はてなキーワード: 上旬とは
この匿名ダイアリーは不安に駆られて「多浪 就活」「多留 就活」「○○歳 職歴なし 新卒」みたいなキーワードで検索して不安をより膨らませた私のような人のために残す。
ただ私は理系だし女だし(周回遅れなのにキャリアの中断が起こりやすい側の性であることがプラスに働くのかは不明)何の責任も取ることはできない。
詳細は省くが、浪人とか留年とかそんな感じで、20代後半での新卒就活。
2025年卒業見込。24年3月上旬内々定。早くはないが遅くも無い。内々定先も所属大学の中で妥当なラインだと思う。
同じ不安を持つ後輩、今頑張っている同期に向けてアドバイスを少しだけ残す。当たり前の事ばかりだが私は気付くのに時間がかかったので参考にしてほしい。
1.年齢を気にする企業はESで弾くか一次で落とす。選考を進んでいると言うことは年齢については大して気にして無い。
2.オファーサイトでオファーを送ってくる人は外れ値を想定せず学生の年齢全然見てない事が多い。
3.浪人、留年、中退、再入学などの大きな出来事についてはほぼ深掘りされる。ポジティブなストーリーとして納得させる事ができれば個性のアピールに繋がる。
私は恥ずかしながら1つ目に気付くのがとても遅かった。年齢というマイナスをカバーしようと意気込んでいたが面接では別に大したマイナスだと思われてない事も多かった(寧ろそのせいで企業理解や熱意が伝えきれず足を引っ張った)。変に気負わず就活を頑張ってほしい。
この匿名ダイアリーは不安に駆られて「多浪 就活」「多留 就活」「○○歳 職歴なし 新卒」みたいなキーワードで検索して不安をより膨らませた私のような人のために残す。
ただ私は理系だし女だし(周回遅れなのにキャリアの中断が起こりやすい側の性であることがプラスに働くのかは不明)何の責任も取ることはできない。
詳細は省くが、浪人とか留年とかそんな感じで、20代後半での新卒就活。
2025年卒業見込。24年3月上旬内々定。早くはないが遅くも無い。内々定先も所属大学の中で妥当なラインだと思う。
同じ不安を持つ後輩、今頑張っている同期に向けてアドバイスを少しだけ残す。当たり前の事ばかりだが私は気付くのに時間がかかったので参考にしてほしい。
1.年齢を気にする企業はESで弾くか一次で落とす。選考を進んでいると言うことは年齢については大して気にして無い。
2.オファーサイトでオファーを送ってくる人は外れ値を想定せず学生の年齢全然見てない事が多い。
3.浪人、留年、中退、再入学などの大きな出来事についてはほぼ深掘りされる。ポジティブなストーリーとして納得させる事ができれば個性のアピールに繋がる。
私は恥ずかしながら1つ目に気付くのがとても遅かった。年齢というマイナスをカバーしようと意気込んでいたが面接では別に大したマイナスだと思われてない事も多かった(寧ろそのせいで企業理解や熱意が伝えきれず足を引っ張った)。変に気負わず就活を頑張ってほしい。
謎のニセ札事件(なぞのにせさつじけん)とは、1954年12月、日本で発生したニセ札事件である。
←ここ重要
1954年12月上旬、東京都中央区新富町にある印刷所に興信所の捜査部長を名乗る男が現れ、
「
に使うものだとして紙幣のようなもの1,000部の印刷を一部50円で発注した
←これを覚えておいてください
表面の左右にアラビア数字で「100」と印刷されその横に意味不明な文字があり、中央には旗を掲げ乗馬する白い騎士、そして裏面には昇る太陽とダビデの星が描かれていた。
ん?
表面の左右にアラビア数字で「100」と印刷されその横に意味不明な文字があり
すでに数字が書いてあるよ〜
依頼者の「
」との説明を信用した印刷所は“紙幣のようなもの”を注文通り刷り上げ
「ねー公安部長」
「なんだよー」
「いーよ」
公安部長…?
…数日間何をしていた?!見れば分かるだろ!
ダビデの星が印刷されていたことからイスラエル公使館へも問い合わせたが、やはり「この種の紙幣は通用していない」との返答を得るだけであった。
そんなことしてる暇があったらもっとさぁ…
手取りと同等額の様々な引き落とし額でした。
遠距離なので前回のお泊まり(1月上旬)の時に預けておいた数万円がこうも早く使われることになるとは。
このまま預けて使われ続けるのも嫌なので、結婚もまだだしやりくり数ヶ月できてると思ってたので生活で使っているお金に干渉しないで居たけれど、首を突っ込まざるを得なくなりました。
預けている額はそんなに多くないけども。
僕はできるだけ節約する術を考え、最終的な行動は🐅に任せて、色々記録したい。
https://web.archive.org/web/20240127104246/http://ashihara-hina.jugem.jp/
ありがとうございました。
色々と悩んだのですが、今回のドラマ化で、
私が9話、10話の脚本を書かざるを得ないと判断するに至った経緯や事情を、
きちんとお伝えした方が良いのではと思い至りました。
この文章を書くにあたって、私と小学館で改めて時系列にそって事実関係を再確認し、
ただ、私達は、ドラマの放送が終了するまで、脚本家さんと一度もお会いすることは
ありませんでしたし、監督さんや演出の方などドラマの制作スタッフの皆様とも、
ドラマの内容について直接、お話させていただく機会はありませんでした。
ですから、この文章の内容は私達の側で起こった事実ということになります。
「セクシー田中さん」は一見奇抜なタイトルのふざけたラブコメ漫画に見えますが…。
自己肯定感の低さ故生きづらさを抱える人達に、優しく強く寄り添える様な作品にしたい
という思いが強くあり、ベリーダンスに纏わる方々の思いにも共鳴しながら、
ドラマ化のお話をいただき、当初の数話のプロットや脚本をチェックさせていただきながら、
最終的に私が10月のドラマ化に同意させて頂いたのは6月上旬でした。
「セクシー田中さん」は連載途中で未完の作品であり、また、漫画の結末を定めていない
作品であることと、当初の数話のプロットや脚本をチェックさせていただいた結果として、
・漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、
まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。
原作者が用意したものは原則変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、
原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要や、
これらを条件とさせていただき、小学館から日本テレビさんに伝えていただきました。
また、これらの条件は脚本家さんや監督さんなどドラマの制作スタッフの皆様に対して
大変失礼な条件だということは理解していましたので、
「この条件で本当に良いか」ということを小学館を通じて日本テレビさんに
何度も確認させていただいた後で、スタートしたのが今回のドラマ化です。
ところが、毎回、漫画を大きく改編したプロットや脚本が提出されていました。
・漫画で敢えてセオリーを外して描いた展開を、よくある王道の展開に変えられてしまう。
・個性の強い各キャラクター、特に朱里・小西・進吾は原作から大きくかけ離れた
別人のようなキャラクターに変更される。
・「性被害未遂・アフターピル・男性の生きづらさ・小西と進吾の長い対話」等、
私が漫画「セクシー田中さん」という作品の核として大切に描いたシーンは、
大幅にカットや削除され、まともに描かれておらず、その理由を伺っても、
納得のいくお返事はいただけない。
といったところが大きなところですが、他にも細かなところは沢山ありました。
私が描いた「セクシー田中さん」という作品の個性を消されてしまうなら、
どうして変更していただきたくないのかということも丁寧にご説明し、
粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1〜7話の脚本の
完成にこぎつけましたが…。
脚本家さん、監督さんといったドラマ制作スタッフの皆様と、私達を繋ぐ窓口は
プロデューサーの方々のみでしたから、プロデューサーの方々が当初「ドラマ化の条件」として
どのように脚本家さんや監督さん、ドラマ制作スタッフの皆様に伝えていらっしゃったのか、
残念ですが私達には知る術はなく、
当初お伝えした「ドラマ化の条件」はどうなってしまったのだろう?という
その頃には私も相当疲弊していました。
そして、私があらすじ、セリフを準備する終盤のドラマオリジナル展開は
8話〜10話となりましたが、ここでも当初の条件は守られず、
私が準備したものを大幅に改変した脚本が8話〜10話まとめて提出されました。
特に9話、10話の改変された脚本はベリーダンスの表現も間違いが多く、
ベリーダンスの監修の方とも連携が取れていないことが手に取るように分かりましたので、
「当初の約束通り、とにかく一度原作者が用意したあらすじ、セリフを
「足りない箇所、変更箇所、意見はもちろん伺うので、脚本として改変された形ではなく、
といったことを、小学館から日本テレビさんへ申し入れをしていただきましたが、
それを小学館サイドが「当初の約束通りに」と日本テレビさんにお戻しするという作業が
数回繰り返されたと聞いています。
最終的に、日本テレビのチーフプロデューサーの方から「一度そのまま書くように」との
指示が出たとも伺っていましたが、状況は変わらぬまま約4週間が過ぎてしまいました。
ドラマの制作スケジュールのリミットもどんどん迫っていましたので、
本当はドラマオリジナルとなる8話〜10話全ての脚本を拝見してオリジナル部分全体で、
何とか改変前の内容に修正させて頂いて、日本テレビさんにお渡しすることになってしまいました。
9話、10話に関する小学館と日本テレビさんのやりとりを伺い、
時間的にも限界を感じましたので、小学館を通じて9話、10話については、
当初の条件としてお伝えしていた通り、
「原作者が用意したものをそのまま脚本化していただける方」に交代していただきたいと、
結果として、日本テレビさんから8話までの脚本を執筆された方は
9話、10話の脚本は、プロデューサーの方々のご要望を取り入れつつ、私が書かせていただき、
脚本として成立するよう日本テレビさんと専門家の方とで内容を整えていただく、
という解決策となりました。
何とか皆さんにご満足いただける9話、10話の脚本にしたかったのですが…。
素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです。
漫画「セクシー田中さん」の原稿の〆切とも重なり、相当短い時間で脚本を
執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます。
9話、10話の脚本にご不満をもたれた方もいらっしゃるかと思います。
どのような判断がベストだったのか、今も正直正解が分からずにいますが、
改めて、心よりお詫び申し上げます。
最後となりましたが、素敵なドラマ作品にして頂いた、素晴らしいキャストの皆さんや、
ドラマの制作スタッフの皆様と、「セクシー田中さん」の漫画とドラマを愛してくださった
2024.1.26
※こちらのブログ、10年も放置してしまったため、1日の訪問者数が既に一桁でして…
なので今回、X(旧Twitter)新規アカウントを作って、同時にご報告させていただいてます。
@ashihara_hina
お仕事---
テストです
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実は今発売中の『cocohana1月号』予告にミスがありまして。
本当に申し訳ないです。
夏くらいから体調崩してばっかりなので、しっかりリセット出来ると良いなあ~。
あとは、ずっとお世話になってたcocohanaの担当さんが他誌に異動されて
cocohanaでの初めての担当替えがありました。さすがに寂しいなあ~。
色々有難うございました!
お仕事---
3冊同時に発売中です~!!
「Bread&Butter]2巻は、水色に近いエメラルドグリーンの表紙です。
可愛く仕上げて頂いて、とても嬉しい。
2巻は「フレンチ・トースト」「イースト菌」「プレッツエル」「パン・サプライズ」ですよ~。
あと、「芦原妃名子傑作集・1・記憶」と「芦原妃名子傑作集・2・祈り」も同時発売です。
これ、一応私の20周年記念本なのですよ。なのでほぼ過去作で構成されてます。既刊コミックス未収録の新作は「乞う女」と「スゴロク」のみなので、どうぞお間違えの無い様、お気をつけくださいませ~。
途中お休みもしてるので、20周年といっても若干サバ読んでる気がしないでもないですが、、
一作一作コメントも書いてますので、興味のある方は手にとってみてくださいね。
お仕事---
2014.07.16 Wednesday02:13
原稿終わった~~! とりあえず、いっぱい遊ぶ!
おやつ---
2014.07.06 Sunday00:36
7月19日(土)発売です!
どうぞよろしく~。
「cocohana」8月号も発売中ですよ~☆
詳細はまた後ほど。
お仕事---
2014.06.08 Sunday04:44
ほったらかしてました。ごめんなさい、、、。
ずっと調子のおかしかったPCを買い換えて、すさまじくメカオンチの私は
えーーっと、まず・・今発売中のCocohanaには、私のパン漫画は載っていないのですが、
私自身は特にお休みを取っていたわけではなくって、小学館さんでの別の読み切りを描いておりました。
なぜか、、なぜか、、「ビッグコミック オリジナル」に載りますよ!!
少女マンガ絵ど真ん中の、私の漫画が!なぜか!オリジナルに、、!!
昔、うちのお父ちゃんが読んでたよ、、。今も読んでるか知らないけど、黙っとこ。
なんでオリジナルに描くことになったかは、たいした理由もないんですけど、省略。
ちょっとした珍事件ですので、興味のある方は是非読んでみてくださいね。
パン漫画は、なるべく「業」とか「欲」とかを排除しながら描いてるのですけど
(出来るだけ「優しいモノ」を、、との注文を頂いてスタートした漫画なので)
「Bread&Butter」は、6月28日発売Cocohana8月号より巻頭カラーで再開です!
あ、あと、「砂時計」1~3巻(デジタル版)が、6月18日まで無料で読めるみたいです。
未読の方は是非、この機会にご覧くださいませー。
少し前、小学館の編集さんに、美味しいパンを沢山いただきました。
美味しい、、。へんしゅうさん皆やさしい、、悲しス。
お仕事---
2014.03.22 Saturday05:07
「Bread&Butter」第1巻☆3月25日発売です!
宜しくお願い致します
お仕事---
悲しい出来事がありました。。
土曜の最終で「ダラス・バイヤーズクラブ」を観て、余韻冷めやらぬまま売店のレジに行き
「パンフレットください、、」とつぶやいたら不透明の袋に入ったパンフレットをお姉さんに手渡され
中身を確かめないまま自宅に帰って袋から取り出してみましたら。。
なんでやねーーーーん!(500円返して~~~!)
せっかくなので「マチューテ・キルズ」のパンフレット読みましたけども、
私が観たのは「ダラス・バイヤーズクラブ」です。ハイ。
マシュー・マコノヒーもジャレッド・レトも凄かった。
描かれるのは、「生」に対するあまりに真っ直ぐな執着心。
「執着心」って、あまり聞き心地の良い言葉ではないけど、やっぱりもの凄いエネルギーを生むんですよね。
屈折してると痛々しく映るけど、ストレートな執着が爆発する様は、むしろ爽快。
主人公はあくまで自己中で自業自得で貪欲で、だけど彼のエネルギーが周囲を巻き込んで救済し感謝され、そのこと自体に戸惑いながら少しづつ他者との絆を得て行く描かれ方が、とても良かった。
自堕落な過去の自分を全て否定して、綺麗に生まれ変わったわけではないんですよね。
差別する側だった人間が、差別される側に転げ落ちる様は、「第9地区」と被るな。
パンフレット、、、。声が、小さかったのかな。
もっと腹の底から声を出して、強くたくましく生きようと思います。
うちのお姉ちゃん家に子ニャンコがやって来ました!
本・映画---
「オンリー・ゴッド」観てきました。
「復讐モノ」だと思ってたけど、違ってた。「親殺し」が主軸。
「ドライヴ」より私は好きでした。
母親より更に偉大な「神」が、新たな依存先に見えなくもないけれど。。
戦いを挑んでコテンパンにやられて裁かれて赦されて、救われたのかな?
「親殺し」はどうしてもパターン化してしまうけど、それほど普遍的なテーマなのかもしれないです。
バイオレンス描写より、KARAOKEシーンのがインパクトでかかった。
一人殺したら、腕一本。マイルールに則って無感情に淡々と人を裁いていく様は、
「神様」って言うよりも、「法」とか「規則」とか、そんな感じ。
人に勧めにくい。私は好きだけど。 <h3>o- **</h3>
パンをチマチマいっぱい描きました。
デザイナーさんが考えてくれたカバーデザインがとっても可愛いので、
仕上がりが楽しみです♪
「Bread&Butter」コミックス第1巻は、3月末発売予定です!
また、改めてお知らせしますね。
セクシー田中さんの件、SNSの議論や著名人の発信、スターを稼いでるブコメなどを読んでると、日テレや脚本家を批判する人たちも擁護する人たちもどうも事実を正しく認識できていないように思えて仕方ない。
そこで今一度芦原さんのブログに立ち返って冷静に事実確認をしたい。
まず今現在、批判してる人や擁護してる人が漠然と抱いている事の顛末は以下のようなかんじじゃなかろうか。
1.日テレからドラマ化のオファーがあり、原作者は「原作を忠実に再現すること」を条件に許可をした。
2.しかし実際に脚本が上がってくると大幅に改変されたものがあがってきた。
3.脚本化が自我を出したせいなのか、芸能事務所等の大人の都合によるものなのか真相はわからない。
4.原作者の抗議の声も聞き入れられず、脚本はそのまま使われて原作とは大きく異なるものが8話まで作られてしまう。
5.さすがに腹に据えかねた原作者が脚本家を降ろし、9話、10話は自ら執筆することを決意。
では事実はどうだったのか、芦原さんのブログを元に順を追って確認したい。
→これは事実だ。
ドラマ化のお話をいただき、当初の数話のプロットや脚本をチェックさせていただきながら、
最終的に私が10月のドラマ化に同意させて頂いたのは6月上旬でした。
「セクシー田中さん」は連載途中で未完の作品であり、また、漫画の結末を定めていない
作品であることと、当初の数話のプロットや脚本をチェックさせていただいた結果として、
・漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、
まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。
原作者が用意したものは原則変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、
原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要や、
これらを条件とさせていただき、小学館から日本テレビさんに伝えていただきました。
また、これらの条件は脚本家さんや監督さんなどドラマの制作スタッフの皆様に対して
大変失礼な条件だということは理解していましたので、
→これも事実だ。
私が描いた「セクシー田中さん」という作品の個性を消されてしまうなら、
どうして変更していただきたくないのかということも丁寧にご説明し、
粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1〜7話の脚本の
完成にこぎつけましたが…。
そして、私があらすじ、セリフを準備する終盤のドラマオリジナル展開は
8話〜10話となりましたが、ここでも当初の条件は守られず、
私が準備したものを大幅に改変した脚本が8話〜10話まとめて提出されました。
特に9話、10話の改変された脚本はベリーダンスの表現も間違いが多く、
ベリーダンスの監修の方とも連携が取れていないことが手に取るように分かりましたので、
「当初の約束通り、とにかく一度原作者が用意したあらすじ、セリフを
「足りない箇所、変更箇所、意見はもちろん伺うので、脚本として改変された形ではなく、
といったことを、小学館から日本テレビさんへ申し入れをしていただきましたが、
それを小学館サイドが「当初の約束通りに」と日本テレビさんにお戻しするという作業が
数回繰り返されたと聞いています。
最終的に、日本テレビのチーフプロデューサーの方から「一度そのまま書くように」との
指示が出たとも伺っていましたが、状況は変わらぬまま約4週間が過ぎてしまいました。
ドラマの制作スケジュールのリミットもどんどん迫っていましたので、
本当はドラマオリジナルとなる8話〜10話全ての脚本を拝見してオリジナル部分全体で、
何とか改変前の内容に修正させて頂いて、日本テレビさんにお渡しすることになってしまいました。
9話、10話に関する小学館と日本テレビさんのやりとりを伺い、
時間的にも限界を感じましたので、小学館を通じて9話、10話については、
当初の条件としてお伝えしていた通り、
「原作者が用意したものをそのまま脚本化していただける方」に交代していただきたいと、
結果として、日本テレビさんから8話までの脚本を執筆された方は
9話、10話の脚本は、プロデューサーの方々のご要望を取り入れつつ、私が書かせていただき、
脚本として成立するよう日本テレビさんと専門家の方とで内容を整えていただく、
という解決策となりました。
→これも一部事実と異なる。9、10話を納得できるものに仕上げられなかったのは事実だが、それは8話までの出来とは関係なく単に原作者の力量不足ゆえだ。
何とか皆さんにご満足いただける9話、10話の脚本にしたかったのですが…。
素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです。
漫画「セクシー田中さん」の原稿の〆切とも重なり、相当短い時間で脚本を
執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます。
9話、10話の脚本にご不満をもたれた方もいらっしゃるかと思います。
どのような判断がベストだったのか、今も正直正解が分からずにいますが、
改めて、心よりお詫び申し上げます。
→ここは判断が難しい。原作者は最初に出した条件が守られていなかったと思っているが客観的にみると条件は守られている。それについては後述する。
最後となりましたが、素敵なドラマ作品にして頂いた、素晴らしいキャストの皆さんや、
7の項で書いたように原作者の認識では守られていないように感じていたようだ。だが客観的にみれば実際には守られている。
・漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、
まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。
原作者が用意したものは原則変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、
要約すると、
1.漫画に忠実にドラマ化すること、そうでなければ加筆修正する。
2.終盤部はこちらで用意したあらすじからセリフまでをそのまま脚本にすること、できなければこちらが執筆する可能性もある。
・原作者は7話までの脚本を加筆修正してほぼ原作通りに仕上げた。
・8話も改変前の内容に修正できた。
これは当初提示した条件通りではないだろうか?
原作者の視点では「思っていたように仕事がすすまなかった」のは事実だろう。
しかしそれはあくまでプロセスでの問題であって、結果をみれば原作者は最大限尊重されていた。
むしろ途中で降板させられた脚本家のほうが日テレから軽くみられていたといえるんじゃないか?
〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎と和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法」である。これは、山口や和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。
私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法」からの流れの中で位置づけるべきだと考える。
同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊の合憲化(57)、③日本の経済的地位に見合った国際貢献の必要性、④国連軍や国連の警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリストや武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲は必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から、護憲の立場からの改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである。
同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲論である。同提言は軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国の軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから、北朝鮮や中国の軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪と過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラルは過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである。
佐藤が語る、愛国心の必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである。佐藤の饒舌から、私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。
馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事・平和維持活動において殉死・殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後の平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊」追悼施設が必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。
ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官の川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交を批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合、日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツが独自のイラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたからである。翻って日本の場合、多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国や国際社会の理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。
元国連職員の吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端と吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍の軍事活動に積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理に反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使を容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである。
なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文「山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実の国際政治の中で、山川はソ連の侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間の努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活を改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤が柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。
10.おわりに
これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤は沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮やアルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実的平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略と植民地支配の反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分は国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的に保障する国家―先進国主導の戦争に積極的に参加し、南北間格差の固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である。
大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派の大国化路線に対抗して、日本の経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪と補償は必要とした路線が、東アジア諸国の民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合の破綻といった状況に規定された、リベラル・左派の危機意識から生じている。九〇年代の東アジア諸国の民衆からの謝罪と補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本の私たちが、進んで過ちを正しみずからに正義を回復する、即ち日本の利益のために」(69)(傍点ママ)歴史の清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本の利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争や植民地支配を可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立つリベラル・左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡を消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である。改憲後、蛹は蛾となる。
ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル・左派が意図的に計画したものと捉えているわけではない。むしろ、無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向の寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力のからみあい、もつれあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治的立場から期待されている人物が統合の象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物が実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴と人物の未分性という日本政治の特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能を果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディアに追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリストや発言力を確保しようとする学者、無様な醜態を晒す本質的には落ち目の思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからみあい、もつれあって」、集団転向は進行している。
ところで、佐藤は、「仮に日本国家と国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家、同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル・左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまったからには、自国の国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤を賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間を異端者扱いするのが目に見えている。
この佐藤の発言は、安倍晋三前首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族に配慮するという意図からだろうが、アメリカは一丸となって事件に対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである。国益がからむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)
文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ、総連弾圧をめぐる日本の言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したことを物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル・左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権が北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本のリベラル・左派は安倍政権ごときに敗北したのである。
〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル・左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである。侵略と植民地支配の過去清算(在日朝鮮人の人権の擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的・侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲か護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使を容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである。容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界の諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連の民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア、世界の平和にとって大きな災厄である(73)。
改憲と戦争国家体制を拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア・知識人等を徹底的に批判すべきである。
註
(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。
(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。
(3)ただし、編集者は佐藤が右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。
(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。
(5)インターネットサイト「フジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37
11月下旬に自分とこのチームに離任・現場を移るメンバーがおり、短い期間に何度も…と感じたのを覚えているから
新人は基本的にお客さんからお金はとってないはずで、歓迎会をしたことから考えてもこんなすぐ手離す予定ではなかったはず
ということは
何かやらかして切られた
のどちらかだろうな
現場から離脱した新人の事情はしらんがあれこれ想像しつつ考えてる
自分のとこと違って、忙しいチームではあった
歓迎会にも新人の所属するチームより合同参加の他2チームが圧倒的に多かった
普段、新人が作業を一緒にしているであろうベテラン社員は来てたが、ちょっと離れてた
新人はおそらくその時に初見だったであろう他チームの先輩社員たちに話を振られる感じ
しかしその先輩社員たちにとっても新人は初対面で仕事も関わりがなく、絡みづらかった 自分も例に漏れず
同じ仕事をしていればどうでもいい・中身のない仕事関連の話で下手なりにも話はできる、けどそれすら関わってないのでできない
新人のいる位置は席の中央だったが、ちょうど2つの話題グループの谷間の位置だった
数年前、短期間だが発達障害(ADHDが主)の人とお付き合いした。
これまで発達障害の人と深く関わったことが無かったので、衝撃的なことが多かった。
何かの参考になればと思い、フェイクを入れつつ書く。
初期の彼の印象は、博識かつ行動的な人だった。
知識が豊富で会話のスピードが速く、賢い人だなと認識していた。
フットワークも軽く、出会って間もなく告白され、率直で素敵だなと感じた。
でも親しくなった途端に、はて、と感じることが増えた。
彼はとにかく常に自分のことで頭がいっぱいなのだ。延々と自分のことを喋り続ける。
例えば、彼に「誕生日はいつ?」と訊くと「12月15日!」と返答がある。
また、デートで待ち合わせの日時と場所を決めるが、ほとんど守られたことが無かった。
本人もこれまでの人生で何度も同じ失敗をしており、気を付けようとしていた。
彼「行こう!」
(1週間後)
彼「会いたい」
彼「わかった! 伊勢丹行きたい!」
(土曜日の朝5時)
彼「上野に向かってるよ」
彼「あ」
増田「バイトで疲れてるのかな? いったん家に戻って休んだほうがいいと思う」
彼「そうする」
(11時55分)
(13時半)
彼「いま起きた……」
増田「えーと」
彼「ずっと楽しみにしててめちゃめちゃ準備してたのに…こんなのばっかりだよ……」(激しく落ち込む)
まず、どうしたら土曜日に上野だと思ったのか本当に分からなかった。おそらく彼にも分からなかったんだろう。
とにかく朝寝坊しないことに必死で、「待ち合わせ時間」という概念も頭からすっぽ抜けてしまったのだと思う。
ほとんど同じようなことが何度か起こった。
一度も「ごちそうさま」「ありがとう」などとは言われなかった。
ある時、店で会計を終わらると開口一番「安っ!」と言われた際には、唖然とした。
また彼は、日常的にどうでもいい嘘(というか言い訳)をついていた。
あるとき、駅のホームで隣り合っていると、彼が飲んでいた飲み物がこぼれて増田の服が濡れた。
「ちょっと~」と軽く言うと、即座に「最初から濡れてたよ」と言われた。
そんなわけはないし、別に彼を責めているわけでもない。わけが分からな過ぎて、何も言えなかった。
おそらく、発達障害の特性による失敗を幼少期から叱責され続け、
自己防衛のために自然とそういう嘘が口をつくようになったのではと想像している。
例をあげたらキリがないが、このような言動に疲れてしまい、早々にお別れした。
ここに書いた以外にも、ADHDの特性にピタリと当てはまることばかりだった。
これこそ言い訳になるが、恋愛まっただ中でIQがダダ下がりしていたため、付き合っている時には気付かなかった。
「親御さんとも相談して医者にかかってみては」と提案できたと思う。
こうした恋愛関係以外でも、彼は何度も詐欺にあったり、衝動的な行動や失言により
友人を失ったり、浪費をして生活費に困ることを繰り返したり、
たびたび激しい自己嫌悪に陥るなど、とにかく生きづらそうだった。
そして彼は自身を双極性障害ではと疑っていた。少なくとも、付き合っていた期間に発達障害の話は出なかった。
オールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)とは、はてな匿名ダイアリーで展開された日付リストである。
2023年1月17日から1年かけて展開された、366日とネタ的に設定された架空の日付(11月31日など)も含めた、全ての日付で大規模な自然災害や不祥事、開戦日や原爆投下などの戦争の出来事などをリストアップした増田。
きっかけはX(旧Twitter)でその日のキャラクター誕生日や記念日で祝っているのに地震などの災害や不祥事などで水を差すなどのやり取り、そしてアンサイクロペディアの3月11日の記事を見て勝手に一人でぶちぎれて作ったとのこと。
(なおXではこの記事への返歌とも言われているが、実際はXでの巨大地震発生時の不謹慎ムーブメントにキレたのがきっかけらしく、あくまでもアンサイの記事は後押しでしかないと主張している)
当然すべて不謹慎な出来事でまとめられているため、著作権などもないと宣言しており、また勝手に薄い本や日めくりカレンダーにしても構わないとしている。
あまりにも世も末すぎることから、2023年7月30日に発表された増田のやべーやつ番付(2023年7月場所)で、前頭最後の力士として幕内入りを果たしている。
また2023年11月30日に発表された2023年11月場所でも前頭として幕内入りを果たしている。
同じような趣旨の企画は、実はTwitterのかりうむが2014年3月11日に展開しているが、同じ人物によるものか、それとも無関係の増田なのかは不明である。
「くぅ~アンラーッキーw」で自分語りされたが、EngrishやTypoも皮肉にしつつ、このタイトルで「覚えようって話やで」系のトラバを誘発させる目的がだったとのこと。
またアンハッピーとしなかった理由も「何がアンラッキーだ」というトラバ誘発を目的としており、独自のブランドを持たせつつその指摘トラバを誘発させて注目エントリなどに入れさせるという狙いがあったという。
日本を基準に炎上などのインターネットの事件や不祥事、東日本大震災などの未曽有の自然大災害、世界レベルで起きた戦争の開戦・終戦日など、人前で話しづらいようなブラックすぎる出来事や人物の日をピックアップしている。
ただしあまりにも大きすぎるものは日本だけでなく海外も対象になっているが、増田らしさをこだわってか、あえてインターネットミームでも闇や裏の色が強い出来事を最優先にしている。
なお、どうしようもない時は蛮行を犯した人間の誕生日を扱う予定だったが、結局すべての日で不謹慎な出来事で埋まったので扱われなかった。
リストの公開タイミングは遅くてもその月の中旬までには公開されており、特に上旬でこの月で最も不謹慎な出来事でXなどが話題になることが予想される日に公開されている。
1月であれば阪神淡路大震災、3月であれば東日本大震災、8月であれば広島原爆投下のように、最も不謹慎となりうる出来事に合わせている。
これ以外にも下記のような番外編も存在する。
AnondAIで話題になっていたエイプリルフールの企画。 実はよく見るとすべて不謹慎な出来事を起こしたものと関係するものがピックアップされており、皮肉的に扱っている。
ロシア・ウクライナ情勢に因んだこの日の不謹慎な出来事リスト。
アメリカ人にとって特に悲しむ要素のないものが多いアメリカで発生した不謹慎な出来事リスト。 いわゆるバーベンハイマーに因んだ企画である。
揉み消し風土がある組織ばかりだと思うが、なぜ今年に限って露見したのか気になったので時系列を書き出した。
2023年9月末 劇団員が死亡しているのが発見される。(自殺)
2023年10月 歌劇団が外部捜査チームによる聞き取りを行う
2023年3月上旬 イギリスBBCが喜多川性加害問題の長編ドキュメンタリーを国内テレビ放送。Youtubeにも公開
2023年3月下旬 週刊文春が新たな被害者等記事。上記ドキュメンタリーの取材協力も週刊文春
2023年5月中旬 一部のファン団体による問題解明に向けた署名。事務所、動画・書面の公開。外部専門家による再発防止特別チームを設置。NHK初報道。
2021年秋ごろ 保険金不正請求について損害保険会社の業界団体へ内部告発
2022年初旬 保険会社3社によるサンプル調査。結果、不正が疑われたのでビッグモーターへ自主調査を求める。その報告を受け2社は再調査を求めていた。
2022年9月 損保ジャパン社長会見にて、不正請求に対して毅然たる姿勢で対応とのコメント
2023年4月 タイヤをパンクさせる指導の動画が流出。公開され報道。
今Xのギター系隈で話題になってる件でHISの対応に疑問がある。
ことの顛末は
・ギタリストY氏がギター教室の生徒や知人を集めて、ロンドンで楽器屋等をめぐるツアーを計画し、10月上旬に実施された
・ツアーのお粗末な内容や、参加キャンセル分の返金がなかったことをXに投稿し、話題になる
・ツアーを主催した、Y氏の知人の会社P社にツアー料金を振り込んだが領収書が発行されなかったため、参加者が主催者側に領収書の発行を請求
・請求から20日ほどたったあとに、HIS名義の領収書が各参加者に発行される。発行日はツアー終了後の日付
・HISから参加者に、領収書に誤りがあり領収書の返却を求める旨の連絡
領収書の返却後、P社から正しい領収書が発行されるとのこと ←今ここ
HISとして本来発行するはずのない領収書を発行してその返却を求めてるというところ、普通の企業であればありえない対応だと思う。
もしかしたら3月に定期異動があるかもあるかもと言われてもどこに決まるかは「それは直前にならないとわからないから〜」だって!ウチには年長と年少の子どもがいて私も働いているけど一切関係なし!保育園の一次提出締め切りはだいたいどこも11月上旬なのにこれじゃ何にもできなくてイライラと不安と自衛隊に対する不信感だけが爆発するわ!もし保育園入れなかったらどーすんだよ、また私が仕事やめるしかないんか!自衛隊もなーにが女性の活躍だよ!自衛隊がいう女性は24時間働ける独身子なしか子ども親に預けっぱなしでも罪悪感のないやつだけだろ!セクハラとかパワハラとかする前にせめて保育園児のいる家庭の定期異動くらいさっさとどこにするか決めろよ!しかも定期異動の時期は3月の半ばだから、この時期に本当に異動したら長男は保育園の卒業式にも出られない!次男は次の保育園に入れたとしても4月からだから半月も預け先ない!この異動の時期考えたやつ誰なんだよ!どう考えても女性も子どもも活躍できねーじゃん!!ほんとに男が自分の都合の良いようにしかできない組織!!大嫌い!!!!
Эти 13 грибов больше нельзя собирать: как они выглядят и как их отличить от «разрешенных»
59.ru
10月12日から、ロシアのすべてのキノコ採り業者はさらに注意する必要があります。レッドブックに記載されている植物やキノコの収集に対する刑事責任に関する法律が施行されました。現在、現行犯で捕まった場合、高額の罰金または数年の懲役が科される可能性があります。法律で何が変わったのかを説明し、触らないほうがよいキノコを紹介します。
レッドブックに記載されている、または国際条約で保護されている植物やキノコの収集または破壊を犯罪とする法律が発効しました。意図的な破壊、損傷、採取、収集、密売に対しては刑事責任が課せられます。
以前は、希少キノコの破壊に対して、個人は最高 5,000 ルーブル (役人は最高 2 万ルーブル、法人は最高 100 万) の行政罰金のみを課せられていました。しかし、この法案の起草者である国家建設立法委員会の委員長であるパベル・クラシェニンニコフ氏によると、そのような保護の有効性は不十分だったという。
現在、レッドブックに記載されているキノコを破壊した場合、最高100万ルーブルの罰金と最高4年の懲役が科せられる。事前の共謀により希少なキノコを集団で売買した場合、最高300万ルーブルの罰金と最高9年の懲役が科せられる。違法な取得または販売の場合 - 最長 5 年間の強制労働、50 万ルーブルから 150 万ルーブルの罰金。
この記事で取り上げられないようにするには、森に入るときに、同じレッドブックのキノコがどのように見えるかを知る必要があります。絶対に覚えておいてはいけないキノコをご紹介します。
ロシアのこのキノコは、アムール地方とペンザ地方で最もよく見つかります。西ヨーロッパ、東ヨーロッパ、バルト三国、トランスコーカサス地方でも見られます。樫の木の近くに2~3個のキノコが生えていることが多いです。公園タイプの氾濫原のオーク林に生息し、放牧され、まばらな下草とフォーブグラスに覆われ、シルト質粘土が下敷きになった、動物によって圧縮されたチェルノーゼムのような土壌に生息しています。担子腫は土壌上に単独で形成されますが、2 ~ 3 個の小グループで形成されることは少なく、ひどく腐敗したオークの切り株で形成されることはあまりありません。担子腫は、通常、夏が暖かく非常に湿気の多い年に、7 月下旬から 8 月上旬に発生します。
一般に、ペッパー マッシュルームには、Chalciporus Piperatus と Rubinoboletus robinus の 2 種類があります。そして2番目のものはレッドブックからのものです。さらに、菌学者のアンドレイ・ゲラシモフ氏は、それらを純粋に外見的に区別するのが難しい場合があると述べています。— それはただのコショウキノコで、かさの直径は2〜7センチメートルです。ペッパールビーは最大8個までありますが、ノギスを持って森を歩くことはありません。1 つは平凸キャップ、もう 1 つは平凸キャップです。基本的にはキャップの色に注目してください。ペッパーマッシュルームでは、淡褐色から暗さび色、赤茶色までさまざまですが、ルビーペッパーマッシュルームでは、通常は黄褐色またはレンガ色です。しかし、ここでももちろん、判断するにはまともな目が必要です。
このキノコは、沿海州とハバロフスク地方の自然保護区で非常に一般的です。一般的なヒラタケと区別できる主な特徴は色です。一般的なヒラタケでは、傘の色が濃い灰色または茶色がかった色(若いキノコの場合)から、紫がかった灰灰色(成熟したキノコの場合)に変わります。キノコが老化するにつれて、色は変化し続け、白っぽく、灰色がかった、または黄色がかった色に消えます。
サーモンストローヒラタケは、その色がサーモン、つまりサンゴ色であることからそう呼ばれています。もちろん、時間が経つと、キャップは色あせて麦わら色になり、端には半透明の縞模様が現れます。
赤黄色のポルチーニは本質的には同じポルチーニですが、収集できる仲間と区別するのは非常に簡単です。
— これらのキノコの傘はビロードのように見え、黄色がかった黄色または茶色がかった灰色で、赤みがかった斑点があり、直径は9〜25 cmです。カットすると青くなりますが、新しいルールでは、もちろんカット部分を実際に見ることはできません」とアンドレイ・ゲラシモフは言います。「このキノコはよく隠れているので、見つけたら近くにさらにいくつかあるはずです。」
ロシアでは、赤黄色の植物はクラスノダールと沿海地方、ペンザとトゥーラ地域で生育しています。ちなみにトゥーラ地方では「ろう者」とも呼ばれます。赤黄色のポルチーニの別の一般的な名前は「ポドゥブニク」です。これらの名前によく馴染みがある場合は、非常に短い崖の端を歩いているかもしれません。
「普通の斑岩のことさえ心配しません」とアンドレイ・ゲラシモフは言います。- 見た目も美しくなく、味も平凡だからです。つまり、彼は「私を連れて行かないでください」と言っているように見えます。何らかの形でまだ使用できる唯一の場所は、熱い酸洗いです。しかしそれでも、不快な味を隠すためにたくさんの香辛料やスパイスを追加する必要があります。したがって、皮膚にはろうそくの価値はありません。しかし、斑岩キノコの中には、キノコ狩りの人々の間で間違いなく興味深い亜種が 2 つあります。これらは赤い胞子斑岩と私たちのレッドブックの英雄、偽樺斑岩です。見た目はポルチーニに非常によく似ているため、それを保存する最良の方法は、その生息地を注意深く監視することです。
偽白樺斑岩はロシア全土の針葉樹林と混交林で見られますが、ほとんどの場合、クラスノダールと沿海地方で見られます。さらに、シホテ アリン、ウスリー、コーカサス生物圏保護区、およびケドロバヤ パッド自然保護区でも見つけることができます。
非常に大きなキノコであるためだけに、巨大な列を通り過ぎるのは非常に困難です。一方で、それを探す場所を知っておく必要があります。そして、それはレニングラードとキーロフ地域の森林、そしてクラスノヤルスク地方で発見されています。このキノコは8月から9月にかけて松林で成長します。
巨大な列には非常に大きなキャップがあり、直径は20 cm以上に達することがあります。その形状は最初は半球状で、その後平らになります。キャップの端はわずかに盛り上がっており、小さな波を形成しています。キャップの裏側には大きなプレートがあり、最初はクリーム色またはピンクがかった色合いで、次に赤または茶色です。
オジロ白豚としても知られるロイコパキシルスは、キノコ狩りの愛好家の間では「ウェン」という名前で知られています。ペンザ地方のほか、スタヴロポリ地方やクラスノヤルスク地方でも見られます。
「このキノコの傘は非常に大きくて肉厚で、直径15〜30センチで、半球形で、その後平らに凸になり、成熟するとわずかに凹むことがあります」とアンドレイ・ゲラシモフは言います。— 皮膚は滑らかで絹のようで乾燥していて、雨の日にはわずかにベタつき、色は白っぽいか明るい灰色で、時には漠然とした青みがかった緑がかった斑点があり、中央はクリーム色です。プレートはわずかに変形し、幅が広く、頻繁に現れ、白く、時にはクリーム色を帯び、成熟するとクリーム色になります。茎は高さ 4 ~ 8 cm、直径 4 cm までで、密で繊維質で、単色でキャップがあり、多くの場合、茎の上部、茎のわずかに下の部分に、狭いぼやけたストリップのように見える青緑色のゾーンがあります。プレートの取り付け場所。
Leucopaxillus は優れた食用キノコと考えられており、生での使用にも、乾燥や酸漬けにも適しています。しかし、こうしたおいしい料理については考えないほうがいいでしょう。
サマートリュフは、誰もが珍味として知っている食用キノコです。自然界では珍しいため、ロシアのレッドブックに記載されています。
一般に、彼はロシア、主にコーカサス、北西トランスコーカサス地方、クラスノダール地方で育つこの種の唯一の代表者です。これらのキノコの生息地は落葉樹林です。
サマートリュフは、子実体の不均一な形状、キノコ自体の塊状の形状、および塊状の表面、さらにその上にピラミッド型のいぼがあることによって識別できます。
ゴールデンベニタケは、食用キノコと非食用キノコの両方に似ているため、非常に注意深く収集する必要がありました。
「たとえば、キノコ狩りの経験が浅い人は、黄金のベニタケ属と美しいベニタケ属を簡単に混同してしまいます。それらは傘の色や茎の形がほぼ同じです」とアンドレイ・ゲラシモフ氏は言います。— 美しいベニタケ属の傘は赤、濃いピンク、または明るいピンク色ですが、金色のものは濃いオレンジ色、明るい金色、レンガ色、そして再び赤い傘を持つことがあります。脚にも違いがあります。綺麗なものは淡いピンク色、金色のものは少し黄色がかった白です。
ゴールデンベニタケ属のもう一つの食べられない「双子」は、血のように赤いベニタケ属です。このキノコの傘ははるかに暗く、はっきりとした赤またはピンクの色をしています。脚は淡いピンク色です。
ゴールデンベニタケは、クラスノヤルスク地方の南部、極東、バイカル地方で最もよく見られます。
いくつかのキノコを見ていると、採って食べることさえ思いつきません。見た目だけで魅了される、いわゆる「エイリアン」キノコです。しかし、どんなに家族を驚かせたいと思っても、そうすべきではありません。そうしないと、家族がしばらくあなたに会えなくなる危険があります。これらの「エイリアン」の 1 つは、赤いグリルです。
このキノコは、その魅力的な外観だけでなく、昆虫を引き付ける不快な臭いによっても区別されます。レニングラード、ヤロスラヴリ、モスクワ、カルーガ地域のほか、クラスノダール地方、アディゲ、北オセチアでも見ることができます。
ウッドレピオタは、イルクーツク地方とアルハンゲリスク地方、アルタイ地方とハバロフスク地方、ブリヤート共和国で見られます。
アーチ型の星は、レニングラード、トヴェリ、タンボフ地域でよく見られます。このキノコは、ヴォルガ高原の領土にある中央黒土地域でも見つけることができます。
八重ネットワークワートは落葉樹林で見られ、腐植質が豊富な土壌またはひどく分解された木の残骸上に生育します。
このキノコは「出血歯」としてよく知られています。この夏、サンクトペテルブルクのキノコ狩りの人々は、まるで血の滴がついたような奇妙なキノコに遭遇し始めた。この真菌は北米、特に太平洋岸北西部に蔓延しています。
入社したらなぜかインボイス担当(誰も手をつけたがらない地雷案件の担当)として抜擢されたので9月末までほぼ一人で頑張ってました
まず会社の取引状況を知りたくて、なんかそういう一覧とかリストないですか?って聞いたら総務に聞けって言われたので総務に聞いたら誰も管理してなかったです
じゃーこっちで軽くリストアップするんで、リストアップした企業を総務の方で選別してください。対象の取引先の対応状況も総務さんから各部署に確認するように通達してください
並行して免税事業者への対応、特例措置、返還インボイス、自社請求書の対応、会計ソフトへの入力方法、社内周知
やれることを全部一人で進めていたら7月後半ぐらいに後輩ができたので後輩にも自分が担当してる仕事の一部を投げました
そうしたら何を思ったのか後輩は「俺がこの会社にインボイスをもたらした」とドヤ顔で語り始めて、何言ってんだコイツと思いましたがめんどくさくて黙ってました
本当にそう思うなら0の状態から取引先リスト作成~社内周知資料の作成まで全部テメー一人でやれよって思いましたまる
先輩も上司も上席も誰も助けてくれなかったので、ほとんど自分一人でやったのに飾り付けだけ後輩にやらせたらドヤ顔されて割と本気でイラッとしました
何ならインボイスから派生して、弊社の社内制度なんか変じゃね?なんか不正してるやつ居るな?って話に発展して社長が怒り心頭なので今度は別の制度を2つほど再構築してます
方法:
・1日毎の東京の最低気温と最高気温をリスト化して、その日の前後11日で平滑化する
・11度以下なら「寒」、24度以上なら「暖」として、以下のようにしました
最低気温だけ寒 → 冬
最高気温だけ暖 → 夏
それ以外 → 春/秋
※2022
完全に秋と呼べるのは10月上旬〜11月上旬の1.3ヶ月くらいだった
「1日の中で秋くらいの気温もある」で言えば、9月上旬〜12月中旬までの3ヶ月半くらいあるので、案外あるという印象
つまり、「秋は存在するが1日中続くことは少ない」ということじゃないだろうか?
人間の印象としては、暑さは最高気温で感じ、寒さは最低気温で感じるだろうから
9月下旬までの残暑(最高気温27度)から、11月中旬の寒さ(最低気温10度)の間しか秋を認識できないのかもしれない
春も期間的には同じくらいなはずなんだが
春は「春だけどまだ寒いね」と言うが
秋は「秋だけどまだ暑いね」と言わず「いつまで夏が続くんだよ」と言っている気がするので
まあそれにしても、1日の中で暑い時間が5月上旬から10月上旬まであるのって嫌だね(5ヶ月間)
寒さも10月下旬から4月上旬まであるから長いように感じてしまう(5ヶ月半)
可能なら昔の気温も調べてみたい
K子との出会い
私がK子と出会ったのは、まだ雪の残る3月上旬、札幌のすすきのでのことであった。
K子は、私がごくたまに寄るカフェ兼バーでウエイトレスをやっていた。
年は30歳、身長157cm。体型はややガッチリタイプに見え、いわゆる固太りに近かった。
顔はまぁまぁ整ってはいたが、頭部はアメフトのボールのように大きかった。
完璧なメイクを追求してるようで、白塗りの土台が厚く、丸い輪郭が、さらに強調されていた。
キッチリ描いた眉に、メリハリをつけたアイライン。目元周りには、そのひとのお化粧への設計意図が表れるものだがK子の場合それは、顔の大きさを、目を拡大させることでごまかそうとする意図だった。
それとK子のメークには、悪い意味でのバランス感覚という特徴も見られた。
あちらとこちらの均衡を保とうとして、薄くするのではなく、厚く盛る方にいってしまうのである。
さらにK子は勤務中はロングヘアーをタイトに縛ってるので、目元が上がって鋭角的になるのだが、これがふしだらで好色な印象を与えかねない外見になってしまうのだ。
それはせっかくのよい素材での料理を、調理でなくソースで惑わし、お門違いの高級感を添えたつもりの洋風メニューのようだった。
白人の風貌という、ないものねだりを追いかけた挙句、醜くなってしまったマイケルジャクソンのようであった。
K子は、そんな女だった。つまり、どこにでもいるひとだ。
K子はその日も普段どおり給仕をしていた。時刻は夜の9時。私のオーダーはグラスビールだった。
私のテーブルにもやってきた、そこで2人は始めて目を合わせた。
するとK子は私の顔を見るなりハッとした顔をして上背をやや引いた。私は「ああまたか」と思った。
なにが「またか」なのか。それはその時の私の顔が彼女にはイケメンに写った、ということの了解である。
断っておくがこれは自慢ではない。なぜなら、こうしたことは4年に一度、つまりオリンピック開催と同じ頻度でしか、私に訪れないからだ。「またか」と感じるのは、4年がさほど長くも感じられない私なりの時性であって、傲慢の致すところではない。
毎日のようにこういうことが起きる人を、真のイケメンというのだが、この程度のいわば「プチ・イケメン」なら今のご時世、結構いそうである。
私の顔は、それどころかまぁどちらかといえばブサメンである。口が飛び出た造作が特徴で、唇も厚い。佐藤浩市の2倍は厚い。
このせいで、顔の下部にボリュームが出てしまい、シャープには見えないモヤッとした風貌になっている。
たとえるなら、ガリガリ君のような輪郭であるし、佐藤浩市の親父の三國連太郎みたいでもある。
芋というか、類人猿、合わせればゴリライモ。私はそんな顔なのである。そしてもちろん、あなたに「そんなことないよ」といってほしい、そんなケチな性分も持ち合わせているのだ。そこがまた醜い。
ここ20年ほどで男もするようになった「化粧」とは、もともと目立たないもの(一重まぶたなど)を、まやかしの力で輝かせる補正技術だと思うが、私の口元のように、はじめから飛び出ているものを、平たく目立たせずに抑制する用法には、それはまったくといっていいほど役立たない。
しかし男の場合、三國連太郎がそうであったように、また、佐藤浩市がそうであるように、絶対的なブ男というものはいない。バナナマンの日村も最初見たときはびっくりしたが、慣れれば愛嬌がある顔である。
男は、風貌をある水準(清潔感と常識のあるファッションセンス、そして似合う髪型、できれば細身)まで満たせば、異性にアピールできてしまうのである。ここらへんが女子と違う。無愛想でもある程度はイケてしまうということだ。かくして私のような者でも、こうしたラッキータイミングが巡ってくるときがあるのである。
さて私にハッとして頂いた女子に対しては、私はだいたい挨拶をするようにしている。
ここでいう挨拶とは、店や本人の迷惑にならぬよう気を遣いながら、名刺を手渡すことだ。
できれば一言添える「もし、よろしければ、お近づきになれれば…」みたいなことだ。
ハッとする、させるというのは直感の神秘である。人間のあまたある能力のうちでも一二を争うような、めちゃめちゃものスゴい、宇宙の誕生レベルの認識だ。
人間(じんかん)にヴァイヴレーションが伝播する。あるひとがある人の存在にピン!とくれば、その相手にも同じピン!が、誤解も曲解もなく瞬時に伝わる。だれも解明できない感覚。こうした体感に対しては対象化なぞハナから諦め、人として素直にしたがい、謝辞を述べるのがスジというものであろう。
とりあえず自分を規定する第一歩として世の中には名前というものがある以上、名乗る。
「4年に一度」がいつなんどき訪れるやもしれない。そんなときのために財布に名刺を2~3枚入れておく。
こうしたなんでもない普段の心がけが、出会いを引き寄せる具体的な手段なのだ。
こうした縁で、私はK子と付き合った。世間には「よくまぁこんなサエないのと一緒になったなぁ」というのが男女問わずいるが、なんのことはない自分もその仲間入りであり、K子の方でもそう思うときがあったかもしれない。つまり、サエないのはお互い様だったのである。最初のうちは。
だがしばらくすると私にはK子の大きい顔と太い骨格が、次第にいとおしく写ってきた。
そして次に、それがかけがえのない尊さに思えてきた。
というのも付き合い始めてすぐに気づいたことだが、K子は私と最初に目が合ったホンの0.1秒の閃き、焦点で、自分の開削に成功した、まったく優れた女だったのだ。
私との邂逅によってポン!と新規開設された自我内の回路に、まったく純粋に従った。
世俗的な疑いとは、私と付き合うことのメリットデメリットやコスパを考えることや、趣味や好みが合う合わないというような話などである。
K子はそれらを考えもしなかった。だから、デートで会ってもあまり話さず、肩を寄せ合い、手を握り腕をさすり、見つめあったりするだけだった。それでどちらも了解した。ドンと存在が大きいのである。100%ピュアな肯定性の塊。
そしてそうしたK子の態度は、私の細胞のすみずみにあまねく影響を与えた。小さな自分に固執していた私を、彼女は開放してくれた。
こういう女に慣れると、小顔ブームとか、華奢な女子やスタイルに固執するのは、矮小なことと知れる。しつこいようだが慣れればあの日村ですら、ファニーフェイスである。
K子はやがてメークが薄くなっていった。コスメへの依存を減らしていった。
単なる身だしなみ以上のそれは、まやかしだと気づいたのだ。
食事や運動に、それまで以上に気を遣い、毎日しっかり生活を積み上げていくよう、意識的に自分を導いていった。
現代人はただ毎日暮らしてゆくだけで、目に見えない「不純物」が、アカのようにたまってゆく。
人はいつも意識的に「みそぎ」をしなければならない。するとみそぎなんてしなくていいんだ、そのままのあなたでいいんだと社会その他は全力で否定する。だがそれは違う。甘言に引きづられてはいけない。やつらはあなたから銭を引き出したいだけだ。
メイクはそうした「不純物」の象徴であった。それがズバッと削ぎおとされた。
人の本来的な美しさや輝き、魅力は、外から取ってきて付け足すものでない。自分の内面から湧き出させるものだ。
こんなことは実に当たり前のことだが、不純物の洪水の中にいると気づかない。
自分から「湧き出させること」が自然に出来る人は、この世にいながら永遠を手にしたも同然なのである。
理想のカップル、なるものは知らない。知らないがそれは「人それぞれ」ではない。
以上この文は、まだ見ぬあなたと、まだ顕在化してない私を想って書いた。
<了>
K子との出会い
私がK子と出会ったのは、まだ雪の残る3月上旬、札幌のすすきのでのことであった。
K子は、私がごくたまに寄るカフェ兼バーでウエイトレスをやっていた。
年は30歳、身長157cm。体型はややガッチリタイプに見え、いわゆる固太りに近かった。
顔はまぁまぁ整ってはいたが、頭部はアメフトのボールのように大きかった。
完璧なメイクを追求してるようで、白塗りの土台が厚く、丸い輪郭が、さらに強調されていた。
キッチリ描いた眉に、メリハリをつけたアイライン。目元周りには、そのひとのお化粧への設計意図が表れるものだがK子の場合それは、顔の大きさを、目を拡大させることでごまかそうとする意図だった。
それとK子のメークには、悪い意味でのバランス感覚という特徴も見られた。
あちらとこちらの均衡を保とうとして、薄くするのではなく、厚く盛る方にいってしまうのである。
さらにK子は勤務中はロングヘアーをタイトに縛ってるので、目元が上がって鋭角的になるのだが、これがふしだらで好色な印象を与えかねない外見になってしまうのだ。
それはせっかくのよい素材での料理を、調理でなくソースで惑わし、お門違いの高級感を添えたつもりの洋風メニューのようだった。
白人の風貌という、ないものねだりを追いかけた挙句、醜くなってしまったマイケルジャクソンのようであった。
K子は、そんな女だった。つまり、どこにでもいるひとだ。
K子はその日も普段どおり給仕をしていた。時刻は夜の9時。私のオーダーはグラスビールだった。
私のテーブルにもやってきた、そこで2人は始めて目を合わせた。
するとK子は私の顔を見るなりハッとした顔をして上背をやや引いた。私は「ああまたか」と思った。
なにが「またか」なのか。それはその時の私の顔が彼女にはイケメンに写った、ということの了解である。
断っておくがこれは自慢ではない。なぜなら、こうしたことは4年に一度、つまりオリンピック開催と同じ頻度でしか、私に訪れないからだ。「またか」と感じるのは、4年がさほど長くも感じられない私なりの時性であって、傲慢の致すところではない。
毎日のようにこういうことが起きる人を、真のイケメンというのだが、この程度のいわば「プチ・イケメン」なら今のご時世、結構いそうである。
私の顔は、それどころかまぁどちらかといえばブサメンである。口が飛び出た造作が特徴で、唇も厚い。佐藤浩市の2倍は厚い。
このせいで、顔の下部にボリュームが出てしまい、シャープには見えないモヤッとした風貌になっている。
たとえるなら、ガリガリ君のような輪郭であるし、佐藤浩市の親父の三國連太郎みたいでもある。
芋というか、類人猿、合わせればゴリライモ。私はそんな顔なのである。そしてもちろん、あなたに「そんなことないよ」といってほしい、そんなケチな性分も持ち合わせているのだ。そこがまた醜い。
ここ20年ほどで男もするようになった「化粧」とは、もともと目立たないもの(一重まぶたなど)を、まやかしの力で輝かせる補正技術だと思うが、私の口元のように、はじめから飛び出ているものを、平たく目立たせずに抑制する用法には、それはまったくといっていいほど役立たない。
しかし男の場合、三國連太郎がそうであったように、また、佐藤浩市がそうであるように、絶対的なブ男というものはいない。バナナマンの日村も最初見たときはびっくりしたが、慣れれば愛嬌がある顔である。
男は、風貌をある水準(清潔感と常識のあるファッションセンス、そして似合う髪型、できれば細身)まで満たせば、異性にアピールできてしまうのである。ここらへんが女子と違う。無愛想でもある程度はイケてしまうということだ。かくして私のような者でも、こうしたラッキータイミングが巡ってくるときがあるのである。
さて私にハッとして頂いた女子に対しては、私はだいたい挨拶をするようにしている。
ここでいう挨拶とは、店や本人の迷惑にならぬよう気を遣いながら、名刺を手渡すことだ。
できれば一言添える「もし、よろしければ、お近づきになれれば…」みたいなことだ。
ハッとする、させるというのは直感の神秘である。人間のあまたある能力のうちでも一二を争うような、めちゃめちゃものスゴい、宇宙の誕生レベルの認識だ。
人間(じんかん)にヴァイヴレーションが伝播する。あるひとがある人の存在にピン!とくれば、その相手にも同じピン!が、誤解も曲解もなく瞬時に伝わる。だれも解明できない感覚。こうした体感に対しては対象化なぞハナから諦め、人として素直にしたがい、謝辞を述べるのがスジというものであろう。
とりあえず自分を規定する第一歩として世の中には名前というものがある以上、名乗る。
「4年に一度」がいつなんどき訪れるやもしれない。そんなときのために財布に名刺を2~3枚入れておく。
こうしたなんでもない普段の心がけが、出会いを引き寄せる具体的な手段なのだ。
こうした縁で、私はK子と付き合った。世間には「よくまぁこんなサエないのと一緒になったなぁ」というのが男女問わずいるが、なんのことはない自分もその仲間入りであり、K子の方でもそう思うときがあったかもしれない。つまり、サエないのはお互い様だったのである。最初のうちは。
だがしばらくすると私にはK子の大きい顔と太い骨格が、次第にいとおしく写ってきた。
そして次に、それがかけがえのない尊さに思えてきた。
というのも付き合い始めてすぐに気づいたことだが、K子は私と最初に目が合ったホンの0.1秒の閃き、焦点で、自分の開削に成功した、まったく優れた女だったのだ。
私との邂逅によってポン!と新規開設された自我内の回路に、まったく純粋に従った。
世俗的な疑いとは、私と付き合うことのメリットデメリットやコスパを考えることや、趣味や好みが合う合わないというような話などである。
K子はそれらを考えもしなかった。だから、デートで会ってもあまり話さず、肩を寄せ合い、手を握り腕をさすり、見つめあったりするだけだった。それでどちらも了解した。ドンと存在が大きいのである。100%ピュアな肯定性の塊。
そしてそうしたK子の態度は、私の細胞のすみずみにあまねく影響を与えた。小さな自分に固執していた私を、彼女は開放してくれた。
こういう女に慣れると、小顔ブームとか、華奢な女子やスタイルに固執するのは、矮小なことと知れる。しつこいようだが慣れればあの日村ですら、ファニーフェイスである。
K子はやがてメークが薄くなっていった。コスメへの依存を減らしていった。
単なる身だしなみ以上のそれは、まやかしだと気づいたのだ。
食事や運動に、それまで以上に気を遣い、毎日しっかり生活を積み上げていくよう、意識的に自分を導いていった。
現代人はただ毎日暮らしてゆくだけで、目に見えない「不純物」が、アカのようにたまってゆく。
人はいつも意識的に「みそぎ」をしなければならない。するとみそぎなんてしなくていいんだ、そのままのあなたでいいんだと社会その他は全力で否定する。だがそれは違う。甘言に引きづられてはいけない。やつらはあなたから銭を引き出したいだけだ。
メイクはそうした「不純物」の象徴であった。それがズバッと削ぎおとされた。
人の本来的な美しさや輝き、魅力は、外から取ってきて付け足すものでない。自分の内面から湧き出させるものだ。
こんなことは実に当たり前のことだが、不純物の洪水の中にいると気づかない。
自分から「湧き出させること」が自然に出来る人は、この世にいながら永遠を手にしたも同然なのである。
理想のカップル、なるものは知らない。知らないがそれは「人それぞれ」ではない。
以上この文は、まだ見ぬあなたと、まだ顕在化してない私を想って書いた。
<了>
この時期に山に行くとフクラスズメという超絶キモい毛虫(ガの幼虫)が大量発生していることが多い。頭と臀部?はオレンジ、胴体は黒がベースだが、そこにグロテスクとしか言いようがない文様がびっしりある。
これの幼虫は4月中旬から12月上旬にかけて目にするが、特に多いのが8月末~10月頭ごろ。
彼らは食草であるカラムシなどを、個体差こそあれ1日に50㎠(7cm四方)のペースで食いつくす。
カラムシの葉のサイズは大きくなったもので10cm~15cm程度と言われている。仮に13cm四方(面積にして169㎠)と仮定すると、彼らは3日強で葉っぱ一枚を平らげることになる。
そして幼虫である期間はおおむね2週間程度である。つまり1匹の幼虫が孵化してからさなぎになるまでカラムシの葉っぱが3枚以上食われてしまう計算となる。
そういう虫が一株に何十、いや何百何千もいるのである。市街地にちょこんとあるカラムシの群生程度はあっという間に食いつくしてしまうのは火を見るよりも明らかだ。
実際に彼らが食いつくし、10月なのに枝だけになったカラムシなどの跡を見かけたことが何度かある(パッと思い出したのだと天草上島・二弁当峠のすぐ近くにあったカラムシの群生/2007年10月14日正午過ぎの話)。
他の木や草がまだ緑色の葉をつけるなか、カラムシだけが葉が一枚もない茎だけの無残な姿をさらしているのである。そのざまは周囲から浮いていて異様である。
そして食い尽くした後は何千何万ものフクラスズメの幼虫が周囲を徘徊する。グロテスクな姿態の虫が数千匹単位で蠢いているのだ。
なんかあの道やけに黒いな~アスファルト新しくしたのかな~と思って近づいたら、道路一面をフクラスズメの幼虫が埋め尽くしているのである。彼らは住宅など建物内にまでお構いなしで押し寄せてくる。
彼らは動きも気持ち悪い。頭部を挙げてヘドバンみたいな威嚇はするわ、口から緑色の液体は吐くわ、移動するにも尺取り虫を何十倍も気持ち悪くした挙動をするわで、もはや動くブラクラ状態である。
彼らは踏みつぶされると緑色の体液を周囲にまき散らす。死ぬ時まで周囲を呪詛するとか下手なホラー映画の幽霊やクリーチャーより何万倍も怖い。チープな幽霊ごときで気絶していたフレッド長官に見せたらショック死しそう
彼らはガチの山奥や都心部にはほぼ出現しない。ただ、それ以外の野山~中山間地域~近郊都市にならどこにでも出没する。生息域も日本全域である。北海道だろうが沖縄だろうがこの国にいる以上逃げ場はない。
それどこから朝鮮半島やユーラシア東部(中国とかロシア沿海州)にも生息している。韓国でも2000年代にとある地方都市で突如大量発生してニュースになったほどだ。
関東でいえば八王子・町田・’(相模原市)橋本・横須賀などの近郊都市の中心部近くにまで出没し、カラムシを食いつくしては周囲に災厄をまき散らすのだ。(相模原市の)橋本駅より東に1km程度離れた住宅街に大量発生した話もある。
彼らはドクガやイラガのように毒は持っていないことや、アメリカシロヒトリやヨトウガのように農作物(※)や管理されている街路樹などに出没しないため行政の駆除対象になることは少ない。
ただ、精神的に攻撃を仕掛けてくるのがフクラスズメの幼虫である。彼らの精神攻撃を受けたくないので、9月前後には絶対に山などに近づかないようにしている。
余談だが、フクラ「スズメ」という名前だがスズメガの仲間ではない。スズメガの幼虫は臀部に上向きの突起があるイモムシ型だが、フクラスズメにはそれがないし毛虫だ。彼らはヤガの仲間である。
(※)1970年代後半の某年に福島の農業研究施設でクワの葉を食害していたという報告もある。ただ、彼らにとってはよっぽど餌がないと食べないレベルのゲテモノ?扱いのため、害虫と認識されることはほぼない。