「田舎女性議員町長密室セクハラやられても解任運動が恐くて声を上げられない」というメッセージを全国に放ったのは間違いない。

out5963 怖い。これが日本民度です。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hbol.jp/233731



uunfo 草津温泉に入ったら何されるか分かったもんじゃないな

kyasarin123 さすが温泉街(ピンクコンパニオンとか)ですね。爺ィ連中の民度低すぎ!!

sykuma 東京区議会でこんな事やったら秒で蒸発するレベル炎上になるのにな。結局、地方年寄りが堅持している昭和文化心中していくしかないんだろうな。

daigo0117 田舎は外から入ってくる価値観に排他的だし、老人は新しい価値観を拒絶する。改革は難しいだろうな。。

at_yasu あっはっは、すごい典型的田舎

ryun_ryun 田舎人間性格いからね。地方擁護派の俺としてもその点は擁護できない。

yP0hKHY1zj 温泉盗撮されてそう

yuzuk45 大都市以外ではこれがこの国の意識スタンダードだろう 女性地方政治

yuzumikan15 傍聴席にいたセクハラ男性たちって住民なんだよね?温泉好きでいろいろ行くけど草津温泉には絶対に行かない。

nenesan0102 ブコメにもあるけど、こんな場所なら女性たちが逃げ出して当然だと思う。

m_h そりゃ田舎(地方)から若い女が減るわってかんじですね!

kaz_the_scum 日本田舎っぽさを色濃く感じる。私にとって鹿児島志布志はあの事件土地というイメージしかないんだけど、温泉に行かない私にとって草津はこの事件温泉から上書きされたわ。

iasna 田舎クソ恐ろしいな

xevra 典型的日本田舎恐ろしい恐ろしい

ipinkcat 田舎ってダメなところを煮詰めたようなクソみたいなオヤジしかいないけど、草津町はクソの中のクソだな…。

Rinta いかにも田舎のえらい人たちと言う感じ。自民党はそーゆー人達総本山だなと思う。

napsucks 面白いメタ構造田舎に対する偏見が強化されるな。

skgctom 都会にこういう老害がいてもいずれは若者たちの声が高まり死に絶えるからいいが、地方だと老害価値観に迎合した準老害けが残って出世していき、そうでない有能な若者地元を出て行くからな…

punkgame 田舎大事なのは人間性や手腕よりも、家柄や権力。そしてそれを煽てておこぼれをもらう奴ら。この手の爺さんたちは非常に邪魔で早々に消えて頂きたいのだが、こいつらの子孫は若いくせにこれを引き継いでいるので、 30年経っても田舎東京レベルになるのはまだ無理だと思う。

monbobori 最悪。セクハラの街。 セクハラ地方

zakochan 胸糞。草津は前から民度の印象が最悪

xorzx こんな地方は滅ぶべき。少子高齢化20年後には半数の自治体が消える。

tokatongtong 草津っていうのはそういう場所だったのか。絶対行かねえ。

zyzy 草津から来たという男性がいたら警戒して距離をとり、警察に連絡する準備をしなければいけなくなるレベルに酷い。 考え方

kingate いや。これが普通田舎だよ。よく知ってるよ。警察グルになってることがほとんどだからね。警察ったって署長以外は基本地元の持ち上がりなんだし。糺す方法なんて強制移民以外無いよ。マジで

gomaberry 草津女性が行ってはいけない危険な町だな。県知事あの人だっけホラ、安倍晋三ツィッター中の人だった例の…

takashi1982 草津に行くたびにこんな下品議員町長がいても温泉は素敵ですね嫌味を言い続けていきたいと思った。他界した曽祖母の町も同じで、田舎のそんなところが本当に嫌だと思っているので住めないよなぁ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/dd949f8ef142ba996f362f990583c350a037de09



Unimmo セカンドレイプの町だとまでは言わないが、きわめて程度の低い町として、心から蔑んではいる。 田舎

Gim 筆者の意見に反対だ。裁判係争なのだからリコール自体判決後にするのが、日本人の常識であり、草津温泉街のドン非常識咎められない事が、正にセカンドレイプの町の称号に相応しいと言えよう。

RCHeLEyl 白カビ饅頭案件。1人しかいない女性議員の訴えを否定する文章を街中に張り出し、更に公の場で糾弾している。そういう風土のところだと、性犯罪被害を訴えてもセカンドレイプ食らって加害者勝ち。近づかない一択

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.media/articles/-/78575



hatarakutoshika 未開の地グンマーではこれが日常

pptp ザ•田舎って感じ。

nyama02 魔女狩りの話?群馬って中世だったんだ、ショック

discodisco 田舎狂気垣間見

taguch1 草津の人の知性は地に落ちたけど。まぁ裁判でやれ。税金でアホなことすんな。

xevra 何のエビデンスも付けずに一方的中傷になっているのが怖い。「何のどういう行為問題で、証拠はこれ」ってなってないと判断できないはずだが。田舎は恐ろしいわ

kyasarin123 草津よいとこ一度はおいで〜!行かねーよ!わー田舎住みたくねー

awkad 田舎バカにするなというが田舎じゃないとなかなかこれは成立しないからな。ここまでいかなくてもこういう空気田舎にはある。だからそれが嫌な人間は都会へ行く。そうじゃない人が残りこういう空気が強くなる悪循環

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/sleeptreewinter/status/1335232610331631617



domimimisoso これから全国の田舎町長女性議員セクハラやり放題です!っていうメッセージだね、こりゃ

napsucks 山形マットに並んで語り継がれそう・・・

giveus すげえ 群馬やばいところだ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/this.kiji.is/708288354939338752




放送

悲報はてブ、実は田舎差別地域差別がひどい

https://anond.hatelabo.jp/20221116140825

2023-04-22

新興宗教宗教二世に生まれた話

首題のとおり。

知人になんて話せない悩み、葛藤、苦しみをこの場を借りて吐露させていただきたく。

皆さんご存知大規模新興宗教の創◯じゃない方(統一うんたらでもないしオウム関連でもない)の信者家庭の二世として生まれた。

外見はごくごく普通の家庭。

都市部に30年ローンで戸建てを購入し、両親共働き二人兄弟の、なんともありがちな家族像という感じ。

物心付いた頃から頻繁に“支部”に連れて行かれ、同年代の子どもたちと一緒に、時には“御法話”を聞いたり、時には遊んだりしていた。

教団の映画が公開されたら映画館に数回は連れて行かれた。

(もちろんそれ以外にも、一般的習い事をしたりという、一般的社会的生活も送っている。)

あるとき両親が離婚した。

教団では常日頃から人に優しく、人と仲良く、的なことを教わっていたので、子どもながらに離婚することって信者としてどうなのと思った記憶がある。(ちなみにその後しばらくして教祖離婚した。わけが分からん。)

無論子ども意思など関係なく両親は離れ離れになり、今でこそもう何とも思わないけれども、当時とても悲しかたことは覚えている。

ただ、幸い何不自由なく有名私大奨学金無しで通わせてもらい、誰もが知っている大企業就職することもできた。

両親の離婚はつらかったけど、何不自由ない、寧ろ人並み以上の生活をさせてもらったことにはとても感謝している。

さて、問題はここから

信者、それもいわゆる宗教二世は恐らく特に世間が思ってる以上に、新興宗教というもの世間から受け入れられないものであるということをよく理解しているし、世間から差別にも近い視線に恐怖し、あるいは肩身の狭い思いをしている。(と、思う。稀に堂々と周囲に信仰告白をする人もいるけれども、それはかなり信仰度合の高い一部の人だけだと思っている。)

自分は、自分がこの宗教信者であるということを死ぬまで他の人には話せないし、話すつもりも全くない。

墓場まで持っていく、とはまさにこのことだと思う。

しかし一方で、この宗教の“教え”については、そんなに間違っていないと思うし、自分価値観オリジンとなっていることは認めざるを得ない。

教義としては「愛・知・反省・発展」という4つの要素を常に実践せよということを教え込まれたが、それ自体はまったくもって正しいことだと思うし、そのためか、教団の信者さんたちは皆、優しく、誠実で正直な人ばかりだった。

世間一般的な水準に照らし合わせると、皆がいわゆるいい人だった。

手前味噌ではあるが、自分自身もその要素をある程度は持ち合わせた人間に育ったと思っている。

まり何が言いたいかというと、信仰のことは一生教団以外の人にカミングアウトすることはできないが、一方で教団を悪く思っているかというと、必ずしもそうではない、ということ。

神の存在(それが教祖かどうかはさておき)や輪廻転生は信じているし、誰も見ていなくとも善い行いを重ねることで死後天国に戻れる、ということも信じている。

かといって教団に積極的コミットしたいわけでもないので、社会人になってからは教団とはだいぶ疎遠になっているし、いわゆるお布施も直近数年は全くしていない。

でもこんなだから信者以外の人とは結婚は難しいし(相手方迷惑をかけるのではないかと思ってしまう)、かといって信者とは結婚したくない。

その結果人生恋人を作った経験なし。

この先もできる見込みなどない。

自己責任論を突き詰めた結果、自己肯定感が皆無(寧ろマイナス)で奥手な人間が出来上がってしまった。

人生詰んでいる。

いい大学出ていい企業に勤めても、宗教二世という事実が全てを差し引く。

この先何を糧に生きていけばいいのだろうか。

先行きが見えない。

そんな中、先日教祖様が他界した。

最近教祖様の実子が次々と破門され、しか教祖様は二回り以上も年下の女性再婚してたし、教団も組織としてはきな臭くなってきてしまったので、ここいらが潮時なのだろうか。

(ちなみにYouTuberをやっている長男も、破門前はノリノリで教団の映画とか音楽とかやっていたので、破門後の諸言動もあまり信用していない。)

この先どのように自分人生を全うしていくのか、真剣再考しなければいけない。

願わくば伝統宗教(できれば神道)の宗教二世に生まれたかった。

酔っ払って記した文章につき、とりとめのない記載である旨、ご容赦いただきたく。

2023-04-13

Twitterで出回ってるutprの怪文書くんへ

他界隈に迷惑掛けるのやめろよ

勝手イメージだけれども、男性向け作品って、熱心な脳死精鋭ファンしか残ってないから、キャラさえ良ければ運営の失態は華麗にスルーしそうだから、utprのことは1mmも同情しないでしょ。むしろ、何で黙って降りられないの?女ってめんどくせーなって思ってそう。

あと、最初に見たプレスリリースってなんですかね?どこに掲載されてるの?教えて?(笑)

それから、その場にいたオタク全員が同じ意見って怖いね視野狭すぎだろ。(笑)

2023-04-06

イラスト界隈だけ「パクリ」に対して厳しすぎない?

ここ数か月のAIイラストツールに対しての非難はもちろん含めても、イラスト界隈ってそれ以前からトレパク検証がどーだのこーだ的な騒ぎがTLなりトレンドなり流れてきていた印象がある。

トレスだけじゃなくて、「色をスポイトしてる!(から問題だ)」みたいな主張もわりと一般的らしくてなんでこんなに厳しいんだよって疑問に思った。

自分Youtube二次創作系の動画投稿しているんだけど、サムネ作風動画の中身、タイトル形式から概要欄の書き方まで明らかに自分動画からコピペしてるチャンネルがいくつもあって、

中には著作元の利用規約抵触するような内容のものもあったから「誤解を招くので辞めてほしい」ってYoutubeコミュニティお気持ち表明したら賛否両論コミュニティが荒れてしまった。

否定的コメントの内容としては「二次創作の癖に権利主張するな」「晒しで後進潰し」「お気持ちするような人で幻滅した」など。

まあ無断転載動画であっても注意のコメントより普通に感想書き込むような人の方が圧倒的に多い土壌で「真似されて困るな~」なんてお気持ちしてしまった自分ミスではあるんだけど、ともかく動画界隈はそのくらい模倣パクリに寛容といえる。

では他の創作界隈はどうなんだろう

作曲そもそもサンプリングって技法があるくらいだしそこまで厳しくなさそう。メダロット(or小沢健二)とマリーゴールドとかかなり知られてるけど特に問題になってないし。

小説追放物とか悪役令嬢みたいに人気の設定はみんなで共有してる。キャラの設定だってもう飽和してると思う。

3DCG、モーショングラフィック…よく知らないけど、この表現技法パクリ!って主張はみたことがない。

プログラミングコードももちろん著作権はあるけど、オープンソースも多いし盗作に厳しい印象はない。

ちなみに上に挙げた創作AI進出しつつある業界だけど、AIイラストほど忌避雰囲気は感じられない。

商業世界の話なら厳しいのもまだわかるが、趣味世界トレスだスポイトだと騒ぐのは他界から見ると異様に見える。

〇〇さんリスペクトです!って言ったら許されたりしないの?

別にイラスト界隈にもうちょい寛容になれと言いたいわけじゃないが、なんでイラストだけこんなに神格化されてるんだろうな。

2023-03-13

母さんがガンで死んだ(追記

から連絡があり、母さんの体調が悪いこと、癌の可能性もあることを知らされる。母さんは自分意志でがん検診は受けていなかったから、不安を感じつつも、「姉は大袈裟からなー」と、大ごとになるとは思っていなかった。

ただ、残念ながら婦人科系の癌だった。コロナ禍ではあったものの、運良く地域の基幹病院入院することができ、溜まっていた腹水を抜いてもらったり、検査をしたりと、色々と処置をしてもらったらしい。

医者から一般論として「5年後にはいないだろう」という話をされたが、「医者は短めに言うんだろうな」と、前向きに捉えようとした。仕事の帰り、一つ手前の駅で降りて、歩きながら母さんに電話した。

「そうじゃないかと思ってたから、分かってスッキリしてるよ。子供たちは立派に独立して、みんな家族もいるし、私は思い残すことはないから。」

とサラッと話していた。なんとか気丈に話そうとしたが、涙が出た。帰宅し、妻に報告したら、また涙が出た。祖父を癌で看取った妻は「そんな簡単に亡くなりはしないよ」と、怒っていた。彼女なりに励ましてくれてたんだろう。

「何で癌で人が死ぬのか」ということすら知らないことに気づいて、いくつかの本を読んで、「多臓器不全で死ぬ」ということを今さらながら知った。

翌月、帰省すると、「で、何しに帰ってきたの?」と、とぼけたことを聞かれたので「様子見にだわ」と。特段変わった様子はなく、いつもの調子

溜まっていた腹水を抜いてもらって、楽になったらしい。「しばらくは大丈夫かな」と思う。翌朝、母さんは「そのうち、『あれが最後に作ってもらった朝ごはんだったな』ってなるわよ」と軽口を叩きながら、目玉焼きを焼いてくれた。

その後の検査で、癌はそれなりに進行していて、「ステージⅢの後ろの方」と評価された。外科手術や放射線治療を行う段階にはなく、化学療法プラチナ製剤)を試してみて、癌細胞が小さくなるようであれば、外科手術や放射線治療検討しようということに。

母さんは「『髪の毛が抜けることがある』じゃなくて『絶対抜ける』って言われたわ」と笑っていた。

程なく、抗がん剤治療が開始され、母さんの髪の毛が抜けた。この頃は、抗がん剤副作用が抜ければ、食べたいものだとかも色々あったから、買いだめしといてあげたりした。

実家家族帰省して、夜遅くまで母さんも交えて酒を飲んだりもした。まだ、言葉もしゃべれなかった娘も、母さんにはよく懐いていた。

副作用に耐えながら抗がん剤治療を続けたものの、思うような効果は得られなかった。

「癌の専門医先生の方がいいんじゃないか」という思いもあり、主治医先生にも相談の上で、セカンドオピニオンを取ることにした。

その道の専門医先生2名にお話を伺いに行ったが、どちらも「うちなら治るかもよ」だとか「この治療法よりも、こっちの方がいい」なんて話は、当然なく、今診てもらってる病院で、「そのままお世話になる方が良い」とやんわりと伝えられた。

それでも、「やっぱり経験値が高い専門医先生の方がいいんじゃないか」と、先の2名の先生のうちお一人にお世話になることにした。

細かく検査もしてもらったが、「やれることは限られている。選択肢がないわけではないが、リスキーな上、効果期待値は低いので、おススメはしない。本人の希望に沿うならば、通いやすい、もともと診てもらっていた病院で改めて診てもらっては。」

とのお話があり、結局、出戻ることにした。その病院からの帰路、高速道路の大きなSAに寄った。

あなたたちが小さい頃には、旅行の度に、いつもこのSAに寄ってたのよ」と懐かしそうに話していた。

ちなみに、今でもそのSAを通過すると、その時の母さんを思い出して、なんだか泣きそうになる。

改めてもともと診てもらっていた病院に伺ったところ、事前に調整はしていたこともあってか、主治医先生は嫌な顔一つ見せず引き受けてくださり、次の段階の抗がん剤(単剤)にトライすることになった。

これ以降、段々と体力の低下、食欲不振が顕著になりだし、当初は「抗がん剤副作用かな」と考えていた。思うような効果が得られず、抗がん剤の投与を中止してから状態改善しなかった。

母さんが癌であることは、母さんの希望もあって、積極的に知らせることもせず、また隠すこともしなかったが、状況を知った遠方の親類達が揃って見舞いにきてくれたりもした。

この頃は、まだ座ってコーヒー飲むらいのことはできていて、楽しそうにお喋りもしていた。

妹が介護休業を取り、母さんの面倒を見てくれることになった。その時点では、自分のことは自分でできていたし、正直言って「早いんじゃないかな」と思っていたが、結果的には、ドンピシャタイミングだった。

死ぬまでに行きたいと言っていたスカイツリー東京結婚式に出席したので、その足でスカイツリーに行き、ビデオ通話で見てもらった。「すごいねー」と笑ってくれた。

12月下旬は、早めの冬休みを取って実家に。妹からは、体力の低下が著しいということは聞いていたが、想像よりずっと悪かった。

ベッドの脇に座って吐いてばかりいた。思っていた以上の状態言葉が出なかった。夜も眠れず、食事も摂れず、水分を摂れば吐き。かわいそうで見ていられなかった。

足のむくみもひどく、母さん曰く、頭の中は「しんどい」一色だった様子。肩をさすったり、足を揉んであげたりしかできない。足をマッサージしてあげていると、少しの間だけ、寝てくれたのが、せめてもの救いだった。

そんな中、母さんは「とても渡せそうにないから」と、お年玉と一緒に娘の七五三の祝いを渡してくれた。涙が溢れた。母さんも「湿っぽくなってごめんね。」と言いながら泣いていた。年明けも早々に再入院。あまりに辛そうな母さんの姿に、打ちのめされてしまった。

母さんの希望は、「できる限り家にいたい」だったので、妹が訪問看護段取りを取ってくれ、病院には無理を言って予定より早く退院した。この訪問看護のチームが素晴らしく、親身になって、それも超速で対応してくれた。母さんは「病院から逃げ出して正解だった」と、喜んでいた。

急遽、仕事休み実家へ。妹と交代で診る体制に。眠れず、体の置き所がない母さんは、15分おきくらいで、姿勢を変えてあげなければいけなかった。辛そうだった。

少し話ができそうなタイミングで、「今までありがとう。母さんの子どもで良かったよ。」と口に出すと、涙が溢れた。喋るのも辛く、手をあげるのもしんどいはずの母さんは「何を言ってるの。こっちのほうが、ありがとうよ。いい子だね。」と言って、頭や頬を撫でてくれた。涙が止まらなかった。

妹と交代で眠りながら看ていたが、日に日に意思疎通がとれなくなり、意識レベルも低下。せめて、苦しまず、穏やかに逝かせてあげたいと、鎮静剤の量も増やしていった。眠る時間が増え、顔をしかめる頻度も少なくなり。

「母さん、先に横になるね。また後でね。」と声をかけて寝ようとしたところ、ほとんど意識のないはずの母さんが、少し手を上げて応えてくれた。「バイバイしてんの?」と、妹と2人で笑った。

その晩、妹に「やばいかも」と起こされ、会ったときにはほとんど呼吸もなく。子供3人が揃ったところで、母さんは静かに息をひきとった。目を瞑り、とても穏やかな顔だった。皆、口々に「お疲れ様。よく頑張ったね。」と母さんの闘病生活の終わりを労った。

泣き崩れてしまうかもと思っていたが、不思議と涙は出ず、ホッとしたような気持ちになった。

訪問看護に連絡したところ、深夜にも関わらず、看護師さんが来てくれた。死亡診断は医師しかできないとのことだったが、脈拍を見たり、瞳孔を見たりして「確かに亡くなられていますね」と手を合わせてくれた。

そこからは、子供三人で、看護師さんの指示に従って、母さんの体を拭いたり服を着せたり。服は死装束じゃなく、妹が見繕ってくれていた、いつも母さんが来ていた服を着せることにした。

最後看護師さんが、母さんに化粧をしてくれると、すっかり血色が良くなって、まるで寝てるみたいだった。

看護師さんが帰られてからは、葬儀屋を探したり、段取り役割分担を話したり。葬儀屋は、空いてるところに頼むしかなかったというのが実態で、なんなら「火葬場に直送しろ」くらいのことを言っていた母さんの考えとは違ったんだろうけど、普通に葬儀屋に頼むことになった。

一旦、各自寝て、翌日以降に備えた。

翌日は午前6時の医師の死亡診断に始まり、寺や葬儀屋との調整や、親類への連絡、行政関係手続きなどで忙殺され、あっという間に通夜になった。どんな感じで動いたのか、正直、思い出せない。

覚えているのは、いつも気にかけてくれていた母さんの友達が、偶然訪ねて来られ、母さんに会って「信じられない」と泣いてくれたことと、一報を受けた母さんの義姉にあたるおばさんが寄ってくれて、母さんに会って「寝てるみたい」と泣いてくれたこと。

おばさんは「お母さんは若い頃はお父さん(自分祖父自分が小さい頃に他界。)と、喧嘩ばかりしててね。今頃、お父さんから「うるさいのが来た」って言われて、また喧嘩してるかも。」と、知らない話をしてくれた。

納棺ときには、たくさんの花と一緒に父さんの写真や、自分を含む子ども写真を納めた。

短い髪の毛の頭には、ウィッグをつけたかったんだけど、生前に「あんな高いものを燃やすなんてもったいないから棺桶には入れるな。」と言われていたので、やむなく頭はそのままに。誰が使うんだよ。マジで

葬祭会館で通夜を終え、そのままそこに泊まることにし、姉と妹は一旦、家族帰宅。酒を飲みながら待ち、時々、隣室の母さんの顔を覗きに行っては、線香をあげ、その度に泣いた。

夜中の2時になっても、誰も帰って来ず、体力的にも限界だったので、寝た。深夜に姉が、朝型に妹が戻ってきた。

翌日も葬儀火葬バタバタ。孫たちが大騒ぎしてくれたおかげ(?)で、終始、湿っぽくならずに済んだような気がする。母さんも、「あんたらねぇ」と笑ってくれただろう。

母さんが望んでいたような「火葬場に直送」じゃなくて、普通見送り方にはなってしまったけれど、許してくれると思う。

それから職場に復帰するまでは、皆で家の片付けや、クレジットカードの解約やら銀行関係やらのたくさんの事務手続き、親類縁者への連絡などを分担して対応している間に、あっという間に過ぎていった。

その間、近所の方だとか、母さんの旧来の友達だとかがたくさん弔問に訪ねてきてくれた。皆が口々に「いい写真だね」と言ってくれた祭壇の遺影は、母さんが自分で選んで、わざわざトリミングまでしていたものだったから、本人も満足してるだろう。

母さんの旧来の友達からは、母さんの若い頃の話や、その後の友人関係の話しを伺った。学生時代のことや、社会人時代のことだとか、自分が知らない母さんの一面をたくさん知ることになった。

当たり前だけど、母さんは「母」としてだけでなく、一人の人間として、たくさんの人と関係を作り、それを続けていたんだなと気付き、なんだか新鮮な気持ちになった。

そういえば、ウィッグ友達の一人で、自分もよく知っているおばさんが貰い受けてくれることになった。何度も「管理が大変だけど大丈夫?」と聞いたけど、それを踏まえて快く受け取ってくれた。

ウィッグ販売店には、その旨は連絡しておいた。弔問に来てくれた時にお渡ししたところ、母の遺影に向かって「返さないからね」と笑っていた。

思い返してみると、母さんが癌になってからというもの、母さんとは色んな話ができた。父さんのことだとか、嫁いできた経緯だとか、これからのことだとか。

癌との闘いは、とても辛かったと思うけど、近い将来確実に訪れる「死」に向かって、本人も家族も、心の整理も含めて、時間をかけて準備することができたように思う。僕は癌で死にたくないけれど、そんなふうに、ちゃんと準備をして死にたいなと思う。

母さん、ありがとう。母さんの子どもで良かったよ。

追記

たくさんの方に、暖かな言葉いただき、恐縮しておりますありがとうございました。

私自身が、母さんが癌になるまで癌のことを何も知らず、また、どのような経過を辿るのかを知らなかったので、「自分用に書いたけど、同じ境遇を迎えてたり、これから迎えるかもしれない誰かのためになるかも」と、乱文を投稿させていただきました。

野暮かなとも思いましたが、いくつかコメントいただいた内容を踏まえ、その趣旨に合うかなとも思うので、いくつか追記いたします。

母さんが癌の宣告を受けたのは、2月上旬で、翌年の1月中旬に60台後半で他界しました。10月頃まではまずまず元気でしたが、以降は段々と体力の低下が顕著になりました。12月中旬までは、体調が良ければ妹の運転ドライブに行く程度の元気さもあったのですが、食事を受け付けなくなってからは、あっという間でした。思っていたよりもずっと早い経過だったので、「もっと会いに帰ったら良かった」と思うこともありますが、「そうさせないところが母さんらしいな」とも感じています

経過は個人差が非常に大きいものだと思います。母さんよりも早い経過を辿る方もいれば、もっと緩やかな経過を辿る方もおられるでしょう。早い経過を辿ることを前提に、たくさん話し合って、準備をしておいた方が良いと思います特に、残された時間はできたら住み慣れた自宅で過ごしたいという方が多いと思うので、それができるよう、家族介護+訪問看護体制を整えられるかをしっかり考えておくべきだとも思います。うちの場合は、姉が実家比較的近くに住んでいたこと、妹が介護休業に理解のある職場環境だったこと、また、訪問看護のチームが素晴らしかたこと等、様々な要因が重なって、自宅で看取ることができました。

なお、母さんがやっていてくれた事で本当に助かったのは、エンディングノートをしっかり書いていてくれたことと、重要書類(通帳、カード年金手帳マイナンバーカード等)を整理してくれていたことです。特に、亡くなったことを誰に知らせるのかは、親類縁者ならまだしも、友人関係ほとんど分からなかったので、これがなかったら不可能でした。「私も書くから一緒に書かない?」と、提案されてみても良いと思います

長くなってしまいましたが、皆様の一助になりましたら、幸いです。皆様のコメントから、元気をもらいました。改めて、ありがとうございました。

2023-03-11

猫の肛門愛猫家の正しい振る舞い

愛していた飼い猫が他界してもう10年になる。

子猫彼女に初めて出会ったときからお互い通じ合うものがあった。私は彼女が大好きだったし、私は彼女もっとも信頼する人間だった。

私がソファに座ってテレビを見ているとき彼女は他の家族がいないときを狙って私の膝の上にのり、私の顔に肛門を向けた。

嘗めて欲しいという彼女意図は伝わったが、さすがに猫の肛門なめるのはためらわれた私は、いつも口をすぼめて息を彼女肛門に吹きかけた。

彼女はいつも「うひゃ」という反応で尻をどかし、私のほうをちらっと見てもう一度改めて肛門を私の顔の前に突き出す。

私は、肛門の代わりに彼女が満足するこめかみや顎を愛撫することで彼女要求有耶無耶にするのが、いつもの私たちルーチンだった。

最近彼女を思い出すたび、肛門を突き出されたときどう反応するのが正解だったのだろうと考える。

世間愛猫家は、公開していないだけで実は愛猫肛門をなめているのだろうか?

彼女はもうこの世にいないが、あの肛門をなめてあげたら、どんな反応をしたんだろう。

anond:20230311085306

以下のくだりが、とても印象的だった。

その時にわたし出身地名産が好きで、通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね、とさりげなく話題をそらしてくれた年配の男性がいた。

その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分神戸出身でさ」と言われた。

恥ずかしい話、「神戸出身から」と言われて私は何も分からなかった。

私は自分地震津波被災者で、東北で育った私たちが一番の被災者で、今後数十年はわたしたちが一番のかわいそうな立場だという感覚を持っていた。

「なぜ急に神戸?」とポカンとして「はぁそうなんですか…」と雑に返した気がする。

その後、関東に戻ってしばらくしてから、何がきっかけか覚えていないがオウム真理教の話になったとき

上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウム事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて

やっと気づいた。


ひとの災害経験というのは、ほんと様々で、一概にかわいそうな被害者としてのっぺらぼうな面をみるわけにはいかないよね。

自分けが被害者面していたかも、という気づき。こういうちょっとワンクッションおいて、時間が経って考えること、こういうのが大切なんだと思う。

ただ、被害者という言葉共通項を見出したとしても、阪神淡路大震災経験したひとと、東日本大震災経験した増田がこうして、何かのきっかけでお互いの体験共通部分に触れようとしたときでさえ、お互いが経験したものの奥行や背景は全く違う。でもそれは、もっと言葉を交わさなければみえてこないもの

多分、増田上記言葉を交わしたとき、その手前でふと立ち止まって考えたんだと思う。

ひるがえって自分の親戚の話。自分語りをトラバに混ぜるのはなんだかな、と思うところもあるが、テーマ性質上書かせてもらう。津波から数日後、東北もっとも大きな漁港ひとつで、親戚が経営していた漁業関連会社生産工場が全滅したとの一報を受けた。一方、杜の都に住む息子娘世代は全員無事だったという朗報にほっとしたことを思い出す。

しかし、それよりも震災から半年くらい経って、父が一言つぶやいた言葉のほうが忘れられなかった。

父は東北我が家家系からすると、よそから婿養子だった。

その父が他界した親戚をふりかえってぽつりとこうつぶやいた。

「あれは天罰のようなものだったんだろうね 」と。

期待していない予想外の冷徹つぶやきに私は動揺した。

他界した親戚一家は、さかのぼると、昭和8年津波の前から漁港生計を営んでいた。1933年津波で多くの財産を失った親戚は一から再建する際に、同じ場所でやり直すのはやめるべきだと再三にわたって、周囲から助言されていたという。しかし、結局、同じ場所人生をやり直し、次世代が引き継ぎ、そして次第に事業規模が大きくなり、津波記憶が遠ざかっていくなかで、そのまた次世代の方々が財を成し、地元の名士として羽振りよく、親族のなかで存在感を持つに至る。そんななかで、半世紀以上前東京に出て行った東北の令嬢が結婚前の父と出会う。

大切な令嬢(大地主の長女)をどこの馬の骨ともわからないよその県の小作人末っ子風情に嫁がせるわけにはいかない、という大反対の嵐。本家からなにから親戚中の冷たい目線。結局、結婚は許されて、父は母の家系に婿として入ることになるのだが、その時に受けた屈辱を忘れられないらしく、東日本大震災で全滅した親戚に対して、天罰、という言葉自身のつらみを含ませて表現したのだった。

父にとっては、かわいそうだね、では決して片づけられない感情

個人的には、なにより、貧しい者も栄華を誇った者も等しくなぎ倒した大津波の、客観的な、物理的な力に圧倒せざるを得なかった。

たとえ、誰と震災経験の話をするとしても、このようなパーソナルヒストリーの違いによる温度差は避けることができない。そう思っている。

震災経験していようがいまいが、あるいは同じく焼け出された隣人でも同じではない。大地震大津波破壊力を前には、あの家は無事だった、無事でなかった、そういうさまざまな経験がそれぞれにあるにすぎない。

こうしたファミリーヒストリー視点でそれぞれの思いがある一方で、

上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウム事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて

やっと気づいた。

という上司言葉。そして、「やっと気づいた」という言葉。このつながり方は、大変興味深い。「あの年は~」というのは個々の経験の違いを超えた、歴史を振り返った俯瞰的な総括を含んでいるからだ。1995年という時代、そういったマクロ視点での気づきをもたらすのも災害だ。

そして、それが何かの理由で、自分自身ファミリーヒストリー神戸出身者とのちょっとした会話と結びついたのだとすれば、それは自分ある意味「かわいそうな」私的な思いを、歴史の一コマなかに着地させようとする、そういう覚醒だったのかもしれない。

実をいうと、よりマクロ視点で、それぞれの災害にはそれぞれの社会的な背景があり、その脆弱性被害を増幅させている、という視点最初に提起したのは、阪神淡路大震災だった。

1990年代以前は、災害被害者というのは、災害管理文脈で救援対象として、比較ステレオタイプに捉えられていた。しかし、その認識を大きく変え、都市社会構造脆弱性に関心が高まったきっかけが1995年震災だった。こう書くとなにやら上から目線風だけど、阪神淡路大震災自分仕事として防災世界に入るきっかけを作った。

ざくっとまとめると以下のような歴史神戸にはある。

神戸都市としての成り立ちは、明治の初め、神戸港が開港された時から始まる。以降、港湾労働者が多く流入低所得層脆弱埋め立て地や条件の悪い内陸部へ集住するようになる。他方で、20世紀鉄道時代に入ると、阪神間交通網が充実し、六甲山ろくに高級住宅地が開発されるようになる。高度経済成長期には六甲の開発で切り崩した丘陵地住宅地建設、その残土で海岸が埋め立てられ、工場用地や港湾建設が進められていく。おりしも公害問題が深刻化した時代都市生活環境はますます深刻化していった。そんななか、オイルショックを契機に産業構造の転換という時代の変わり目を迎え、神戸産業シンボルであった造船、鉄鋼は停滞してゆく。それは関連する神戸の零細地場産業を苦境に陥らせ、今度は人口流出が起こり都市部の空洞化が始まった。都市部に残っているのは、流動性の低い層つまり高齢者低所得者ばかりとなった(インナーティ形成)。

これに対して1980年代神戸市の政策的な対応としては、財政問題の打開が先行した。バブル前の当時の考え方では、大規模開発こそが地域経済再生をもたらすと信じられていた。埋立地の利用による、ポートラインラド、六甲アイランド建設物流機能強化のための明石大橋建設最先端技術産業の誘致、ニュータウン建設など、新たな付加価値の創出が事態打開の切り札だった。

その一方、社会脆弱層への支援行政による市街地再生は後手に回っていた。

オイルショック後の産業構造の転換で取り残された低賃金労働者の町、老朽化の進んだ木造住宅密集地域長屋建ての住宅の占める割合の多い市街地長田区スラムのようなオールドタウン)は新陳代謝が進められなかった。地震対策の上でも洪水対策の面でも取り残された街となった。どのような地域であったか番町地区検索をしてほしい。

このような経済格差脆弱性が生み出された、マクロ構造変動のなかで襲ったのが1995年大地震であり、被害社会経済的脆弱な人々に集中した。暴力団員が懸命に救助活動していたエピソードを覚えている人もいるだろう。そういう街だった。

社会学的な視点でみれば、この地震の教訓として、被害高齢者低所得者に集中したのは、ある意味歴史的必然だ。格差が生み出された背景などのマクロ政治的経済的な動向と切り離せないということだ。

そして、このような格差脆弱性という切り口でみる構造分析は先月発生したトルコシリア大地震でも、当てはめることができる。

このように、可哀そうな存在というのを社会学的に脆弱性として構造的にとらえる、ひとつきっかけは、やはり他の災害を知るということであるし、昔の災害を知るということだと思う。

パーソナルヒストリーとしてお互いに触れあうことで、お互いに違うバックグラウンドにあることがうすうすわかってくる、それもまた、大切な気づきなのだと思う。

また、パーソナルなコミュニケーションが、例えばまさに「通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね」みたいな会話、これが実はマクロ特性を知るうえでも、その人のパーソナルヒストリーをしるうえでに、もっと重要エントリーポイントだったりする。仕事上、ひとから話を聞くときにいつも気に留めていることでもある。

からトルコシリア現在進行形震災について全体状況を大きな視点理解している国際機関よりも、よりミクロ視点で、特定家族地域の人たちにコンタクトがとれる小規模のNGO支援団体に私自身は微力ながら支援金を送付している。たまたまシリア難民支援をしている人と知り合いの知り合いくらいの関係SNSでつながっていたのがきっかけだ。アサド政権物資を止めてしまう現状も現地の声としてより関心を持つようになった。そのほうが確実に、受け取った人の顔がみえ、困っている状況がミクロにもマクロにもわかってくる。自分支援したお金支援先の一家族あたりの支援額(しか第一バッチ)の1/4にも満たないことを知る。こういうことも大切だと思う。

そのように、何かをきっかけに、他の災害に対して接点を持つ機会を大切にしたい。

その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分神戸出身でさ」と言われた。

というのは、居酒屋トイレ洗面所とかで何気なくかわす会話、とか想像していたのだけど、そういうのが大切だよね。そういうのが心の残って覚えている、ということがさ。もちろん完全にひとのことを理解するなんてことはどんなに会話を交わしてもない。でも覚えてさえいれば、そのなぜか覚えていた思いを何かにつなげることができる。その「きっかけ」というのはとても大切に思う。

災害を忘れない、というのはそういうことだと思うので。

anond:20230310003812

そんな悩みもあるんだな

相手方の両親は結婚の時には他界してたし

自分父親結婚して1年ちょいで亡くなった

どっちの実家も遠方で双方とも義実家・親戚付き合いとかほぼ無い

家族家族ぐるみの付き合いとか煩わしいけど、無いとそれはそれでさびしいもんだなとは思う

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