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はてなキーワード: 同調圧力とは

2016-09-29

http://anond.hatelabo.jp/20160928053429

 典型的老害だなぁ、と思いつつ同じ老害として参戦するよ。(笑)

なんでかって批評とか感想こそ努力しないで『俺強』できる行為のものだと思うしさ、『俺強』って(確か)ゲームチートとかバランス崩壊からまれ言葉じゃん? 匿名自分作品を公開して問い掛けるでもなく、(web上の)有名人新聞インタビューしかも前編だけを見て印象批評から自分も印象を述べる、って「ナニソレ?」って話じゃん。

 ゲームだよね、これ。

それっぽい言葉を使ってはいるけどデータ無視で、しかもそういうデータ解析を拒否して語ってる以上、「川上クンはこう言ってるけどボクの知ってるのはこうだから違うし、当たってる部分もあるかしんないけどムッとした。ニコ動みたいに面白いの作れ、オマエ会長じゃん。(ボクお客様だし)」ってだけの話なんだよね。出版側が購買者の解析や傾向なんか出す筈ないんだけどさ。w

 メタ批評やめろって話なんだけど、印象論の延長線上にある主観出版代表への問い掛けである以上、異論を感じて語りたかったら内容に関してはメタにならざるを得ない。生み出されるのはジャンプヒーローよろしく地球最強の神とそれを超えた主人公と実は神を統べる世界の王と更にそれを超えた主人公世界の王の上にいる大王の上に神がいて、そいつ破壊神と対なんだけど実は宇宙は12コあって――、みたいな作者でさえ匙を投げたくなるようなセカイ。

 権威付けなんてそんなモノであって、昔話で町一番→国一番→世界で一番おいしい店なんて看板掲げた店主の話があったと思うけどアレと同じだよね。どうして自分の店が流行らないのかライバル店に見に行ってみたら、大事なのは謳い文句じゃなくて身近さと誠実さと飾らなさ、それに店主に共感できるかどうかだったって話。だってジビエを知らなくても馬刺しがあるし、パスタがなくても焼うどんがあるし、ホースラディッシュより山葵があるんだもん。

 もう批評家権威を持つ時代は来ないよ?

村人を教育した処で小さな批評家が増えるだけで、行き着く先はデータマイニングと巨大資本同調圧力に基づいたゴリ押しか、小さな身内だけのセカイ。リアル戦争でも起こしてリセットすれば別だろうけど、毎年何冊出てるかも知らないラノベを全部読んでる人なんてどこにいるの? 居たとして、そういう人の感想を誰が求めてるの? って話でしょうよ。

 汎化と特化はセカイの特質のどこに注目するかであって、物語普遍的構造に違いなんかない。

特化したセカイの多様性は小さな身内を汎化された大きな世界に埋没させ、画一化されたセカイは小さな身内の中で特化される。

 それだけの話だと"思う"よ?(笑)

取り敢えずベテランIDさんは、はてな村の身近な人と自分過去を語るところから始めたらどうかな? きっとラノベより面白いものが動き出すと思うから

2016-09-28

「嘘ついて休暇とるくらい許してやれよ」とか言ってる奴いるけど

遅刻したり無断欠勤しただけでガチギレするやつが日本圧倒的多数な現状でそんなのムリなんだよなあ。

はてな民遅刻したり無断欠勤する奴らにはキレるだろ?

はてブ遅刻がありかなしかみたいな記事とき、お前ら遅刻側を叩いてたろ?

「そんなやつ社会人として失格」「そんなやつ信用できない」きっっっっもちわりい同調圧力

お前らが嘘ついて休暇とるような社会を作ってんだよ。

なーに他人事みたいな顔してんだよ。腹立つ。

JR職員飛び降りもそう。

お前らが「社会人として当然」とかいうクソみたいな曖昧常識に基づいて行動してるからあいった悲劇が生まれるんだよ。

なに他人事みたいな顔して同情してんだよ。

お前らも加害者

ブラック企業作ってんのもお前らが「社会人として当然」とか言って無駄キッチリ行動してるせい。

そのくせ仕事効率は悪いところが笑える。

はてな民をはじめ、不寛容社会構成員共は反省しろ

2016-09-19

日本社会天狗にしよう

はてなーは何かあると日本社会はここがダメだ、遅れてるとか喚いてんじゃん。

やれ同調圧力が強いだの貧困層に厳しいだの差別的だのと。

でさあ、その日本社会って具体的に誰?

あんたのこと?

それともあんたの友人?

恋人? 親? 兄弟? 会社の同僚?

具体的に言ってみ?

多分あんたらはそういう愛する人たちは違うと言うだろう。

あんたらの言う「日本社会」なんてものはそういう具体的な誰かじゃない、空っぽの箱なんだ。

もしネトウヨなり自民党なり日本会議なり具体的な下手人がいるってんならそいつらに限定してものを言ってくれ。無差別テロに巻き込まないでくれ。

多分、お前らの言う「日本社会」なんてのはナチ公の言う「ユダヤ人」と同じだ。多分一般ドイツ人は「ユダヤ人の背後の一突き」と言われてぼんやりと「ああそうかもね」と思いはするが、具体的な知り合いのユダヤ人を思い浮かべないだろうよ。

だったらさ、それでもなお「日本社会」と言いたくなったら、どうせ具体的な対象がいない分、いっそのこと天狗のせいとかにしてくれよ。

企業の夢を嘲笑された! 天狗のせいだ!」てな感じでさ。

俺はアホなゲーマーの「アイヌ死ね」を聞いたアイヌ人と同じ感じをお前らの「日本死ね」を聞くたびに感じてんだよ。

お願いだからさ。

ジャパンファシズム

同調圧力

事あるごとに同調が求められる(スーツ、勤務時間飲み会雑談

五人組、隣組と脈々と受け継がれている

低成長・低出生率の要因



・低福祉

国家経済発展短期的)のために福祉は切り捨て

高度経済成長期ならわかるけど、いまは…

2016-09-18

かつて「学級委員長的な綺麗事」は「本音」だった。

最近、「反知性主義」というバズワードとともに

露悪的な「本音主義」に対する警告がよく見られる。


「感動」するわたしたち──『24時間テレビ』と「感動ポルノ」批判をめぐって / 前田拓也 / 社会学 | SYNODOS -シノドス- | ページ 2

小田嶋隆さんは、『超・反知性主義入門』(2015)のなかで、「本音」の痛快さが消費されていく現状に疑義をさしはさみます

近年、「『学級委員長』的言説」が忌避され、「『本音』が、まさに『本音であること自体によって免罪されるはずのものだということを、強烈に信じ込んでいる」(p107)人の声がとても大きくなってきているように感じます

善悪や正邪とは別に、『本音』と『建前』という座標軸が現れた時、無条件に『本音』を神聖視する考え方が力を持」ち、「『露悪的な人間ほど信用できる』という倒錯が生じ」ています(p109)。


 引用されている部分以外で小田嶋というひとがどういうことを言ってるのかは本がないので知らないが、

 ここで「『学級委員長』的言説」といわれているものはいわゆる「心にもない綺麗事(上の引用部では『建前』)」というやつだろう。

 「心にもない」という部分が重要だ。

 「綺麗事」の脆弱性は、まさに「本人が心にも思っていない」点にある。

 だから、露悪的な『本音トークが『建前』に勝つのは当たり前だ。信じていないものと信じているものが衝突したときに、残るのはかならず後者だ。


 でも果たして綺麗事」や「建前」は果たして本音』なのか?

 『聲の形』という漫画がある。映画化されて、昨日公開されたばかりの作品だ。

 この漫画にはまさに「委員長である川井という少女が出てくる。彼女キャラ一言説明すると、偽善者だ。

 小学校クラス内のいじめ消極的に加担し、しかしそのいじめ糾弾されるようになると「わたしは止めようとした」と一転して自己保身に走る。高校生になると入院したクラスメイトのために「千羽鶴を作って贈ろう」とクラス提案する。自分容姿の優位性や「涙は女の武器であることを巧みに利用して周囲を操り、それでいていかにも私は良い人ですという面で歩いている。


 しか彼女自分自身偽善者だとは思っていない。「私はいじめに加担してない」と本気で思っているし、「千羽鶴を折ることが良いこと」だとも本心で信じている。

 メタ認知になれたネット民からすれば「浅い」人間に思われるだろう。漫画で後半、彼女自分無意識計算高さに勘付く展開になる。それは置いといて、現実にも「千羽鶴を折って送ることがいいことだ」と何の留保もなしに信じている人間はいっぱいいる。

 それをネットでは「自己満足にひたりたいだけの偽善者」と呼ぶ。でも本当にそうした人々は「自己満足」なんだろうか。

 こと千羽鶴に関しては「ごみ処理する手間がかかる」「送られる本人は千羽鶴なんかより欲しいケアがあるはず」などといった「送られる相手を慮れ」問題が絡んでくるので一概には言えないが、「良くなって欲しい」と虚心坦懐に、千羽鶴にまるでまじないでもかかっているかのように信じている人は一定数いる。

 素朴な人々、とネット民なら言うだろう。

 だがその浅薄な思いやりはかつては「本音」だった。今だってそうだろう。

 それが、「建前」や「心にもない綺麗事であると、いつのころから批判されるようになった。

 思いやりには相手事情を勘案しない「浅い思いやり」と相手に寄り添った「深い思いやり」があって、後者けが本当の「親切」であると、いつのころから、そういうことになった。


 逆にネットに溢れる「本音」は本当に「本音」なんだろうか。

 単に「こう言えば賢いように思われる」「こう言えば周囲の仲間たちにデキるやつだと思われる」という、昔からよくある付和雷同的な同調圧力の結果なんじゃないんだろうか。

 「反知性主義」だの「本音主義」だの言ってる人々は、自分の「本音」が何で、どういう部分が「建前」なのか、一回も考えたことのない人たちなんじゃないのか?

 

 

 

2016-09-17

http://anond.hatelabo.jp/20160917130940

社会全体に同調圧力があっても実際の行動選択するのは自分だよねーってのはほんとそう

女性の化粧などにも同じことが言えるね

2016-09-14

感想肯定に対する同調圧力ウザイ

私は感想欲しく無いな。

全員欲しいと思ってる!誰でも感想は欲しい!

そんな同調圧力ツイッターにはびこっててウザイ

要らないという意見は潰す感異常。

2016-09-12

わりと感想拒否作家多いのかもね

今はRT感想欲しい同調圧力が有るから言い出せないだけでさ

本当は要らないと思ってる人が多いのかも



http://anond.hatelabo.jp/20160523003546

http://anond.hatelabo.jp/20160912101842

それは考えたことな視点

同調圧力にそもそも理屈は通じないんだとしたら、どうすれば抗えるのかね

http://anond.hatelabo.jp/20160912100313

ほらきた、何でもかんでも同調圧力で何とかしようとする思考停止マン

あなたの知性死んでます

2016-09-08

http://anond.hatelabo.jp/20160907231846

どうでもいいけど「ガッテン」てとこが強いBBA臭がするな。

てかこういう世間様に申し訳ない思考って、同調圧力の強い田舎アラフィフありがちな感じなんだけど

この増田サバ読んでない?

2016-09-04

商売というのは人の欲しがっているもの提供するということ

しかるに貧困女子高生を叩いて喜ぶ様を見てわかるように日本人他人立場に立って考えるということができない

そこで同調圧力によって需要捏造し半ば強制的に売りつけるという荒業をかましていたわけだが

近年の社会状況の変化によって

会社定年退職して人の言う事を聞く必要がなくなった

会社をクビになって人の言う事を聞く必要がなくなった

ニートなので人の言うことを聞く必要がない

こういうのが増えたせいでその手が使えなくなった

だったらもう本当の強制力にモノを言わせようぜ、というのが昨今の軍備強化路線である

2016-09-02

感動ポルノが嫌いだった

自分は生まれながらのマイノリティだ。

今でこそ同じような境遇人間が増えたが、当時はまだ少なく、ほとんど理解されていなかったのだ。当然今でも差別は色濃く残る。

自分障害者とではもちろん境遇が違う。だから理解できるとも思わないが、マイノリティに対する世間の反応というのはいやというほど浴びながら育ってきた。

ぼくがマイノリティであることは見た目ではすぐにはわからない。

からうまく紛れることはできたし、必要がなければ明かさなかった。

ただ、その分同じ境遇に向けた反応に対して同調圧力を求められることは何度もあったし、そのせいでノリが悪いスカした人間だと思われたこともある。

学生の、まだ多感な頃の話だ。

仲の良い、信用できると信じていた人間数人に自分の素性を明かしたことがある。

その時涙を流しながら同情する人間がいた。

「かわいそうに。辛かったでしょ。どんな目に遭ってきたの?」

ぼくの肩に手を載せてとても悲しそうにそう言ってきた。

それからも素性が知れる度に、一定数の人間は「かわいそう」という言葉を使った。

意図的に知らせた時もあるが、意図に反して知れてしまうこともあった。

それでぼくは「かわいそう」という言葉が嫌いになった。

勝手に人をかわいそうな人間にしないでほしい。

当然つらい思いも沢山してきた。人よりも苦労は多い自信もある。

だけど、自分にしてみればそれが唯一の人生なのだ

人を羨んでも変わることはできないし、人を妬んでも自分幸せになれるわけでもない。

ましてや、人の不幸を見て噛みしめる自分幸せなんてクソ食らえだと思っていた。

中にはそれが善意だと信じて、周囲の人間配慮するように話して回る人間もいた。

その多くはぼくに対して「かわいそう」という言葉を使った人間だ。

その度に、ぼくはそいつの素敵な人生ストーリーのために消費されたようが気がして気分が悪くなった。

可哀想人間を涙を流して同情する素敵な自分にあこがれているのだろう。

可哀想人間配慮を求める素晴らしい人格者である自分にあこがれているのだろう。

そのためにぼくは消費されていくのだ。

お前らのやすっぽい涙のために、ぼくの人生が軽々と消費される虚しさを思い知らされたのだ。

から感動ポルノが嫌いだった。



アイアムサムを見たことがあるだろうか。

ぼくは不本意ながら上映当時に劇場で見ることになった。

不思議とどうしてそんなものを見ることになったのかわからないが、恐らくは当時付き合っていた相手に誘われて、下調べもなくのこのこと付いて行ってしまったのだろう。

もしそれが障害者映画だと知っていたら、絶対に見ることはなかった。

案の定、ぼくには不快まりない内容だった。

障害者に向けられる周囲の視線は今まで散々に味わってきた苦痛であるし、ハンディを持った人間サクセスストーリーなんてリアリティへったくれも感じなかったからだ。

それを可愛らしい子役と安っぽい感動で塗り固めた、実にアメリカらしい、まさにその国のスーパーで売っているような食あたりしそうな彩りのケーキのような映画しか見えなかったのだ。

映画評価はそれに反して上がっていく一方だった。その様子を、マイノリティは健常者のために消費されていくのがこの世の中なのだと冷めた目で見ていたことを記憶している。



それから時が過ぎて、当然年もとったし周囲の境遇も変わった。

同じ境遇人間結婚して子供も生まれた。

ただがむしゃらに生きてきたし、むしろ生き方にも随分と慣れてきたように思っていた。

そんな時に、レンタルビデオ店でふとアイアムサムのDVDが目に止まった。

世界はこれほどまでにグローバル化が進んでいるのに、未だに歴代名作コーナーに陳列されていることが疑問に思えたのだ。

果たして今これを見たら自分はどう感じるのだろうか。

これでもう一度見てつまらなければ世間が腐っていた証拠だし自分が正しかったことが証明される。

もし何かが変わって見えたら、自分の変化や成長を感じられるかもしれない。

そんなちょっとした好奇心で手を伸ばしてみたくなったのだ。



果たしてぼくは幾度なく号泣させられる羽目になった。

当時の自分がどれだけうがった目で世の中を見ていたかを思い知らされることになったのだ。

何より、子供を持ち、それを守ることに対する思いに何度も涙が流れた。

今もし自分の子供が、世間良識という暴力に奪われたとしたら何を思うのか。

その中で、ハンディキャップを背負いながらも幾多の困難を乗り越えていく姿にひたすら胸を打たれてしまった。

例えどんな境遇であっても諦めずに一生懸命に生きる姿に胸を打たれる。

それは感動ポルノではなく、純粋な感動なのだ



意外なことに、劇中でサムに対して可哀想だと接する人間はいなかった。

皆はむしろ冷たく辺り、障害者が生きていくことの難しさばかりが描かれていたのだ。

そして彼自身も、障害者らしく擁護で固められているのではなく、一人の人間として生き、悩む姿しっかりと描かれていた。

ぼくは当時、その描写を見ることが辛かったのかもしれない。

まだ社会的弱者だった頃の、世の中に対するヘイトがくすぶっていたのだろう。

その時は自分が全うに生きていると信じていた。でも、知らず知らずの間にカルマは溜まっていたのだ。



それ以外にも、この映画はいくつかの問題提起がされていた。

育児放棄女性社会進出ニートやそれに付随する精神疾患問題職業差別貧困

あれから16年の時が過ぎていることに驚いたが、それ以上にいま見ても全く色あせないほどに全ての問題リアルだった。

しろ16年経って尚、それら問題は深刻さを増しているといっていいだろう。

その中で、たまたま障害者主人公だったというだけの映画がアイアムサムなのだ

あの映画の主要登場人物のうち誰に焦点を当てても、どの問題も同様に浮き彫りになったことだろう。



アイアムサムを感動ポルノとして消費した人間も沢山いただろう。

それはそれで良いではないか

それによって潜在する問題認知することにつながったのだから

もしそれが感動ポルノとしてだけ消費されてしまったのなら、障害者たちは真実の姿を表現する努力をすればいいのだ。

それ以上に世の中はポルノで溢れかえっている。

アイドルと呼ばれる偶像が最たるものだし、それこそマスコミ視聴者にえげつなく消費されているではないか

それを自分たちだけ守ってほしいというのはまさに擁護観点であるし、視聴者側も自らの足を使わずして真実を求めようと言うのが間違っているのだ。

感動ポルノがどうした。

楽しみたい人間いるか市場が生まれ必要がなくなれば消えていくだけのもの

ただそれだけのことなのだ。



そもそもが感動ポルノを好きとか嫌いとかいっている場合ではないのだ。

この狂った世の中で道を誤らずに生きていくには、結局は自らの目や耳、手足を駆使して進んでいくしかないのだ。

それを生まれながらに持っていなければ別の手段解決すればいい。

それをしないかぎり、自らがポルノの主役から脱することはできない。

感動ポルノがたどり着く問題の先には、障害の有無は全くもって関係ないのだ。

2016-08-28

http://anond.hatelabo.jp/20160828223101

相反するように見えて、それでも双方に通じる「アメリカ価値観」てのはそれ以上に大きいんだ

意見対立戦争、ていかにも同調圧力王国日本人の考え方だな

2016-08-24

http://anond.hatelabo.jp/20160824152118

元増田です。

少し文章が難しいので理解しきれませんでしたが、日本にも海外にも同調圧力があるのはその通りだと思います

ですが日本ちょんまげをやめて散切り頭にしました。

それはそっちのほうが「楽」というメリットがあったからです。

メリット認識価値観の共有ができれば欧米化できる文化欧米化できます

タトゥーに関してはデメリットが多いと判断されたので輸入されませんでした。

剃毛メリットがいき渡らなかったのは日本の性事情が原因の1つだと思われますが、

少なくとも僕個人剃毛メリットがあると信じています

そして不幸は、剃毛メリットがあると信じて主張している僕の生息地が剃毛否定的文化の日本だったということです。

なので剃毛一般的になるような社会に変えたいなと難しい願いだと思いますが、願っています

欧米じゃ恋愛したくないなんていったら病気扱いでカウンセリング行きだし

野郎が絡み合ってる薄い本なんて読んでたら親に怒鳴られるだろ

同調圧力がない(笑)

http://anond.hatelabo.jp/20160824141402

この件で判るのは、欧米同調圧力少なくて自由があるとかって、ウソだっていう事。陰湿に「こっちの方が合理的」と同調理屈で置き換えているだけ。他人自由など尊重はしてくれない。海外から内村選手自由選択を抑圧する意見がいっぱい来ている。

未来は判らないけど、現状という意味では、AV女優さんが完全に毛を剃らないのは、需要問題なので、現状は見る側に無い方がいいという意識が少ないんだと思う。無い方がいい人は、ジャンルとして区切られていて、別扱いになっている。

2016-08-23

白米でも粟でも稗でもいいんだけど…

藤島じゅん先生が『シン・ゴジラ』を白米に例えて、「みんな粟とか稗しか食べたことないの?」と『シン・ゴジラ』絶賛の空気違和感を唱えて炎上した1ページ漫画通称『粟と稗』。

シン・ゴジラ』を白米に例えた上で、『いま、会いにゆきます』を酢飯の上に中トロが乗った握り寿司に例えるのはいかがなものかと思う以外は、単に「個人の感想です」としか言いようがなく、絶望的にセンスが合わなかったんだねとスルーして差し上げるべき案件なわけですが、悲しいかな今やハリウッド版を超えるヒット作としてマスコミ様にも認定された『シン・ゴジラ』を称えることは大正義となり、『シン・ゴジラ』を称えないものヒャッハーされて輸血袋にされて当然と信じるウォー・ボーイズの皆さんによって血祭に挙げられてしまいましたとさ。本当に怖いのはゴジラでなく(以下略

というのは前置きで、その『粟と稗』へのアンサー漫画として発表された直江春巻氏の漫画https://twitter.com/harumaki_naoe/status/767142043575422976)が、「すばらしい!」「これが読みたかった!」と大絶賛RTされまくってナウなヤングの間で話題になっているのは、正直どうよどうなのよ? 思わざるをえない。

この漫画ネーム構成があまりにも雑というか稚拙すぎて、プロフィール漫画家と描いてあるのを見るまでは素人作品だとばかり思っていた。せいぜい漫画家にあこがれる小学5年生がじゆうちょうに描いた漫画くらいのレベルではなかろうか。いや、一線のプロ活躍する漫画家がその年代ノートに描いていた漫画もっと上手いのだけど。表現力や構成力という点で比較すれば『粟と稗』の足元にも及ばないといえる。ぶっちゃけ作者が何を主張したいかが上手くまとまっているとは言いがたいので、編集者ネームボツで描き直しを言い渡されてもおかしくない代物である

正直、これを「漫画には漫画でアンサーを」といって出すのは黒歴史生産以外の何物でもないし、「すばらしい!」「よい作品!」と大絶賛している諸兄に置かれましては、本当に『シン・ゴジラ』の素晴らしさを評価できるだけの審美眼をお持ちなのかと問いたい。問い詰めたい。作品好き嫌いなんて個人個人の嗜好に過ぎないことに熱くなって、同調圧力よろしく寄り集まってなんでもかんでも持ち上げていると傍目に恥ずかしいことになったり、刃とかはちまとかnetgeekとかに付け込まれて踊らされてアフィの餌になるんだよ。

自分が好きなもの他人が嫌いだったり、逆に自分が嫌いなもの他人が好きでいることを許せない人は、何がどうなればいいんだろう?

そこに誤読解釈の取違いがあるのなら、それはまっとうに議論を交わせばよいだけの話ではないか。そうして初めて作品理解が深まるというもので、議論とは相手を叩き潰すことだと勘違いしているブルーヒップなベイビー達は、3年ROMってろと言いたい。おっと勘違いするなよ? 稚拙意見は口に出すなというわけではないからな。意見をぶつけたけっか、自分の考えが間違っていたと気づくこともまた議論からな。SNS自由トークアベニュー、恐れずに発言するといい。ただし発言には責任が伴う。その責任の大きさはフォロワー数には関係ないことをよく肝に銘じておいてくれ。

最後になんでこんなフランク文体になったのかよくわからないが、とりあえずいいたいことは、好きにすればいいじゃないってことだ。

2016-08-22

http://anond.hatelabo.jp/20160821104620

リンク間違えてた

ごめん普通に増田が正しいと思いますよ。以下は全部言い訳です。

おれはテーマ絶対不変の価値があるという前提の人に対して、そんなものはないけど逆にだからこそみんながテーマを論じるのは多様性があって面白い価値があるよって言いたかった。結局うまく説明できてないが。どんな糞ゴミ映画でも人間制作して人間が観る以上、人間というテーマは最低限あるよ的なそんなやつ。

どのスタンスが正しいかの話をしたかったわけじゃなくて、どれか一方を押し付けられるのがやだってことね。好きに語れるようにしてくれよと。

要はネット上での「娯楽作品なんだから批判禁止」「テーマについて語ると(自分の)作品評価が揺らぐからテーマ禁止」みたいなアホみたいな見方強制じわじわ着実に浸透して蔓延ってるのが最悪っていう。そういう感想のものが悪い訳じゃなくて、それだけに終始してるとか他の人にもそれを強いるのをやめてくれってことね。

そのために「テーマの話をされると他の高尚な映画ゴジラが負けちゃうからテーマの話はそもそも無効にしよう」みたいな考えをそもそもやめれと。テーマ価値なんてないと思った方がいいよと。変な優劣とか考えんなと。

いや本当は考えてもいいんだけど、人に強制するなというか同調圧力かけてくんなというかそういうまともなこと言おうとするとそんなつもりはないとかで簡単反論されてどんどん泥沼な感じなので、もうテーマ価値はないと言い切っちゃえみたいなそんなやつでした、という言い訳

いやいや感想なんて好きに語れてんじゃんとか強制なんてないよとかい意見もあるだろうが、同調圧力がめちゃめちゃ強いでしょうっていう。少しでも批判しようものなら炎上PV狙いとか逆張りとか言われるの、怖すぎるじゃん。ネット自分意識を預けるとそんな馬鹿なっちゃうのかって。何言っても通じないんだって。そのレベル発言が主流になって、なんか書いてもそのレベル反論ばっかりくるって、語れないのと同じようなもんでしょ。

アナ雪、ガルパンマッドマックスズートピアとか、反論するにも自分は好きなんですけど〜と前置きいれる必要あるとか、みんな思い当たる節はあると思うんだけど。

2016-08-20

九州東北に関する個人的偏見

#九州で女性として生きること のタグが闇すぎてにわかには信じがたいと話題に「目が点になった」 - Togetterまとめ



九州の人は、不平不満が多い。

自分の意に沿わない事態が起こると、それはすべて他人のせいだと考える。

自分の思うとおりにさえなっていれば何も悪いことなど起きなかったはずで、何か悪いことが起きたらそれは他人が悪いのである

そのため他人攻撃することをいとわない。

また、主に「自分より力を持っていそうなだれか」のせいだと考える。

そのまんま上司立場の強い人に噛みつく場合もあるが、

実際にはそうではないのに、「この人は裏で不正に力を持っている」などの妄想を膨らませ

その対象を悪の権化のように言い散らすこともある(上下関係には弱いので、そういうことのほうが多い)。

神話時代から国の興りを自分たちの住処からだと称し、江戸幕府に対して300年恨みをため込んで、とうとう明治政府自分のものにしてしまった人たちを感じる。

彼らは本当は、この世は自分のものであり、自分世界の中心だと信じている。それぞれに。




東北の人は、あきらめが早い。

自分の意に沿わない事態が起こると、「ああもうしょーがないね」とすぐにあきらめる。

基本的に、あらゆる物事について、自分意思など大して影響力のない微々たるものだと思っていて、

なりゆきにまかせ合わせていくしかないと思っている。

東北人間にとって、冬に降る大雪や、夏に吹く冷風や、東京の人たちのお達しや、だれか他人意見はすべて、

逆らいようのない何事かである

あきらめは早いが、さっぱりしている訳ではない。むしろねちっこい。

雪に降り込められた家の中で、欝々と春を待ちながらあきらめたことを執拗く数えている。

数えているだけで、それに対する打開策などは考えない。自分たちは等しく無力だと信じている。

から時々、打開策を考えて自分から動こうとする人が出た時の、同調圧力からくる足の引っ張りようは尋常ではない

坂上田村麻呂時代から虐げられ、そして最後には江戸幕府に殉じ、結局いい目など一度も見たことのない人たちを感じる。

彼らは心の底から自分たち辺境人間であると信じている。その分だけ、無責任である

「作者が言いたいことは何か」系の国語テスト問題単一解釈同調圧力を強いる暴力であり即刻やめるべき

赤いものが赤く見えない人だっているんですよ、「だって赤いじゃん!」って言われてもわかんねえよ

2016-08-17

笑いのツボや感動するツボは人それぞれと認識されているけれど

怒りのツボは人それぞれと全然認められていない感がある。

「これは人の心があれば怒るべき!!」みたいな意見すらあるけれど、全然その怒りに共感できないというか確かに怒りが湧いてくるけど「言うほどか?」となることが多い。

この経験は誰にでもあるのではないかと思うが、「まあ人それぞれだからね」で片付けられているとはあまり思えない。

「こんな良い話で感動出来ない奴は人の心がない!」みたいな同調圧力は近年著しく減少傾向にあるが、「この問題で怒らない奴は人の心がない!」はバリバリ存在している気がする。

ネットでいうならば、ある出来事に怒っている人とその怒っている人たちに怒っている人がよくある光景である

それは出来事自体への興味も関係あるかも知れないが、怒りのツボが違うんだと思う。

例えば最近だとSMAP関連のニュースSMAPに同情したり事務所に怒っている人がいるが、現状、私はみんなほど共感ができていない。ひどい話だとは思うけれど。

SMAP自体への興味がないんじゃないか」と言われればそうかもしれないが、私は人並みにSMAPに興味があると思うので、事務所側に怒っている大勢の人と私にあまり興味の度合いで差はないと思える。

「元々感情が薄い方なんじゃないの?」と言われても、私も激烈に怒る時が人並みにあるし、別の話題では怒ったりもしている。

思うに、これも怒りのツボが違うだけなんだと思う。

SMAP騒動で言えば、「理不尽環境にある彼らと抑圧する権力側」という図式が一応あるので、それが好きな人がわりと多いのだろうと思う。

それはおそらく現実だけでなくフィクションにも当てはまって、フィクション内でこういった図式が出てきた時に、共感して怒るか怒らないかには好みの差があるのだろう。

また、「なんであの人怒っている?」というように、怒りのツボがわかりづらい人も当然いるだろう。

そして、これも当たり前の話かもしれないが、笑い上戸や泣き上戸がいるように、何にでもすぐに怒る人がいるのだと思う。

いつ見ても何の話題にでも怒っている人がネットを見ていても存在するが、その人は怒りのツボが浅いのだとすれば説明がつく。

しかし、よくよく考えると、怒りのツボは人それぞれの共感能力の差でしかないのかもしれない。

上の例で言えば、私は皆ほどSMAPにそこまで感情移入していないから怒りも湧いてこないとも考えられる。

だが、それは笑いや感動の場合でも同じだろう。

笑いのツボでいえば、感情移入共感が先にあり、そこから笑うかはそれぞれのツボによると言え、これは怒りの場合でも同じだと考えられる。

このように怒りのツボというものが人それぞれに存在すると考えれば、もっと人々は寛容になれるだろう。

「なんであいつ怒ってんだ?」「なんでこれを見て怒らないんだお前は!」といった押し付け合い・強要ではなく、「ああ、あれがあの人のツボに嵌ったんだな」という視点大事なのかもしれない。

2016-08-13

学校という気持ち悪い環境

学生にとっては、友人がいるかどうかはとても重要である

なぜならば、友達いるかどうかでその人物の評価が変わってしまうからだ。

友達が多ければ多いほど、人気者で持て囃されるし、友達がいなければ寂しい人間だと評価される。

なぜ学生が「ぼっち」を異様に嫌うのかと言えば、そういった学校の独特な場の雰囲気が原因である

学校は、マイノリティであることを許さない。

人の噂に流されやすくて、同調圧力も高いし、出る杭は打たれる。周りと違うことをすれば変な目で見られるかもしれないから、というように。

から繊細な学生は、他人から見た自分をすごく気にする。

他人から見たら自分はどういう人間なのか、どういう行動をすれば目立たなくて済むのか、といったことを考えてしまう。

なるべく厄介事になりたくないかである

そういった空気は、協調性は育んでも主体性は育まれない。

学校は、それで良しとする風潮が強い。

多くの学生は、「みんなが~だから」というように、周りの人間がやっていることをやりたがる。

周りの人間がやっているからやる。そこに自分という感覚がない。

気持ち悪い人間ばっかりだ。