はてなキーワード: NHK教育とは
人の顔がわからない。他人を顔で見分けるのがとても苦手だという意味である。
全く顔がわからないわけでは無いので、相貌失認症とかいうのとはまた違う。身近な人などの顔ならなんとか覚えられるのだけれど、初対面の人やテレビの芸能人などはよっぽどで無い限り顔を覚えられないのだ。
例えば、NHK教育のうたのおねえさんとダンスのおねえさんの見分けがつかない。もちろんうたのおにいさんとダンスのおにいさんの見分けもつかない。NHKの朝の番組に出てくる子役の子も、番組が違えば別人だということは夫に言われて初めてそうなんだと気がついたが、やはり見分けがつかないので同じ子役の子に見える。
ドラマを見るのも苦手だ。人の見分けがつかないからすぐに話が混乱する。この間酒癖50というドラマの1話を見たけれど、小出恵介氏と浅香航大氏の見分けがつかずに非常に混乱したし、この文章を書くために役者さんを調べてみたけれどやっぱり顔ではピンとこないのでなんとも。役者さんはみんな阿部寛氏みたいなわかりやすい顔になってほしい。
答え:「ある」 ただし、間接的に
『企業vtuberは女性による自己実現ではない』のは当たり前です。企業Vtuberは企業が創作した架空のキャラクターなので、自己も自我もありません。なのでキャラクターが男性だろうが女性だろうが自己実現のしようがありません。まずは現実と創作の区別をつけましょう。それとも、架空のキャラクターにも人権があって〜みたいな電波な話をしたいのかな。君、ワクチンを打つと5Gに繋がるとか信じてそうね
当たり前のことですが、架空のキャラクター、浦島太郎とかかぐや姫には人権はありませんし、自己も自我もありません。しかし、十全な人格・人権を有する自然人とキャラクターの間というのは、そんなにはっきり見分けられるのでしょうか?
たとえば、架空のキャラクターであっても、竈門炭治郎や両津勘吉になると、著作権者の著作人格権があるので、取り扱い方によっては著作者の人格を害する可能性はあります。これらのキャラクターの画像を勝手に修正したり、風俗店の看板に使えば、著作人格権の侵害になるでしょう。
次に、芸能人について考えましょう。例えば、所ジョージはある種のキャラクターであり、芳賀隆之氏ではありません。しかし、「所ジョージは実は犯罪者だ!」と公言すれば、間違いなく名誉棄損になり、民事では芳賀隆之氏(またはその代理人)から訴状が届くことになります。
もう少し考えてみましょう。NHK教育で放送されていた「つくってあそぼ」の主役の「ワクワクさん」というキャラクターのことは皆さんもご存知でしょう。タレントの久保田雅人氏が演じるワクワクさんは、明らかに番組のために創作されたキャラクターです。しかし、実際のところ、久保田雅人氏のタレント活動は「ワクワクさん」としてのものがほとんどであり、「タレント久保田雅人」と「ワクワクさん」に対して、どこまで別の存在だと言い切ることができるのかは判然としません。
別の例を見てみましょう、パペットマペットという芸人、あるいはコンビがいます。これは、実際に操作しているのは、後ろの黒子ですが、表に出ているキャラクターは「うし」と「かえる」です。この、本名も顔もわからない黒子にとって「うし」と「かえる」は単なるキャラクターなのでしょうか? 黒子と「うし」や「かえる」は人格的に密接な繋がりがあり、「うし」や「かえる」を否定することは、黒子の人格を否定していると判断される可能性は十分にあります。
ここで、VTuberを見てみましょう。多くのVTuberは中の人とキャラクターの間に密接な人格的つながりがあります。VTuberは、セリフのあるお芝居ではなく、シナリオの無いトークライブやゲーム実況といった、本人の人格が反映されたタレントとしての活動が中心であり、キャラクターと言うよりは、3Dの着ぐるみを着たタレントと言うべき存在です。
このように考えると、自己も自我も人権もある中の人の人格を反映させたVTuberというのは、間接的に自己も自我も人権もあると言えるのです。
ちょっとあの砂浜を見てみよう
脱皮して大人になったホモサピエンスたちが交尾の相手をさがすために集まってきているんだ
みんな砂浜で日光浴したり、海で水遊びをしたりしていて楽しそう!
でも、よーく見てごらん
遊んでいる最中でも目がぎょろっと動くよ
体についた砂を払って、座りなおしてぎょろっ!
どこを見ているんだろう
オスのホモサピエンスの視線の先には……あ!メスのホモサピエンス!
そう脱皮したホモサピエンスたちは遊んでいるふりをしながら交尾の相手を探しているんだ
そして…ほら視線が交わると…
「あら…マッチョないい男がこっちを見ているわ、何かしら」
「やあ、今日はいい天気だね。それに君の胸部はとても発達していて素敵だ」
NHK教育をアニメにカウントするんだよ。ハッチポッチステーションとか見てただろ。
全く平等ではないよ
普通に考えたら分かる話
報道メディアが例えば差別的表現に敏感になるのは当然の話だけど(特定アジアなんて表現自体極めて偏見に満ちている)、政府に忖度するのは国営メディアではないのならあり得ない話だからね
もちろん、「せかいま」の黒人差別表現を見ればNHKが全ての差別的表現に敏感なのかと言ったらそうではないのは明らかだけども
また制作部局によっても質が違うからね。文化部や福祉部や社会部なんかは政権に対する忖度が弱かったから運営委員会も内閣も潰したがってるわけで、実際改組で弱体化されてる(こないだのNHK教育を売却しろという観測気球もその一環だろう)
製品名を出さないとはいえ、あんな露骨に商品紹介を賄賂で依頼されやすい仕組みを作るなら、売却すべきはNHK総合なのでは?
EテレというかNHK教育は、基本的に儲からない内容も多いように思うし、資本主義に問題がないわけでもなく、資本主義と教育が完全合体はあってはならないと思う。
流石のアメリカでもそれは微妙というか、まあセサミストリートのレベルでもなんと言っていいか分からんこともあるけど、
でも、エルモやビッグバードが突然商品紹介をし始めるとかありえないわけで、
番組内で深夜通販さながらのトークをセサミストリートのキャラクターがし始めたら、自分も最初はウケるだろうけど内心ドン引きである。
製品名出さなくてもググれば分かるわけだし、意図的に製品紹介を依頼されてたような話も昔出てたような気もするので、ああいうのやめてほしい気がするのだけど。
というか、NHKのああいうのってBBCやABCにあるのかなあ。
NHKは異常に民法っぽくなり始めた時期が子供ながらあったように記憶しているのだけど、誰の差し金なんですかねぇ。
産経新聞というのは元々は名前通り投資家などに向けた経済新聞だったのに低俗なものになってしまったから日経みたいな新聞の元に戻したいとか、
ブルームバーグとかロイターとか投資家向けの情報で嘘を書くことは難しい、フェイクニュースを書くと読者に損害が出てしまうとか言ってた気がするけど、
ほんと、ホリエモンは人としては嫌いなのだけど、あれに関しては完全同意しかない。
お金儲けになり、かつフェイクニュースを防げるというのは願ったり叶ったりで、
まあ、これはこれでお金を払わなければ真実に近い情報が得られなくなる危険性もなくはないわけだけど、そこは大資本というか、
サービスとして一般的な情報、緊急性の高い情報は無償で公開することは可能だし、
すべてを有償記事にすると無償記事という広告がなくなるわけで、それはそれで報道する側も儲からなくなるだろう。
もちろん、ホリエモンの言ってたことには裏があるだろうし、テレビとネットの融合だのシナジー効果だの想定内だのあった気がするけど、
ああいうロジカル、論理的思考力が日本社会では反対されるの何なの?という気がする。
「地頭」というオジサン用語があるけど、調べてみると「学校では習わない論理的思考やコミュニケーション能力のこと」らしいw
しかし、ホリエモンの様に論理的思考をすると日本社会では慣習を重んじるため反対されるのである。
「地頭」が良い人が日本社会ではハブられるのに、「地頭」が大事だとオジサンや老人に言われるのである。矛盾である。
つらい。
フジテレビはホリエモンによる買収を阻止した後は凋落したし、今も凋落しっぱなしなんでないの?
テレビ持ってないので知らんけど。
フジはドラマとか番組制作へのお金を渋るようになって、韓国から権利を買った韓流ドラマばかり流すようになった。
韓流ドラマを流す一方で、ニュースとか報道では嫌韓ネタが目立つようになる。どっちやねん?
だから、番組制作の会社は大手でさえフジテレビを見限って、みんな日テレに移ってしまったままだよねw
日本に原発も売りつけたCIAとの関係も噂されるナベツネである。
だいたい動画見せてるの。地上波がYoutubeや配信サイトになってるだけ。完全に親の自己満足
たまに音楽と絵本とおもちゃのガチのテレビなし育児の話を聞くけど、実際の姿を見てないから何とも言えない。ネットとかのはほぼ嘘の事例だろうし
NHK教育良いぞ。NHKの公共性とか公平性とかどうでもいい。子供番組はよく出来ている。Youtubeの無断転載や絵本勝手に読み聞かせなんかより数億倍マシ
平日の朝なら日本語であそぼ→英語であそぼ→0655→シャキーン→はなかっぱ→デザインあ→ピタゴラスイッチミニ→コレナンデ商会→みいつけた→お母さんといっしょ→ぱっころりん→いないいないばぁ→オトッペで2時間潰せる
難点は日曜が8時にみんなの園芸になり空白時間が30分できてしまうことくらい。30分後にはプリキュア等が始まるので問題ない
そもそもテレビなし育児を推奨している家の親って旦那高給の専業でしょ?食器洗い乾燥機と全自動洗濯機と各階にルンバがあって収納も沢山ある家じゃないと無理だよ
だいたいテレビ見せようが見せまいが、子供は癇癪おこして甲高い声で泣き叫ぶよ。親の言うこと聞いて親のタイミングで絵本やお歌楽しんでくれる聞き分けの良い子供とか脳にチップ埋め込んでいるか想像上の生き物のどっちかだよ
NHK教育にちょくちょく入ってる印象
YouTubeでは動画をアップロードする時は年齢制限とは別に、「この動画は子供向けですか?」という質問があり、それに対してYes/No回答するのが必須となっている。
https://support.google.com/youtube/answer/9528076
要するに
・子どもを主な対象としているコンテンツは「子ども向け」とし、上記設問には「Yes」と回答しろ
・子どもを主な対象とはしていないものの子どもも対象の一部であるコンテンツは「すべての視聴者向け」とし、上記設問には「Yes」と回答しろ
・特に子どもに視聴してもらうことを想定して制作したわけでないコンテンツ、または 13 歳以上の視聴者を想定して制作したコンテンツは「一般視聴者向け」とし、上記設問には「No」と回答しろ
(深夜アニメとか水曜日のダウンタウンとか?)
※子供の年齢は国によってちがうよ!住んでる国に準じて考えてな!
というルール。
子ども向け=YESとして設定した場合、パーソナライズド広告、コメント、チャンネル画像・ロゴの透かし、寄付ボタン、チャットなどの機能が制限される。
また、「頻繁に子ども向けコンテンツを視聴している場合」と「YouTubKidsからアクセスした場合」は、子ども向けとして設定された動画が優先的におすすめ動画として表示される。
よって、子ども(子供向けコンテンツを頻繁に視聴しているユーザー)が「子ども向けコンテンツでない(Noと回答した)コンテンツ」にアクセスするには、主に積極的に検索することになる。不用意に(自ら「見る」という選択をしていないにもかかわらず)「子ども向けでないコンテンツ」に触れる機会が減る。というわけ。
バランス感覚的に優れてるなあと思うのは明らかに子ども向けなコンテンツではないけど子どもも観ることを想定している動画は「子ども向け」に「YES」と回答させるところ。グレーがないんだよね。
子どもに見せてはばかられない動画なのか?きちんと製作者に判断させるプロセスは必要だよね。
こういった基準は現実の公共施設でもかなり参考になるんじゃないかなあ。というか、現実の公共施設でもこれくらいのゾーン設定はすべきと思う。老若男女訪れる場所では。
ネットの表示非表示と現実における物理的な見える見えないはまあまた違うし大変だろうけど。
逆説的に言うと「子どもの目に入る可能性がある場所に掲示する」場合はYouTubeで言うと「子ども向けコンテンツ」に「Yes」と答えることができる内容である必要があると思うね。
もしくは、「子ども向けでない」コンテンツはきちんと「子供向けではないと自認」した上で、悪目立ちしないように小さく出力・掲示する、とか、高所・隔離スペースに掲示する、とかくらいの配慮はできるんでない?
※YouTubeならびにGoogleは現在のところ子供だけでYouTubeを視聴する場合の13歳未満の利用を推奨していない。
YouTube Kids、YouTube とお子様の Google アカウント
https://support.google.com/youtubekids/answer/7124142?hl=ja
注: YouTube は 13 歳未満のお子様向けには提供されていません。13 歳未満のお子様が YouTube の動画を視聴する場合は YouTube Kids を使用する必要があります。
--------
https://support.google.com/youtube/answer/9383587?hl=ja
保護者の皆様には、お子様だけで YouTube を利用することを認める場合は、YouTube Kids の使用をおすすめします。
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※youTubeKidsではあきらかに不適切な動画はフィルタリングされてアクセス自体不可能。
※YouTubeにおいてもフィルタリングON・OFFは可能。
※YouTubeKidsでは検索機能のON・OFFができる。
※日本版では提供されていないが、米国版では「未就学児向け」「小学校 1~2 年生向け」「小学校 3~6 年生向け」と細かい設定も可能になっているらしい。
※まあそれでも完全に無法地帯で無くなったという印象はないけどね、YouTube。
かつて、アレクサンドリア図書館では二種類の本が所蔵されていたという。巻物と、現代の本のように綴じられた本だ。どちらにもそれぞれメリットがあったが、綴じられた本にあった最大の利点は、ページの表と裏の両方に書きこむことができることだった。つまり、単純に空間あたりの情報密度が倍になる。そういうわけで、いつの間にか巻物は駆逐され、今と同じ形の本が広まっていったという。同じ理屈で、私たちはパンチカードからテープへ、フロッピーディスクやディスクを経て、USBやSDカードへ、その先へと進んできた。
ここで、ハードの乗り換えの際、重要でないとされたものは、最新のメディアにコピーされなかった。つまり、巻物には記録されていたのに、現代には伝わっていない古代の著作が多数ある。当時の様子を伝えてくれたかもしれない資料が、こうして失われた。同じように、今でも貴重なデータがフロッピーディスクに埋まっていることだってあるかもしれない。笑ってはいけない。ある企業の文書はMOディスクに保存されていると聞いた。霞が関の重要な公文書がフロッピーの中に眠っており、読みだすのに一苦労、なんてこともあるのかもしれない。
そして、現代において最も重要な知識の移行が、オンライン化である。ネットに載っていない情報はあたかも存在しないかのように扱われてしまいがちで、それが私たちの記憶に対して、自信をあやふやにする。
私が幼いころに見ていたNHK教育の番組に、「ともだちいっぱい」というものがあった。その一コーナーで、ペカリンさんなる人物が「困ったときはチャンスです」と歌いながら主人公を絵本の世界に招き入れ、課題解決のヒントを与える、という寸劇があった。一応、その概略を示したwikipediaの記事は存在する。それでも、各回にどんな人物、一回限りの登場キャラクターがいたかを網羅した情報は、ネット上にはまったく見つからない。
私の記憶では、フラフラになるまでフランダンスを踊る島の人々や(彼女たちにアイスキャンディーを配る)、標識や印の便利さを伝える回に出てきた「ノッペリ」なる人物、松竹梅の三種類の樹を並べ替える方法は行くあるかを問う怪人、姫に無理やり求婚する「イイダロ王子」、それから「ゴメンライダー」なる悪役が出てきた記憶がはっきりある。しかし、いくらgoogleで検索しても彼らの影も形もない。
他にも、「ひらけポンキッキ」に出てきた、ドレミの歌とともに人体模型がじわじわ歩いてくるトラウマ級の映像も、存在した証拠がほとんどない。ガチャピンの声で「体の中はどうなっているのかな? 見てみよう?」と言うと、子供と虎と魚の骸骨や内臓が見えるのが恐ろしく、布団の中に潜って怯えていたことはしっかり記憶しているのに。
こうするうちに、初期の「ひょっこりひょうたん島」のオリジナルテープが上書きされて永遠に失われてしまったみたいに、彼らの存在した証拠も、コピーが取られることもなく、消えてしまうのだろうか。そういえば、羊皮紙の写本もときどき重ね書きされ、古代の貴重な写本がいくつも失われた、と耳にしている。
builderscon前夜祭の炎上の件について思うところがあるので書く。
事の顛末はこうだ。
前夜祭最後のセッションで「CROSS MEで黒髪のメガネ女子とマッチングするデバイスをAIとIoTを駆使して作った話」が話される。
前夜祭 (4)「CROSS MEで黒髪のメガネ女子とマッチングするデバイスをAIとIoTを駆使して作った話」 - builderscon tokyo 2019
↓
それを聞いた一部の意識高い系エンジニアがTwitterで苦言。
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それが波及し、行ってない人まで苦言を呈しはじめる。
そしてこの件についてしんぺい氏という参加者がブログを書いている。
エンジニア・コミュニティにはオープンであってほしい - 猫型の蓄音機は 1 分間に 45 回にゃあと鳴く
私はこれに異を唱えたい。
チケットを発売する前にセッションは出揃っており、参加者はそれに納得してチケットを買ったのではないか。
学校の勉強のように強制的にセッションを聞かされるわけではないのだからセッションを吟味した結果不愉快になりそうなので「行かない」という選択肢が取れるはずだ。
あるいは行かないとまではならなくても、対象のセッションが始まる前に「退席する」という事はできるはず。
これだけの苦言が呈されるということは去年も行ったからという理由でタイムテーブルもろくに見ず盲目的にチケットを買った人が多いんじゃないかと思っている。
例えば家電を買うときに皆さんはきちんと機能や大きさ、色など吟味して買うのではないだろうか。
それと同じようにカンファレンスに参加するときもセッションを吟味して買わなければならないと私は思っている。
今回の件は中華料理屋で四川風麻婆豆腐を注文して「辛い!」とクレームをつけているようなものだと私は思った。
自分が「四川風」を見落としたのにクレームをつけるのはただのクレーマーに過ぎないのではないか。
運営の物だ。
CfPを募集してSNSの盛り上がりも考慮しているとは言いつつも運営がセッションを決める。
最終的には運営側が見せたいセッションを選んでどうですか?こんな話聞けますよという事だと思っている。
参加者はその提案を受けてチケットを買うか買わないか判断するだけだ。
今は多くのカンファレンスや勉強会が開催されており、参加者はそれを盲目的にあの人が主催だからとかいう理由で参加するのではなく、きちんとセッション内容を吟味して選ぶ義務がある。
すべての勉強会が型にはめたようにポリコレに配慮する必要はないと思っている。
お行儀の良いNHK教育のようなカンファレンスもあればおもしろいを追求するフジテレビのようなカンファレンスもあってよいのだ。
だから今回の件に異論があるならもっとポリコレに配慮したNHK教育のようなカンファレンスを自分で立ち上げれば良いと思う。
あなたは強制的にカンファレンスに連れてこられて椅子に縛り付けられて不愉快なセッションを聞かされているわけではない。
きちんとカンファレンスを選ぼう。
本当に何も残らなくなるのではないのか。
そういう懸念が私にはある。
この懸念はVim/Go言語で著名なエンジニアのmattn氏も表明している
万人が不快感を示さないはずと信じていたジョークに、あるとき誰かが不快感を示したら僕らは何ができるんだろう。例えばラーメンをテーマにしてたら「ラーメンがかわいそう」という人が現れたりとか。極端な例えだけど、僕が今朝言いたかった事はそういう事です。— mattn@有益情報 (@mattn_jp) August 30, 2019
今更聞けないsystemd入門 - builderscon tokyo 2019
この内容の中で
という一文があるのだが、これに対して
「はぁ?serviceコマンドまだ叩いてますけど!不愉快だ!このセッションを中止しろ!」
というクレームが付いたらどうだろうか。
先の黒髪のメガネ女子とマッチング~のセッションのように不愉快な人が居るのだから中止にしたほうがよいと思うだろうか?
私は思わない。
そういう人はこのセッションを聞かなければいいだけだ。
私は同じように先の黒髪のメガネ女子とマッチング~も不愉快な人は聞かなければいいだけだと思う。
別の視点からの意見として事業によって参加できるできないが決まるのは技術カンファレンスとして間違っていると思うしもったいないと思っている。
例えばDMMで作られたFANZA TikはPWAの技術を使用している。
その話をするセッションをしたいと思ってもこれはセクハラになるのだろうか。
また、今回のセッションがダメだとしたら当然マッチングアプリと呼ばれる出会い系事業者のエンジニアはセッションが行えない事になるのではないか?
マッチングアプリでどのようなアルゴリズムでマッチングさせているとか、その高速化とかは聞いてみたいと私は思う。
このように技術的には価値があるのに女性が不愉快になる可能性があるからNGみたいなセッションが出てくるのはカンファレンスとして損失ではないのかと私は思う。
今まで書いたことを実践するには主催者にも義務を果たしてもらわなければならない。
なので主催者にはチケット発売前にきちんと内容を開示してほしい。
お願いします。
長々と書いたが言いたいことは
「カンファレンスに参加するかを決めるのは参加者であり、自分で選んで参加しておいてセッションに文句をつけるのは違うのではないか。」
ということ。
男女LGBTどんな属性でも自分が不愉快なのにその場に居続けなければならないという事は無いんだよと言いたい。
最初から参加しない。途中で帰るという選択肢はあなたに与えられている。
私が懸念しているのは今回のことでCfPのチェックを厳しく時間をかけてしなければいけなくなり運営の負担が大きくなってしまうこと。
builderscon運営の負担が大きくなるのも懸念だけど、buildersconはそれなりに大きいカンファレンスだし正直できると思っている。
それ以上に問題なのが手弁当でやっているような他の小さい勉強会/カンファレンスがbuildersconがやっているのだからお前らもやれよと参加者にクレームをつけられて負担が大きくなって「無理!やめる!」となったり、
新たに勉強会/カンファレンスを立ち上げようと思っている人が「buildersconであんなに炎上するなら俺が勉強会立ち上げるなんて無理そうだな。。。」となること。
小さい勉強会/カンファレンスも気軽に開催できるような雰囲気であってほしい。
なので
という風になってほしい。
そしてクレームつけられても
「知りません。事前に内容は提供してあったでしょ。参加するって決めたのはあなた。」
あとは単純にbuildersconがNHK教育のようなお行儀がいいカンファレンスになってつまらなくなる事が一参加者としては嫌だなと思っている。
YAPC::Asia Tokyoの流れを汲んだbuildersconがこれからも「おもしろいカンファレンス」として続くことを願います。
以下の記事を受けて。
「けものフレンズ2」9話は過去最高に”優しすぎる世界”だった。 - けものつれづれ
https://ironyart.hatenablog.com/entry/2019/03/14/090915
3%のフレンズが愉快犯ではなく実在していたことに驚きつつ、その感想視点がイエイヌの扱いという一面からでしかなかったので、より多方面にわたる、わたしの9話に対するツッコミを書き記したいと思います。
いつ壊れたの?何が起きたの?ピエール瀧がやってきて壊してくれたの?2話でも同じ過ちを犯してたよね?
最初からそうしろよwww・・・という当然のツッコミに、どうあらがおうというのか。
「キュルルー!」とか言ってる時点で見えてるだろ。遠目に発見しろよ。足元だったらせめて「あっ!」って言ってから見つけろ。
もうちょっと遅さを強調するカメラアングルと「間」を入れてから言わせたほうがおもしろかったのでは。
なんで「イエイヌ」って直接言わないのか、恐そうに紹介しちゃうのか、さらにはこれまで暴力的な手段も辞さなかったのか。せめて「視聴者のドキドキを高めるため」以外の、あとですっきり納得できる理由を用意しておくのが脚本の仕事では?
ご主人様をけなげに待つイエイヌとしては、強そうなオッドな黒縁おめめは合わないのでは?このデザインのイエイヌがアプリ時代からいたのだとしたら、この外観のキャラにこのエピソードがそぐわないのでは?
唐突やろ・・・。手に取ってすぐ退場しちゃうから余計視聴者が置いてけぼりになる。せめてその場ですぐ開けて食べてくれ。
天真爛漫なサーバルちゃんの割に、わかりやすいきっかけや手がかりもなしに、深い推測が走りすぎてない・・・?
電池アイコンにバッテンとかならまだ「お子様」視聴者にもわかりやすかったのでは・・・?お子様を無視するにしても、オトナ目線からもそもそもユニバーサルデザインにしとけよと思う。
遅い。でも食べるシーンがあって本当によかった。唐突なものを登場させたら、すぐ説明!
センちゃんたちは、なんで意味もなく敵対的なんですかね・・・?自分たちにも依頼主にも悪気はないのに、敵対する意味なくない・・・?
かわいい(´ω`)
「口にくわえて持ってくるのは不自然だから・・・かな・・・違和感あるけど・・・まあしょうがないのかな・・・」と、いうような妥協感を読者に与えないような工夫はできなかったのかな?
個人的には「カラカルは小学生の道徳教材に出てくるような(後に改心する)子なんだ」と理解したけど、顧客が求めていたものとは違うよね。そこは善意に解釈すれば、監督は承知の上のようだけど。
「ボクのほうこそ心配かけこそごめんね」だろそこは。しかももっと早いタイミングで。このあたり、とにかく登場人物たちの感情の流れがめちゃくちゃ。誰にも感情移入できない。
完全に道徳教材やNHK教育のちびっ子番組の流れ。でもな、オレらが求めているものとは違うんだ。
大胆すぎない?そういう提案はもうちょっと状況を飲み込んでからにしたら・・・?
いや、そういう優しさ持ってるなら、カラカルの話をもっと聞いてあげなよ・・・
イエイヌのセリフとの繋がりがご都合過ぎてひどい。「中にはその逆もいますけど」まではもっと普通のテンションで話した上で、遠吠えを聞いてから「あっ、噂をすれば!」と驚くべき。
侵入してくるんじゃないかと心配する視聴者をよそに平然としている。だったらもっともっと遠くの方で聞こえる程度の遠吠えにしてほしかった。
近くにいるならサーバルたちにも聞こえるやろ。サーバルに聞こえてないなら、少なくともいま家を出ちゃうキュルルのほうが危険やろ。せめてそういう疑問や不安について納得できる材料を視聴者にくれよ。せめて、遠吠えが複数回聞こえた上で、「サーバルたちが歩いて行った方向に移動しているようだ!」とか。そして、(とっても強いという話の)イエイヌをいっしょに来るように連れ出す、とか。
BGMも相まって、直前の緊張感がいったん解きほぐれてしまう。このシーンは、遠吠えよりも前に挟むべきだったのでは?
いや、善意に解釈すれば、サーバルが「カラカルがキュルルと仲直りするきっかけはないかなぁ・・・」と考えていたら思い出したと解釈できるけど、単純にトラクターまでたどり着いてから目で見て発見するほうが自然じゃろ?意味のない不自然さは罪やぞ。
イエイヌ擁護派多いけどワイはこのセリフは許さんよ。そして「キュルルの身の安全のために、敢えて思ってもないことを言っただけ」という擁護は通じない。逆に、そこまで言わせるなら、もっともっとせっぱ詰まった極限状況まで緊迫感を作っておかないとダメだ。
もっと警告らしい音出せ。
一撃でダメージ受けすぎやろ・・・。あそこまでボロボロにするならもっと格闘させろ。作画がしんどいならせめて「激しい格闘の末に・・・」と伝わるシーンを挟め。
あのさあ・・・。これまでのシリアス感はなんだったわけ?コミカルにしたいの?まさかずっとコミカルのつもりだったの?
強敵感の無さよ。ゴリラなどの精鋭揃いだった5話でもみんなで逃げ出したビーストなのに、カラカルとサーバルだけであっさり追い払えるの?少なくともセルリアンよりはるかに強い、ひょっとするとラスボス級かもという認識だったけど、今後ビーストの怖さをどう捉えたらいいの?
さっき起きてたやん。倒すなら倒れるシーン挟めよ。
急すぎる。子供はもちろんふつうのオトナでも共感が追いつかない。(高尚な3%のオトナにしか刺さらない)
イエイヌちゃんのこれからが不憫すぎない・・・?せめて、せめて、イエイヌの心情変化やキュルル側の心情ももっと描いてあげて、「心にしみる別れ」をもっともっと演出してあげないと、急すぎるイエイヌの涙だけじゃ、とても報われない。
冷たすぎる。そりゃ大切なものだし失望するのはわかるけど、届けようとしてくれた善意に対する感謝の気持ちがあれば、そんな第一声は出てこないやろ・・・。ましてそっからギスギスし始めるなんて論外オブザ論外。せめてせめて、語尾や言い回しを少し変えるだけで、コミカルなケンカに仕上げることもできていた気もするが、そうはなっていない。
以上です。