はてなキーワード: WIiとは
このあたりに影響されて。ちなみに順不同。
https://anond.hatelabo.jp/20200127132401
https://mizchi.hatenablog.com/entry/2020/01/27/172334
https://kirimin.hatenablog.com/entry/2020/01/27/204453
初めてガウル平原に出たときの感動を超える経験を、今後プレイしたRPGで、できるだろうか?
新しくRPGをプレイするときに、いつも比べてしまう存在。それがゼノブレイド。
リメイクも今年出るらしいが、リメイクゆえにあのときの感動を超えられないだろう。
ゼノブレイド2は面白いゲームだったけど、自分的には大傑作とは言えなかった。3を楽しみにしています。
なぜこれがここにあるのか?それは誰にもわからない。
しかし、我々がデジタルダンスミックス安室奈美恵を買ったときから、
CGモデルを舐めるように下から見るという行為が大切だと思って生きてきたはずだ。
最近はカメラが自由に動かせないゲームが多く、真下から見ることは難しい。
DOAX3はそんなことない。俺たちの自慢のモデルを舐めるように見てくれ、という熱い思いがあった。
仕事から帰ってきた後に、仕事のように単調な作業プレイをして、水着を集め、配る。
DLC(という名のガチャ。水着が直接売られていたら買ってただろう)は決して買わないという誓いのために、
アホみたいなプレイ時間を強いられる。当時の2chではプロデューサー早矢仕氏の悪口しか書かれていない。
ただ、スレではみんな一体となって、オートセーブを避けて、効率的に水着を集める方法を共有してたんだ。
こんなゲームがあるだろうか?ちなみにスカーレットはやってない。
ゲームは綺麗なCG表現だけではない、ということを明らかにしたゲームであり、
またインディーゲームからメジャーゲームに上り詰めたにもかかわらず、
コミュニティからも愛されている稀有なゲームである。それ以上の説明は不要。
このゲームのためだけにPSVRを買う価値がある。そういうゲーム。
なぜSIEはこのゲームを真面目に押さなかったのか、いまいちよくわからないが、
マリオのようなベタなキャラクターを持っていないSIEの欠点が出てしまったともいえる。
金でもバラまいてディズニーの有名キャラなり、マーベルのキャラなり使えばよかったのに、
だが、ゲームの出来とは無関係なので、アストロボットやってほしい。
よくオールタイムベストのゲーム選出でクロノ・トリガーが選ばれていて、
「実際、クロノ・トリガーそこまでのゲームじゃないだろ」という感想をよく見かける。
たしかにクロノ・トリガーはそこまでのゲームではないかもしれない。なら、なぜ選ばれるのだろうか?
それはクロノ・トリガーの演出が異常に記憶に残りやすく、記憶の中で美化されているからだと思う。
オープニング、ドラゴン戦車での横向きの戦闘、裁判、魔王決戦など。クロノ・トリガーらしいゲーム画面がいつでも思い出せる。
ニーアオートマタをプレイしながら、何も似ていないけど、これはクロノ・トリガーの後継者だなぁと感じた。
そうかもしれない。しかし、私は十年後も遊園地廃墟のシーンを覚えているだろう。
ある意味でストーリーを捨て、クエスト、サブクエストも大半を捨て、
続編ではおそらく別解が示されることだろう。今から楽しみだ。
撃ち合いを塗り合いと呼ぶ詭弁によって、新たな次元に昇華したゲーム。
徹夜してやったストーリー重視のゲームは、逆転裁判、ダンガンロンパ、レイジングループなど数あれど、
リアリティのあるフィクションの中で、続きが気になるストーリーを作り上げたのは、これか龍が如く0だけ。
龍が如く0はあくまで続編であり、桐生ちゃんと真島の兄さん人気を使っているが、これは完全新作。
その観点で、こっちを選んだ。ピエール瀧の代役だけが悲しい。彼が復帰したらピエール瀧をDLCで売ってほしい。
テン年代はCSにおけるFFの存在感がなくなった10年だと感じる (FF11, 14は除く)
JRPG (この言葉は好きではない)がいつのまにか蔑称となり、
「量より質」という言葉の対義語(?)に「量は質に転化する」という言葉がある。
JRPGの進化の一つの方向性に、この量質転化があるのではないかと思う。
FE風花雪月でも似たようなことを感じたし、
つまり、見た目のテクスチャに凝るよりも、膨大なテキスト(フレーバーテキストを含む)に凝った方が
ゲーム体験の質は高まるのではないかという仮説だ。ペルソナ5は確実に質に転化した新たなJRPGだ。
ある意味では上記のペルソナもそうかもしれない。(3で確変した)
暇だからゲーム専門学校時代を振り返る - 昆布がないと開発できない。 http://donnpema6.hatenablog.com/entry/2019/10/23/004918
HAL東京は私の母校でもある。読んでいてとても懐かしくなった。
この記事を書かれた方と同じように自分も卒業して思う事や学生時代を振り返ってみたくなったので書く。駄文ですが入学検討している高校生、在学中の方にこれからの参考になればと思う。
まずは私の情報について。
・現在は大手ITにてモバイルゲームエンジニア(Unityメイン)
まず私はゲーム業界志望で入学してゲーム業界に就職したパターンの人間である。
HAL東京でゲーム学科なんだからゲーム業界に行くのは当然ではと思われる方もいるかもしれないが残念ながら半数近く、またはそれ以上の人数がゲーム以外の業界に行く。
1年目
・冒頭で紹介した記事にもあった通り、HAL東京では前期・後期に別れて授業を行う。1年目は基礎を学ぶ。
・この基礎だが、プログラミング以外にもデザイン、コンピュータサイエンスなども行う。これは1年目の後期に改めて学科の選択の機会があるからだ。実際にプログラミングやってみて自分に合ってないと考えた人はデザインの学科にも行けるというわけだ(最も、最初の希望とは違う学科に入ってちゃんとその業界に就職した人を私は知らない)
・プログラミングの授業ではC言語を学ぶ。私は高校時代プログラミングなんて一切やっていなかったので初めて触れたのがCだった。printfでHelloWorldしたりscanfでメモリ領域ぶっ壊したりしつつもプログラミングの基礎を学ぶ。 IDEはVisualStudioだった。
・コンピュータサイエンス系の授業では、基本情報技術者試験の合格を目指し皆勉強する。HAL東京では基本情報技術者試験を取得していない場合、この授業が卒業まで続く。就職において資格を見る会社も一定数いるのでこのカリキュラムは良いと思う。取得している場合はAndroid開発やコンシューマゲーム機での開発授業などが選択できるようになっている。私は初の試験で無事合格したが卒業時でも取れてない人は一定数いた。馬鹿なんじゃないのか。
・1年目の後期からは学科に別れた授業+コンピュータサイエンス系の授業といった感じで進む。
・C言語のコンソールに文字を表示させてゲームを作るというのを1年目はやる。独自のライブラリが渡される。
・文字だけで表現するのにこの時点で出来るやつと出来ない奴がはっきりとわかる。 優秀な人間は自分でバックバッファの概念を構築したり、滑らかなアニメーションなどを実装している。凄い。当然彼らは誰もが知っているような大手ゲーム会社に今はいるはずだ。
・1年目の最後、学内での制作物の展示イベントがある。そこで作ったゲームを展示するのだ。ここで出来ていない人はおそらく翌年には退学している。私は完成はしたものの拙い出来だった。反面、負けてられないなとは思った。
2年目
・2年目からはDirectXを使用した本格的なゲーム開発の授業がスタートする。またそれと並行してコンシューマゲーム開発の授業が始まる。私の世代ではNintendoWiiだった。
・C言語の授業もC++の授業になり、クラス化などについて学ぶ。
・コンシューマ開発の授業は基本的に情報がない中やる。渡されるのはWiiの関数リファレンスの本だけ。あとは授業で教官から教えられつつ実装していく。
・DirectXでは9を使用していた。Xライブラリのようなものは一切使わず、直でDirectXを触る。描画の仕組みなども学べるのでこの授業はとてもよかった。確か前期は2Dゲーム、後期は3Dゲームだった気がする。それぞれ個人開発で1本づつ作る。私はこの時に作った3Dゲームが結構面白く出来て自信がついた。
・2年目の後期ではWiiの開発でチーム制作を行う。チームは勝手に決められるが基本的に優秀な人がリーダーになる。チームによっては崩壊しているチームやギスギスしているところもあり、プログラミングできる人と出来ない人の差が露骨に出る。何人かはここで脱落し、退学する。
3年目
・DirectXの授業は継続しておりCで作ってたものからC++で作るようになる。ここらあたりからかなり複雑なアルゴリズム(地面の起伏に応じた高度計算や正確な当たり判定の実装など)も学ぶ。
・DirectXとは違うものとして、OpenGLの授業も始まった。OpenGLとDirectXのマルチプラットフォームを目指してゲームの開発を行う。またネットワークを使ったゲームをOpenGLで開発したりもする。この授業では基本的に自分で調べて進めていく。調べる力をつける。今思うと一番エンジニアとして大切なことが学べる授業だったと思う。
・先ほど書いた、基本情報に合格していると選択授業でAndroidプログラミングなどもできる。
・就活に備えたビジネスマナーなどの授業も始まる。その日はスーツを着て通学する。私はこの時点でスーツ着て働くのは論外だと強く感じるようになった。
・3年生のビッグイベントとして10月にインターンがある。これはHALがゲーム会社やIT企業に依頼する形で生徒を会社にインターンとして参加させるというものである。当然ながらこれも出席率などに問題がある場合は参加できない。
・インターンは1ヶ月間あり、ゲームの会社にいく人もいればデバッグの会社にいく人、IT企業にいく人様々である。どこにいくかは教官が決める。私はゲーム会社だったがかなり勉強にはなったしゲーム会社で働く雰囲気というものを知れたのでよかったかなと思う。
・3年後半からはDirectXで就職作品を作り始める。就職作品とはいわゆる企業の人に見せる作品の事である。これは完全に個人で作るので人によって完成度はかなり違ってくる。中には商業作品のようなクオリティのものを完成させる人も出てくる。実力社会である。
4年目
・4年目は卒業制作展と就職活動、産学連携の三つがメインとなる。
・私は4年になる頃には就活終わっていたのだが基本的に全てにおいて就活を優先する様になる。内定出るまではスーツで通学など、それ意味あるのか?
・HALには学内企業説明会というシステムがあり、様々な会社が来校し企業の説明、特別選考の案内をしてくれる(任意参加だが就活中の人は実質強制参加である)
・4年中盤くらいにはもうほとんどの人が就活を終えているが一部の終えていない人たちは延々と説明会に参加してはエントリーシートを書いていた。大変だなぁ。このくらいの時期になるともう学内企業説明会にゲームの会社はほぼ無い。自分で動け。
・産学連携や卒業制作ではチームを組み制作するのだが使用するグラフィックライブラリなどに指定はなく、プラットフォームも自由となる。そのため、DirectXやOpenGLを学んでいても大抵のチームはUnityやUnrealEngineを使うことになる。
・4年目後半は卒業制作展にひたすら取り組む、この制作はとても私の中にも印象に残っている。正直楽しかった。好き勝手にみんなで面白いものを作れる。
さて、ここまで1〜4年の流れをざっくりと書いた。
次にHALについてよく聞く話、課題が多いという話にもついて触れておこう。
1科目年間20くらいは少なくとも出てる気がする。(規模はまちまちだが)
この課題だが課題を一定数達成(承認という)していないと科目留年となってしまう。とはいえ教官は自分がわかるまでサポートしてくれるので主体的に動けば落とすことは無いだろう。(私は4年間で1度も落とさなかった)
また出席率も見られる。確か80%切ったらアウトだった。
毎日しっかり通学して、出された課題をしっかりこなせれば基本的に力はつく様になっていたと思う。就活失敗していた人はハッキリ言ってこれが出来てない人が多かったイメージがある。
そのため1回休むだけで内容についていけなくなる恐れがある。しっかり授業は受けよう。
次に私の就活についても触れておこうと思う。
私は3年の中旬くらいから早く就活を終わらせたいと思っていた。また、コンシューマ業界は色々と魅力はあるが第一に給料が安いところが多いし働く環境として良いとも思えない面が多かったので最初の仕事はモバイルゲーム業界がいいなと思っていた。
そのため早い段階で逆求人サイトに登録したり、1on1面談イベントや勉強会などにも参加する様になった。
個人的に今思うのが3年の中旬くらいの時期から動き出せたのが一番良かったなと思っている。勉強会などで大学生で同じ様にゲーム業界目指している人たちとも多く会ったりしているうちに、自分は結構出来る方の人間なんだなと思う様になる。
正直HAL東京のカリキュラムは異常で、普通にゲーム作りたいという人はOpenGLもDirectXもやらない。直でそれらが扱える様になっているHAL生は業界的に結構貴重な人材になりうると思う。
描画の仕組みをわかった上でゲームエンジン使うのとそうじゃ無いのとでは全然違うんだなとこの時気づいた。HALの基礎から教える理念はとても大切だった。
私は趣味で別でDirectXでゲーム作ってたりもしてたので、それを企業の人に見せたりもしていた。何かしら物を作りきるという経験を何回も積んでいるHAL生の評価は高い。(ちゃんと授業出てれば1本は作りきれるはず)
何社か逆求人で声がかかり、そのうち一番気になっていた会社と話しているうちにどんどん選考が進み、特に苦戦せずに2月くらいには内定が出ていた。私の就活はかなりあっさりと終わった。
モバイルゲーム業界やIT業界は今かなり盛り上がってるのもあり年収もかなり良く、この結果にはかなり満足している。
最後に、私がHAL東京に入学して良かったかどうか、という点について触れてこの駄文を終わらせようと思う。
もともと、ゲームは作りたいと思っていたが、何から始めたらいいのかわからなかった。
そんな中、専門学校で学ぶことで0→1が出来る様になったのはやはり大きかったと思う。
一度作り方を学べばあとはそこからどんどん自分から学んでいけた。
逆に、そう言う学び方が出来ない人はやめておいた方が良いと思う。
HAL東京在学中ずっと思っていたのが、学生間のレベルの差がとても激しいのだ。 無能か出来る奴のどっちかになるのだ。
自分は積極的に学んでいける!出来る奴に絶対なってやる!と言うくらいの気合いがないとダメだと思う。
入学時にプログラミングの経験がある人も一定数いるのだが卒業する頃には自分の方が書ける様になっていたし、結局のところ本人の努力次第である。決して入ればゲーム業界にいけるとか、そんな甘い話はない。
生半可な気持ちで入学するのは出来る人たちの迷惑になるとハッキリ言っておこう。チーム制作の足手まといになってしまうだけである。
○ご飯
朝食:ハムエッグ定食、昼食:白菜、うどん、卵、夕食:人参、白菜、豚肉の鍋
○調子
むきゅーはややー。
祝日なので家でむっきゅりしてた。
勝ちあがり乱闘をプレイ。今日は、ソニック、デデデ、オリマー、ルカリオ、ロボット、トゥーンリンク、ウルフをクリア。
それと組手もいろいろやって、いろんなあそびのクリアゲッターも消化。残るはケンの必殺技縛りだけ。
○ポケGO
昨日のチケット余りと合わせてダークライを二回したけど捕獲はできず。とはいえ、Goは集めるだけで満足してて、もう二匹捕獲しているのであまり焦燥感はないな。
このゲーム課金を、いわゆるルートボックス開けに使うのだけど。
ルートボックスから当たりが出るの0.6%の青天井な上に、0.6%の箱を一つ出すのに一時間ぐらいかかるってバランスなの、基本無料ゲーとしては致命的に課金意欲が刺激されないな。
○ポケマス
コルニとセンリとフウロの三人を最後まで上限解放してレベルもあげた。石が70連分ぐらいあるから、そろそろガチャの引きどきなんだろうけど、あっちの方の習慣で天井以外信じれなくなってるからモチベがわかないな。
不妊治療のため仕事を辞めさせられた増田は、「生産性がないものにお金を出せない」と主張する夫から経済的DVをうけている。独身時代の貯金の大半は共同出資のタワマンの頭金に消え、残りの残高とともに、増田の物欲も枯渇していった。
ご近所づきあいが一切ない新築入居のタワマン社会には、この状況を相談できる知り合いができにくい。同じフロアの8部屋のうち、顔を知っている人はひとりもいない。
ある日、同じフロア共用の24時間対応ダストステーションに、ゴルフバックが3つ、中身ごとおかれていた。「*粗大ごみです ごみ料金シールを貼って出してください(3Fのサンクスに売っています)」と赤字で書かれた紙が貼ってあった。その状態が、3日も続いた。増田はゴミ清掃スタッフに同情し、逡巡した。その粗大ごみを一度家に持ち帰ることにした。夫は毎週末に1週間分のレシートを照会して、1円も使途不明金がないことを確認する人だ。かわりに粗大ごみシールを貼って置きたいが、夫に却下されるだろう。
増田はそのゴルフバックを、4LDKの空き部屋に置いた。夫はまったく気づかないようだった。
翌朝、ポストに不用品出張買取の業者の広告が入っていた。増田はすぐに電話をかけ、「夫が叔父からゴルフセットを一式もらったのですが、いらないんです、でも処分方法がよくわからなくて」と説明をすると、業者の弟がやっている中古ゴルフ用品買取業者が見積もりにくることになった。見積もり結果は7万円。身分証明書の写しとの引きかえに、そのまま現金を置いて行かれた。増田は驚いた。ごみが7万円になったことにも、突然自由に使えるまとまったお金が降ってきたことにも。
翌週、偶然テレビでフィリピンのスモーキーマウンテンを特集するドキュメンタリーを見た。ゴミ山からお金に換えられるものを探し当てて生計をたてるスカベンジャーというひとびとを知った。金銭的には不自由でも、心が自由である彼らをうらやましく思い、増田は自分が心身不自由であることに自覚したのだ。そしてメルカリやヤフオク、フリルなどのフリマアプリの存在を知り、ある決意をした。
増田は、ほかのフロアのダストステーションにも出張するようになった。増田の住むタワマンは、58階だてで、6階以上が住民用フロアである。増田は1~8階、45~50階にとまるエレベーターに乗れる。
白いエプロンを着て「ボランティア」と書いた自作腕章をつけていくと、ゴミの分別ボランティアと思われるため、ほかの住民や清掃スタッフに会ったとしても、一瞥されるか、「お疲れ様です」といわれるだけだった。
・嵐のツアーグッズ 5万円
・ヒステリックグラマーのデニムパンツ5本 合計6万円ぐらい
・ヒステリックグラマーのTシャツ 10枚あわせて9万円
・浦和レッズのグッズ一式 7万円
・ヴィヴィアン・ウエストウッドのストッキングセット 7000円
・アムウェイのなべセット 16000円
・ウシジマくん 1~28巻 6000円
・ミニクーパーのグッズ 15000円
・コーヒー浣腸の付け替えパーツセット 14000円
51階以上はメゾネットタイプ、ペントハウスになっており、増田は入ることができない。しかし、増田は非常用階段からの闖入に成功。
メゾネットフロアには2階ごとに3部屋あり、非常用階段とつながっている各部屋ごとのゴミ捨て場がある。51・52階は3部屋とも人が住んでいなかった。香港の業者を経由して買ったマレーシア人かシンガポール人が持ち主であることを告げる書類の写しが捨ててあった。
53・54階も同様だが、うち一部屋には定期的に生活のにおいがした。ブルーボトルコーヒーの紙袋と、RF1のサラダの残飯と、コーヒーがしみ込んだ今治タオル、中国語か台湾語の新聞がスワンナプームエアポートの紙袋に入れて捨てられていた。外国人の別荘なのかもしれないなと思った。
・クリスチャンルブタンのキンキーヒール 2サイズ(箱あり)と空箱1つ 合計5万円
・SK=2のトラベルセット 7000円
・新羅免税店の密封パック入に入ったままのディオール化粧品セット 1万円
そのころ、メルカリの現金出品がニュースで取りざたされていた。
同時に、身分証明書と実住所と銀行口座の名義が一致しないと送金できないといわれる業者が増えてきた。
金額によってはマイナンバーカードの提示が求められるようになった。増田は潮時だと悟った。
増田はフリマサイトの売上金の受け取りを、唯一残していた旧姓の口座に指定していた。母の葬式にも来なかった父が、子どものときに開設してくれたJFマリンバンクの口座。この2年半で、7桁の数字が刻まれるようになった。都心では使えないと思っていたマリンバンクは、ここ数年でコンビニATMとの連携が進んでいたことに気付き、増田は大きな一歩を踏みだす決意をした。
離婚はすぐに成立した。「家、買った時より高い値段で売れてよかったですね」と弁護士は言った。来月頭には増田の取り分が入金されるらしい。売却手続きを進めてくれた司法書士は、増田の元夫が横浜に転勤になり、武蔵小杉にある新築タワマンを買ったと告げた。そのマンションはのちの
ツイッターで幼少期に色々禁止されたら大人になってから反動がくる的な呟きを見かけて思い出した話。だらだらと書いたので文章汚いし長いけど、3連休の暇つぶしにでもどうぞ...
小学生(多分3年生か4年生の頃)の冬休み前に任天堂DSが発売された。折りたたみ式で画面が上下ふたつあって、下の画面をペンでタッチして遊ぶ。最初に某学年誌だかで写真を見たとき驚いたし、素直に欲しい!!と思った。私はそれまでゲーム機という物を持っていなかった。ゲームキューブもゲームボーイも触った事がなかった。持っていなくても友達と遊べたし、別段興味がなかった。
けれどDSが発売されたのはクリスマス前で、友達は次々とDSを手に入れていった。クリスマスプレゼントで、お正月に祖父母から、お年玉で、学年末テストで頑張ったから、進級祝いで......学年が上がった頃には大半の同級生がDSで遊んでいた。
私は持っていなかった。クリスマスもお正月も隙あらば両親にお願いした。けれど全部だめで、ならば貰ったお年玉で買おうとしたものの、両親にきつく叱られてお年玉ごと没収された。懸賞で当たれば文句は言われないだろうと考えて、いくつも応募したが見事に全部落ちた。(むしろ既に持っている友達が当選していた)
両親はファミコンが発売された当時、成人していた世代のはずでも、2人ともファミコンを触った事はなかったらしい。そもそもゲームに興味が全くなかった。むしろ否定的。
私が「みんな持ってる。持っていないと遊べない」と言っても、「みんなって誰?クラスの何人?」「ゲームばっかりしてるとバカになるよ」「ゲームしている子と遊ばなければいい」と跳ね返された。(後々、中学で同級生が携帯を持ちはじめ、部活の連絡手段がメールしかない状態になり携帯を持ちたいと言った時にも同じ様な事を言われた。「中学生のくせにメールで連絡網は生意気(以下略)」)
当時の私にはその言葉は絶望でしかなかったし、せまい小学生の世界で、ゲームをしている子と遊ぶなというのはひたすらひとりで過ごすようなものだった。今でこそ1人でも平気になったけど当時、いつも遊んでいた友達は遊ぶ時はみんなマイDSを持参して通信機能で対戦して遊んでいた。
私はその輪に入れなかった。画面を覗き込む事しかできなかった。覗き込んだ所で理解はできないし、友達にうっとおしがられるだけだった。
次第に放課後の遊びには誘われなくなった。持ってない奴と遊んでも楽しくないらしい。
学校ではどうぶつの森ごっこが流行った。(おままごとの動物版のような感じ)私はキャラクターを知らないから、嫌われているorかわいくない動物役だった。どんなキャラクターか知らないので、なりきる事ができず、何か発言する度にダメ出しをされる。休み時間一緒にいるのがしんどくて、ひとり教室で本を読むしかできなかった。
友達に「なんで私ちゃんはDS持ってないの?」と聞かれても「買ってもらえないし、なぜかゲーム禁止されてるから...」としか言えないし、普通に悲しかった。
中学校に入学する頃にはDSブームは若干おさまってって、据置型のwiiとwii sports の板が発売されていた。大半の友達の家にwii があったし、それは一緒に遊ぶ事ができた。嬉しかったしとても楽しかった。ただ、使い方に慣れていない自分は、やはり足手まといになってしまった。確か同じ頃にMiiが流行った。友人達はゲーム内で勝手に私のアバターを作って遊んでいた。そして「私ちゃん、〇〇(クラスの男子)と結婚したよ〜子ども産まれたよ〜」とわざわざ報告してくれた。友人はゲームを持っていなかった私に疑似体験させてくれたのか...?そこまでならギリギリ許す(心が狭いので本当は許したくない)けど、「○○と付き合ったら?」とリアルで言われて流石に引いた...
かと言って、この状況がいつまでも続く訳もなく、中学3年生になる頃には再びブームは落ち着いた。
高校に進学して今日までは、ゲームを知らなくても何とかやっていくことができている。が、例え話でゲームの事を出されるとやっぱり分からない。(ポケモンのどれそれが何それ〜とか)そこでプレイした事がないのでその例えは分からない旨を伝えるとすごく意外な顔をされる。相手に悪気は一切ないし、国民的なゲーム(?)なのでまさかといった感じなのだろう。むしろこっちが申し訳なく感じる。(私の周囲には例え話にゲームの事を出す人が一定数いるので、他の方がどうかは分からない)一応自分でも調べるけど、付け焼き刃すぎてどうしようもない。まぁそれでなんとかなってきてるので多分今後もこんな感じだと思う。
ここまで書いてきて、そういえばたまごっちがリニューアル発売してブームになった時も手に入れられなかった事を思い出した。ちょうどDSと同時期だったような気がする...。1人で3台も持ってる友人がとても羨ましかった。ここでも完全に蚊帳の外だった。思い出したらまた悲しくなってきた...
別に今更、両親の教育方針にケチをつけるつもりはないし、当時より多少は自由に生きてるけど、件のツイートを見かけてふと思い出したので書いて残したかった。
反動というか、今はスマホのアプリゲームを慣れないながらもいくつかポチポチしてる。キャラクターやストーリーがそれぞれ素敵なのでのんびり続けてる。育成したりするのはすっごく苦手だけど楽しい。ゲーム楽しいね。もっと早く知りたかった。