はてなキーワード: 軽蔑とは
もちろん殺してはいないし危害も加えていないので。その点は理解して。
しかもあれがいわゆる殺意というものなのかは全く分からないが。
そいつとは小学校高学年のとき、同じ塾に通っていたが中高は別のところに行った。だから6年ぶりに同じところに通うことになったことになる。
ただ、首謀者はそいつではなく、小学校も同じところに通っていたやつ。
10年近くたった今でも、夜中に思い出して一人で泣いてしまうときもある。
まあそのことは良い。
話を大学にもどす。アルバイトの仲間で遊びに行ったときのことだが、
その時、そいつが私に笑いながらいった。
「そういえば昔、塾通ってた時増田を外に閉めだしたことあるよね」
ああ、そうだ。正確には外ではないが狭い倉庫のようなところに閉じ込められたことがある。
その時は携帯電話を持っていたので塾に電話をし、先生に出してもらったのを覚えている。
あれは自分の中でもかなりショッキングなことだったので、思い出したくない、
思い出したら泣くレベルのエクストリーム体験だったのでその時泣きはしなかったが、かなり動揺をした。
そのあとの話は全く覚えていない。
ただ覚えているのが、自分の中に眠れる中二病が蘇ってしまったのか、手元にあったフォークを相手に突き刺そうと手が動いたことだった。
いや、動いてない。たぶん手に取っただけ。そんなことは私にできるわけがない。でも確かに感じたのが殺意というか、いなくなってほしいという感情。それは確か。
そして家に帰って一人で過ごしているとき、その出来事を思い出すと怒りがふつふつとわいてきて、そのうちそれはそいつに対する軽蔑に変わった。
状況を考えて話してほしくないこととわからないのか。 私を閉じ込めたのに?
いや、そもそもいじめと認識していないのか。 そんなことも考えられないの?
想像力なさすぎw そんな頭だからお前は忙しい自慢しかできないんですねわかります
とかそんな思考が頭を駆け巡ったのち、またなぜか泣いてしまった。
悲しいわけではないが、なぜか涙が出てしまうのはちょっと自分でも理由はわからない。
ただ、そういうことを躊躇なく言ってくるそいつとは関わりたくないし、これからはないだろう。
そんな風に(これは特殊かもしれないが)いじめは終わってから時間がたっても被害者は被害者のまま(という感覚が永続する)。
それもかなりの苦しさを伴ったフラッシュバックを繰り返す。
いじめという事象そのものの原因は、確かにいじめられたほうにもあるときはあると思う。
でも、やはりいかに被害者に非があったとしても、いじめはそれ自身があったときだけで終わらないし、
むしろそのあとの苦しみが大きいことを知ってほしい。
だから、自分も含めた被害者からすれば、少なくとも私は、自分にその責任が微塵もあるとは思えない。
そのことはいじめられる方も悪いと思っている人に知ってほしいし、
この件。
http://www.kokusen.go.jp/hanrei/data/201712_1.html
私は法律のシロートなんで、法律の読み方が間違ってたら教えてほしいんだけど、そもそもこの裁判は、
が争点じゃなくて、あくまで
が争点ってことでいいんだよね? で、判決はBについて明確にNOと言っている。OK、それはわかった。女性専用車両は男性差別ではない。
でもAについては何も言ってないよね?
かかる状況に鑑みると、Yが女性専用車両について、健常な成人男性も乗車することができる旨をあえて掲示せず、これを「女性専用車」であり、女性および小学生以下または身体の不自由な人(その介助者を含む)が乗車するための専用車両であると掲示したことをもって、女性専用車両の表示に関するYの裁量権を逸脱した違法なものと評価することは相当でないし、これが社会的相当性を欠いた、男性の乗客に対する不法行為を構成するということもできない。
ってつまり、「鉄道会社が『健常な成人男性も乗れるんだけど、いちいち説明するのがめんどいからまるで健常な成人男性は乗れないかのような表現をした』ことは違法ではない」ってことだよね?
そうすると、公共交通機関である本件鉄道を運行する会社であり、かつ自ら同車両を設定したYには、現に同車両に乗車する乗客の不安感を払拭(ふっしょく)するため最大限の行為を行うことがむしろ期待されているというべきであって、そのためにはXらに対しある程度強い説得行為が行われたとしても、これをもって直ちに社会的相当性を逸脱した行為と断ずることはできない。そして、一部の鉄道警察隊員が、女性専用車両に乗車中のXらに対して、「駅長さんの要請があれば、あなた方を逮捕しますからね」などとXらにとって必ずしも穏当とはいえない発言をした事実は認められるが、上記のとおりの状況下において、この事実から直ちに鉄道警察隊の行為が不法行為上の違法性を有するものと認めることはできないし、他にYの従業員や鉄道警察隊員が有形力を行使して、Xらをc駅で下車させたと認めるに足りる証拠はない。また、Yまたは鉄道警察隊において、Xを犯罪者として扱ったと認めるべき証拠もないから、かかる事実を前提とするXの主張も採用することはできない。
これは、「鉄道会社が実際に乗り込んだ男性を多少強い言葉で脅しつけても違法ではないし、無理やり引きずり下ろしたり実際に留置場にブチ込んだわけじゃないから違法じゃない」ってことだよね?
ということは実際に男性が逮捕されたりしたら別の話になるのでは???
なお、「出てけと言われたのに出ていかない」ことは不退去罪という犯罪だけど、これって民家や商店には適用できるかもしれないけど公共交通機関である鉄道に適用できるのかな。今ざっと鉄道事業法の条文眺めてみたけど、「乗車を拒んではならない」みたいな条文は見当たらなかった(見落としてるだけとか、別の法律に書いてあるとかだったら指摘してほしい)。
たとえば旅館業法には「客が伝染病患者だったりギャンブラーだったり客室に空きがないとき以外は宿泊を拒否しちゃ駄目よ」という条文がある。仮に、「部屋に余裕があり、予約で埋まっているわけでもなく、伝染病患者でもギャンブラーでもない、きちんとお金を持ってきている客が、俺を泊まらせないのはおかしいとホテルのロビーにいつまでも居座っている」という場合って、不退去罪に相当するの? この仮想の設例ではホテル側がその客を泊まらせないことが違法なわけだから、不退去罪じゃないだろと思うんだけど、法律の専門家じゃないからわからないので誰か教えてほしい。
で、公共交通機関で不退去罪って適用できるのかしら。キセル乗車とか、自由席の切符でグリーン車に乗ってるとかいうわけでもなく、正規の運賃を払って普通の車両に乗っているだけだよね。実際に痴漢をしていたら捕まえられるけど、単に乗ってるだけ、って状況だよね。これに対して「出ていけ」と言っていいの? 言えないの?
「出ていけ」と言っていいんだとしたら、鉄道会社がやろうと思えば「日本人専用車両」とかも作って外国人を排除したとして、それも適法ということになるの? 気になって調べてみたけど、障害者差別解消法はあるけど、性差別・民族差別はないよね(というか、ないからこそ、「女性お断りの居酒屋」や「男性禁止のプリクラ」が存続を許されてるわけで)。実際にそんな馬鹿なことやる業者はいないと思うけど、仮にやる馬鹿が出た時にどうなるのかは知りたい。民事で民族差別として賠償金を科されるだろうとは思うけど……←全ての法律の根本である憲法で人種差別・性差別を禁止してますね。猛省。でも「私企業なんだから女性専用でもいいでしょ」を認めるなら「私企業なんだから日本人専用でもいいでしょ」も通っちゃうんじゃない、って思うんだけど、その辺どうなんでしょ。
仮に「出ていけ」と言うことができないなら、
ってことになるよね?
私は女性専用車両に集団で乗り込んでやろうとかそういうことやってる連中は軽蔑するし、○ねばいいのにと思うけど、それは私の感情の問題であり、法律上乗る権利があるなら彼らが乗ることは許容するしかないんじゃないかなと思う。日本は法治国家であり自由主義社会なので(「犯罪でなければ何をしてもいい教」って書いてる人がいたけど、当たり前でしょ、としか言えない。マナーに反する振る舞いだろうが人を不愉快にさせる行為だろうが法に反してなければやる分には自由に決まってるでしょ。それをやったら友達を失くす、というのと、それをやったら警察に捕まる、は全然違う)。クチャラーは迷惑だし友達がそうだったらお付き合いを考え直したいけど口開けてもの咀嚼することは別に違法じゃないよね、というレベルの話なんだとしたら納得するし、実は違法だという話なら根拠を教えてほしいなと思う。私はクチャラー嫌いだし飲食店で隣の席に座ってほしくないけど、クチャラーが犯罪者として扱われたり根拠もなく公共の場所から追い出されるような社会には反対する。
女性が性暴力の恐怖に晒されていることには本当に気の毒に思うし、女性専用車両が最もコストのかからない解決であることも理解できるけど、それは差別なのでは? という問いにも根拠があるように思えるし、
なのか、
なのか、
なのか、はっきりさせてほしいな、と思う。どれなのかで、私の採るべき態度は変わるので。
完全に遊ばれた。よくある話なのかもしれない。でも、私は凄く傷付いた。今でも辛い。
ヤリ捨てされたけど、人間関係は何も変わってないし、表面的には何も失ってないけど、実際はすり減ってるよって話。
簡単にサマると、一時の快楽に流されて都合のいい女になり、簡単に捨てられて死にたい&殺したい感情で辛い、という私が一番軽蔑していたバカ女に、私もなってしまった。
思い出したくないし、今でも辛い。他の人がどうやって乗り越えてるのか教えてほしい。
なんとか立ち直りたくてググって同じ状況の人を探したところ、たくさんいた。そこでの返信コメントで 「何も失ってないじゃん。」「何もないよりマシ。」みたいな意見が多数あった。
物理的にはそうかもしれない。私も実際にその体験によって崩れた人間関係もない。
でも確実に何かは失った。
それは例えば自分自身の自尊心だったり、他人への信頼だったり。
ずっと真面目ないい子で生きてきたのに人生で初めて殺したいと思った。
こんなに人を憎むことが私の人生に訪れるなんて思っていなかった。
小さな女の子をあやしてるイクメンを見るだけでも思い出して憎らしくなってくる。
捨てられたけど、いまだに顔を合わせざるを得ない状況にいるから、また誘われないかなって願ってる。
抱かれたいからじゃなくてこっぴどく断って傷付けてやりたい。
そのためにもいい女になりたい。
これまで誰にも同感してもらえなかったけど、金的を食らって悶絶する男性に欲情する。
ガールズトークでも理解されないし、旦那にも言ったことはない。けど、小さいころからずっと欲情していた。
ネットで検索したら金的攻撃に萌えるスレっていうのがあったけど同性愛の男性向けだった。
そうじゃなくて女性が男性の金的に萌えることはないのか、確認したい。
男子に「ここ蹴ってみ」と言われ、言われた通りに蹴ってみたら、男子は「おふう、あは、ふうっ」とうめきながら地面でのたうち回るのだ。
普段偉そうな男子のその姿に、軽蔑より疑問より、わたしは欲情を覚えた。
アニメを見ていても男子キャラが股間を打って悶絶するシーンには常にムラムラしていた。
どんなに強いキャラでも、金的さえ打ってしまえばみんななりふりかまわず悶絶して呻き声をあげてプライドもかなぐり捨てて痛がっている。
そんなみじめな姿にわたしは笑いと同等以上の欲情を覚えていた。
体育の時間は楽しみだった。
鉄棒に玉を打ったり、ドッジボールで股間でボールをキャッチしたり、跳び箱で股間を打ったり、水泳で間違えて男子のあそこを蹴り飛ばしてしまったり。
男子が悶絶する姿を見るのが楽しみだった。
いつも何かのアクシデントで股間を打つ男子がいるので、それを見るのが楽しみだった。
大縄跳びで股間を打つ男子、綱引きで股間を挟まれたまま引っ張られる男子、平均台から落ちて金的に直撃する男子、そしてそのたびに聞こえる苦悶の悲鳴。
「お〇ん〇ん打ったーーー!!」という叫びが体育館に響き渡り、私の視線はすばやくその姿に向かった。
内股であそこを押さえて涙目になっている男子。いつもはあんなに偉そうなのに。体も大きくてクラスのリーダー的存在なのに。
あわれとも言うべきその姿に、私の目はくぎ付けになっていた。
体育の授業のたび、誰かしらの男子は股間を強打していた。その姿にひそかに昔から欲情していた。
学年が進むにつれてそういったアクシデントが減っていくのが残念で仕方なかった。
日本より海外の方が金的のバリエーション、リアクションも多かった。
しかし日本男子の歯を食いしばって痛みに耐える反応も捨てがたいものがあった。
高校球児が股間に球を食らって苦しみながらもプレーを継続する姿なんて最高だ。
念を押すが私は金的攻撃は「やってくれ」と頼まれたときしかしていない。
命にかかわる内臓であることは理解しているし、これからも自主的に金的攻撃はしないつもりだ。
しかしここで言いたいのは私は小さいころから金的に萌えて萌えて仕方がないのであり
生まれてこの方同様の嗜好を持つ女性に出会ったことが無いということだ。
自分より体の大きな男性が、こんな小さな「股間」を打たれるだけでくの字に身をくねらせて、「ああ、おう、うう」と呻き声を漏らして
足元にのたうち回る。
こんなみっともない姿に欲情して仕方がないのだ。
https://twitter.com/nakatsu_s/status/961229701162283008
https://twitter.com/Beriya/status/961753995403345920
その昔、ローマ帝国ではキリスト教徒がボロカスに軽蔑され弾圧されていた。ところが数百年後、ローマの貴族がみんなキリスト教徒になり、さらに数世紀が過ぎるとカトリック教会が異端をボコボコいじめるようになった。
俺が20代のころ(1990年代当時)、自分らは高級車とか高級ブランド品とかゴルフとか料亭とか興味なく、漫画やアニメやゲームが教養で、実際にゴルフとか料亭とか面白くもなんとも思えないけど、本当にそれでよいのか? と、ばくぜんとした疑問があった。
ゴルフとか料亭とかを「好きになる」必要はないんだろうけど、上の世代と付き合うための基礎教養って身につけてないと大人としてダメなんじゃないかという不安。
・
・
・
上記のツイート見ると、若いころの俺みたいな不安は必要なくなったみたいだけど、自分ら世代の方が抑圧者になってしまった、この居心地の悪さは何なのだろうか。
俺は今、中世のヨーロッパでキリスト教への改宗を拒否してゲルマンの神やケルトの神を拝んでいた連中の気持ちがわかるような気がしてる。
とか、なんか病んでるツイート繰り出してきて
ミュートにしようかどうか迷ってたら
しにたいしにたい
とかツイートしてて、しかもそのツイートに誰一人反応してなくて、
しにたい
とか悠長につぶやいてるけれど、言いたいことは「しにたい」じゃなくて「優しくしてぼくを構って!」とかそんなんだろ
とか思いつつ、
やっぱり心配で相変わらずミュートにできないままでいたら、嬉しそうにLINEスタンプがどうたらとか呟き始めて、安心しつつイライラ
本人にしか分からないけれど、深刻な状況だったら「しにたい」とか呟く余裕なさそうだし、構って欲しいからって安易に『死』を持ち出すその感覚が本当に理解できないし、軽蔑だわ
病みツイートする人はTPOわきまえてして欲しい。病みツイートしたくなったら紙に書いて、精神科に持って行けばいいんじゃないの?たぶん
私は二次創作が好きだ。
『自分の好きなキャラクターを、自由に表現すること』がいかに楽しいか、今日まで日々実感して生きている。
とあるジャンルで、私はAというキャラクターに出会った。かっこいい!少し厳しい所もあるけど主人公の頼れる兄貴分だ!かわいい!
Aの部下で相棒関係のBというキャラクターとも出会った。Bも理知的で、どこか抜けてる所もあってかわいい!Aへの忠誠心がたまらない!
私は腐女子なのでそういうキャラが2人いれば勿論そういう目で見る。
私はAもBも好きだった。ふたりのその関係性が好きだった。グッズもどちらも漁っていた。
幸いにも、仲間がいっぱいいた。AもBも脇役だけれどもA×Bで創作している人がいっぱい居たのだ。創作仲間がたくさんいる!私は嬉しかった。合同誌も描いたし小説も交換しあった。
しかし、私は段々とそのジャンルの人、そのCPの人と交流をしなくなっていってしまった。
みんな良い人だったのに。何故か。
理由は一つ。
『鬼畜なAと従順なB』『上司Aに振り回される部下B』『Bの美しさに息を呑み、虜になって無理やり犯すA』『Bが可愛すぎて暴走するA』
こんな作品ばっかりだったのだ。
みな口を揃えて『Bちゃんかわいい!』と言う。わかる。Bはかわいい。でもAは?相棒だしかっこいいしAもいいキャラだよ?だがある時1人から『Bにしか興味がない。Aはぶっちゃけどうでもいい。よく知らない。』と公言された。
まったく関係ない『D×E』が好きな人が現れた。私は最初この人とも、疎遠だが仲良くやっていた。A×Bに関係は無いが、D×Eも好きだったのだ。
だが彼女が嬉々として創作しはじめたのは、『Aに犯されて傷を負ったEを、Dが慰める』といったものだった。
Aは狡猾で人の心に付け入るレイパーで、可哀想なEきゅんの心の傷となる存在だった。
耐えられなくなった。
私はそのジャンルの人とは今ごく少数の人としか交流をしていない。Bだけが好きでAはどうでもいい!と公言せずにいる人、Aをレイパー扱いしない人だ。Bはお姫様で誰からも愛されると言わない人だ。
しかし、そんな人はごく少数で、相変わらずAは都合のいい鬼畜彼氏(笑)扱いばかりだ。
ここまでを平たく言えば、『二次創作の雰囲気に合わず、ジャンルを逃げ出した腐女子が愚痴ってる』という内容だ。
だが、私はそのジャンルに限らず上で挙げたような類の二次創作が大嫌いだ。
私は絶対に自分の作品で書かないようにしている。当て馬になるキャラにも好きな人は居る。そう思って、ヘイトが溜まるような創作はしない、欲を言えば書いてる作品に出したどのキャラのファンも楽しめるような作品にしたいと思っている。
私がこれが大嫌いな理由は『書きやすいから』、それだけに尽きる。
分かる、気持ちは痛いほど分かるよ。
私も中学生時代、Pixivをはじめて知った頃、書いていたのはそういった作品だった。
みんながそれを持て囃します、推しのキャラを奪い合います、攻めは無理やりにでも連れ去ります。ハッピーエンド!
紆余曲折はあれども、大体こんな感じだ。
それは推しのいいところを書け、と言われればおそらく100個くらいは余裕で書けるからだ。
そして、書いた良いところを作中で推し以外のキャラに言わせる。他のキャラは推しにメロメロ。
はい、これで受けちゃん可愛い可愛い小説の完成。とっても簡単!
創作をこなしていくにつれ、私は受けちゃん可愛い作品というものが虚しくなっていった。孤高の受けにアタックしては張飛ばされる攻めとかも。
どんなジャンル、どんなキャラクターで書いても似たような話ばかり描いている人もいる。寒気がした。
私はそういった作品を読み漁るのもやめた。そういったものを書いてる人も、軽蔑するようになった。思考停止した脳死作品だからだ。他のキャラクターに「推しキャラちゃんかわいい!」と言わせなければ魅力的に描けないからだ。
当て馬は他のキャラクターを挟まなければ自分の推しCPを魅力的に書けないからだ、受けちゃんを可哀想で可愛くするために使わないといけないからだ、と。
ここまで読んだ人へ
最初に言った通り、私は『好きなキャラクターを自由に表現できる二次創作』が好きだ。
そう、自由。
総受けだろうと総攻めだろうと当て馬だろうと自由。関係性が云々と言うのも自由。
だからこれは意識高い系腐女子(笑)の燻り言だ、誰にも明かさずに心に留めておくべきだったものだ。総受けと当て馬は思考停止した脳死作品だと内心罵倒して、お高くとまって居れば済む話だった。
『二次創作は自由だから』『他人の書いているものにまでとやかく言うな』
そう、コメントで言われるだろう。分かる。
だが、つい最近別ジャンルで私は同じような経験をした友人に出会った。その人もジャンル内で流れるCPの雰囲気に耐えきれずに去ってしまったらしい。これはそれを聞いて、この機会に今まで思っていたことを書いてみようと思いたった次第だ。
だからこれを読んでどうしろ、というわけでもない。有り難〜いアドバイスを言えるわけでもない。ただただ、二次創作の中で好きなキャラがそういう扱いを受けて許せなかった腐女子が愚痴を言って、そういう人間だから総受けと棒扱いと当て馬は大っ嫌いだし、傷つく人もいる。どんなキャラクターにだって好きな人はいる。
身バレ上等な内容、支離滅裂、纏まりがないが我慢の限界なので載せる。メモ書きのようなもの。
追記修正予定。
幼稚園小学校は特殊な私立で、中学は平均的な女子校に通っていた。
女子校から半男子校(私のクラスは男女ほぼ半々の割合)に移ったことから、様々な既成概念を覆されることになった。
私がこの記事を書くことにした理由は「男尊女卑」だの「性差別から逃れたいと疲れた女性」「痴漢冤罪を恐れる男性」を沢山見てきて疲れてしまったからだ。
私はその高校に進学してからすぐに、軽く犯罪めいた男子の言動により、元々快く思っていなかった女性性に拒否反応を示すようになってしまって、その後も色々あって今は制服をスラックスに変えてもらっている。「中性的」「アイツという生別」という認識を持って貰えて幾分生きやすくなっている。
髪も短いので、黙っていれば中学生男児には見えるだろうし、よく「最早男」とからかわれるくらいだ。
そんな私は、制服がまだスカートだった2年生の春を最後に痴漢に遭っていない。
むしろ制服や日常の服装を男性的に変更してから2度冤罪を食らっている。
「あなたの見た性別が私の性別」というスタンスなので、男子と勘違いされたらさせたままにしている。
人において重要なのは、英語でいうところのsexではなくgenderの方の性別、そしてsexualityだと思う。
私はNonbinaryのAsexual(どちらかというとQueerplatonic寄り)の人間だ。
自分を「性別がないもの」として考える。そして「性欲も恋愛的な感情を持つこともない」。
憧れはあるし、まだ若いから、将来心境の変化はあるかもしれない。
でも、今、自分自身のそれらを考えようとすると憂鬱な気持ちになる。
…最近話題の「女しかいない世界」、男性的職業、心の性別のズレによるいじり、痴漢、痴漢冤罪、強姦未遂。
程度は軽い方かもしれないが、私は全て経験してきた。
3年間の女子校時代、高校で取った土木・電気系の資格、女だと思われていれば絶対にその場に持ち出されないような猥雑な話題、尻を意思をもって這う手、「触りましたよね?」と話しかけてくる女性………………私を組み敷いて、「女性の君に抵抗はできない」と脅す中年男性。
…全ての道理が繋がらない。
ちぐはぐだ。
sex的男性、女性という括りは、トイレと浴場、体力的限界のある現場以外に、本来必要あるものとは思えない。
女性専用車両は関西で起きた痴漢による事件によって全国的に普及することとなった。
乗車率の高くなる平日の都会の電車で、女性、子供、障害を持っている方、つまり混雑から「弱者」を保護するための措置として存在している女性専用車両。
これは差別ではない。
女性や子供よりも、一般的に力のある男性と同じ水準に彼らを持っていくには、混雑時間帯の車両を1つくらい「専用」にしないと間に合わない。
そもそも痴漢がいなければ「女性」専用車両とはならなかったかもしれない。
もっと言えば、痴漢被害に遭うのは女性だけではないし、痴漢を冒すのが男性だけでもない。
「痴漢」は女性だけのものではないし、「痴漢冤罪」もまた男性だけのものではないのだ。
「痴漢」は「男性」なのではなく、「犯罪者」という括りになる。
ここの主語の違いが、差別だ、差別じゃない、の議論を生むことになる。
私は女性専用車両に賛成するし、女性だけの世界を片隅で考えてしまう気持ちもわかる。
また、冤罪に怯えるのも、男性を排斥せんとする思想に嫌悪感を示したくなるのもわかるのだ。
でも私はその議論が発生する時、どちら側にもいない。
必ずしも分けなければいけないものではないことを、はっきり大きな主語で分けることは、極めて危険なことである。
「痴漢をするのが男性だから男性を排除せよ」なんて、まるで全ての男性が悪、みたいな言い方をすることはないではないか。
それを突き詰めた時に発生する議論は、「人間という生物は犯罪を冒すから人間がダメ」だ。
それがおかしいのはわかるだろう?
「社会」「国家」「法」を持った人間については、人間がダメなのではなく、法の下の「犯罪者」がダメなのだ。
論点を誤り続けた先にあるのは、底無しの泥沼だけだ。
疲れる。疲れた。
2/4
思っていたより反応があって嬉しいです
一応言っておきますが女性専用車両が男性も一応乗れることは知ってます、見解を述べる上で最低限の下調べくらいしますから
「女性専用車両は男性も乗れる」ことと上に既に述べたことから女性専用車両は差別だとは思っていません
ここまで書いといてそんな議論展開するコメつくとか思ってませんでした
ちゃんと一字一句読んでたら思ってはいてもそんなコメント残さないと思うんですが生きてる年数の問題なんですかね?
増田は、なんか部屋をぬくくして、あったかいもん飲んで、おいしいもの食べて、のんびり風呂に入ってじっくり寝よう。
ずっと先で同じ道を走ってくれてる人だと思ってたらとっくに別レーンに移ってたって知って、そして同じレーンにいた痕跡さえ消していってしまったって、向こうに非が一切無いことがわかっててもそんなの受け止めにくいよ。だって、かなしいもん。
もう同じジャンルでその背中を見て走ることもできないって、すごくつらい。
「おかしいのは自分なんだけど」とか「わがままなのは自分だ」とか文面に何度も出てきてたけど、「自分ががっかりしていて本当にさみしい」ことまでそんなに無理に押し込めようとしなくていいと思う。
押し込めると「でも」って感情がわいてきて、増田の神に対する執着は余計に増田から離れてくれない気がする。
わがままでもいいじゃん。だって作家に凸するわけでもなく増田が思ってるだけなんだし。
あとなんかリプで「感想かいてないやつは嘆く資格がない」とかむちゃくちゃ言われてるけど、これはほんま気にしなくていい。
まじで全然気にしなくていいよ。
大体、「好きな対象に死んでも自分の存在を知られたくない」勢、同人じゃなくてもジャニとかでも山ほど見るし全然めずらしい欲望じゃないのに、なんでこの増田にだけ、的外れな推測してんのかわからん。「そんなに好きなのになぜ自分を隠し通したのか」って、何かを好きになった時にそういうしぐさになる人もいるからだよって返事にしかならなくないか?
作家がどうジャンル移動しても自由なら、ファンが作家をどう好きでどうアプローチするかもその対応にどう喜ぶか嘆くかも全部自由なんじゃないのか。
私は「感想を書いた方がいい」と思うけど、これは単に感想を書くとたのしいからで、作家のためじゃなく自分のために感想書いてる。
だから別に感想書いてるやつが、書いてないやつよりも対象を好きだとか対象になんか言う権利を持つとか、欠片も思わない。
そもそも、「感想を書いたりコミュニケーションを取った」からといって「作家がジャンル移動しなくなる」という確約はないでしょ……。
「作家のためにこっちが感想とかコミュニケ―ションコストを支払ってやってる」って考えでいたら、こういう作家がジャンル移動する時とか「あんなに応援してやったのに裏切りやがって!」っていう心理になりやすいし、危険が高い。
増田が神に感想いってたら今もっとすっきりしてたかというと、きっとたいして差はなかったか、下手したらもっとしんどかったと思う。
最近ツイッターとかほんとに顕著だけど、そんなに感想やコミュニケーションを万能にとらえないほうがいい。
全ての作家が感想さえあれば永遠にコンテンツ供給器になるわけじゃないし、どんなに作家をちやほやしたところで撤退するときは撤退するし、新しい萌えは交通事故だし、誰にもどうすることもできないよ。
あと、私は増田の文面を見て、仮に増田が感想を送っていても多分この神は移動してただろうなと思った。
送っても「嬉しい~」とはなっただろうけど「またA×Bの新しいもの書くぞ~」ってなるにはきっとC×Aに夢中だった時期だった気がする。
ただ、勝手に他者の動機を想像して、憤懣したり落胆したり軽蔑したり嘆いたりするのは、下品だし、
なによりめちゃくちゃ疲れるから、
できたら増田は神のTwitterは心が落ち着くまで見ないほうがいいと思う。でも難しいかな……。
まあ、とにかく増田は、
部屋をぬくくして!
あったかいもん飲んで!
おいしいもの食べて!
壊れた家庭を表現するために食事でコンビニ弁当が象徴的に使われることが多いなと感じた。
でも壊れている家庭って一見普通で、まともな事言ってる&やってるようでいて、よく見るとおかしいって感じだと思うんだけどな。
本人的には意識高くて頑張っているつもりだったりするから、コンビニ弁当なんて分りやすく不健康なものを軽蔑してそうなもんだけど。
成長期だからと女の子であろうと山盛りの白ご飯を毎日無理やり食べさせるとか
ルールを守るのが大事と言いながら、子供に息抜きとか言って酒飲ませたり
何かおかしいって感じなんだよな、変な家って。
むしろそういう家庭の妙な食生活から抜けてコンビニ弁当を食べられるって幸せだと思う。
多分これ監督とかが健康的な手作りの食生活が基本にあるから、コンビニ弁当が家庭崩壊のアイコンとして機能してるつもりなんだろうなと思った。
いや、泣いてないんだけどね。
私父親から体罰受けて育ったんですよ(唐突)。私だけでなく、母親も家庭内暴力受けてまして。母が父に蹴られて吹っ飛んでタンスに頭ぶつけて頭割れて縫ったこともあったなぁ(遠い目)。私もグラスで殴られて頭割ったなぁ(遠い目2回目)。
まぁこうやって思い出してもやっぱり胸がザワザワするぐらいキッツーな思い出、たんもりの我が父ですが、孫も生まれて自分も老けてすっかり角が取れ、優しい爺さんになりました。たまに実家に帰るともんげー厚く出迎えてくれますわ。
でもね、私父が普通に戻ってからもずーーーっと父が大嫌いだったんですよ。いやいや、少なくとも育てて貰ったんだから優しくしなきゃ、とかでもあんなこともされたこんなこともされたくそ、お前のせいで性格ねじ曲がった許せねぇとかね。うちなる天使と悪魔が戦い続けてた訳。丸くなった父に対してもなかなかこちらから優しくもできなかった訳。それほど不自然にツンケンもしてないけど、なんかあれば不親切な対応を取ってた訳。
はてなに限って見回しても、某トイアンナ女史とか、某ずんずん女史とか、某蜜の国の蜜さん(最近更新ないけど元気かな?)とか、某元鈴木さんとか、おしなべて自称毒親に育てられたけどわたくち頑張って生きてまちゅ☆やん?
でも、私それを読んでもイマイチしっくりこんかったのよねー。
いや30いくつの女が、今更今の自分の人生を親のせいにするのはどげんかぃね...ちゅーかんじで!
でも、つい最近私このモヤモヤした感情に名前を付けることに成功したの!(じゃじゃーん)それは、「あぁ、私もっと普通にあいして欲しかったなぁ」です!(えっへん)
私今まで父親に対して、憎しみと軽蔑が強かったのね。自分自身に関しても軽蔑(私はこんな暴力にさらされてしまうぐらい価値のない生き物)と憐憫(私は親に味方してもらえない憐れな生き物)が強かった。
でも、根元にあったのはもっと愛して欲しかった!という愛への渇望。(ピュアか。)これに気づけて私はすごーく楽になった。そっか、愛して欲しかったのかー、じゃあ過去は消せないけど、私がその分もこれから自分の息子を愛してあげよー、って素直に思えた。
これまでは父が憎い..あぁでも毒親(笑)に育てられたせいで歪んだ私の性格ではきっと同じようなことを息子にしてしまう...という呪いがかかってたのね。その呪いもとけた。
毒親とか言ってると、その定義からして、帰結するところは「憎い親と可哀想で哀れな私」だからね。でも、憎い親も可哀想で哀れな私も、必要ない。
これに気づけるまで30年かかったよ。ちなみに気づけたのはなんか昔の暴力を受けてるシーンがばぁーって夢に出てきて、それをそのまま目が覚めても覚えてて、横を見たら息子が寝ていて、アァ可愛い。って思ったんです。で、「あぁ、愛されたかったのか。もっと普通に愛されたかったなぁ」と素直に思えました。
暴力を受けて育つと、愛して欲しいなんて思えなくなるんすよ。あんな憎い奴、こっちが元からクソ嫌いだしね、って思うのよねん。まぁ多分嫌いな奴から暴力受けてると思った方が楽なんでしょうね。脳の意図的エラーでそう思い込んでしまう。その方が楽だから。
とゆー話。タイトルはその日の朝でした。
誰かの為になったら良いな。