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はてなキーワード: 絵画とは

2024-02-16

天使の輪が死人を表す漫画表現になっているのって変だな

人が死んでも天使になるわけじゃない、キリスト教世界観においても

この表現を多用している一番有名な漫画はおそらくドラゴンボールだろう

どこかで発想の飛躍があったのかな

気になるねえ、ぐぐりましょうねえ

天使に限らず聖人などを描いた絵画にも、聖人の後ろに光が差す表現が用いられたのだとか

天使に限らないのであれば以降は天使の輪じゃなくヘイローとここでは書くようにしておこう、ブルーアーカイブ風の呼び方

発想としては仏教の後光と同じか

まだ足りない

天使聖人を描いた絵画???漫画表現の死者を表す記号としてのヘイロー、間に挟まるものを探さないと

なんかこれだ!って情報がなかなかヒットしないな

勘だけど風刺画が間に挟まる気がするんだよな

天使聖人を描いた絵画パロディで、天使を例えば政治家差し替え風刺画みたいなのがどっかにあるんじゃないか

それが転じて死者の頭上にヘイローを用いるのが一般化したとか?

うーん、あくま根拠のない憶測

こういうのは英語圏情報を探さないといけないな

一応、英語圏イラストで死者の頭上にヘイローがあるイラストはまあまああるっぽいが……

日本でもなんかドラゴンボール以前に死者の頭上にヘイローがある表現をした漫画いか

……手塚治虫がやってる気がする

あの人だいたい何でもやってるからな、あとで探すか

ってことはディズニー作品でもなんかあるような気がしてくるな

うーん、探し方が下手

wikipediaの「光輪 (宗教美術)」の「大衆文化における使用」の記述が少ないな

英語版だと……英語版の「Halo (religious iconography)」には大衆文化の項自体無いのか

うーんアメコミにもヘイロー使用あるかもだが、アメコミに詳しくない

調査頓挫する予感

ここまで調べたというメモ

なんかコレ!っていう本があれば読みたいんだが、この疑問をずばっと解決する文化史本は無いかもなあ

今週の『サチ録』、番外編15を読んだ結果

日記

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ポップカルチャー宗教序論」という論文を読んだ

こういう路線で調べていくのがよさそうか

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なぜ亡くなった人の頭上に「天使の輪」を描くようになったのでしょうかよろしく... - Yahoo!知恵袋

漫画記号表現としては昔からある定番スタイルですよね。 ディズニーアニメにも、ヨーロッパカートゥーン(cartoon)にも良く死者の記号として使われていますね。

http://www.cartoonstock.com/cartoonview.asp?catref=amc0009

ふーむ、やっぱり古くから定番なんだな

この回答者によるとディズニーでもやはり使用されていると

人間は死ぬと天使になりますか | ものみの塔 オンライン・ライブラリー

人間死ぬ天使になります

アリーロという,まだ7歳の幼い女の子が亡くなりました。悲しみに打ちひしがれた両親は,柩に横たわる白いドレス姿の娘を前に,ぼう然としています。慰めようとして,神父がこう言います。「神様は,天使をもうひとりお望みになって,アリーちゃんお召しになったのです。幼子の魂は,今ごろ,神様のみそば翼を広げて飛んでいますよ」。

死んだ人間の魂が天使になる,と信じている人は少なくありません。公式教理として教えられることはまれですが,映画テレビ連続ドラマでは,死んだ人が翼のある天使になって,生きている人を守る,という話がよく取り上げられます

あなたはいかがですか。愛する人が死後に天使になると考えておられますか。聖書は何と教えているでしょうか。では,天使本質について,また死んだ人の本当の状態について,聖書のものが何と述べているかを調べてみましょう。

うーん、「死んだ人間の魂が天使になる」という発想は無いわけではないのか

それが転じて天使ではない死者の霊魂的な何かの頭上にもヘイローが描かれるようになった?

ドラゴンボールの影響がどのくらい大きいか、気になるな

っていうかドラゴンボールつまみ食い的にしか読んだこともアニメを見たこともないんだよな

何より先に原作コミックを読んだほうがいいのかもしれん

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天使とは何か キューピッドキリスト悪魔

天使と人の文化史

ここら辺の本があるいは参考になるか

だいたい最終章は「現代における天使がどのような姿で描かれているか」みたいな話題から、そこに期待が出来る

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英語圏情報を探そうとしてもゲームの『HALO』ばっかり引っ掛かってやりにくいったらありゃしない

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そうだ、『トムとジェリー』で爆死したトムが雲の上でヘイローつけた状態で不満そうな顔してるってオチエピソードがあった気がする

ネズミ取り必勝法』か、これ大好き

プレゼントボックスに入ったトムが針でめった刺しにされるシーンは涙なしでは見られない

オチはやはり爆死で……天使になってるな、これ

やっぱり「死んだら天使になる」って発想がポップカルチャーである程度一般的に表現されていたようだ

翼とヘイローがあってハープを持っている

ネズミ取り必勝法』は1944年11月23日に公開

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ってことは

天使聖人を描いた絵画→死後に天使になる認識、またそれを表現したイラストアニメ天使ではなく単なる死者にもヘイローがつけられた

……か?

まだ足りないぞ

「死後に天使になる」って発想がどこから来たんだって

キリスト教教義だと死んでも天使になるわけじゃない、それはカトリックだろうがプロテスタントだろうがエホバだろうが他の何かであろうがだいたい同じだろう

ヘイローは聖なるもの加護を表すからどんな死者でもヘイローは頭上に表れる?

でもトムは爆死して天使になっとるじゃろがい

まだまだ調べないと納得できないな

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ひょっとしたら演劇ミュージカル側の文化関係している可能性もある

死者を表現する記号として頭の上にヘイローをのっけた衣装を着ていた……とか、あるかもしれない

一応留意して調べる事

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「池にコインを投げる風習はいから始まったのか?」みたいなテーマでおととい調べて日記書いたときは、その風習を有名にした「Three Coins in the Fountain」っていうアカデミー賞受賞作品を見つけたんだよな

これも同じパターン可能性がある

聖者記号としてではなく、単なる死者の記号としてヘイローを使った何らかのヒット作品があったので一般化したみたいなキッカケがひょっとしたらあるかもしれない

しかあんまりこの仮説に固執するのはよくないな、気長に探そう

あるとすれば19世紀後半以降くらいのはず

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そうか、調べるポイントが二つに分かれちゃったんだなあ

①「死後に天使になる」という考えの源流を辿るルート

漫画表現で死者が天使となった描写漫画表現で死者に(翼など他の天使的要素抜きで)ヘイローのみが付与される描写となった転換点を探すルート

こりゃ大変だ、いったん追加調査ここまで

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次にやる事

守護聖人絵画での描かれ方を確認する

→実は守護聖人の頭上にヘイローだけでなく、翼がはえているなどあったりするかどうか

:積んでるキリスト教入門みたいな本をさっさと読む

→なんもかんも体系的な知識が欠けているのが悪い

 →でもなー、自分の興味の向き先は「キリスト教教義はこういうものです」って知識じゃなくて「人々はキリスト教をこのように解釈して信仰していました」という知識なんだよなあ、基礎の勉強ってどうしても飽きちゃって

  →だとしても体系的な土台の知識が無いと何も始まらないだろ!

   →はい、おっしゃる通りです、すみません……

第一次世界大戦風刺画ヘイロー描写が無いか探す

第一次世界大戦1914年7月28日1918年11月11日、ちょうど探したい年代

キリスト教素養がない私がヘイロー描写を見たとき、それが宗教的な性質を持っているのかそれとも記号化したものなのかを区別できるのか?という点について考える

→やっぱり基礎の勉強しましょうね~

そもそもヘイローがあって翼があったらそれは天使とみなしていいのか?「天使」って何?「御使い」って何?何もわからない、調べる

→基礎(略

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②についてだが「ゲームドット絵キャラが死んだことを表現するのにヘイローが便利で、ドット絵で翼を描くのが大変だったから省略された」という仮説を思いついた

流石にお話として出来すぎな気がする、この仮説は最終的に棄却することになりそうだ

しかし調べるとっかかりとしては魅力的

ヘイロー関係ないけど「ゲーム戦闘不能をどう表現するか?」というテーマを調べるのめちゃくちゃ楽しそう

棺桶幽霊化、ヘイロー付与etc……

また別の機会に調べよう

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Heaven Cartoons」というジャンル風刺画があるらしい

画像検索してみるとなるほど確かに天国天使なんやかんやする種類の一コマ漫画

いつ頃から描かれているかちょっと調べてみたがなかなか難しい

Wikipediaの「カリカチュア」のページの「主な作家」の項に載ってる人の代表作を一つずつ見ていくしかない

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星新一アメリカ一コマ漫画蒐集してそれについてエッセイを書いた『進化した猿たち: The Best』をkindleで購入

これにアメリカ一コマ漫画挿絵掲載されて……いない!

権利関係問題のせいかほとんど掲載が無くなってしまっているようだ

しか天国ものについてのエッセイは変わらず掲載がある

数少ない挿絵の作者は……Sidney Harris

漫画家としてのキャリア1955年から

うーん、トムとジェリーのほうが時代が古い

もっと挿絵を見たいか挿絵が載ってる物理書籍のほうを読まないといけないなこれは

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Cartoon of the politics of the Second Empire (Bonapartiste Regime) directed by Napoleon III (Charles... | bridgeman images

やっとひとつ見つけた

ざっくり言うと政治家が天に召されている様子の風刺画1868年1869年?に描かれた、ってところか

翼があり、ヘイローもしっかり完備

トムとジェリー1944年よりだいぶ古い!

しかし余談だけれど死後4年後たってから風刺画が描かれていて不思議

なんか「天使になる」ってのは語弊があって「昇天するとき天使と同じ装いをする」という言い方の方が正確なのかもしれない

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トムとジェリー以前のオールカートゥーンを片っ端から観ているが、天に召されるシーン自体全然見つけることができていない

ところでチャップリンの『キッド』に天使が登場するシーンがあった

翼だけ背中にあってヘイローなし

実写映画も調べる範囲に含まないといけないか

オールカートゥーンの本当に初期の初期は紙の漫画をそのまま映像化したようなやつだったから、漫画文脈だと思うんだけどな……

うーん、難航している いよいよ調査が行き詰まりそうだ

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マーク・トウェイン天国建設の旅』という論文を見つけたが、これは読む価値がありそうだ

天国観の変遷について言及がある

絵やイラストとして描かれていなくても天国に行くとヘイローと翼とハープが通行証かのように与えられる認識は当時の人々視点で昔からあったようだ

18~19世紀文学作品天国描写しているものを探すべきだな

ここらへんは先行研究論文を探しやすそうだ

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Elizabeth Stuart Phelps Wardという人が書いた『The Gates Ajar』という宗教小説アメリカ1868年刊行されめちゃくちゃ売れたらしい

当時の人々の天国観に影響ありそうに見える

その小説で語られた天国観は

In contrast with traditions of Calvinism, Phelps's version of heaven is corporeal where the dead have "spiritual bodies", live in houses, raise families, and participate in various activities.

カルヴァン主義伝統とは対照的に、フェルプス天国は、死者が「霊的な身体」を持ち、家に住み、家族を養い、さまざまな活動に参加する身体的なものである

とのこと(『The Gates Ajar』のwikipedia英ページより引用しdeepl翻訳

うーむ、おぼろげに流れが見えてきた気がする

カルヴァン主義の事よく知らないからそこは調べないといけない

マーク・トウェイン天国建設の旅』という論文序文あたりに19世紀半ば以降に天国もの小説流行ったみたいなことが書いてあったが、その一因はこの小説な気がする

なぜ流行たかというと南北戦争の影響やろなあ

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そういえばこの日記メモには記述をしていなかったが、宗教美術におけるヘイロー写実主義の高まりによって19世紀までにほとんど衰退しているらしい

なので宗教美術において死者(例えば聖人殉職者など)にヘイローが描かれたものがあったとしても、カートゥーンヘイロー描写がその影響を受けているとはちょっと考えにくいのではないか

一度断絶しているのでは?という疑問を持っている

ヘイロー描写は一度衰退し、再び風刺画カートゥーンなどで記号として便利なので復活したという前提で調べている

あー、いや……この前提本当に大丈夫か?自信ないな

記号として復活させたとしても参照元は必ずあるわけで

19世紀アメリカで人々が見ることが出来た美術絵画はどのようなものだったのか?というのがわからないと正確なことは言えないな……

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自分確認した限り、カートゥーンアニメで「死んだら天使の装いをして天に召される」表現をやった一番古いものは『トムとジェリー』の『ネズミ取り必勝法

オールカートゥーンを全て総ざらいして確認したわけではないかもっと古いのがあってもおかしくはない(アカデミー短編アニメ賞受賞作品すらすべて確認できていない)

キャラ死ぬ描写そもそも全然ねーんだわ

トムとジェリーがどんだけ過激なことやってるかって話ですよ

幽霊は沢山出てくるんだけどねえ

ネズミ取り必勝法』はアカデミー賞とる程度には人気だったので、カートゥーンにおける元祖でなかったとしてもビジュアルイメージ固定に大きく貢献したといっていいか

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キリスト教教義では死者は天使になるわけではない、という認識があった(今でもそうではある)

19世紀半ばにスピリチュアル小説流行り、人々の天国観を変えた

→それは死後に霊的な体を持った死者が天国で現世と同じような生活を営むものだった

→死後に天使のような装いになる認識が生まれ

たまたま印刷技術の発展とタイミングが同じで新聞挿絵風刺画漫画などで聖人でもなんでもない普通の人の死者の絵が多く描かれるようになった

→死者に天使の装いをさせた風刺画、紙の漫画カートゥーンアニメビジュアルイメージが固定される(この時点ではヘイローと翼はセット、あくま天使など聖なる魂的な存在専門用語を適切に使う自信が無いので曖昧表現)と同じ装い)

日本キリスト教文脈無視された記号的な描写がされ、ヘイローのみで死者を表す記号表現となる

……という流れだという仮説を立てることが出来た

うーん、自信ない

18世紀以前に普通の死者も天に召されるとき天使と同じ装いをするという認識があった」と言える材料を見つけることができていない

印刷技術が生まれる以前だと絵画にそこらへんの人が天に召される絵なんて描かれないんだよなあ

探すとすれば厳格な宗教者が教義通りに書いた本でなく、人々を慰撫する目的教義からすれば不正確な内容が書かれた本みたいなのがあればあるいは……(というか、それが『The Gates Ajar』なのよ)

また、『The Gates Ajar』などの天国観を変えるイベントによって死者が天使の装いをするようになった、とある程度の自信をもって言えるような材料は正直見つけることができていない

しかし、とりあえず一定レベルで納得は出来たからこの疑問はクローズ

18世紀19世紀の米英のキリスト教史を調べないともうちょっと正確な認識ができるのだろうけれど、それは今後の宿題だな

西洋世界文化史キリスト教歴史は不可分だから体系的に勉強したい

2024-02-14

anond:20240213012139

自分が得られない勝利代替 の代表例で出したのだが

まあ、盆栽しろ壺にしろ代替ではあるか

綺麗な壺になりたいとか、尊い仏像のお姿になりたいとかいうのが代替かどうかは知らん

自分がそこ目指そうとしてまだ早いと足踏みしてるからもっと高尚なもんだと勝手に思ってる

曲とか絵画とかもなんか別方向の気がしてる(低尚だとそれを作れた自分すげーで、上のほうは別次元

2024-02-12

Apple Vision Proのような機械に期待することは絵画などの芸術作品をまるで目の前に存在するかのように鑑賞できる機能

なかなか日本美術館作品を心ゆくまでじっくりと鑑賞することは難しい。

私のように気の弱い人間には。

そういう人間にとってじっくりと作品を見れる機会が得られるのであれば高価なことと等価の交換価値があることだろう。

また、これは順序が逆になってしまったが世界中作品が家に居ながらにして鑑賞できるというの素晴らしいことだと思う。

もしも本当に現実自分の目で見るような、あるいはそれ以上に高精細に作品が鑑賞できるのであればそのためのチケットを購入するのも当然のこととして受け入れる。

現在でもWebでは多数の芸術作品が鑑賞可能だがどうしてもディスプレイという枠に縛られてしまう。

有名作品を生で見たときの感動が得られるようになるのであればそれはすごいことだと思う。

2024-02-09

推し創作活動を始めてしまってつらい

特定されないようにぼかすけど推しがある創作活動を始めてしまった。

推しひとつの夢を叶えたことは心から祝福したい。

肩書きがついてその分野での大御所との対談なんかもあって喜ぶ推しを見ているとこちらも嬉しい。

ただその作品が……微妙なのである

めちゃめちゃ不出来というわけではないけど面白いかと言われると微妙……。

作風ちょっと生理的に受け付けない。

高いものじゃないしグッズの一種と思ってお金を出すのは全然ありなんだけど部屋の棚には置いておきたくない感じ。

私は推しの歌や踊りや人間性推していたのであって推しが作る物までは推せない。

正直同じ思いの人は少なくないんじゃないかと思う。

でも界隈には「褒めなきゃ!」みたいな空気を感じてつらみがある。

私の心が狭すぎるのだろうか……。

活動が長くなると他分野に進出する人はいる。

例えば俳優から興味が出て監督をしてみる人とか絵画や造形で芸術活動を始める人とか。

そういうのならまだ良かった。

監督業なら集団作業だし周りから手厚くサポートしてもらえるだろう。

アート文脈次第みたいな世界から推しが作ったと思えば良く見えるんじゃないだろうか。

展示会でオフ会するの楽しそうだし。

なのに……よりによって創作活動

そりゃ歌や踊りだって一流ではなかったかもしれないけどそれでもプロ技術でうまく私たちに夢を見せてくれてた。

創作はその人の能力がもろに出てしまうし実力に対して不相応に持ち上げられているのも感じてしまう。

推しでこんなことを考えなくちゃいけないのがつらい。

2024-02-04

anond:20240203151652

うち総資産10億いくかいかないぐらいの底辺地主だけど両親がクズ中のクズの毒毒

なんとか耐え抜いて相続するまで生きてやるっていう光は感じてた

それなかったら諦めてたか飛び出してたか

何が一番大事(愛or金orスペックなど)かっていうのはほんと難しいし個人個人で違うだろうけど、配られたデッキ勝負するしかない

一応成人までは妄想で乗り切って、色々調べたり考えたりしたら養子縁組相続するにしてももうその時には手遅れだなぁとなったので

手に職つけて家を出るほうに進んでみた

結果として両親追い払うことになったけど

東大みたり慶応の中で比べること、そこにしか比較対象がないのが罠🐻

自分学歴だけ(あとピアノ絵画やなんだかんだ)を押し付けられてたが呪縛からは早めに解き放たれた

中高で軽くグレたのが良かったかもしれない

バイトしたり進学校底辺同士でつるんで傷をなめ合ったり

進学高底辺友達中学時代人生底辺のやつとかと仲良くなれたり

そこで一生もの友達恋人等には巡り合えたので生存バイアスしかないが

中高一貫生活とかバイト禁止されたりしてたら引きこもってた可能性も高い

何度も固いものでぼこぼこに殴られながらも隠れてバイトしたり、漫画ゲーム機買ったりは小学からずっとしてたけど

2024-02-03

anond:20240202211633

いやいや高畑が今後の作品を塗り替えるより前に、高畑が今後つるしあげられて名誉剥奪されるかもね

死人であってもアップデートはまぬがれない

ピカソも既に女性差別主義者ということで絵画価値暴落してるらしい

ジャニー世界一ヒットシグル飛ばしプロデューサーというギネス記録を死後に剥奪されたし

見た目の売り上げ実績こそジャニーに及ばなくとも、倫理的人間性的にしっかりしたプロデューサー現在の真の世界記録保持者に認定されてるはず

2024-02-02

芦原先生の件で考えること

漫画家が命を削って描いた芸術作品

出版社テレビ局会社組織、それも大抵は大企業

出版社漫画家を守りたいわけじゃない」

という言葉を見るけど、

じゃあ勝手作品つくって自分で売ったら? って思う。

ビジネスルートに乗せて作品流通されているからこそ、多くの人の手に渡ることができているのではないのか。

絵画とかでなく一般漫画芸術ではなくて商業出版用の作品だし、どんな大企業であっても作者と向き合うのは担当編集ひとりだし、その1人がどんな気持ちでやっているか、どんなに作家のためを思って動いているかは、想像つかないんだな。

ここまでのヒットにするまで、どれだけ出版社担当者が頑張ったか

個人攻撃してないっていったって、当事者自分を責める。主語を大きくしたところで、何も事情も知らない外野が叩くことがそのものが、頑張ってるひとの心を折るんだよ。

2024-01-30

anond:20240129222857

文語調にしたいということは明治以前に戻りたいという訳だな。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E6%96%87%E4%B8%80%E8%87%B4

というネタは置いておいて、もう少し固い文章を目指すなら青空文庫なんかでなりたい文体作品を打ち込んでみれば良いと思う。

絵画分野でいうところの模写に相当する訓練です。

特に誰というのがないのならば、ブンゴウサーチの読了時間文字数から短編人気順に打ち込むとか。

https://bungo-search.com

漫画家がなんで言葉によって死ぬ

言葉だけでは表現できないことを表すために漫画ってあったはずじゃないの

絵画言葉に負ける様子を見るのはしんどい

漫画言葉に負けるのもしんどい

小説家はもう言葉を信用してない

anond:20240129201124

正義っぽいもの攻撃するのが正しい世界になってしまったんだ

絵画破壊する活動家ポリコレ棒、一体何が違うのか?自分にも全くわからない

2024-01-29

え、これすごくない?中学美術3年間高校美術3年間でも一切触れなかったよこんな内容

もうVTuberオンライン学校講義受けたいよ

らでんちゃんが凄すぎて全リスナー絵画の虜になる【ホロライブ 切り抜き/儒烏風亭らでん】

https://www.youtube.com/watch?v=YjFV2Z5Tt6A

絵画に液体ぶちまけません

自然が好きだ。環境保全にも興味もあるが、全く詳しくない。

今日同僚の50代の男性に「〇〇さんもモナリザ飲み物かけちゃうタイプ?」と冗談半分の様な雰囲気で声をかけられて、「????」となった。

聞いてみるとこれだよとBBCニュースを見せてくれた。過激派環境活動家モナリザスープをかけたらしい。

その後色々詳しく教えてくれて、「お前の方が自然に詳しいじゃねーか!」とツッコミそうになった。

とにかく、ただの自然好きとしては環境活動家と同じに見られるのは我慢ならんぞ。

anond:20240128235833

かにバカ高いものもあるとは思う。ただ、これは絵画に関わらずだけど例えばブランド品とかも全般に言えそうだけど。

そいで、結局何がいいたいんや?

リソースの偏在の象徴」、だからどうしたいの?

2024-01-28

絵画に異物かける環境保護活動家の主張がよくわからん

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240128/k10014338711000.html

健康的で持続可能食べ物を得る権利と、芸術と、どちらが大切なのか。私たち農業システムは病んでいる」

今回の件とか主張としては上らしいけど、健康もっと気にかけろってことでいいの?

それとももっと踏み込んでいるの?

美術品への保護かに使う金は減らせだとか、美術自体不要だとか。

結局、何が言いたいんや?目立つためのパフォーマンスか?

2024-01-24

他人人生への言及

やる奴はやるし、やらない奴は死ぬまでやらない

みたいな言葉があると思う

個人的にこの言葉自体は「正しい」だろうと思う

問題はこの言葉が使われる状況だ

この言葉が使われるときと言うのは、大概他人人生への提言薫陶などが行われている場面だ

しかしね、考えてみて欲しいのだよ

やる奴はやるんだ

やる奴に下らねぇ提言なんていらねぇんだよ


こういう生存者バイアス成功話を有難がる輩がマヒしてんのは

紹介されるのが、【やればできそうに見える事】だからなんだよな

音楽絵画語学料理、服飾、そして独立

夢として抱えても普通にサラリーマンになってしま

ちょっと冒険してみようか、そういう奴を食い物にする商売沢山あるよな


けどさ、脱サラで「あなた食パン」とか「あなた餃子」とか「あなたタピオカ」って話があったら、絶対ケチつけるだろ?

やる奴はやるし、やらない奴は死ぬまでやらない

なんて話にならねぇで

止めとけってなるはずなんだよ

脱サララーメン屋だって止める奴の方が多いだろ

現実的な話が出てきて、勝算あるのか?ってなる

それは「潰れるラーメン屋」を自分で見てるから

から、その無責任さが想像できる

プロ野球選手プロサッカー選手でもそうだろう

それで食っていくことの大変さ、門の狭さは容易に想像ができる

けどな

これが、漫画かになると途端に解像度が下がるんだよ


https://note.com/keitauehara/n/nb8472b76c497

(この漫画の是非には触れない)

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/keitauehara/n/nb8472b76c497

29歳だから言える みたいなコメントしてるやつはどうせ29歳でもやれないやつだろう 65歳からケンタッキー創業したカーネルサンダース見習いたい(私が)

とりあえずここでウダウダ言ったり漫画ケチつけてる奴らがノーチャンなのは確か

コメ欄見てるとやる奴はやるし、やらない奴は死ぬまでやらないってことがよくわかる

こういうコメントがついちゃう

漫画家になるかどうかじゃねぇだろ、心意気の話だ

みたいにずらす奴も出るだろうが

それこそ「そういう話じゃねぇだろ」って奴よ

軌道修正した後のリスクをこういう話はものすごく小さく描く

下手したらゼロ

漫画家になれたか脱サラしたって奴のうち、何人がそのまま漫画家でいられるんだろな?

こういう煽り話をする時

それが煽りだと分かったうえで煽り全振りするのも良いだろう

サロンなんかでは好意的に受け入れてもらえるだろう、自分を全肯定してくれる甘言だから

そうでないなら、安全弁として職は維持しろみたいな提言であるべきだ

漫画家(その他在宅ワーク)が形になったからと言って安易に現職を辞めるなと言うべき

この警告が要らない相手には、提言のものが要らない

やる奴はやるのだ

だが、他人背中を押すなら、無責任に押すなと思うんだよ

他人の【甘言】に後押しされないと出来ない奴は辞めるべきだ



この起動修正投稿が、フランチャイズコンビニ経営を勧めてても

同じこと言うのかね

ケチつける奴はノーチャンってさ

2024-01-23

anond:20240123094210

答えは複雑。

アメリカから乳房を性徴として重宝する文化を輸入したときから始まる。

それ以前の日本では乳房女性らしさとしての価値を持たなかった。

風呂場でも晒されていたし、絵画の中にも強調表現はない。

ブラジャーなどが日本根付いたとき、女らしさとしての乳房社会的に認められた。

それ以来、乳房の平均サイズは上昇し続けてる。

マンガ表現でも女らしさを表すために乳房強調はよく用いられる。

乳袋などが有名な記号表現だ。目を大きく描くのと同様に、女性性を前面に出す際に役に立つ表現だ。

日本旧弊男性中心社会にとっては、ホモソーシャルを支える便利な道具だった。

女性性をオモチャのように扱って、女性を囃し立てるのを、男たちは愉しんだ。

オタク趣味は、最初はそんな後ろ暗さから社会に出てこなかった。

だけどテレビアニメ子どもたちを引きつける中で、サブカルチャーとして広まっていった。

女子たちも幼い頃からオタクコンテンツの中での女性の扱いに慣れている。

女性として男性オタクから腫れ物扱いされつつも、性欲を煽る道具として女性性が使われるのを見てきた。

から、女とはそういう生き物なのだ、と刷り込まれしまったんだ。

かくして、日本では男女関係なく女性性の強調を好むようになった。

典型的女性キャラクターは男に都合がいいような、慕ってくれそうな赤ちゃんのような特徴を持つ。

大きい目、消された鼻、低い背丈。それでいて女性の性徴である乳房は強調される。

そういう女キャラを、男オタクのみならず女オタクも好いている。

作家はそういう表現を先輩から受け継ぎ、売れると分かっているので多用する。

2024-01-22

他人に心を揺さぶられたくない

友達に連れられて観に行ったライブ村岡由太 という青年の唄を聴いた。

ヒョロヒョロの体から想像できないような、魂の底から絞り出すような歌声だった。

一気に彼の世界観に引き込まれて、心を揺さぶられてしまった。

 

この人すごいな、歌の力ってすごいな、と思った。

それと同時に、強い拒絶反応も感じた。

私の心を揺さぶらないで。今は揺さぶられたくない。

 

私の心は私のもので、誰かの悩みや誰かの怒りや誰かの魂の叫びによって揺さぶられたくない。

それはあなたの悩み、あなたの怒り、あなた魂の叫びであって、私のものではない。

村岡由太クンは悪くない。私が魂の不意打ちに対応できなかっただけ。そんなふうに心を揺さぶってくる人が出演することを知らずに出かけた自分が悪い。

 

だって心が揺さぶられる体験はしたいけれど、自分の心を揺さぶものタイミング自分で選びたい。

それは仔猫たちを守る母猫の愛だったり、美しい夕焼けだったり、絵画だったり、もちろん音楽だったりもするわけだけれど、いつ・どこで・何によって心を揺さぶられるかは自分コントロールしたい。希望制御された揺さぶられであってほしい。

 

人々は「全米が泣いた胸を打つストーリー」に殺到するけれど、なんで泣かされるとわかってて観に行くのか。

泣いてしまうほどの心の動揺は、本来、強いストレスのはずである。わざわざお金を払って心に負荷をかける人の気が知れない。私の心が脆弱なのか。

正直、戦争地震ニュースも見ていられない。苦境にある人々を思うとつらいからだ。子を亡くした親、親を亡くした子、みんな可哀想だ。だめ、むり、ってなってチャンネルを変えてしまう。めげる。

 

母猫が仔猫の頭を舐めてあげてる映像だけ見ていたい。

2024-01-18

anond:20240118213250

イラスト絵画を始めるときほとんどの人は模写から始めると思うんだけど、それも禁止ってコト?

ケツの穴ちいせえな

はてな助けて! 「AI学習禁止」が実現されるかも

これを見てビックリしてしまった。

いま文化庁有識者議論の中で、こんな話が出てる…

特定クリエーター作品を集中的に学習させる行為

検索制限する措置を講じたWEBサイトデータ学習使用した場合

などが、著作権侵害にあたる可能性があるとしていますhttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20240118/k10014324831000.html



AI学習禁止」が実際に有効になるなんて、時代逆行だと思うよ…………?

人間画家が「私の絵画から学ばないでくれ」なんて言っても誰も従わないのに。

今月中に、国はパブリックコメント意見募集するらしいから、ぜひコメントを書いてほしい。

このままじゃマズイ。

広く意見を求めるパブリックコメント1月中に実施することになりました。

2024-01-16

[] 2024-01-16

どうあるべきという話を聞きすぎて、どうありたいかを忘れてしま今日この頃です。

かに行動に伴う責任倫理というもの重要です。

しかし誰かの意見絶対ものであるかのように錯覚してしまうのは自分を見失う第一であるように思うのです。

何が悪いことであるのか、ということは、いい大人なのである程度わかっているはずなのです。

ところが、インターネットテレビでは、平気で一線を越える輩を目撃します。

差別正当化したり、特定の人の利益のために経済についての嘘を言ったり、誰かを頭が悪いと見下したり、バズるために誤解を生み出したりすることです。

そういう蛇たちの情報に影響されすぎて慣れてしまうと、自分が信じている善というものが混乱してしまます

私はインターネット趣味なのですが、情報に触れることから遠ざかった方がいいのかもしれません。

コンピュータに触るのは仕事だけにする。コンピュータに触らずにできる趣味を作る。

コンピュータ汎用性があり、文書閲覧、ゲーム動画映画コミュニケーション小説お絵描き絵画の鑑賞、勉強、こういうものコンピュータがあればできてしまます

しかし汎用的だからこそ、人につけ込む隙があり、搾取の道具にされています

私はコンピュータを使ってこの文章を書いていますが、もしかすると誰とも共有せず、紙のノートに書くべきなのかもしれません。

社会からの目を意識すると、自分とは異なる何かが手を動かし始めるのです。

ではコンピュータを使わずにできる趣味とはなんでしょうか?

普段なら、趣味検索コンピュータを用いて行うところですが、それではダメなのです。

自分の頭で考えて、必要ならば本屋図書館で本を探して、アナログに立ち返ってみること。

目的のための最短経路を一発で掘り当てるのは、もうつまらないのです。

ゆっくり旅路を楽しんだり苦しむ余裕こそが重要です。コスパタイパを意識して映画倍速再生するなんていうのは令和時代病気です。

仕事では最適化コスパ重要かもしれませんが、人生全体に対してそれを適用する必要はないのです。

そして「楽しみを最大化」なんていうのもまた令和の病気の一つでしょう。

ぼーっとする無意義な時間があってもいいし、楽しめないと思ったTVシリーズや本を最後まで見てもいいのです。

私は子供部屋おじさんなので、家の家事もっと手伝うことができます

風呂場の掃除洗濯物の取り込みしかしていませんでしたが、自分が使った食器を洗うぐらいのことはできるでしょう。

家族と過ごす時間を増やすこともできますし、昼休み時間散歩に出かけることもできます。あるいは朝冷水シャワーを浴びてリフレッシュすることも。

「めんどくさい」などと言っているから、スパイスが足りなくなるのです。

あらゆることをコンピュータ上でやろうとするのも、最短経路を一発で掘り当てようとするのも、結局はめんどくさいという怠け病です。

おそらく私が失っているのは、自分らしさというよりは、人間らしさです。

箱の中に閉じこもる生活をやめて、両親の家庭菜園に加わった方が楽しめるかもしれません。

2024-01-13

AI人間に描けない絵を描け」

およそ半年前の俺の発言より。

バカだったよ。

日々の性的消費のために生成AIの絵も取り入れて以来、

まりワンパターンぶりに嫌気が指してきた頃だった。

車や電車のように、機械は人を超えて初めて意味がある、、、という最もらしい文句でっち上げた。

しかそれからさらに数ヶ月前経ち。

現在利用しているエロ絵の、80%程度が生成AIである

なんというか、絵師先生方には悪いけど、手描きエロ絵のクオリティが低くって、もう使えなくなっちまった

身体リアルバランスや腹部とかの細かい凸凹を、AIエロ絵は標準的に備えているのだ。

(手指と乳首改善されつつある。ケアしてないAI絵師さんも実際まだいるが)

絵描き専門ではなく一般職を兼ねている同人絵師先生たちには、そこまで描き込む時間はない。

ポイントは日々新鮮なエロ享受してる俺の需要を満たすには、専業有料トッププロ達の筆の速さでは到底足りないということ。

から数多の兼業同人作家様方の趣味ラフ絵(失礼)が必要だったし、とても助かっていた。

でもAIポジションを奪った。

当時の俺の間違いとは要するに、絵画芸術としての最高到達点などは俺ら一般人には関係ないということ。

エロとしての平均的なクオリティ

これが、もはや生成AIの方が高い。

anond:20240113220839

絵そのものにはないと思う。

そのうちゴッホピカソの新作を並べた美術展覧会も催されるだろう。

ただ人間は、絵画イラスト、その他諸芸全般を鑑賞する際に作品だけを独立して見るだけではなく、作者がそれを描くに至った個人的経緯であったり、作者の人格であったり、時代性であったり、そういった作品の背景情報周辺情報を含めて楽しむことが多い。

最もわかりやすく極端な例を挙げれば(東浩紀も言っているが)、自分の子どもが書いた絵って特別だよね、ということだ。

からAIが描いた絵と人間が描いた絵の何が違うのか」と問われれば、回答はずばり「人間が描いていること」になるだろう。

書き手人間が歩んできた人生書き手キャラクターストーリー、そういった要素がこれまで以上に重視される時代になると思う。

わたしにとっての文化

都市にひそむミエナイモノ展で「蘇生するユニコーン」を見ながら

あぁ、わたしにとっての「文化」はヒトが作った、私たち生活をしていくには必要のない作品に触れることだと思った

文化という言葉は広い意味を持つの日本人が米を食べるだけで、それだけで文化的な生活をしていると言える

でも、私にとっての文化は私が生きていくためには必要のない、そして人間が作ったもの

音楽漫画アニメゲーム絵画講演会舞台鑑賞、映画、展示会、お笑い怪談オカルト小説エッセイ

等々だ

東出昌大が山で半自給自足生活をしているそうだが、ああい自然のなかで、自然の恵みを楽しみながら、料理を楽しみながら暮らすのは私の思う文化的なものとはかけはなれているなあと思った

自然に触れるのは楽しいし、たまに透き通った沖縄の海に入ったり、屋久杉を見たりするのはとっても感動的ですばらしいと思うが、大自然日常生活に取り入れたくない

ヒトが作った、生きるためには必要がないけれど、それがあったら心が刺激される、わくわくする、そういうものをたくさん見たい

私の思う文化享受しようと思ったら、東京大阪に住むことが必要になるんだろう

みんなにとっての文化もぜひ教えてほしい

2024-01-09

必ず読み間違えてしま漢字ある?

俺は「絵画

予想してない文脈で突然でてくると必ず「えが」と一度読んでしまう。その後「かいが」だったと思い直すのがいつものパターン

他は問題ないんだけど、この漢字だけ相性悪いみたい。

そういう「必ず初手読み間違える」漢字ってみんなあったりする?

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