はてなキーワード: MARCHとは
>MARCH以上の大学出身 × Fランを卒業後に駅伝私立に編入
駅伝私立って表現始めて聞いた。ただこれ「箱根駅伝に出てくる私立大」ならば、早稲田から中央学院まで含まれるからあんまりいい表現とは思えない。箱根の時だけ有名って条件に絞っても、順天堂・山梨学院・神奈川って結構偏差値も所在地も学風もバラバラ。
仮に各項目が上位30%くらいの人が○をつけることができると仮定して、存在比率は0.3^11であり、日本人男性を6000万人とすると90人程度は全項目が○となりそうです。
各項目は全て独立している訳じゃないからそうはならないのでは?
「MARCH以上の大学出身」「東証一部上場企業の正社員」「年収が600万円以上」「貯金は500万円以上」
この辺りは、どれか一つを満たしている人間は他も満たしている可能性が高い。
スペックを書いて行くような人で、平均点3〜5点くらいでしょうか。
それぞれの項目で○が付く人がどれくらいいるのか?気になったのでざっくり推定してみました。
と、このへんで面倒になりました。この評価項目ですが割りと良い線というか、各項目で成人男性を並べた場合、その項目上位20〜40%くらいに入っている人をカテゴライズしているように思えます。
仮に各項目が上位30%くらいの人が○をつけることができると仮定して、存在比率は0.3^11であり、日本人男性を6000万人とすると90人程度は全項目が○となりそうです。
年収が600万円以上で ×
身長175cm以上で ×
年齢は35歳未満で △
貯金は500万円以上あって ×
自家用車持ってて ×
次男か三男で ×
自分として欲しい条件。
25歳喪女だから分からないだけなのかもしれないけど、世の中の女性は一体どんなハイスペックを求めているんだろうというのが正直な感想
>MARCH以上の大学出身で、 私も駅弁だしあんまり頭良くても話しが合わなそう
>東証一部上場企業の正社員で 安定して働けてるなら正社員ってだけで十分な気がする
>年収が600万円以上で 年収600万がどれほどの物なのか良く分からない。私は350万くらいしかないけど今のところ生活できてる。
>身長175cm以上で 自分(165cm)より低くなかったらそれで良い
>オタク趣味を持って無くて パンチラフィギュアとかコスプレ強要は勘弁して欲しいけど萌えアニメみて俺の嫁!とか言うのは平気
>年齢は35歳未満で 10歳も離れてると話あわなそうだけど自分が30歳なら気にしないと思う
>貯金は500万円以上あって 別にその貯金が私のお金になるわけじゃないと思うんだけどどういうことだろう。私は100万位しかないし。
>自家用車持ってて 都会暮らしなら維持費とか駐車場代考えたらむしろいらないと思う。田舎なら必須だけど。
>次男か三男で 逆に末っ子って親に溺愛されてそうで嫌だなーとは思うけど長男だから云々ってイマドキ重要か?
○が6/11。
年収が600万円以上で ○額面800
身長175cm以上で ×
年齢は35歳未満で ○
貯金は500万円以上あって ○現金で800万、その他あわせて1000
次男か三男で ×
だが女だ(既婚一子)。女がんばれ。自力で。
11こフル○はむずかしいなー。
・基本どうにもならないもの (4こ)
・ MARCH以上の大学出身 ←学歴ロンダという手もあるけど
・ 身長175cm以上
・ 次男か三男で
・なんとかできる可能性があるもの (5こ)
・ 年収が600万円以上で
・ 貯金は500万円以上あって
・ 自家用車持ってて
・ 年齢は35歳未満で
・ 結婚しても同居不要で ←両親の老いとともに事情が変わる可能性高し
身長175cm以上で ×165
年齢は35歳未満で ○
貯金は500万円以上あって ×じーさんの遺産が300万円くらい
次男か三男で ×長男
俺は5/11。
年収が600万円以上で ×
身長175cm以上で ○182
年齢は35歳未満で ○
貯金は500万円以上あって ×何に使ってるのか不明…
次男か三男で ○次男
俺は○が1/11。
年収が600万円以上で ×0
身長175cm以上で ×165
年齢は35歳未満で ◯
貯金は500万円以上あって ×2万
次男か三男で ×長男
彼らの独占の仕方の前では、ウォルマートさえ街角の個人商店にすぎず、
そのような候補者は限りなくあるだろうが、
科学や最先端研究を理解することが望ましいということには、誰もが賛意を惜しまない。
最新の知識を欠いては安定した民主的決定は不可能だ。
タイムズ紙やサンデー・タイムズ紙をアクセスするのに24時間あたり1ドルという、
マードック流の購読システムには飽き飽きしている人も多いだろう。
しかし、少なくともその期間内はいくつでも記事を読めるし、ダウンロードしておくこともできる。
エルゼビアの出版する学術雑誌では、1つの論文を読むのに31.50ドルかかる(原注1)。
シュプリンガーは34.95ユーロ(原注2)。ワイリー・ブラックウェルは42ドルだ(原注3)。
1981年に出版されたレターを読みたければ、やはり31.50ドルだ(原注4)。
もちろん、(まだそれがあるとして)図書館で読むという選択肢もあるが、
図書館も多額の購読料に苦しめられている。
化学分野の学術雑誌の場合、年間購読料は平均して3792ドルだ(原注5)。
私が見た範囲ではエルゼビアの Biochimica et Biophysica Acta の2万930ドル(原注6)が最高額だ。
大学図書館は購読を打ちきることで帳尻を合わせようとしているが、雑誌購読費は予算の65%を占めている(原注7)。
そのつけは学生に跳ね返ってくる。
一方、学術出版社は論文と論文の査読と編集作業の大半とをタダで手に入れている。
コンテンツの製作に当たって支払いをするのは出版社自身ではなく、
そしてそれを読むために、私たちはもう一度支払うのである。
上がりは天文学的だ。
前会計年度のエルゼビアの経常利益率営業利益率は 36% (20億ポンドの収入中7億2400万ポンド)(原注
8)。
エルゼビア、シュプリンガー、ワイリーはそれぞれ競合企業を買収した結果、
研究者は最新の情報に追いつくためそれを読まなければならない。
多くの場合、出版者はたくさんの学術雑誌をパッケージとしてまとめて購読するよう、図書館に強制している。
この国の人々を食い物にした極悪人の一人、
ロバート・マクスウェルが学術出版でその財の大半をなしたことは驚くに当たらない。
製作と配布の費用をまかなうためにこれらの購読料を課さざるをえない、と出版社は主張する。
また(シュプリンガーの言葉では)「雑誌のブランドを築き、学術情報流通を電子的基盤で支援する」という付加価値を提供もしているという(原注10)。
「出版社が出版プロセスに与える付加価値は相対的にはほとんどないと考えられる。
もし出版社の反論するように出版プロセスがそれほど複雑で高コストだとすれば、40%の利益率は不可能だ」(原注11)。
大出版社は、投稿から出版までに1年以上の長いプロセスをかけることによって、
研究を伝播させるどころか研究を隠してしまっている(原注12)。
ここに見られるのは、公共の資源を独占し不当な価格を課す、純粋なレンティエ資本主義である。
その製作に当たって自分たちがすでに支払っている知識を得たければ、
これが学術界に対して害をなすのはもちろんだが、
世俗に対してはさらにひどいことになっている。
私は主張をするときは根拠となる原典をたどれるようにしておくべき、
だがその主張を私が公正に要約しているかどうか、読者が検証しようと思っても、
その費用を支払えるとは限らない。
数千ポンドを支払わなければならない(原注12)。
「全ての人は自由に……科学の進展とその恩恵を享受する権利を有する」とする世界人権宣言に抵触する恐れすらある(原注13)。
Public Library of Science (PLoS) や物理の arxiv.org などの優れた事例もあるとはいえ、
オープンアクセス出版は独占資本家を駆逐するには至らなかった。
「利益率40%の時代はまもなくロバート・マクスウェルと同様に終わりを迎えるかもしれない」と予言した(原注14)。
しかし2010年のエルゼビアの利益率は1998年と変わらず36%のままだった(原注15)。
その理由は、大出版社がインパクトファクター上位に来る学術雑誌を手中にしているからだ。
こうした雑誌で出版することは、研究者にとって、研究費を獲得しキャリアを積むためにかかせない(原注16)。
とっかかりとしてオープンアクセスジャーナルを読むことはできるが、
クローズドな方もけっきょくは読まなければならない。
少数の例外を除いて、各国政府は彼らと対決することができていない。
米国 National Institutes of Health は、自らの研究費を獲得した研究者がオープンアクセスのアーカイブに論文を置くように求めている(原注17)が、
英国の Research Council の公共アクセスについての宣言は無意味の極致である。
それは「出版社が現在のポリシーの精神を維持しつづけるという仮定」に基づいている(原注18)。
政府の研究費に基づいて製作される論文がすべて無料の公共データベースにおかれるよう強制すべきだ(原注19)。
また長期的には、政府は研究者と協調して中間搾取者を追い出し、
ビョルン・ブレンブスの提案に沿い、学術論文とデータの世界単一アーカイブを作る取り組みを進めるべきだ(原注20)。
いまは略奪を受けている図書館の支出でそれを運営することもできるだろう。
George Monbiot
http://www.monbiot.com/2011/08/29/the-lairds-of-learning/
タナシュンこと田中〇くんのおかげで
この機会にOB(修正)の僕が青山学院について紹介したりアピールしたりしたい。
ちなみに運動部の掛け声は「あおがく~ファイ!」。
「あおがく~」は可能な限り低い声で唸り、「ファイ!」は甲高く叫びます。
叫び方に迷ったら知能〇〇者がテンションあがったときの感じで。
いや、ひょっとするとまあまあな私立大学の中でも一番熱が無いんじゃないのかな。
泥臭さとか熱血とかやる気とか変人とかとも無縁。
なんていうか、スマートじゃない人は来ないほうがいい。
法政大学でなら輝けた筈の土の匂いがする闘争ボーイも
間違って青学なんかにくると死んだ目で4年間過ごすことになります。
なんでしょう、青学の内部進学組は慶応のそれより一段二段、品が落ちる気がします。慶応に夢見すぎか。
青山学院の初等部というのはちょこちょこキナ臭い噂も涌く所でして
おっかないから僕は知らないですけど、部長の権力闘争とかどうとかが
週刊誌に載ったりhttp://www.asyura2.com/08/bd52/msg/300.htmlしちゃったりなんかもするんです。
で、これは僕は知らん、幼稚園からの内部進学組が言ってたことですが、
一時はすごくその、芸能人の子弟とかを積極的に受け入れたりしてた、らしいんですね。
躾の悪いボンボンや勉強が全く出来ない奴が多い、みたいな認識は学内にあったと思います。
はっきり「馬鹿組」と呼ぶこともありましたし、彼ら自身も自嘲していました。
中等部から高等部、高等部から大学へ、エスカレーター内部進学するときに
青学歴が長い人ほど成績が悪い傾向があるので、幼稚園上がりが一番落ちます。彼等が一番お金持ちなんですけど。
落ちる奴等はどうするかと言うと、お金持ちの子弟なので海外留学に旅立ちます。
これは「海外逃亡」とか呼ばれていました。
渋谷のどまんなかにあることと関係あるのか無いのか、高校デビューが多かったです。
内部進学組じゃなくて受験で高等部から入ってきた人、この一部がものすごい変貌をとげる。
入学当初は朴訥とした可愛らしい田舎もんみたいな感じだったボーイズガールズが、
彼等は大抵、内部進学組のバカボンとくっついて遊びを覚えるんですね。
バカボンが大学進学の際に落っこちない限り、この付き合いは大学でも続きます。
大学以外は体育会系の部活動も全部弱小で、ジョックス的な存在が居ません。
メイン体育会系としてはラグビー部、通称「ビー部(語尾が上がる)」がありますが、
その競技の特殊さから幼稚園や初等部上がりが多く、彼等は年度が上がるにつれ学業的に苦しんでいるので
高等部までくると一面哀れな感じの不思議なオーラをまとっています。
中等部の頃はそれなりに恐ろしいジョックスだったのに、この頃になると愛嬌が出てきている。
むしろこのあたりになるとバスケ部やサッカー部などのほうがたちが悪くなっていたりする。
文化部もパッとしないんだけど。
今はどうなのかな。
タナシュンくんがどうも周囲の友達に売られまくってるみたいですが
あれはすごく「ああ、青学だなあ」と、感慨深いものがありました。
そうです、青学の特性として、腐った人間関係の温床みたいな部分は割とありました。
なんていうか、仲良くしてる風の間でも実は仲悪い、みたいな。
だいたい長い奴等は15年ぐらいの風通し悪い付き合いを続けてるわけで
ほんとお受験とかエスカレーターもいいことばかりじゃないと思います。
そういう淀んだバカボンとつるむのはいきがった高校デビュー組なわけで、
まあなんか、若人らしいサッパリした感じや素朴さとは無縁な人間関係が現れます。
タナシュンくんがあそこまで嫌われてるのは彼個人の特殊な人徳でしょうが、
「仲間だから」「同じ青学生だから」みたいに庇い合わない傾向が青学生にはあると思います。
社会に出てからも青学学閥って見たことねえ。 まあ学閥作るほどたいした偏差値の学校じゃないんだけど。
社会で同窓生に会っても「へえ…」みたいな。よそ大学出身の同窓の仲良さに比べるとどうしても温度の差がある気がします。
受験で言うと、青学受かるぐらいの偏差値の人は本命別にあることが多い。
青学が本命だったよ、っていうのは中学受験でも高校受験でも大学受験でも少なめ。
どこかに落ちた一抹の挫折感を抱えて入学してる人が多い。
力いっぱい馬鹿なことやって打ち解けると言う機会も無い。
青学の文化祭は寒いです。高校も大学も。すごい出し物って見たこと無い。
アレ見ただけで熱量の低さとかわかってもらえると思う。
早稲田祭とかすごいよね。
大学の講師かなんかで狂った発言しまくってた不届き女が居たらしいですがあれはマジで例外です。
ああいう先生達から、青学独特の熱の無い半腐れ学生が産出されるのは不思議といえば不思議。
長々書いて結局何を言いたいかっていうと
タナシュンくんてすごく青学生らしいなあ…っていう。
内容は聞いてないが、間違い無いだろう。父と母から連絡が入っているのだから間違いない。
大学を辞めた。
価値がない。
最善手が死ぬことだというのは明明白白だ。
が、家は出るべきだ。
日本においては日陰にいて人目についてはならない存在であり、新たな被差別部落民だ。
僕はそうなる。
思えば、受け身ばかりの人生だった。
何も創造的なことができず、インプットができてもアウトプットは乏しく、応用が利かず、不器用で、屑だった。
MARCH未満大東亜帝国以上の大学に進学したものの、就活に負けて意欲が減退し、卒論も書く手が止まり、それから一年天井を見ていた。
改善されるわけがなく、声とも似つかぬ音波で大学を中退する旨を教授に申告する。教授は僕に期待していたのか、それともただの世辞なのか、今でもよく分からない。
よく褒められた。嬉しかった。でも、一度期待に応えることができなかったそれだけで息苦しくなり、死にたくなる。
もしかしたら、祖母に何かあったのかもしれない。
足を骨折してリハビリしていると聞く。震災以降、里帰りさえしていない。ましてや、祖母に顔を見せることなど、しようはずもない。
少し、胸が透く。
不快だ。祖母に何かあったと決め付けることで、自分を免責しようとしている。
ともあれ、頭の隅には入れておいていいだろう。
どのみち、屑なのだ。
出せる卒論も出さず、5年を無為に過ごした人間に、社会参与する資格はない。
企業の人間だって、そんなクズを雇いたいとは思うわけがないだろう。
救いがたい。
免許も持っていない。癲癇なのだから、これはいいことだとは思っているが。
思っているが、それは重荷でしかない。
仕事に貴賎はないという。しかし、貴賎はないというが、あるだろう。
選り好みしてられる環境ではないし、選り好みしたっていいという意見もわかるが、許さないだろう、すべてが。
理想論が叶うなら、こんなところに身を窶してなどいない。
選別される覚悟で、選別しなければならない。
たとえ、ナチズムと言われようと。
しかし、私には選別する権限も、地位もない。
私は常に選別される。
私は選別された結果に、身をまかせるしかない。
それが、今の結果としての環境。
その汚泥に埋伏するのが、私の結果。
何も殺人をしようというわけではない。
しかし、私が生きていたという厳然たる事実を、残せはしまいか。
何か、ポジティブに、何かを残して笑って死ねる、そんな場はないか。
しかし、一度踏み違えてはならない。
見方次第で、それは殺人と地続きだ。
親と連絡がつかない。
電話をかけても、連絡がつかない。
消える。親とのつながりから、私の記憶から、世界から、私が消える。
虫っ子ひとつをたやすく殺す人間が、死に際に卑しく這いずり回る。
お前は蟻だ。
小学校の帰り道、何度踏みつけても死なずに逃げまわり、つま先に力を入れて踏めば軽く死ぬと学び、私が踏みつぶしてきた蟻だ。
お前は私だ、例外はない。
それは生きろという意味ではない。俺の見えないところで死ね、という率直な表現である。
すなわち、死にたいならば、ホームレスのように死なねばならぬ。
鉄塊に投身などあってはならない。
そのような死の露出、生の証拠など、残してはならない。
酸素を取り込み、二酸化炭素を吐き出すよう、連続的に、無自覚かつ無意識に為されなければならない。
それが生死の狭間にあるべき姿なのだ。
死を知覚させてはならない。視圏に死を漂わせてはならない。
私は死ぬ。
お前も死ぬ。
苦しみ、安らかに、消え去よ。
だから何かしたのか。
早稲田慶應すら入る価値があるかどうかも怪しいというのに、MARCHニッコマなんぞゴミのはきだめ。
だいたいFランの厳密な定義なんてのはどうでもいいんだよ。
遊んでいたから、勉強していなかったから「来てしまった」とは違う。
しっかり受験に取り組んだ末に、「来れた」場所がここだった。
しっかり受験に取り組んで「来れた」大学をFランとは言わないし、偏差値50はFランじゃない。FランのFはボーダーフリーのことで、受けたら確実に受かるから河合塾が目標偏差値をつけられなかったことから命名した。
2chとかだとMARCH(明治・青山・立教・中央・法政)をFラン扱いしたりするが、MARCHのほとんどは昔は(今でも?)東京六大学と呼ばれて、ここを第一志望として努力して、それでも届かなかった人もいるくらいの大学。
だからMARCHとか日東駒専あたりをFランと呼び始めると本当のFランク(出願して試験に行きさえすれば合格するような)大学との区別が付かなくなる。
前期授業を終えて一つ気づいたことがある。
毎回、授業に出ている人間ほど死相がでていること。
一人で、黙々と授業をうけているタイプね。
最初はそういう子が可愛かった。しっかりノート取ってくれるのが嬉しかった。
でも……。なんというか真面目すぎて可哀想に思えてくる。
遊んでいたから、勉強していなかったから「来てしまった」とは違う。
しっかり受験に取り組んだ末に、「来れた」場所がここだった。
そう思うと景色がぐちゃぐちゃしてくる。
勉強すれば誰だってMARCH以上には……そう思っていた自分。
でも、ここには勉強してここに来れたという人がうじゃうじゃいる。
大人しそうで、遊びを知らなそうな、静かに本を読んでいるのが似合うような子。
そういう子らを観察していて、「あっ」と気づいた。この子は何もすることがないから、
何も出来ないから授業の「出席」と「ノート取り」に逃げているんだ。
そして、言ってやりたくなった。そこだけ頑張ったって意味はないよ。
もっと遊んで視野を広げなよ。学生生活を満喫して思い出作りしなよ。
たぶんこういう子の方が就職できないんだろうなあ……。
“「モウタクトウ」と言えば「シセン」と言えば通じると思っている日本人”は相当のアレだと思うが。
(赤ん坊の臍の緒が、母親の臍と繋がっていると思っている人の数くらいはいるかもしれない。)
元増田が言うように、毛沢東=Mao Zedongくらいは知っておいても損はないと思う。逆に知らないと英語の文献読む時に困るだろう。
だからといって、カタカナ表記は微妙ではある。マオツートンという表記は、いまいち間抜けな感じがして好きではない。
そもそも、中国語は、四声、Uウムラウトの発音、ケンゼツ音、有気音・無気音など日本語では表現できないので、モノによっては原音と乖離すること甚だしく、人民と乖離するよりタチが悪い。原音表記したところでウソになってしまう。こういうところはハングルの表音力がうらやましいところだ。
先生。ルーシュンじゃなくて、Lu Xunです。Lu Xun。いえ違います。Lu Xunです。いややっぱり違います。
Luも、Xunもちゃんと言えてません。発音も声調も違います。先生怒らないで下さいよ。
はい。わかりました。先生。もう無理に中国語話すことないです。ロジンっていえば私ちゃんとわかりますから。
発音もさることながら、まず中国についてもっと教えるべきだと思う。お隣さんなのに知らなさすぎだ。お互い様ではあるが。
毛沢東選集4巻全部読めとは言わないが、老三編くらいは読んでも悪くあるまい。
中国の偉大な作家は魯迅だけじゃない。老舎、巴金、丁玲、茅盾、いくらでもいる。中国の懐は深い。中国を知ること其楽無窮!
英語でマオザドーン!(英語圏の人はけっこうそういう風に発音する)と言われて、毛沢東のことだと分かるのは出発点としては大事であろう。
しかし、中国人が、Mao Zedongと発音するのを聞いて、天安門にかかっている肖像画だとか、百元札とか、一切の反動派は張り子の虎だとか、女性は天の半分を支えるとか、戦争は血を流す政治だとか、あの書法とか、あの「雪」という詩とか、東方紅のメロディーとか、タバコのヤニで真っ黒な歯とか、胸の皮膚に直接刺して止めるバッチとか、さまざまな記憶が一気に思い出されるような日本人がもっと増えてほしいと思う。
こんなのは中国語を勉強すれば済む話であるが、日本で義務教育化するのは大人の事情もあってすぐには難しかろう。
たった一つの冴えたやり方は、英語の教科書に、中国の現代史・文学史を掲載することではなかろうか。
Mao Zedongが、Hongjunを率いて、Long March やりました的な話にして。べチューンとか、スノー、スメドレーあたりを絡ませると面白かろう。ちょっとさかのぼってパールバックあたりを出してもいいかもしれない。北京は、Beijingということが分かるだろうし、アヘン戦争あたりから始めて、ついでに動詞のshanghaiの意味とか教えとくと教育上なお良かろう。歴史教科書でこういうことを教えようとするから、余計な奴らが口出ししてくる全部駄目にしてしまって、我が国にバカ者を大量生産してしまう。いきなり都市を攻めようとしてはならない。農村から都市を包囲すべし。味方を保存し敵を消滅すべし。遊撃戦を展開すべし。畢竟、英語の教科書でコソッとやればよい。