はてなキーワード: 軽蔑とは
食糧事情とか作ってくれた人への感謝とかは関係ない。社会通念っていうか、マナーとかつつしみ・たしなみの問題。
家でやってても人前では鼻くそほじくらないのと同じ。行儀が悪いとされている、軽蔑されていることだからやらない。
てか、初めての店ならともかくファミレスとかなら食いきれる分量を予測して注文することなんかたやすいだろ、お前くらいのバカでも。
※長い
生まれて22年間彼氏ができたことがない。ここで私の容姿は客観的に判断しかねるので一旦置いておく。話の論点はそこじゃない。
好きな人ができて、告白して、でも振られたり、すごい癖のある変な人に好かれたことはあったけどお付き合いをして彼氏になってくれた人は1人もいなかった。もちろん処女。
でも残念なことにセックスにはすごい興味があった。自慰も中学生の頃からずっとしているし、AV、エロ漫画、TL漫画、BL漫画、R18二次創作もめちゃめちゃ読むし見るし、知識だけはめちゃくちゃ豊富。
もっと残念なのは「セックスしたいと男に思ってもらえるってことは女として認めてもらってるってことじゃん」と思っていたこと。自分はセックスしたことないから女として見てもらえてないんじゃないかと自信がなくて不安になってた。
今思えば別に22歳で処女なんて山ほどいるし、べつに焦る年齢でもないと思う。でもそれは処女じゃなくなったからこそ言えるのかも知れないし、別に後悔もしてないけど自分はまぁまぁ他人から見ればクズな考えをしているなと思った。
去年の9月ぐらいに急に思い立って18禁の出会い系サイトに登録。結構有名なサイトなだけに登録している人は多いし、いろんな人がいた。
私が処女喪失した相手は地元から新幹線で3時間かけて行かないといけない地域に住んでいる同い年の学生の男の子。1人旅行が好きだったから宿代わりにその子の家に泊まらせてもらった。後腐れなく別れたくて遊んだり一緒に食事はしなかった。
この子はすごく言い方が悪いけど「当たり」だったと思う。顔は別にかっこいいわけではないけど、清潔感もあるし何より優しくて終始女性向けAVみたいな感じだった。嘘だと思うけど「好き」「可愛い」と言ってくれたし、「女」として扱ってくれて自分はすごく満足だった。やっと女になれた気がした。満たされた。
この後何回か知らない男とセックスするけどこの子が一番優しかったし、一番私が満たされるセックスをしてくれた。
この時は知らない男とセックスしてしまったという罪悪感で半端なかったけど、それから出会い系で同年代の男とアポ取ってはセックスするという流れを何回もしてしまった。みんな奢ってくれるし、お金かからないし綺麗なラブホでセックスできるし、みんなちゃんとゴムつけてくれるし最高じゃん。と思っていた。でも必ず帰ってから罪悪感と虚無感に襲われて空っぽになる。またその空っぽを埋めようと思って知らない男とセックスする。ゴム付けてくれてるのなんてただ運が良かっただけだし、犯罪に巻き込まれてないのがおかしいぐらいだと思う。中には「知らない人とセックスしちゃうなんて悪い子だなぁ」なんて言いながらケツをペチペチ叩いてくるやつもいたけど、そいつの言ってることの方が100倍正しいと思う。
別にセックスが気持ち良いから繰り返しているわけじゃない。よく言われる「イク」という感覚には全くわからないままだし、今セックスをしている!!という雰囲気を感じるだけで濡れたし、だからセックスして女として認めてもらえる欲求を満たしてもらえて、この人は私とセックスしたいんだなと感じることの満足感を得るために繰り返したんだと思う。まだ私には見知らぬ男の人に性的な目で見られることの気持ち悪さがあまり理解できない。
恋人もできたことないのにセックスだけはそこら辺の友だちより回数を重ねている自分がどんどん気持ち悪くなって、挙げ句の果てに開き直っていっそのこと風俗で働くか!!って行動し、デリヘルの面接に行った。
その日に2人の客をとるけど「中に入れさせて」しか言わないジジイ。2人の客を取って無理な体位をしたせいで筋肉痛になって9000円。この仕事は自分には荷が重すぎたし、風俗で働いてる女の子たちに失礼な気がして仕事はトンズラした。失礼な気がしてるのにトンズラするあたりがクズ。
それから同じ生活を年末まで続けて、途中でめちゃくちゃ優しい出会い系の同い年の男の子に恋をするも「よく考えたら好きになっても向こうはセックスするしか考えてないじゃん」って目を覚ましてセックスして音信不通になった。
年が明けて私は一切の出会い系サイトを退会して、出会い系のためだけに使っていたカカオトークも削除した。今この世の中、何があるかわからないから、もしかしたらセックスした男がストーカーになって追いかけてくるかもしれないし、トンズラしたデリヘルの店長が家に来るかもしれないし、気づいていないだけで性病になっているかもしれない。私はこういう人間をなんと言うか知っている。「ビッチ」「ヤリマン」だ。学生時代その言葉が軽蔑する時に使う言葉だと知って、そういう噂のある女の子のことを軽蔑していたはずなのに。私は結局その道に進んでいた。
見えるものは全部消したけど自分の記憶には残っているし知らない男で処女を喪失したという事実は変わらない。
今でも無性にセックスしたくなる時があるけど、出会い系にいる男なんて所詮そんなレベルしかいなくて、自分も同じレベルなんだと思うと我慢ができるようになった。
もしどうしても同じ過ちを繰り返しそうになった時に読み返せるように自分の戒めのためにここに残しておく。誰かに叱ってもらいたくても、親にも友だちにも言えないから。
元増田ですけど、マナーの絶対的な正しさを肯定してるわけではありません、人前で共通認識を無視しその行為を正当化することは外目を気にしない姿勢を端的に示すもので、それがきっと他の場所でも現れてくるのでマナーを破る人を軽蔑すると書いたまでです
元増田ですけど、マナーの絶対的な正しさを肯定してるわけではないです、ただ処世術として覚えておいて損はないものだとは思いますけど
そういう共通認識を無視することは外目を気にしない姿勢を端的に示すもので、それがきっと他の場所にも現れてくるだろうからマナーを破る人を軽蔑すると書いたまでです
箸の持ち方が正しい人は「箸の持ち方がおかしい人はお里が知れる」と言う
一方箸の持ち方がおかしい人は「そんなの別にどうでもいいだろ」と言う
一方にとっては、箸が正しく持てたほうが良いに決まってるんだから正しく持てない奴はアホだ
一方にとっては飯が食えりゃどうでもいいんだから細かいことにこだわる奴はアホだ
バカは「楽しんだもん勝ち」と言う
一方にとっては、勉強するとたくさんのことが知れるし仕事にも有利だから大切だ
一方にとっては、役に立たない数学理科より今を楽しむほうが大切だ
世間一般で良いとされている価値観を否定して開き直るバカが一定数いる
彼らは世間の目や世間一般に正しいとされる価値観を無視して「自分が良ければいいや」という価値観だけで生きている
セクハラって言っても日常的にお尻を触られるとかそういうのではなくて、
と、いう風に上司は割り切っていたつもりみたい。
プロジェクトは佳境でみんな日夜頑張っていたから水を差したくなかったし、
上司がいなくなったらプロジェクトがうまく行かなくなるのは目に見えていた。
私個人としては拒絶せず、受け入れず、一般論として"セクハラはダメ"って誤魔化した。
初めてセクハラされたときは、後ろから抱きしめられた時に当たった上司の伸びかけた髭の感じが本当に気持ち悪くて、一週間くらいはその感覚を思い出して鳥肌が立ってた。
本当に会社に行きたくなくて、プロジェクトの節目で退職しようと決めた。
節目は節目にならなくて、仕事はどんどん忙しくなって、辞めどきを失った。
上司は酔っ払うと2人になりたがった。
だから飲み会には極力参加しないか、してもすぐ帰るようにしていた。
腹いせに、何かされるたびに1人、口が硬そうな社員を捕まえてセクハラを伝えた。
被害としてはそこまで大きくない。
私は平穏に仕事が続けられることの代償に、たまにお酒を飲んで、手をつながれて、帰りに不意をつかれて抱きしめられて、体の関係を持ちたがる上司をタクシーに押し込むルーチンワークをするだけ。
私はいい年のおばさんなので、これくらいの肉体的接触は家で飲んだお酒と一緒に吐けばなんとかなるし、
話す内容も仕事のことがメインだったので、それなりに私にとっても有意義だったのかもしれない。
でも、業務時間外の肉体的接触よりも、仕事中の私のことを見る表情とか、言葉の節々に感じる好意が気持ち悪かった。
結婚してるくせに堂々と好きって言ってくるのも、人間として無理。
それを除けば、仕事面では私のことを育ててくれる、平等でいい上司だった。
寧ろ普通は仕事で便宜を図る代わりに愛人になれ、では?と常々思ってたけど、上司は仕事との線引はきちんとすると言っていた。
事実、私の肩を持ってくれなくて仕事がやりづらいこともあったし(他に女がいる可能性もある)、
本当に何かされたら嫌だけど、私の事好きならもうちょっと何かないの?とか、さすがにこの仕打ちは酷いと思ったこともある。
私がセクハラを受け入れてないからこういう感じだったのかもしれないし、そこは上司にしか分からない。
ただ、上司は私に大きな裁量を与えてくれていて、それが私の仕事への評価によるものなのか、セクハラの対価なのかが分からなくなった。
セクハラの事実を知っている人が増えてくるにつれて、その人達に女を使っていると思われるのでは、と怖くなった。
だから、不安で、成果を出すしか無かった。朝からずっと働いて、無理な仕事量をこなすようになった。
セクハラできる、よく働く都合のいい部下になった。ある意味良い教育だったかもしれない。
周りから見たら理解できないメンヘラワーカホリックだったと思う。
仕事上では、きちんと上司と部下をやっていたので、上司と部下としての関係も深まって、
都合のいい部下には、上司の弱いところが見えるようになった。
所謂、情というものが湧いてしまったようで、部下として支えてあげたいと思ってしまった。
もう少し弱っていたら都合のいい部下から、都合の良い愛人にジョブチェンジするところだった。
態度が軟化してしまって上司に気を持たせたのは事実だし、自分を軽蔑した。
そういうのが全部嫌で、深夜に呼び出されてお酒を飲んだ時に、会社を辞めるって言った。
有難いことに来て欲しいと言ってくださる会社はある。
そんな話をしたら、会社は辞めるな気をつけるって言ったのに、朝が来て駅まで歩いたら、上司が抱きついてきて、部屋に来たがって、私の我慢の限界が来た。
素面の時に再度怒って上司は反省した様子。だから、退職するなと言われている。
私にも悪いところがあったし、もともとこんなことをするはずが無かった上司がこんな事をするのは心労のせいだし、一旦リセットして再度、心機一転やり直して欲しいっていう気持ちもある。
部下が立場上断れなくて、それを勘違いしてしまって、会社を辞めなきゃいけないのは可哀想だ、とも思う。
私は純粋なセクハラ被害者ではなくて、一部上司を受け入れても居たから、上司を責めることはできない。
私がこのまま大人しく我慢するか、上手に上司をコントロールできていたら、プロジェクトは問題なく進むかもしれなかったと思うと申し訳ない気持ちもある。
一番はじめにセクハラを受けた時に誤魔化さずに、傘で叩けばよかったのか。
でも、そしたらプロジェクトはここまでやってこれたんだろうか。
語義矛盾。「人権」は個々人の内面や性能に関係なくどんな奴に与えられるから人権なのであって、優秀な人や善良な人のみ人権が与えられるなら、それは人権ではなく「優秀なヒト権」や「善良なヒト権」です。
お正月
親戚からの
それなりの相手が見つるだろうと
適当に考えていた。
でも誰にも相手にされなかった。
もうアラフォーのおじさんだ。
自分ってこんなもんなんだなぁという感じ。
会社とかだと
積み上げてきた関係もあるので
様々な要素を含めて
自分のことを分かってもらえるけれど
あばたもえくぼと言うけれど
あばたはあばただ。
でも、悲しさより
やっぱりなという思いの方が強かった。
やっていけるだろうかという不安があった。
思春期に異性に興味を持つと
「お前みたいなのがレイプ犯になる」
と言われていた。
勿論それを真に受けてはいなかったが
当時はネットなどないし
18で田舎を出るまでは
言ってくれる人が1人もいなかった。
数年前姉にその事を話したら
因果関係はまったくない。
根拠なく親のせいにするなと言われた。
性欲は勿論ある。
二十歳の頃とかは本当に性欲が強かった。
しかしその頃は
お泊りせず、家まで送ってから
ということをしていた。
当時は勿論犯罪とは思っていないけれど
思い込みが拭えなかった。
心のどこかで性を肯定できなかった。
女性に対して悪いこととは
一切考えていなかった。
寧ろ嫌がることをしない自分は
誠実な付き合いをしているつもりだった。
ドラマみたいだなぁとか思ってた。
心の中で、女なのにセックス好きなんて
結局心置きなく性を解放出来るのは
風俗だけになった。
「風俗で働くような女」という
「そんな女に嫌がることをしても構うもんか」という気持ちになれた。
髪を切った?と聞くと
うん、分かる?と無邪気に笑う。
ぞんざいに扱うのは失礼ではないか。
そんなことを考えていると
次第に立たなくなる。
次はSMへと通うようになった。
自分の性の汚らわしさを罵られる。
性に対する汚らわしいという認識は同じ。
そこで初めて解放されるような気になった。
でも、やはり、
ニコニコして食べている。
そんな思いに駆られた。
またもや立たなくなった。
この性との長い戦いは
誰にも話したことがない。
男友達にも言わない。
性欲はありつつも
性は汚らわしいと思ってはいるので
だからそういう話が嫌いな人と思われている。
しかし、
早く帰ってお前をおかずにオナニーがしたい。
とか考えている。
早く帰って続きを書きたくなる。
こんな事に消費されている。
汚らわしいからだ。
ここまで書いてみて、
こんなことしてたら結婚とか無理だなあと思った。
自覚していないだけで
話を最初に戻すと
結婚しないのか?という話は
「あいつには負けるな」とか
何かとバカにして勝ち負けばかり気にしていた。
数年前に両親に会った時も
今思えば、お前は結婚しないのか?と
遠回しに言っていたんだろうなと後から気付いた。
それ一回だけだった。
それから数年、もう40になる。
でも、そんなことより
大好きな人と巡り合って
心置きなくセックスがしたい。
典型的なニュースだけでしか詐欺を見ずに「詐欺にかかるなんて馬鹿、俺なんか絶対詐欺にかからねぇよ。」といってまんまと騙されてへこんでるご老人みたいですな。
リアルで身近に起きないと実感しないし、実感した奴は大混乱だから助け船の一つぐらいかけてやるのが当然。あんたみたいなマウンティングは不要だし軽蔑するね。
どうして猫が好きなのか
「きまぐれ」な猫に振り回されるのを良しとして噛まれたりひっかかれたりしても怒らずなすがまま
猫がテーブルの上を歩いて物をめちゃくちゃにしても、カーテンにしがみついて布がビリビリになっても
飼い主はなにも言わない
なめられてんぞ
動物園に行き
ライオンを見れば「やっぱりネコ科、動きがうちの◯◯ちゃんと一緒」
トラを見れば「縞模様が◯◯ちゃんみたい」
テナガザルを見れば「毛の長さが◯◯ちゃんと同じ」
ツルを見れば「頭の感じが◯◯ちゃんと一緒」
何でも飼い猫に結びつける
猫にしか興味ないならわざわざ動物園なんか来るな、家で見てろ飼い猫を
それでも猫が好きな人がいるのは分かる
しかしなぜその数が増えてブームになっているのか、そして軒並みアホみたいに崇拝してるのか
わからない
猫はそこまで可愛くない
そしてなぜこの意見を言うと猫好きは軽蔑したような目で見てくるのか
そしてなぜか犬にも言及してくる
「まあ、犬もいるけど?w なんかね。やっぱり猫が好き」と誇り高く宣言してくるような言い方をする
この人たちが嫌いすぎて猫も嫌いになってしまった
柱めちゃくちゃにするしおしっこくさいし、餌あげても懐かない
毛が飛び散りやすいし、フケもある、それが部屋中に漂う
きまぐれすぎて行動に一貫性がない
考えが読めない、というか浅すぎるので読んでも面白くない
細いだけで触り心地もよくない
野良猫に餌をあげるくらいでいいと思う
周りに猫好きしかいないので息苦しい
何を聞きたいのかいまいちよく理解できないけれども、出っ歯って日本人のステレオタイプの一つです。なので私が例に上げた扮装は日本人の真似という範疇に十分収まると考えられます。(この例は「ティファニーで朝食を」の日本人設定キャラクターをモチーフにしました。)
このブコメで言いたかったのは、こちらに差別をするつもりがなくても、ステレオタイプを無理に(扮装のような形で)具現化することによって、誰かを傷つける可能性があるっていうことです。当事者の気持ちを少しでも感じてほしいと思い、百文字以内で表すには無理がありましたが、このようなブコメを書きました。
そもそも、差別かどうかって、とても白黒はっきりできないと思います。実はグレーゾーンで、自分の内心でもわからないのではないでしょうか。この番組の製作者や出演者は黒人差別をしたつもりではないと思います。しかし一方で黒塗りにした浜田さんの顔を見て笑いものにしています。ここに、必ずしも黒人を馬鹿にする思いがなかったと言えるでしょうか。
この日本メディアでの黒塗り問題は深刻に受け止める必要があると思います。海外メディアには見つかってはいませんが、もしredditなどに貼られたら、日本人が世界中でバッシングされる事態になってもおかしくはありません。それぐらい、世界の常識から考えると異常なことなのです。ちなみに数十年前のハリウッドも同じ間違いを何回も犯しており、未だにネット上でバッシングを受け続けています。(googleやyoutubeでhollywood, black faceなどの言葉で検索してみてください。いかに黒塗りが人を傷つけているのかがわかると思います。)
拙い文章ですみません。私の意図することが少しでも伝わると幸いです。
追記
外国人の行うつり目行為ですが、あれも多くはアジア人を馬鹿にする意図はなく、ただ真似をしただけだと思います。しかし私はすごく馬鹿にされた気持ちがするし、あれは大嫌いです。あれを気軽にやる人を心底軽蔑します。今回黒人の方がツイッターで傷ついたと言っているのは同じような心理だと私は思います。
意図的かどうかは知らないけど、相手の文章の趣旨をすり替えて晒す、というやり方は、筋が悪いのでやめた方がいいと思う。
(→https://anond.hatelabo.jp/20171221192338「ポリコレ派増えてよかったなー」)
渡辺由佳里さんも言ってたように、「社会的な」影響を考えるなら、それらは批判されて「社会」から消え去ってしかるべきとなるのだ。(※)
「社会から消え去ってしかるべき」なんて言い方を、彼女は一度たりとも使っていない。
実際の表現で、彼女は一貫して「気づこう」「気づけば(私たちは)変わる/変わろう」「私はそういう表現はよくないと思う」以上のことは言っていない。(https://cakes.mu/posts/18894より。文中強調は引用者)
自分が軽蔑する対象と、同じような危険な認識が、自分自身の中にもすこしはあるということを。それを知るだけで、大きな一歩となるはずだ。
誰かがそういう自虐ネタで笑いを取らなければならない状況を作ったり、それに加担してしまうことに、私たちは少し敏感になったほうがいいと思うのだ。
それらの人々すべてにプライバシーを守る権利があり、他人から「判定」「評価」されない権利がある。それを侵害したり笑いの対象にしたりするのは、誰が誰に対してもセクハラの範疇だ。
批判されている人にも言い聞かせるように配慮されたこれらの文言には、どこにも「社会から消え去ってしかるべき」などという極端に他者排除的な表現が入る余地はない。
このままだと、あなたの書き込みはまるで、掃除サボっててクラスの委員長に「みんなが迷惑してるって分かったら、サボれないでしょ?」「私はサボるの見るといい感じがしないよ」と優しく注意されたら、それだけで大声で「掃除サボってる奴は生きてる価値がないって言われましたアアアアアア」って叫びだしたアホな小学生みたいに見える。「ソウイウオ前ガ差別主義者」論法で相手に一泡吹かせようとして失敗した文章なのか?とさえ見える。
※…「渡辺由佳里さんも言ってたように」が「『社会的な』影響を考えるなら」にしかかかってない、と主張したいかもしれないが、「言ってたように」の後に読点がある以上無理筋だ。そこに読点を置けば、直後を飛ばして「しかるべきとなる」の引用の助詞「と」の直前に掛かる(つまり、「それらは批判されて『社会』から消え去ってしかるべき」というのが渡辺さんの主張だ、という主張)としか読めない。つまり、たとえば次のような文章であれば、私はここまであなたを批判することはなかっただろうし、あなたの文章の趣旨も誤りなく伝わったのではないだろうか。ていねいに言葉を使う相手を批判するときは、やはりていねいな言葉への配慮が必要であると思う。
(例)渡辺由佳里さんが言うように表現の「社会的な」影響まで考えるなら、詰まるところ、そのような表現は全て批判されて「社会」から消え去ってしかるべきだ、ということにもなりはしないだろうか。
※(追記)それにしても、書き飛ばした表現に対して、ここまで時間をかけて丁寧に説明しないと対抗できないという仕組みを考えれば、ネットにおいてあまり質の高くない言論が蔓延るのは当たり前だと思う。ブックマーク数以外に信頼できる言論評価システム(たとえばはてなスターはそれを目指したものだと思う)が定着しないものか? 現状はてなスターは、ブクマコメントに対する評価システムとしてしか機能していない感があり残念である。
母のことは尊敬しているけれど最も恐れる人間だし、父のことは心底軽蔑してるけどシンパシーを感じてしまう。恋人のことはどうしようもなく愛してるけど、信用できない。親友たちのことは大好きだしみなとてつもない人格者で、だからこそ私みたいなのが関わって迷惑かけていい人間ではない。生誕を呪う私は孤独に生きるべきなのに、どうしようもない寂しがり屋で、すぐ誰かの腕を乞う。
終わらない、寿命と私の意思との我慢くらべはいつまで続けなければならないのだろう。昔流し見たネットの当てになるかもわからぬ知識をもとに、なんとなしに、ドアノブに手近なロープをかける。自室の10階の窓を開放して階下を覗き見る。寒いキッチンに滑り出し、包丁を研ぐ。そんなことばかりして、実行には至れない。自殺未遂すらできないあたりに、いかに実行力や自制心が欠如していることが、なぜ社会の粗大ゴミであるのかがよくわかる。
SNSに登録してみたかった。ろくでもない自分のことが可視化され、記録されると思うとそれすらできなかった。FacebookもLINEも、情報リテラシーに意識が高いフリしてやらない理由を説明し続けた。
裏垢を作ってみたかった。裏垢を作る気力も持てず、ただひたすらスマホのメモに吐き出すだけだった。つらいことをネット上の玉石混淆馬の骨とも糞ともわからぬ誰でもいいから、目に留めてもらいたかった。なのに、匿名でも私の記録が残ると思うと、恐怖心がまさってかなわなかった。
子供が欲しいと言ってみたかった。愛する恋人が結婚を渋るのは、死んでも子供はいらないという私の主張にこそ原因があった。そうでなくとも、誕生し生きるということを根本的に肯定したかった。あるいは、自分が親に足る人間であると、自らの両親のようには決してならないと、そんな自信が欲しかった。
別に今すぐ死ねもしないことはよくよくわかっているけれど、死に際に書き込むなんてできた人間の真似事をしてみたくて投稿する。はてなの登録が簡潔なものでよかった。
最初はどこにも公開しようなどと思わず書き始めたけれど。そろそろ限界が近い。〆切も愛も恋も友情も年齢も何もかも、現状のままでは。この書き込みをひとつこれまでの自身への弔いとして、明日明後日明々後日、それから新年に新年度を無事迎えられますように。
最近twiiterでよく目にする、「〇〇RT以上で××配布」だの「RT&フォローで抽選で〇名様にプレゼント」といった企業のPRの方式が最高に気に食わない。
広告とはコンテンツの利用や視聴に大して利用者が支払うある種の費用の一種であり、広告を目にした時点で企業には利用者に何らかの対価や特典を与えるのが筋であるべき筈だ。
このPRの場合は配布されるデータに対する対価、もしくは抽選に参加する権利への対価として広告を拡散するという形でPRに参加し、対価を支払っている。無論ここまでは企業側にも利用者側にも相互的に利益が発生しているので取引として正当に成立している。
だがRT拡散された広告がタイムラインに流れてきて、それを目にする人間はどうか?流れてきた広告を目にした人間に対して、企業は一切の利益をもたらさず、広告を見せられた人間が一方的に対価を企業に対して支払っていることになる。
これはとても理不尽な話だ。貧弱なデータ配布や、当選確率が限りなく低い抽選に参加したいという自己中心的で強欲な他人に勝手につき合わされて、企業に費用を搾取されているも同然ではないか。
そういった一方的な搾取を回避するには目にした人間も拡散に協力して、参加する権利を得るしかない。だがそれは半分強制的で酷く傲慢な話だし、限りなく薄い目的の為に自分のフォロワーに対して同じ選択を迫ることになる。更に自分がまったく興味がないコンテンツ、物品だった場合はそういった選択肢すら選べない。
このPR方式を考案し、実行している企業。及び余りにも小さな利益を求め群がる参加者を自分は心の底から軽蔑している。遠ざけても問題のない相手なら出来る限り迅速に自分の目の前から見えないようにしてしまう。
彼らは広告や情報という物が、他の形のある物と同じように消費、及び生産されるリソースだということを意識的にあるいは無意識的に考えず、こういった醜く下らない形で発信し続けている。
他にもネット上には下品で粗暴な、もしくは有害な広告が氾濫している。そういった質の低い広告を淘汰する為の自浄作用を働かせ、本当に周知させるべき情報を伝える為の広告が増えて欲しいという投げかけである。
インターネットは空っぽの洞窟が出版されたころ、ダイヤルアップ接続でウェブ空間に来た。
きっと世の中にとってプラスに働くだろうと感じた。
それから早四半世紀。
2ちゃんがリンチ装置になったのは21世紀になって比較的早い時期だったし、
高尚な理想があったはずの日本語版Wikiがインテリ崩れの自己顕示欲発露の為だけの空間になったのも早かった。
どんなサービス、サイトが生まれても数年もしないうちに2ちゃん化し、
かつて隣組や五人組を連想させる息苦しい空間へと変質し日本語ウェブ圏は底質化していった。
スマホが現れ一億総ネット社会になったこの7-8年はもう語るに落ちた感がある。
この間テレビを見ていたら、
その原因の一部を担ったであろう西村博之はとうの昔に仏国暮らしと聞いて呆れると共に、
無責任と匿名の暴力というパンドラの箱を開けた当事者なんだから責任取れよと思う反面、
当事者が逃走するほど制御できない流れになったんだなと感じてる。
どこを見ても暴言、人種差別ワード、消えたはずの差別単語だらけ
国営放送が有象無象のツイカスの戯言を下部に表示するようになったのも何時だったか
真面目に長文を書けば罵られ、おちょくられ、人格を否定される。
炎上は毎日のように起こり、どこかで誰かが人生を破壊されてるこのウェブ空間。
もうたくさんだ。
もううんざりだ。
商売柄ウェブから離れられないが、損害を被ってもいいから日本人相手にネットでビジネスするのはもうやめよう。
そう感じて数年前からウェブは極力英語やドイツ語などに限定して使用するように心掛けた。
ここどこよ?
確かにトロールと呼ばれるキチガイや粘着はいるが、同時にそれを許さないという人達もいる。
「長文はバカ」と言い放つ底辺ツイカスもいない、自己顕示欲丸出しの勘違い顔本バカもいない。
「日本人の倫理意識は他人に見られることを前提に成立しているからじゃないかな」
神と自分の関係で倫理が成立する欧米と集団の中での位置関係で倫理が成立する日本人とでは
一人ぼっちで誰も見てないウェブでのモラルには根底から違いがあるじゃないかと話していた。
実際彼の親世代(日本語がわかる日系二世)の顔本は、三世の息子が見たら軽蔑するたぐいの内容らしい。
日本人が、日本文化が悪い・劣っているとは言わない、言いたくない。
ウェブと私達はあまりにも相性が悪かった・馴染まない文化を持っていた。
俺達は欧米人のような民主主義国も、言論の自由も望んではないなかった。
圧倒的大多数の人は、ウェブに憂さ晴らしと快楽、暇つぶし相手程度のものしか求めていなかった
マスゴミと罵るネットクズは顔出し名前出しのテレビ関係者よりも一億倍もゴミだと言うことに気づかない
日本語のウェブ空間は終わった。国が中国みたいに規制をかけたほうがいい。
匿名リンチの文化を止めないと、早晩悲劇が続発して社会不安に一役買うのは間違いないだろうなと思う。
でも俺はもう知らん。日本人同士で憎み合って殺し合って社会不安を煽り続けなさい。参加することをえらんだのは貴方だし
俺は反対した、拒否した抵抗はした。だからその時貴様らに死ねと言おう。
そう遠くない将来、ウェブは悲劇を生み出す装置となって多くの人に襲いかかるだろう。
結局21世紀の共産主義だったんだろうな。
この間ウェブアーカイブやグーグルも含めて。日本語圏での自分に関係する情報は全部消し終えた。
さよなら日本のインターネット。二十年近くの間夢を見せてくれてありがとう。
俺の日記に反論を書き込むヤツ、お前は精神病だ。狂う前に病院へ行け。
賛成して書き込まないヤツ、英語を勉強しろ、英語が使えればまだウェブへの希望を捨てるのは早い。
最近結婚しないの子供作らないの系のウザい質問に対してどう説明するか、みたいな話題たまに上がるけどさ。
「何も説明しない」これが一番だよ。
その場しのぎでハハハ何ででしょーね―ハハハとでも言って、穏便に受け流すってのが一番だよ。
無論それはそれで苦しい。
これらを相手を説き伏せるため、ガチガチに理論武装するコストに比べたら
本音なんて一切語らずにテキトーなこと言ってごまかした方が、安上がりで済むと思うのだよ。
結局さあ、「結婚しないの?」「子供作らないの?」って聞いてきてるその人を『尊重』してるんだよ。
相手を人格を持った一人の人間として、期待しまくってるんだよ。
「この人なら説明すれば理解してくれる」「自分の価値観を分かってくれる」
『軽蔑』しないと。
そして正しい軽蔑の仕方は何かと言えば、
「この人は何言っても分かってくれるわけがない」「自分の価値観なんて理解してくれるわけがない」と思うことに他ならないわけだよ。
だからこそ、前述の通り、あはははは何ででしょーね―とテキトーに流すのが一番なんだよ。
「人は分かり合えない」…