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はてなキーワード: 通夜とは

2016-11-10

病は気から

昨日は「マジかよ」って感じでお通夜ムードだったのに、一夜明けたら「トランプってレーガンの再来じゃねえの?」みたいな理由を付けて株が爆上げしてるのを見ると「そういうもんかもなー」と思えてくるからやっぱ景気って気分の面ってかなり大きいんだろうなあと思った。

2016-11-09

上司の親が死んだ。今日の午後から通夜だ。

俺は上司の親と面識がない。

後輩のおばさんから通夜にいくよー」とメールが夜中の0時過ぎに来た。

勝手に行っとけ)

別の後輩の女から「夜中にすみません。○○さんへ連絡してください」というメールが夜中の1時前に来た。

(夜中の1時前にメールよこすな、バカ女)

俺は行きたくない

周囲はさも行くことが当然のようにふるまっている。

俺は上司の親の顔も知らない、話したこともない。

その人間通夜になぜ出る必要があるのか?

俺はわからない。

俺が若いときに同じケースがあり、通夜に参加した。

俺は故人の親族(友人)に同情するふりをして、

その実、喪服を着て、厳かな気分に満ちている自分に酔っていた。

その後、いか自分が悲しんだかを通夜に参加した友だちと飯屋で共有して、

酒を飲みながら、格好いいうわべだけのセリフを交わしながら、カッコウつけてたんだ。

集団オナニー

もう俺、そういうの嫌なんだ。

俺は行きたくないが、今日通夜に行くだろう。

行かないと今後の社会人生活に支障が出るかもしれない。

脅しばい、これ。

内羽ストレートチップシューズをピカピカに磨いて、正当な白のシャツに黒のネクタイでディンプル作って、黒のチーフ挿しけばいいのかね。

決めすぎたら、ついてくるのもやだし。

きっと、俺は無難にまとめるんだろうな。

で、俺は悲しんでいるふりをしながら、職場の同僚とあれこれ話して、また自分たちに酔うんだろう。

他人の不幸を肴にして、格好良くふるまうゲームがまた始まる。

嫌だ。

全く面識がない故人に対する礼儀として、俺は集団オナニーには参加しない。

しゃべらない。

夜中の0時、1時にメールをしてくる馬鹿どもに

「緊急でもないのに、迷惑から夜中にメールするな」と罵りたい。

むかつくので、朝4時にメールを返すことにした。

2016-11-08

40歳大学准教授

40歳になったのを記念に、「不惑からはほど遠いが、自分語りする。

幼稚園前後から自分記憶ははじまっている。



自分のことがよく分かっていなかった。

自分のことをバカだと思っていた。

あとから聞かされたのだが、幼稚園にはじめて行った時、まったくしゃべらなくなったらしかった。

毎晩UFOがうちに来ていると思い込んでいた。

自分が男なのか女なのか分からなくなっていた。

恥ずかしさというものが何なのか分からなくなり、なぜかパンツをずり下ろして登下校していた。

しょっちゅう小便をもらしていた。

身体の動かしかたが分からなかったため、ぎくしゃくとロボットのように身体を動かしていた。

自分のことをロボットだと思い込んでいた。



幼稚園から小学校の低学年まで、泣いて帰らない日はなかった。

特殊学級があるのを知り、そこに自分がいないのはなぜかといぶかしんだ。

いつも泣いている自分を見て、いつも親は、明日はいいことがあると言い聞かせていた。

あくる日になったらなったで明日はいいことがあると繰り返す親の言動に、混乱はさらに加速した。

やはり自分バカなのだと思った。

自分のことを指さして笑う同級生教師を見て、確信は深まるばかりだった。

人形遊びにはまり、何時間でも独り言をつぶやいているのを見た親から人形をとりあげられ、泣き叫んだことがあった。



小学校3年生の時、親友が一人できた。性格が明るくなった。

転校生だった。

中学生になり、強制的に体育系の部活に入部させられた。

熱心に部活した結果、性格が明るくなった。

キャプテンにはならなかったが、副キャプテンになった。

もう一人の親友ができて、さら性格が明るくなった。

やはり転校生だった。



いっちょまえに、幼稚園のころ、小学生のころと恋はしていた。

やさしい女の子が好きだった。

自分を受け入れてくれるかもしれないという可能性を思うことが、すなわち恋だった。



高校3年生になった時に女子がどうでもよくなった。

そのかわり勉強に恋した。あるいは未来に恋した。

あるがままの自分でいるためには勉強すればよいのだという発想の転換があった。

度を過ぎて打ち込めば、やっていることがなんであれ、それを勉強と言ってしまえるのだと思った。

後日、気が狂ったかと思ったと親から聞かされるくらい勉強し、偏差値40台から70台まで成績をあげた。

そしてそれなりの大学合格して、田舎から上京した。



大学生になり、はじめて本気で女の人を好きになった。

まりにこっぴどくふられ続けたために人間不信になり、大学留年した。

勉強することの意味が分からなくなっていた。

この時、自分のこしらえた箱庭的宇宙へ逃げ込むだけの才覚があれば、すごい人間になっていたのではないかと思う。



大学卒業後、そこそこの会社入社し、企画仕事にたずさわった。

特許をいくつか取るほどにはがんばった。

が、結局丸3年勤めたところで退職した。

仕事意味が分からなくなっていた。

それにもかかわらず5年、10年先が見通せる会社員生活がうとましくなっていた。



大学院に入りなおして、修士課程博士過程と6年間を大学院生として過ごした。

結局また勉強に頼った。

大学院で恩師に出会い人生が変わった。

書生のようにして過ごしたこの6年間の意味は、あまりに大きすぎて視界におさまりきらない。



貯金家財を売り払ったお金学費にあてていたが、実家が困窮して仕送りする必要が生じ、苦学せざるを得なくなった。

それで大学院時代からフリー仕事をした。

この間に、嫁さんになる人があらわれた。

自分人生でこのようなことが起こりえたことを思うと今でも驚かされる。



博士号を取得する前後からいくつかの大学非常勤講師を勤めた。

博士号取得後に結婚した。

結婚した翌年に母が死んだ。

明日はいいことがあると言い続けてくれた母だった。

通夜の日に、専任講師採用面接があった。

葬式だろうがなんだろうが、人からなんと言われようが面接を受けようと思った。

面接から帰った夜、こっそり棺桶の隣で寝た。

母の前では子供になれるのだと自覚した。



母の命日から1年後、大学専属となり、ようやく生活が安定した。

大学院入学してから10年が経過していた。

それから3年で、准教授になった。

先日、父がはじめて母のことを「あの人」と言った。



つの間にか自分の箱庭をつくれるようになっていた。

生活とは別の、ありのまま自分でいられる宇宙を。

振り返ると、ありのままでいようとすることを原動力努力してきた。

それがいつもよい結果をもたらしてくれた。

あるいは向こうから結果がやってきた。



社会に出るまでは、親友自分を支えてくれた。

大学院では師と出会うことができた。

社会に出てからは、親友と嫁さんが自分を支えてくれた。

特に嫁さんは、言葉のあやではなく、まさに運命共同体としての支えでいてくれている。



ありのままでいることはむずかしい。

からこそ努力必要で、努力必要からこそ、社会的評価がついてくる。

子どもはまだいない。

2016-10-13

議論余地なく、「イジメ加害者サイコパスである

掲載稿事例2より】

加害生徒たちは被害者自殺後、「死んでせいせいした」、「別にあいつがおらんでも、何も変わらんもんね」、

「A(被害者)がおらんけん、暇や」、「誰か楽しませてくえるやつ、おらんと?」などと話した。

A君の親にいじめの内容を話した生徒に「あいつが死なんで、こいつが死ねばよかった」と言った。被害者通夜の席で棺桶のぞきこんで笑った。

別の生徒をいじめた。また別の学校のケースでは、加害生徒が他の生徒を「お前はB(被害者二世だ。Bのように自殺しろ」と殴り続けた。

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イジメ加害者100%大脳の壊れたキチガイであり、サイコパスである

疑いの余地は一切ない。

2016-10-08

女子高校生が死んだ時の話

電通ニュース見てなぜか思い出した。もう何年も前の話だが、俺がまだ高校三年生の時、一個下の学年の女子が亡くなった。十月だったと思う。

学校主催マラソン大会で走っている最中、急に体調が悪くなってしまったらしい。彼女コースの外れにある草むらに横たわっていた。その様子を見たとある生徒が近くにいた先生にそのことを知らせ、直ぐに救急車を呼んだとのことだが、救急隊が駆け付けた時には、既に心臓が止まっていたそうだ。病院に送られたが、再び目を覚ますことはなかった。

マラソン大会の次の日は土日で、亡くなったことが全校に知らされたのは月曜日だった。いつもと変わらず教室に行くと、黒板に張り紙が貼ってあった。緊急集会を朝にやるということが書いてあった。緊急集会なんてもの高校入学して以来開かれたことがなく、なんだかよくわからないけど面白そうだなとか思っていた。すると、クラスメイトの話し声が耳に入った。マラソン大会で人が死んだというのだ。

俺はその話を信じることができなかった。うちの高校マラソン大会原則参加が義務付けられてはいたが、参加さえすれば道中余程ふざけたりでもしない限り問題なく走り終えることが出来るからだ。距離も、女子なら10km強だったと思う。別に、全力を出さなくても怒鳴られることはない。それどころか、開会式では自分の体力を考えて、無理し過ぎないようにと注意までされるくらいだった。

集会に行くために体育館へ向かった。いつもなら急げと声を上げる先生たちも、その日は静かだった。既にかなりの数の生徒が集まっていたが、一部ざわついていた以外は、普段集会が始まる前と雰囲気特に変わりがなかったように思う。

やがて、集会が始まった。校長がいつになく重い足取りで壇上に上がっていった。そして、マラソン大会中、二年生のある女子生徒の心臓が止まったこと、その後病院搬送されたが意識は戻らず、亡くなってしまったことを話した。

驚きの声はあまり上がらなかった。もしかしたら、既に多くの生徒はその話を人づてに聞いていたのかもしれない。俺も驚きはしたが、予想外の出来事唖然とするというよりも、あれって本当だったんだという印象を受けた。正直、悲しくはなかった。気の毒には思ったが、彼女と俺は何の面識もなかったからだ。その後、黙祷が行われ、ショックを受けた生徒の心のケアの為の相談室の設置といった連絡が行われた後、教室へと戻っていった。いつもは喋りながら帰っていたし、周りにも話している人は沢山いたから、別に口を開いたところで問題はなかったと思うが、俺は一人黙って教室へ戻った。あんな話を聞いた後で喋り散らしながら歩くのが、相応しくないことのように考えたからだ。ただ、今思うとあれはただ自己満足がしたかっただけのようにも思える。

教室で俺が座っていると、友人の一人が声を掛けて来た。クラスはいつもほどうるさくはなかったが、静かでもなかった。俺はあまり話をする気分じゃないと言ったが、彼は別に黙っていたところでどうにもならないと言った。実際、その通りだった。他の友人たちも集まってきたこともあり、俺たちは他愛のない話をし始めた。去年よりもマラソン大会遅かったとか、意外に結構疲れたとか、そんな話だ。今回の事件責任は体育課にあると主張した奴もいた。

その後先生教室へやってきて、少し話をした後、いつもと同じように授業が始まった。各科目担当先生たちは、事故について何も話さなかった。いつも結構踏み込んだ話をする現代文先生も、何も語らなかった。

やがて授業が終わり、清掃の時間がやってきた。俺の担当階段かどこかだったが、その時近くを通りかかった後輩の一人が、(上履きの色を見て後輩だと分かった)一緒にお通夜いかない?と言っていた。思いのほか楽しそうに喋っていたのに驚いた。

清掃が終わると、俺はすでに引退した部活の同期の一人と一緒に帰った。件の事件話題になった。彼は、これで貴重な若い女が一人いなくなったなと言った。これで来年の倍率も下がるなといった話もした。実際には下がるどころか上がったらしいが。

家には先に帰っていた弟がいた。彼にこの話をすると、やべえなやべえなと、やべえばかり言った。

幾日が過ぎると、外部に話が漏れて、ローカルテレビ局取材が来た。俺は取材班を見なかったが、クラスの内の一人が、今日の朝テレビカメラ回されたんだと自慢していたのだ。後日、彼が映った映像テレビに流されると、再び彼はそのことを自慢した。

それだけ。

2016-09-12

"君の名は。"を観て今までの自分を振り返って頭を抱えた話

君の名は。」のネタバレ無し

平日の昼過ぎカップルやイケイケの同年代などに囲まれて、君の名は。を観た。

友達がいないので、スマホを持っているがLINEもしないような人間が、上映前の数分間、覚悟してたが、それはそれは居心地が悪い時間だった。そもそも、あの新海誠作品一般に広く受け入られて大ヒットしていることを驚いたことが劇場に足を運んだ理由だった。

  

自分感想に衝撃を受けた。

「こんな青春してみたかった」

いままでそんなこと思ったことがなかった。

  

自分にとって中学校時代漫画アニメゲームの"消費"は、いわゆるリア充である校内の主流派になじめない自分への言い訳だった。

  

「小2でラノベに触れてしまった。小3で深夜アニメにはまってしまった。小4でエロゲに手を出した。」だから普通の人と私は違ってしまった」

  

本当はそんな因果はないのだが、そうしなければ自分を維持できなかったのだと思う。

いつもニコニコ気だるげな受け身の人間、関わってくる人を拒絶せず、自分から他人に関わろうとしない。

そんな3年間だった。

  

  


高校入学し、その言い訳さらにひどくなった。"消費すら"を辞めたのである理由は単純。そこそこ偏差値が高め、だがパッとしない私立高校入学したところ、周りにオタクであることを公言する人間が一気に増えたかである

野球部ケイしかオタク。そんな奴がごろごろいた。もちろん世間から典型的オタクと呼ばれるような人間もたくさんいる。

最初はそんな彼らが羨ましかった。前者の人間だけでなく後者人間すらも。みんな楽しそうにめいめい自分たち感想を述べている。いままで自分が感じたものを共有することができず、何より他人と考えを共有しようともしなかった自分は彼ら彼女らが本当に羨ましかった。

しかし、交わることができない。そこでコンテンツの消費すら辞めた。

  

「私はテレビも見ない、本も読まない、一緒遊ぶこともないか出来事を共有することがない(高校から家が遠いことを理由に誘いはすべて断っていた)」だから普通の人と私は違っている。なじめない。」

  

そんな考えのもと、他人が楽しそうに生きているのを見ることを趣味をしていた時期があった。

そんな高校生活前半だった。

  

  


後半は更にひどいものであった。部活の先輩に言われた言葉きっかである

「○○(私の名前)って今この瞬間、この部の誰かが死んでも何も思わなさそう」

面と向かって言われて、確かにその通りと思った。実際、中学時代同級生通夜葬式かに出た時も同じ部活同級生だったが何も思うことはなかった。(中学時代人間とは誰とも連絡先すら知らないような仲だったが帰り道に斎場があり、声を掛けられて出ることになった。)

自分はそもそも何にも興味がないのだろうとそれから思い始めた。

  

「私は何も楽しめない」だから普通の人と私は違っている。なじめない。」

  

何もせずゆっくりと生きていた。

  

  

そのまま1年間の浪人生活に入った。人と関わりたくない自分研究室は向いていない、センター試験後にそう思い絶対安全と言われた国立大学を落とした。浪人生活中にできる限り人と関わらずに卒業できる近場の大学学部を探した。ゼミ無しで卒業できる文系学部に現役時とほぼ変わらない成績で入った。

親の金を浪費し、予備校までの電車終点から終点まで行ったり来たり、本を読んで過ごした。そもそも行ってないのだから、当然、予備校人間に知り合いは一人もいなかった。

ただ自由時間ができたことで再び漫画アニメゲームを楽しむことができた。

小学生の時以来である

  

大学に入った、予定通り人と関わらず過ごしている。

バイトも役を演じればよい塾講師友達も作らず、飲み会など行ったことなどない。

とても満足していた。

大学卒業したら家を出て一人で静かに暮らすのだろうと、そのうち専門業者とでも契約して死んだ後の処理をしてもらえるようにして適当に暮らそうと、そう思っていた。

から青春なんてものは、自分以外のものだと思っていた。

  

それが「君の名は。」を見たとき自然と「青春をしたかった」と思ったのである

そもそもなにが青春なのかわからない。

君の名は。を見て感じたのだからだれか他人を求めているかもしれないが、そもそも家族にすら演じている自分を見せている自分が何ができるのか。人との付き合いの方法など分からない。

どうすればいいのか。どうすることもできないのか。誰にも聞くことができない。聞き方すらわからない。どうすればいいのか。

2016-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20160803171012

みんなそんなに他人に興味あるんですかねぇ。

正直、他人が休もうが辞めようが自殺しようが自分仕事するだけな自分としては他人休職たからといっていちいち気にする人が信じられません。

ま、さすがに死なれたら通夜とか面倒だなぁとは思いますが。

2016-06-22

http://anond.hatelabo.jp/20160622165337

課金スレとかはともかく忠誠心高いユーザーが集まってたしたらばまで完全お通夜ムードでほんともう終わったんだなと思う

壊れキャラ乱発でユーザー資産をあっというまにゴミに変えたのも最悪だしそのタイミングで新作ゲーやらリアルイベやらユーザーが求めてないことばかりやったのも失策どころの話ではなかった

それなのに新しくいらない施設が出るたびとりあえず完成させずにはいられない中毒患者自分もたいがいではあるけど

2016-06-13

祖母が90歳を越えて、宗教不眠症になって老衰している話

タイトル通りなのだが、色々調べて不思議気持ちになったので書いておく

うちの祖父母は双方90歳こえて元気にやってる信心深い夫婦で、先祖代々名古屋昭和区興正寺檀家をやってきている。

ここ数年、興正寺が色々と問題を起こしている。

http://www.asahi.com/articles/ASHCN7T68HCNOIPE025.html

(興正寺プレハブ対立問題)

http://anago.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1360116318/

(僧侶不当解雇見習い通夜問題)

うちの祖父母は、割と熱心な檀家でもちろんこういった問題があることは知っているものの、

「おっさま(名古屋弁で坊さんの意)や若様が、考えもなしにそんなことするわけにゃーて。みんな信じとるもんでだいじょうぶ」

と何を心配しているのかも最早よくわからんが、何か達観した様子でこの手の騒動をみていた。

家族としては、信仰の魅力はわからないけど楽しそうだし、

信仰自由尊重し、まぁ好き勝手やってくれと思っていたが、この手の問題には眉を潜めていた。

興正寺(U住職) と プレハブ寺(高野山から派遣された稲沢市のA寺のM住職)が要は対立しているのだが

このM住職というのが、元々15年ほど前に興正寺で働いていた住職だと祖父から聞かされた。

ニュースでは不当解雇となっているものの、

解雇された M住職・N住職・U住職というのは うちの婆様界隈ではみんな知っていることらしいが

興正寺への寄付を懐にしまい、自分の寺の修復費用に充てるなどを何度も繰り返しており

それを現職のU住職は見て見ぬふりをしていた。

・・が、余りにも目につくようになりU住職代替わりが近いタイミング解雇と相成ったらしい。

(興正寺名古屋一二を争う大きな寺で、名古屋市近郊の坊さんがたくさん働きに来るのだとか。雇用形態などの仕組みはよくわからない。)

祖父母は檀家総代などをやっていた為、プレハブ寺側のM住職とも面識があり、最近偶然出くわした際に以下のような会話をしたらしい。

90超えの老人のいうことなので、どこまで正確かはわからないが。


M住職「◯◯さん、今のままあちらさん(興正寺)を支援なさるんかね。高野山を敵に回したってことになりますよ」

祖母「私は、あんたさんがやってきたことをよく知っとるからあんたの支援はできん。興正寺興正寺高野山高野山。私は興正寺檀家。」

M住職「私が興正寺代表になった時には、◯◯さんには色々やめてもらわなきゃいかんね・・」

この会話をうけ、祖母は泣き崩れてしまった。

母と興正寺相談にいったらしい。M住職が、興正寺代表になることはあるのか?と尋ねたところ

興正寺「M氏が、規則にない住職代行を名乗ってまで興正寺に取り入ろうとしている目的は、数年前の不始末を消すことでしょうから。そんなことは私達は本山が何を言おうと許しません」

肝心の質問ストレートに答えないあたり、坊主というのは流石な生き物である

Q:Mは代表になりますか? A:許しません


祖父母は、興正寺戦後の再建などに大きく力を貸したようで、寺を守るという意識ものすごく強い。

もう3人しか生きていないが、茶飲み友達などは、M住職興正寺を入ることを本気で拒んでいる。

(私はその感覚が全く理解できないので、口も出せないが)

この相談にいった日から祖母調子おかしくなった。

「墓に入るなら興正寺と決めていたのに、Mが代表になったらと思うと恐ろしくて眠れない」と言うのだ。毎晩眠れないらしい。

祖母に色々聞いてみたところ、何十年も前に、祖父に隠して興正寺寄付をしていたらしく それをM氏に渡していたのだと言う。

寄付をすることにより、なんかに寄付人として名前掲載されるはずだったが、本来載るべきだった名前が載っていなかったそうだ。

祖母の周りでもM氏経由で寄付をした人たちだけが寄付人として 名前が載らなかったようで

M氏が横領したのでは?と言う噂もたったが、目を瞑っていたようだ。そして、10年ほど前、解雇されてホッとしていたそうだ。

それが現在興正寺の目の前にプレハブ小屋をたて、住職代行を名乗っている。数年前なら檀家がそんなことは許さなかったが

力を持った檀家高齢化には勝てず、M氏のことを知る人が減ってきたところで今回のこの騒動のようだ。

ちなみに、祖母祖母友人の寄付総額は、私の年収の倍以上だ。バカらしくてめまいがした。


私としては、もういい歳なんだし好きなことやってていいよ、と思うものの、

祖父母にとっては興正寺が宝のようなもので、檀家であることに誇りを持っている。その趣味やめろとも言いづらい。 

・・が、余りにもタチの悪い趣味である金も時間もかかるし、何より登場人物銭ゲバ坊主だらけである

そもそも高野山興正寺関係もわかっておらず、祖母の話を話半分で聞きながら興正寺周りの噂を探していたところ、不気味なブログをみつけた。

http://blogs.yahoo.co.jp/crusiafr/archive/2016/04/27


実名まくり

どこまでが事実かわからないが、ここにある坪単価や値上げ額などは事実

8 :名刺は切らしておりまして:2013/02/06(水) 11:11:52.08 ID:sdFlk7sq

お寺が朝鮮人に乗っ取られたら、だいたいこうなる

お前らも気を付けろよ


http://anago.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1360116318/8


この書き込みを思い出して、いやな寒気がした。

祖母にとって興正寺とは、仏教とは 

それらが何なのかがよくわからないが、家族のように大切なモノだと私と母は解釈した。

祖母はここ数日で急激にやつれた。

毎日困るくらい元気そうだったが、ここ数日全く元気がない。

調べてみたり近所の人らに話を聞いてみたが、正直よくわからない。

興正寺はU住職じゃなきゃ困る。」と近所の人は言うが、ネット上で記事になっているのは「U住職は悪」という内容ばかり。

何が真実なのかよくわからない。

私としてはプレハブだろうと興正寺だろうと構わないのだが、坊主が老人が眠れなくなるような事言うなよ!と怒りが湧いてくる。

なんか誰かに聞いて欲しかったのでとりあえず書いてみた。

2016-03-12

女の喪服にパンツスーツダメかいう謎ルール

この間喪服を買わなきゃいけないことになってネットでいろいろ調べたんだけど、女性が喪服としてパンツスーツを着ることはマナー違反とされることもあるらしい。



女性は黒のワンピースが正装で、パンツスーツは略喪服なんだそうだ。



通夜でなら着てもいいが葬式には向かない、親族が亡くなったのであれば通夜でもワンピースタイプが好ましいとか。



私はドレスコードのあるお店に入る時も、結婚式に出席するときもいつもパンツスタイルだったし、誰にも何も言われなかった。



仕事着もパンツスーツから葬式だけスカートってものすごい違和感を覚える。



スカートパンツってそんなに違うものと思えないけど、Yahoo!知恵袋なんかをみると、"葬式パンツスーツマナー違反です。参列者に笑われてしまますよ"みたいことが普通に書いてあるし、違いが分かる人には分かるのかなぁ。



人の服見て笑う人のほうが、どうかしてると思うけど。



散々悩んだ挙句パンツスーツタイプの喪服を買ったんだけど、売り場の人には何も言われなかった。



どこかの地方ローカルルールなのか、私の知らない時代の話なのか、それともごく一般的マナーなのか分からないけど、売り場に置いてあったんだから買ってもいいよね。



入学式にも、仕事にも、結婚式にも着ていけるものが、葬式だけはダメなんておかしいもんね。



大丈夫だよね、きっと。

2016-02-21

ブラック(契約)社員とか呼ばれてる

自身別にそんなつもりは全く無いんだけど

きっかけは以下のような出来事から

1.まず、俺とは別の部署とあるトラブルが発生した

2.そのトラブルは早急に対応しないと色々まずい事になるのだが、いつ起きるのかは全く分からず、しかも土日祝日にも発生する可能性があるという

3.応急措置的な対応は可能だが、365日常時人を張り付かせ、しかも手動で対応しなければならない

4.根本的な解決には非常に時間がかかる

以上の経緯があって、その対応要員として俺に白羽の矢が立った

俺は「根本的な解決がいつになるのか決まったら対応します」と返した

その後何も返事が無かったので立ち消えになったのかと思っていたら、しばらくして「例のトラブルが頻発しているのに増田がちっとも対応しない」とクレームが来た

前述の経緯を説明するが「とにかく対応して貰わないと困る。完全解決の時期は分からない」と言われた

「ではいつまでに回答して貰えますか」と尋ねたのだが、その後俺への回答はなく俺の上司クレームが来たので経緯を説明した

そもそも発端のトラブルは俺とは無関係部署で起きているものであり、本来解決すべきはその部署のはずで、完全解決までの一定期間、応急措置として俺が代わりに対応するという説明だったのに、いつの間にかその部署では完全解決する動きが途絶えており、しかも俺がこれから恒久的にそのトラブル対応し続けるような年間計画になっているのはおかしい、と

当初は対応期間は「三ヶ月から最長半年程度」と説明されてたのに、いつの間にか年間計画で「今月より増田トラブル対応業務に就きます」といった表現に変わってるのはどういう事か、と

俺はこれからずーっとこのトラブルをやらにゃならんのかと

俺は盆も正月も身内の通夜最中でも常時ノートパソコン持ち歩かにゃならんのかと

トラブル起こした部署は俺に丸投げしたまま知らんぷりするのかと

http://anond.hatelabo.jp/20160221191130

そういうのって「こういう仕事して欲しいんだけど」「では工数はこれくらい、単価はこれくらいで」といった交渉が成立して初めて開始するものであって、いきなり仕事押しつけてから交渉するのって順序逆だよね

から相手から何らかの条件提示がない限りは俺は何もする気ないよ

2016-02-19

日本徴兵制を敷くことをオススメする3つの理由


1、 近隣諸国に対して抑止力になる


自衛隊技術や知識のない若者を集めただけでは、まったく役に立たない。

なので、徴兵しても意味がない、そういう意見があるがそれは間違いだと思う。


徴兵制を敷くことで、日本は一夜にして最低でも数十万クラス兵力を確保できるはずだ。

これにより、政府は「現在日本には100万の兵力がある」と、近隣諸国宣言できるのだ。

実際のところ、徴兵で集めた若者の個々の能力なんかどうでもよい。数字だけでよい、それだけで大きな抑止力になると思う。

(受け入れるための基地がないとか、財源はどうとか、現実的ツッコミどころは満載だが、話を進める)


で、現在日本において、現実的有事とはなんだろうか? おそらく、近隣諸国との武力紛争なんかではないと思う。

地震洪水豪雨といった自然災害、それが日本現実的有事ではないだろうか。


なので、徴兵で集めた若者には、軍事的な訓練を施すことも大切であるが、それよりも防災に関わる教育や訓練をメインに施せばよい。

兵役を終えた若者の多くは、社会に帰ることになる。防災の知識、技術を持った若者たちがいれば、有事(災害時)に大きな助けになるはずだ。

災害から地域家族を守る為の知識や技術が身につくことは素晴らしいことではないだろうか。

まさに一石二鳥である



2、 戦争のアホくささが身に染みてわかる


本稿を書いている本増田は、自衛隊の在隊経験である

在隊中、戦争状況を想定した訓練を何回も経験したが、実際はテレビ映画で見るような戦争状況とはまるで違う。

テレビ映画では、自分や仲間がどのような状況にあり、敵がどこまで迫っているのか、神的な視点があるが、

実際の戦争状況下では自分が一体何をやっているのか、まるで分からない。


直属の上官にここで穴を掘れと言われ掘る、歩けと言われれば一晩中歩き続ける、

よくわからないまま朝になり、とぼとぼ歩いていると、突然あなたはたった今戦死したと訓練の指導員に宣言される。

なぜ戦死したのか聞くと、肉眼では確認できないほど先にいる対抗部隊の敵戦車に撃たれたとのこと。

実戦ならこれで終わり、よくわからないまま死ぬである


よくテレビなどで自衛隊活躍を持ち上げられ、カッコよさを全面に押し出している感じを受けるが、実際には規律ある厳格な組織だ。

そこには個々の意見感情なんか関係なく、命令しかない世界なのだ


本題に戻ろう。本稿は徴兵制オススメしている。

訓練であるが、徴兵されれば戦争状況を模した訓練を行う。若者たちにこれをぜひ一度でもいいから経験してほしいのだ。

実際に銃を持ち、雨に打たれて、重い装備を背負って歩き続け、先の見えない状況で疲労困憊になる。

私自身、訓練中に精神的な不安から軽い呼吸困難になったり、幻覚が見えたりする経験をした。


たとえ訓練であっても、戦争状況のつらさ、理不尽さを体験できることで、考え方に大きな違いが生まれるかと思う。

から教えられた、本を読んで得た知識、それらとはまるで別物の考え方だ。


私は、自分経験を元に自分で考え、戦争なんか、軍隊なんかアホくさいという考え方の結論に達した。

自身経験し、考え、その結論に達した。人から教えられた、本を読んで得た知識から導き出した結論なんかじゃない。


もちろん、その逆の結論もある。ひとりの兵士として日本のために戦いたい、近隣諸国から日本を守る指揮官になりたい、

こういった考えを持ち職業軍人の道に進む、その結論に至るのも選択の一つだ。国のために貢献したい、その考え方もわかる。

現在世界情勢を考えると、そのような考えに至る若者も多いだろう。


きっと今日日本において義務教育だけでは、国のために何かしたいという考えには至らないと思う。

徴兵制度というきっかけによって、若者たちの考え方に選択肢が増えることは素晴らしいことではないだろうか? 



3.戦友ができる

3つ理由と題した本稿であるが、ここまで読んでもらって申し訳ない、1番目と2番目の理由なんかどうでもいい、上記はただのノーガキである。3番目が最大の理由だ。


数年前、90歳近い祖父が亡くなった。その通夜とき、見慣れない老人がやってきた。

話を聞くと、九州から通夜を行っている関東まではるばるやってきたという。

祖父と同じ90歳近いおじいちゃんが新幹線に乗ってたったひとりで。祖父訃報を聞いて、家族が止めるのも振り切ってやってきたそうな。


で、このおじいさん、大戦中は祖父と戦友で、九州部隊で苦楽を共にしたという。終戦後腐れ縁でいろいろとつるんでいたらしい。

祖父は、初孫だったら私の事もいろいろとこのおじいさんに自慢していたみたいで、見ず知らずのおじいさんが私のことをよく知っているという奇妙な体験をした。


先述のとおり、本稿を書いている本増田は、自衛隊の在隊経験者だ。ごく僅かな時間しかさなかったが、このおじいさんの気持ちというか、意気込みというか、

祖父とこのおじいさんの関係とか、そんなことが私にはなんとなくわかった。私にも腐れ縁のような友というか、戦友がいるからだ。


軍隊とか自衛隊のような特殊組織のなかで苦楽を共にすると、なんというか説明が難しいが、不思議友達ができる。

それは友達といっても学校職場友達とはまるで違う。一生付き合うことになる戦友というか、親友ができる。

徴兵制オススメする最大の理由はこれだ。



以上、長文ですまない。

2016-02-05

他者との境界

https://hobbyjapan.co.jp/dixit/



割と好きなアナログゲームのDixit

親番の人が何とも言い難い絵の描いてあるカードを見てインスピレーションで何か言って、みんなでどのカードが親の見てたカードか当てて遊ぶ。

一応全員正解(わかりやすすぎ)や全員不正解(難解すぎ)にならないように気を付けるルールになってるけど、勝ち負けとかあまり考えない感じのゲームおすすめ



友人何人かで集まった時に気楽にやれるゲームいいねって話になるとたまにやって、

大抵は「わーあたったー」とか「えーそっちかよー」とかやいのやいの言いながら盛り上がって大変楽しめるのだけど、

間内に一人びっくりするぐらい下手というか、向いてない感じの人がいる。



その人が親番だと、頑張って受け止めようとしてもどうにも全然からなくて全員不正解を連発して「なんでお前らわかんねーんだよ」とちょっと機嫌を損ねてしまったり、

正解のカードを見てもやっぱりどこをどう捉えたのかわからなくてみんなして反応に困ったりする感じ。

たまに説明を求めてみると、その人の中の壮大なストーリーの果てにたどり着いたキーワードだったりして、さすがに遠すぎて誰もわからんやろ……って感じだったり。

逆にその人が他の人のカードを当てようとしても、やっぱりなかなか当てられなくて、勝ち負け重視じゃないとはいえ段々拗ねてしまって微妙に険悪にすらなってしまう。

その場の中で感性が違うっていう疎外感を与え続ける感じになってしまって、段々こっちも申し訳なくなってくるんだけど、

他の人が親番のうちは普通に盛り上がるので、後から聞くと本人はかなり楽しいらしい。

でも油断すると拗ねるので周りは割と気を遣う。

本人は楽しかったというだけあってその後自前でDixitを買ってきたらしいのだけど、やってみたらびっくりするぐらいお通夜ムードになったと聞いてさらにズーンとなった。



聞いていると別にイメージしてる世界が突飛すぎるっていうわけでもなかったりするので、

言葉選びのコツとか、いい感じに抽象的な言葉を選ぶ慣れの問題なのかなーと思ってその後も何度かやってみたけど、何回やってもどーにもそんな調子になってしまう。

どうも自分の考えが目の前の相手に伝わるラインみたいなのがよくわからないのかな?って感じがするけど、うーん、なんでなんだろうなあ。

2016-01-29

http://anond.hatelabo.jp/20160129210819

死んだあとのことなんてどうでもよくね?

あの弔問してる人の何人がその人の死を本当に悲しんでるんだか。

若くして死ぬってことは職場なり学校なりの絡みがあるんだろ?

とくに職場だったら犯罪でもおかしてクビになってない限り否が応でも葬式行かなきゃならんもん。

その人の死がどうでもよくてもいかないといけない。

今私が死んだら職場の人が少なくとも何人か来るよ。

別に親しくないけどくるだろうね、めんどくせーとか思いながら。自分だって上司が死んだら別に悲しくもなんともないけどいかざるを得ないし。

ついでに自分祖父母が死んでも悲しいともなんとも思わない。けど、通夜葬式には出た。

参列したからって悲しんでるわけでも悼んでるわけでもなく内心はめんどくせーな、だったりするもんだろ。

死んでも葬式にだれもこな

よくニュース若者が亡くなって通夜に続々人が弔問に来る映像があるけど

あれ見ると自分が死んだら誰もこないことを想像して

絶対に死んでたまるかと思うことがある

2016-01-26

http://anond.hatelabo.jp/20160126080152

田舎家族危篤になっても金惜しんで鈍行乗ってそう

もしくは夜行バス乗って2人分の通夜にしそう

2016-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20160120173443

ネットばかりの時代になると

自分が見てるTwitterサイトで「世論」が分かれるよなー

自分が見てるネットでは、お通夜ジャニオタしかいないし

誰も叩いてもいない

2015-12-12

もう10年が経過した

あの人が亡くなって10年が経過していた。



ようやく、彼女のお墓に行くことができた。

ようやく、彼女母親とちゃんと話すことができた。

ようやく、彼女の死を受け入れることができた。



亡くなった直後は、遺影をみても実感がわかなくて、なんの冗談かと思っていた。

いつもの待ち合わせの場所に行って、彼女を何時間も待っていることもあった。



病気だって知ってたよ。

治る見込みのない病気だってことも本当は知ってた。

でも、彼女と会うたびに病気だということがウソなんじゃないかと思うようにしてた。



あなたのお母さんとは、メールしか会話できなかったけど、ようやく会って話すことができました。

あなた家族からたくさんの愛情を受けて育ったことがよくわかりました。



もう、生まれ変わってますか?それとも、まだ幽霊となってそばにいてくれますか。



まれ変わっても、幽霊のままでもあなたにもう一度会って話がしたいです。

ごめんなさい。ごめんなさい。

お葬式にも通夜にも行けなくてごめんなさい。

認めたくなかったんだよ、あなたがこの世から消えるということを。



棺の中で、花嫁さんの恰好をしていたんだったね。綺麗だったんだろうな。

2015-11-20

10か月児と行く葬儀

赤子から2親等の葬儀なので、通夜パスさせてもらったけど告別式はなんとか出席。

1日の流れ

9時過ぎに葬儀場に集合→10から告別式11時ごろ出棺→斎場に移動→11時半に火葬(1時間半ほどかかる)→葬儀場に戻る→昼食→再度斎場へ→お骨を拾う→葬儀場に戻って初七日法要(一緒に済ませた)→親族のお見送りで終了

終わったのが15時頃。

  • 身内なので早めに会場入り
  • 告別式はお坊さんがお経を読み始めてしばらくしたら焼香。喪主いちばんで前列に座ってる近い身内から。赤子はひざに乗せてたけど叩いた鐘の音がきらいらしく、鳴らすたびにギャン泣きしてしまって後方に移動せざるをえず、焼香できなかった
  • 出席人数にもよると思うけど、30人くらいで1時間くらいかかった。ほぼ後方で抱っこしていた
  • 出棺は近い身内からいろいろ役割がある(遺影を持つとか、棺を担ぐとか)、そして出棺後すぐに移動なので、おむつ交換や授乳なんかが必要な時は告別式の時に迷わず済ませた方がよさそう。葬儀場には授乳室などなく、控室もさえぎるスペースなどないので、人のいないタイミングはここくらい
  • というより、1度目の斎場移動は行かなくてもよかった感ある。お坊さんが簡単にお経読んでまた焼香して、という同じような流れなので。戻って昼食の時間20分くらいしかなかったし(赤子のごはんを食べさせながら自分ごはんを猛烈にかきこむなど)
10か月児赤子のスペック
総括

基本的に赤子向けのサービスはなし、身内なので控室があるけど、出席だけなら出棺までかな、、、(その時点で帰る親族もいた)

お経読んでる間はぐずったらさっさと退席するが吉かと、誰も気にしてない。

最後に、亡くなった身内が赤子と少しでもかかわってもらえてよかった、でも、もっと長く接してもらいたかったので本当に残念。空からずっと見守っていてください。

2015-09-17

http://anond.hatelabo.jp/20150917214450

通夜に「行ってきて良かった」はいかがなものか。亡くなった故人にも保護者として何らかの瑕疵はあると思うが

つらい小学校だったかもしれないけども、何か楽しい思い出もあったのじゃないだろうか?

その楽しい思い出だけを持って生きていけばいいと思う

その曲がった心のAさんと、その教師は私が呪いをかけておくので安心しておやすみなさい

2015-09-07

母親が死んだ

母子家庭だった。

母ひとり子ひとり。

はいえ、実家に帰ってきていたので祖母がいた。

僕の教育は祖母がした。

母は仕事がきつかったのか、よく僕にあたっていた。

僕を管理しようとし、意にそぐわないことをすると叩く、怒鳴るという人だった。

僕は祖母が大好きだった。

祖母が死んだ。

これ以上ないくらい泣いた。

それから10年経って母に癌が見つかった。

町医者では見つけられなかった結果、ステージ4になっていた。

母の知り合いの息子さんは脳外科だったが、腫瘍マーカーの結果を見てすぐに大きな病院紹介状を書いてくれた。

1度目の手術は大成功。ただ、浸潤していたので転移の可能性はあると。

術前から僕は無宗教から、各地の癌にまつわる神様仏様に参る多宗教信仰になった。

術後の1年間、会える時間実家の母と過ごすようになった。

「お母さん、地元で飲むときは泊まっていいかな」

「うん、いいよ」

結局、泊まらなかった。

1年が過ぎたころ、母は2年の余命宣告された。

転移していたようだったが、今までと変わらない元気な姿だった。

その頃、初めて「小さい時にすぐに怒られて辛かった」という話をした。

母は僕を無視した。

でも、「それでも僕にとって、お母さんは大事なんだ」ということを伝えた。

大学にまで行かせてくれたことに感謝を伝えた。

目の前で「生きてて欲しい」と泣く息子を見て、母は喜んでくれていたらしい。

「あの子は優しい子」だと自慢していたらしい。

正月を過ごすたび、「お母さんと過ごす正月最後かもしれない」と覚悟したりしていた。

同時に「このままずっとこういう調子なのかもしれない」とも思っていた。

2回めの正月を迎える直前、母は歩けなくなった。

転移だった。

放射線治療で杖の生活になった。

今年の正月最後かもしれないと思って、おせちを食べた。

帰り道の車の運転は嗚咽しながらだった。

3月

週末に行ったらクリームシチューを作ってくれた。

テレビ料理番組の録画を見ていたら美味しそうだったとのこと。

しんどくなったのか、途中からは僕が作って二人で食べた。

母は食事の10分後に食べたものを吐いた。

腸閉塞だった。

手術で食べれるようになったが、母は以前の食欲を失っていた。

ある日、母は僕に「大好きだ」と言った。

僕も即答で「僕もお母さんが大好きだ」と言った。

母は泣いていた。

近所のおじとおばに「最高の答えだった」と言っていたらしい。

その後すぐに母は入院した。

先月、母が死んだ。

意識を失う前日、母が「本当にありがとう」と言った。

「何言っているんだよ、当たり前じゃん。また時間作ってお見舞い来るね」と答えた。

これが最後に交わした会話だった。

息を引き取った時、びっくりするほど泣いた。

泣かずに通夜を終えて、翌日、葬式挨拶をしはじめた瞬間びっくりするほど泣いた。

母が「この人達だけに知らせて」と呼んだ参列者は全員泣いていた。

今日相続が終わった。

僕が本音で思っていることを伝えても問題ない人は、この世に存在しない。

本音を言える人はいる。全ての本音を言える人はいない。

相続手続きをしたときに、僕は初めて父親の名前を知った。

会おうとも思わない。

死んでから一ヶ月近く経った。

祖母が死んだ時は「まだ病院入院してそう」って思っていたが、母のときは「いなくなった」という喪失感がすごい。

後悔しているのは2つ、仕事なんて辞めて同居すればよかったこと。

手術前、恥ずかしくなって母を抱きしめなかったこと。

なんで恥ずかしがったのかわからない。

親戚の手前、かっこつけてしまった自分が情けない。

「お母さん、相続終わったよ。役所手続き終わったよ」

仕事柄、役所への手続きが得意だった母。この報告ができない。したい。

孤独感がすごくて、最近、夜眠れない。

まわりは親をなくしていない友達が多い。

親をなくしていても、片方だったり。

から誰にもこの気持ちは伝わらない。

仲の良い女の子に思い切って話してみたら、「ちょっといね。私にはわからないけど辛いんだね」と言ってくれたが、僕と別れた後のSNSでは楽しそうにしている。

当たり前だと思う。僕もきっとそうだっただろうし。

「わかってくれない」と嘆いたりはしない。わからないのが当たり前だ。

親と死別しているという人は少ない。

から、どんどん誰にも話せなくなっている。

辛い。

闘病中に行った飲み会で「親と会える時間って計算してみ。本当に無いから。だから、みんな実家帰れよ」って言っても、「真面目だな」としか言われなかった。

そんなもんだ。

失って初めて気づくんだし。

そんなわけで、オチはない。

みんなは親を大事にして欲しい。口うるさいだろうけど、親身で口うるさく言う人なんて親ぐらいだよ。

嫌味で口うるさい人は会社に山ほどいるけど。

シルバーウイーク実家に帰るのをおすすめする。

残り時間は思っているより少ない。

イライラするかもしれない。でも、優しくしておいて損はない。

優しくしていないとびっくりするぐらい後悔する。

誰に「十分よくやった」と言われても、十分なんて絶対に思わないから

最後に、僕に悲しみを癒してくれる彼女ができるように祈ってくださいお願いします。

2015-08-11

パール

この年になって恥ずかしい話なのだが、私はまだ親にある種の確執を抱いている

いつまでも親のせいにしてはいけない、と頭ではわかってるのだが、どうもそうすんなりはいかないのだ

多分、どこかに吐き出していかないとぐるぐるとまわってしまうから、ひっそりと書きだしていこうと思う


ものごころついて最初記憶写真

通っていた幼稚園では、園児誕生日になると担任先生ツーショット写真をとるイベントがある

笑って、笑ってと言われる中、うれしさがあったくせに必死に頬を噛んで笑みを殺していた

結果としてひどくぶすりとした表情の園児が満面の先生と映り込む、どうにも奇妙な繪面ができたわけだ

思えばあの頃から自意識が非常に過剰だった私は、運動会の時にとったビデオを見ながら、両親がブルマからはみでた私の太ももを、

太いとか、ぶるぶる震えているだとか、そういった言葉を吐くたびにそんなに笑うなら見てくれるな、と思っていた

結果として私は自分が映る何かを親と一緒に見たことがない

バカにされるのがいやだったのだ

今にして思えばぼんやりと、それが親にとってからかいの域を出ないものだったのだとわかる

それでも私は今でも写真動画に映る自分が心底嫌いだ

葬式は開いてほしくないし、写真だって一枚も人様の手元に残しておきたくないと思う

葬式で集まった親族や知り合い、友人が通夜を済ませて晩飯をつつきあいながら、こんなことがあったねとか、あんなことがあっただとか、

好き放題喋り散らされるのが心底たまらないから

そんなつもりはないとわかっているし、そんなに底意地の悪い知り合いがいないこともわかっているが、それでも私抜きの集まりで、

何か私に対して非常に不利益な、不名誉な、そういったことを離される可能性を1つでも潰してやりたいのだ

親には骨も抱かせたくない、行方不明のまま死体も見せず、永遠にいなくなってしまいたいと思っている

このどこか反抗期の子供が抱く随分と攻撃的な感情は、未だに私の心の片隅に居座っていて、ときどきひょっと顔を出してしま

小学校のころから、将来の夢は14歳までに死ぬことで、いなくなる方法について10数年も考え杖づけていたわけだから、これはもう根深問題なのだろう

ともあれ、私はできることならだれにも知られずにひっそりと死んで、いつかの同窓会でそういえば知ってた、と少しだけ話題に上ればいいと思っている

これは、死んですぐなら同情や興味もわくが、死んで数十年たってしまえばだれもかれも驚くばかりで深く聞こうとする稀有人間などいないだろうと思っているからだ。

2015-07-17

マッドマックスPTSDになりかけた

ネタバレあります



ヒャッハーーーできるって皆が言うからマッドマックス観てきたら

もう観てる間から気分が悪くなってシアター出てからは完全お通夜

昨夜は一列に並んだ伊勢丹の店員さんが順番に撃ち殺される夢を見た。




スプレンディドが死んだのもババアが死んだのもつらいし

たくさんの車が爆破されてたくさんのウォーボーイズ

ビュンビュン飛ばされて死んじゃうのもつらかった。

血が出ると痛そうで嫌だし殴ったり殴られたりも見たくなかった。

目を閉じるとニュークスが死ぬ直前のシーンがフラッシュバックするし

スプレンディドが産み損ねた赤ん坊の小さな足を思い出す。




もともとアクションとかSFとかそんなに得意じゃなくて

友達ガーディアンズオブギャラクシーとかホビットとか

連れて行かれたときも「何でいちいち爆発すんの?やめなよ」って

思っちゃってあんまり話に入り込めなかった。

今回の件で本当にこういう映画を見る適性がないんだってやっと気付いた。




こういうの見てヒャッハーーーできる人って、

脳をうまく切り替えてるってことだよね?

作り物だから、人がビュンビュン飛んで死んでも

それは見る人を楽しませるためのもので、むしろ爽快なんだよね。

そのへんが致命的なまでに苦手な脳なんだろうなあ。

それとも、「吹っ飛ばす方」ではなく「吹っ飛ばされる方」に

寄った見方無意識にしちゃってるのがいけないんだろうか。

そしたら「吹っ飛ばす方」の気持ちになって観ればいいんだろうけど

吹っ飛ばしちゃったら吹っ飛ばしちゃったで罪悪感があるから

「もう、こういう映画は観ない」が正解なんだろう。




皆と楽しくヒャッハーーーできなくて悲しい。

2015-07-14

岩手中二自殺の経緯と思うこと

改めて書くけど、岩手中学二年生のいじめ自殺の経緯だが

1年時にいじめにあっていて、父親が学校相談し、一旦はいじめは収まった。

しかし、2年になると、またいじめが始まり、父親に相談したら、はっきりしたセリフは忘れてしまったが

「抵抗しろ」とか「やりかえせ」的なことを言われ、少年はその通りにしたらしいが、いじめはなくならなかった

それで、父親に相談することはなくなり、担任ノートで訴えたが、どうにもならず自殺してしまったわけだが

1年時に同級生女子生徒がいじめられているのを見て、少年心配して女子生徒に声をかけたらしい、その女子生徒がお通夜の際だかに、母親にそのことを報告していた

で、1年時、少年女子生徒がいじめにあっていた実情があったにもかかわらず、その年のいじめ件数は0件と教育委員会に報告していたらしい

そういう学校の体質が担任対応にもつながったんだろうと思う

杉村太蔵が、「自ら命を絶つことは許されない」「本当に死にたいと思うような学校だったら、行く必要はない」

いじめがあるから学校行きたくないと言えば十分、そこから可能性はいくらでもあるからね」と発言したらしいが、僕も全く同意見だ。

2015-07-02

旦那の両親が亡くなり、旦那は一人になった。

どこかに気持ちを吐き出したくなりました。ご容赦下さい。

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29歳女。結婚1年目。旦那は5歳年上。

旦那の両親が亡くなった。

2年前の6月7日に、義理父が亡くなり、6月30日、義理母が亡くなった。

両者とも、がんだった。義理母は7年にわたって闘病生活を続けていた。



昨日葬儀は無事に終了。

中学校教諭だった義理母の通夜には200名を超える方がお別れに来てくださった。

昨日の夜片づけが終わり、旦那と一緒に旦那実家に戻った。




帰ってきてしばらくすると、旦那義理母との思い出を少しずつ話してくれた。

時間ずっと話を続けていた。旦那義理母のことをいかに大切にしていたか改めて感じた。

話がふっとと途切れた時、旦那





「僕はどうすればいいんだろう」





とぽつりと言葉を出した。

私は、何も言えなかった。

ただ手を握り締めるしか出来なかった。



一瞬の沈黙があった後、




「嫁子さんが居たから、いま崩れ落ちないでいられる。有難う」





そう言った後、昨晩からずっと手を繋いでいる。




旦那は気丈で、よく気を遣う。

両親両者存命の私に気を使わせないように。葬儀の後でも私にだけジョーク飛ばしていた。

ただ、母が死んだその日から食事の量が激減している。



旦那に気を使わせておくのも、気丈に振る舞われることも正直つらい。

もっと私にぶつけてほしいとも思う。でも無理やりそんなことやらせたくない。

今投げかける言葉も、やれることも見つからない。

きっと私にできることは、手をつなぐこと、旦那が大好きな常夜鍋今日の夕飯に出すことぐらいなんだろう。




旦那の傷を少しでもいやせるよう、私は静かに傍にいてあげたい。