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はてなキーワード: 新興宗教とは

2017-04-23

http://anond.hatelabo.jp/20170421215211

まず、どんな深い思想も極端、一面的、偏った、側面を持っている。どれかを信仰するということは他の思想と必ず対立する。

二つ目、私は養老孟司さんがよく引用する、丸山眞男日本思想はないという主張が正しい気がする。しかし、養老孟司さんはこうも言う。人は何かを信じずには生きていけない。よって、日本人思想をもたないという、世間常識を信じている、と仮説を立てる。(さら引用されるのは踏み絵の話だ。本心はどうでもいいが、建て前として踏み絵すら踏めないという人は世間から弾かれた)

最後に、確かに新興宗教に対する差別意識はなんの根拠もない不合理なものだが、(よくよく自分が信じているもの、なぜ自分安心して生きていられるのか、を検証してみれば数々の根拠の無いものを信じている事に気付くだろう)

相手は世にまだ出たことのない学生である世間知らずの学生新興宗教の組み合わせにある距離感を抱かないとすれば、それを良識のある大人と言うのだろうか?孔子曰く、君子危うきに近寄らず、と。

2017-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20170421215211

キリスト教2000年ほど前には白い目で見られる新興宗教だったし、仏教も2500年くらい前までは社会に許容されない新興宗教だったはず。

この数千年間に無数の新興宗教誕生しては消えていったんだと思うけど、その中で世界シェアのおおきな宗教が今まで生き残ってくる過程において社会性を獲得してきたと考えられるし、また社会に浸透した後には社会構成する一要因ともなっている。だから多くの人に許容されているのだと思います

たとえば天理教立教180年くらい)は明治初期に弾圧を受けていたはずだけど、今は問題なく認められているわけで、おおよそすべての新興宗教歴史の流れの中で消えてゆくか、そうでなければ時間をかけて社会性を獲得して許容されていくという、当たり前の流れがあるのだと思います

そうであれば、元増田違和感は当然のことであり、新興宗教という未だ社会的に認められているといえないものを警戒する普通心理状態ではないでしょうか?

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新興宗教場合信仰を持ってるだけでなく、広めようとする可能性が割と高いからじゃないですかね。

カトリックヒンズー教でも、熱心すぎて周りにセミナーミサ)に参加しないか誘ってくるような人はやはり信用出来ないでしょう。



そして、仏教カトリック等、生活干渉しない範囲のゆるい感じで所属できるメジャー宗教が周りにあるのに、

敢えて少数派である新興宗教信仰し、その更に信仰を明らかにしているような人は、

「そうしなければならない何らかの理由がある」という想像が働きます

そこで想像される理由なんて、あんまりマトモな物は思い浮かびませんよね。



そんなわけで、新興宗教信仰してる人は「何か信用できない」という印象を受けますし、

そう考えるのがおかしいとは思いませんね。

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仏教その他のオール宗教だって、成長過程では社会との様々な軋轢経験してきた。

キリスト教だってテロどころか大虐殺や、国家間戦争引き起こしてきた。決して「安全」な教えではない。

ユダヤ教からみれば、キリスト教イスラム教も、同系列新興宗教だ。

ただ彼らオール宗教には、「どうにかこの社会とそれほど揉めずに折り合いをつけてきた」この数百年の歴史がある。

そこが、たかだか100年以内の歴史しか持たない新興宗教との違いだ。



宗教は、人に、既存社会システムとは異なる原理を与えることで、そこから零れ落ちる思いや悩みを救済する側面がある。

から社会にとって危険でないもの宗教ではないし、あるいは、宗教社会システムが結びつきすぎると、社会自体ヤバい方向に行く。

両者は、仲良くできないものなんだ。

成熟して社会と折り合いをつけることは、見ようによっては宗教の「堕落」かもしれない。

だが「堕落」してない宗教は、社会的には危うさをはらんでいるんだ。

宗教は「堕落」することで何とか社会と折り合いをつけているのだ。

オール宗教増田の感じる安心感新興宗教に感じる不安感て、そういうものだろう。

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科学資本主義宗教ですよ。1+1=2とか、お金とか、信じてるんじゃないですか?日本人は周りの空気も信じてますよ。オウム地下鉄サリン事件で、実行犯だった広瀬さんの手記が参考になります。長く続いている伝統的な宗教には、世間と折り合っていく知恵があります。禅では、悟りを開いた後に里に戻る、という教えもあるそうです。新興宗教には、その知恵が欠けているんです。

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信じてる内容はともかく、ほとんどの新興宗教は強引な勧誘(軽い勧誘から軟禁まで程度の差はある)が迷惑なんだよな

軽い勧誘でも社内でやられたら仕事に支障が出る

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新興宗教問題は、開祖(もしくはそれに近い人物)が「存命」であるということ。

まり、神ではなく神≒人を信仰しているのに近いことが問題である。もちろん、新興宗教といっても基本的に神仏を信仰しているわけだが、開祖(もしくは近い人物)が存命のため、信者に与える修行世俗的になりがちだ。

開祖1000年以上を経た宗教には「信者を増やせ」「お布施を集めろ」「新聞いかが?」「本買って」「壺はどう?」「ジハードせよ」といった世俗に近い「使命」を強要するところはあまりない。それをやれば新興宗教と変わらないからだ。

新興宗教と定着宗教の違いは、そういう意味では「布教活動が既にある程度完了しているか」「布教活動世俗と結びついてないか」「開祖(に近い人物)がまだ世間に存命か?」というのが一つの基準になる。

イエスにしても、ブッダにしても、マホメットにしてもやはり人間が神に近いところまで昇華するには1000年はかかる。池○大作や大○隆法あたりがそこに至るにはまだ900年ほど足りない。

新興宗教の何が問題かと言うと

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崇拝の対象教祖人間)だという事じゃないのかな?

いう事変わったり、突然切れたりする可能性あるわけじゃない?人間だもの

で、思考停止信者暴走するわけでしょ?

めっちゃ怖いっしょ。だから危険

2017-04-21

信仰とは何なのか

私は特定宗教信仰していない。

教会結婚式を挙げ、子供七五三には神社祈祷をしてもらい、多分死んだらお寺でお経を読まれるであろう、ある意味典型的日本人だ。



今日とある宗教団体若者達と話をする機会があった。彼らの身分学生で、あと何年かすれば社会に旅立って行く子達だ。

彼らに会いに行ったのは仕事の付き合いで、正直気乗りするものではなかった。私の仕事について講義をし、簡単ディスカッションを行うといった内容だ。

仕事柄、こういった講義の依頼は大学専門学校などから年に何度か受けているのだが、今日講義ディスカッションを受けた学生の質は、非常に高かった。そして私が感じた率直な思いは、「こういった形で出逢わなければうちの会社に欲しいところだ」というものだった。

彼らの団体に対する依頼を受けた事で、彼らは私をその宗教理解のある人、つまり味方であると捉えている。私に対しては自分信仰さらけ出してもいいのだと信頼をしている。しか申し訳無いが、私は別にその宗教に対する理解者では無いのだ。ただ信仰を持っている人達だという理由で避けたり差別すべきで無いという精一杯の倫理観で引き受けたにすぎない。



結果今、私はひとり思い悩んでいる。

素直で、熱意を持って私の話に耳を傾けてくれる優秀な彼らを心から信頼し、受け入れる事が出来ない自分に。

頭のすみに「得体の知れないもの」という一抹の不安が引っかかり続けている自分について。


私の会社にはクリスチャンがいる。しかし私を含め誰一人、その事で不安になるものは居ない。よく行くカレー屋のインド人ネパール人かも知れない)はヒンズー教人かも知れないが、だからどうしたといった感じだ。優秀なプログラマであればヒンズー教人のインド人を雇う事に躊躇はしないだろうし、親戚の婆ちゃんが頻繁にお寺にお参りに行く事を微笑ましくさえ感じている。


しかしこれが新興宗教となると気持ちが一変する。私の中の警告アラームが鳴り出し、倫理観で抑えようにも抑えきれずにいる。そしてこれは私だけの感覚で無いと確信さえしている。

仮に今日会った彼らの事を社員説明し、将来彼らを雇うと言ったら反対する者が一定数いるだろう。反対を押し切って入社させれば、「退職します」と言いだす者も出てくるかもしれない。

この差は何なのだ。なぜ受け入れられる信仰と、受け入れられない信仰が、無宗教である私の中に既に形成されているのだろうか。

そんな事を考え続けいるのだが一向に答えが出ない。

2017-03-27

祖母から「良い旦那さん見つけて結婚しなさいよ、子供も育てなさいよ」と最近圧力をかけられている。申し訳ないけど私はまだ学生だし結婚願望も子供願望もない。しかも驚くほどにブス。そしてADHD一歩手前のコミュ障っぷり。

ごめんね。貴方にひ孫の顔は見せられない。だって私には自分遺伝子自分の手で絶やすという責務があるんだから。私はあなたの娘が、私の母さんが、嫌いなんだ。マルチ新興宗教に走り、気に食わないことがあれば子供のように癇癪を起こし思い通りになるまで怒り続ける母さんが、だいっきらいなんだ。

2017-03-23

母を幸福にしてくれない宗教が嫌いだ。母を幸福にできない自分も嫌い

私は某宗教三世だが、某宗教死ぬほど嫌いだ。

親戚の手前、はっきりと口に出せずにいるが、信者との接触のたびに腹わたが煮えくり返り、その日、一日中気分が悪い。

うちは祖母が熱心な信者で、他宗教には排他的他者にも信教を強制しようとする、ネットで語られる新興宗教信者体現したような存在だった。独善的独裁的で他者反論を許さな祖母が私は大嫌いだった。

娘の母は二世で、家庭環境から価値観としての信仰はあるものの、他者布教はしない消極的な(熱烈信者からはよく思われないタイプの)信者だった。祖母とは真逆のやさしい人で、私は母が好きだった。

私自身は記憶もないうちに入信させられた三世で、新年に謎の会館で数珠で遊んでいたり、自宅で行われる謎のイベントに参加した記憶はあるものの、物心つくと次第にその慣習が疎ましくなっていた。

思春期を過ぎた頃には、内心では完全にアンチと化しており、会合の誘いはのらくらと断り続けたし、選挙活動もその場は適当に応じながら、絶対に票は投じなかった。

近所で信者挨拶されるたびに苦笑いと胃のムカムカが止まらず、挙句の果ては、当てつけのようにこれまた新興宗教の某証人の話に耳を傾ける始末だった。

この憎しみにも近い激しい感情がどこから来ているのか、ずっとわからなかった。

私は「母を幸せにしてくれない」から宗教が嫌いだった。

そして、私は「母を幸せにできない」自分も嫌いだった。

母は数十年、うつ病に苦しんできた。

うつで寝込んでいる母を、祖母信心が足りないとなじり、私に母のために信心するよう強制した。

祖母への反発が強かった私は、祖母の前では頷きながらも、絶対に祈らなかった。

私が祈らないから、母は治らないのかもしれない。

母のために祈れない私は冷たい人間なのかもしれない。

私が母を不幸にしているのかもしれない。

私は「母を幸せにしてくれない」宗教を憎むことにした。

「母を不幸にしている」自分を憎む代わりに。

私は「宗教」というフィルターを通して、「自分」を憎んでいた。

宗教を憎めば憎むほど苦しくなるのは当たり前だった。

自分罵声を浴びせ続けるようなものだったからだ。

私が某宗教を嫌いながら、表面上それを表に出せなかったのは、私の行動の責任が母にまで及ぶことを恐れていたからだ。

私が脱会することで母が信者内で悪く言われるかと思うと絶対脱会できなかった。

玄関先に挨拶に来た議員候補を追い返したかったができなかった。

宗教を捨てることは、母を捨てることだった。


幼い子供は親が怒っていたり悲しんでいたりすると、自分のせいだと思い込む性質がある。

両親が不機嫌だったり、落ち込んでいたりする家庭で育った子供自己肯定感が低くなるのはそのせいらしい。

親を幸せにできなかった挫折感は、「自分は人を不幸にしている」という呪いになる。

殆どの人は、その呪いに気づけないまま、一生、謎の生きづらさを抱え込む。


私は母の幸福を諦めることにした。

引っ越したら脱会届を書くつもりでいる。

結局、私は母を捨てたのかもしれない。

2017-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20170321230324

自分家族新興宗教にハマろうが北朝鮮ISISに傾倒しようが同じことが言えるならいいけど

そうじゃないならクズなのはお前

共謀罪人生を狂わせないための掟

近頃共謀罪が可決されるようです。いろいろと危ない法律だと言われていますが、一番困るのは、その法律によって指定される犯罪者の仲間入りをするということです。

しかし、この掟さえ守れば共謀罪人生を棒に振らずに済みます





この書き込み拡散していただいて構いません。むしろ拡散感謝しています

ぜひ、この掟だけは絶対に守ってください。人生を棒に振らないためにも…。

2017-03-16

日本会議的なるものや人たちが、あれに惹かれて籠池氏のように稲田氏のように隙だらけのマヌケ暴走をしてしまうのは

結局、自分が持ってる能力以上に権力を持ちたいからなんだろうなと思う。言葉は悪いが馬鹿のくせに威張りたいというか



ゆがんだ家父長制度のなれの果てというか、威張る力すら本当はない力のないものたちが、

幻想の「明治家父長制度的な父権」にあこがれて、おれもあのように権力をふるいたいと願う

己の力のなさを隠すために「強い父=天皇制」を利用する、というか虎の威を借る狐となる。

から彼らは平気で極右である一方で、平気で不敬なことをやったり言ったりする。本当に陛下を敬っているわけでもなくて

しろ天皇機関説的な不敬なんだけど、残念ながら馬鹿から気付いてないんだろう

平成天皇のお考えとはおそらく異なるであろう帝国主義思考、行動へまっすぐ突き進む。

現実に生きていてアジア贖罪の旅を続ける陛下はむしろ不要とすら思っていかねないほどの思考ねじれは

こう考えると理由がつくんだ



稲田氏は父親ゆずり生粋日本会議教徒安倍麻生は二人とも「不肖」であることが、

ファザーコンプレックス的というか、示唆的というか皮肉と言うか。

まぁ、安倍麻生宗教としてどこまでのめり込んでいるか分からん

安倍夫妻に関しては不妊という大きな悩みもあっただろうし第一政権時のぽんぽん痛い辞任の件もあるから

宗教的にのめり込んでもおかしくないようにも思う

そもそも安倍麻生の二人とも、先祖代々のカネモチのくせに馬鹿だもんなぁ。金掛けても馬鹿って相当だぞ。

普通はある程度金持ちなら、馬鹿に生まれても徹底的に金掛けてもうちょっとましな大学行けるのにアレだもの

そりゃ新興宗教にのめり込んでもしょうがない、かもしれん

2017-03-15

西暦3000年の世界

混血が進んで白人黒人黄色人種もなくなっている。

言語マイナー言語が途絶えて今の半分くらいになっている。全世界人類英語を学ぶように統一される。

宗教は今と変わらず旧来宗教新興宗教が混在して対立が続く。

2017-03-01

https://togetter.com/li/1085915

オウムあん大事件をおこすとは思ってなかったけれど、なじみのない団体でもなかったんだよな。

かといってそこまで脅威も感じてなかった。

変なのーとかキモいwwwとか言ってたけど、人の生き死にに関わるとは思ってなかったから。

事件の内容はニュースやらなんやらで繰り返されるけど、そこに至るまでの間の一般ピープルの受け止め方っていうか。

時代の気分(?)ってどんどん再現するというか伝えるのが難しくなっていくのかもしれない。

これ読んで、ああ自分はちょうど吉田豪春日太一の間に生まれたんだなーと。

(ああいう兄とこういう弟に挟まれたらスゴイwけどそういう意味じゃないよ)

テレビをそんなに見ない家だったので、とんねるずとか朝生とかに出ているのを詳しく見た覚えはないんだけど。

じゃあどこでオウムを見聞きしていたのかーって考えてもどうでもいい思い出しか出てこない。


多分、最初記憶小学校の頃に近所の誰かが入信したとかい母親どうしのうわさ話。

70年代にじゃんじゃんばりばり造成した横浜の外れに住んでいたので、クラスの中でサラリーマン家庭じゃない家は商店街にお店を構えてる子1人しかいなくて。

一方で、新興宗教に入っている家の子は2人いたし、同じ学年じゃなくても近所にポツリポツリいたのね。

今思えば新興宗教から見れば良い狩場だったんだと思う。

から受験に失敗した●●さんちのXX君がヨガにはまってオウムに入ったとか聞いても、なるほどなーくらいの。

入信してから生前分与を求めているとか聞いても、なあにそれ?みたいな。へぇ大変なのだねーくらいの。

中学の頃は真理党選挙活動をしていたので、学校帰りに選挙カーを見た友達が「ショーコーショコー」って真似してて超笑った。

から「しょうこ」って名前友達の語尾を伸ばすとすごい嫌がられた。

ロングヘアの小汚い人をオウムっぽいって中傷するのもこの頃流行った。地味目の女子には非道言い草だったと思う。

高校に通ってた時には、たまに最寄り駅のバス停に「原始仏典講義」という麻原の顔写真付のカラーポスターが貼ってあってギョっとした記憶も。

なんでギョっとしたかというと、ロータリーに立ってる案内板とか屋根とかの柱という柱に全部貼ってあったから。

今なら軽くTwitter炎上しそうだけど。

同じポスターがある日、自分の住んでいる街中に貼られた事もあった。

さすがに人の家の塀には貼れないから、空き地公園とかの基礎部分のブロックにまとめて5-6枚ずつ貼ってあって。

歩いても歩いても同じポスター出会うのはシュールだった。

でも翌日には何もなかったように剥がされていて、母親に言っても「そんな事あったの?」と言われて狐につままれた気分だった。

この頃ずっと隣の駅に住む坂本弁護士一家失踪したままだったけど、近所に住む子とは誘拐かなー怖いねーって言い合ってた。

大学では、貧乏友達がマはポーシャのパソコン研究をしていた。

なんたって安い。

起動する時に怪しい画面と音楽が流れるけど、変なサブリミナル効果洗脳とかされてないといいなぁとか言って笑ってた。

どれもいろいろと変なんだけど、背後にどんな意図があって目の前にしているのが何の片鱗なのかちっとも分かってなかった。

今で言うならおもしろ画像とかビデオでわっと拡散して、ああまたやってるなぁキショいなぁって終わる感じと似ているかもしれない。

同じ新興宗教でいえば、家にやってきては玄関先でギターを弾くエホバの証人とか、

子どもにいろんな「しつけ」をする学会員の家に町内会用事であがるのにどうするのか、とかの方が身近な脅威だったせいかもしれない。

サリン事件はちょうど春休み縦走登山している間におこった。

下山して新聞を見て、あんまりの非現実ぶりと、距離の遠さで、クラクラした。

山に登る前にいたのと同じ世界に降りて来たのかなぁ・・なんて事を思った。

都内通勤・通学している家族が巻き込まれていたかもしれないとか、その時は思いもよらなかった。

家に電話して全員の無事を告げられてから「これで誰か亡くなりでもしていたら他の世界線に迷い込んだと一生信じただろうなぁ」とか思った。

10日後に国松長官が撃たれた時、心臓が三回止まったけど国の威信をかけて蘇生したみたいな話は新聞記者になってた先輩から聞いた。

国の警察トップオウムにやられてたまるか、って現場はピリピリしてたとか。

なるほどー私みたいな一般人が間違って撃たれた場合心臓1回止まったら死ぬんだろうなぁ、なんて思った。

どうでもいい思い出を連ねてみても、確かに何も出てこない。

そんなに受け入れていた気もしないけど、潰さなければ殺られる!といった危険を感じた事もなかった。

でもどこかに決定的に不味い兆候が見えていたはずで、それを乗りで見落としちゃったに違いないとも思っている。

それに、何も分かってなかった自分がいま生きているのは単純にラッキーからと知っている。

新興宗教を信じるのは自由だけど。

関連おもしろニュースをおちょくりながら、節穴をらんらんと光らせて昭和生まれ今日も行くのなぁ。

2017-02-28

http://anond.hatelabo.jp/20170228111152

>「人は優しくしてくれるところに行く」ってのはゆとりに限らない人類全体の特徴

ダウト

宗教新興宗教をごっちゃにしてるし、そんなもんが人類全体の特徴なら進歩や発展が起こらない。バカはどっちだ

2017-02-19

しかった母親新興宗教に入信したら

容赦無くハエたたきで私の尻を叩く鬼に変貌した。

サタンだね!!」

という訳分からん理由説教がはじまる。チンピラのインネンでもそこまでじゃないぞ、と思うくらいに理論破綻具合がすごい。

アニメを見た。

ギャグ下品マンガを読んだ。

友達と寄り道して遊んだ

世の中で流行っている歌を歌った。

そんな理由で。

これらは全部「サタン」らしい。

「歯ァくいしばんな!」

というヤンキープロレスラーしか言わないようなセリフ小学生の時から散々聞いた。我が家ガチンコファイトクラブか?

尻を叩いたという報告は母の教育係のようなおばさんに逐一なされていたようだ。

後日「なんでお母さん怒ったか分かる?

あなたサタンのよくない影響を受けないために怒ったのよ。」

フォローが入るからだ。

いやいや、知らんがな。

私の友達はじゃあみんサタンなんですか?日本国民サタンなんですか?やべーっすね!

何より、ケツをはたくなら、自分の手だろ。心はもちろん、自らの手を痛めるほうがはたくほうの愛だろ。

それをなんと、まぁ、ハエたたきで。私のプリティヒップハエじゃねーぞ!!!

なんて反論できるわけもなく、幼い頃の私はただ怯えて泣いていた。

怒られないように、と今でも気づけば石橋叩いてクラッシャーになっている。この頃の負の遺産じゃな…。

毎週夜だの昼だの2時間以上ある集会に参加を強いられ、寝たり話を聞いてなかったり、ノートソフトクリームうんことか落書きをしていたりすると会場備え付けの尻叩きグッズで尻をスパーン。

休みの日は学校友達も住んでるような地域布教活動をさせられ。

「なにしてんの?」と聞かれた日には「お、お散歩…かな…」と苦し紛れに答えていた。

校歌国家は歌えないので先生に「信仰自由」を告白し、騎馬戦はできず、クリスマス七夕も祝えない。友達からもらった年賀状も返せない。さぞかし冷たいやつだと思われてただろうな。

人に救いを説く小学生女児の心、一番救われるべきだったのはそこではなかっただろうか…。

小学生ながらストレスで重度の脱毛症を患ったこと、明るかった性格がみるみる暗くなり、不登校になってしまったことなど、親から見ると宗教に入ってからの私の変化は喜ばしくなかったことだろう。

そんな日が何年も続いて、中学生になったある日。夜の集会に出席するため、いつものごとく会場へ向かうはずの母の車は、全くの別方向へ。

着いたのはショッピングモール

そこにあるゲームセンターで好きなだけ遊ばせてもらった。母も、いつもはやらないクレーンゲームで大きなぬいぐるみを取ってくれたりした。

いつもはさせてもらえない「サタンの」遊びに私は戸惑いつつもいたく喜んだ。

普通ってこんなに楽しいんだ…!

もう私はサタンでも構わない…!!

たっぷり遊んだショッピングモールの外に出て、月の綺麗な夜、私は子供らしく上機嫌に走り回っていた。

なんで今日集会をサボったのか。

その理由はあえて聞かずにいた。

だって来週も集会になんか行きたくない。ずっとこんな風に普通を楽しめればいい。

宗教ことなかいっそもう忘れちゃえばいい!

そう思ってふと母親を見ると、静かに母親は泣いていた。

その日から熱心だった母はゆっくり宗教を離れて「元信者」になった。

宗教で娘は不幸になり、自分幸せも結局見つからずじまいだった。

今でもあの宗教の話は、親子の間ではしない。したくもない。

宗教はやめればそこで終わりなわけではない。信じていた頃の記憶強迫観念信仰は根強く残り続ける。

母も私もしばらくはその苦しみと闘っていた。かなり時間はかかったが、元の心を取り戻しつつある。

しかしこれからも、心のどこかでしこりのように宗教後遺症が残るのだろう。

母にはただただ、何かに縋ることなくとも、これからも静かに幸せであってほしい、そう願うのみだ。

大乗仏教神道のような邪教が憎い…まともな人間なんか一人もいない

あんものカルト

教徒=悪 って伝統がなかった宗教はまともな宗教とは呼べないカルト

カルトカルト容認する

から日本宗教カルト新興宗教だらけ

カルト新興宗教母親が入信したせいで家庭が崩壊した人々のほとんどは伝統宗教に異教徒弾圧絶対に賛成だと思う

多神教が良いだの多宗教国家が良いだの偽善を言っているクズ共は恵まれ上流階級人間

日本キリスト教国の植民地になりキリスト教国家になれば良かった

そうすれば今のようなカルト新興宗教大国にはならなかったと思う

しかキリスト教には大乗仏教神道と違って隣人愛精神がある

地域キリスト教教会があれば住民交流の場になり絶対自殺や鬱も減る

大乗仏教神道根本的に地域に何の貢献もしていなくて権力だけある邪教だと思う

日本場合宗教法人税もない

全ての大乗仏教の寺と神社核ミサイルを撃ち込んでもらいたいくらいこの国のカルト新興宗教蔓延の現状が憎い

教徒弾圧を悪だと思ってる偽善者も憎い

2017-02-18

犯罪者の更生への無理解は「地獄観」が問題ではないか

洋の東西を問わず、それぞれの文化には宗教的地獄という概念があり、

そしてその地獄は決して終わりのない絶望的な苦痛と恐怖の繰り返しというイメージがある。

そこには当然、救いなど無い。

救われるのならとっくに天国に行っているので、

文字通り救いようのない人間こそが地獄に落ちることになっている。



まり地獄という概念存在が、すでに、人に対する救済の断絶という選択肢を用意してしまっているのだ。



現代宗教の影響が非常に薄まっているので、

例えば憎まれ口を利く時に「地獄に落ちろ」などといった時代がかったことを言う人は少ないが、

だがしかし地獄という概念理解しない人はほぼゼロと言っていいくらい、人々の深層意識には根付いている。

その深層意識が、現実世界犯罪者に向かって浮き彫りになってきているのではないか

そして、厳罰を望み、更生という認識が薄い人たちの思考の原理には、

この地獄概念が横たわっているのではないかと思うのだ。

まり犯罪者悪人から地獄に落ちるべきだ」という深層意識があるからこそ、

犯罪者には極刑を、という認識に結びつくのではないかという仮説を唱えたい。



そこで更に論を進め、この問題解決するには、地獄の内部にも更生施設を設置してはどうかというのが私の提案だ。

悪人正機説現代でも未だに根強い支持を得ているが、それを更に進めて、

地獄において悪人正機救済制度を構築するのだ。



昔の人はまあやることがなくて暇だったのだと思うのだが、

地獄描写がやたら詳しい。

大抵の宗教地獄階層が分かれてて、

それはそれは多種多様のあらゆるニーズにお応えする地獄の責め苦が用意されている。

余談だが、このイメージは人気マンガワンピース」のインペルダウンにも投影されている。

LEVEL1~7とあって、深い階層に進むごとに責め苦が増大するのだ。

まり私が言いたいのは、LEVEL5.5的な施設を作って、

そこで見どころのある罪人は救済措置適用を受けても良いという教義を今からでも導入できないのかということだ。

ワンピースの例えがピンとこない人は、ロンダルキアの大地におけるセーブポイントとしての教会を思い浮かべてくれれば良い。



要は、地獄に落ちてもまだワンチャンあるで、という認識を浸透させることが、

巡り巡って犯罪者更生の理解に繋がるということが言いたいのだ。

そのためには神話宗教観への手術が必要なのだ



これは千年から歴史がある三大宗教には少しばかり荷が重い要求だ。

あそこまで超巨大な宗教体系が出来上がってしまっているものに、いまさら大きな変更を加えることはまず不可能であろう。

そこで注目すべきは、

今何かと胡散臭い目で見られがちな新興宗教だ。

何かというとマインドコントロールお布施を利用した金品の収奪で不興を買いまくっているのが現状だが、

ここで一発逆転、地獄にも救いはあるんですよ、という人類に優しい宗教観喧伝すれば、

三大宗教にも対抗しうる一大勢力を築き上げることも不可能ではなかろう。

例えばイスラムでは天国に行くと72人の処女ムフフ♡三昧の日々が送れると言われているが、

地獄に落ちてもちゃんと更生すれば3人くらいはおっぱいを揉ませてくれるよ、

という救いを用意するのだ。

真面目人間天国を当然目指すし、

ちょっと世の中しくじっちゃったやつも、そっかおっぱいもめるなら頑張れるかも!と思える。

これはすなわち全人類に対する福音である

女子は適宜イケメン等に置き換えて各々の嗜好に合わせたストーリィーをこしらえてくれ)



本稿の結論としては、

清水富美加氏が大川総裁クーデターで亡き者にした後、

教祖として前述したような地獄における救済を設定した宗教観世界に広めて頂くことが最も現実的シナリオだろう。

私は彼女の夫となってムフフ♡な日々を過ごす予定なので、

お前らはぜひ我が教団の信徒になって天国地獄を目指して欲しい。



言いたいことは以上だ。

神道仏教例外なく総じて邪教…日本キリスト教になれ

神道仏教の連中は信念も魂もないゾンビのようなクズ

こいつらはカルト新興宗教容認しているようなもん

神道宗教がしっかりしていればこの国にカルト新興宗教蔓延することもなかった

カルト新興宗教のせいでどれだけの子供達が苦しんできたと思う?

カルト新興宗教のせいでどれだけの家庭が破壊されたと思う?

何が日本多神教宗教多様性で寛容だよ

ふざけんなクズ共が

一神教を国全体の宗教にしておけばカルト新興宗教蔓延ることもないのだよ

教徒は許さんって感覚絶対必要

カルトを防げるから

神道仏教とこいつらが容認しているカルト新興宗教のことを考えるだけでイライラしてくる

てめえら全員死ね

多神教が良いとか言ってるクズ共は母親カルトにハマったことで苦しんだ経験もない恵まれた連中だろ?

カトリックなら上から管理があるからカルトしづらい

是非日本カトリックの国にして欲しい

神道仏教クズ共は用済みだ消え失せろ

多神教死ね

神社大乗仏教の寺なんてものは何の頼りもならねーからいらねーんだよ

地獄に落ちろ

僕は今猛烈に怒っている

スマホを叩き割りたかったのを必死我慢したところだ

怒りのあまり頭が熱くて苦しい

神道の神を悪魔として扱い

神道悪魔崇拝の邪教として扱っていくべきだ

絶対に許さな

こいつらのせいで僕は人生が狂った

2017-02-17

新興宗教会合みたいなのに誘われて辛い

父方の祖母のところに居候させてもらっているのだけれど、ご近所さん宗教やってて会合誘われている

祖母自分もお世話になっているし、祖母の顔を立てる意味でも参加をしているんだが、考え方とか価値観自分のものとずれていて面倒にしか感じられない

母には心境を伝えてはいるが、母は相変わらず勧めてくるのでどうしたものかなぁと考えている

2017-02-16

http://anond.hatelabo.jp/20170216040326

仮に宗教に吉も悪しもあったとしてなおかつその判断を下すのが難しいのであれば、一律<悪である>とラベリングしてしまうことにより想定外事態を発生させないというメリットはあるんじゃないか

このロジックだと、家庭も一律「悪である」とラベリングすることになるけど・・・




しろ善一色でないことそれ自体宗教全体のリスクやろ。これは組織を超えて団体全体で善であるように努力していかあかんところ。

2点ほど。まず、権力者一般大衆に疎まれて殺された宗教家はそれこそ山のようにいるし、権力者一般人定義する「善」は宗教のコアには入りえないと思う。ユダヤ教キリスト教が生まれときから今までずっと、虐げられている人を救い上げるのは新興宗教の役目だし、その団体既存権力対立していることも多い。現代中国ではキリスト教は敵視されているけど、共産党に受け入れられるようにキリスト教会努力すべきだとは思わない。



あと、宗教全体がリスクさらされているという立場には同意しない。宗教ルネサンス啓蒙時代も生き抜いたし、これから意味を持ち続けると私は思う。仏教を捨て、国家神道から裏切られた二十一世紀日本人は、農家に届くことはないいただきますという言葉農家への感謝表現している。これは宗教ひとつのかたち。

2017-02-15

新興宗教

若いころはすっごい嫌悪感あったんだよ。新興宗教にはまってる人に。

でも年取ってちょっと考え方変わってきた。

この繋がりの希薄現代社会自分が繋がってるコミュニティがあるというだけでもすごく安心感があるのではないか

仕事を探すにしてもそのコネが使えるのではないか自分一人で広すぎる社会の中で有象無象相手に戦うより後ろ盾があるほうが楽に決まってる。

加えて悩みや辛いことがあったとき教祖様がこうしなさい、ああしなさいって言ってくれる。自分自身で考えなくてああしろこうしろって言ってもらえるのってすげー楽じゃん。

あと人生の目的にもなりやすいよな。この宗教のために生きる、みたいなさ。

それに対して相応のお金を払うだけ。コストパフォーマンス的にはどうなのかな。お金を払うことでも自分が救われるんだったらそれでもいいんじゃないかな。

そう考えると悪くないんじゃね?新興宗教

天皇陛下=凄い人格者みたいな風潮がよくわからない

なんか、新興宗教の存命の教祖に対する偶像崇拝的な何かっぽくて違和感を覚えちゃう

いや、特段天皇が嫌いとか天皇反対派とかそういうわけじゃないけど、

どんな人間だろうと一個人普段何を考えてるなんてわかるわけないじゃん。

いくら天皇だって公務中に腹の中じゃ「あー良い人キャラつれーわー帰りてーわーなんだよこの国はよ滅びろ」

みたいなこと思ってないとも限らないじゃん(いや思ってても別にそれが悪いとは思わんが)

天皇ほどになると一般人芸能人と違って「自分仕事ミスフォローしてくれた!」とか「オフとき声かけたらめっちゃ優しくしてもらった!」

みたいなエピソードがあるってわけでもないでしょうに、

どうして一個人に対して偶像崇拝みたいなことできるのか不思議に思っちゃう

本当、なんでなの?

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