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はてなキーワード: 中途半端とは

2016-08-29

からそのときやってるアニメは全部観るけど登場キャラもグッズも興味なかった。

そのあたりでアニオタの人と共感できない会話がけっこうあったか自分の事を「アニメ好き」と名乗ったことがある。

すると普通の人からアニオタ区別がつかないと言われ、世間の目を気にしないでアニオタを名乗れる突き抜けたやつから中途半端野郎と言われた。

もうめんどくさいかアニオタって言っとけばいいやってなって十数年。

最近アニオタって名乗ったら「お前はアニオタじゃない、ただのアニメ好きだ。アニオタを名乗るには十年早い」とアニオタ名誉職っぽい響きで返された。

頭ではおっさんになってると分かっていても実感としてジェネレーションギャップを感じた。

時代は変わったなぁ…

http://anond.hatelabo.jp/20160829130743

わたしも昨日見てきた

結末が非常に中途半端でツマラナイ作品だった

見た後に何も残らない

2016-08-28

そうだね風俗だね

あるとき風俗に行って童貞を終わらせようと思いたち、結局行けずに早5年。そして私はいまだ童貞である

童貞であることは、私にとって大した問題でない。だが、最近人生の中で大きな挫折があったので、そろそろ童貞という肩書もすてて、凡庸普通なヒトになりたいという欲求が沸き上がってきた。そして女性に対する幻想を捨てて、自然体で生きていきたいと思うようになってきたのだった。

そうだ、風俗行こう。

私みたいな中途半端人間けが悩む。考えない人は直感で決めるから悩まない、賢い人は効率よく情報収集して判断できるから悩まない。私は風俗に行こうと思って情報収集すると、お店と相手をしてもらう女の子を選ばなければならないと気づく。そして選択できずに迷う。

風俗が初めての体験だと思うと、私はどうしても失敗したくないという気持ちが強くなる。サービスの質は、高価格で有名な店を選べば無難に得られると思う。それでも、風俗嬢写真は、基本モザイクだし酷くフォトショされいるので、真面目に見るのが嫌になった。背景に時空の歪みが出ていたり、顔とその他のパーツで明らかに質感が違っていたり、あらゆる情報フェイクだとわかる。だから、初めての体験でブスが出てきたら嫌だと思う。

どうやったらこの困難から抜け出せるのだろうか...

一つアイデアを思いついた。これまでの私にとって性的体験自慰行為しかなかったわけだが、そこでの経験を踏まえると「ブスでもコスプレなら抜ける」のだ。そうだ、コレだ。たとえブスでも、ちょっとしたデブでも、着衣のままでの行為をお願いすればきっと私は興奮できるに違いない。ニーソ手袋ビキニくらいを通販で買って持ち込めば良いのだろうか。それとも、もっとちゃんとした衣装を買ったほうが後悔なく興奮できるか。でも、初めての風俗で「コレ着てください」などというのは若干恥ずかしいものがある。

よかった、コレで私も悩んでいるだけでなくて判断ができそうだ。

経験のある方がいたらぜひアドバイスくださいまし。

http://anond.hatelabo.jp/20160828111215

中途半端に「ソフトキレイな部分」を知るから

出生前診断生命の選別。障害者でも母親は産むべき」

なんて主張するお花畑が出てくるんじゃないのかなあ

2016-08-27

匿名サイト個性出そうとする人

個性出したいならよそでやればいいのに。

匿名性と個性をさじ加減で使い分けて、叩かれ始めたらいつでも隠れる準備万端。

中途半端

2016-08-26

http://anond.hatelabo.jp/20160826010858

上の学校にいて、自分がそう望んでるなら死んでも上の学校にくらいついとけ。

増田みたいなやつは中途半端レベル下げたら下げたで、今までとのギャップがでかくて余計コンプこじらせる。

他人はひとの学校なんて学校名くらいしか判断材料いから、校内での立ち位置とかポジションとか突っ込んだ話はしてこない。

最終学歴に近づけば近づくほどそうなる。全校◯位とか話題にするのはせいぜい高校生までだろ。環境に耐えられるなら最下位でも一応問題はない。

大学死ぬ気でねじ込んでいけ。失敗したら、院で学歴ロンダリングすれば名目上の体裁は保てる。資金方向性にもよるけど。

ただ、いずれ偏差値とか学校名で計れない世界に行かされる仕様から、その時までにはちゃんと身の振り方考えとけよ。

「こんなはずじゃなかった」とか言ってる未来が見えるなら、ダメージ少ない今のうちにゆるやかな挫折しとけ。それを身の丈って呼ぶんだ。

ブコメに付くスターって

最初の二人、せいぜい三人目くらいまではまあ嬉しいけどそれ以上はもういいいらんって気分になる

自分意見中途半端集団性を帯びるのが嫌

徒党は組みたくない

ただ未知の領域だが支持者が数十、数百になるとまた嬉しくなるかもしれないとうっすら思う

2016-08-24

英語

そんなに使いもしないのに、英語学習にすごい時間お金をかけてる。

中途半端状態が一番コスパが悪い。

英語小説読めたり(*1)、出張外国人と歓談出来たりとプライドの保持には役に立つんだけど

まぁ、ぶっちゃけいらんわな。

いままで資源投入してきたし、やっぱキープするためにがんばろかな。嫌ややなぁ。

(*1) ハリーポッターの一作目は無理でした。諦めました。挫折です。

女性社員お茶くみさせるのは差別なのに

なんでキャバクラはゆるされているの?

黒人人種差別よくない!っていいながら

黒人差別し放題のカフェ(1時間1万円 いいちこ ボトル8000円)

とかやってたら節操なさすぎでしょ

そういうところが日本中途半端さなのよ

2016-08-22

シン・ゴジラは、 『特撮好き』なら失神レベルの大傑作で、『一般人』なら視聴に耐えうる娯楽作

シン・ゴジラの真価は、これから広がるであろう一見さんによる批評の中にこそ有る。

まり、「満点からマイナスされうる特撮映画」が帰ってきた、と言う意味だ。

1週間ほど前に話題ゴジラを見に行った。面白かったは面白かった。

が、事前ハードルが上がりすぎていたのか、粗(に私には見えた)の部分が結構気になってしまい、正直世間で言われている程に「大傑作」にはあまり見えなかった。

シン・ゴジラそんなに言うほど面白いかあ??

シン・ゴジラには、決着のカタルシスが無い。

確かにその通りで、それは欠点だ。

それは、長年特撮ファンが受けたくても受けられなかった指摘だ。

特撮ファン向けの映画から一般人向けの映画に

「まあ、子供向けの怪獣映画にしては良く出来てたよね」という感想からの脱却。

対象年齢を考えても酷い」とか「大人の視聴に耐えうる人間ドラマ」とか

そういった「オヤクソクを共有している視聴者」向きの話じゃない。



まり、「ファインディング・ドリーと比べて」とか

ゴーストバスターズの脚本比較して」みたいな、

一般的な映画と比肩しうる水準に特撮映画を押し戻した。

からこそ「大傑作」であり、それ故に「まあまあ面白かった」という感想が併存しうる。

今あるものでやるしか無いんだ。

特撮は、リソースがないことをイイワケにしてきた過去がある。

平成に入ってからゴジラをどれでも良いから観て欲しい。

シン・ゴジラ比較するべくもないヒドイ作品ばかりだ。

一般人から見れば。



最近は「ゼロからプラスして積み上げる特撮映画」しか無かった。

「(全体の質はハリウッド比較しようも無いけど)特撮部分は良かった」

「(全体の質はハリウッド比較しようも無いけど)ドラマパートはヒドイ」

みたいな「邦画予算規模で制約の多い特撮映画において」という限定が常についていた。

シン・ゴジラは、正面からそれを覆してみせたと思う。

イイワケの無い、特撮映画としてのゴジラ

粗はある。荒削りでもある。

世界最高峰の映画では無く、手を入れるところもまだまだある。

それでも恐らくは邦画現場における特撮映画のベストを尽くした映画だと思う。

それは特撮ファンなら邦画の環境に絶望せずに希望を見いだせる一筋の光であるし、

一般人から見れば、「怪獣映画だけど面白いらしいよ」と観に行ける映画になってる。

まり何が言いたいかというと

日本特撮映画として100万点」のシン・ゴジラで終わるならソレまでだ。

でもきっと「世界の映画の中で70点」のシン・ゴジラだと評価してもらえる。

怪獣を通じて、日本災害を正面から描き、国のあり方をポリティカル視点から捉える。

世の中は稼いだもの正義で、投資してもらえるのは評価された作品だけだ。

その意味で、きっと一般人からみても、投資に一口のれる出来じゃないだろうか。


おまけ

ダシに使ったので、不満点に共感しつつ、違う視点提供しておくよ。

映画観に行った後のファミレスでダベってる感じで読んでもらえればと思う。

(人は感じたことが全てであり、反論しようとは思っていない)

登場人物ゴジラへの理解度が要所要所で不自然に高い』

主人公矢口会議中に巨大生物言及するのだが、この時点で矢口がそう判断に至った材料は精々ネットの動画程度であり、あそこでアレを「生物」と考えるのはかなり不自然だ。

この時点では矢口は単なる夢想家レベルである

矢口の人物像について、多少のフォローはされている。

シン・ゴジラ主人公である長谷川博己演じる内閣官房副長官矢口蘭堂は、

竹野内豊演じる内閣総理大臣補佐官国家安全保障担当)の赤坂秀樹から

会議結論ありきで進んでいる。かき回すな」と助言を受けている。

また、エレベーターの中で、立場が上の人間に対して「楽観やこうあって欲しいという願望が、先の大戦で何百万人も殺した」とワリとハッキリ苦言を呈している。

矢口生物と断定しているのではなく、「巨大生物の可能性を俎上に載せないのはマズイ」と判断しているのではないだろうか。

ネット上の映像フェイクであれば、それを作った人間動機テロで無いことを確認するまで安心しないタイプ

ニュース映像での「巨大生物尻尾」について、ニュースの真偽を問うシーンがないのは映画の都合だと思う。

ニュース第一報だと見るのが妥当なシーンだし、それならアレは何のジョークだと笑うのが現実的ではなかろうか。

同種の別個体については、検討は並行で続けているが、映画の都合でカット、じゃないかな。

個体だとすると、観客は「ゴジラ対究極生物なのか?」という疑念を抱きながら観ることになり集中力が削がれる。


『人の死の描き方について』

(一つは倒れるマンションから逃げ遅れた家族、一つは溢れた川から逃げる男性、もう一つどこかで同じことを思った気がするが覚えていない)

 この点はあまり大きな不満という程では無いのだが、どうにもモヤモヤとしてしまった部分だ。

たぶん、残りの一箇所は、自衛隊戦車が潰れるシーンか、注入第一部隊の全滅の部分じゃないかな。

マンション荷物を詰めていてマンションごと押し倒される家族、川からの逃げ遅れ(たぶん画面の奥側に向かって走る男性)は、

災害の描き方の問題で、ゴジラによる人死を描いているわけではないと思う。

あの一連のシーンで感じる「いまどこに災害が近づいてきているか一般市民には把握できない」という恐怖は演出として一貫していると思う。

(状況把握のしようがなく、気がついた時にはもう遅いという恐怖は、5年たってやっと直視できるようになった映像だと思う)

ただ、予算の都合による表現の制限を感じる部分ではある。

病院とか今まさに災害現場は出てこず、災害が通り過ぎた後の映像だしね。

密室俯瞰した映像に寄る災害描写は、予算制約を逆手に取った脚本の作り方の問題であり、

その意味で「巨大不明生物がなぎ倒したビルにも当然人が残っている」というのを伝える手法に限界があったのかな、と思う。

ほぼあの家族しか直接の被害は確認できないのに、それ以後の緊迫感は違う。

だけど、アレ入れて欲しくない、というのも判る。


石原さとみキャラが明らかに浮いている』

浮いてると思うよ。これはシナリオの歪みが集中してるせいだと思う。

これ、後でちょっと付記するけど、「シナリオの都合の上で」リアリティラインは高く見えるようにしてあるんだと思ってる。

例えば、東京駅前に当然あるはずの広大な敷地について劇中一切言及されていない。明らかに不自然。

筋論として、日本が米国に頼り、米軍日本国内武力行使する、という流れのハズ。

仮にも主権国家に対して、他国が熱核攻撃を短期間に強行する理由がない。

米軍による強行じゃなくて、国連安保理での決議言うてたし)

日本が壊滅するまで自由にさせておき、主権が及ばないところに出てから攻撃になるはず。

ちょっと日本以外のまとまりが良すぎるというか、世界があまりにも日本に対して冷淡すぎる。

日本に核攻撃」という荒唐無稽な一手と、

ゴジラを生み出したのは、牧元教授という日本人では?」という点、

外務省駐在武官無視して政権が直接軍事について外交を行うと言う部分を抑えると

祖母が原爆による被害者であり、日系人アメリカ政権に対して一定の譲歩を引き出しうる通常外交ルート外の存在は、

石原さとみ演じる米国大統領特使のカヨコ・パタースン以外であっても、

やっぱり荒唐無稽に見えるだろうし、どうしても浮いてしまうのは仕方がないと思う。

彼女シナリオの不備による歪みを一手に引き受けて浮いているのだと思う。

まあ、じゃあどう直せば良いかって言うと、アメリカ側を描くには予算が足りなそうだな……

『ヤシオリ作戦について』

ゴジラ原子炉載せて、排熱への対処(生存本能)で進化するって道筋つけると、焼却 or 凍結ってのは判りやすい。

シナリオの都合でアメリカに熱核攻撃を担わせると、日本特撮的な花である爆発(焼却)を使うのは難しい。

そもそも「カタルシスを得られない」ということそのものが、演出意図なのではないかなと思う。



一応、血を流すことから排熱に血流を用いているのではってのは合理性があるし、血液凝固材も30種類?試して効くのは確認してる。

元素変換する相手ならどこに投与しても一緒って意味では、口に見える部分に引っ掛けて体内注入するってのは効果的とも思う。

仮定仮定を積み重ねて、地味な作業原子炉の終息にもってくってのは、福島第一原発事故対応への直喩だろうし。

「ショボい」処理で、しかも「まだ終わってない」ってのを、東京駅に凍結させたゴジラで示しているのでは、と。

政府冷温停止宣言したのも、冷やし続ける必要があるってのも、同じ構図だよね)

 加えて、ヤシオリ作戦に関しては、矢口の陣頭指揮の部分にも中途半端さに違和感があり、これまで徹底して「対策室で対応する政治家」を描いてきて、結局最後は「主人公現場の陣頭指揮を取りに行く」というのを描くのか、というのに少し落胆した。

 せめて矢口本人が言うように「自分現場にいる事で出来た微妙判断」が描かれていればスッキリはしたかも知れない。

一応は、逃げ遅れた人がいるかもしれないけどやる?とか、線量が予定よりも多いけど続行するのか?とか、判断はあったと思う。

どっちかというと、多分最初に感じたであろう「え?総理大臣は逃げるの?残らないの?」みたいな感覚

「いや、指揮官は後方に控えてないと死んだら終わりだから」に観客の気持ちを変えたかったんじゃないかな、と思う。

それでもまあ、良くあるヒーロー映画みたいにゴジラに触れるような最前線までは最後まで行かないし、良かったんじゃないかな。

(良く言われる「陣頭指揮」を観客がどう捉えるかが、映画を見た後で変わったのではないか

『「国」のアピール

 総体としての「日本」とゴジラとの戦いを描くのがテーマであるのであれば、

 あそこまで「東京」のみの話に終始したというのはどうなのだろうと思う。

正直に言えば、予算の都合で、東京のみの話にしないと収拾が付かないと思う。

ただ、あれは東京一極集中への軽い皮肉にも見える。

福島第一原発事故」が「東京駅」で起こったとして、煽りじゃなくて日本としての機能がどうなったか考えるとゾッとする。

その俺の思いと重なるが、何度も「経済的」な話が出てくる。

経済的には莫大な損失とか、熱核攻撃を受けて世界から支援を受けないと復興できないとか。

損得勘定で熱核攻撃を仕方がないと受け入れる「論理」と、象徴的な意味で核攻撃を受け入れられない「感情」との対立軸にも見える。

「国」とは何なのかを観る人に問うシナリオになってたんじゃないかな、と。

まあ観たひとに届かないのであれば、そりゃ成功してないわけだけど。

その他のダメ出しポイント

まあ、観たひとに届かない思いは独り善がりなワケでダメなんだと思うけど、

最初に書いたように、そういう「普通の映画のダメ出し」してもらえるところにシン・ゴジラ価値がある。

と、思うわけで、やっぱり気になる点を俺も最後に列挙して置こう。

東京駅のど真ん前の話が無い

東京駅の正面真っ直ぐに、東京の中心である大きな空間がある。

熱核攻撃をあの付近で行うことに対して、日本人が触れないってのはあり得ない。

「彼らはここがニューヨークでも同じことをするそうだ」とはセリフにあるけど、あれ「ワシントン」じゃないんだよね。

あくまでも経済の中心であるというセリフであって、象徴的なんだけども)

陸上理由が判らない

突然地上にさまよい出た、排熱の為に進化した、冷却のために海に戻った。

突然さまよいでることも、デタラメに動くのも、再冷却の為に海に戻るのも災害っぽい。

鎌倉から上陸する理由がわかんないんだよね。

進化の方向性として陸上に特化してしまったとして、海水を捨てて地上に出てくる理由不明

牧元教授が好きにした結果、ゴジラを生み出して、意思を方向づけたなら判らなんでもないけど。

配偶者を原爆で亡くし、国と核を憎んだ牧元教授なら、先の大戦の直接の責任者である国の象徴にまず向かい、その後アメリカ上陸を目指すのは理にかなっている)

国連安保理が核攻撃容認するのが判らない

途中、スパコン計算能力貸して欲しいって海外の研究機関に依頼するときに、

一旦「ウチの技術を盗むかもしれないから断ろう」みたいなセリフがあるんだけど、

もしも「間に合わなかったら首都が熱核攻撃を受ける」みたいな状態なら、

「ひとを信じよう」みたいなのんびりした話にはならないと思う。

人類ってそんなに日本に冷淡なの?と言う。

秘密裏国連安保理が熱核攻撃容認するって、日本外交ゼロってことになる)

(そうすると、フランスと裏取引する外交技術との整合が取れない)

駆除一本槍なのに違和感がある

シナリオ福島第一原発事故念頭に置いてるからなんだろうけど、

ゴジラに対して調伏(焼却or冷却)しか選択肢が無くなってるのに違和感がある。

最初に言ってたけど、追い出すか、退治するか、保護するか。

保護が無理、退治が難しそうなら、通常は追い出しの手段検討するんじゃないか

餌で釣るのか、行動パターンを読むのか、押し返すのかは別にして。

追い出しにリソースが避けないって言う描写は欲しかったかな……

(これはほとんど「他の個体についての言及がない」ってのと同じポイントだな)

とは言え、

映画を見ながら、実際に災害になったらどう逃げようか俺は考えた。

かなり踏み込んで災害を描いてるような気がするけれども、どうかな。

刺青を隠して風呂に入ってくるな

田舎日帰り温泉

小さいながらも本物の温泉で、露天風呂もある。

ここは刺青全面禁止施設

そこに、腕から背中にかけて大きな和彫をした若いやつが入ってきた。

刺青それ自体についてはとやかく言わない。

好きにすればいい。

ただ、禁止と書いてる風呂タオルぶって隠れて入ってくるとは卑怯なやつだ。

刺青を入れるということは、拒絶される場もあることは覚悟の上だったはず。

中途半端な屑だ。

風呂に入りたければ、除去施術でもうけてこい。

いくらでも世の名にはある。

辛い施術だがな。

2016-08-21

シン・ゴジラそんなに言うほど面白いかあ?? <追記アリ>

最初に「煽りタイトルである事に謝罪しておく。

 

1週間ほど前に話題ゴジラを見に行った。面白かったは面白かった。

が、事前ハードルが上がりすぎていたのか、粗(に私には見えた)の部分が結構気になってしまい、正直世間で言われている程に「大傑作」にはあまり見えなかった。

この一週間ほど感想記事などをいろいろ巡ってはみたが、いくつかの批判記事もあまり共感できる内容でも無かったので、ひとつ増田にでも吐き出してみる。なお、いろいろと確認意味も込めて昨夜もう一度シン・ゴジラは再視聴している。

 

 

という訳で以降シン・ゴジラへの不満点を列記する。

 

 

登場人物ゴジラへの理解度が要所要所で不自然に高い

 まず冒頭の10分か20分くらいで気になった部分。主人公矢口会議中に巨大生物言及するのだが、この時点で矢口がそう判断に至った材料は精々ネット動画程度であり、あそこでアレを「生物」と考えるのはかなり不自然だ。この時点では矢口は単なる夢想レベルである

 演出意図としては「唯一真実リーチしている主人公」のように見えるのだが、それならもっと巨大生物という予測に納得感が無ければ意味が無いように思う。もし矢口をそうした「夢想家」的キャラクターとして描く意図があったのならば納得がいくのだが、以降は基本的に「有能な政治家」然と描かれるのでそれも考えづらい。

 基本的に高いリアリティラインで進む映画のため、このシーンで不自然映画の先を予測した発言があるのは違和感が大きかった。さらにそれに続く、会議室尻尾ニュース映像が流れるシーンがその印象を後押ししていて、あの映像だけであれを「巨大生物尻尾」と判断できるというのもかなり不自然に思う。映画の進行のためにさっさと登場人物全員に対象を「動物」だと認識させたい+ゴジラの全体の姿をここでは見せたくない、という意図からあいったシーンになったのだろうが、やはり不自然は不自然だ。

 比較的序盤のこの2シーンで、「映画の都合で登場人物理解力直感力が劇中で変動する映画では?」という疑念が生まれしまった。

 ゴジラに対する登場人物リアクションとしては、最終形態が現れたシーンでも、あれだけサイズ形態も変化していれば、別個体可能性への言及があっても良かったのではないだろうかと思う。ここでも映画の進行のため、そうした選択肢登場人物に不自然に与えていなかったように感じられた。特に「あらゆる可能性を」と発言していた矢口最後まで同種の別個体存在言及しなかったのが不満として残った。

 

 

・人の死の描き方について

 ネットでは「死がちゃんと描かれていない」「いやアレでちゃんと描かれている」という論争がいくつかあったようだ。

 個人的には全体を通してあくま被害俯瞰的に描いていたのは面白かったと思う。「対策ルームに篭って黙々仕事をする政治家」が主人公という映画なので、むしろ現場被害をことさらクローズアップせずに描いたのは正しい。

 が、むしろそれならその描き方を徹底して欲しかったという不満があり、2,3箇所ほど不自然に急に人死にがクローズアップされたシーンがあり、そこが「ちゃんと死を描いていますよ」というアリバイ作りのシーンに見えて正直気持ち悪かった。

(一つは倒れるマンションから逃げ遅れた家族、一つは溢れた川から逃げる男性、もう一つどこかで同じことを思った気がするが覚えていない)

 この点はあまり大きな不満という程では無いのだが、どうにもモヤモヤとしてしまった部分だ。「全体としては面白いとは思うのだが、細かい不徹底が気になってガッカリしてしまった」というのはシン・ゴジラ全体に対する不満でもあるので、その意味でも言及しておいた。

 

 

石原さとみキャラが明らかに浮いている

 これは褒めている人の中でも言及している人がチラホラ散見されたが、カヨコのキャラクターリアリティラインを高めに設定しているこの映画の中で明らかに一人浮いているように感じられてかなり気持ち悪かった。正直ここまで不自然に浮いたキャラクターをこの映画に投入した作劇意図がよく分からない。

 とある感想で、「カヨコの突飛なキャラクターによりリアリティラインが下がったために、その後のヤシオリ作戦が受入れやすくなっている」という説明があったが、ちょっと納得しづらい。ヤシオリ作戦はかなり無茶な内容の作戦ではあるものの、劇中の他の展開で「これしか残された作戦はない」という納得感は十分作れており、カヨコの存在が無くても十分受け入れられたと思う。そもそも、対ゴジラ作戦リアリティライン登場人物ドラマリアリティラインとは(相関してはいるだろうが)別の話であり、突飛なキャラクターいるからと言って突飛な作戦が受入れやすくなるものだろうか? 単に「不自然に浮いたキャラがいた」というだけに見える。

 全体通して極めて「大人」な登場人物物語が進んでいるだけに「なんでこんなキャラクターを入れて雰囲気ぶち壊すんだろう?」と感じた。

 

 

・ヤシオリ作戦について

 当のヤシオリ作戦についてであるが、例の無人在来線爆弾など独特のケレン味の魅力は確かに素晴らしいとは思うのだが、最後の決着の味気の無さが気になった。有り体に言うと「ショボい」。

 意図自体は分かる。派手な秘密兵器などを使うのでなく、人々の地道な対策奔走による勝利を描きたかったのだろう。だが、結局それと特撮的な絵の盛り上がりとバッティングしてしまっているのは悪手だったのではないかもっと同じ演出意図を満たしながらも、絵的に迫力あって盛り上がる「決着」を描く方法が何か無かったのだろうか、というのがどうしても不満。

 注入量を読み上げる緊迫感あるシーンで、「放水した分を全て飲んだ計算して大丈夫なのか?」「そもそもあの生物「口からモノを飲む」という習性自体あるのか?」などの疑問が脳裏をよぎってしまったが、そうした疑問ももっと絵的な盛り上がりがあれば勢いで誤魔化されていたのにな、と思うので、ここも「悪くは無いんだけど、もう一歩足りないなあ」と感じた部分。

 加えて、ヤシオリ作戦に関しては、矢口の陣頭指揮の部分にも中途半端さに違和感があり、これまで徹底して「対策室で対応する政治家」を描いてきて、結局最後は「主人公現場の陣頭指揮を取りに行く」というのを描くのか、というのに少し落胆した。せめて矢口本人が言うように「自分現場にいる事で出来た微妙判断」が描かれていればスッキリはしたかも知れない。まあそれをやると矢口ヒーローっぽくなりすぎるきらいがあるのでまた違うんだろうなとは思うのだが。

 

 

・「国」のアピール

 別に国威掲揚だ」とか「日本スゴイきめー」だとか言うつもりは無いが、そうでなくても妙に「国」や「日本」のセリフ唐突さというか、無理やり挿入した感があって首を捻った。矢口の「皆休まず熱心に仕事してくれる」から「この国はまだまだやれる」のセリフに繋がるのに飛躍を感じる。前段階として「政治家としてこの国に失望しかけていた矢口」という描写でもあればドラマとして納得しやすくはあったのだが、そういう個人ドラマフォーカスする映画では無かった。「ニッポンゴジラ」というテーマのために無理に接続した感がある。

 また、これも同意見を多少ネットで見られたが、総体としての「日本」とゴジラとの戦いを描くのがテーマであるのであれば、あそこまで「東京」のみの話に終始したというのはどうなのだろうと思う。劇中でモブセリフ地方軽視へのエクスキューズ台詞があったが、正直言い訳程度にしか感じられず、物語として組み入れられてはいなかった。話を2時間にまとめることを考えれば、そこまで舞台拡散させるのは難しいというのは分かるが、映画全体で「日本」や「国」を強くアピールしていた事との整合性がとれていなかったように思う。

 

 

 

 他、細かい部分は置いといて、強く気になったのは以上の点だ。

 「細かい事を気にしすぎ」と言われるかも知れない(というか知人に話したらそう言われた)が、気になってしまったのだから仕方ない。面白かったは面白かったが、改善できそうな部分、徹底されていない部分がチラついてしまった、というのは何度も繰り返す通り。「大傑作」の評に期待して見に行ったため、「ここがクリアされてないのか…」というガッカリが先行してしまったきらいはある。

 リアルの知人と言い合いになっても後味悪いので、増田で一通り吐き出させてもらった。以上。

 

 

<追記>

続きと種明かし

http://anond.hatelabo.jp/20160822181856

明日は朝からエクストリーム社畜大会

もう台風激突すんのわかってるんなら無理に電車動かさずにとめとけボケ

中途半端に動かすからひどいことになる

台湾みたいに台風激突するとき休みしろ

[]

今回は少年ジャンプ+

読切祭とかやっていたので、それに絞って感想書いてみた。

追記:漫画タイトルが間違っているという指摘あったんで、修正しとく。

ハトネコ

読切祭の一つ目。

ふむ、キャラクターや設定にリアリティ説得力が欠けるが、嫌いではない。

コマ割や構図がイマイチなのと、後半のアッサリ感はいかんともしがたいが。

あくまで謎ということで終わらせたいのだろうけれども、その上で描けることはあったと思うんだけどなあ。

時代劇で例えるなら殺陣シーンにあたるわけで、最も盛り上がる場面なわけだから



こっち見て片山先生

読切祭の二つ目

主人公である片山を、しっかり魅力的に描こうという意欲がみえるね。

主人公信条が、言動正当性担保しているという構図はよろしいかと。

即物的ではあるが、これは実直かつ目に見えないものしか信じない主人公からこそ言葉の重みが違うってことに、感想書いているときに気づいた。

ただ主人公キャラをしっかり描きすぎた反動というか、幽霊キャラの設定はメタ的に見たときまり必然性を感じなかったかな。

幽霊キャラのためにページ数割いているのがやや蛇足気味に思えた。

私の持論で「メインキャラは加算ではなく、乗算が理想」というのがあって、この幽霊はメインキャラとしては加算でしかないんだよね。



CLOWN

読切祭の三つ目。

フリークス」とか知っている身からすれば、中々にセンセーショナルテーマだ。

……の割に別段語りたいことが出てこないのは、テーマによって紡がれる話や構成演出が大したことないからかな。

フリークス」然り、同サイトの「ファイアパンチ」然り、それらの賞賛批判が強くなるのは、作品バックボーンにそれだけ影響力を持っているからだと思っていて、その点この作品は平易だ。



VRリハビリ少女ちゃん

読切祭の四つ目。

うーん、あんまり響かないなあ。

設定、ストーリーキャラクターギャグ構成するネタの一つ一つが尊大ですらなくて、そのくせ唐突から、ただただ首を傾げるんだよね。

コマ割をもう少し工夫してくれれば、印象も多少変わったかもしれないけどなあ。

まるで4コマ漫画として書いていたのを、無理やり繋げたみたいな構成から、余計にそう思う。

奇抜というほどのアクもなく、正直なところ貶すほどのものでもないけれども、かといって褒める部分もほぼない。

「読切祭か、よし作品全部の感想を書いてやろう」という気持ちじゃなければ、感想を書こうとすら思えない内容だった。



マッチョグルメ

読切祭の五つ目。

マッチョ」という「グルメ」という組み合わせ、そして画力インパクトはそれだけで面白いが、逆に言えば面白かったのは「それだけ」だったともいえる。

まあ、一発ネタですなあ。



冬春の仕事

読切祭の六つ目。

英雄の武具の扱いが難しいので、それを指導する仕事というコンセプトが面白いね。

ただ、面白そうな設定に対して、そこまで盛り上がらなかったかなあ。

結局、やらせてることがほとんど呪文の唱え方ってのがガッカリポイントというか。

あと、ちょっとノリで押し切って欲しくなかった部分があるのも残念。



TELTEL 坊主

読切祭の七つ目。

間違い電話から、それぞれの思惑が交錯し、誤解が生まれコメディになるっていうパターンはありふれているけれども、まあ面白かったかと。

ただ、終盤それら物語がしっかり集約されないのが不完全燃焼感あるなあ。

噛み合っていないものが噛み合っているように見えるから面白いのであって、それが噛み合わないままだと話としては中途半端

例えば、誘拐犯は縁のない、あくま身代金目的で動く人物として描いてみる。

更には父親も終始登場させる。

子供誘拐犯、坊主父親といった登場人物たちが、それぞれ違う目的で動く部分を掘り下げて描写する。

勘違いした坊主が、誘拐犯ではなく子供父親電話して~とかいう展開も挟み、誤解が更なる誤解を生むスパイラルを~、とかだったら面白くなると思うのだが、些か願望入りすぎだろうか。

2016-08-18

http://anond.hatelabo.jp/20160818161750

放送局によって対応が違うのかもしれないけど

日本語読みなのにカタカナ表記してるのを見て中途半端だなあと思った

漢字表記日本語読み」か、「カタカナ表記で現地読み風」のどっちかにしてほしい

2016-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20160816185744

ガチ勢って呼称おかしいと思う

学校部活でそういう陰湿なことやる連中って本当に全国制覇狙うようなやつらじゃなくて

中途半端ワナビでしょ

例えばサッカーだったら本当に実力があってプロ目指してるなら学校部活じゃなくてユースに入るだろうし

2016-08-15

まれて初めて告白されたから断った

人生で一度はやってみたかったリストの上位にあることを今日やった。

まれて初めて女性から告白された。友人の人脈で知り合った同い年の女性だ。

正直、結構好みのタイプだった。

ちょっとドジっ子で真面目そうで、少なくとも遊んでいるようなタイプではなさそうだった。

から何度かデートした。最初はこちらから誘っていたのだけど、

この前は相手の方からお誘いがあったので、「もしかして好意持たれてる?」という期待もあった。

今日、生まれて初めて花火デートをした。小さな花火大会に二人で出掛けたんだ。

9時になり、花火大会が終わる。その帰り際、彼女は無口になり、表情には妙な緊張感があった。

「これはもしや」と思ったら、案の定、彼女の方から告白してきた。途中に寄ったコンビニ駐車場で。

そして僕は断った。人生でこれ以上のないほどのウソをついた。



気持ちは嬉しい。けど、申し訳ないけど、○○さんにそういう気持ち全然ないんだ。

からゴメン、付き合うのは考えられないよ。

そんな風に思われているとは思わなかったから、正直困ってる。

しまだ少しでも気持ちが残っているようだったら、

もう今までのように友達付き合いするのもやめにしよう。

そんな中途半端気持ちがあったら、僕も付き合いづらいか

もう誘うのはやめてほしい。僕も誘わないし、今日最後にしよう。



相手は明らかに傷ついた顔をしていた。泣きそうになりながら苦笑いする不思議な顔つきだった。

ああ、本当の気持ちを完全に拒絶された人間ってこういう表情をするんだな、と勉強になった。

残りの帰り道、僕らは無言だった。彼女の家の近くまで送って行く。

さようなら」と僕が言うと、彼女は「うん、今日は色々ごめんね」と視線も合わさずに答え、

早足で自宅へと戻っていった。その後、今のところ連絡はない。



僕はようやく自分が一人前の男になった気がした。

やっと自分好意を寄せる人の気持ち拒否する経験ができた。

逆の立場では今まで何度も経験してきたけど、この経験他人に与えることができたのは初めてだった。

やっと心のバランスが取れた気がした。ささやかながら、世の女性復讐が出来た気がする。

たぶん彼女は泣いているんだろうし、僕がかつてそうだったように、

さっきまで好意を寄せていた相手に怒りが湧いているだろう。

うん、それでいい。そうしてほしい。



僕のせいで女性を泣かせることができたら、ようやく大人の男になれた気がするよ。

僕も何度も泣かされてきたんだから、一人くらい泣かせる権利はある、よね。

2016-08-14

たいして面白くもないアニメとかなんか無理しちゃって面白がってさあ

いや別に必死面白がるのはいいのよ。それもまた人生から

でもさあ、なんというか「それが正しい」って姿勢が透けて見えるのよね。

外野が盛り上げていくのが正義だ、みたいな。

まあそれもいいのよ。

一応言っておくとさ、そういう体育会系ノリは然るべき場所でやったほうが健全じゃない?とは思うよ。

でもいいよ。そういうこともある。

ただそのうえ、とりあえず「ハズしまくってる」リベラル馬鹿にするよ、そんで地方叩きに反発しつつ田舎リアルを大げさに伝えるよ

そんでとにかくアカデミズムが嫌いでもうボケ丸出しの在野系保守的知識人に学んでいくよ。

みたいな感じの人をみると総体としてなんだかなあって思う。

ピンとこないな、と思った人は素通りしてくれればいい。あーたには関係のない世界から

話を戻すとそれはまあいいよ。個人の自由から

でもさ、そんな中途半端なやつに若くてかわいくて頭のいい子がつられてる、そんなケースを見ると老婆心が頭をもたげるのよね。

「いい人止まり」で進まない

釣り書は悪くない。だけど「いい人」から進まない。

公務員からそれなりの年収とそれなり以上の安定がある。男女の話で比較を冒頭に持ってくる程度に性格はクソである職場では劇的な出世はしないが窓際にまでは追いやられない程度の評価を受けている。あと30年間、そこそこの給料をもらって、その後はそこそこの年金をもらい続ける。一昔前の「当たり前」。今の御時世、悪くはないと思う。

二人きりで飲みに行ける女友達10人以上いる。半分以上は未婚者だ。職場の人、中学高校大学同級生もいる。社会的地位年収地頭も、彼女たちとは渡り合えていると思う。

だけど、友達以上には進まない。

都合のいい人、どうでもいい人、誰でもいい人。どれかの「いい人」にあてはまるらしい。

確かに、性格はクソである。これはワン・オブ・彼女たちに指摘いただいた。だけどオール・オブ・彼女たちとは何度も飲みに行っている。今後も行く。地雷を踏みぬいてはいないはず。だけど誰かを紹介してもらうことはない。お願いしても拒否される。猫背が原因だろうか。薄毛が原因だろうか。ずっと考えている。「紹介できない」にヒントがある気がするから

過去彼女ができたこともある。流行病のようだった。原因不明成功し、数ヶ月で散っていった。

ネット上にはいろんな恋愛サクセスストーリーが出回っている。オタク引きこもりコミュ障、年齢=いない歴etc。だけど俺みたいな境遇人間に使えるロールモデルが見つからない。中途半端女性とうまく関係を築けるが、その先で壁にぶち当たるやつはマイノリティらしい。

成功した人たちは性格いいんじゃないか。だからそっと動き出せば、お互いの引力でキュッと結びつく。俺の場合、引力が邪魔をして上へ飛び立てない。どうすればいいのかわからない。

恋愛へのハードルは高い。

柔道

連日オリンピックやってるのでいろいろな競技見てるが、柔道柔道じゃなくなっているのは毎回どうかしてると思う。

「変わった」「世界はこうだ」とテレビでやってた(正確には確か4〜8年前からそれ以前だったか)けど、柔”道”なんだから、ベロベロの胴着で試合したり、中途半端で一本にしたり、特に相手に組ませないのはどうかしてる、と思う。

レスリングじゃないんだから、ちゃんと組ませる試合、胴着をちゃんと着せろ。着れないとか組ませないのに指導出すくらいしないと、本当に柔道がなくなるぞ。

あと"お家芸"やめろ。

2016-08-12

サヨクが見たシン・ゴジラ

何かと話題シン・ゴジラサヨクから見ると、え?これ自民党広報映画自衛隊広報緊急事態条項のための煽り?なんなの?と、見えなくはないです。今回は僕なりどうしてそう見えちゃったのか、理由を考えてみたので、それを解説させてください。。。

以下、シン・ゴジラネタばれを含むので、ってそこがメインのトピックではないですが、未見の方はご注意ください。僕の立場性的もの説明することで行を稼ぐので、ネタばれしたくない方は僕がながながと自己紹介してる間に離脱してくださいね

立ち位置

僕は自称サヨク保守派です。政治的信条をいえば、九条は守る派。自衛隊基本的違憲災害出動はありだから自衛隊って言う名前を変えて武装をなくして災害時のすげーレスキュー隊みたいなのにしちゃだめなのかしらって思ってる派です。でも中国尖閣とかどうしよう。

安保アメリカお金を払って守ってくれるんだったら別にいいんじゃね?派ですが、沖縄ばっかりに基地が集中してるのは不公平感が強いから県外に分散させたほうがいいんじゃないかしら?派ですね。

原発に関しては、なくなったほうがいいけど今すぐは絶対なくせないから、今すぐ全部の原発を最新のやつに置き換えて、少しでも安全にして議論時間を稼ごう派です。

まあネトウヨさんに言わせれば、典型的な「頭の中お花畑」の一人でしょう。日教組教育に毒された頭の中お花畑です。あんまり職業として政治家とか官僚とかに興味なくてよかった!

と、まあそんな私ですが、ゴジラに関しては、世代的に平成VSシリーズドンピシャなこともあり、平成VSシリーズをなんとなくカバーミレニアムシリーズ大人だったのでノーケア。どちらかというと今回の映画には庵野入り口です。エヴァンゲリオンどんぴしゃ、序を見ながら映画館で「庵野大人になったな。。。俺も大人にならないとな。。。。」って思いながら号泣するぐらいの庵野フォロワーではあります。なので、それに併せて今回1954のゴジラや1984ゴジラを予習した上で、劇場に足を運んだのでした。

上前置き。

さて、そんな頭の中お花畑庵野フォロワーな私なので、最初シン・ゴジラを見たときは、え。。。これ、アベ政権宣伝・・・自衛隊礼賛・・・?なに・・・?と政治的にぐらぐらして正直あまり楽しめなかったのです。その理由をまとめると以下

今までのまじめゴジラ映画はさよくを甘やかしている

 前提として、今までの作品と若干比較します。過去作も「ゴジラ自衛隊放射能」っていう要素は大きくは違わないにもかかわらず、過去作を見ても政治的にぐらぐらしなかったのに、今作はちょうぐらぐらしたからです。

 ほいで、比較対象は今までのゴジラ映画の中でも「まじめゴジラ映画」です。ゴジラシリーズがわりと大人向けのハード作品としてシリーズを開始しながら、だんだんマーケット意識した子供向け映画になっていくのはそれはそれで面白いんですが、まじめゴジラ映画しか比較しません。

 ファンタジー子供向け映画であれば、どれだけ自衛隊がかっちょよく活躍していても、現実との距離があるのであんまりキドキしないですし、そもそもゴジラ映画の中では、子供向けに舵を切れば切るほど、ゴジラと対抗する人間側の組織がどんどんファンタジック組織になっていきます。これはこれで興味深いけど論旨とずれるのでおいといて、「ゴジラ現実に出現したらどうする?」っていうベースを持っているのは54のオリジナルゴジラと、84ゴジラなのでこの作品二つを本論では「まじめゴジラ」として、この二つとの対比でこの項目では取り上げます

軍事転用を恐れた眼帯が自殺する1954年

 まず54ゴジラはくっそ反戦映画なわけですが、途中よくわかんないヌルヌル三角関係とか出てきて、事前情報なしで見た僕はなかなか衝撃でした。その三角関係必要なのか?で、もー出来立てほやほやの自衛隊が一夜にして高圧電線東京湾岸に引いたり、戦闘機飛ばしたり、なかなか大活躍されるわけです。見方によっては出来立てほやほやの自衛隊宣伝映画。でも、この映画主題は、芹沢博士(眼帯)が自分技術軍事転用されることを恐れて自殺する、という衝撃の展開にあります。非常に九条精神体現した英雄的な行動ですね。

 自衛隊活躍させる(みぎ)けど、眼帯の博士技術軍事転用を恐れて自殺する(ひだりっぽい)。このバランスのとり方がサヨクスポイルさせるのだと思うのですが、この説教くささは1984でも繰り返されます


首相が高らかに非核三原則宣言する1984年

 1984ゴジラも、なんとなく沢口靖子大根)をめぐる三角関係感が見え隠れしなくもない(片方の相手はお兄さんなので正確にはシスコン映画で、武田哲也の怪演が当時話題になったことは否定しがたい名作ですが、まあこのなかでも自衛隊は謎の新兵器を開発したりわりと優秀です。しかも、冷戦状況下において日本とは思えない軽やかな政治判断交渉を繰り返したり、なかなか自民党政権礼賛です。アメリカ大使ソ連大使に当時の首相こんな軽やかに対応できたんかい

 あと、散々首都蹂躙し、西新宿も壊滅させられたのに、なぜか大島火山に沈むゴジラを涙ながらに見送る首相(その涙にはどんな意味が?)とか思ったりしますが、この首相なかなか理想体現する人で、ゴジラへの対処として核攻撃提言する米ソの大使に対して、「日本には非核三原則がある!作らず・持たず・持ち込ませず! だから攻撃などありえない!」と高らかに宣言をされるわけです。

 えー。。。駆除に関する議論をしてるときに、原則論持ち出されても。。。ってアメリカ大使そりゃ怒るよね。こんなときから原則論なのです、ってえーじゃあどうすんのよーってなるよね。

 まあどんだけ自衛隊活躍させて自民党政権が軽やかに外交で振舞う現実離れした宣伝(みぎサービス)があったとしても、首相が頑として非核三原則を曲げない(ひだりサービス)が、あれば、サヨク安心するわけですよ。

 自衛隊活躍しちゃったりすると、どうしても「えーこれお母さんに内緒で見ていいやつかな?」って思っちゃいがちなサヨクの良い子たちに、同時に、軍事転用を恐れて自殺する眼帯とか、非核三原則宣言する首相とか、そういうわかりやすいさよくがお母さんに報告しやすガジェットをしのばせることによって、バランスをとっていたのです。今までのゴジラは!すごい!サヨクにもやさしい!

お母さんに報告しづらいシン・ゴジラ

 ところがそのようなバランスシン・ゴジラではとってくれません。いくつかお母さんが喜びそうなシーンもあるのですが、多分喜びません。

お母さんが喜ぶ可能性が少しでもあるシーン

首相国民自衛隊タマを向けることはできないと宣言

自衛隊のあり方を肯定しているからお母さんは不機嫌になる。

→アベ首相中途半端英雄的なことを言っているだけだからお母さんは不機嫌になる。

○みんなで核攻撃回避するんだ

非核三原則とかそういう理想的なことは言わない

石原さとみが「おばあちゃんを苦しめた原爆をもう一度この国にごにょごにょ

→ここいけそうなんだけどなーなんでだめなんだろう。石原さとみがそもそもお母さんにいいづらいのかな

あ、やっぱりあんまりお母さんが喜びそうなシーンないわ。。。


でもお母さんが目くじらを立てそうなシーンはいっぱいあります

自衛隊員最初品川攻撃へ出撃するシーン「みんな覚悟はできています!」

特攻隊礼賛か!自衛隊礼賛か!

最後のほうの矢口演説自衛隊はこの国の最後の砦です!」

自衛隊礼賛か!自衛隊礼賛か!

SEALDs 的な国会前のデモ揶揄しているっぽい

ゴジラを救え?倒せ?どっちにも聞こえるシュプレヒコールって馬鹿にしてんのか!

あと全体的に手続き時間がかかるとか、そのもどかしさとかは緊急事態条項作ろうとかそう言うこと?!あと、泉が優秀だったり矢口矢口の部下が優秀だったり、自民党のことばっかりホメやがって!!!

ってなる気がする。

と、いうわけで、自分を含めて多くのサヨクは、自衛隊とか自民党政治家とかが出てくると基本的に、それを否定的に描いているかどうか?っていう評価回路(上記でお母さんって言ってるやつね)が自動的に起動して、否定的に描いていなかったり肯定しているのと同じぐらいの分量の左翼的メッセージ内包されていない場合、この作品って右っぽいんじゃない?って思っちゃうわけですよ。だからみんな多めに見て!大目に見てあげて!

蛇足ですが。

 上記より、僕が思っていることは3点、上記お母さん回路は遮断してこの作品を見るべき、サヨク現実との乖離認識するべき、でもこの作品から何が生まれるのかは注視すべき。

の、三点です。

○まずお母さん回路の遮断はそのまま。庵野現実制度スタッフを忠実にトレースして東日本大震災成功パターンを描いただけなので、別にかのことをほめたりする意図はまったくない。国会デモみたいなのも揶揄するつもりではなく、こういうのありそうだよねっていうリアリティのためのガジェットに過ぎない。から、その回路は遮断したほうが映画自体を楽しめる。落ち着け。お母さんはもうお前を怒らないし、庵野にはべつに政治的意図はない。

○2点目、あべ政権くそ死ね自衛隊違憲!って思っているサヨクのあり方そのものものっそい一般からずれちゃってるゥ!そりゃあ選挙負けるわ。っていうのをこの映画見方のズレから認識するべき。野党共闘はある程度機能したとか抜かしてる場合ボケ。ほんとに改憲阻止したいなら生前退位するぐらいの覚悟は見せるべき。

○3点目、わりと負け惜しみっぽい最後ポイントですが、エヴァンゲリオンで描きたかったのはそういうところじゃなかったのに、結果的庵野セカイ系への扉を開いちゃって、その後最終兵器彼女とかほしのこえとかそういういわゆる「セカイ系」と批判される作品群を生み出してしまった。今回のシン・ゴジラもなんかそういう扉を開いちゃうと思うけどそれが何かは注視するべき。 ほんでサヨク的な負け惜しみだけど今回開いちゃう扉は、愛国ポルノ的なもの可能性もあるんじゃないかしら。そこは注視するべきじゃないかしら。

2016-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20160811122720

自分勝手理由で振っても、逆恨みしないどころか応援してくれる男、とかな。

あと、マンガだと中途半端に口をあけている男のイラストが多いのはなんでだろう。

2016-08-10

http://anond.hatelabo.jp/20160810181014

全員正社員だろ?均等に割勘しろよ…

上司の面目がー、慣例がー、っていうなら年長者が全部出せよ…

なんだそのめんどくさくて中途半端な割勘

2016-08-08

某は肥大化した自己他人から批評への恐怖とで眠れぬ夜から逃げる

二十代は後半にさしかかったが未だに職なし

大学は去年中退受験勉強と在学期間の約十年、大きな無駄を貪った

学歴なし職歴なし資格なしスキルなし

さて、こんな人間が生きていていいのか

頭脳明晰かつ行動力に溢れる読者諸君ならこんな事例に対して、いや四の五の言わずに働けよ、という声が聞こえてきそうだ

まだ若いんだから、どうにでもなるから、なんて肯定的ものはまだいいが

根が腐っている御仁はさっさと死になされと勧めてくるかもしれぬやも

脇道に逸れてしまった

さて、某の問題点は何もしたくないという気持ちが強すぎるのである

無気力、無関心、無責任を貫く面の皮の厚い自己中心的人生を貫いてきた

両親、兄弟、友人とお世話になった人は数知れず、しかしその恩に報いる気持ちがけだし浮かび浮かばぬような中途半端状態である

そこには幾つかの理由があるのではと自分なりの自分への推論をしてみようではないか

第一に親の影響がある

第一項目から自ではなく他へ理由を求めている点がいかにも自分勝手ではあるが、好き勝手やらせてほしい

我が親は、特に父親は何に対しても自分意見を言ってくる御仁であった

それ自体は悪いことではない、字面だけ見れば、だ

子供の時分から何か言おうが何をしようが安全性リスクマネジメントについて、またその意見の正確性についてこんこんと言われることが多かった

これ自体は何度も言うように悪いことではない

子供正論を振りかざして何が悪い

全ては親が子を思う気持ちから

それは理解できる、今なら

だが、いちいち語気を強め、語尾を強い調子でまるで激昂したように言いくるめてくるのはやめてもらいたかった

何を言っても、何をやってもそうやって言われるのだ

毎度毎度その言動の良し悪しに関わらずただ怒られてるようにしか思えなかったのだ

意識はなかったが抑圧された子供時代を送ったのかもしれない

何をしようと最終的に嫌な気分にさせられるならはじめから何もしなければいいのだ

そうやって育ってきた

以上が第一である

第二項も似たようなものかもしれない

某は完璧主義である

だが負けず嫌いではない

自分想像する状態にならなければ、やった意味はないと考える癖があるのだ

百でなければならぬ、九十九では零に等しいのだ

結果、何もしなくなった

のものなんて存在しないかである

世の中七十で及第点であったり、場合によっては三十でもよかったと言える場合がある

それには迎合できない

第三項は聡明な読者ならもうわかるかもしれない

この文体、語り口調からにじみ出る、無類のプライドの高さだ

プライドはある程度あったほうがいい

だがプライド邪魔しかならない時もある

傲慢という言葉がしっくりくる人間である

頭を下げられなかったがために教えを請うことも適切な謝罪をすることもなかった

多くの人間関係を失った

そしてここまで読み進めた忍耐深い読者諸君はきっとこう思っていることだろう、面倒くさくてこんなやつと友達になんてなれない、と

その通りだ、自分でも自分友達になどなりたくない

第四項だ

それは恥ずかしがり屋であり目立ちたがり屋なところである

某は無駄に目立とうとしてきた、そしてすべからく羞恥の念に苛まれてきた

これは性癖ではない

羞恥心は一ミリ気持ちよさを運んでこない

ステージに立つことや日常ちょっとした動作から人に見られてること、人の顔色を常に伺ってきた

その結果毎晩風呂場で湯船に浸かりながらなぜあのようなことをしたのかと猛省の日々が続いた

古くは小学校入学からになるのだ

もう二十年はそんなことをしている

まあ最近人間関係が無くなったためにそういう思いに駆られることは少ないが

ともかく、目立ちたいのだ、だが恥ずかしいのだ

家庭環境事情から自分の内側をさらけ出すことにとんでもなく恐怖を覚えるのだ

だがヒーローになりたかったのだ

しかしその割に自分内面を出さないのだ

他人の顔色しか見えなかった

その人が何を考え何を思ったのか、面の皮のその内側までを考えることができない浅い思慮しかきぬのだ

第五項は孤独

これが最後

我が家とある宗教団体所属している

某は所謂三世というやつだ

祖父母、従兄弟等が特に真剣にそういう活動をしそういう信条に従って生きている

我が両親はさほどそういった活動に手は出さなかった

某もそういう教育ほとんど受けていない

から所謂経典のようなもの意味もその団体歴史特に知らない

わかりやすい例を挙げると死生観というもの理解できない

団体のもの簡単に言えば輪廻天性のようなもの信条としているが

某は死ねばそれで終わりだと思っている

少なくとも死ねば某は某でなくなるのだ

生前どんな活動をしようがいくら金を稼ごうが死のその瞬間にその全ては無駄になる、と思っている

くだらぬ例が長引いたが何が言いたいかというと

自分の家がとある宗教団体所属していることは他の家とは違うことであり、普通ではない、ということにとんでもなくコンプレックスを抱いているのだ

からこれまでにこの話を誰かにしたことはない

いくら仲良くなろうと自分の家がそういうところに所属していると知られては、友情にヒビが入ると思っているからだ

それに小学校の二年生の時から自分結婚ができない人間だと理解している

いくら相手との相性が良くても、理解のある相手であっても、相手家族から猛反対されるに決まっているからだ

某は相手に無理強いしないつもりではある

だが普通ではない人間にだれが自らの子供を預けようと思うか?普通ではない家族と深い関わりを持とうと思うのか?

そう考えれば考えるほど、自己意識の中でだけではあるが、異性との距離は遠くなっていった

今はもう無限遠方と言っても良いだろう

性交だって経験がない

自分自身の血がコンプレックスである

結果孤独である

外部の人間関係から孤独であり

真面目にその宗教をするつもりがないのだから家族人間関係から精神的には孤独である

これから先も深い人間関係など築けないと覚悟している

まあそういう世の中になってきてはいるようだが

だが後ろ指は刺されたくない

自分普通でないことから他人に悪い先入観を持たれたくない

結局結論も何もない推論になってしまったが

これこそがまさに自らを表している

終わり良ければすべて良し、とよく言われるが某の人生の中では終わりが良かったことがほとんどないのだ

途中までは良くても最後有耶無耶に逃げ出す

まさにこの纏まりのない推論自体が某自身物語っている

きっと人生の終わりも自ら逃げ出すように迎えるのだろう

なぜこのような駄文を残したのか

インターネットという黒い大河の一滴にでもなれば悪くない

恥ずかしがり屋がテキトウに目立とうとして失敗した事例として残ればそれでいいのだ