はてなキーワード: NHK教育とは
さっき「択・愛」が薦められてて目を瞠った。
そうあのゲームは、ややマイナーなゲームだけど、恋愛観が凄くて、柔らかい絵柄の恋愛シミュレーションなのに想像もしない衝撃を、臓物にガツンと来る重い感情を覚えた。
プレイ後に暗い気持ちにはならないから是非やってみて。恋愛の価値観に大きな変化があると思う。
マジでこれ本当に180°恋愛観が変わるから匿名の馬の骨に騙されたと思ってプレイしてほしい。(ただし序盤はミソジニーが育まれる怖れもある。全部を無考えに鵜呑みにするプレイヤーにはオススメしない)
恋愛観に大きな変化を与えた作品、私の人生を振り返ってみて、何かあるかな…。
『アリス探偵局』
幼い頃にNHK教育でやってたアニメ。当時はボンヤリと恋愛は男性がリードするものだと思ってたから、年下のお弟みたいな主人公のイナバくんと、スペックで大体上回る姉ポジションのアリスちゃんの組み合わせに驚いたし、恋愛的な好意を抱いてる対象じゃないのに関係性が少しずつ近づいてくのが新鮮だった。縛られて海に落とされたアリスちゃんを決死で助けに飛び込むイナバくんに男らしさのギャップを感じて、何故かちょっと泣いてしまったのを覚えてる。
主人公ふたりの恋愛関係じゃなく、互恵関係っていう距離感が新しかったし、お互いを利用しあってるからこその独特な信頼関係があって、ああ別に男女って恋仲じゃなくてもアリなんだ。こんな関係性もあり得るんだ、と衝撃を受けた。
皆さんには、読書とかアニメとかで自分が当事者でない安全圏にいるはずなのに、恋愛観を大きくシフトさせられた瞬間ってありますか。
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追記・元は孤独耐性の無さに気づいて恋愛を始める弱者男性への「実際の恋愛の役に立つオススメフィクション募集」への回答でした。そちらも答えてあげてね。
・林の間に列車が見えた
公民館の広場で遊んでいたとき、標高300メートルの裏山の尾根付近の林の間に列車が行くのが見えた。
林業用のレールとかではなく、大き目な客車か舗装道路を行く揺れてない自動車が連なったみたいなもの。登山道はない。
・木が話してるのを見た
当時、NHK教育の着ぐるみが出てくる子ども向けの夕方の番組で木が話すキャラ(ゼルダの伝説のデクの樹様みたいな)がいて、こういうのがいたら怖いな、と思っていた。
姉と姉の友達と神社で遊んでて、自分一人だけ歩くのが遅れて階段から降りてると脇に生えてる木があって、これが話したら怖い怖いと思ってたら、2本の木が急に悪口を話しはじめた。
内容は覚えてなくてただ悪口の口調だとわかって、穴みたいな目と口があった。
先に行った姉に「なんて言ったの?(←木の声を私の声だと思って?)」と言われたから幻聴ではない感じがしてあれは何だったのか、と今も思う。
今ウチで所有してる檜と杉ばっかりな山が10か所以上あるのだけど、昭和初期以前は口約束で境界線を引いたり自分たちが勝手に作った紙切れで売り買いして、境界線があいまいで複雑になってる、そういう全国によくある山。
それで地籍調査を全国でやるってなって、10数年前もウチの山を地籍調査しますってなったわけ。地籍調査は隣接する境界線を相手と確認して自分で杭打ちとかする必要ある。
相手方はどこも高齢で後で確認するから勝手に杭打ちしといてくれと言うから親父は週末に一人で杭打ちに行くんだけど、ある日青ざめて帰ってきた。
夕方遅く、懐中電灯みたいな明かりが見えたから誰かいると思って近づいても離れていくし、離れても追ってくるし、手で持った懐中電灯の揺らぎもないし、足音もなく声かけても返事もない、道路に出るまで一定の距離で追ってきたから逃げてきたって。
長らく子供向け、それもサイズがトドラーサイズ(100~130cm/どうぶつの森や鬼滅の刃など一部除く)しかなかったのだが、最近大人用のが発売された。
ただ、プリントがトドラーサイズみたいに派手ではなく地味すぎるのが気に入らない。色も黒っぽいのしかないし。
もっと子供用と同じ原色!でかでかとしたキャラプリント!意味のないフリフリ!袖には謎英字!みたいなキッチュなデザインにしてほしい。
自分も光るパジャマには憧れを抱いていたが、それは子供服特有のキッチュなデザインがたまらなくすきだからだ。
自分もキッチュな光るパジャマを着れば「わーい!プリキュア(=戦隊・ライダー)のパジャマだ!かわいい!きもちいい!」と幼女気分になれるだろう。
実際人がいないすきに子供服売り場によって光るパジャマを2秒ぐらい触ってはそういう妄想をすることもある。ただ、目撃されたらその時点で人生終了だ。
ただそういうことを公共の場でするのは問題が大きいので、帰ってインターネットの子供服店でパジャマの画像を探し、それを着ているところを妄想することが多い。
実際それで抜いたことは少なく見積もっても15年で100回ぐらいはあると思う。多分一番最初にそれで抜いたのは中3のころやっていた『ボウケンジャー』で放送されていた「フォトプリパジャマ」のCMだ。
CMに映っている男の子になりきり「今僕は大好きな『ボウケンジャー』のパジャマを着ているんだ!」という設定で抜いた。
パジャマの肌触り、締め付けるゴム、自分の視界から見るボウケンジャーのプリントといったものを思い浮かべてした。ついでに出ていた男の子には興味はない。男の子になりきり「パジャマを着る」という状態に性的欲求を抱くのだ。
自分は2000年代~2010年代序盤の、キッチュなデザインのこども用パジャマが大好きだ。それは自分が性欲猿だった中高生時代に触れたパジャマだからだ。
パジャマ自体には幼稚園の年長から30年近く性的に欲情していた。小学1年のころにはすでに親の子供服カタログを盗んで、部屋の中で一人子供服パジャマの姿を見て「おちんちんが大きくなって気持ちいい」ってお耽美していた。
その後も小学校卒業まではそれらに掲載された写真を見ては勃起して気持ちよさを味わっていた。そして中学の時にはそれをおかずについに精通。
精通するころにはすでに「パジャマを着ている妄想をすると気持ちいい」って境地に達していた。それ以降子供服のパジャマを着ているところを妄想して性欲を発散するマシーンが誕生した。
しかし残酷なことに大人になっても子供服のパジャマ、それも性欲盛んな頃によく目にしたキッチュなデザインのそれにしか興奮できなくなっていた。
一方子供服のパジャマのトレンドは2010年代中盤以降急速に変化し続け、ここ5~6年ぐらいは大人の普段着と変わらないほどの洗練したデザインのものが主流となっている。
大人向け(紳士向け)パジャマでもキッチュなデザインはごくたまにあるが、それは道頓堀の底をさらって砂金を探すのと同じぐらい難しい。結局2010年ごろまで集めたパジャマの写真とかを見て抜くしかないのだ。
そんな自分に唯一残された希望、それが光るパジャマである。光るパジャマも『鬼滅の刃』は『呪術廻戦』のようなジュニアサイズ(130~150cm)のだとデザインの洗練化にあらがえず無味乾燥なデザインになりつつある。
ただ、トドラーサイズのだとまだキッチュなデザインのままだ。願わくばキッチュなデザインのパジャマをゆったりとした形で着たい。
そういう意味で、バンダイさんにはキッチュなデザインの大人用光るパジャマの販売を検討していただきたい。もっというなら2010年代初期ぐらいの「比較的ゆったりとしたデザイン」を希望したい。
じつはどうもある時期(2016年ごろ)を境にゆったりとしたデザインから(同じサイズでも)肌とより密着したデザインに変わっているっぽいのだ。
アメリカでは子供向けパジャマは安全性の観点から肌と密着した形で販売するようにという基準があるが(参照)、それとあわせたのだろうか。
とはいえ自分の好みからは大きく乖離するし、大人向けの話である。再考を促したい。
ついでに不逞の輩がやる「(明らかにサイズの合わない)ぱっつんぱっつんの『光るパジャマ』を着る」というのは邪道ですらなく、パジャマの持ち味を完全に棄損するバカげた真似だ。こんなので気持ちよくなるほど俺は落ちぶれてはいない。
【余談】
自分が高校1年だった2007年12月、当時やっていた『仮面ライダー電王』の光るパジャマのCMのことが突如頭から離れなくなったことがある。
しかもその時は期末テストの最中。ムラムラギンギンではテストどころではない。幸い赤点は回避できたが、あの時のムラムラギンギンしながら頭は焦りまくった状態は今でも忘れられない。
ついでに『仮面ライダー電王』は当時面白さを全く感じなかった。同期の『ゲキレンジャー』『セブンX』『ハニー THE LIVE』はかなり面白かったのに。
【余談2】
いやいや、「男は性欲の狼」が事実だとしてもさ。
まずNHK教育の放送なんだから内容が教育以外の何物でもないのは、議論の余地はないだろ。
そのNHK教育が子どもに向かって「男は狼」と教えちゃうのはどうなんだ、って話よ。
ボクって狼なんだ… とセルフネグレクト的な自己認識をインストールされたとしてもおかしくない。
女子の視聴者にしても、男だって理由だけで危険因子として予防的に排斥する振る舞いをするように育つかもしれない。
SNSもない昔の時代だから炎上もしないで許されてただけでしょ。
43歳です。
考えることを大事にすれば、暗記に頼らなくてもなどと考えていた記憶がありますが、あの頃に使っていた考え方のパターンはもうおおむね忘れてしまいました。
いろんなことがうろ覚えの彼方なのに、さらに時をさかのぼった子供のころに視聴した、NHK教育の番組のオープニングテーマなんかをやけにはっきり覚えていたりします。
「なりたいな、なれるかな、なりたいけれど足りないな、知恵も力も足りないな、でも今すぐなりたい!回れよ地球、はたらく人になりたいな」
自分のこういう記憶力の在り方が気持ち悪いと思いながら、だんだん愛せる年齢に差し掛かってきました。
はたらくふりはしているけれど、はたらけているかは定かじゃない。足りないものはずっと足りないまま。
そんな気持ちにはお構いなしに、それでも地球は回っていて、コペルニクス的驚きとかとくに伴いません。
増田と同世代だけど、親のエゴを押し付けられてた子はやっぱ徐々に歪んでいってた。
対象のおもちゃが欲しすぎるあまり盗癖に発展して、ボコスカにいじめられてたりさ。
高学年になってもテレビはNHK教育のみ、映画は児童向け古典のみ(戦前ディズニー,オズの魔法使いetc)、
本は古典児童文学のみ、ゲーム原則禁止の子居たけど、普段からディズニー映画やミュージカルか
何かを模したような妙に明朗な喋り方で、大人が喜ぶような美辞麗句しか発言しないので本当に異様な感じだった。
そのまま年を重ねるごとにどんどん歪み続けて、最後は地域一帯で知らぬ者がいない位の奇人に育ってしまったな。
人の顔がわからない。他人を顔で見分けるのがとても苦手だという意味である。
全く顔がわからないわけでは無いので、相貌失認症とかいうのとはまた違う。身近な人などの顔ならなんとか覚えられるのだけれど、初対面の人やテレビの芸能人などはよっぽどで無い限り顔を覚えられないのだ。
例えば、NHK教育のうたのおねえさんとダンスのおねえさんの見分けがつかない。もちろんうたのおにいさんとダンスのおにいさんの見分けもつかない。NHKの朝の番組に出てくる子役の子も、番組が違えば別人だということは夫に言われて初めてそうなんだと気がついたが、やはり見分けがつかないので同じ子役の子に見える。
ドラマを見るのも苦手だ。人の見分けがつかないからすぐに話が混乱する。この間酒癖50というドラマの1話を見たけれど、小出恵介氏と浅香航大氏の見分けがつかずに非常に混乱したし、この文章を書くために役者さんを調べてみたけれどやっぱり顔ではピンとこないのでなんとも。役者さんはみんな阿部寛氏みたいなわかりやすい顔になってほしい。
答え:「ある」 ただし、間接的に
『企業vtuberは女性による自己実現ではない』のは当たり前です。企業Vtuberは企業が創作した架空のキャラクターなので、自己も自我もありません。なのでキャラクターが男性だろうが女性だろうが自己実現のしようがありません。まずは現実と創作の区別をつけましょう。それとも、架空のキャラクターにも人権があって〜みたいな電波な話をしたいのかな。君、ワクチンを打つと5Gに繋がるとか信じてそうね
当たり前のことですが、架空のキャラクター、浦島太郎とかかぐや姫には人権はありませんし、自己も自我もありません。しかし、十全な人格・人権を有する自然人とキャラクターの間というのは、そんなにはっきり見分けられるのでしょうか?
たとえば、架空のキャラクターであっても、竈門炭治郎や両津勘吉になると、著作権者の著作人格権があるので、取り扱い方によっては著作者の人格を害する可能性はあります。これらのキャラクターの画像を勝手に修正したり、風俗店の看板に使えば、著作人格権の侵害になるでしょう。
次に、芸能人について考えましょう。例えば、所ジョージはある種のキャラクターであり、芳賀隆之氏ではありません。しかし、「所ジョージは実は犯罪者だ!」と公言すれば、間違いなく名誉棄損になり、民事では芳賀隆之氏(またはその代理人)から訴状が届くことになります。
もう少し考えてみましょう。NHK教育で放送されていた「つくってあそぼ」の主役の「ワクワクさん」というキャラクターのことは皆さんもご存知でしょう。タレントの久保田雅人氏が演じるワクワクさんは、明らかに番組のために創作されたキャラクターです。しかし、実際のところ、久保田雅人氏のタレント活動は「ワクワクさん」としてのものがほとんどであり、「タレント久保田雅人」と「ワクワクさん」に対して、どこまで別の存在だと言い切ることができるのかは判然としません。
別の例を見てみましょう、パペットマペットという芸人、あるいはコンビがいます。これは、実際に操作しているのは、後ろの黒子ですが、表に出ているキャラクターは「うし」と「かえる」です。この、本名も顔もわからない黒子にとって「うし」と「かえる」は単なるキャラクターなのでしょうか? 黒子と「うし」や「かえる」は人格的に密接な繋がりがあり、「うし」や「かえる」を否定することは、黒子の人格を否定していると判断される可能性は十分にあります。
ここで、VTuberを見てみましょう。多くのVTuberは中の人とキャラクターの間に密接な人格的つながりがあります。VTuberは、セリフのあるお芝居ではなく、シナリオの無いトークライブやゲーム実況といった、本人の人格が反映されたタレントとしての活動が中心であり、キャラクターと言うよりは、3Dの着ぐるみを着たタレントと言うべき存在です。
このように考えると、自己も自我も人権もある中の人の人格を反映させたVTuberというのは、間接的に自己も自我も人権もあると言えるのです。