はてなキーワード: 監視社会とは
自国である日本の問題に結びつけずに、他国である中国の問題にしか結びつけないことが問題だね、という話をしている。だから、ディストピアを自分の社会と連続性のある概念と捉えるためのディストピア発見実習をしようか、という話をしている訳だ。
学生が「中国の問題にしか結びつけない」かどうかは、学生とやり取りした北村紗衣先生本人しかわかんないことじゃない?いや本人にすらわかんないよね。元増田が書いているように、日本にも関連はあるけど、中国のほうが関連が強いという理由で、(日本については言及せずに)「ディストピア作品って中国みたい」って発言した学生がいる可能性が十分ある。なのに、学生が日本に結び付けなくて問題だって、北村紗衣先生が勝手に誤解してる可能性もありますよ。
「内容が中国より日本に合致するディストピア小説」の話だ、というのは増田が言い出したことで、saebou氏がいっていることとは関係ない。というか、とんちんかん。
そういう関係ないと決めつけて多様性を許さないのがディストピア。作品の内容との類似性より、自国である(他国でない)ことを絶対視しなければならないなんて、そんな決めつけが当然なの?読書は自分なりにできる自由なものだって、早稲田大学や高橋源一郎先生は言ってますよ(後述)。
ディストピア作品の内容が、日本より中国にあてはまってると考えた学生が日本と関連づけないのが問題になるのが、武蔵大学ってことなのかな。
(北村紗衣先生を「saebou氏」って書くの、すごいっすね。)
まず、ニュースピークや二重思考の話をしているから、具体的な例としてオーウェルの『1984年』が想定されているよ。具体的な例を挙げていないという批判は的外れ。
教えてくれてありがとう。ニュースピークによる語彙の制限は金盾、二重思考は社会主義市場経済とすれば、中国に当てはまるディストピア作品だから、学生が中国を挙げることは自然だね。もちろん、日本にも当てはまる事柄がないという意味ではなく、中国の方がわかりやすいという意味で自然だね。具体例があると、学生の考えに一理あることがわかりやすくなるね。
最近出版された「まんがでわかる 1984年」の宣伝では、中国にあてはめたり(支配層が都合のよい形で人々に「何が当たり前か」を刷り込み、疑問に感じる力を奪いながら、感情を「型にはめていく」様を描いた小説『1984年』。コロナ禍を経て、今一度、権力と個人のあり方について考える状況にあるといえます。今回のコロナの感染源・中国のITによる超監視社会は、『1984年』の世界を彷彿とさせます。)、日本のようだ(自粛・正義・幸福追求・相互監視の暴走!世界文学の名作を新解釈!まるで今の日本のようだ!)となってる。「ディストピア文学の読み方が分かってないですね。ディストピア文学は読み手がどこに住んでいようと、「今、我々が住んでいる場所」を描いたものとして読むんですよ。」という北村紗衣先生からすれば、宝島社は文学の読み方がわかってない(中国を思い浮かべた)担当者が宣伝してると断言していますね。
実際、1984年が共産主義国における全体主義の批判であるのは間違いないとしても、1984年がソ連とかの社会主義国とかだけの話で、西側諸国は関係ない、みたいな読み方されても、オーウェルも困ると思うよ。
そんな読み方を誰がしてるの?元増田は日本にもディストピア作品に関連する要素はあると書いてるし、学生は「中国みたい」と言っていても、「西側諸国は関係ない」なんて言ったとはどこにも書いてない。もし言っていたとしたら、それがわかるのは、北村紗衣先生本人だけだよね?
それに、作品を理路整然と解釈した結果、作者の意図と異なることだってあり得るのに、作者が困るから作者の意図通りに読まなければならない、って、武蔵大学はそんな権威主義の学問しか学べないんですか?
早稲田大学だと、「自分だけの読み方を見つけ、人を納得させる。「自由に読むことの楽しさと厳しさ」を学べる」のに。高橋源一郎先生は「個人が読むということは、僕は書くよりもクリエイティブなことだと思っています。そこには「社会」の「声」といったものがまったくない。「こう解釈されているけど、僕は違う」と読むようになることが「何かを読む」ことじゃないかと思うんです。」と話しているのに。
で、誰とも知らない学生がディストピアを日本にあてはめないと先生が愚痴っていても、どの学生にも不利益ないよね。どこがディストピアなんだろ。言葉尻をとられて混ぜっ返しても意味ないよ。
二重思考ができてるね。(支配層が都合のよい形で人々に「何が当たり前か」を刷り込み、疑問に感じる力を奪いながら、感情を「型にはめていく」様を描いた)小説『1984年』を教材にする北村紗衣先生(支配層)が、ディストピア作品は日本に関連付けるのが当たり前だということを刷り込み、中国みたいと思う学生の感じる力を奪うんだから、リアルディストピア。これがノンフィクションってやばみしかない。これが学生の不利益ではないって、二重思考すげえ。
あ、学生が日本と関連付け(られ)なかった理由がわかった。「1984年って、武蔵大学を描いてて、北村紗衣先生がビッグブラザーですね」って、もっとも身近な事柄に関連付けたら、単位もらえないもん。学生さんも二重思考を身につけなきゃですね。
北村紗衣先生のやりたいディストピア発見実習って、松任谷由実さんでおなじみ京都精華大学白井聡先生の単位のために学生に忖度させるパワハラみたいに先生のご機嫌取りになるだけでは。学生さんかわいそう。
そういう発想だからTERFにもなるんだろうな……といろいろ納得してしまった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1625581
差別反対を主張していた人がこんなにもあっさり差別的発想に転んじゃうのって、やっぱり本質的に「差別のない社会」がどういうことか理解できてなかったんじゃないかな。
差別というのは、「○○人の血は汚れている」のような根も葉もない生理的嫌悪感に基づくものから、「○○人の犯罪発生率は高い」という統計的事実に基づくものまで色々ある。
アメリカでは黒人の犯罪率は他の人種と比べて高い。だから、もしも「社会の多数派にとっての安全」を「差別の解消」よりも上位に置くのなら、黒人ばかりを狙って職質をかけたりするのは合理的な行動ということになる。それによって黒人の手になる犯罪が未然に防がれるのなら、社会はきっとより安全になるだろう。
別の例を挙げてみると、キャリアの途中で退職したり長期間の休暇を取ることの多い人びとを職場から排除すれば、組織の効率性は上がるだろう。原理主義者によるテロが頻繁に起きている宗教の信者の入国を拒否したり、彼らを集中的にスクリーニングすれば、多くの人がテロから救われるだろう。そして性犯罪の加害者になることの多い人びとを子どもと関わる職業から排除すれば、子どもの性被害の数は大幅に減るだろう。
問題は、それは差別だということだ。そのような対応は差別的であるため、批判され、場合によっては法規制もされる。差別は自由で民主的な社会にふさわしくないものであり、この社会からなくしていくべきである。
逆に言えば、差別のない社会とは、一定の被害を甘受せねばならない社会だということでもある。
事前に黒人の犯罪者や退職者の多い属性やテロリストの多い宗教の信者を排除することは差別である。それを突き詰めた結果として、黒人の犯罪者によって金銭を奪われたり、会社の業績や病院の労働環境が悪化したり、狂信的なテロリストの仕掛けた爆弾で死傷したり、子どもが学校で性的虐待を受けるかもしれない。
もちろん犯罪者は裁かれるべきであり、彼らを無罪放免にしろと言うつもりはない。だが、一定数このような被害や効率性の低下が出ること自体は、差別のない社会が甘受すべきコストということになるだろう。属性に基づく事前の排除やスクリーニングを拒否するというのはそういうことなのだから。
私は差別に反対するので、それによって自分が旅行中に強盗に遭おうがアメリカの警察が黒人を狙い撃ちにするのは間違っているし、仮に自分の業務に支障が出ようが特定の属性の人びとに対する就職差別は許されるべきではないし、もしもテロによって家族を失ったとしても特定の宗教の信者だけをスクリーニングするのは道義的に正当化できないし、たとえ自分の娘が学校のトイレに連れ込まれて乱暴されたとしても、教員やその志望者が能力ではなくジェンダーやセクシュアリティによって選別されるようなことはあってはならないと考える。
差別は、場合によっては問題解決のための手っ取り早い手段になり得る。だから差別の解消を主張するというのは、実はとても覚悟のいることなのだ。
その覚悟を持っていなかった人たちが、時と場合が変わるとあっさり差別主義者に変貌してしまうのは驚くべきことではない。女性差別とさんざん戦ってきたのに、今「安全」を掲げてトランスジェンダーを排除しようとしている人たちがその典型だろう。
私たちは、差別に反対する覚悟を決めるべきだ。たとえそれによって不利益や被害が生まれても、それでも差別を許してはならないと言うべきなのだ。そのような覚悟のない反差別は、いずれあっさりと差別主義に転ぶ可能性を秘めているのだから。
理論的には完全な監視社会、例えば全員の脳内にチップが埋め込まれてて犯罪行為を始めると即電撃で無力化する社会では差別もないし被害も甘受しなくていいし法的自由も保証されるのではないか
マジレスすると完全に外形的な条件から「何が犯罪で、何がそうでないか」を決めるのは理論的に無理。なぜなら、理論的には、ある行為が犯罪かそうでないかは事後的にしか評価され得ないので。
意識のない他人の服を無理やり脱がせて体を触る行為は準強制わいせつかもしれないし救命措置かもしれない。他人の腕にナイフを刺すのは通り魔かもしれないし壊死性の毒があるクモに噛まれたので毒を除去しようとしているのかもしれない。子供を連れて遊園地に行くのは子守かもしれないし誘拐かもしれない。大量の宅配ピザを注文するのはパーティーの準備かもしれないし業務妨害かもしれない。カレーを食べるのは食事かもしれないし相手を油断させて毒入りカレーを食わせる計画の一環かもしれない。ファイティングポーズを取った男に蹴りを食らわせるのは正当防衛かもしれないし誤想過剰防衛かもしれない。これらの行為が行われた瞬間にチップで犯罪かどうか判定するのは不可能。
っていうか、他人から受け取ったキャッシュカードでカネを引き出しただけで刑務所に入ってる人は何人もいるわけで……
仮に外形的な基準じゃなくて「今自分は犯罪を犯そうとしている」という意思を基準にするとした場合、「嫌だとか何とか言ってるけど部屋までついてきたってことはセックスする意思はあったんだろ、嫌よ嫌よも好きのうちって言うしな、グヘグヘ」みたいな発想の人がいたらどうなるのか、ということになるので、チップを利用した犯罪抑制はどちらにせよ無理。何が犯罪で何がそうでないかは、ある行為が行われてから人の手によって評価され、判断されなければ理論的には決まらない。
ブコメ”加害者個人を排除する場合、最初の一回の被害は防げない”。その理論でいくと、差別される人種なり宗教は1回以上の被害が起こったので差別され始めたのでは?つまりどちらも根本解決にならないと思う。
根本的にわかってなさすぎて頭が痛い。人種集団や宗教の信徒は「個人」じゃないだろう、という話なんだけど。
今、目の前に一人の黒人がいるとする。名前を仮にボブとしよう。黒人が他の人種集団に比べて犯罪率が高いという統計的事実はある。だがボブが犯罪者かどうかはわからない。ボブがもし犯罪を犯したのなら刑に服すべきである。だがボブが犯罪を犯すまでは彼は無辜の市民なのであり、黒人だからという理由でボブだけ集中的にスクリーニングされたり職質されまくったりするのは不当な差別である。ボブが強盗なり殺人なりの犯罪に手を染めてはじめて彼を犯罪者として扱うことが許容される。
逆に言えば、我々は、ボブを事前にスクリーニングして強盗や殺人の被害者をなくすことよりも、たとえ強盗や殺人の被害者が出たとしても、ボブを人種に基づいてスクリーニングしないことを選ぶべきなのだ。
女性は早期退職する確率が高いが、ではどうせ無駄になるのだからと目の前の花子にろくにキャリアも積ませなかったり昇進させなかったりするのは正当か。宗教的テロを起こすイスラム教徒が大勢いるとして、では目の前のアブドゥルにだけ警察の尾行がついたり空港で差別的な扱いを受けるのは正しいか。性犯罪者の多くは男性だが、では資格も能力もあるのに目の前の太郎を保育園に採用しないのは許されるのか。
「私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である」とかつてキング牧師は語った。私はその理想を信じている。そのために生じるであろう被害よりも、なおその理想は重いのだと信じる。それが差別に反対するということだろう。
?何も安心してはおりませんけども
「同意のない性行為は犯罪」はあたりまえ体操 それを強姦という
①何をもってして合意とするか?
セックスの合意というのは極々プライベートな上に雰囲気が云々とかも絡んでめんどくせえ話で、①も②も答えが難しくなってるね
私の究極の回答としてはふたつ、セックスをしない、もしくは24時間監視カメラつける
毎回押印契約書届け出てとかも無理がある
セックスっていう行為の性質上、超監視社会にでもならん限り、結局人と人との曖昧な信頼関係に帰結せざるを得ない
信頼という曖昧さが嫌いならリスクアセスメントに終始すること。しっかり相手方を見極めて懸念をリストアップして相手の行動を監視、かつ周りの人間をできるだけ多く巻き込むことくらいじゃないの せめて他人事で済まされないように
https://anond.hatelabo.jp/20201001112504
「いい作品だったんだけどなんというか大絶賛とは言い難いんだよな」っていう感想が多く見られた。そうなんだよな。結末としてこれはこれである程度納得がいくけど。毎話の引きというのは素晴らしかったものの、初期に与えられた大きなワクワク感がどんどん薄れてしまった。
ここまでメッタメタにネガティブな評価を出しているわけだけど、総合評価としては私の中ではポイントが高い。
という人にはオススメできる。ID:INVADED とかダーリンインザフランキス(初めの方のみ)が好きな人には特にオススメできるかもしれない。あとは 彼方のアストラ とか?まぁとりあえず観よう。
そういえば、ID:INVADED は今作品同様、アニメオリジナルな作品だけど続編として漫画が連載されている。いやーこれがとても面白い。漫画はキャラクター原案の 小玉有起 が担当しているのでクオリティが高い。あまり漫画を読むことがないので分からないけど、心が砕ける描写が斬新で好き。
もっと観たい方は デカダンス公式 Twitter を漁ってみれば多分見つかる。
https://twitter.com/Jijasd/status/1290631825115815937
https://twitter.com/Hiromatsu1988/status/1308454013793304576
https://twitter.com/_bbwb_/status/1293444092282667008
Twitter をあまり使わないのでどの程度一般化しているか分からないけど、アニメーターが自分のアカウントで原画を公開したりすることが多くなったね。いいよね。
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GGS を起動する訳だけど、あんな設備で簡単に全てのガドルを殲滅できるんかい!二人で一斉のせいでスイッチ押すんかい!
超監視社会と見せかけておいて結構ガバガバ。システムにとってサイボーグに人権もクソもないような扱いなのに、プライベートルームがあったりする。システムがカブラギに世界の行方を委ねるのは好き。
初めの頃は考察厨向けなアニメかと思われたけど終わってみれば勢いで押し切る系アニメだった。勢いで押し切る系としては惹きつけ方は凄いうまかった。
これは尺の都合もあるが、色々なキャラが出てくるが彼らの過去について語られることはなく視聴者の想像に委ねられることが多い。ミナトとカブラギのアレコレ♂とかクレナイやサルコジ、ジルの昔話とか、とても興味がある。スピンオフ欲しいよぉ。
ガドルのバグ、パイプは本来ガドルは無畜であり普通の動物のようなものであるという説明のために使われたキャラであるが、普通に GGS を起動したら消滅してしまった。超巨大化してガドルをぶっ倒すとかそんなんなかった。パイプがタンカーの街を散策するショートストーリーとか欲しい。
変わりたい人と変わりたくない人の対比は素晴らしくキレイだった。ドナテロとターキー。
サイボーグ ギア かの力。サイボーグの一部はギアとしてデカダンスにログインして(少数はタンカーに混じっていたりする)いて、大部分はかの力という戦闘集団に属している。かの力はギアが大部分を占めるが少数のタンカーも在籍している。サイボーグも流し見している視聴者だとあんまり理解していなさそう。
作画はキレイだし動きはアクロバティックで非常に惹きつけるものがある。背景も凄い。夕焼けを反射するデカダンス。かっこいい。最近のアニメって線は細く、エフェクトゴリゴリが主流っぽい?けど、この作品は重厚感があるよね。いい感じの言葉が見つからないや。
ナツメもカブラギは本当に適役だったし、他の声優も素晴らしかった。「前頭葉回路にクソでも詰まっているんじゃないですかね」というジルの演技好き。
実態は不明だけど地球にはデカダンス以外に5つの会社があるんだよね。昔地球が滅びたんだよね。過去に何があったのか、現在の状況はどうなっているのか知りたい。
普通の作画とカトゥーン調の作画を融合させる良い試みだった。カトゥーン調でなければ描写が難しい場面もあったが、カトゥーン調のおかげでシリアスに寄りすぎずコメディ感をもって楽しむことができた。戦闘シーンは宙を移動しつつ攻撃するというもので斬新なものを観せてもらった。「生きる世界は自分で決める」という軸は作品を通してブレることなく貫いていた。最後まで足掻いて勝ち取る。諦めない精神を与えてくれた。これからの製作者たちの作品を観ていきたい。本当にありがとう。
中国の独裁的なやり方が非難されてるけどそんなに悪いことなのか?自由がないと言われる中国や北朝鮮だって大多数の人間は普通に生活してるじゃん。
当然独裁政治の中では自由が制限されるのは分かってるけどデモとか参加したことないし政治的意見の表明もするなと言われても特別困ることはない。
むしろガチガチの監視社会を構築して犯罪が減るなら俺にとってはありがたい話とすら思える。
自由を認めてBLM運動みたいなのが起きて略奪、暴行の危険に晒されるのと自由を制限してテロ紛いのデモに怯えずに暮らせるのだったらほとんどの人は後者を選ぶんじゃないかな。
独裁には当然有用な意見も弾圧されるというハッキリとしたデメリットもあるのはわかるけど現状だとメリットも充分あるし一概に独裁は悪って決めつけるのはただの自由主義のプロパガンダじゃないのか
間接的に完全監視社会だし、
データへのハッキング手法が開発されたら機密もプライベートもだだ漏れだし、
ボディカメラの死角さえ把握すればほぼ無罪確定なんて悪用もあるだろう。
合わせて、着用の推奨を法制化する
普及させるため、支給するのは小型・軽量にする
これでパワハラ・セクハラ・強姦問題・ブラック企業・モンスターペアレント・いじめ・差別・虐待・
事実であるが、隠蔽側にコスト増を強いることで、隠蔽のハードルが確実に上昇する
私は、大幅に抑止すると提言している。0にできるとは言っていないし思っていない
0にできなくとも充分な社会的意義がある
電車内や街頭で、他人の全身像を合法的に撮影・保存できるという点でのみ、そのとおり。
ただし、女性のスカートの中を覗く、男性の下半身を撮影するといった有害行為は今よりも確実に減る。
間接的に完全監視社会だし、
一個留意してほしいのは、個人同士の監視社会にすぎず、政府や企業による監視社会ではないこと。
データは各個人が持っており、政府や企業が持っているのではない。
政府や企業が外部にデータ送信する機能を隠してつけるのは事実上不可能であること。
機器はネットワークに接続されていないのでハッキングは不可能。
まず、カメラに写っていないからただちに無罪になるわけではない。
次に、被害者1人ではなく、多数の国民がいる場面では死角は存在しない。
世界が二分されてセミアポカリプスみたいなイメージは、90年SFの世界観だと思うし、個人的に解釈違いだぜ!
・国際情勢
かつての第三国の発展が著しく、総体的に、現在の先進国が優位性を保てなくなった。アメリカと中国はまだ対立しているけど、対立しているからこその経済の足の引っ張り合いが酷く、その間にASEANやアフリカ連合が経済規模でおいついてきた。フラット化がだいぶ進んでる傾向。
軍事力も、軍事兵器の無人化が進んできたせいでどこも圧倒的優位が保てない。ドローンを数揃えてドローン撃墜放題を国のそこかしこに置いたら国防が済んでしまう。核兵器もミサイル撃墜余裕が実現したので、冷戦時ほどどうしようもない存在ではない。
先進国っていう立場が無くなったので、常任理事国の存在した国連は有名無実化した。どの国もいうことなんか効かない。今は毎年開かれるEU・ASEAN・アフリカ連合合同会議、が主な国際協調の場となっている(ただしあまり協調しない)。
センサー系統の精度の進歩が神がかっている。人の顔を見間違えないし、音声言語をsiriの100倍の精度でくみ取るし、自動運転車で交通事故は10万分の1に減った。それを利用して、多くの社会で監視社会が敷かれている。20年ぐらい前に物議を醸したが、現実問題、監視社会を導入した社会の犯罪被害が統計上劇的に減るので、各国で徐々に導入が進んでいる。あとそもそも監視が自動化されており、人間のチェックが入らない仕様なので、法的に問題ないことになっている。
だいたいの職人技は3Dプリンタ系統の技術で実現できる。一家に一台、安価な3Dプリンタがおかれ、白物家電ぐらいまでなら自分の家で作る。電気屋の類は滅び、今のホームセンターが今や国の基幹産業となった。
空中投影型ディスプレイが実現し、スマホは板であることをやめた。みんな腕時計をしている。
バイオ技術の発展により、デザイナーベビーは実はもう可能だが、まだ社会に普及しきってない。法律無視して生まれたデザイナー天才ベビーがニュースでお茶の間をにぎわす。
・健康と食料
向上している。平均寿命は各国100歳超え。老年に伴う脳機能の低下も予防法が確立し、定年も80歳ぐらいまで伸びた。ガンとアルツハイマーも撲滅完了。
耐性菌やらウイルスやらが出てくるせいで、コロナ禍のようなことが、10年に一度ぐらい起こる。毎度被害がでるが、拡散の規模はだんだん小さくなっている。
食料と飢餓は、一時期世界の人口増と温暖化の干ばつで不足が囁かれたが、最近はおちついてきた。スマート農業と世界の人口増加ペース減少が大きい。経済の拡大とフラット化のかくだいによって、飢餓も撲滅とまではいかないが、実数上は21世紀当初よりもマシになった。
・教育
教えることが多すぎて、対応しきれない。世界は"洗練されたゆとり教育"か"つめこみ教育"に2分しており、今のところつめこみ教育が成果をだしている。一方で学業研究からはなれた幸福度に関する主張からゆとり教育側の優位も主張されている。上述のデザイナーベビーの普及とともにこの成果は逆転するとの意見もある。
隆盛とカオス。誰でも簡単にアニメやマンガや映画をつくれる思考読み取りツールが開発された。頭の中で考えた僕の理想の漫画が簡単に形になる時代。
プロの芸術家、という概念は今よりも無意味化がすすんだ。アマチュア→商業という出世ルートや、商業だからクオリティがすごい、という意識もだいぶ薄れてきた。
クリエイターが増えすぎて、もはや誰も全容を把握できない。漫画が趣味の人間が、いま一番売れている漫画を把握できないという状況になった。
AIもこの分野では進歩が著しく、ちょっとした解説動画や環境音楽は自動で作られるようになった。それに伴って、ユーチューバーという業態は消滅した。
❶自粛要請を聞いてくれずに車で遊びに行く他県ナンバーのお客さん
❷他県ナンバーの車を見かけただけでコロナの感染源だと思って攻撃してくる地元の人
リベラルとしては、どっちを応援すればいいのか分からなくて困る。
排他的な田舎なんて非難したい気持ちもあるけど、陽性の人の移動で本当に感染が広まると、地方の妊婦さんや病気の人が困るだろうし・・・。
女性専用車両みたいに弱い人を守るための緊急避難として、差別ではないけど問題が残る社会的区別として容認するしかないのかな。
でも法律もないのに自粛要請でお互い見張って行動を縛るなんて、戦前の監視社会そのものだよね。
欧米みたいに移動を禁止する法律を作らない政治家が一番悪いと言いたいけど、もしそれで憲法までいじると、それはそれで安倍に好きなように改憲されそうで困るし・・・。
一億総監視社会と呼ばれるほど最近の世の中は何かあれば晒されて誹謗中傷の的になってしまう。
評論家や正論をいう人がもてはやされて、人の揚げ足取っては悦んでいる
なんだか戦前みたい、戦前の日本では、国民同士がお互いに監視し合い、わずかでも全体行動から外れる言動をした者には、ただちに「非国民!」のレッテルを貼り、寄って集って個人攻撃をしかけている、これとよく似た構図。
戦前の場合は政府がこれを煽っていた背景があるけど、今は一般の人々が率先してやっているからもっと始末が悪い。所詮人間のすることだから、生きていればかならず過ちは犯すし、やることなすことどこかしら落ち度はあるに決まってる。
ひとにやさしく
余裕ない人が多いのかなぁ。。。