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2016-12-31

動脈瘤治療をした

私は26歳男性である

1年前,数日間頭痛が続くことがあり,病院に行った.もともと偏頭痛持ちで小学生くらいのころから定期的に頭が痛くなる体質だったが,そうした偏頭痛は大体半日くらいで治るので心配になったのだった.

医者は恐らく緊張型頭痛だと考えられるが,念の為頭部MRを撮るかと言ってその日のうちにMRを取ることになった.MRCTと違い放射線ではなく磁気で人体内部を走査するもので,1回に40分ほど,1万円くらいかかった.

結果が出るのには1週間程度かかると言われ,その日は家に帰った.私は緊張型頭痛だったのかと安心し,それから数日して頭痛が収まったので,MRの結果をうっかり聞くのを忘れたままそれから1年が経った.

ある日,病院から手紙が来た.手紙には頭部MR検査結果でお話したいことがあるという旨が書かれていた.頭痛はすっかり良くなっていたが,私は心配になり,1年ぶりに病院へ足を運んだ.

そこで初めて医者から「未破裂脳動脈瘤」という単語を聞かされることになった.

未破裂動脈瘤という病気がある.未破裂動脈瘤動脈血管の何らかの理由で薄くなった部分が風船の様に膨れる病気で,それが破裂すると大量の出血が起こる.この未破裂動脈瘤が脳の動脈に起こるのが未破裂脳動脈瘤である

逆に,破裂さえしなければ,瘤が相当大きくない限り(そもそも瘤が破裂せずにそこまで大きくなることは稀)何らかの症状が出ることはまったくない.また破裂するタイミング予測ができない.

脳と言っても,瘤が脳を覆っているくも膜の内側にあるか外側にあるかで破裂した場合の結果が変わってくる.

動脈瘤がくも膜の内側で破裂した場合くも膜下出血となり,1/3の患者が死亡,1/3の患者が重篤な障害,1/3の患者特に何もなく日常生活に復帰できるという話だった.外の場合は硬膜外出血という別の病気となる.

私の場合は左目の奥,くも膜の内側にあるためくも膜下出血の恐れがあるということだった.

聞かされたときはなんだか現実感がなかった.「この一年で破裂しなくてよかったですね」「そうですね.ははは」という会話をして再度MRを撮るということになった.

動脈瘤の原因について尋ねたが,未だによく分かっていないらしく,先天的に血管の壁が薄いところがあって,そこが年を経ていって膨らんでいくというふうに考えられているということだった.

タバコアルコール後天的な原因と考えられているらしいが,私はタバコも吸わないし,アルコールも一滴も飲まない.なりやすさは遺伝するらしいが,くも膜下出血で亡くなった近しい親族はいない.男性より女性の方が若干なりやすいということだったが,私は男性である.なぜ動脈瘤が発生したのかはよく分からなかった.

再度撮ったMRの結果としては,瘤の大きさは1年前と変わっていなかった.未破裂動脈瘤は破裂する前に大きくなることが多いため,期せずして1年間観察することになったが,とりあえずは安定しているように見えるということだった.

動脈瘤の手術を受けられる病院への紹介状を書いてもらい,今度からはその別の病院に通うことになった.

新しい病院で脳血管造影を受けた.これは造影剤を流すためのカテーテルを腕から脳まで入れてCTで血管の三次元構造撮影するもので,血管の様子を3Dモデルとして見ることができるという優れものである

造影剤が流された瞬間,血管がカッと熱くなるのが分かり,普段意識することのない自分脳内動脈がどこを走っているのかが体感として分かるという斬新な経験をした.

理由はよく分からないが,CTを撮っている時に,閉じている目の裏に飛蚊症のようなつぶつぶが動くのが見えた.

検査の結果,私の動脈瘤は細長い形をしており,長径が4mm,短径が2mmほど,先端に乳房に対する乳首のようにぽっちりと膨れている部分があることが分かった.

「通常5mm以下で形が均一なものは様子を見るということが多いが,君の場合は5mm以下だが形が不均一で,daughter sac(ぽっち)があり,かつ平均余命から考えて君はまだあと30年は生きてもらう必要がある.手術したほうがいい」医者が言った.「普通,君の年齢でこうした未破裂の脳動脈瘤が見つかることは珍しい.ほとんどが破裂してから病院に運び込まれて緊急手術して死んだり障害が残る」「破裂する前に見つかってよかったね」

破裂する確率はどれくらいか尋ねると,形や大きさにも依るが君の場合はだいたい1年で1%から2%くらいじゃないかなということだった.「君が80歳のお爺さんなら様子見するところなんだが」長く生きるならその間に破裂する確率は累積してやはり高くなる.

「そんなベルヌー試行みたいなことを言われても」と私は思ったが,実際そんなもんなのかもしれなかった.要は不発弾がいつの間にか脳内に埋まっていたということなのだ.

からある偏頭痛はこの動脈瘤と何か関係あるのか問うと,「全く関係ない」ということだった.「偏頭痛は生まれつきのもので,治るということはなく,それぞれの患者さんが偏頭痛の起こるきっかけを把握して予防するしか無い.ちなみに60を過ぎると起こらなくなることが多い.今は良い頓服薬があるから出しておこう」というので偏頭痛用にマクサルトという頓服薬を貰った.「頭痛があったからこそ今回動脈瘤が破裂する前に見つかったわけで,何がどう転ぶか分からんね」

私は病院からの帰り道に死ぬまでに破裂する確率計算してみた.医者が言うように1年で破裂する確率が2%とすると,98%の確率来年も破裂しないまま今と同じように生きているということだ.2年後も破裂しないままでいる確率は0.98*0.98でだいたい96%すなわちこの2年間の内に破裂する確率は100-96で4%ということだ.同様に平均寿命である80歳まで生きるとすると,残りの寿命は54年,0.98^54は0.34.34%の確率で破裂しない.逆に言えば,80歳までに66%の確率で破裂するということだ.

実際のところは破裂しても1/3の患者日常生活に復帰できるので,80までにくも膜下出血死ぬか重篤な障害によって死んだ感じになる確率は0.66*(2/3)で44%ほどと言える.

手術せず破裂しないのを祈るのは分の良い賭けとは言えなかった.

同様に,今から24時間で破裂する確率はどれくらいだろうと考えてみた.1年で破裂する確率を同様に2%とし,1年を365日とする.1日24時間で破裂する確率をxとすると,(1-x)^365=1-0.02であり,これを解くとxはだいたい0.000055となる.

すなわち0.0055%で24時間以内に破裂するということだ.後で調べて分かったが,これはだいたいスマホガチャゲーで一回の試行トップレアを引くのと同じくらいの確率である.私はとりあえず安心した.

同時に,自分って死ぬんだなと思った.幼い頃に死んだ祖父の冷たくなったゴムのような手を思い出し,それから交通事故で亡くなった小学生の時の親友を思い出した.

思い返すと,私は日々を死んだように生きてきたなあと思った.そしてこのまま突然死ぬのは嫌だなあと思った.死んだら何もかもどうでもよくなるので,生き残った場合に備えるべきだと思った.今まで研究にも就活にも後ろ向きな態度だったのを恥じた.

出すつもりのなかった研究予算に無理やり応募し,興味のある企業インターンに応募した.

動脈瘤の手術のやり方は2種類ある.ひとつは頭を割り開き外からクリップで瘤を留める方法,もうひとつカテーテルで血管の内側からプラチナ製のコイルを瘤内に詰める方法である.私の場合は瘤の位置がかなり脳の奥にあり,クリップで留めるのは難しいということだったので,カテーテルコイルを詰めることになった.SFが好きなのでいつか身体機械インプラントしたいと思っていたが,まさか治療のためにこうして脳内物体インプラントすることになるとは.

コイルが詰められた瘤は血が血栓として固まって破裂しなくなり,二週間程度で膜ができて固まった血栓が飛ぶ心配が無くなるということだった.ただし,術後二週間は血栓ができにくくなる薬を飲む必要がある.

治療過程カテーテルの様子をCT観測する必要があり,そのため長時間放射線被爆することになるが,最近機械は少ない放射線でかなり見えるようになっているので,そこまで気にする必要はないらしかった.昔は皮膚が放射線でやけどして赤くなったり,まれ白内障になったりということもあったらしいが,今はそんなことはまったくないとのこと.実際に放射線で皮膚や目に異常が起こることはなかった.

手術の成功率はだいたい97%程度ということだった.単純に考えて2年様子を見るくらいなら手術したほうが良いということだ.私は手術を受けることにした.

結論から言うと手術はうまくいった.関東では全身麻酔でやることが多いらしいが,関西ではカテーテルを入れる入り口であるもも付け根に局所麻酔をするだけが多いらしく,関西病院だったので局所麻酔だけだった.

なので手術中は自分脳内カテーテルが動いているのが分かった.血管自体に痛覚を感じる神経は無いらしく,違和感だけで痛みはなかった.術中はバルーンで血流を一部止めるということだったが,脳というのはよくできていて,一箇所を堰き止めても全体の血流が滞らないように根本の血管が輪になっているので大丈夫だという話だった.後で医者曰く,「いつもは破裂してくも膜下出血を起こして運ばれてきた高齢者動脈硬化した動脈瘤ばっかり手術してるんだけど,未破裂だし動脈硬化も無いし手術はやりやすかったよ.血栓による脳梗塞も見たところ起こってない」とのこと.

結局のところ手術のための入院で最も辛かったのは尿道カテーテルだった.脳に異物を入れるのよりも尿道に管を入れるほうが痛いというのも妙な話だが,入れるのも痛かったし,抜くのも痛かったし,抜いてから排尿するのも勇気を振り絞る必要があった(痛いが思い切って出すのがコツ).抜いた後排尿しようとして時折尿道から空気が出てくるのは奇妙な感覚だった.

手術直後は凄まじい頭痛が起こった.偏頭痛とよく似た慣れた痛みで,今までの偏頭痛では見たことのなかった歯車のようなギザギザしたものが空中に見えた.朦朧とした意識の中でこれが閃輝暗点というやつかと思った.気分も最悪で手術後にコイルの様子を見るためのMRを撮っている途中で我慢しきれず吐いてしまった(大変申し訳なかった).

翌日になるとだいぶ頭痛は収まったが,それでも一ヶ月ほど偏頭痛のような頭痛は続いた.最初の一週間は眠れないくらい痛い時もあった.他の脳動脈瘤治療をした人の話を調べると術後にこうした頭痛を起こしている人はいなかったので個人差があるようだ.

1日経って,シャワーを浴びるために頭に湯をかぶった時に,左目に奇妙な筋が走った.明るいものを見て目が部分的に眩んだような感じだ.初めは何か明るいものを見て焼き付いているのだろうと思ったが,いつまで経っても消えなかった.閃輝暗点一種だろうかと思い,しばらく様子を見ることにしたが,一向に消える気配が無い.翌朝眼科を受けたところ,左目の網膜の一部に浮腫ができているということが検査で分かった.原因は不明で,考えにくいが詰めた動脈瘤から血栓網膜の血管に飛んだ恐れがあるということだった.通常,血管にはそうした血栓を通さないための仕組みがあり,そうした血栓が目に行くことはあまりないことらしい.

私としては熱いシャワーを頭に浴びたのがよくなかったのではないかと思う.それで血管が広がり血栓が通過してしまったのではないか眼科医は「時間がかかるだろうが,浮腫は軽度のもので年齢的に若いから治る可能性が高い」と話した.神経の修復を促進するためのビタミン剤と血行を良くする薬を処方された.もしかしたら左目はずっと一部が見えないままなのかとウンザリしたが,見えていなかった左目の奥の動脈瘤という危険な穴が,命を脅かさない代償として目に見える位置に移動したのだと考えることにした.

退院後は血栓を作りにくくする薬を二週間飲んだ.応募していた企業インターンが受かったため,それから二ヶ月の間インターンに参加して企業結構忙しく働いたが,最初の方は頭痛が残っていた以外に動脈瘤治療が何かの問題になることは無かった(目も実際のところそんなに気にならなかった).痛みや症状がある内は不安で頭が一杯になるかもしれないが,少なくともそうした不安がずっと続くことは決してないということが分かった.人間適応するのだ.

それから数カ月が経ち,今現在は左目の網膜上の浮腫もほぼ無くなった.目が暗順応する過程もやもやとした揺らめきが時折視界の外側に見えることがあるが,ほとんど日常生活する上では気にならなくなっている.

また,あれだけ頻発していた偏頭痛ほとんど起こらなくなり,起こっても以前ほどの痛みを伴わなくなった.思えば偏頭痛で毎回痛かった部分が動脈瘤のある場所だったのでやはり何か関係があったのではないかと思う.

手術前に応募した研究予算はやはり燦々(*1)惨憺たる結果だったが,インターンさせてもらった企業から内定を貰ったので,来年から務める予定である


動脈瘤は年齢に関係なく成人の5%程度が持っていると言われている.ほとんどの人にとって知り合いの内の数人は持っているということだ.ほとんどの脳動脈瘤は小さく,破裂することは稀だが,それでも全ての脳動脈瘤は破裂してくも膜下出血を起こす恐れがある(というかほとんど全てのくも膜下出血発見されていなかった未破裂動脈瘤が破裂することで起こる.逆に未破裂脳動脈瘤が無い人はくも膜下出血を起こすことはほぼ無い).

くも膜下出血を起こしてからでは遅い.MRを撮ったことがない人特に偏頭痛に悩んでいる人(*2)は一度MRを撮ってもらうことをおすすめする.

たとえ,未破裂脳動脈瘤があったとしても,パニックになる必要は無い.5%は引くかもしれないが,スーパーレアを引くのは難しい.

(*1) 20170108修正コメントで多数指摘があった通り「燦々」は誤字.燦々たる結果だったらよかったのだけれど.指摘ありがとうございます

(*2) 20170108修正偏頭痛と脳動脈瘤無関係なのでこういった提案おかしいという指摘があったが,その通りである医者の言によれば,脳動脈瘤を持っている人の中には偏頭痛持ちの人もいればそうでない人も脳動脈瘤が無い場合と同じようにいるということだった.ただ,私の実体験として,脳動脈瘤治療後に偏頭痛の発生する頻度が激減したことと発生しても以前と比べて痛みが軽くなったことから,私の場合は両者には何らかの関係があるのではないかと考えている.しかしながら,これはたかだか個人体験から来た本人の推量であるので,一般的な話と考えるのは無理があった.指摘ありがとうございます

2016-12-19

http://anond.hatelabo.jp/20161219000913

子供の頃ぼろぼろのタオルケットを手離せなかった者だけど。

私の場合タオルケットに依存してたのは、人に依存出来なかったので埋め合わせとしてそうしてた。

まれてすぐに長期入院して親と離れ離れだったのでね。

病室で撮られた写真にも、タオルケット握り締めて映ってる。

退院後も、家族あんまり子供を構う人達ではなかったのでよくほっとかれてたんだけど、昼間眠くなったら一人でタオルケット持って縁側に出て、日向で昼寝してた。

しゃぶってべちゃべちゃになった部分をお日さまに当てて乾かすといい臭いがする!という発見をしたり。



そんな私がもし小さい頃、自らタオルケット離れするよりも前に、元増田の子供みたいな形で無理矢理タオルケットから引き離されたら、どんなにか辛かっただろうと、想像したら悲しくなった。

親代わりだった物を目の前で汚し捨てるとはなんたる無慈悲

ま、私の例は特殊かもしれないが。

でも、私に言わせれば、大好きなタオルで小便を拭いて捨てるなんて、例えば大好きだったお祖母ちゃんが死んだらお母さんがお祖母ちゃんの遺体を蹴り始めた、くらいの衝撃だな。

2016-12-14

http://anond.hatelabo.jp/20161214040820

この手の人は本当に自分が将来に渡って安泰だと思ってて、安全からもの言ってるよなあーって思うんだよな。



マジで真剣に、そこらに一杯落とし穴あるんだぜ?普通の。

自動車のもらい事故でもいい。

脳梗塞でもいい。



突然、人は死ぬような目にあうことがある。

そういう時に、頼れる家族、親戚、友達配偶者かいたらいいけど。



いなかったら即地獄だよ。

今目の前の入院費、手術代が払えない、ってなったりするよ。

保険手続きも満足に出来ないかもしれないよ。

半身不随になって、本当に文字通り物理的に書類作業とか出来ないかも知れない。

言葉も上手くしゃべれなくて、コミュニケーションに多大な労力が必要になるかも知れない。

そして、なんとか金が払えて、ある程度リハビリ出来て、退院したとして。

元の仕事に戻れないかも知れない。戻れるだけの能力がなくなってしまたかも知れない。

それどころか。

元の家に帰れさえしないかも知れない。

保険生活保障特約つけてなかったから、ほとんど入院費でとんとん。健保から傷病手当は出るが、自分本来給料の、よくて7割。少ないと6割。

留守にしてた間にそれこそ火事場泥棒に入られてる場合もある。普通に世間話で聞き出せるからな。

あそこの部屋、しばらく出入りないみたいですけど、なんかあったんですか?交通事故入院してるみたいですよ。あと2,3ヶ月はかかるとか。



まあちょっとめんどくさくなったからこれぐらいにするけど。

保険の入り方、その後の対応会社との交渉、一つ失敗したら連鎖して、ドミノ倒しみたいにイッキにホームレスだよ。



俺は、嫁もいたし、まあ情弱からさ、保険のおばちゃんに勧められるの、どんどん入ったよ。月ウン万て払いすぎじゃね?それやめたら一杯貯金出来るだろ?ってみんなに言われたけど、おばちゃんの言うままに入ったよ。

そんで、その中の特定疾病特約があって、ずばり俺はその疾病でぶっ倒れた。

嫁が手続きぜ~~~んぶやってくれた。

会社との折衝も、免許更新の延長手続きも(更新の時期だった)、友人らへの連絡も。



おかげで今の俺がいる。



ただ、今は無職だし、からだのあちこちに不自由がある。

スタミナももたないし、走るとすっげぇ体傾いた、ギッタンバッタン言うアンバランスな変な走り方になる。

時間立っていられない。

時間座ってもいられない。

重い物を持てない。

スクワットも出来ない。

指が、相当に動くようになったけど、前ほどにはキーボード完全に見ないでの高速タイピングとか出来ない。



出来ないことが凄く増えた。



前みたいな仕事は無理だ。




誰でも、ある日突然こうなるリスクがある。

だら、自分がそうなるリスクを考えとけよ。

その時に、自分ホームレスにならないような環境を作っておけ。

ホームレスなんて自業自得、俺は絶対なるはずがない、なんて甘い考えは捨てておけ。

ホームレス排除しろ、するべきだ、と考えるなら、自分がそうなった時に冷酷に切り捨てられる覚悟はしておけ。

2016-12-09

何も持たない人生

私の人生

もうすぐ40。

独身だ。

子供はいない。

初めて彼氏ができたのは26歳の時。

人生において恋人がいたのは

合計3年間くらいだ。

子供の頃、私には友達がいなかった。

兄弟もいなかった。

両親は共働きで、

わたしに構ってくれることはなかった。

たまに一緒に夕飯を食べる機会があっても、

父親が突然暴力を振るい出すので、

逃げるかその場にいないようにすることで必死だった。

学校楽しいかい?」

なんて聞いてくれることは一度もなかった。



暴力が怖くて18で家を出た。

しかしすぐに精神疾患罹患してしまい、

入院することになった。

両親はどちらも見舞いにすらきてくれなかった。

一人で荷物をまとめタクシーで知らない街の病院に入り、

退院後誰もいないアパートに戻った。

入院費と生活費借金した。



それからいろいろなアルバイト転々として、

つの間にかこんな歳まで生きてしまった。

我ながらよく生きられたと思う。

私にはサバイバル能力があるのだろう。



人間的に完成されていないので、

正規雇用はとてもではないが無理だった。

いろいろな相談機関に話を聞いてもらったが、

話を聞いてもらって、その先がなかった。

ただ今でもこうしてアルバイト生計を立てていられるというのは、

まれているのだろう。



今の勤め先では、

高学歴で、家族がいて、評価されている正社員の人たちに囲まれている。

その中で私は誰にも評価されず、

飲みにも誘われず、

ただ目の前の仕事をして、

帰ってきて、

カップ焼酎を飲み増田を書くことを楽しみに生きている。

病気で作った借金を毎月数万返済するのに精一杯で、

好きなものはあまり買えない。



たくさんのものを、たくさんもっている、

周りの人たちがとても羨ましい。



結婚とかしてみたかった。

家族を持って、誰かを守ったりしてみたかった。

男の人にもっと愛されてみたかった。

他人と心を通わせる、みたいなことをしてみたかった。



人並みに働いて評価されたかった。



寒い季節にボーナスをもらって、

オシャレなコートを買うような暮らしがしてみたかった。

2016-11-30

動物病院って、どうしてこんなにボッタクリの詐欺が多いんだ?

実家で飼っている犬が死んだ。

膵炎だったらしい。

泣いた母から先ほど、電話がかかってきた。

いつも予防注射をお願いしている動物病院では、これまでも定期的な検査提案され、

犬も高齢からということで、一応3か月ごとに受けてきた。

土曜日にご飯が食べられなくなったから、診察を受けさせたら、

入院検査を勧められ、その通りに。

2日入院させている間に(もちろん2日間お見舞いには行っていたらしい)

完全にぐったりしているばかりでなく、

足にウンチがついているような状態

それなのに、追加の検査をたくさん提案してきたそうだ。

可哀想だったので、連れ帰ってきたという。

検査を断って、

2日入院検査で6万円払ったらしい。

連れ帰ってきて、往診してくれるという獣医さんがいたので、

昨日診てもらったら、すぐに、十分な高齢だし、膵炎だという診断。

できるだけ一緒にいて見送ってください、と言っていただいたそうだ。

病気のことだから、一概に入院させた動物病院が全部が全部悪い、と思ってるんじゃない。

でも、犬だって死ぬときに、病院の檻のなかでさみしく心細い思いをして死ぬよりか、

我が家で、家族と一緒に最期を迎えたいじゃないか

もし言われるがまま検査を受け続けさせて、退院させなかったら、

すみません検査してたんですけど死んじゃいました、って

言われて、何万も請求されたのか、

と思ったら、なんかゾッとする。

なんだか、とっても悔しい。

2016-11-29

星野源が好きだ

津崎さんではなく、星野源が好きだ。

彼は2012年くも膜下出血で手術を受けている。復帰したが、その後もう一度治療に入った。武道館ライブなどは延期になった。

2013年再手術のち退院2014年復帰している。

その1年後、アミューズ移籍した。

働きづめが続いている。最初に倒れる前も寝る暇もないほど忙しそうだった。

星野源好きの意見だが、ドラマ降板してほしい。

彼は今年9月Mステ出演後、自身の生ラジオ体調不良で欠席している。

11月はじめには食あたりを起こし、熱と吐き気の中無理にラジオを続行していた。

ドラマなんかより、自分の命を大切にしてほしい。周りは彼の命を大切にしてほしい。

そんなことを一ファンが言ったところでなんの影響力もなく

多分頑張って仕事を続行するんだろうし

それを応援することがファンがすることなんだろう

仕事を降りることを本人は絶対に望まないだろうし

降りることもまったく正しくはないんだろう



ドラマは降りれずとも年末年始歌番組は全部降りてほしい

休養にあててほしい

そんなことは、なかなかどこにも書けない一人の歪んだファン意見でした

2016-11-18

突発性難聴が治った話

看護師さんに「聞こえるようになってよかったですね」って言われた夜、もうこれ以上良くならないのかと怖くて眠れなかった。

ストレスですか?」と病気の原因を尋ねられるたびに、自己管理を責められているような気がして息が苦しくなる。

「これは聞こえる?」と自己流聴力検査をしてくるひとは一人や二人じゃない。心配、または興味であって悪意でないのはなんとなくわかるのに、どうしようもなく落ち込む。


幸い病気ほとんど完治に近いし、当然聴覚障害認定下りない。

わたしはもう、ただのすこし聞き返しの多い女だと思う。


それなのに、ほんの些細なひとことひとことに心だけが傷つくのをやめてくれない。

退院してから二年間、こんなにも恵まれているのに、毎日死を考えている。親不孝すぎる

2016-11-17

http://anond.hatelabo.jp/20161116175043

私の両親は恋愛結婚ラブラブ結婚したのだけれど、私が3歳、姉が4歳のとき離婚してしまった。

私も姉も母親に引き取られて、母に女手ひとつで育てられたんだけど、貧乏(仕事育児から現実逃避するために母がパチンコに嵌っていたため)と虐待(しつけという名目暴言身体暴力、服を買ってもらえない、食事を作ってもらえない)が本当に辛かった。

子供の頃から、「私は絶対結婚しない。こんなひどい苦しみを生む可能性があるんだから」と思い続けてきた。

実際に、異性との交際経験はあるものの、いまでも結婚は考えられない。

世間の人たちの大半は、特にそこまで考えず、周りが結婚してるし親も勧めるから〜って理由で、自然の流れで結婚してるのではないかと思う。



ところで、私のような劣悪な環境で育った人間病気になりやすいのだろうか?

親戚には精神疾患のある人はいないのに、私は16歳で摂食障害になり、その後うつ病になり、さらにその後20代半ばで難病発症し、さらにそのあと双極性障害発症した。

私の姉は14歳強迫性障害発症、18歳ごろに統合失調症発症、その後入退院を繰り返している。

姉は母に対する暴言暴力がすさまじい。

これって無意識のうちに子供のころにやられたことの仕返しをしてるんだろうか、と思うことがある。

私の祖母を知って欲しい

私の祖母はおばあちゃんというおばあちゃんだ

お団子頭にメガネ割烹着を着てかわいらしかった

穏やかで、誰に対しても優しく、誰からも好かれた

そんな人が居るだろうか?私の祖母がそうなのだ

である私が祖母を大好きになるのは必然

朝は祖母が作ったご飯を食べ、昼まで一緒に遊び、

徹子の部屋ごきげんようを観ながらたまに出前のそばを食べた

近くの公園駄菓子屋銀行スーパーへ。何処にでも手を繋いで

夕方祖母相撲タイムだ。私はおやつに買ってもらったグリコを食べる

ごはんは母の料理自分の家の風呂に入るが、寝床祖母の隣だ

寝つきが悪くしりとりをやり過ぎるとさすがに怒られた

学校忘れ物を届けてくれた。体調が悪いと心配して正露丸を持ってきた

朝ごはんが食べられない私の口許に祖母はご飯を運んだ

毎日祖母と一緒だ。幸せってこうゆうことだ

幸せが当たり前で、祖母存在が当たり前だった

成長につれ、あまり祖母に預けられなくなった

一人で風呂に入れるし、寝られる。晩ごはんだけ一緒に食べる

祖父介護もある祖母の手をあまり煩わせないようにするためだった

祖父が亡くなった。私は晩ごはんも一緒に食べなくなった

祖母と同居の伯母が一人暮らしを本格的に始めた

から知ったが、気丈な祖母は寂しいと一度だけ訴えたそうだった

たまの晩ごはん祖母の家に来たら味噌汁がしょっぱかった

伯母が言うには最近鍋を火にかけたままなこともあるらしい

同じことを何度も何度も言うようになった

伯母が物を盗むと私に怒りを訴えるようになった

人のことを悪く言う祖母を私は始めて見た

一人で夜家を出てしまうようになった

伯母と喧嘩する声が絶えなくなった

喧嘩するたび、施設にいくたび、祖母が遠くなった

笑ってくれない。怒鳴り、殴り、怒りを見せる

私を私と分からなくなっていく祖母から私は逃げた

泣くことしか思い付かなかった。10年近く私は逃げた

ある日から少し祖母が笑うようになった

誰のことも覚えてなくてもそれだけで救われたのに

認知症は進み、デイケアで他の人から離されるようになった

すぐに笑うどころか言葉も失った

伯母は施設に入れたくないと必死だった

夜は私も手伝うが、日中は伯母一人で介護

歩けなくなった祖母を自宅介護するには限界だった

言葉も発しない、表情も変えられない、食べることさえままならなくなって

退院を繰り返し、起きてる時間も減り

しょっぱい味噌汁から20年近く経った

ずっと昔の祖母を思い出さないようにしていた

写真も見なかった。声も思い出せなくなった

もう一人のおばあちゃんにご飯を食べさせている気持ちになっていた

から物が食べられなくなって一年病院にずっといる祖母

私は焦り始めた。認知症を知らないといけないと感じた

今の祖母と向き合わないと後悔するのではないかと思い始めるには遅かったのかもしれない。いや遅かった

認知症孤独不安否定されることで症状が進むことを始めて知った

物が盗られたと言われたら一緒に探してあげるのだそうだ

私は探してあげなかった

そんなこという祖母祖母ではない、病気のせいだと

病気祖母を受け入れなかった

病院で点滴をつける祖母に呼び掛けた。笑いかけた

祖母は前よりじっと目を見てくれた。体はどんどん弱っていった

いかけても涙が溢れるようになった

容態が悪いと言われて駆け付けたときは涙が止まらなかった

私だよ、分かる? と笑いかけたら

祖母は首を縦に振った。昔より薄い色の瞳で見つめながら

一週間後に祖母時間が止まった

私の祖母が、棺桶の中に消えていく瞬間

最後に見た顔が、私の隣で眠る顔を思い出した

認知症自分がなくなっていく祖母苦痛から解放されたはずだ

でも割りきれない私がいた

祖母の部屋で祖母を探した

祖母勝手に開けてはいけないと言っていた棚

何回も何回も糸に通して遊んだビーズがあった

祖母の好きな皇室の本もあった

祖母のおしろい、ファンデーション手鏡

なくなったと思ったメガネケース

台所に貼ってあるうすちゃけた祖母メモ書き

生まれたての私と抱き抱える祖母写真

道端に並ぶ祖母と私

祖母匂い、優しい声、丸い背中

私の祖母は働き者で、誰にだって優しい

働きながら母と伯母を育てたキャリアウーマン

生命保険営業の話だって優しく聞いてあげるのだ

私や姉がいじめられたら何処からか助けに来てくれる

近所の子供たちのお世話を喜んでしていたほど子供好きで

通りすがり赤ちゃん祖母を見るとにっこり微笑んだ

私の祖母を誰かに少しでも知ってもらいたい

祖母存在していたことを知ってもらいたい

私の愚かさ、過ちを知ってもらいたい

私の自慢の祖母を知って欲しい

2016-11-10

http://anond.hatelabo.jp/20161109143018

すごい分かる。

自分膠原病持ちのせいか異常に疲れやすい。

そういうとき飲食抜きで気軽に休憩できるところがないので困る。

できれば30分くらい横になれたら身体が楽になるんだけど。そうするとマンガ喫茶の個室一択になってしまうんだよね。

実際、退院した直後は、なにか用事があって外出しなければならなかったときマンガ喫茶で横になってた。

暗いところで目を閉じて横になれるってだけで都会のオアシスに感じたよ。

2016-11-08

父を気持ち悪いと思っているであろう姉と母親を持つ弟の僕

先日話題になっていたらしい

娘が気持ち悪い(http://anond.hatelabo.jp/20161102211759

と、さっきたまたま見つけた

父を気持ち悪いと思った過去。(http://anond.hatelabo.jp/20161107130534

を読んで。まだ頭のなかで何も話はまとまっていないけど何となく僕の家のことを書いてみます

僕の家族は4人構成です。現在23歳で大学4年生の僕(1年間休学)、2歳上で社会人の姉、母親、そして父親。幼い頃は普通に仲の良い家族だったことを記憶しています。僕らがまだ幼い頃には、父親は僕と姉を毎週のようにどこか遊び場に連れ出してくれて、時には家族全員でハワイスキー旅行に行くような幸せな家庭でした。まだ僕と姉が同じ部屋の二段ベッドで寝ているときには、僕と姉がもうベッドで寝ようとしているのに、リビング父親母親お酒を飲んで談笑しているのがうるさくて、「2人の笑い声がうるさくて寝れない」と叱りにいくこともありました。家族で何処か旅行に行った際に、父親と手を繋いだ姉が「私は大きくなったらパパと結婚する!」と言っている場面はなぜか今でも鮮明に覚えています。僕はそんな我が家が大好きでした。

僕が小学生の間ぐらいまではそんな感じの幸せ我が家でしたが、僕が中学生になったぐらいから姉が父親を遠ざけ始めましたような気がします。きっと数多くの思春期の娘と同じ様に父親に対する「気持ち悪い」の感情を抱き始めたのでしょう。確かに父親は面倒な男です。あまり僕ら子供のこと干渉するタイプ父親ではありませんでしたが、何回もこっちが注意してることをわざと直さないようなタイプの男です。それ頃から姉の極端な父親避けはずっと続きました。姉は帰宅して父親がいることが分かるなり、わざと足跡を大きくして不機嫌アピールをはじめたり、家の中ですれ違う際にはまるで化物とすれ違うかのように極端に避けて通り、家族4人でテーブルを囲んでご飯を食べる際にはわざとらしく父親から離れてテーブルの端っこに寄ってご飯を食べたりしていました。僕も父親母親に不満を感じたことは多々ありますが、この姉の極端な「父親避け」はどこか僕にとっても不愉快でした。そして父親もそれに対してはなんにも言いません。不器用で鈍感な男なので、最初は気づいてないのかとも思いましたが、きっとそうではありません。父親弱気タイプの男ではないので「なんで平気なんだよ。一発ぶっ叩けよ。」と思ったこともあります父親は何もアクションを起こしませんでした。きっとそれが不器用な父なりの愛だったのだと思います。そしてその「父親避け」は段々と母親にまで伝染していったように感じます。姉と娘が結託して父親を嫌って遠ざけ、父親自分の家庭にも関わらず何も言わない。僕はこのあたりからこの家族全体のことを少しずつ「気持ち悪く」感じるようになっていました。そして僕が高校3年生になった頃だったでしょうか、父親単身赴任地方に行くことが決まりました。当然姉は喜んでいました。僕は特に何も思いませんでした。

そうして僕ら家族は2年間ぐらい、父親関東仕事用事があって家に帰ってくる時ぐらいしか父親に会わない生活を続けていました。そんなある時、外で友達とダラダラ遊んでいる時に僕の携帯が鳴りました。母親からメールでした。文面は「今日父ちゃんが帰ってきています大事な話があるので早く帰ってこれますか?」というような内容でした。僕はそれを見た時、あぁついに離婚するんだ、と思いました。僕は特にそれについて何も思いませんでした。そして帰るとリビングに僕以外の家族がもういました。僕が「なに?」と聞くと父親が「父ちゃん、癌になっちゃったんだ。末期の。」と言いました。母親と姉は先にそれを聞いていたようです。僕は特に取り乱しもしませんでしたが、どうしたらいいか分かりませんでした。その日は僕は家にいる気になれず、地元親友電話をして2人で居酒屋に行きました。

それから父親は家に戻ってきました。癌患者になった父親には母親も姉も前より優しく当たるようになりました。でも僕にはそれが余計に薄っぺらものに感じました。父親は末期がんでステージ4b。末期の末期でした。医者の話では手術をして成功したとしても5年生存率は5%以下。父親の手術は成功しました。術後、ICUのベッドで管まみれになって横になっている意識朦朧とした父を見たときには涙が流れました。姉は覚えていませんが、母親も泣いていたように思いますそれから父親退院し、仕事が続けられなくなったのでずっと家で安静にする日々を過ごしています。手術から3年経った今でも父親は生きています。癌だとわかった直後の父親に対する姉と母親の優しさはとうに消え、姉は父親のことを“あいつ”と呼んでいます。いまだに姉は帰宅して父親がいることが分かるなり、わざと足跡を大きくして不機嫌アピールをはじめ、家の中ですれ違う際にはまるで化物とすれ違うかのように極端に避けて通り、同じテーブルでご飯を食べる際にはわざとらしく父親から離れてテーブルの端っこに寄ってご飯を食べています

母親父親が癌だと分かった時、親戚の家で「どうしてこれまでパパに優しくしてあげれなかったんだろう」と泣いたそうです。また今も姉と一緒に父親邪魔者扱いしているように見える僕からすれば、その涙はなんだったんだろうと思います

僕はこんな家族のことがどうしても好きになれません。ここまで育ててきてくれてとても感謝はしていますが、尊敬はできません。

2016-11-07

今年になってから母が転んだり入院したりと明らかに今までより老化のグレードが上がったと漠然と感じていた。

入院した際、退院後のレンタル用品も増えるだろうと予想し介護認定の再申請をして良いケアマネと知り合うこともできたが母は直接介護事業所に電話してあんものはいらないこんなものはいらない設置した手すりのせいで転んだなどと文句を言っている。

ベテランケアマネは様々なところで尽力してくれるが「お母様は難しい性格の方」という評価をした。

このセリフを聞いたときに私は一瞬にして女子高生に戻ってしまった。

そして当時なんとなく感じていた言葉や形にできない母への憤怒は間違っていなかったのだなとあの頃の私の肩をたたいて励ましてやりたい。



毒母とまでは行かないまでも当時40代の母は支配傾向が強く自分の思い通りにならない私が気に食わないようだった。更年期との折り合いが上手くつかなかったのかもしれない。進学校に通っていた私には比較的裕福で穏やかなご両親を持つ友人しか周りにおらず母のことを愚痴ってはみたもののあまり彼女たちにはピンとこない様子だった。母と比較する対象大人サンプルをあまり知らない私にとって、私が悪いのか、もしくは私と母の相性が悪いのかが判断できず、かなり情緒不安定精神安定剤に頼る子供となっていた。進学したいのでグレるという選択肢はなかった。

私がやっと自分人生を送り出したのは離婚後の30代半ばだと思う。

思い返してみれば結婚した主な理由結婚しないと母の機嫌が悪くなるので、というのでは結婚生活などうまくいくはずもない。

離婚後の私は実家没交渉になり1年に1度帰るか帰らないか程度、留守電放置していた。距離を置いたことにより母と私は上手く行っていると思いこんでいた。

しかし、今年に入って何度も実家に行って母と会うと実は状況は凍結されていただけで改善されているわけではないということがわかった。

そして冒頭の「お母様は難しい性格の方」という言葉で私は母が他人から見てもかなり難ありな人間だと知り救われた。


また母と同居している弟は「元々キチガイなんだから気に病むな。」と言う。じゃあ、弟も母をヤバいと思っていたということなのか。この件について兄弟で話し合ったことはないが私だけが母と合わないわけではなく単に弟のスルースキルが高かっただけどわかった。

なんだか目の前の霧が晴れたような気分だ。

私はもうすぐ50に手が届く年齢だ。

そんな成熟した大人を未だに母は苦しめる。

実の親だからって娘をサンドバッグにしていいという法はない。

2016-11-05

生きることは食うことだ!!!

離れて暮らす両親の話。

親父が癌だ。今は食道癌

最初の癌は15年前。白血病抗がん剤→骨髄移植で一応元気になった。

次は皮膚癌発症は顔のほっぺた。小さかったのと初期に見つかったので薄皮一枚削った。

次は今も闘病中だが食道癌。見つかった時はステージ3。皮膚がんたまたま見つけやすいとこだったか医者が気づいたわけだが、白血病で毎月検査しているからかあんまり他の癌に注意してなかった模様。まぁアホな親で困る。一度治療を終えたが、再発が見つかった。また抗がん剤が待っている。

食道癌は喉に出来たこともあり、切ろうと思っても声帯ごととる大手術になる。最初白血病の時にだいぶ体力を失っていたこともあり、手術に耐えれる体力が無いと医者判断され、抗癌剤放射線治療のみ。

抗癌剤治療副作用は凄まじい。巷では副作用が少ない抗癌剤がとか、科学進化がとか色々言っているけど、親父は白血病の頃から数えて10回以上抗癌剤治療を行っているわけで、傍からみててもう限界に近い。一回一回痩せていくその姿はとても痛々しい。元々痩せ型〜普通くらいの体型のくせに、体重は15kg前後落ちた。髪の毛が再生するのは最初のうちだけで、骨髄移植後はなかなか生え揃ってくれず、陰毛みたいな白髪がうっすら生えてくるだけだ。カツラをつけるって言っても、留める毛すら揃わない。大手保険会社部長を勤めたイケメンの姿はもうない。

抗がん剤治療を乗り越えるには、それなりに体力が必要。手術する体力が無いと言われた親父は、本当なら10日で退院できる抗がん剤治療でも1ヶ月半くらい軽く入院してる。色んな病気を併発するからだ。白血病の時は肝臓ウイルスがどうとかで1年以上入院した。前回の食道癌の時は肺炎になり、元々肺気腫気味だったけど悪化した。おかげで現在は5分も歩けないし力仕事なんてできない。

また、これだけ抗がん剤うてば、口の中も荒れ放題になる。もともと虫歯一つない歯だったのに、今では奥歯はほとんどない。入れ歯抗がん剤後には合わなくなり、調整してもまた治療したら微妙に合わなくなり。次の抗がん剤を間近に控えて、現在は痛くて使わなくなってる。

味覚も狂う。最初抗がん剤治療後(骨髄移植前)は、何を食べてもまずく感じるなか、唯一ラーメンけが美味しかったらしく、街中のラーメン屋を片っ端から食べ尽くしたらしい。骨髄移植後は割と味覚も戻り、美味しいものを美味しく感じれる生活を送っていたが、食道癌になってからは何を食べても美味しく感じないらしい。喉に引っかかるから飲み込むのも辛いとかなんとか。

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おかんは熱心な宗教家でもあり、エセ科学とか大好きだ。もともとそんな人なわけだが、抗がん剤治療で日々弱っていく親父を見るとなんとかしたいという一心から、様々なエセ科学を調べる。俺自身、身近な友人を抗がん剤治療関連死(まだ元気だったけど治療開始後一週間で亡くなった)とかあったので、抗がん剤を心から信じているわけじゃないし、おかん気持ちはよく分かる。

んで、最近食事療法的なよくわからんやつにご執心だ。体にいい食べ物、悪い食べ物に分類してあれはダメだ、これはダメだっていうやつ。これは良さそうに見えて本当は良くないとか色々ある。興味本位で色々聞いてみたら、おかんに入れ知恵している先生的な人曰く、坊さんの精進料理的なものしか本当に体にいい食べ物はないらしい。肉もダメ野菜も大半ダメ、魚もほとんどダメ。なんだそれ。

はいっても夫婦で食べる料理はそんなに極端に変わっていない。あからさまに体に悪そうな食べ物ファストフード的なやつとかポテチとかそういう系)は元々食べないし、別に我が家食卓でそんなに大幅な変化はない模様。二人とも元々同郷の農家だし、昔ながらの食い物ばかりな感じ。

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生きることはとどのつまり食べること。病人だって美味いと思えるものをしこたま食べれば体力も少しは戻ってくるだろうさ。少なくとも運動もできない体になった以上、食う以上に大切なことは思い浮かばない。

おかんにはそのことを話した。抗がん剤治療を信じない、食事療法で内側から治すという考え方は大事だと思うけど、病気を倒す体力や元気を身につけるには、体に良い悪い食事よりも親父が食べる事に喜びを感じる方が遥かに大事って。俺はさすがスピリチュアルおかんに育てられただけあって、スピリチュアルに伝える技術はいくらでもある。割と簡単に納得してくれた。ちょろい。

問題は本人。つまり親父だ。何食べても美味しいとは思ってくれない。そもそも奥歯がなくても食べやすくて美味しいものなんて俺にはなかなか思い浮かばない。刺し身と鍋は比較的いけるっぽいけどあまり楽しんでくれない。クソ。

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最近一つわかったことがある。

親父はおかんと二人の時より、俺がいた時の方が美味しいと感じるらしく、俺の嫁がいる時の方がもっと美味しく感じる模様。同様に姉家族が孫を連れて帰って一緒に食べる時などとても美味しい模様。

前回俺が嫁と一緒に帰った時に4人で外食したわけだが、その時に食べた鍋焼きうどんがとても美味しく気に入ったらしい。で、後日一人で食べに行ったみたいなんだけど、全然美味くなかったとかなんとか。

姉には子どもがいるが、俺にはまだいない。俺がガキつれて帰った方がご飯は美味しく感じるのだろうか。たぶんそうなんだろうな。

確かに孫と囲む食卓だったら、何食っても美味いだろうな。

贅沢な親父め。クソ。

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あれだけ弱っていて、かつ自分の死期が比較的近いと考えている人間が、あと何回抗がん剤治療を乗り越えられるのか、あと何年生きられるのか。

出来るだけ美味しいご飯を食べさせてやりたいなと思うところです。

2016-10-27

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http://anond.hatelabo.jp/20161027182405

ひさしぶりの「増田ぽえ夢」。

タイトルからもわかるように、ストレートに「怖い夢」を題材にしている。

そして、創作ではなくて、これは実際に見た夢をそのまま書いたのだろう。

やや支離滅裂だが、その一貫性のなさが書き手のポエジーを感じさせる。

わかりやすいように少し話を整理して、あらすじを書いておこう。



あらすじ

余命幾ばくも無いと宣告された義母退院して帰ってきた。が、少し様子がおかしい。

すると夫が泣き崩れ、実は今日の午後になくなったことを告げる。

「私」は、夫にある場所について調べるよう言われ、宇宙船のなかような場所に潜入する。

そこで、義母には脳内機械を埋め込む手術が行われたらしいことを知る。

曖昧なところがあるので、母が既にその手術を受けているもの解釈

脱出しようとエレベーターに乗ると、閉まる直前にある男が乗り込んできた。

その男は、義母に手術のことを暴露しようとしているため、「私」は男の殺害を考える。

「なんて恐ろしいことを!」と思ったところで、夢は覚めてしまう。



解釈

しんどいことが続いている」とあるが、書き手は、現実義母介護に追われているのだろう。

そして、義母が手間のかからない状態になることを願っている。

その反面、彼女をおもいやる気持ちもある。だからこそ、手術の事を隠そうと業者の男の殺害計画する。

「怖い夢」とタイトルにあるが、人をも殺しかねない自分が怖いのであるしかしこの怖さには、

憎しみより優しさが感じられる。なぜなら「私」は、義母の死よりは生を願っているかである

怖い夢

余命いくばくもない身内の人を抱えている家族が見た悪夢

ある日、その人が家族に付き添われて退院してきます

見た目はとても青白い顔ですが普通に会話もできるし、歩けるし、食事を作ることさえできるので私の代わりにやると言い出して代わってもらうことにしました。

包丁を使わせるのが怖かったのですが取り扱いに問題はないようです。

でも何故だか様子がおかしいと感じるのです。

やがて夫が泣き崩れます

本当はお母さん、今日の午後亡くなったんだ、と言い始めます

では、目の前にいるあの人は何だ?と聞きました。

確かにその姿はお母さんのものです。

するととある場所で調べてほしいと言われます

言われてやってきたのはSFに出てくる宇宙船の仲のような場所でした。

美しい男女がそこにはいました。

その人たちを含んだ会話を盗み聞くことができました。

それによると、本来ならば玉体に何かあったときのために用意されている内部に脳だけをはめ込んで使うサイボーグのようなものがあって、それをお母さんに使うことになったとのこと。

男性用、女性用、各1体しか用意されていないもののようです。

そして、その処置が終わる前のお母さんの状態はいわゆるゾンビのようなものらしい。

話の盗み聞きが終わった私はそこを抜け出すことにしてエレベーターに乗り込みます

下りボタンを押したのになかなか閉まりません。

嫌な予感がしていると、何かの業者らしい人が貨物と共に乗り込んできました。

その人はやけに低い姿勢をとったりしていて、見るからに怪しそうです。

果たしてエレベーターを降りた彼は、今聞いてきたばかりの秘密の暴露をしようとします。

私は彼の口をふさぎ、家に連れ帰ります

この話はなにも知らないお母さんには内緒なので私は彼の口をふさぐため始末することを考え始めます

なんて恐ろしいことを!

そう思ったところで目が覚めました。

しんどいことが続いているのでこんな夢を見たようです。

2016-10-04

http://anond.hatelabo.jp/20161003174722

ヒス主婦だけどじわじわ見てもらえてちょっと嬉しい。

でも多分デパス旦那には届いてないんだろうなー。ちょっとかなしい。


id:kaionji 治療しましょうから退院していい?の間に何があった

「通院していい?」ですよww

入院はしてない。

id:watto 増田じゃなくてブログ書いてほしい。参考になる人いっぱいいるのでは? 増田は仮にバズっても一過性

需要ある?

多分みんな最初のとっかかり(ヒスを治すために病院行く理由とかきっかけ的な)のがなくて困ってるのかなーと思ってとっかかり事例?的に書いてみた。

私がブログ書いたとしてコンサータ増えたとか減ったとか今日はあれができたやったー!みたいな感じの日常ブログになる予感。

id:netcraft3 PMSもあるのかも。生理周期との関係医師に診断を仰いだほうがいいかと。

PMSはありまーす!

結婚から低用量ピル飲んでる。そっちは心療内科じゃなくて婦人科で処方されて、同じのを個人輸入で見つけてお金持ちじゃないからそれ買って続けてる感じ。

一時期ピル買い忘れでやめた時期あったけど気分機嫌うんぬんじゃなく体調で死ぬかと思うぐらいヤバかった。

ピルを飲むと完璧生理周期が把握できるし目で見てわかるから旦那にも「ここまでピルが減ったらやばい時期」とか伝えて共有してた。



とか、そういうのをブログにしたら役に立つのかな?

2016-09-27

人工透析患者の母とその子である自分

「じゃあ死なせてくれ。殺しに来い」

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1609/23/news067.html

これの概要をざっくり説明したらウチの母はそう吐き捨てた。

20代後半。

母60代後半。透析歴13年くらい。

昔は週2回3時間で済んでいた透析も、いつだったか、何かのタイミングで週3回4時間になった。

ウチの母は生活習慣がどうこうっていう糖尿ではなくて、遺伝子レベル問題なので

ハセガワなんちゃらさんの言う中には入らないんだろう。

食事制限だって優等生すぎるくらい守ってる。

「もう少し好きなもの食べてもいいと思うけどね」なんて担当医に言われたレベル

だけど、ハセガワなんちゃらさんの物言い不快なことに変わりは全く無い。

真に言いたいことは医療費がどうのこうのという感じなんだと思うけど、

とにかく過激だなと思った。

炎上芸なんて揶揄されてるから取り合わないほうがいいのかもしれないけど、

何ていうか残念だなあと、ただ悲しかった。

小学校に上がった頃にはすっかり「母は病弱である」というのが刷り込まれていて、

授業参観とかそういうものは、気がついたら全部父が参加していた。

4年生のときに3ヶ月ほど入院したのがきっかけで、

その後も度々、いろんな理由で入退院を繰り返した。

目が見えづらいから手術するんだよとか、そんな風にしか理由を聞いていなかったけど、

今振り返ると糖尿病の進行が関係していたんだなあと、ぼんやりわかる。

なんで透析することにしたのかは単純で

「この子(私)が成人するまでは」と、思ったかららしい。

宣告受けたのが私が13歳だったと思うから、7年か。

今年の冬で14年目に入るんだから、もともとの予定の倍は生きてるね。ありがたい。

一度だけ透析室に入ったことがある。

あとになって一緒に入った父に聞いても首を傾げられたけど、

「死臭ってこれか」と思った。なんとも形容し難い、甘い匂い

あの匂いはもう感じたくないな、と頭の隅で思った。

(実際に死臭なんてもの存在するのかどうかは知らない。あくまでも私の感覚での話)

一番強くそ匂いを感じた場所にいた人は、1年経たずに亡くなった。

母が透析をしているうちに作った友人だった。

仲良くしていた患者さんのうち、4人目が亡くなった時点で、母は友人作りをやめた。

ハセガワなんちゃらさんの記事ではなんかものすごい言い方されてたけど、

娯楽のために出かけることなんて年に数回あるかどうかってレベルなんだよね。

なぜなら、透析をすること自体が体力を使うことだから

酷い日は透析から帰ってくるとそのまま寝込んで起きてこられないこともある。

医療制度さまさまだなと思うことは多い。

手続きはまだまだ煩雑で、窓口に来るのは本人じゃなきゃだめとか、問い合わせのたらい回しとか、

お役所仕事いい加減にしろって思うことはあるけど、恩恵はありがたく受けてる。

透析に関して、「しんどい、やめたい」と零されると、なんて返したらいいのかわからない。

やめていいよとは言えない。「死んでいいよ」って意味になる。

でも、その一方で苦しみながら生きているのはどうなんだろうと思う。

正しい答えなんてものが無いことを抱えながら生きている大切な肉親に

「死んでくれ」なんて言えるわけがないんだけど、

ハセガワなんちゃらさんはそれにはっきり答えをくれるのかな?

安楽死とか尊厳死とか、そういう議論って今行政ではどうなっているんだろうなあ。

ハセガワなんちゃらさんのお陰で、久々に考え込んでしまった。

まあそういう意味ではありがたいってことにしておこうか。

ここまで読んでくれて、ありがとうございました。

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追記。

技士さん。いつもありがとうございます。お世話になってます

友達を作らなくなった母は、看護師さんや技士さんとお喋りするのがささやかな楽しみのひとつのようです。

中にはつらく当たる患者さんもいるだろうけど、ひとりの患者家族としては感謝気持ちしかありません。

  

  

言葉の強さが悲しかったけど、結果的に考えさせられたな、という感想のつもりで書いたら

思っていたより反響あってちょっとビビった。正直なところ。

  

母には聞かれたのです。透析患者がどうこうって何かニュースでもあったの、と。

その場で検索かけて記事読んで、どうしようかとは思ったけど、私なりの解釈説明しました。

言葉の選び方は良くないけど間違っちゃいないとは思うのでね。だって患者家族にいても、税金おさめて負担しているのは変わりないから。

  

炎上芸ねwもっと釣れる書き方あるんじゃないのかな。他にも憤ってる人いそうだけど。

誰に話せる話題でもないからここに残しただけなので、まあ燃やすなら燃やして下さいとしか

2016-09-10

母親がわからない

父親が癌になり手術した。

退院後に家のどこで寝起きするか、ベッドが良いだろうしと話している時に母が言い出した。

「お父さん死んだら、お母さんどの部屋を寝室にしようかね?今お父さんが使ってる部屋がいいかね、玄関も近いし」。

これまでも母は父が死んだ後の話をよくしていた。

ずいぶん体も弱くなって、案外早くに死んでしまうんじゃないか、だとか。

今回、父の入院騒ぎがあってすぐの頃に実家兄弟に言ったんだそうだ

あんたの結婚式写真、お父さんの写りが良かったわ。あれもらえる?遺影にするのに」。

もし死んだらどうしようと混乱していたと母本人は言う。

父の手術当日も、不安しょうがいからと叔母に付き添いを頼んでいた。

父が死んだら葬式など取り仕切るのは母の役目だし、そういう責任感や不安から死んだらどうするか考えてしまう、のだろうと思っている。

けど思う。

父が退院する準備の話で、父親の死後の話?お母さん、お父さんのことどう思ってるの。

お父さんが家事をしない、食事も呼んでも来ない、口で偉そうなことばかり言うと帰ればいつも愚痴を言っていた。

けどそんな憎まれ口も広い意味愛情なのかもなんて思っていた。

父親が死んだら、この家をどうしよう、改築をしようか。そんなことを話す。

母がわからない。

最近先生が激務って記事が多いけど

一方で特権階級とか貴族みたいな教員も相当数いることを忘れないで欲しい。

特に40代後半から50代以上。



部活動行事関係雑用は若手に丸投げ。顧問と副顧問とかあるじゃん。あれ。

後輩の指導もしない。というよりできないのかも。



教員生活のおいしいところだけかっさらう。

そりゃあ出来のいい子が伸びていくのは見てて楽しい

別にの子先生がいなくても勝手に伸びていくんだけど、自分指導のおかげと勘違い

ひどいのになると、授業が最悪で生徒はついていけず成績が落ち、危機感を抱いた保護者が大挙して塾に押しかけ、結果試験の平均点は上がったとさ。

これ、先生指導の賜物ってことになるの?



生徒指導前世紀的。とにかくよくどなる。

口癖は「最近の生徒は~親は~」

大体のことは自分以外のせい。



休みは取り放題。年休20~40日、夏休8日、人間ドック1日

病休や家看休や子育休や短介休なんかフル活用すれば1年間ずーっと週4日で働ける。

さらに、職場行事などで大変な時に平気で休めば、効果的に仕事を減らせる。

実際、似たようなのやこれ以上の人のことをする教員は、いる。



下手すると「調整」とか言っていつの間にかいない。

夏休みなんか年休取らずに10時に来て15時に帰る。まじかよ。

あなた、調整するほどいつも残ってませんから! 残っててもお茶片手に若手の仕事邪魔してるだけですから



他にも、診断書とって病休2週間取ったのに、連絡したら3日目には退院して外出してた、なんてのを聞いたときには開いた口が塞がらなかった。

まあ病休の制度を最大限利用して、もう何年も何年もまともに働いていない、働けていないのに辞めない人もいるし、小物ではあるのだけれど。



モノが壊れた(壊した)、モノが無い(無くした)

平気で言って若手に尻拭いさせる。逆パターンはない。一方的リンチ

これでもかと言うくらい文句や口出しするけど、自分で何か変えようとかしようとかは、まず無い。



それに対して給料はすごい。あの労働時間と内容であの給料もらえるとか、吐く。うっぷ。

元は税金事実にも吐く。おげえええ。

それなのに自分より上の世代もっともらっていた。給料が(少し)減った。退職金が削られた。なんて愚痴る。おろろろろ。



査定とか形骸化しているからすごいよね。みんな一律に給料上がって行くから

先生先生たらしめているのは各人の良心義務感のみ。

それがない老害は、何なんだろうか。先生の皮をかぶったおぞましい何か。



すげーよ。何でこれがシステムとして成り立ってんだよ。涙出てくるよ。

管理職はまたちょっと違うとか、色々書き足りないことはあるけどさ。

何が一番問題かって、教育現場がこういう畜生もの食物にされているってことがもうね、辛い。

2016-09-08

ばあちゃんが立った

数ヶ月前に転んで大腿骨頚部を折ったばあちゃんが退院した

90を超える上に元々足が悪くて運動量の少ないばあちゃんは体力がなく貧血気味で

そもそも手術に耐えられないかもしれない、手術が無理なら寝たきりだと言われていたが

点滴して輸血したらみるみる元気になって手術もあっけなく成功した

心配させやがって


そこからリハビリして体力つけるまでが大変だったが、先日ようやく退院許可が出た

転んで足折って何ヶ月も入院してる間に認知症になるパターンが本当に多いが

もともと家でもあんまり動かないばあちゃんだったので絶対安静の生活もお手の物

足の悪い年寄りとしての年季を見せ付けられた感じ


帰ってきた家は介護保険恩恵にフル預かりで手すりからスローからセンサーカメラまで設置され

ばあちゃん包囲網がすっかりできあがっていた

もう家から出られねえなあ! ばあちゃん

曾孫見せてやるからあと10年は生きてくれよ

2016-08-25

36歳、二児の父になったけど娘を風呂に入れていてウンコ漏らした

さて、過去に3回ウンコ漏らした増田です。2年ぶり4度目の登場です。お久しぶりです。

http://anond.hatelabo.jp/20111212011721

http://anond.hatelabo.jp/20111227010115

http://anond.hatelabo.jp/20140309231305

駐車場で2年前に下痢便ブチまけてからの久々の失態です。

みなさんのはげましのおかげもあって、先日第二児が誕生しました。女の子です。

この夏生まれたところなのでまだ生後2週間くらいの新生児なのですね。沐浴という段階です。

それは退院してきて1週間、はじめてパパが沐浴担当になった夜のことでした。


せっかくの休日でしたので、夕食ににんにくが効いたステーキをたらふく食べた私は、少しビールを飲んだこともあり食後に30分ほど低血糖発作かな?というレベルで寝てしまいました。

妻に「○○ちゃん、おふろいれないのー?」と起こされて、もうろうとした意識のまま眠気覚ましも兼ねての沐浴開始です。

初めて娘をお風呂に入れる、パパも初体験、よーし頑張っちゃうぞー!と意気揚々先にシャワーを浴びて沐浴準備です。


ベビーバスにお湯を張り、準備万端!さぁ、娘よ、パパと一緒にお風呂はいろう!


から娘を受け取り、しゃがみながらゆっくりベビーバスにつからせる。

ソフトタッチベビーシャンプーで洗ってあげる至福のひと時でした。

 

 

 

が!そいつは突然やってきた!



いかかる腹痛。おそらく私自身の肉体が、寝起きから目覚めたのか、たらふく食べた胃袋がしゃがんでいる体制でトコロテンのように抑圧されているのか、腸に圧力を感じる!

そして娘をベビーバスに入れながらしゃがんでいる体制はまさに“ウンコずわり”!


いかん、これはイカンぞ!


そう思うも両手は娘がベビーバスに落ちないように支えている体制しかし襲い来る便意は俺を待ってくれない。

 

 

 

アッ!アッ!アッ!

 

 

娘を抱えながら前のめりに倒れそうになるも必死でこらえる。しかし無情にも出し続けているシャワーが前かがみになった俺の菊門をさながらウォシュレットのごとく刺激する、

 

 

 

オッ!オッ!オッ!

 

 

 

だめだ、このままでは爆発してしまう!

ストッパCMよろしくゲリポーテーションできたとしても娘は一緒にテレポートはできない!いやそうじゃない。

立とう、いや立てない、新生児を濡らしたままとかできない、おいておく場所もない、シャワーを止めなくては!でも両手塞がってる詰んでる!

 

 


しゃがんだ体制のままなんとか肛門括約筋に力を入れようとするもソフトタッチで娘を抱えている状態ではパワーは半減。

もうどうしようもない!

しかたない、夫の威厳はなくなるが、「うんこもれそうですかわってください」と正直に言うしか無い!

「妻ァー!妻ァー!」と風呂から叫ぶ!しかし、次の瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

 


ミチッ

 

 

 

 

 

 

 


あ、なんかポケモンGOディグダよろしくちょっとからなんか茶色いの顔出してる?

叫んだから?腹圧かかったから?括約筋締め切れてなかったから?


妻「どうしたの!?なんかあっ 『なんでもないなんでもない開けなくていいよ大丈夫今綺麗に洗ってあげてるから!!!!!!ァァァァ!』

しかし叫べば叫ぶほどそのはずみで少し顔を出したヤツがちぎれてこぼれ落ちる!

 

 

 

 

ポロッ!ミチッ!プピッ!ピュッ!

 

 

ピュブブリリr

 

 

 

 

 

 

アアアアアこれはまずい!娘のベビーバスについたら大腸菌汚染とはピロリ菌とかなんかいろいろまずそう!とっとと排水口に流さななくては!

と、なんとかしゃがんだ体制のまま娘を片手てベビーバスに浮かせ、シャワーの水圧を上げてシャワーを手に取りヤツを娘の領域に掛からないように排水口へ。

しかししゃがんでいる体制は変わらないので菊門は全開状態、止められない!

 

 

下痢便混じりの茶色い液体が少しづ漏れだす、もうダメだ、どこまで出るんだ、どれくらい出るんだ、いつまで出るんだ、どうなってるんだ、どうしたらいいんだ、娘にウンコついたらさすがに離婚されるか、どうしよう!

 

 

という想いが0.5秒サイクルで頭を駆け巡りながらもシャワー排水口に追いやる。

妻「シャワー出しっぱなしもったいないから止めて洗いなさいよ!」

とドアの前から怒鳴られるも、なんとか便意が抑えられ、括約筋による栓ができるところまで持っていく。


ガラッ!全力でドアを開ける俺。ドアの前にいた妻に娘をバスタオルでくるんで渡し、

「綺麗にしたで!ごめんウンコ漏れる!」

と叫んで俺はずぶ濡れのまま「サイテー!」という妻の声を尻目にトイレにダッシュ!

違うんだ、漏れるんじゃないんだ、漏らしたんだ、ごめんよ妻よ、また墓まで持っていく秘密が一つ増えたよ。



女の子なので将来的に「パパくさーい!きもーい!」と言われること確定ですが、

現時点でだいぶクサいパパであることにお前は気づいていないのだよ。


初めての娘とのお風呂は一生「俺だけ」の思い出に残るお風呂になってしまいました。

2016-08-16

ファイナルファンタジー15 発売延期にあたって


てかさ、何で皆そんな冷静でいられるの?


納期に間に合わないってさ、会社として失格じゃない!?

しか自分で決めた納期でしょ!?てか10年もあったんだから、完成してから発表しろよ!


ファンファンで、なんで「スタッフの皆さん、体調に気をつけてください。私たちは待ってます。」

みたいな感じなんだ。もっと怒れよ!それとも私みたいに本心では怒ってるけどTwitterだと他のファンが怖いか自重してるの?

スクエニさんだって仕事でやってるんだからさ、納期守るのは基本でしょうよ!

趣味で作って配信してくれるんだったら、あらそうええどうぞ待ちますよってなもんだけど、

こちとら何ヶ月も前から限定版も予約しているわけ。カウントダウンして待ってたわけ。

てっか、そもそも10年前、一番最初に発表された時から待ってたわけ。FFファン歴19年だけど、半分以上FF15待ってるのよ。

途中、「えっ…、開発…まだ続けてるよね?」って時期とか、「ヒロインわっちゃってるやん!ステラじゃなくなってるやん!」いう時代FFへの愛ゆえ耐えた。

そして、もしかたらこ10年で一番変わってしまったのは私自身かもしれない…。とかセンチメンタルになったりもした。


ともかく、9月30日、もう有給とるって職場宣言してたし、その日に向けて心身ともにコンディションを整えていたのだわさ。

時間プレイしても疲れない最適な家具の配置。徹夜対策として、短期間で疲れがとれるように快適な寝具の準備。

新しいテレビの購入。キングスグレイブを定期的に鑑賞してモチベーションの維持。当然のごとく体調管理

そして発売までに決して事故に遭うことなどないよう、細心の注意を払いながらの生活。それらの私の努力はどうなる!?


若い子だったら他にも楽しみがあるから2ヶ月くらいの延期だったらなんてことないのかも知れないけど、

ババアには、FF15けが生きる希望なんだよ。

あと1ヶ月半で絶対退院できますって言われてて、「ごめん、やっぱり3ヶ月半ね」とか言われたら

心臓弱い患者だったらショック死するレベルからね?


もうさ、極上クオリティとかはいい。たぶんグラフィックの精度とかの話でしょ。

FFの魅力はそれだけじゃないよね。ストーリー音楽

モンスターとかハリボテでもいいから、プロトタイプ的なのでいいから、とりあえずやらせてくれ。

完全版は後でいいから...冨樫先生みたいにさ、ジャンプには下書き載せる感じでいいからさ、

単行本修正したらいいからさ…


2ヶ月あったら、本来9月末ならプレイできたのに、亡くなったりしてプレイできなくなる人もでてくるよ。

それを言ったら、10年の間に既に何人かお亡くなりになってるだろうけど…。

もし私が2ヶ月延期したせいでFF15できなくなったら、ラグナロクなっちゃうよ。

そして、「絶望を贈ろうか」とか言って真っ先にスクエニ本社のあの窓落ちてきそうなビルアルテマだよ?

そしたら多分その話がFF16になるかもね…?


そういえば噂では、プレステNeoだかVRだかのタイミングに合わせて云々…とか言ってるけど、

もしそうだったらマジで怒るからね。それこそなんでソニーさんと予め打ち合わせしてなかったの!?ってなるからね。


そもそも、田畑Dが発表する前に、延期情報ネットに流れてたよね。なんで?

このご時世、どこかに延期情報伝えたら、全体への流出は必至だよね?

販促用のシール配るより先に、ファン公表すべきでしょがや!

悪い情報相手から直接聞くんじゃなくて、別ルートから聞くって、古今東西最悪のパターンじゃないの。

悪い情報ほど、相手に直接すぐ伝えるってビジネスの基本だよね。

こっちはさ、よそから情報が流れてきても、「きっとデマだ」って心を強く持ってたのよ。

こんなデマ流す愉快犯かいるんだねっ…。怖いねって。

からさ、田畑Dの動画みたときにはリアルガチで泣いたよ…。えっ…、ほんとだったんだ…って。

2年ぶりくらいに涙流したよ。あれ、私の乾燥しきって砂漠のような心でも涙って流れるんだ…ってちょっと感動しちゃったよ。


それとさ、何で火曜日なの?ファンのこと考えてないの?火曜はうん、休むよ。水も場合によってはいけるかも。

でも、火水木金て連休絶対無理じゃん。ならもういっそ、年末に出して欲しかった。紅白と笑ってはいけないに挑戦状叩き付けて欲しかった。

なんでそんな微妙な日なんだ。なんかあるのか。なんなんだ。電通陰謀なのか?

世の中のことはだいたい電通が操ってるってお姉ちゃんも言ってたからな…。


CMとかもこれからバンバンやるんだろうか。

Twitter界隈とかではオフ会とかやって盛り上がってるけど、もっと、9の時のコカコーラとのコラボとか

ポーションとか、実生活に食い込んで来るイベントやって欲しい。アメックスとか、微妙コラボじゃなくてさ〜。

キングスグレイブだけじゃなくてさ。

金なら有るんだよ。金なら。今ならコカコーラを買い占めできる。



まあ結局ね、長々と書かせてもらったんですが、

なにがいいたいのかっていいますとね、

FF15超楽しみにしてます。待ってますから。おねがい。よろしく。」ってことです。

2016-07-28

それでもそろそろ、安楽死は認められてもいいいんじゃないかと思う。

私は、特別障害者に対して差別意識を持っている人間なわけじゃない。

私自身が、精神障害者だ。陰性の統合失調症

まれて初めての「発作」は、かれこれ30年ほど前、まだ8歳だったときに遡る。

それ以来、騙し騙し生活してきた。

ときどき発作で動けなくなり学校を長く休んだりした。

食べ物を受け付けなくなり、倒れて、点滴に通ったりもした。

それでもなんとか大学まで進み、もうすぐ卒業か、っていうところで限界に達した。

車に乗れない。

当然、電車にも乗れない。

大学は1年休学後、退学せざるを得なかった。

通院も出来なくなったから、入院治療をした。

精神病棟は怖かった。

昼夜問わず聞こえる奇声、隣のベッドの女の人は寝てるとき以外は始終ぶつぶつと独り言を言っていた。

盗癖のある患者もいて、よく物を盗まれた。

こんなところにいたら余計頭がおかしくなる、と思って、早々に退院した。

でも、世間から見れば、私もああいう人たちの仲間だ、と思う。

今は、家族の運転でなんとか通院して投薬治療を続けている、けど、未来に対する希望はない。


大学に通えてるときは、このまま順調に大学卒業して、就職して、普通に生活できるのかな、なんて思っていた。

大学は、県内でも一番の国立大学に通っていた。いわゆる、「旧帝国大学」のひとつだ。

その頃は、彼氏も出来たし、友達もいた。


でも今では、引きこもりだ。

重度の引きこもりってわけじゃない。母にくっついて買い物くらいは行く。

でも、一人ではどこにも行けない。

いつくるかわからない発作に怯えて、通常飲む薬とは別に処方されてる頓服を肌身離さず持っている。(家の中でも)

夜中に、発作で飛び起きることもある。

過呼吸と動悸、幻聴なのか幻聴じゃないのかはっきりしない話し声。

家の前で誰かが立ち話をしてるのが聞こえて何度も確認にいくけど、もちろん人影はない。

調子がいいとき幻聴も聞こえない。

でも、少しでも生活サイクルが狂うと、たちまち具合が悪くなる。

から、季節の変わり目なんかは怖い。ちょっとした気候の変化が体調にダイレクトアタックしてくる。

もうすぐ38歳になるのに、結婚はおろか、ちょっとしたバイトさえ出来ない。

から、生きてることに罪悪感を感じている。

家族に対して申し訳ない。

高齢の親は、自分たちがいなくなった後の私の心配ばっかりしている。

1歳年上の兄は、親の死後は自分が面倒を見なきゃいけないと思っていて、長く付き合った彼女との結婚を諦めた。

そんなことしなくてもいい、生活するだけならなんとかなる、と言っても、たぶん家族の心情としては、放置出来ないんだろう。

私が、明らかに重荷になっている。

友達はいない。もうみんな結婚して家庭を持っているから、連絡は絶えた。

彼氏なんているわけない。そもそも外に出ないんだから出会いがない。



そんな状態にあるから年金を少しずつ貯めている。

お金があれば、スイス外国人安楽死させてもらえるらしい。

そんな情報ネットで見たから。(精神疾患場合は駄目っていう情報もあるけど)

日本だって、そろそろ、安楽死を認めてもいいんじゃないの、って思う。

死にたいとは思わないけど、自分がいなくなれば少なくとも家族負担は減らせると思っている。

安楽死という方法は、一部の人にとっては救いになる。

から病気だとかそういう理由のある人には、安楽死、認めてもいいんじゃないの?

自分が苦しいって言うのもあるけど、それ以上に、家族の、とりわけ兄弟人生まで奪うのは、辛い。

いっそ血も涙もない兄弟で、こんな出来損ないの妹なんて気にせずさっさと家を出て結婚するような人間ならよかった。

そんなふうに思ってる障害者もいるってことも、知ってほしい。





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追記。ちょっとブコメに気になる言葉があったので。




手足がないわけじゃないからさっさと自殺しろ、という人がいるけど、これ以上家族の負担になりたくないから(法的に認められた上での)安楽死を望む、という意味理解できませんか?

もちろん、自殺は難しい。

それ以上に、残された家族負担が大きい。

世間の目、ご近所の噂話。

それこそ、兄弟結婚にもかかわってくる話になる。

死んだあとまで家族負担になりたくないと思うのは自然なことじゃないかな?

跡を残さないように死ぬために、樹海へ向かったこともある。

でもね、行動が極端に制限される中、そこまでたどり着けなかったよ。なんとか新幹線まで乗り込んだものの、新幹線の中で意識失って、気がついたのは病院



ブコメした本人が、自殺したいけど手足がないから(不自由から自殺もできない人だったのなら、同じように安楽死が認められるように頑張っていこうよ、と思うけど。



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安楽死と書くからよくなかったかな。

自分意志で、という意味で、尊厳死を認めてほしいと思う。

2016-07-27

相模原事件で思うこと

大麻のせいか人格障害か分からないが、措置入院するような問題を抱えていた人間が、親と同居するという条件で退院したにも関わらず、実際には同居していなかった。

まり保護者家族がその責任果たしていなかった。

そんな家族を持つ男が、医療行政と繋がり、施設にきちんと入居させ、定期的に会いに行っていた家族を持った人達殺傷したということだ。

当人家族現在障害者精神疾患を抱えた人に対する最低限守られなければならない決まりを守っていなかった。

そんな人が現在障害者福祉行政異論を唱えて私刑を実行するなんて筋違いも甚だしい。

そんな彼にもこの国は人権尊重した扱いをする。

心身耗弱や心身喪失なら、彼が嫌っていた障害者として医療行為福祉対象になるし、そうでなくても刑務所に服役する。

どちらも多大な税金がかかる。

彼の理屈だと無駄なはずである

死刑になる可能性も高いがそうなると死刑執行されるまでは、労働などもない。

そんな彼の為にどれだけの人的、金銭的な負担社会がするのか?

このことを彼にしっかり教える必要があると思う。

彼の考えは矛盾しているが、そもそも税金を使って無駄に生きていると考える対象である人達のお世話をして給料をもらい(その給料には介護保険などの税金が含まれる)、やめさせられたらそれが気にくわないと言うこと自体支離滅裂ではある。

障害者安楽死させて彼らに対する福祉をやめてしまったら、彼のやっていた仕事はなくなるのだ。

自分の主張が実現して仕事を失う分には良いが、障害者福祉が有り続けていて自分がその無くなれば良いと思っている仕事を失う場合は許せないと言っているわけだ。

ちゃんとこのことを彼に突きつける必要があると思う。

2016-07-25

巷で話題ポケモンGoをやってみた。

巷で話題ポケモンGoをやってみた。

広島の糞田舎じゃポケモンそんないないだろうなぁと思ってたけど、地元の幾つかある神社やお寺にナゾノクサかいてゲットしてみた。

なかなかかわいい。。

初詣大勢賑わう大きめの神社にはレアポケモンロコンがいた。

そのためちらほらとポケモンプレイヤーと思われる人が集まっていたんだけど、そのうちの1人から声をかけられた。

ロコン捕れましたか?」

簡単言葉だったけど女性だったから嬉しかった。

ちょっと戸惑いながら返事をするとニコッと笑って今まで集めたポケモンを見せてくれたりした。

嬉しい出会いポケモン副産物なんだな。

LINE聞けなかったけど、またあそこの神社行けば会えるかな。。

帰りに可愛いハムスターが道をトコトコと歩いていたので手にとってみたら

「ぴかぁぴかぴかぁ」

と奇妙な鳴き声を出した、、

驚き慌てて手を放すと怒ったらしく

「びかあああああああああ」

と唸り声をあげたところまでは覚えている。

気づいたら病院にいた、、、

家族の話だと全身感電ショックで倒れていて、救急車で運ばれたらしい。

あのハムスターはなんだったんだろう。。。。

僕がリアルポケモンボールをもってさえいればな。。

退院したらオーキド博士会いに行こうと思う。

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